一九三九年四月二十八日國會に於けるヒトラー總統の演説2022年12月01日 08:28

 『一九三九年四月二十八日國會に於けるヒトラー總統の演説』

 (一-二頁)
 はしがき             2022.12.01

 一、このヒトラーの演説は一九三九年三月獨逸のボヘミヤ、モラヴィヤ併合直後、ルーズヴェルト大統領よりヒトラー宛に出した平和勸告の電報に對する囘答演説である。
一、前半は主さしてチェコ解體、ミュンヘン協定、ダンツィヒ問題、獨英海軍協定破棄、對波不侵略條約破棄等に關し述べ、後半に至つて二十一ケ條に渉りルーズヴェルト大統領に答へる所がある。

 一、此處にヒトラーの言ふ所は演説直後國會議長ゲーリングの挨拶

 「總統よ、貴下はルーズヴェルト大統領の電報に對する囘答を示し、以て國會に其の是非を決定せしめんと思ふと言はれた。
 總統よ、貴下の爲されし事、及び將來爲されん事は何れも、獨逸國會のみならず、全體獨逸國民が衷心より支持するものである。何故ならば吾人にとつて、貴下に對する信頼、貴下に對する信念は無窮永遠であるからである。總統の爲萬歳三唱を唱和せられたし。」

 に依つてすべて承認された。

 一、本本譯は防共協定國國情調査の一部として當課眞鍋嘱託をして譯出せしめたものである。括弧内はすべて譯者の註である。

  昭和十四年八月

               調査部第二課
  
引用・参照・底本

『一九三九年四月二十八日國會に於けるヒトラー總統の演説』 昭和十四年八月 防共協定國國情調査 第十一號 外務省調査部

(国立国会図書館デジタルコレクション)

日本を縛り支那を誤らせた九ケ國條約2022年12月02日 17:59

雅邦集
 『アメリカの對日謀略史』宮慶治著

 (19-21頁)
 五 日本を縛り支那を誤らせた九ケ國條約  2022.12.02

 軍備縮小問題と並行し一行はれた東亞問題の解決策は、遂に其後當に日本の行動を拘束するにいたつた九ケ國條約り成立となつたのである。これは米國代表の前國務次官ルー卜の提案した四原則を中心に作られたもので、その第一條がその基本どなるものである。その後の日米間の外交にもつとも重要なな基礎となり、常に米國が平和の劔として惡用したものであるからこの條項の全文を掲げてみる。
 第一條 支那國以外ノ締約國ハ左ノ通リ約定ス
 (一) 支那ノ主權、獨立及其ノ傾土的及行政的保全ヲ尊重スルコト
 (二) 支那ガ自ラ有力且安固ナル政府ヲ確立維持スル爲最モ完全ニシテ且最障碍ナキ機會ヲ之ニ供與スルコト
 (三) 支那ノ領土ヲ通シテ一切ノ國民ノ商業及工業ニ對スル機會均等主義ヲ有効ニ樹立維持スル爲各盡力スルコト
 (四)友好國ノ臣民又ハ人民ノ權利ヲ減殺スヘキ特別ノ權利又ハ特權ヲ求ムル爲支那ニ於ケル情勢ヲ利用スルコトヲ及右友好國ノ安寧ニ害アル行動ヲ是認スルコトヲ差控フルコト
 この條文を通じて直ちにわれわれが感じることは、支那を對象とする條約なのに、全く支那が何らの義務を負はされてゐない一方的の規定であることだ。これは歐米諸國が、支那を一つの國家と看倣さないで、その從属的の共同的植民地としてゐる觀念から出發したものといふことが出來る。もしこの條文の中に、支那が、これら友好國に對して、もしも不誠意な行動をとつた場合(例へばボイコツトなど)の制裁規定が含まれてゐたならば、満洲事變も、支那事變も起らなかつたのであらうが、この會議のリーダーシツプをとつた米國が、徒らに自國の利盆と支那に恩恵を賣ることに急ぎ、またこの會議の出席代表達が、支那に對する認識を誤つてゐたために、將來の禍根を包含したまゝこの重大な條約は參加九ヶ國の認めるところとなつたのである。
 この條約でもつとも大きな収穫を擧げたのは、失ふところの少しもない國際的プロレタリアートの支那と、ワシントン以來叫びつゞけて來た『門戸開放』を、正式に條約として各國に押しつけることに成功した米國である。米國が如何にこの會議で、支那の『現實』を無視し、目本の脅威的勢力を壓服しやうとしたかは、日支兩國間で、この際多年の懸案である満洲の開發權を日本に與ふるごとについで、具體的な取りきめを行はふと話がまとまつてゐたのにかゝはらず、米國全權ヒユーズは當面の問題でないとしてこれを採り上げることを拒否したのである。こうして支那は『支那の自由行動に對し何等の掣肘を課さない公約を得た』(ウエステル・W・ウイロービイ)のであるが、その結果は支那にこの條約を獲得した原因が彼自身の實力に依るものでないことを自覺させることなく、空虚な自信を持ち、地に足のつかない空疎な排外的國力恢復運動にとびこむにいたらしめたのである。これは支那自身の罪ではなくして、こゝに追ひやつた米國の觀念的な認識不足が原因であることは、何人も否定し難いところである。

引用・参照・底本

『アメリカの對日謀略史』宮慶治著 昭和十七年一月二十八日發行 大東亞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)

北支事變の發端と帝國の重大決意2022年12月03日 18:18

最近の支那軍備と諸情
 『最近の支那軍備と諸情勢 付 帝國政府の聲明』

 はしがき                 2022.12.03

 中原に在つては各軍閥と政客が互に暗闘内爭を事とし ,政情は依然として不安定の域を脱せず、蔣介石の威令の行はるゝ範圍は全支二十四省中僅に八省内外に過ぎない。
 邊疆地方は外勢を恃んで逐次中央より分離獨立するの狀態に 2>り、一方共産匪軍は今や主力を以て四川、陝西、寧夏、甘粛、青海、西康の天險に據り外蒙及新彊の兩方面より進入するソ國勢力と連絡して北支方面に仲びんとしてゐる。之が最近支那の概括的狀勢である。此の際今又對日北支事變の突發したことは遺憾の極みといはねばならぬ。
        昭和十二年七月
                    威光堂

 (九頁)
 支那外交の基本              2022.12.03

 支那外交の基本的妙諦とも云ふべきは「以夷制夷』といへる。この策を棄てる揚合は支那自體が強くなるか或は列強と全く平等になるかの二ッの場合に出ないであらう。支那の現情より見て先づ當分は「以夷制夷」策は棄てられないものと見て差支ない。 
 近來國民政府爲政者が盛んに用ひてゐるスローガン「一面抵抗一面外交」「安内安内攘外」も支那強くなる目的に達するための方便に過ぎないのである。
 要するに支那が眞に自立出來る樣になって「以夷制夷」の必要が無くなればいざ知らず、先づ然らざる限りこの「以夷制夷」は支那としては外交の基本策と見做さ ねばなるまい。

 (四五-四六頁) 
 北支事變の發端と帝國の重大決意      2022.12.03

 昭和十二年八月八日午前零時頃我が駐屯部隊が北平郊外蘆溝橋附近にをいて夜間演習中蘆溝橋駐屯の第二十九軍第三十匕師(師長馮治安)に屬する二百十九團の一部が不法にも我れに數十發の射撃七加へたゝめ我が軍は直ちに豐臺駐屯都隊に急報して出動を求め支那軍に對し包圍體勢をとりて對峙我軍は支那側の不法行為に對し嚴重謝罪を要求したところ午前四時頃支那側は又もや不法射撃を行ひたるため我軍も遂に火蓋を切り双方機關銃迫撃砲をもつて交戰砲聲は曉の空を破つて北京城内迄も傳はつた。此戰闘に我方は支那軍を撃退して龍王廟を占據し同地の支那部隊に對しては直ちに武装の解除従行つた。
 斯くて午前九時半支那側の停戰懇願により兩軍一先づ停戰狀態に入つたが支那側はその申出に依る停戰期間に至るも何等の回答に接しないから我方は支那側の誠意披瀝方を督促した。越えて翌九日支那側から停戰協定に同意出來ぬ旨回答し來つたため現地交涉は同日午後三時半に至りて決裂に陷り再び交戰狀態に入つた。九日朝に至り天津市長張自忠の斡旋の結果支那側は我方の要求 を容れ蘆溝橋に在る部隊を永定河の右岸鐵道の南側に撤退せしめ我が方は河の左岸鐵道の北側蘆溝橋の東方にー齊撤退することに交涉纏まり午前五時を期して實行することゝなつた、然るに支那側は撤退を實行せざるのみか十一日夜より十二日拂曉にかけて我が軍に攻撃を加へるに至り事態は急轉直下再惡化し全面的衝突は遂に不可避となりまさに一觸卽發の重大危機に迫つた、此間誓約を無視し協定を蹂躙せる支那は我軍の行動を妨害、電線切斷、我監視部隊に對し發砲等不法背信行爲の限りを盡し一面事實を歪曲せる宣傳を欧米に放送するやら大部隊を窃かに北上せしめるやら空軍に出動命令を下す等抗日戰備に狂奔して明かに計畫的挑戰の體勢にあるにより我が陸軍も茲に重大決意の止むなき場合となり十一日の緊急閣議に於て根本方針關し廟議一決中外に  聲明を發するに至つた。 

 (四七-四八頁)
 帝國政府中外に聲明            2022.12.03
 
 北支事變に關し昭和十二年七月十一日午後六時半帝國政府は政府の方針を決定上奏御裁可を經て次の如く中外に聲明した。
 
 相次ぐ支那の侮日行爲に對し支那駐屯軍は隠忍靜觀中の處從來われと提携して北支の治安に任じありし第二十九軍の七月七日夜半蘆溝橋附近における不法射撃に端を發し該軍と衝突のやむなきに至れり、爲に平津方面の情勢逼迫しわが居留民はまさに危殆に瀕するに至りしも我が方は和平解決の望みをすてず事件不擴大の方針に基き局地的解決に努力し一旦第二十九軍側において和平的解決を承諾したるに拘らず突如七月十日夜にいたり彼は不法にもさらにわれを攻撃し再びわが軍に相當の死傷を生ずるにいたらしめしかも頻りに第一線の兵力を増加し更に西苑の部隊を南進せしめ、中央軍に出動を命ずるなど武力的準備を進めるとともに平和的交涉に應ずるの誠意なく遂に北平における交涉を全面的に拒否するに至れり、以上の事實に鑑み今次事件は全く支那側の計晝的武力抗日なることも早疑ひの餘地なし、惟ふに北支治安の維持が帝國および滿洲國にとり緊急のことたるは茲に贅言を要せざるところにして支那側が不法行爲は勿論排日侮日行爲に對する謝罪をなし、および今後かゝる行爲なからしむるための適當なる保障等をなすことは東亞の平和維持上極めて緊要なり、よつて政府は本日の閣議において重大決意をなし北支派兵に關し政府としてとるべき所要の措置をなすことに決せり、しかれども東亞平和の維持は帝國の常に顧念するところなるをもつて政府は今後とも局面不擴大のため平和的折衝の望みを捨てず支那側の速かなる反省によつて事態の圓滿なる解決を希望す、また兩國権益の保全についてはもとより十分これを考慮せんとするものなり。 

引用・参照・底本

『最近の支那軍備と諸情勢 付 帝國政府の聲明』威光堂編輯部 昭和十二年七月二十日發行 威光堂出版部

(国立国会図書館デジタルコレクション)

翼賛會の性格2022年12月04日 11:28

わが悲懐
 『わが悲懐』 齋藤 瀏 著

 (29-37頁)
 翼賛會の性格          2022.12.04

 翼賛會改組問題が矢釜しくなつた。是は寧ろ當然のことである。明確な魂が示されず、漫然、徒らに雜多の人々を集めて厖大な組織をなし、仕事の有無、要否に拘らず門戸を擴大して、種々の部門を設け、さて店開きをしてから、仕入れや、販路と議論して居る始末では、眞劍に、國家のことを考へる者には見るに堪へぬのだ。かかる國民生活を輕視した中央指導都に反し、地方では、早く既に先覺者によつて着々業積を擧げてゐ、浸徹した指導を期待して居る。かうした所では、期待外れ以上、失望し、信頼の念を薄くし、中には嘲笑さへ生れて居る。それのみか、中にはこれがある爲め、政府の政治精神が却つて混濁し、歪曲されぬかと心配して居るも のもある。
 
 實際、理念に一貫したものなくして、どうしてその指導が徹底しよう。眞に政府と一體でなくて、何で翼賛の實を擧げ得よう。改組は最早要否の論を超えて、絶對的に實行を要望されるものだ。

 然し、だからと言つて今世間にある改組要求の聲は必ずしも正純なものとは思はれぬ。

 黨人の中には嘗て、近衞公を黨首とした大政黨を結成し、既成勢力の維時を圖らうとしたが、之が近衛公によつて一蹴され、然らば、此の翼賛會に議會人を入れ、あはよくば之を乘取らんとした者もあつたが、是も思ふ壺にはまらず、今まごまごして居ると、彼等の地方的地盤は、翼賛會によつて崩壊に陷されるかも知れぬ情勢となつて來た。茲に彼等の改組が叫ばれ、そして猛烈な謀略が展開されるに至つた。
 それに、現在の翼賛會内にも概念的な政治意識の持主も居り、又獨逸のナチスと我が翼賛會も同樣だと考へる者も居り、既成政黨時の如く、翼賛會は内閣の母體たるべきものの如く考へるものもあり、中には此處で、彼等の政治力を發揮して、他日榮達の地盤を造らうなどと考へて居る如き客觀を興へるものもあつて、一體翼賛會は何處へ行くかの疑問を輿へ、その行動を渋滯せしむる情勢となり、非常な意氣込を以て産れた翼賛會が、今は却つて氣合拔けの形に陷つて了つた。

 然らば翼賛會は不必要かと言ふに、私は矢張り必要と恩ふ。此の名稱の適否は別として、現在内外の情勢から見れば、高度國防國家體制の整備の上からも眞に一體國家の實を擧げる上からも、これあるを有利と信ずる。

 夫なら翼賛會は如何なる性格に在るものかと言ふに、私の信ずる處では、之に大家族の母系指導の立場を與へたい。卽ち、本然の政治系統は父系に屬し、威と嚴とを理念とし、翼賛會系は愛と慈とによる指導を本性とすべきだと思ふ。從つて議會は父系會議、協力會議は母系會議である。

 一家に父母があるが、此の父母は一體であり、母は父に歸一する。故に母は内助の位置に立ち、子女の躾を特に受持つ。母が父の政治に表面より建議し、之にその要望を強制したらどうなるか。それ故、母が死んで生きる融け込みを我が家族制度の本精神とする事を忘れてはなるまい。故に父の政治には母が融け込んで居るのを本然とする。翼賛會は政府に融け込んで居るべきである。然し乍ら此の父の政治を子女に對して徹底し、子女を一家に歸一させ、眞の子女たる實を具備させ、活勤させる如く指導し、躾をなす職分に於て、翼賛會は母として儼存する。 

 母が不貞腐れて、父と抗爭し、摩擦し、和を缺くか、所謂、嬶天下となつたら一家はどうなる? 子女はどうなる? 母の指導力を強からしめ ,その效果を大ならしむると言つて、威と嚴とを父同樣に振り廻し、強權を發動したら、子女はどうなる? 父に對する母の入智慧や、差出口を子女に見せたらどうなる?
 それ故、翼賛會は父そのものの政冶性、政治力を持つてはならぬ。どこまでも母 そのものの政治性、政治力の範疇を出でぬ。問題は母の政治性、政治力と言ふことにある。從来の政治なる概念は、國民生活から遊離し、政治權の發動或は政治行爲の特殊的なものにあつた。從つて、國民の一人一人に高度の國防を特たせ、高度の 國防的生活活動を發展させるが如き、大地を踏んだものではなかつた。 

 かう考へると翼賛會の性格、態度、行動ははつきすると思ふし、日本の國體に從つた存在たり得ると思ふ。

 翼賛會は公事國體であつて政黨であつてはならぬ。政黨となれば當然、内閣の母體的な立場に立ち、他の政黨と對立的となり、將來政策的に之等政黨との抗爭を惹起し、國論は統一を缺くに至るであらう。それ故翼賛會は政黨を超越した、國民總意の翼賛方法綸的なな在である。幾多の政黨が假に他に出來ても、之等政黨と雖も翼賛を目的とする面に於ては此の翼賛會を培養し、推進し、よくその存在の意義と 價値とを發揮せしむべきもので、離反抗爭すべきものでばあるまい。

 翼賛會は嘗ての精動であつてはならぬと言ふものがある。その理由の一に精動には政治性がなかつた故、活動が徹底しなかつたと言ふ。私は、嘗ての精動に政治性が無かつたと斷ずることを拒むものである。精動の名稱は如何にも政治性のないやうに見えるが、精動の施没活動は、私の謂ふ政治性を持つて居た。國民の生活に消化融合して、國の政治を個人の活動に展開させて居た。その效果を擧げ得なかつたのは、組織が完成せぬからであつた。精動に政治性がなかつたと言ふ、その政治性は、既成政黨時代の所謂政治性概念であつて、國民生活から遊離したものである。そんなものは、翼賛會にも不必更である。地に着いた政治性なら精動にもあつたと見るべきである。
 故に私は、翼賛會は𦾔精動の理念を組織の完備により國民運動に展開させ、國民に國の政治を、生活、活動に體顯させるのでよいと思ふ。

 從つて翼賛會に議會局など不用のやうな氣がする。實際に斯樣なものがあつても仕事がない筈だ。公事團體たる中の一局が、議會と言ふ國の機關と何をすると言ふのか。翼賛會は常に副體の系統によつて活動すべく、内助の精神に從ふべきものでめる。

 翼賛會には議會人の居る必要がない。此の人々は父系會議で全力を注ぐべく、母系會議系は此の方面の別の人々に全力を注がすがよい。父母の仕事を混亂するのはよくない。又議會人はその會議に參加せぬ他の平常時は、從來一部の人の如く政治ゴロ的の生活をやめて、各々職業人として、活動すべく、あの遊び人的な妙な存在から消え失すべきだと思ふ。
 議會人は翼賛會に入らぬ方がよい。かくして人材を議會と翼賛會とに集め、國民中の有爲の者を二倍の數となし得る。一人二職より一人一職で充分働かす方がよい。 兩者が抗爭する如きは臣道を解せず、一體觀に缺け、國家主義でなく個人主義的な考へがあるによる。性格、組織、系統、職域が判然明確なれば混亂は來さない 筈だ。

 翼賛會が多くの經費を國家から貰ふことは 翼賛の主旨に反する。翼賛會は奉公の精神を最も高く昂揚すべきものだ。國民は國家から經費を貰つて翼賛の生活活動はせぬ。否却つて税金を出し、會費を出し、組合費を出して居る。國民が眞に翼賛の生活活動が出來、之が完全なら翼賛會などの指尊機關は不要である。此の事を考へたら經費を最少にして國民の負擔を此の存在によつて多からしめてはなるまい。
 現翼賛會がどうしてあんな尨大な組織を採つたか私には解せぬ。經費の上からも仕事の範圍からも、もつと縮小すべきである。

 何れにしても翼賛會は性格をもつと明瞭にし、確乎たる立場を與へ、職域を誤らず、行動に熱と力との生する如くなければなるまい。

 私は現翼賛會が成立した時、その人的要素を見て考へ、理念の明確ならざるに希望を失ひ、國民の期待に副はざるなきかを憂へた。
 と言つて現下内外の情勢からは、最良の方法論として、翼賛會の如きものの存在することの必要を認めるので、之を支持しつゝ、只管純化を希望して來た。今やその希望の實現する時が來た。
最後に、あの大屋臺を縮小するは困難ではあるまいが、人の問題に於ては愼重の詮議を要すると思ふ。
一旦呼ぴ集めて置いてその中から、某某を出て貰ふと言ふことは或はその人に傷をつけぬとも限らぬ。
 翼賛會は皇國の爲の縁の下の力持ちに甘んずる人によつて構成されねばならぬ。
 政治的野望の持ち主、出世榮達の念願人、職場稼ぎ人は有能と雖も之を拒否するがよいであらう。(昭和十六年四月)

引用・参照・底本

『わが悲懐』 齋藤 瀏 著 昭和十七年二月十一日發行 那珂書店

(国立国会図書館デジタルコレクション)

暴慢英帝國膺懲 國交斷絶に邁進せよ2022年12月05日 09:27

雅邦集
 『東亞和平攪亂の元兇老獪英國を撃碎せよ』 夕刊帝國論説部編

 (1-4頁)
 (昭和十二年十一月三日發行夕刊帝國所載)

 暴慢英帝國膺懲

  國交斷絶に邁進せよ         2022.12.05

 今次事變の勃發際し日本の相手は單に支那のみに非ざる事は日本朝野の均しく覚悟せるところで、就中ソ聯とイギリスの態度は最初から最も注目せられたところであるが、事變の初期に當つてはソ聯の動きが最も日本國民の關心を刺戟したるに反し、中道より漸次形勢の變化を來し、國民關心の焦點は全くイギリスの擧措に集中されるに至つた。これは全く支那における営國の出先官憲、軍部、言論機關、商民の露骨惡性なる敵日態度と英本國における逆上的な反日言動により刺戟されたものである。
 英國が諸外國中支那に最大の經濟的利害關係を有つ國家であることは我々もよく之を知り、從つてこれに對しては我方も出來るだけ慎重を期すべき事が希望され、又實にその通り出先に於ても中央に於ても實行されて來てゐる。然るにも拘はらず英國側の態度は愈々奇怪なることのみ連續し、殊に上海における支那軍總崩れの形勢を來して以來の敵日的行動は、我々をして最早や英國に對する從來の觀念を一擲せざるを得ざらしめたのである。
 日本國民は支那に於てイギリスと經濟的利害を爭はんとするが如きケチな考へは毛頭懐いて居らぬ。日本の支那に對する關心は斯くの如き素町人的利害に立脚するものではない。今次事變の發生意義、我が帝國の目的は炳乎として中外に瞭かにせられたる所にして今更説明を俟たず、附言の必要はない、而もイギリスにして敢て抗日南京政府の援護助勢に狂奔し、南京政權を抗日戦の前面に押し立てる事に依り背後の利益を壟斷せんとするが如き陰險陋劣なる策動を敢てして憚らぬ以上、日本國民は遂に默視するを得ない。我々は好むと好まざるとに拘はらず、對支膺懲の鐵槌を延長してイギリスに對する斷乎たる行動を開始せざるを得ない。
 日英の𦾔き厚誼は今や完全なる再檢討、精算を要する時期に立つに至つた。イギリスは既に明白に我々を裏切り、我々を敵視し、或ひは世界の反日惡感情を煽動することにより、或ひは支那に物質的精神的のあらゆる軍事援助をなすことに依り、明かに日本に向つて敵對行動をとりつゝあるのである。斯くても尚且つイギリスに友情を期待すると云ふが如きは、後足で砂を蹴つた女房に未練を殘すよりも一層痴愚醜體を曝すものである。斯くの如くにして何うして日本は東洋の安定勢力たる威信を保つことが出來るか、況んや東洋民族の盟主たりリーダーたることが出來るか。
 抗日支那が最後の頼みとするところは、第三國の干渉である。彼らは今や必死となつて國際干渉の導入につとめ而してその代理者となつて國際干渉動員役を引受けつゝあるのはイギリスである。聯盟を動かして九ケ國條約會議の開催に導いたのも、イギリスであり、米國を突いてゐるのもイギリスであり、更にソ聯と氣脈を通じ南北より日本挟撃の態度を作りつゝあるのもイギリスである。斯くの如きイギリスの策動が存在する限り、支那はこれを最後の力と頼み飽くまで抗日を停止しないであらう。斯くして事變はますます擴大し、長期戰となり、日支兩國ともに戰ひの犠牲を増大する。
 イギリスは日支兩國が互に戰亂の犠牲を蒙ることに對して何等の痛痒をも感ずるものでない。南京政府をして極力抗日戦を繼續せしめることに依り、日本の發展力を削ぐと共に支那に喰ひ入るイギリス勢力を増大せんとするは彼等の秘めたる野心なのである。斯くて英支兩々相俟つて抗日戰を持續せんと圖るに對し、日本は上海戰より更に進んで征軍を支那中央部に進め、國民政府に對して徹底的殲滅戰を遂行すると同時に、これに協力するイギリスに對し斷乎たる實力處置に出なければならぬのは當然である。
 日本は今や歴史的な一大轉回期に當面してゐる。歐米勢力に制せられて此の大轉回、大飛躍の機會を抹殺し、國民發展の志望を泥土に委するか。或は奮然日本魂を發揮して東洋を白人支配より奪還し、回天の偉業を貫徹するか、正にその左右截斷の時期に當面せるものである。而して歐米勢力の東洋支配を代表するものがイギリスである事實は、今次事變を通じ、剰すところなく洗ひ出され、一切の被覆、一切の假面を脱却して彼は日本攻撃陣の最先頭に立ち現はれたのである。我々はこの中樞敵陣に對して先づ最有効なる爆撃を與へねばならぬ。歐米の非難攻撃、支那の逆宣傳等に對して辯明、反駁の口舌戰を繰返すが如きは末の末の問題である。宜しく日本は毅然たる態度を明かにし、抗日支那と策應盲動するものに對しては、抗日支那と共に徹底粉砕の決意を有するものなることを即時宣明すべきである。

引用・参照・底本

『東亞和平攪亂の元兇老獪英國を撃碎せよ』 夕刊帝國論説部編 昭和十二年十一月三十日發行 夕刊帝國新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)