相互扶助の宴會2022年06月23日 17:52

新古画粋. 第7編 (宋画)
 『鄥其山漫文 生ける支那の姿』

 魯迅 序 内山 完造著

 (三八 - 四二頁)           2022.06.23
 相互扶助の宴會

 支那人位形式を重する人間は世界中に稀である。或る西洋人の擧けた處によると、結婚式とか葬式に最も多くの費川を使用するのは支那人であつて、何でも収入の一ヶ年分又は二ヶ年分位費すと書いてあつたと記憶する。そして驚異の眼を見張つてゐる。世界第一の不經濟漢は支那人であるかの樣に書いてあつた。日本人と西洋人とを問はず、凡ての支那を語る人々の一致する點は全く此處にあるやうだ。
 支那人は誠に禮儀三百威儀三千である。支那人は遂に結婚式で半生の經濟破産をし、葬式で殘る半生の總破産をすると言ふことである。
 一寸見るとそう見える、例へば僅か一箇月五十元の収人よりないものが、結婚式のために二百人の客を招待して、大宴會を開いて披露した事實を見たならば、誰人も其の莫大な費用に驚くであらう。實に其の馬鹿らしさに驚くであらう。實は私も最初の間はそうした歯の浮く様な支那觀を、知らぬが佛で本當にして支那人を笑つた者であるが、今日の私は幸か不幸か、そんなとんでもない淺薄な、まるで薄氷をふむ樣な支那觀は口にする勇氣がない。成程一ヶ月五十元の者が、一夜の披露宴に三百元を費したと謂ふならば、誠に収入の六ケ月分を一友に散財するのであるからべら捧な不經濟である。
 然し一足踏込んで考へるならば、そうした見方は根底から間違ひであることが解る。
 支那人は成程、結婚式の披露宴で、一夜に三百元を散じる。それは収入の六ヶ月分に相當する。然し其の大宴會に招かれて行く御客は何うして行くのであるか、御客は結婚式に平均二元宛持つて行くのである。それは二百人内至二百五十人招くと四百乃至五百元の金が集まるのだ。一卓八元の御馳走を三十卓としても費用は二百四十元である。堂採一割加へても二百六十四元、酒や茶や御飯を加へても合計が三百元内外であつて、百元乃至二百元の餘裕が出來るのである。斯うした内容を知らねばこそ世界一の不經濟結婚式と平氣で言へるのである。(然し支那でも有産者間にはかうした宴會はないと言ふが、それは極めて少數の有産者間の事であつて、大多數は之が不文の律法である)即ち私の言ふ相互扶助的宴會である。とうして宴會を開くならばそれがどんなに大規模なものであつても、其の主催者には何等の苦痛をもあたへない筈である。
 親の五十の祝も、七十の祝でも又葬式にしても同樣である。葬式の通知を受けた人は必ず金を包んで持つて行くのである。それは丁度日本の香奠の様なものであつて、支那ではそれが葬式の費用であることを、彼我共に意識してゐるのである。
 支那人は半生を結婚式によつて破産し、葬式で最後の決算をするのであるとは馬鹿々々しい説であり、それが簡單に肯定されてゐることは如何に支那研究家が淺薄であるか、不徹底であるかを物語るものである。私には言ふぺき言葉もおり偲ないのである。
 殊に葬式に就いては、一つ見逃すことの出來ない大きな點がある。
 成程支那の葬式に、虚榮と虚飾がないとは言はぬ、確におると思ふ。あるのはあつてもその葬式の全部又は其の中心點が虚飾でないことを主張するのである。
 先づ彼の葬式の長い行列を分解して見るがよい。先頭に行く中國軍樂隊または西洋式の音樂隊(大きくなると幾組もある)幾人もの僧侶又は道士、それから種々の寫眞とか、旗とか杖とか、種々の花輪なども續く。そうして棺が來る。其の後から喪主や近親者が徒歩又は車、自動車で續くのである。先頭から棺迄の間で音樂隊と道士、僧侶と棺かき人夫を除いて、大多數の人夫が全部少くとも數十人、多きは數百、數千人に餘る人足は悉くこれ  皆告化子である。葬式の物持先生は告化子であることに注意せねばならぬ、虚栄と虚飾の權化の如く言はれる彼の葬式の大多數者は乞食である。葬式と乞食、私は其處に一種の社會政策的のものを見る。即ち死者を弔ふに當つて、飢えたる乞食に日常を與へ(それは中間で何割かが親方に取られて、例へ少しであつても)一日とか二日とかの食の安定を與へるのである。だから低は言ふ。
 「葬式に使用する乞食は無條件により多いことを希望する。」と。
 葬式の費用は相互扶助的に集り、其の集つた金は食ふに食なき飢えた乞食に與へられ、(其の他にも使はれるが)さうして葬列をさかんにする。從來の見解が如何にこの大切なことを見失つてゐたか、私は此所に支那人の虚禮、虚飾説を根本的に訂正したぐ思ふものである。

引用・参照・底本

『鄥其山漫文 生ける支那の姿』内山完造著 昭和十一年六月五日第三版 學藝書院
(国立国会図書館デジタルコレクション)

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