米國のモンロー主義2022年09月20日 10:15

武州横浜八景之内本村乃夕照
 『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久

 米國の東洋に對する野心 内田良平氏
 
 (三〇三-三〇八頁)
 第一 米國のモンロー主義          2022.09.20

 私は米國の東洋に對する野心に就て、私の所見を講演致します。米國の野心が世界に其權勢を縱にせんとするにあることは、彼れが建國以來の精神と國策として標榜して居たモンロー主義を棄てゝ侵略主義に變化した時に在るのであります。
 私は此間の事情を御話しするに當り、先づ米國が當時何故にモンロー主義を標榜し、次で又何故に之れを變更したかを解剖して其の眞相を明白に到して置きたいのである。さうせぬと米國太平洋政策の因つて起る所以を知ることが出來ない。其の政策の因て起る所を知らないと、彼等が曾て日本排斥の野心を以て栽が門戸を叩いて來たのを、日本の恩人だ抔と履き違へてペルリの記念碑を建てた如き滑稽事を今後もにも繰り返すの結果に陥る虞があるからである。
 扨て米國は何が故にモンロー主義を國策としたのであるか。其の由來を尋ねると世界平和爲めでもなければ、人道主義の爲めでもない。唯だ當時米國の國情が自國の利益の爲めに之れを必要としたに過ぎぬのである。當時米國は建國日が淺かつたので、先づ經濟上國内に於ける富源の開發を行ひ、其國力を充實する必要があつたのである。然るに、之れを開發するには資金と人力が無ければならぬが、其の大切な資金と人力が當時の米國には欠乏して居た。其の欠乏を滿たさんとするには他國より資金'を借り入れ移民を迎ふるの外なかつた。而して資金と人力を他國から借り入れるには危険の伴ふ虞れあることは、彼等が曾て歐洲から移住して來て反旗を飜し、遂に英國の版圖から獨立した實驗を持つて居るから、下手をすると、今度は又た新たに入國して來た者に國權を奪はるゝことになりませぬかと云ふ懸念を懐かねばならぬ事になつたのである。併しながら之れを恐れ其の大陸を閉鎖して居ては、何時迄も本國の倉庫を開發し其の富力を増進するこが出來ないから、當時の大統領たるモンローは國務長官ジョングインシーアダムスの起草に係る所謂『モンロー』主義の對外政策を定めて之れを世界に證明しました。即ち千八百二十三年十二月二日モンローが議會に送つた教書がそれである。而して『モンロー』主義の特色は左の二題にあるのである。
 (一)西半球に於て歐洲強國が其の勢力を擴張せんとするが如きことがあつたならば、吾人は之を以て我國の平和と安全とに危険なる行動を敢てするものである と認むること。
 (二)西半球に於て、合衆國が認めて以て獨立國と爲したる政府に對して、擅に壓迫を加へ、又は其の版圖を侵害せんとするものがあつたならば、吾人は斯る歐洲強國を以て合衆國に敵意を挾んだものであると認むること。
 是れより先きにモンローは前大統領セツフアソン氏に對して、對外政策に關はる意見を求め所が、セツフアソンは之に答へて『我合衆國の根本方針は、第一、合衆國が歐洲に於ける國際競爭の渦中に投ぜられざるに在る。第二、歐洲強國をして西半球の事件に容喙せしめざるに在る。是れ南北亜米利加は、歐洲と全く利害関係を異にするからである』と語られたのであるが、是れが即ちモンロー氏が此の主義を世界に宣言するに至つた所以であつて、彼れは之れを以て米國百世の國是國策となし、歐洲強國をして米國は本國を開發し自由の天地を改造する以前には何等他意なきものであることを認識せしめ、専ら其安心を買ひ、同時に豫じめ自國干渉の道を絶たしめんことを期したのである。
 米國は此のモンロー主義を高調すると同時に、熾んに外國の資金を集中するに勉め、又外國の移民を歡迎し、大陸鐵道を敷設し、原野を開墾し、農工の業を奬勵し、更に其政策として世界第一主義を唱へ出したのである。即ち借金も世界第一なら、富も世界第一であらねばならぬと云ふ如くに何事でも世界第一主義を唱へて積極的に其の民心を鼓舞し其の國力を増進した結果、太平洋沿岸十三州人口三百萬から起つた米國が百餘年の間に四十八州人口一億以上に達するに至つた所以である。斯の如にして産業勃興資本豐富雄を世界に稱するに至つた米國が、尚何時迄もモンロー主義の舊形式を墨守して獨り國内の開發にのみ齷齪として居る筈が無い。彼れは國内に於けるる開發の事業其一段落を告ぐるや果せる哉勃々たる野心を提げ、此に對外的世界第一主義の經綸を行ふべく東洋の舞臺に躍出して來たのである。
 元來米國人の主腦となつて居るアングロサクソン人種は、冒険的事業を喜び、好んで大事業を企つる性格を持つて居る。夫れはアングロサクソン民族のみにあらず其他の白色人種も米國に移住して來た抑も抑もが冒険的思想を懐いて來た者のみである。是れ等が相集合し互に厭くなき豺狼の心を以て獨占的事業を企てた事であるから、其の結果が大トラストを造り大資本主義を實現して政治界迄自由にすることゝなつたのも自然の勢いである。傑物大統頷ルーズウヱルト氏さや之れが幣を認めトラスト征伐を始めたけれども、大資本家の勢力は之れを根本から破壊することが出來ず、僅かにトラストと云ふ名稱を避くるに過ぎなかつたのである。斯くして米國の事業といふ事業は悉く大資本家の掌中に獨占せられて仕舞つた。鐵道事業には鐵道王と稱せらるゝ者あり、石油事業には石油王、鑛山事業には鑛山王、其の他在らゆる事業も悉く十指を數へざる大資本家の手に収められ、最早米國の利權は無くなつたのである。其の殘つて居るものは恰かも富豪の倉庫の中に納められて居る財産の如く他人は容易に取ることの出來ぬことになつて來たのである。
 米國も此處迄來れば一變せねばならぬ時期に到着して來た。歐洲戰爭は種々の原因あるのであるが其の重なる原因の一も、畢竟するに世界の富を二、三強國の手に集め、互に其の富を占奪せんとする慾望から起つたに過ぎぬのである。米國も之れど同じく少數の資本家のみにて國内の富を握つて仕舞へば、次には他の持つて居る者の富を奪はんとして競爭の起るは冤るべからざる運命である。此の運命を轉ぜんとするには國民の慾望を海外に導く外はない。是れが米國のモンロー主義を一變して對外的侵略主義を執るに至つた重なる原因である。

註:原文の「田務」→「國務」に訂正。

引用・参照・底本

『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久 大正十三年十二月二十五日發行 發行所 讀賣新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)

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