桃花源詩2023年01月01日 16:28

真夜中の唐詩選
 桃花源詩

 桃源郷、そこは争いの無い世界。人や動物も長閑に過ごす。人々は互いに心を合わせて耕す。そこでは日の暮れと共に休む。桑や竹は細やかな葉陰を作る。時節を待って豆や粟を植える。春に飼う蚕はよい糸をもたらしてくれる。草に覆われた小道が四方に通じる。鶏も犬も互いに追い追われることも無く、のんびりと鳴いて在り様を確かめる。古来のやり方でお祭りをし、着るものも特に新しい物でなく、気ままに生きるに相応しいもので過ごす。子どもは自由に歌い歩き、年寄りは日々笑顔を浮かべ遊び行く。草の生い茂ることでその時節が来たことを知り、木の枯れることで寒風の吹く季節を知る。一日一日を気にはしなくとも、春夏秋冬が廻り、歳の過ぎていくのを知る。ここではゆったり、ゆったりと時は流れ、人々は喜び溢れて生きる。小賢しい知恵を使う必要も無い。このような郷が五百年も知られることが無かった。
 今、この不思議な世界の覆いが剥がされ、もとより桃源郷は俗世間と異にするため、再び以前のように隠れてしまった。
 お伺いいたしますが、各地を旅するお方よ、この争い多い慾に満ちた世間と違う所をご存知ないでしょうか。できれば、そよそよと吹く風に乗って、高く舞い上がり、理想の郷を尋ねたいのですが・・・。
 短き人生なのに、人はどうして本来の生き方を捨てて、殺伐とした風景の中に自分を閉じ込めて、過ごしてしまうのだろうか。生きることをなぜにもそんなに複雑にしてしまうのだろうか。夾雑物を捨てて生きれば見えてくるものがあるというのに。戦争は益々人心を荒廃させ理想の郷から遠のかせる。そして桃源郷は消えてしまう。
 この真夜中は陶潛の桃花源詩です。最後の四行です。こころに理想の郷を抱いて、時至れば薫風に乗り、天空高くに舞い上がり、彼の地に向かい飛び立ちたいものです。この夜あなたの尋ねる桃源郷は何処にあるのでしょうか。 

引用・参照・底本

詩の出典:『歴代中国詩選』福音館小辞典文庫 一九七八年一月三一日六版発行 福音館書店

越水桃源 自由解釈:真夜中の唐詩選
https://www.asahi-net.or.jp/~np9i-adc/toushim0.htm

獨斷の窓を開けよ2023年01月02日 18:14

雅邦集
『現代日本論』 清澤 洌 著

 (一-六頁) 2023.01.02
 序

 日本に生まれ、日本に育ち、過去四十何年間、毎日日本の姿を見つめながら、しかし、日本といふものほど解きがたい謎は少ない。時にこれが日本の姿かと合點してゐると、鰻を握つたやうにズラリとぬけてしまふ。
 日本は進歩的な國民だといはれる。これだけの短い期間に、これだけの進歩をした國民が進歩的以外の何ものでもある道理がない。日本人は進歩的であるがゆえに、また外國の文化と影響に敏感だ。東京の街を歩いて、われ等が何よりも感ずることは世界の尖端が、どこの都よりもこゝに集つてゐことだ。
 だがその進歩的日本は、同時にまた驚くべき保守的日本でもある。試みに目の前の新聞を開いて、その政治面と、社会面と、そして外交面を御覧なさい。その欄外の『昭和』といふ文字のかはりに『慶應』と入れたら、貴方はそこに大變な相違を發見しうるであらうか。
 一方の現象をみて、他方の現象を否定するのはあたらない。日本は保守でもあり、また同時に進歩でもある。
       ×
 かりに貴方は坩堝の中に、いろいろな原料をちぎつて投げ入れ、これに強烈な熱を與へてみて下さい。それが溶解してできあがつたものは全然あたらしい一つの合成物だ。異なつた原料は一つとして、その特筆保つてをらないであらう。
 ところで今度はいま一度、かたい固形物をその坩堝の中に入れて下さい。他のものはよく溶けるけれども、その固形物は中々溶けない。できあがつたものは、その固形物の外裝を蔽ふにすぎない鍍金である。一見、それは第一の場合と同じやうであるけれども、その内容は少しぐらいの熱ではどうにもならない舊態そのものである。
 日本は維新當時の情勢と、それから賢明なる先覚者たちの指導によつて『泰西文化』の前に扉をあけたけれども、しかしそれまでには三百年以上の成熟した文化があつた。すなわちそれは他の文化と同じ原料として坩堝に入れられたのではなくて、一つの型に出來あがりきつた既製品が、色あげのためにそこに投ぜられたにすぎなかつた。鍍金はできても、合成品ができないのは當然ではないか。
       ×
 筆者は元よりこれを輕侮的な意味でいつてゐるのではない。いな、日本人として日本が古来の文明を有して、たゞ必要のために他界から榮養を攝取したにすぎないことを誇言してゐるのでさへある。われ等はこの古來の文化が、新時代の粧ひを以て東から朝陽があがるように世界を光被することを祈願してゐる。
 だが、それと同時に、われ等が警戒しなくてはならないことは、この他と合成しない固形文明が、何かといふと外皮をおかして、その古い形において、現はれることだ。それが内に現はれると封建主義的反動となり、外に現はれると時代錯誤的外交政策外交政策となる。そしてそれは今、批判の白光をあびることなくして、わが日本を危険に追ひやらんとする徴候すらあるのである。
       ×
 日本において今、一番缺乏してゐるのは自己批判だ。みんな集まつて、車座になつて、お互ひに讃めあつて、自賛の美酒をくんで、それでお開きななるといふのが現在の狀勢だ。その結果は必然に夜郎自大の獨斷と短見が、世を風靡することになる。
 われ等の恐れるのはこの低調卑俗なる獨斷のみが、行動大衆と、學生と、兒童との頭に這入つて、それがわが日本の常識となるであせうことだ。社會においても、個人においても、問題の一局面のみを高調する癖がつくと、他の半面が忘れられ、その心的態度が跛行的となり、不具となるのが免がれない。その結果は一部のみにとらはれて、全體をみるの明を缺くこと比々として然るものがある。すなはちそこには批判的態度が失はれて、觀念的な盲目主義が行動の規範となるのを常とする。この弊害が現在の日本に見ることができぬであらうか。
       ×
 この書は批判の失はれた日本に、多少の批判を復活する爲に書かれたものだ。筆者は自から常に未熟を自覺してゐるけれども、しかし、たゞ一つの意識的におかしえないのは獨斷である。筆者は獨りよがりの獨斷を虎のやうにおそれる。
 筆者はわが日本が、中庸の道をとつて大過なからんことを希願する。それは國内問題においてもそうであるが、とくに國際問題において日本はひどい誘惑を受けてゐる。世界現在の狀勢においては力は必ず貫徹する。そしてこの力を持つてゐるものが、目前に來る『機會』を拒むことは、非常な困難であるのは疑へない。しかし勢ひに乘じて使つた力は、やがて自己に跳ねかへる作用はないであらうか。
 ビスマルクが偉かつたのは、かれはその鐵血政策を實行するのに、決して自國を孤立させなかつたことだ。かれはその政策を進むる場合に、必ず對手諸國の陣營を分裂させてゐた。カイゼルと、そして現在のヒットラーはそれと反對で全部を敵とする。
 この著が少數ではあらうが、一國が大きく發展するためには、世界人類が納得する方法を以て、急がば廻る以外に道がないと考へる愛国國者の間に友をうれば、著者の望みは即ちたるのである。
        昭和十年初夏
                    著者

 何故に自由主義であるか

 (一-三頁)
 一、獨斷の窓を開けよ
 
 友よ。

 私は二つ前の拙著『激動期に生く』において、緣あつて私の讀者になつて下すつた方に對して、相當率直に私の立場を書いておきました。くどいようですが私はこの著においても今一度、私といふものゝ正體を明らかにして、あなたの御批判をえたいと考へます。雜誌などのやうに共同長屋に雜然と寝起きしてゐるのと違つて、かうして荒屋ながら單行本といふ一家の生計を營む以上は、これに興味を持つて下さるあなたに、せめてはゆつたりとした氣分を以て自己を語らずして現代日本を批判する談議を始めるべきでないと感ずるからなのです。
 まず始めに私共は何を目がけて生きてゐるかといふことから話を進めてみませう。人生の目的とか、生存の意義とかいふと、話は面倒になりますが、誰でもこの世に生きてゐる以上はおぼろげながら何かの目的がなくてはかないますまい。そしてその目的は自分が不幸になるために努力してゐる人は、廣い世界にも恐らくはないでありませうから。
 こゝまでは大體誰でも一致しませうが、さてその目がける『幸福』といふものは何かといふ段になりますと、それこそ千差萬別である。蓼食ふ蟲も好きずきからと云ひますが、一人に幸福に見えることが、他の人には馬鹿らしくて仕方のないことが少なくない。また一國の理想とするところが、他國から觀ると馬鹿らしいと感ずることもある。。
 英國の批評家H・G・ウェルズの書いたものゝ中に『日本人やドイツ人は苦行を欲するのだ』とありました。これはある點では正しい觀方でありまして、日本人やドイツ人の幸福感は決してアングロ・サクソンのそれではない。梅漬け一つあれば飢ふることがないといふやうな點に、誇りを感じてゐる日本人は、戰爭に行くにも寢臺までも持つて行きたいほどな國民とは幸福なるものゝ概念において大分相違がありませう。一方にとつては、國家や社會といふものは、個人の幸福と完成のための手段でしかないのに、他方にとつては、個人は國家を偉大にするための材料でしかない。この人にとつては、國家のために苦難することは、丁度ある種の行者が苦行そのものに快味を感ずるやうに、非常な幸福であるのです。
 かうして何が幸福であるかといふ内容についても、そこに一定の規準を定むることは困難ですが、しかしそれにしても私共は一つの共通的な目標を定むることができる筈です。それは私共は何よりも先きに生きることの必要があり、幸福も目標も、生きた後のことですから、第一に物質的安定といふことが大切であるのは大體に何人も不賛成ではないと思ひます。他にも私共の目標は澤山ありますけれども、まづ第一に議論をこゝから進めていつてみませう。

引用・参照・底本

『現代日本論』 清澤 洌 著 昭和十年六月十四日發行 千倉書房

(国立国会図書館デジタルコレクション)

無政府共産主義者の大逆事件2023年01月03日 18:08

繪本道化遊 全
  『アメリカ樣 全』宮武外骨 著

 (二八頁)
 無政府共産主義者の大逆事件       2023.01.03

昭和五年の春頃であつたと記臆する事、宮内省の明治天皇詳傳編纂係より明治文庫へ電話で、明治四十四年一月の『法律新聞』第六百九十三號がありますか、否かと云ふ問合せであつた、予は直ぐに「ありますよ」と答へたので、大喜びで若い男が、早速やつて來たから、如何なる次第で見たいのかと訊くと、實は内務省や警視廳は勿論、諸方へ問合せても、何處にも無いので當惑して居たのです、宮内省の日記中に、明治天皇に關する不埒な記事があるので其發売を禁止し殘本を差押へた上、配布先からも取返して燒却したと云ふ程なので、何処にも無いのです、それが此文庫に保存されて居たのは幸でありましたと云ふ、それから實物を通覧して「わかりました」と滿足の體であり、その要所を示されたのを見ると、幸徳伝次郎一派二十數名にかかる大逆事件(明治天皇暗殺計畫)の公判記事中に「近來政府の迫害甚だしきを以て、決死の士を集め、爆烈彈其他の武器を與へ、暴力革命を起し、諸官衙を燒払ひ、富豪の財を掠奪し、それより二重橋に迫り、番兵を追佛ひ、皇居に侵入して大目的を敢行せんと計畫し居る旨を告げ」云々など畏ろしい記事のある次ぎが、肝腎の所、それは頁を改めて……次ぎに

引用・参照・底本

『アメリカ樣』宮武外骨 著 昭和二十一年五月三日發行 藏六文庫
『繪本道化遊 全』宮武外骨 著 明治四十四年二月十日發行 雅俗文庫

(国立国会図書館デジタルコレクション)

私利なき社會2023年01月04日 17:43

雅邦集
 『現代日本論』 清澤 洌 著

 二、私利なき社會       2023.01.04

 友よ。
 私どもにとつて、一番大切なことは生きることであり、その生を幸福にするには、物質的安定が必要であるといふ點で、あなたの同意がえられたと思ひます。これを社會的に觀ても、社會の不公平と弊害は富を中心にして、最も多く現はれてゐます。後でも述べまするやうに、私どもはこれが全部の弊害だとは見ません。たゞ自己の有する社會的特權に目がくらんでゐるものでない限り、バーナード・ショーが云つた通り、隣の大工の娘が、向ふの大地主の息子と結婚しうるやうな社會にすることの理想的であるのは疑へないと思ひます。
 ところでかうした社會を實言するためには、今までの經驗では、個人的利益だけを追ふて生産したり、配給したりする組織では駄目であることが大體において明らかになりました。世の中がまだ生産に不足して困つてゐる頃は、その個人の利益心を自由に働かせる制度は、最も適して居り、また現在の文化を齎したのもなによりも、資本主義の結果なのでありますが、今になるとその無政府的混亂が、永遠に人類を幸福にしてをかないことが分かつて來た。
 これを外の言葉でいふと、私どもは、歴史的に三つの時代を通過して來たと思ふ。昔しは道徳といふものが最高で、經濟はこれに隷屬してゐました。その次ぎの時代は經濟は獨立して、道徳をもその却下に踏みにぢつた。ビジネス・イズ・ビジネスといふ言葉、經濟が他の如何なる位置も權力をも見下したのはその現はれである。しかしこれが産業革命から引き續いたが故に、世の中が發達したことは、これまた疑ふものがないと思ひます。
 しかしこの制度に弊害が現れて、その持つて生まれた任務がすんだことが一應明白になつた以上は、つぎの世紀における努力は、今一度この奔馬のやうな經濟を道徳に隷屬せしむるために向けられねばならぬ。
 具體的にいつて、それはどういふ世界かといふと、私利のない世界、總べての生産と消費と富が、社會公共のために使用され、幾ら生産しても供給過剩といふやうなことのない世界
です。その世界では當然、生産は均等に消費されねばならぬ。そしてその結果、一人が莫大な富を以て、他の生活を左右するといふやうなことが失くなります。富の巨大な集積がなくなれば、そこには社會的不公平もある程度まで失くなるでありませう。
 そうした社會が果して可能か、とあなたは屹度お聞きになるでありませう。私もそれを近い將來に、弊害なくして出現するのを、疑ふのは後に説く通りです。しかし疑へないことは、もしかうした社會が出來たら、今よりも餘程いゝであらうことです。すでにいゝとしたら、われ等はそういふ社會の出現に力を致そうではありませんか。理想とか希望とか、ことに主義とか政策とかいふものは、今日考へて明日出現できるものではありません、目標をできるだけ高く、そしてその旗印しに一歩でも近づくことは、社會人としての私どもの義務でなくてはなりません。

引用・参照・底本

『現代日本論』 清澤 洌 著 昭和十年六月十四日發行 千倉書房

(国立国会図書館デジタルコレクション)

國際聯盟のユダヤ的背景2023年01月05日 17:25

雅邦集
 『新世紀の創造』 江塚正夫 著

 (86-91頁)
 8 國際聯盟のユダヤ的背景     2023.01.05

 世界大戰も漸く末期に入らんとした一九一七年六月二十八日(フエルヂナンド太公暗殺三週年忌日)巴里カデー街十六番地にある大陸フリー・メーソン秘密結社の總本部フランス大東社の會堂に於てユダヤ人アンドレー・ルベー司宰の下に戰爭終結會議が開かれた。席上國際聯盟創設が提議され、其の規約草案十三ケ條が議決せられた。それは其の後成立した國際聯盟の規約二十六ケ條と大略同樣の骨子であつた。この計畫が先にユダヤ人マサリツク博士の十四ケ條平和提案の宣傳に利用された米國フリー・メーソン結社員ウイルソンに依つて又もや一九一九年一月十八日より巴里に於て開催された平和會議席上に提案せられたのである。何故ユダヤ人が他民族フリー・メーソン結社員を利用するかと云へば之はユダヤ民族の傳統的政策たる異民族第一線主義に依つて事の眞相を韜晦し、瞞着せしめんが爲である。
 ウィルソンが以前或る事件の爲、ユダヤ人に弱點を押へられて、バーナード・バラック等の爲頤使せられるやうになつてゐたことは餘りにも著名な事實である。
 斯くて國際聯盟はウイルソンやレオン・ブールジョア等フリー・メーソン員に依つて提案せられ、反對を排除して、遂に成立せしめられた。(レオン・ブールジョア氏はプロトコール中に出現するフランス實物教育の創始者か)
 成立當時の顏賜れは次の如くユダヤ人を配置してぬた。
 事務總長 ドラモンド
 事務次長 アブノール(後に事務總長)
 政治部長 マントウ
 經濟部長 ソルター(蔣介石政府顧問)
 軍縮部長 マダリアーガ
 情報部長 コメール
 交通部長 ハース(蔣介石政府顧問)
 衛生保險部長 ライヒマン(蔣介石政府顧問)
 勞働事務局長 アルベール・トーマ
 右の如きユダヤ陣容を以て國際聯盟は活動を開始し、世界永久平和建設の爲乘出したと云へば美しいが實は英米佛フリー・メーソン國世界獨裁の實現.並びに汎シオニズム運動實現の爲の超國家的機關として猶太世界聯邦組織地盤の作製に着手したのである。
 それ故に彼等は先づ世界の平和は武力に依つて保たれるに拘らず、彼等特にユダヤ人は最も苦手とする武力の廢止縮小を實行せんとした。それは大戰前ヨーロッパ各國に大軍備を煽動して莫大の利益を獲得した同一人等に依つて畫策せられたのである。
 米國は提案したにも拘らず國際聯盟に加入しなかつた。之は意義深いことである。而して英佛國が聯盟の主體となつた。之はプロトコール中にも示されでゐる如く單なる利用物としてのフリー・メーソン、即ち此處に於てはフリー・メーソン國英佛なるものが利用し得る限り利用せられ後に抹殺せらるべき運命に當時既に置かれてゐた事を示すものである。米國は將來愈々利用すべき寵兒なるが故に國際聯盟の如き近き將來に於て忽ち瓦礫と化し去るべき廢屋に居住せしめるに忍びなかつたのであらう。    
 「第一次世界大戰はそれに依つて得た金に依つて第二次世界大戰を惹起し、世界を崩壊せしめんが爲の前提として發生せしめたものである」とユダヤ人等が放言してゐることに徴しても當時既に第二次世界大戰が豫相せられ、國際聯盟の囈語的平和忿佛の如きはユダヤ人に取つて苦笑に堪へぬ事實であつたのである。……聯盟成立後二十年、第二次世界大戰は既に發生し、フランスは敗戰し、英國は崩壊の前夜に突入した。英國の王冠は風前の灯の如く揺いでゐる。利用し盡され、抹殺せしめられんとしつゝある英佛の嘗ての指導者は今何處にあるであらう。英佛國民の心中は如何であらうか、嗚呼彼等は遂に混睡狀態のまにまに史上より沒し去らんとするのであらうか。……國際聯盟は尨大な費用を各國より徴収してユダヤの新年早々に會議を開き、株式會社の如き利害附討論に終始して國際正義に立脚せる誠意の如きは微塵も存在しなかつた。かくては彼等がロカルノ條約七ケ國條約等を成立せしめて、それを口實として敗殘の獨逸其の他の軍備を更に縮小しようとした非人道的殘忍性の事實も當然のことゝして首肯し得られ國際平和の使徒と自負する彼等が支那の利權漁りに手を出しつゝ、滿洲事件、上海事件當時に於ては却つて日本に侵略者呼ばゝりをしたといふ厚顏無恥さも亦當然の事として首肯せられ得るのである。其の後日本は畏くも詔勅を拝して聯盟を脱退し、獨伊之に績き、聯盟は當然の經路を辿つて沒落した。國際聯盟の尨大なる家屋は病院其他に轉用する以外に使途はあるまいと稱されてゐる。併し聯盟はその使命を充分に果たした。ルーズヴェルト大統領が更に強固な平和機構を再建する等囈語してゐたさうであるが、遂にユダヤ人並にユダヤ的世界觀陶醉者等に最後の強打を與ふべき時機が到來した。
 昭和十六年十二月八日の對米英宣戰布告の大詔がそれである。併し乍ら未だ心許すことは出來ない。猶太的世界觀は國民の心に根強く巣喰ひ聯盟論が公然と提唱される時代である。

引用・参照・底本

『新世紀の創造』 江塚正夫 著 昭和十八年二月一日發行 富強日本協會

(国立国会図書館デジタルコレクション)