禁錮さるべき大統領2022年10月01日 08:57

伊予の湯
 『ヒトラー總統の對米宣戰布告の大演説 一千年の歴史を作らん』 ヒトラー 〔述〕

  「戰爭の責任はル—ズヴエルトにあり!」 
  ヒトラー總統の對米宣戰布告大演説 
  (一九四一年十二月十一日獨逸國會に於て)

 (41-44頁)
 禁錮さるべき大統領             2022.10.01

 即ちフランクリン・ルーズヴェル卜が合衆國の首班に列せられた時彼は資本家によつててすつかり懐柔しつくされた政黨の候補者で黨に利用されてゐたのだ。而して余がドイツ國の首相に就任した時、余は自ら創建した民族運動の指導者であつたのである。ルーズヴェル卜氏を支持せる勢力こそ余がドイツ國民の運命と又余の最も神聖な内心の確信に基いて殲滅を期してゐた勢力に他ならなかつた。新規の米大統領が驅使してゐた所謂「ブレーントラスト」なるものは余がドイツに於て人類の奇生虫的現象として殲滅を目指し且つ漸く公的生活より芟除し始めたところの國民層により結成されてゐたものである。
 然し他方余と彼とは僅かながら共通な運命にもあつた。フランクリン・ ルーズヴェル卜は民主主義の影響を受けてアメリカの經済が衰頽してゐる時政權に就いた。
 而して余も亦民主主義のためにドイツが全く瓦解せんとした一步前にドイツ國指導の衝に當つたのである。當時アメリカ合衆國は千三百萬の失業者を有しドイツは七百萬の失業群と更に七百萬の半失業者を抱いてゐたのである。この兩國とも政府の財政は混亂し一般の經濟生活は鱒益々低下してその止まるところを知らぬ有樣であつた。
 この時アメリカ合衆國及びドイツに於いては後世をして何れの理論が正當なりや否やにつき絶對的判斷を容易に下さしむる一の情勢が展開したのである。當時ドイツは國民社會主義政權の指導の下に生活、經濟、文化、藝術等が驚異的向上を遂げたがこれに反し、ルーズヴェル卜大統領は白國内の僅かな改良さへ成し遂け得なかつたのである。
 然し斯くの如き業績は、一平方キロメ—夕—につき漸く十五人の人口密度を有するアメリカ合衆國に於ては、一平方キロメーターの地域につき百四十人の人口を包含するドイツよりも遥かに容易に遂行され得る筈である。
 アメリカで經濟的繁榮を招來し得ぬのはこれは支配階級の意志が間違つてゐるか或はその衝にある指導連が全く無能であるかの何れかに據るものである。
 ドイツは僅々五ケ年の間に諸經濟問題を解決し又失葉問題を打開した。
 この時代にルーズヴェルト大統領は自國の國債を極度に膨張せしめ、經濟を一時混亂せしめ又失業者數をも減少し得なかつたのである。然しながらこの人物が支援を依賴した、否寧しろこの入物を押し立てた若者はユダヤ人として只だ國家廢退の時のみ利益を受け秩序確立には斷じて反對する分子に屬してゐることが思ひ當れば、斯くの如きルーズヴェルト政策が不成功な所以は何ら不思議ではない。國民社會主義ドイツは投機事業を彈壓したがこれに反してルーズヴェルトのアメリカに於ては投機は驚異的發展を遂げたのである。この男の所謂「ニユー・ディール」立法は誤りであつた。然かもこの男のなした失敗の中で最大なものである。「ニューディール」といふ平和時の經濟政策が繼續されたならばば如何にルーズヴェルト大統領が詭辯に巧みであつても早晩行きつまつて了つた事は明瞭である。ヨーロッパの國ならばルーズヴェルトはきつと國家財産浪費蕩盡の廉で裁判所に召還されたであらう。然かも市民裁判所で商法違反の廉で投獄は免がれなかつたであらう。(喝釆 )斯くの如き判斷寧しろ認識はアメリカに於ても亦多數の名望ある人物の抱くところである。

引用・参照・底本

『ヒトラー總統の對米宣戰布告の大演説 一千年の歴史を作らん』 ヒトラー 〔述〕日獨旬刊社出版局 昭和十六年十二月三十日發行

(国立国会図書館デジタルコレクション)

キーナン檢事と東條被告 極東國際軍事裁判法廷に於ける一問一答全文2022年10月02日 08:26

キーナン檢事と東條被告
 『キーナン檢事と東條被告 極東國際軍事裁判法廷に於ける一問一答全文』

  (1-6頁)                     2022.10.02
  昭和二十二年午前十時二十五分

 代理尋問は不許可              

 〇裁判長 主席檢察官
 〇キ—ナン檢察官 最初に主席檢察官として、この証人にしたい質問がございます。この反対尋問の長さが、私をしてこの質問の完了を妨げるかもしれません。弁護側はフィリー檢察官が、その場合に私に代つて続行することに異議がないと申しております。
 〇裁判長 もし弁護側において、これに対して異議がなく、またこれが前例とならない限りは、そういうふうにされても法廷側といたしましては、何ら反対すべき理由がありません。殊に現在の事情のもとにおきましては。
  〔モニター しかしこれが前例になるなどというようなことはないでしょう〕(註)
-----------------------------------------------
註 モニターといふのは法廷通訳訂正がかりであつて、上文の内の一部に於て英語を和文に訳出する際に誤があるか、又は正確を缺いた楊合に之が挿入してあります。以下同じ。
-----------------------------------------------
 〇ブルーエット弁護人 われわれ弁護側としては、主席檢察官が反対尋問を開始し、彼の望む限り続けていくことに対しては、全然異議はございません。われわれとしては、フィリー檢事かさらにこの反対尋問に参加することにも異議はございません。フィリー檢事は数日にわたつてこの証人を尋問したことがあります。またこの証人は、この問題に関して相談を受け、意見を求められた際に、フィリー檢事のいかなる質問にも、また全部の質問に答える用意があると言つております。
 〇裁判 こういうふうな手統をとるという、その理由を聽きたいのでありますが……。
 〇キ—ナン檢察官 この理由というのは、ごく簡単な理由であります。現在われわれは、この裁判の終了に近づきつつあるのでありまして、主席檢察官には種々の任務がありまして、裁判所もこのことは全員よく御承知であると思います。
 〇裁判長 もちろん、ただいまのこういう尋問の手続というものは、双方、弁護側及ぴ檢察側が同意する場合におきましては、一時その効力を失わせるということもできるのであります。そしてまた、そうすることというものは、將來これと同様の事態を引き起すことにはならないと思います。
 〔モニ夕— いろいろの手続は、檢察、弁護両側において同意しない場合には、これをその通りにしなくてもいいということはできます。殊に両方の側において、この手統の通りにやらないことがいいという場合には、そうすべきであります。但しこれが前例になつてはいけないという條件がつかな くてはいけません〕 
 しかしながら裁判官の多数は、これに対して反対の意見を述べております。從つて主席檢察官、あなたは、フィリー檢事の助力を得ることはできません。
 〇キ—ナン檢察官 私はかかる腑に落ちない狀況のもとには、もちろん反対尋問を開始し、これを完了いたします。私がこの発言台に立つた後に、裁判所はこの問題について全員の意見を聽取したかしないかということを、裁判長にお伺いしたいと思います。
 〇裁判長 裁判官の大多数は、われわれの過半数は、あなたの申請に反対であるということを申し傳え、そして私はその裁決を下したのであります。
 〔モニター その結果を申し上げたのであります〕

 口供書作或の意図如何

 〇キーナン檢察官 被告東條、私はあなたに対して大將とは申しません。それはあなたも知つておる通り日本にはすでに陸軍はないのであります。証人に聽きます。あなたの宣誓口供書というか、あるいは証言というか、議論というか、いずれを指してもいいが、この 議論と、あなたが過去三、四日にわたつて、この証言台において述べたこと、もしくはあなたの弁議人を通じて述べたこと、……
 〔モニター あなたが過去三日あるいは四日にわたつて、あなたがその証言台に立ち、あなたの弁護人を通じ、この宣誓口供書、これはむしろ証言とでもいつた方がいいか、あるいは議論とでもいつた方がいいか――を述べましたが、これは一体、この 宣誓口供書の目的というのは、あなたが自分の無罪を主張し、それをここに明白にせんとする意図のもとにやられたものでありますか、それとも日本の國民に向つて、かつての日本の帝國主義、軍國主義というものの宣傳を、なお継続せんとする意図のもとにやられたものでありますか〕

 〇裁判長 ブルーエット弁護人
 〇ブルーエット弁護人 弁護人、または証人の目的は、その意図するところは、細かい問題について異議を申し立てないということでありますが、ただいまの質問には異議を申し立てます。これは妥当なる反対尋問ではありません。
 〇キーナン檢察官 檢察側は、この質間はまつたく誠心誠意をもつてしているのであります。この証人の宣誓口供書の性質及びその内容は、まつたくこの裁判所を侮辱するようなものであり、かつ本裁判の審理を侮辱するようなものであると考えているからであります。
 〇裁判長 しかしながら法廷側は、この証人の宣誓口述書を、この審理の助けになると考えるかもしれないし、また助けにならないと考えるかもしれません。しかしながら私はただいままで、この裁判官のたれからも、この宣誓口述書の目的は、法廷を侮辱するというような考えを私に言い傳えた者は一人もありません。異議を容認し、質問を却下します。

 大東亞共榮圏

 〇キ—ナン檢察官 米國及び他の西欧渚國に対して攻整をする言いわけの一つとして、これらの諸國があなたの大東亞共栄圏に関する計画をじやましておつたからだと主張いたしますか。
 〔モニター じやましておつたのが正当化する一つの理由であつたと言いますか〕
 〇東條証人 それは直接の理由じやありません。
 〇キ—ナン檢察官 それでは、その理由の一つでありましたか。
 〇東條証人 理由の遠因にはなりました。しかしながら直接の原因ではありません。
 〇キーナン檢察官 これらの戰端が開始されるころ及びその以前に、あなたの意図は、大束亞に新秩序を樹立するのであつたということを認めますか。
 〇東條証人 戰爭以前ですか。
 〇キーナン檢察官 眞珠湾攻擊以前。
 〇東條証人 もちろん、一つの國家の理想として、大東亞建設ということを考えておりました。しかもできるだけ平和的方法をもつてやりたい、こう思つておりました。
 〇キーナン檢察官 証人、あなたは、私の質間に答えておりません。質問に答えてください。私の質問は、眞珠湾攻撃以前に、大東亞共栄圈の計画があつたか、そしてその計画を実行に移す意図があつたかということを聞いているのであります。
 〇東條証人 計画と申しますか、いわゆるそういう方針は、私の口述書に述べている通り、第二次近衛内閣ができましたときに、明確にその意図はありました。
 〇キーナン檢察官 証人、私の質問に答えるときには、私の宣誓口供書には云々という言葉は、絶対に言わないでください。宣誓口供書の中に何が書いてあるかは、よく知つていることであり、裁判所も十分その内客は御存じなのでありますから、それは言わないでください。
 〔モニター 私が宜誓口供書に述べました通りといような言葉を、使わないでください〕

 各國民に政体選擇の自決権ありや

 あなたは次のことを信じませんでしたか。かつ今でも信じませんか。それは、すなわちいかなる國も、他の國を脅威しない限り、いかなる國民もその國民の欲するごとき政府、政休をきめる権利がある。そしてその欲するところの生活様式及び方針を決定する権利があるということを信じませんでしたか。また現在でも信じておりませんか。
 〇東條証人 もちろん今お示しの通り、私は現在でも信じております。
 〇キーナン檢察官 大束亞の各民族がいかなる生活方式を得るべきであろうかということをきめる権利は、なれがあなたに與えたのでありますか。
 〇東條証人 私にですか。私に與えたとお聽きですか。 
 〔モ二夕ー あなたにだれがそういう権利を與えたのですか。どこからそういう権利を得たのですか〕
 〇東條証人 私はどこからも得ておりません。

引用・参照・底本

『キーナン檢事と東條被告 極東國際軍事裁判法廷に於ける一問一答全文』 昭和二十三年九月二十日第一刷発行 近藤書店

(国立国会図書館デジタルコレクション)

危機に立つ歐洲2022年10月03日 17:47

朝日時局読本. 第4巻
 『危機に立つ歐洲・朝日時局讀本第四卷』東京朝日新聞歐米部編

 (1-2頁)
 ま え が き

 危機に立つ歐洲は、今平和か戰爭かの岐路に直面して重苦しく藻掻いてゐる。イタリーのエチオピア戰爭、ドイツのラインランド進軍、そしてスペインの動亂と歐洲の火藥庫は次々に發火點に上昇する。全歐をその渦卷のさ中に投じ去らんとする戰爭の危險が一歩先に控へてゐる。歐洲の政治家達も民衆もこの危險の存在を今は熟知し、痛感し、恐怖し、覺悟して、明日の「二百十日」に備へてゐる。
 然らば、欧洲政局の二百十日は如何なる形をとって、如何なる方向に吹いてゐるか。又各國の民衆と、政治家達は、これを如何に防ぎ、如何に處理せんとしてゐるか?これに答へんとするのが本書の目的である。
 エチオピヤ戰爭は必竟英伊の地中海爭覇戰であつたが、英海軍は武裝せる沈黙を嚴守して地中海の浪を鎭めた。ドイツのラインランド占領は、獨佛の發砲せざる戰爭であつたが、ドイツ軍總司令官フリツツ將軍は豫めフランス軍のライン越境の場合、不發砲退却の命令をヒトラー總統より與へられてゐた。又フランス側はフランダン外相らのライン越境の 強硬なる主張にも拘らず、ガムラン参謀總長の絶對反對によつて阻止された。スペイン動亂は進んで、獨伊對佛露の左右紅白の國際合戰の形勢を醸成しつゝあるが、爆發の一步手前で、列國は賢明に停滯して、ロンドンの國際不干涉委員會の評定に時を殺してゐる。如何なる國民も如何なる政府も、歐洲の放火犯人たることは欲しない。重い病の床に呻吟する國際聯盟もまだ全く死んではゐない。
 最も暗黑な時代が、光明の時代を導く。今日の歐洲の暗闇はその先に何を用意するか ?それは今後の歐洲の指導者と民衆が決定するであらう。 
 歐洲の危機は世界の危機である。東洋の一角に儼存する日本の指導者も民衆もこれを無視することは到底許されない。
 これ本篇の筆者が、不肖をも顧みず、敢ては歐洲の當面する危機を解剖し、吟味せんと試みた所以である。

        昭和十二年三月
                           古垣 鐵郞
 
 A 危機に立つ歐洲

 (2-8頁)
 1 勢の赴く所

 一九三五年春三月、英佛伊三ケ國の首相や外相達が北イタリーの風光明媚なマジョーレ湖畔ストレーザに會合して、歌洲平和案を作り出さうと云ふことになり、イタリーからはムッンリニ自ら出席し、フランスはフランダン首相、イギリスは時の總理大臣マクドナルドによって代表されたが、丁度その頃、英國政府の留守番皆をしてゐたボールドウイン樞相は、ウェールスの宗教家の集會に臨んで、次のやうな意味深い言葉を投げて、歐洲平和の危機を暗示したのである。
 「現今の時局を觀察すると、あたかも氣狂病院にでも住んでゐるやうな思ひがする。到る所、常規を逸したことばかりで、世界の政治家は神經衰弱症に陷り、徒に體溫計ばかりとつてをり、醫者を替へ、藥を替へ、世界中がそのお蔭で戸惑ひしてゐる。……ヴェルサイユの平和が樹立されて以來こゝに十七年、その試みはこれを適用されるものにとつて公正なものとは認められざるに至つた。……歐洲平和の名醫は宜しく各國民の夫々異つた思想と要望に耳を傾けて診斷すべきである。……歐洲諸國は平和への道をすてゝ危險きはまる戰爭への道を辿つてゐる」
 かやうにして、一九一四年の世界大戰の亡靈は再び歐洲政治家の夢をおびやかし始めた。世界大戰の眞因はオーストリアとセルビヤの爭ひでもなく、東ヨーロッパに於ける獨露の衝突でもなく、いはんや西ヨーロッパに於ける英獨の競爭でもなかつた。それらは單に歐洲大戰を發火點に導いた過ぎなかつたものである。大戰の眞因自身は、實に、同盟とこれに對抗する同盟の結成が、必然の歸結として、地方的衝突を全歐否世界的な動亂にまで擴大錯綜せしめてしまつた事ににある。人類は自分自身の作つた安全工作の犠牲となつて、却つて恐るべき戰爭の渦中に捲込まれまれてしまつたのである。しかも二十年後の今日を觀るに、歐洲の現狀は益々合縱連衡の對抗狀態を強化し、互ひに虎視眈々たるものがあり、大戰の後に生まれた幾多の平和保障機關は次々に葬り去られた。ワシントン條約は廢棄されロカルノ條約も退けられた。ヴエルサイユ條約の主要部分も亦一掃された。僅かに領土と植民地に關する規定のみが殘されてゐるが、これとても今後の最も多事多難を思はしめる題目となつてゐる。
 国際聯盟は最早や、戰爭防止の使命を果たすことは出來なくなつて、安全平和の機關としての各國民の信頼をつなぎ得ない現狀である。しかもこの聯盟不振の現實は心理的に歐洲政局の不安を増大し、列國の軍備競爭を逆に増長せしめる口實となつてしまつた。軍僧縮小をその一大使命として呱々の聲 を擧げた國際聯盟が、却つて軍備擴張の具に供せられる結果を導いたとは何たる皮肉であらう。かつて英國勞働黨首領として、國際聯盟と軍備縮小の熱烈な支持者であつたマクドナルド首相までが、ー九三五年、イギリスの大軍 備摘張案を議會に提出するに當つて、騒然たるヨーロッパの時局に對しては、聯盟の頼るべからざることを口實にせねばならなかつた。
 かゝる間に、ドイツは先づ義務兵役制を敷いて、ヴエルサイユ條約の禁制を破棄して以來、立て續けに尨大空軍の新設、對英三割五分海軍への擴張を遂行して果然ヨーロッパの脅威と見做されるに至つた。今日まで平和の桃源郷と思はれた北歐諸國も、ドイツの大海軍出現によつて、從來のバルチック海及び北海に於ける均衡が亂れたために、その安眠は破られねばならなくなつた。スウェーデン、ノールウエー、デンマ—ク、フィンランド等と云つた國までがその海軍政策を強化し、建艦競爭の仲間入りを始めた。いはんや、先祖代々ドイツの侵略を恐れるフランスは大騒動である。陸海空軍の大改革と軍事費の大増加を敢行し、總てが明日の對獨戰爭に備へる陣容を整へ、外はポーランド、小協商諸國、ベルギ—等と提携してドイツ包圍の外交陣形を結成するも尚足らずとなし、斷えずイギリスの誘ひ込みに奔走し、イタリーに渡りをつけ、更にヨーロッパ政局の謎たるソヴエト政府とまで相互援助協約關係を結ぶに及んで、却つて、與國諸政府の不安の種を蒔いた。ドイツは又ドイツで、自分の周圍に繞らされた十重二十重の城壁の切り崩しに躍起となり、佛蘇同盟と共産主義の脅威を謳つて、英佛の離間を策し、イタリーとの接近を劃策し、ポーランド以下東歐諸國間に必死の諒解運動を續けてゐる。こゝに及んで、大戰後の既定的な勢力均衡の大勢には百八十度の轉換が行はれ、獨伊兩獨裁國を結ぶ一線上に、オーストリア、ハンガリー、ブルガリヤの舊戰敗國の面々を抱き込んで、ドイツの植民地要求と南進東攻の形勢は益々明瞭に表面化し始めた。これは正に一九一四年世界大戰前の形勢そのまゝであり、たゞその規模に於て一層大であり、且つ複雜であるばかりである。
 加之政治的不安の形勢はますます經濟的國家主義の高潮となり、關税障壁の強化、爲替管理の強行、産業貿易の統制に拍車をかけた。その結果は、國際經濟の不自然な硬塞狀態を呈して、對内的には各國とも、財政上の難關に逢着し、遂に八方塞りの國内經済を現出するに至つた。その必然の歸結として、物價の騰貴、次に生活の困難、最後に社會情勢の不安が見舞はざるを得ない。政府當局は、この日に増し濃厚となる陰鬱な不安な不安の影を一刻も速に打ち拂はねば、結局國家の破局を導く覺悟をせねばならない。破局を前にして、斷崖の頂上に立つ思ひを以て、各國とも、それぞれの應急策に奔走せざるを得ない。かくして、經濟的國家主義は深刻化し、政治的不安に拍車をかけ、國際關係は愈々惡化の一路を知むのみ。勢の赴く所、最早、如何なる措置も無効に歸するにも到るであらう。危機は危機を孕み、國内的より國際的に發展する。一度國際化した危機は、その廣さと深さを増大するばかりで、徒らに燎原の火の前に手の下す術を知らざるに似よう。それはさながら噴火山上の舞踏に外ならない。
 かくの如くにして、無數に存在する歐洲各地の大小火藥庫は次第に發火點に上昇する。イタリーのエチオピヤ攻略、ドイツ軍のライン進駐、スペインの内亂の如きは、その最も大きな火藥庫の爆發であつた。スペイン内亂に於ては獨伊のフアツシヨ團と、佛蘇ののソシアリスト團との對立狀態を呈して、正に歐洲の政局を紅白の兩陣營に裁斷し、地中海の彼方より、全歐を包圍する渦卷が捲起らんとする一步手前迄 進んだかに思はれた。
 「平和は不可分なり」とはソヴエト外相リトヴイノフ復意の 口上である。吾人は物情騒然たる歐洲の現狀を觀て、寧ろ、「戰爭は不可分なり」と叫びたい。試みに、今、新興ナチスのドイツが國内に鬱勃たる對外硬と、生活苦の大勢を驅つて、遂に宿望達成を武力に訴へ、兵を率ゐてチエコスロヴアキヤを攻撃したと假定せよ。チェコスロヴァキヤと一體の國防方針と外交政策を持する小協商諸國は、卽座に共同の敵ドイツと干戈を交へなければならない。更に小協商團の親許として、又ドイツを祖先傳來の仇敵視するフランスは默つては居られない。フランスは國家の存亡問題として行動するであらう。それからドイツのナチスと絶對的對抗關係に立つ社會主義ロシアがチエコスロヴアキヤの同盟國として援助の大軍を送ることゝなる。さうなるとドイツと一脈相通ずるフアツシヨ・イタリーや、同文同種のオーストリアは最早靜觀的態度を續け得なくなるであらう。最後にイギリスは、極力戰爭の渦中に捲込まれることを忌み嫌ひながらも、フランスの危機と共にラインの國境防守のために立たざるを得なくされる。何となればイギリスの國防線は、英佛海峽から東漸してライン河に移動されたからである。かくして遂に第二次歐洲大戰の幕は切つて墜され、歐洲各國は唯の一國と難も、その渦卷から完全に離脱し得ないであらう。今はたゞ一本のマッチ、一片の火の粉を待つのみ。それが何處に置かれようと、又、何處に飛火しようとに論なく、火焔は所詮歐洲全土に波及せざるを得ないのが、現在の歐洲政情である。

引用・参照・底本

『危機に立つ歐洲・朝日時局讀本第四卷』東京朝日新聞歐米部編 昭和十二年三月廿日發行 朝日新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)

東西帝王政治の比較と米國思想の特色2022年10月04日 10:39

2022.10.03 錆
 『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久

 米國の帝國主義と其太平洋政策 大島 高精氏

 (四〇五-四一二頁)
 第二 東西帝王政治の比較と米國思想の特色  2022.10.04

 茲に私共の考索すべき點があるのであります。由來戰爭の勃發に伴ふ危險は革命的暴動であります。歐洲戰爭中獨逸のベートマン・ホルウエヒは、獨逸は戰爭に於て敗れたに非ず、經濟に於て敗れたのであると申しましたが、最近長逝しました獨逸の大起業家スチンネスは、獨逸は經濟的には敗れて居なかつたが、過去七十牛間に築き上げた政治思想に間隙があつた爲に、キール軍港海兵團の蜂起を動機として革命が起り、遂に國家の崩潰を見るに至つた。即ち戰爭の上にも、産業の上にも敗れなかつたが、遂に思想の上に敗れたと云ふ事を申して居ります。蓋し聽くべき言葉であると思ひます彼の露西亞のロマノフ王朝が崩潰致しましたのも戰爭中に起つた革命の結果であります。更に六百年間連綿として中歐に其の偉大な勢力を誇りました所のハプスブルグ家の崩潰致しました原因も、墺太利國民の戰爭に件ふ革命暴勤にあつた事を否定する事が出來ませぬ。尚ほホーヘンツオルレン家の没落、曾ては世に時めいたカイゼル皇帝のアメロゲンに於ける惨狀は唯今申しました戰時中に於けるキール軍港の海兵團の革命暴動から來て居る。伊太利に於ても王政を顛覆せんとする共産黨が擡頭して國を擧げて總ての既成律を顛覆せんとするの勢ひ如何とも爲し難きに到つて、彼の快男兒ムツソリニーが起つて快腕を揮ひ、僅かに帝國の危急を教つたのであります。
 觀じ來れば歐洲は戰爭を通じて危險な思想が勃發し國家を顛覆して居るのではあります。併し我國に於ては自ら異なりてゐる。即ち我國の帝政と、僅々二、三百年か或は更に嚴密に云へば僅か七十年の經驗を有するに過ぎない所のホーヘンツオルレン家の帝政、或は過去六十有餘年の星霜を經たるに過ぎない伊太利の王政、更に長きは六百年の命脈を保ち得たハプスブルグ家の王政とを比較するならば、何れも我國の三千年の光輝ある歴史を有する帝政に比すべくもない。故に之を同時に談ずるは大いなる誤りではなからうかと思ふのであります。(拍手起る)同時に私共の最も強味を感ずる點は此處にある。成程戰爭を通じて獨逸には革命があつた。露西亞にもあつた。伊太利にもあつた、更に墺太利にもあつた、けれども斯くの如きは歐洲諸國に於ける事實でありませうが、少なくとも我國民の間には斷じて此種の革命は無いと云ふ事を私は斷言する。(拍手起る)尚卑近な例を取つて申しまするならば、若し我國に假初にも國家を否定するが如き不埓な者がありまするならば、又斯くの如き者が全然絶無とは申しませぬが、そして斯くの如き者が國家危急存亡の際に若し現はれて來たとするならば、斯る輩は必ずや大杉某の如き運命を以て没落する外は無いのであります。(拍手喝采}私は此點が特に諸君と共に心強く思ふ所であります。之れは決して感傷的に發する言葉ではありませぬ。私は僣越であり、また浅薄であるかと知れませぬが、佛蘭西の革命思想、或は獨逸の革命思想、或は英國のラデイカル・ツレード、ユニオニズム等の間に生れて居る主義思想の背景を考へると、之を我國の國體なり、歴史なり、帝國政治なりと比較して截然明確なる差別のある事を知るのであります。我國に於ては何れの帝王に於かせられても未だ嘗て國民に對して、過去三千年を通じ、假初にも英國王家の如き、墺太利のハプスブルグ家の如き、獨逸のホーヘンツオルレン家の如き斯くの如き帝王政治を行はれた事は無い、例へて申しまするなれば、否な例へではありませぬ、事實を申すのでありますが、若し我國に専横なる政治家があり、民衆を愚にした政治家があつたと致しまするなれば、それは決して帝王の専制政治ではない。即ち民衆を愚にしたのは帝王でなくして、其中間に介在して政權を握つた攝政なり武家なりであります。のみならず帝王と國民との間には、實に君民一致の融和があつたと云ふ事は、歴史上明かな事であります。論より證據、御維新黨時の京都に於ける我帝王の御生活を拜察いたしまするならば、禁闕の財政は僅かに十萬石を以て維持されて居りましたにも拘らず徳川家の財政は驚くなかれ實に八百萬石でありました。軍家の財政が八百萬石、而して帝王の財政が十萬石、私は唯此一事をだに考ヘまする毎に、其間に實に一種云ふべからざる感激を覺えるのであります。(拍手起る)必ずや此席に御いでになる諸君も同感である事を私は信じて疑ひませぬ。(拍手起る)
 思はず餘談にに入りましたが、此意味に於て私は繰返して申しまするが、斷じて歐洲諸國の帝王政治と我國の帝王政治とは比較して論ずべきものではないと信じます。同時に比點に就て私共は大和民族として又此國家の一員として最も力強く思ひ、且つ最も誇りを感ずるのであります。(柏手起る)此日本の三千年の古き歴史を有する思想なり、政治なりに對して、僅々三百年の歴史をすら有せない所の亞米利加、殊に何事も黄金萬能主義を以てすれば、如何なる國と雖も亞米利第一主義の勢力の下に來り朝すると信じて居る亞米利加が、其儘の考へを以て目下の日米問題に對すると云ふ事は、餘りに無謀、狂暴な且つ思はざるも甚だしき事でありますが、同時に私共の念頭を去つてならぬ所の、且つ日米問題を考察する場合に忘れてならない事實であると思ふのであります。
 思想問題に就きまして、私は先程佛蘭西及英吉利の思想が米國の思想に感化を有してゐると申しましたが、米國の人道主義、自由平等の思想が今日の如く蹂躙されて來たと云ふ事に就て、茲に面白い思想研究の資料があります。之を一言申し上げて置けば其方面を研究になる方の参考になる事と信じます。それは新英洲に發生した米國が生みた思想としては空前であり、絶後であるエマーソンのトランセンデンタリズムの哲学であります。即ち超越主義の哲學が是であります。是は先づプラトーに代表された希臘の思想、英國の功利主義に因つて代表された所の物質主義、佛蘭西の革命思観を胚胎して居る實利主義の思想、更に獨逸の哲學に特色を爲して居るロマンテイシズムの思想及びアイデイアリズム即ち理想派の哲學、是等の思想を打つて一丸としたものでありますが、更に十八世紀の理性と十九世紀の感情とを以て此思想をコンクリートして居るのであります。しかも其最も特色とする所は超越主義で、殊に國家を超越して居る點であります。故にエマーソンの思想がジエフアーソンの如き或は其後に生れましたウエブスターの如き國家主義の思想と一致する譯がない。そこでエマーソンの思想は美は美なりと雖、恰も天空の一角に望んだ蜃氣樓の如く消えて仕舞つたのであります。茲に亞米利加主義の思想を見る事が出來ます。換言すれば亞米利加は如何に言葉巧みに表現しましても、決して理想を以て語るべき國ではない。全く實利主義の國であると云ふ事はエマーソン哲學の終焉した事實に因つても證明せられて居るのであります。
 第二の理由として考ふべきは獨逸の哲學であります。獨逸のカントやヘーゲル思想が亞米利加に入つたのは、丁度亞米利加に南北戰爭があり、其後米西戰爭がありましてから、獨逸の移民が非常な勢ひで亞米利加大陸に殺到しました、其時に蜀逸人と共に輸入せられた者であります。其當時大陸東部には既に英吉利の移住民が牢として抜くべからざる堅實なる地歩を成し、ミスシツピー沿岸には佛蘭西住民によりて植付けられた思想が根強く根據をなしてゐたのであります。故に新思想は此英吉利思想及び佛蘭西思想の爲に驅逐されて西へ西へと移勤し、根を下す處女地として選んだのが市俄古であります。茲にカント及びヘーゲル學派である市俄古學派を成しました。それから更に市俄古より西南進してセントルイスに到り、茲にセントルイス學派を成し、更に東に轉じて、フイラデルフイアに到り、フイラデルフイア學派を成しました。是が即ち獨逸の理想哲學なるものが亞米利加に入りました槪論でありますが、併し乍ら此獨逸の理想哲學なるものは、新英洲にパツト開いて消えて仕舞つた、エマーソンの超越主義哲學の如く、忽ちにして佛蘭西の實利主義、英吉利の功利主義に一蹴され、残つたものが米國の傳統的思想とも云ふべきプラグマテズム哲學即ち實利主義の思想であります。思ふに亞米利加は決して幽玄な思想を養ふ國ではない。米國で産み出したエマーソンの思想でさへ遂に米國の處女地に育て上げる事が出來なかつたのであります。斯くして最後に生れたのがパーソナリズムの哲學即ち人格主義の哲學でありましたが、元々人格主義などの成長し發達すべき國ではありませぬから、忽ち是も没落して仕舞つたのでありまして、残つた所のものは結局實利主義の哲學、而して之を彩つたものは英吉利の功利主義と佛蘭西の實利主義の思想であります。是が今日米國に全權政治或は金力萬能主義の跳梁して居る所以であります。

引用・参照・底本

『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久 大正十三年十二月二十五日發行 發行所 讀賣新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)

滔々たる軍擴の大浪2022年10月05日 10:29

伊予の湯
 『危機に立つ歐洲・朝日時局讀本第四卷』東京朝日新聞歐米部編

 (8-8頁)
 2 滔々たる軍擴の大浪            2022.10.05

 過般の歐洲大戰を始末したヴエルサイユ條約は、歐洲を分つて現狀維持派と現狀打破派の二つの分野に區別してしまつた。共同保障主義と列國協力の原則に立脚した國際聯盟も、この大勢に對しては結局無力を暴露した。否、ヴエルサイユ條約によつて生れた國際聯盟には、戰勝國の優越的地位を維持せんとする使命が當然の歸結として宿命づけられてゐた。聯盟は法の尊重の美名の下に、結局現狀維持の機閲としてしか活動し得なかつた。茲に聯盟の弱點が潜存し、これによって、現在の聯盟はその權威と信用を失墜した。滿洲事變が聯盟のこの本質的缺陥暴露の機會となつたのは奇縁である。一旦無力を表面化した聯盟は遂にイタリ—のエチオピヤ侵略に於て完全失敗し、スペイン内亂に於て、無視されてしまつた。
 現狀打破派の頭目はドイツ及びイタリーの兩國である。兩國とも獨裁主義を奉じ、政治も經濟も總て嚴格なる統制の下に擧國一致、全體主義をを強行してゐる。一は戰敗國であり、一は戰勝國でありながら、國土の狭小と人口の過剰、國富の貧困と民力の旺盛なる點に於て相通じ、鬱勃として沸膳する國力を驅つて國土擴張と國富増大の機をねらつてゐる。ドイツはヨーロッパにおける失地の回復と植民地の奪還によつて、ドイツ民族を統一して大ドイツ主義の實現を期し、イタリーはエチオピアを征服してローマ帝國の再建に邁進し、更に地申海の支配を企圖して、いづれも歐洲に於ける主導的役割を演じようと欲してゐる。そのあらはれは即ちスペイン内亂における獨伊の積極的な反政府軍援助である。
 この高潮する現狀打破の大勢に對抗して、同じく帝國主義の範疇にありながら、獨裁主義と全體主義に反對して、民主衆議制を奉じて、國際機構の現狀維持に腐心しつゝあるものは、戰勝國側、特に英佛兩大國である。然るに何たる運命の皮肉ぞや、英佛兩國は恰も性の合はない夫婦關係の如く、所詮戰爭となれば一心同體の間柄でありながら、平常は事毎に意見を異にし、主張は掛け離れ、歐洲平和の對策に於て根本的不一致を續けて來た。フランスは抜き難い恐獨病にとりつかれて、専ら對獨防禦同盟の城壁を以てドイツを包圍壓迫して却つてドイツ側の反動的氣勢をあふり、爆發の危險を増大してゐる。他方イギリスはヨーロツパをドイツと反獨の兩陣野に截然分つて對抗せしめることの危險を憂慮し、ドイツの立場と要求に對しても、充分耳を藉し、ドイツを歐洲安全工作の不可缺の要素として仲間に誘ひ込まうとしてゐる。フランスがヴエルサイユ條約を金科玉条として、ドイツの擡頭を壓へんとするに對して、イギリスは常に實際的見地より、條約の改訂を默認し、時に援護の擧にすら出てゐる。フランスが中歐東歐諸國と堅く組んで、ドイツの進出を塞ぎ、フランスの歐洲覇権確立に專念するに對して、イギリスは暗默裡にドイツの東部及び南方國境の不公平、不合理を諒承して、その東進南下の欲求に理解ある態度を失はず、ドイツをして、平和的打通の途を發見て、歐洲安全の要石たる地位を獲得せしむることを念じつゝ行動してゐるのである。從つて、立國の根本方針を安全とドイツの侵略豫防に置くフランスは、イギリスの援助を最大の念願としながら、なほこれに信頼する能はず、斷えず他に味方を求めねば安心出來ぬ矛盾の境地にあり、多少の節操は枉げても、ドイツの侵略に對する味方の獲得に奔走せねばならない羽目にある。 かくしてフランスは一面、聯盟擁護を看板にしながら、他面イタリーの對獨共同戰線政策の手前、イタリーのエチオピア征伐をも默過せねばならず、反對にイギリスは從來聯盟の制裁規定適用に反對して來ながら、逆に聯盟の制裁發動に全力を傾倒し、極力イタリーの地中海に於ける勢力増大を食ひ止めることに努めた
 この英佛關係の疎隔こそは誠に歐洲安全平和工作が戰後二十年を閲する今日、尚目鼻がつかず行き惱んでゐる一大原因に外ならない。國際聯盟の不振も、歐洲政情の不統一も元を正せば、英佛の疎隔に歸因する。結局は提携協力すべき兩大國が大局の見透しを缺いで、眼前の細事に煩はされ、徒らにドイツの野望に名を爲さしめ、延てドイツの正當な發展と歐洲安全の確立をも阻みつゝあることは、歐洲平和の爲に痛嘆すべき事柄である。次の歐洲大戰を未前に防止するためには、如何にしても、先づ英佛政治家の充分なる協力協調を基礎として、ドイツ及びイタリーの對内的並に對外的要求を吟味し、これが公平待遇の新方法を發見し、實することが絶對の要件と思はれる。
 一九三七年初頭、イーデン英外相は、ロンドンに於ける外國新聞代表者の招宴に臨んで一場の演説を試み、一九三七年が歐洲政局の晴雨を決すべき重大時機であると豫斷した。戰爭か平和か、快晴か暴風雨か、それは來るべき數ケ月が決定するであらうと云ふのである。
 執政四年、ヴエルサイユ條約の鐵鎖を次々に斷ち切つて、國權恢復の横車を押し通したヒトラーは、今や所謂抜き打ち外交の時期終れりと觀て、一月三十日のナチス政權樹立四周年記念祭に臨み、今後ドイツ政府は列國と忠實に協調商議して、刻下の重大諸懸案の解決に努力すると聲明した。特に獨佛兩國關係に言及して、兩國には最早や何ら紛爭が存在せざることを茲に嚴粛に宣言すると叫んだ。他方その懐刀と目されるリツベントロツプを英国大使としてロンドンに特派し、英獨接近工作に腐心しつゝ、頻りに英佛の植民地再分割や原料資産の公平分配問題に對する色よい返事を引き出さうとしてゐる。ヒトラーの後繼者と目されるゲーリング將軍は、東歐、中歐の諸國を歴訪して畫策し、本年匆々ローマにムツソリニと會談して獨伊政治協定最後の畫龍點睛を行つた。ドイツは今や國内經濟の重大危機に直面し、六千六百萬のドイツ民衆は飢餓の一歩手前に立たされ、「牛馬にも劣る生活狀態に甘んじ」つゝ、ゲーリング將軍の主宰する戰爭目あての四ヶ年經濟計晝を強行してゐる。從つてドイツはそ國力も、軍備も未だ戰爭の用意が整つてゐないのみか、重大なる國内的危機を通り抜けている最中である。無事に通り抜ければ有望な將來があるけれども、今にして一歩を誤れば、その結果はナチス政權の崩壊をも導く可能性がある。最近に到り、ドイッ當局の穏健平和的諸聲明は、この邊の事情と併せ考へれば意味深いものである。從つてイギリスもフランスも、片手に平和の鳩を抱き、他方に軍刀を磨くことを怠らない。フランス政府は新に百九十億フランに上る大規模の四ヶ年軍備擴充計畫を樹て、イギリス政府は二十億ポンドに上る軍擴計畫の第三年目に入るや、今年匆々再び次の語ヶ年をめざして十五億ポンドの新國防計畫を發表した。チエンバレン藏相は、多年苦心の赤字豫算克服を一擲してまで、三軍軍備の整備に懸命である。更にソヴエト・ロシアもイタリーも着々戰爭準備を怠らない。爾餘の歐洲諸國は唯滔々たる軍擴の大浪に辛じて首を現はしつゝ、殆んど背に腹を代へての軍備擴張に日もこれ足らざる有樣である。平和を欲して、ひたすらに軍備を進め、軍備の擴大によつてお互に脅え且つ疑ひつつ不安を増大して行く果は何處に落着くのであらうか?ヒトラーの眞意が果して列國との協調にあるのか?この判斷の如何によつて英、佛、伊の動向も自ら決し、危機に立つ歐洲の將來も亦一定の形をとることゝなるであらう。

引用・参照・底本

『危機に立つ歐洲・朝日時局讀本第四卷』東京朝日新聞歐米部編 昭和十二年三月廿日發行 朝日新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)