血で書いた父祖巡禮者の規約2022年09月17日 13:05

五箇国之内英吉利人
『米國の研究』清沢冽著

 第一編 米國といふ國

 (27-30頁)
 八、血で書いた父祖巡禮者の規約       2022.09.17

 こゝまで書いて來て、われ等は米國を形成する重要な部分を閑却したことを感ずる。それは米國の建國の中心をなし、しかも今な滔々たる物質的文明の裏を縫うて米人の血の中に通つていゐる宗教的情緒である。
 歴史を書くのがこの文の主眼でないから、歴史的事實はこゝでは略するが、米國建國當時の意氣と、神を敬ふ生一本の信仰とは、襟を正さずにはおられ程の純眞なものであつた。
 私は米國の歴史を讀むごとに米國の精神的方面を表現する偉大なる事實として、二つのインシデントがあるのを感ずる。一つは米國を形成しない以前に英國から大陸に來たピリグリム・フアーザーズの一團であり、他はいよいよ十三州が聯結するに當つて出來た憲法制定の大事業である。其後南北戰爭があり、いわゆる「中興の父祖」たるリンコルンの奴隷解放によつて現はれた米國の精神は、偉大は偉大であるけれども、この頃はもう米國には産業の世界が始まつて、そこには混入つた經濟問題の纏綿するを免れなかつた。
 歴史は今から三百年前に遡のぼる。米國といふ巨大な大陸が、遠い海の海の外に横たはるといふことは、人の口から口ヘと傳はつたが、そこには頭に烏の羽をつけて顔を赭く砧く塗つた剽悍な土人が、縦横に馳驅する神秘な場處としてのみ知られてゐた。
 この頃歐洲では、ローマ法王の威力に漸く龜裂が入り始めた頃であた。舊教は最後の悶えに、新教を盛んに壓迫した。一方英國王ヘンリー八世は、プロテスタントを國教として、法王に楯つきはしたが、それは自己の我儘からであつた。その何れにも屬しないカルビンの流れをくむ清教徒の一團は慘めに兩方から迫害された。耳をそがれたり、鼻を切られたりした事實は處在なに見られた。彼等は肉體の勞働や苦痛は少しも恐れるものではなかつたけれども、舊來の形式を離れて神の前に蹉(ママ)づく自由を自由を奪はれては、愛する父祖の國といへども永住するに堪へなかつた。
 彼等は逃れてオランダに行つた。そこには信仰の自由はあつたけれど、居候の狀態は彼等の自尊心を滿足せしめなかつた。そこで彼等は各方面と交渉して漸くメイ・フラワーといふ船を仕立て、アメリカ大陸に向け出發したのであつた。今から約三百年以前――一六二○年九月十九日のことで、これが有名なるピリグリム・フアーザーズである。一行は百○二名、一人は船中で死に、一人は船中で産聲をあげた。英國のプリマウスを出て、大西洋を超ゆるのに六十七日かゝつたといふ事實が、冬の航海をちひさい船が、どれだけ苦しい日を送つたかを語つてゐる。
 上陸しても問題は解決しなかつた。緯度にすれば日本の千島の邉にも當るマサチユセツト州の冬に彼等が生きて行かねばならぬ苦痛は、とても筆紙に盡せなかつた。この間彼等の唯一の頼みは、天に在す唯一の神のみであつた。プリマウスの海岸に、風雪と闘つて、一冬の間に、一緒に來た團體の半分は死んだ。けれども彼等は固く相結んで、船中で作つた規約を中心に、信仰を中心にする自治部落を形成し、第一回の知事に。一ヶ年を期限としてカーバーといふ同志の一人を選んだが年限も終らずに死んだ。
 船中で作つたピリグリム・フアーザーズの規約といふものは左のやうなものであつた。
 神の御名にによりて下名等此の誓約をなす。神祐により大ブリテーン、フランス、アイルランドに君臨し給ふゼームス王の臣僕たる下名等、此度神の光榮に浴し、イエスキリストの信仰を廣めんがため、バージニアの北方に最初の植民地を建設せんと欲し、此渡航を企てたるにつき皆々神前に集まり、誠心誠意此目的を貫徹せんため、我等び便宜に應じ、正義平等を以て趣意とする憲法法律規的を作り、命令を發し各人悉く之を忠實に遵奉せんことを誓ふ。此に記名する者は皆此制約に捉はりたるものなり。依つて名を署し、他日の證左となす。
 以上が有名ななピリグリム・フアーザースの船中規釣である。燃ゆるやうな信仰と、自由の精神と、固い自決の精神が、短い文中にも躍動してゐるではないか。米國の憲法も、要するにこれを具體化したものに過ぎぬのである。

引用・参照・底本

『米國の研究』清沢冽著 大正十四年十一月十八日發行 日本評論社

(国立国会図書館デジタルコレクション)

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