【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと ― 2025年02月08日 15:23
【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと
参照:【桃源閑話】NATO拡大:ゴルバチョフが聞いたこと 2024-09-12
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2024/09/12/9716280
【概要】
各ドキュメントは、冷戦終結直後の欧州安全保障を巡る各国の駆け引きと、NATO拡大をめぐる約束・懸念・戦略的計算を多角的に記録している。特に米ソ間の「東方拡大しない」との保証と、その後の政策転換の伏線が注目される。
ドキュメント01
1990年2月1日付の米国大使館ボン発の機密電報。西ドイツ外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが1月31日に発表した「チュッツィング演説」の内容を報告。ゲンシャーはNATOの東方拡大を否定し、東ドイツ(GDR)地域の特別扱いを提案。ソ連への配慮として「NATOの東方拡大はない」との姿勢を示した。この演説は欧米メディアで広く報じられ、早期の東西統一議論における安全保障の枠組みを規定した。
ドキュメント02
1990年2月6日の英外相ダグラス・ハードとゲンシャーの会談記録。ゲンシャーが「NATOの拡大はGDR以外の東欧諸国にも適用されない」と明言し、ポーランドなど旧ワルシャワ条約機構国がNATOに即時加盟する可能性を否定。英国側はこの見解を米国と共有したが、後の米国国務省の分析ではこの議論が見過ごされたと指摘されている。
ドキュメント03
1990年2月6日、冷戦戦略家ポール・ニッツェがブッシュ大統領に送った覚書。「フォーラム・フォーア・ジャーマニー」会議で東欧指導者がNATOとワルシャワ条約機構の解体を主張したが、ニッツェがNATOの重要性を説き、安定性と米軍の欧州駐留の必要性を強調。東欧側の見方を転換させた経緯が記される。
ドキュメント04
1990年2月9日のベーカー米国務長官とソ連外相シェワルナゼの会談記録。ベーカーが「統一ドイツのNATO残留」を主張しつつ、「NATOの管轄権や軍が東方に拡大しない」との保証を提示。ただし文書の一部は機密扱いのまま。ドイツ統一の枠組みとして「2プラス4」(東西ドイツ+4占領国)方式を提案。
ドキュメント05
同日のベーカーとゴルバチョフ書記長の会談。ベーカーが「NATOの現在の境界から1インチも東に拡大しない」と繰り返し保証。ゴルバチョフは「NATO拡大は容認できない」と応じたが、米側の記録では回答部分が削除されている。ソ連側の記録と一致する内容。
ドキュメント06
ゴルバチョフ財団が公開したソ連側の会談記録。ベーカーが「NATOの軍事管轄権が東に広がらない」と3度保証し、ゴルバチョフが「拡大は受け入れられない」と返答。ベーカーが「中立ドイツvs NATO残留ドイツ」の選択を問う場面も記述。東ドイツへの言及がなく、広範な東方拡大否定と解釈可能。
ドキュメント07
1990年2月9日、米大統領補佐官ロバート・ゲイツとKGB議長クリュチコフの会談。ゲイツが「NATO軍が東に展開しない」との提案を再確認。クリュチコフは「保証の検証が必要」と慎重姿勢を示し、ソ連世論の懸念を指摘。米政府内で調整された対ソ戦略が裏付けられる。
ドキュメント08
1990年2月10日、ベーカーからコール首相への書簡。モスクワ会談の内容を伝え、ゴルバチョフが「中立ドイツ」より「NATO残留」を選ぶ可能性に言及。「2プラス4」プロセスを推進する必要性を強調。ドイツ側にソ連への配慮を促す内容。
ドキュメント09
1990年2月10日のコールとゴルバチョフの会談記録。コールが「NATOは東方に拡大しない」と保証し、ソ連軍の東ドイツ暫定駐留に合意。ゴルバチョフは「ワルシャワ条約からGDRが離脱すれば体制のバランスが崩れる」と懸念を示すが、現実的な対応へ傾く。
ドキュメント10
1990年2月12-13日のオタワ会議(「オープンスカイ」交渉)におけるソ連外相側近の記録。シェワルナゼがドイツ統一の急進展に不快感を示し、ベーカーが「NATO管轄権の東方不拡大」を繰り返し提案。ソ連側が「統一」ではなく「結束」の表現を要求するなど、用語を巡る対立が浮き彫りに。
ドキュメント11
1990年2月21日の米国務省内部文書。「2プラス4」方式の利点として、米国が統一プロセスを管理しつつソ連を巻き込む戦略を分析。コールがソ連と独自に合意するリスクを懸念。ベーカーの手書きメモに「これこそレバレッジド・バイアウトだ」との興奮が記される。
ドキュメント12
1990年2月20-21日のハベル・チェコスロバキア大統領とブッシュの会談。ハベルが当初主張した「NATO解体」論が、ブッシュの説得により「米軍駐留の重要性」へ転換。CSCE(欧州安全保障協力会議)を基盤とした新安全保障構想も議論される。
ドキュメント13
1990年2月24日のブッシュとコールのキャンプ・デービッド会談。NATO残留を最優先し、「ソ連に勝利した以上、譲歩しない」との強硬姿勢を確認。コールが「ソ連への資金支援」を、ブッシュが「ドイツの財政負担」をそれぞれ示唆。
ドキュメント14
1990年4月6日のブッシュとシェワルナゼ会談。ゴルバチョフ書簡を基に、経済支援(最恵国待遇)とリトアニア問題を協議。ブッシュが「欧州全体の自由」と「共通の欧州の家」を協調させつつ、NATOの重要性を再確認。
ドキュメント15
1990年4月11日の英外相ハードとゴルバチョフ会談。ゴルバチョフが「新欧州安全保障構造の構築」を主張し、NATO単独での拡大に反対。過渡期の安全保障バランス維持を要求。英国はソ連の尊厳を配慮する姿勢を示す。
ドキュメント16
1990年4月18日、ソ連共産党国際部長ファーリンがゴルバチョフに提出した覚書。西側がソ連を孤立化させようとしていると警告し、法的拘束力ある平和条約で安全保障を担保するよう提言。NATO拡大阻止のため、軍縮交渉を活用すべきと主張。
ドキュメント17
1990年5月4日、ベーカーがブッシュに送った報告。シェワルナゼとの会談で「NATOの政治的変革とCSCE強化」を説明し、ソ連の懸念を緩和。ただしソ連世論が「NATO加盟ドイツ」を受け入れる心理的困難を指摘。
ドキュメント18
1990年5月18日のベーカーとゴルバチョフ会談。ベーカーが9項目の保証を提示しつつ「NATOは夢ではない」と発言。シェワルナゼが「NATO加盟はペレストロイカを破壊する」と警告。ゴルバチョフは「ソ連もNATO加入を検討」と冗談交じりに反応。
ドキュメント19
1990年5月25日のミッテラン仏大統領とゴルバチョフ会談。ミッテランが「NATO拡大阻止は不可能」と現実論を示しつつ、ソ連への保証を支持。ゴルバチョフは「米国がNATOで世界を管理しようとしている」と懸念を表明。
ドキュメント20
1990年5月25日、ミッテランからブッシュへの書簡。ゴルバチョフの不安が本物であると指摘し、法的平和協定と具体的保証の必要性を提言。ソ連を孤立させないよう協調を求める。
ドキュメント21
1990年5月31日のブッシュとゴルバチョフ会談。「二つの錨」(NATOとワルシャワ条約双方への関与)構想が議論される。ベーカーが「精神分裂的」と反論。ゴルバチョフは「ソ連国民の反発が改革を阻害する」と警告。
ドキュメント22
1990年6月8日のサッチャー英首相とゴルバチョフ会談。CSCEを欧州安全保障の基盤と位置づけ、ソ連の安全を保証する必要性を確認。ゴルバチョフが「非伝統的解決」を求め、サッチャーが現実的対応を主張。
ドキュメント23
1990年7月15日のコールとゴルバチョフ会談。東ドイツ地域へのNATO軍不展開、ソ連軍の暫定駐留、住宅建設支援で合意。コールが「NATOの未来像を共有」と発言。ソ連側記録ではゴルバチョフが事実上NATO残留を容認。
ドキュメント24
1990年7月17日のブッシュとゴルバチョフの電話会談。ロンドン宣言(NATOの非侵略宣言・ソ連との協力拡大)を説明。ゴルバチョフが経済改革の困難を訴え、ブッシュが支援の必要性に同意しつつ直接援助は回避。
ドキュメント25
1990年9月12日の「2プラス4」最終協定文書。旧東ドイツ地域の「特別軍事地位」を規定。NATO軍の恒久展開を禁止するが、緊急時の移動を可能とする「合意覚書」が付帯。後のNATO拡大論争で「精神違反」と批判される伏線。
ドキュメント26
1990年10月22日の米国務省戦略文書。NATOの存続理由を「ソ連脅威の可能性」としつつ、東欧加盟は「現時点で不適切」と結論。ソ連改革への悪影響を懸念し、連絡事務所設置までに留める方針。
ドキュメント27
1990年10月25日の米政府内部文書。国防総省(チェイニー)が「NATO拡大の可能性を残す」のに対し、国務省が「拡大は議題にない」と表明する方針対立。ブッシュ政権は国務省案を採用したが、次政権で国防案が復活。
ドキュメント28
1991年3月5日の英大使ブライスウェイト日記。メージャー英首相がソ連軍指導者に「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。外相ハードも同様の発言を確認。英国の公式見解として記録。
ドキュメント29
1991年4月27日、ウォルフォウィッツ米国防次官補とハベル大統領の会談。チェコがNATO加盟を目指す方針を確認。ソ連との二国間協定で「反ソ同盟不参加」条項を拒否するよう助言。東欧のNATO志向が明確化。
ドキュメント30
1991年7月1日、ロシア最高会議代表団の報告書。NATO事務総長ヴェルナーが「拡張しない」と明言し、ポーランド・ルーマニア加盟に反対した事実を伝達。ソ連の欧州包摂を強調する内容。エリツィン側近が懸念を記録。
【詳細】
以下に各ドキュメントの詳細な説明を、時系列と文脈に沿って整理する。冷戦終結期の欧州安全保障を巡る複雑な駆け引きが浮かび上がる構成である。
ドキュメント01:米国大使館ボン機密電報(1990年2月1日)
・背景:東西ドイツ統一が現実味を帯び始めた時期。
・内容:西ドイツ外相ゲンシャーが「チュッツィング演説」で「NATOの東方拡大はない」と宣言。東ドイツ(GDR)地域を「特別軍事ステータス」とする構想を初めて公式化。
・意義:
➢ ソ連への配慮として「NATO不拡大」を打ち出し、後の交渉の基調を設定。
➢ メディアで広く報じられ、西側の初期の公式姿勢として国際的に認知される。
ドキュメント02:英外相ハードとゲンシャー会談記録(1990年2月6日)
・背景:英国が米ソの動向を探りつつ独自の仲介役を模索。
・内容:
➢ ゲンシャーが「ポーランドがワルシャワ条約を脱退してもNATO加盟は認めない」と明言。
➢ ハードがこの発言を「ソ連への配慮」と評価し、米国に共有。
・意義:西側陣営内で「NATO不拡大」が一時的な合意となった証左。後の米国務省の見解(「東ドイツ限定の議論」)との齟齬を示す。
ドキュメント03:ポール・ニッツェ覚書(1990年2月6日)
・背景:東欧民主化後、旧社会主義国のNATO加盟論が浮上。
・内容:
➢ ベルリン会議でハンガリー・ポーランド代表が「NATO解体」を主張。
➢ ニッツェが「NATOは欧州安定の要」と反論し、東欧側を説得。
・意義:米政府内で「NATO存続」が最優先課題であることを示す内部文書。
ドキュメント04:ベーカー=シェワルナゼ会談(1990年2月9日)
・背景:ドイツ統一の枠組み「2プラス4」方式の提案直前。
・内容:
➢ ベーカーが「NATO管轄域の東方不拡大」を保証。
➢ ただし「中立ドイツは独自核武装するリスク」と警告。
・特記:米側文書はソ連軍の東ドイツ駐留問題に言及せず、後の解釈論争の一因に。
ドキュメント05:ベーカー=ゴルバチョフ会談(米側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの境界1インチも東へ拡大しない」と3度繰り返し。
➢ ゴルバチョフの返答部分が米文書で削除(ソ連文書では「容認できない」と明記)。
・意義:米ソ間で「不拡大」保証が交わされた決定的瞬間。後にNATO拡大時の「約束違反」論の根拠に。
ドキュメント06:同会談(ソ連側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの軍事機能縮小」を約束。
➢ ゴルバチョフが「欧州の安定には米ソ双方の駐留が必要」(ポーランド大統領発言引用)。
・分析:米側が「東ドイツ限定」と解釈できる記述がなく、広範な「東方不拡大」を示唆。
ドキュメント07:ゲイツ=クリュチコフ会談(1990年2月9日)
・背景:CIA副長官ゲイツがKGB議長と秘密接触。
・内容:
➢ ゲイツが「NATO軍の東ドイツ不展開」を再確認。
➢ クリュチコフ「保証の検証が必要」と要求。
・意義:米政府内(大統領府・国務省・CIA)で方針が統一されていたことを示す。
ドキュメント08:ベーカーからコールへの書簡(1990年2月10日)
・内容:
➢ ゴルバチョフが「NATO残留ドイツ」を默認する可能性を報告。
➢ 「2プラス4」交渉でソ連に「体裁(カバー)」を与えるよう助言。
・特記:コールが同日のゴルバチョフ会談でこの戦略を実行。書簡はドイツ側が1998年まで非公開に。
ドキュメント09:コール=ゴルバチョフ会談(1990年2月10日)
・内容:
➢ コール「NATOは東方に拡大しない」と保証。
➢ ゴルバチョフ「ワルシャワ条約なしのGDRは不安定」と懸念。
・結果:ソ連が統一ドイツのNATO残留を事実上受諾する転換点。
ドキュメント10:オタワ会議ソ連側記録(1990年2月12-13日)
・背景:「オープンスカイ」交渉中にドイツ問題が急浮上。
・内容:
➢ シェワルナゼが統一プロセスの急進展に不快感。
➢ ベーカーが「NATO管轄不拡大」を繰り返し提案。
・特記:「統一(Unification)」か「結束(Unity)」かの用語論争が露呈。
ドキュメント11:米国務省「2プラス4」分析メモ(1990年2月21日)
・背景:ドイツ統一交渉の主導権を米国が掌握する必要性。
・内容:
利点:
➢ 米国が統一プロセスを管理し、ソ連を交渉に巻き込みつつ拒否権を阻止。
➢ 西ドイツがソ連と単独合意するリスクを軽減。
懸念:
➢ ソ連が「4カ国(米英仏ソ)による戦後処理」を主張する可能性。
戦術:
➢ 公式会合前に「1(西独)+3(米英仏)」で調整し、西側結束を維持。
・特記:
➢ ベーカーの手書きメモ「これぞレバレッジド・バイアウト!」は、ソ連を交渉テーブルに縛りつける戦略的成功を強調。
➢ 後の「2プラス4」交渉の青写真となり、米国の主導性を決定づけた。
ドキュメント12:ハベル=ブッシュ会談(1990年2月20-21日)
・背景:チェコスロバキアの民主化後、ハベルが初めての米国訪問。
・内容:
ハベルの変遷:
➢ 当初:「NATOとワルシャワ条約の解体」を主張(国会演説で暗示)。
➢ ブッシュ説得後:「米軍駐留の必要性」を認め、CSCEを基盤とした新秩序構想へ転換。
戦略的意図:
➢ ブッシュが東欧指導者に「NATOの不可欠性」を教育する過程を反映。
・意義:東欧諸国のNATO加盟志向の起点となる「意識改革」の事例。
ドキュメント13:ブッシュ=コール・キャンプデービッド会談(1990年2月24日)
・背景:ゲンシャー外相の「CSCE重視」発言に米独が警戒。
・内容:
合意事項:
➢ 統一ドイツのNATO残留を絶対条件に設定。
➢ ソ連への経済支援は「ドイツが負担」(コール「我々は深いポケットを持つ」)。
ブッシュの発言:
➢ 「ソ連に勝利したのだから譲歩しない(To hell with that. We prevailed)」。
・分析:冷戦勝利者の驕りが、後のNATO拡大論の精神的土壌に。
ドキュメント14:ブッシュ=シェワルナゼ会談(1990年4月6日)
・背景:リトアニア独立宣言(3月)で米ソ関係が緊迫。
・内容:
経済圧力:
➢ シェワルナゼがMFN(最恵国待遇)早期付与を要求。
➢ ブッシュが「リトアニア問題解決が前提」と応酬。
安全保障:
➢ ブッシュ「NATOは変化する」と表明しつつ、軍事的機能維持を強調。
➢ 意義:経済支援を梃子にソ連の安全保障譲歩を引き出す米戦略が明瞭に。
ドキュメント15:英外相ハード=ゴルバチョフ会談(1990年4月11日)
・内容:
ゴルバチョフの主張:
➢ 「NATO単独拡大は欧州の不安定化を招く」。
➢ 「新欧州安保構造(CSCE発展型)の構築が必要」。
英国の姿勢:
➢ 「ソ連の尊厳を損なわない」と配慮を示すが、NATO堅持は変えず。
・分析:英国が仲介者として「ソ連の面子」を保ちつつ西側利益を追求。
ドキュメント16:ファーリン覚書(1990年4月18日)
・背景:ソ連共産党国際部長の危機感。
・内容:
警告:
➢ 西側が「伝統的欧州(東欧)からソ連を切り離そうとしている」。
➢ ゴルバチョフの宥和策がソ連を不利に導く。
提言:
➢ 法的平和条約で「NATO不拡大」を明文化。
➢ CFE(通常戦力削減交渉)を活用し西側を牽制。
・意義:ソ連内の対米不信派の声を代表し、後のNATO拡大反対論の根拠に。
ドキュメント17:ベーカー報告(1990年5月4日)
・背景:ソ連のリトアニア軍事圧力で米ソ関係悪化。
・内容:
➢ シェワルナゼが「NATO加盟ドイツはソ連国民に受け入れ難い」と表明。
➢ ベーカーが「NATOの政治化・CSCE強化」でソ連の不安を緩和しようと試みる。
・分析:心理的要素を重視した米外交の限界が露呈。
ドキュメント18:ベーカー=ゴルバチョフ会談(1990年5月18日)
・内容:
保証の矛盾:
➢ ベーカーが「NATOは夢ではない」と本音を漏らす。
➢ シェワルナゼ「NATO拡大はペレストロイカを破壊する」と警告。
ゴルバチョフのジレンマ:
➢ 「ソ連もNATOに加盟するか?」と逆提案(半ば本気の試探し)。
・意義:ソ連指導部の絶望感と、米側の保証が空文化しつつある兆候。
ドキュメント19:ミッテラン=ゴルバチョフ会談(1990年5月25日)
・内容:
ミッテランの現実主義:
➢ 「NATO拡大阻止は不可能。保証でソ連の安全を担保せよ」。
ゴルバチョフの不信:
➢ 「米国はNATOで世界を支配しようとしている」。
・分析:フランスが「欧州の自律性」を模索しつつ、NATO拡大に消極的関与。
ドキュメント20:ミッテラン書簡(1990年5月25日)
・要旨:
➢ ゴルバチョフの懸念は本物であり、法的枠組みで保証すべき。
➢ 米国に「ソ連を包摂する新欧州秩序」を要請。
・意義:フランスの仲介努力が、後のNATO・ロシア基本合意(1997年)の先駆け。
ドキュメント21:ブッシュ=ゴルバチョフ首脳会談(1990年5月31日)
・核心:
「二つの錨」論争:
➢ ゴルバチョフ:統一ドイツがNATOとワルシャワ条約に「同時加盟」を提唱。
➢ ベーカー:「現実離れした精神分裂的(schizophrenic)構想」と一蹴。
ゴルバチョフの警告:
➢ 「ソ連国民が敗北感を抱けば改革が止まる」。
・結果:米側が「NATO変革」を約束し、ソ連が統一ドイツのNATO残留を黙認。
ドキュメント22:サッチャー=ゴルバチョフ会談(1990年6月8日)
・内容
サッチャーの現実主義:
➢ 「CSCEを安保の枠組みに発展させるが、NATOは維持」。
ゴルバチョフの懐疑:
➢ 「西側の一方的行動は新冷戦を招く」。
・分析:英国が「ソ連の安全保証」と「西側結束」のバランスを模索。
ドキュメント23:コール=ゴルバチョフ会談(1990年7月15日)
・合意内容:
東ドイツ地域の特別扱い:
➢ NATO軍の恒久展開禁止。
➢ ソ連軍の暫定駐留(1994年まで)を許可。
経済支援:
➢ ソ連軍撤退費用として120億マルクをドイツが拠出。
・意義:ドイツ統一の最終合意。ソ連が事実上NATO拡大を容認した瞬間。
ドキュメント24:ブッシュ=ゴルバチョフ電話会談(1990年7月17日)
・背景:ゴルバチョフがCPSU党大会で再選直後。
・内容:
ブッシュの保証:
➢ NATOロンドン宣言(非侵略表明・ソ連との対話拡大)。
➢ CSCEの機構化によるソ連の欧州包摂。
ゴルバチョフの本音:
➢ 「市場改革には西側資金が必要」と訴えるが、具体策なし。
・分析:米国が「安全保障譲歩」と「経済支援回避」を両立させた巧妙な戦略。
ドキュメント25:2プラス4最終協定(1990年9月12日)
・法的内容:
旧東ドイツ条項:
➢ NATO軍の「非展開」を明記(Article 5)。
➢ ただし「合意覚書」で訓練・通過は例外と解釈。
ソ連軍駐留:
➢ 1994年までの段階的撤退で合意。
・現在の論争:
➢ ロシアは「NATO東方拡大はこの『精神』違反」と主張。
➢ 西側は「地理的限定(東ドイツのみ)だった」と反論。
ドキュメント26:NATO戦略文書(1990年10月22日)
・結論:
➢ 「東欧のNATO加盟は現時点で不適切」。
➢ 理由:ソ連改革の阻害を懸念。
・内部対立:
➢ 国務省:加盟議論自体を封じる。
➢ 国防総省(チェイニー):「将来的可能性」を残す。
・意義:クリントン政権の拡大政策との連続性と断絶を示す。
ドキュメント27:ドビンズメモ(1990年10月25日)
・内容:
➢ 国防総省が「NATO拡大の可能性を排除しない」と主張。
➢ 国務省が「拡大は議題にない」と公式見解を堅持。
・分析:政権内の意見不一致が、後の政策混乱の伏線に。
ドキュメント28:メージャー=ソ連軍指導者会談(1991年3月5日)
・内容:
➢ メージャー英首相:「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。
➢ ヤゾフ国防相:「NATO拡大は民主化を阻害する」と警告。
・意義:英国が公式に不拡大を約束した記録。現在のロシアが頻繁に言及。
ドキュメント29:ウォルフォウィッツ=ハベル会談(1991年4月27日)
・背景:東欧諸国のNATO加盟志向が表面化。
・内容:
➢ ハベル:「10年以内にNATO加盟を目指す」と表明。
➢ ウォルフォウィッツ:「ソ連との二国間協定で加盟制限条項を拒否せよ」と助言。
・分析:東欧の自主的な加盟要求が、米国の拡大政策を後押しした事実を示す。
ドキュメント30:ロシア代表団報告(1991年7月1日)
・内容:
➢ NATO事務総長ヴェルナー:「拡張しない」と公式に保証。
➢ ポーランド・ルーマニアの加盟に反対した事実を報告。
・現在の論点:
➢ ロシアは「NATOが約束を破った」と主張。
➢ NATO側は「当時は拡大意図がなかった」と反論。
総括的分析
1. 約束の曖昧さ(解釈差):
➢ 米側は「東ドイツへのNATO軍不展開」を主眼としたが、ソ連は「東欧全域への不拡大」と解釈。
➢ 文書の文言解釈のズームが後の紛争の伏線に。
➢ ソ連:「東方全域への不拡大」と解釈。
➢ 西側:「東ドイツ限定」と主張。
➢ 文書の曖昧な表現が対立の根源に。
2. 欧州の思惑:
➢ 英国・フランスは「NATO維持」を支持しつつ、CSCE(欧州安保協力会議)を通じたソ連包摂を模索。
➢ 東欧諸国は当初「ブロック解体」を主張したが、米の説得でNATO重視へ転換。
3.国内政治の影響:
➢ ゴルバチョフ:党内批判を抑えるため「保証」を必要とした。
➢ クリントン政権:冷戦勝利を背景に拡大を推進。
4.東欧の役割:
➢ 自主的な加盟要求が、西側の政策転換を促した。
➢ ハンガリー・ポーランドなどが「加盟の権利」を強く主張。
5. ソ連の苦悩:
➢ ゴルバチョフは国内批判(保守派から「敗北」と指弾)を受けつつ、現実的な妥協を選択。
➢ 軍部・共産党硬派の反発を抑えるため、「NATO不拡大」の保証を強く要求。
6. 米政府内の対立:
➢ 国務省(ベーカー)は「不拡大」を強調、国防総省(チェイニー)は「将来的可能性」を残す方針。
➢ この対立がクリントン政権時のNATO拡大決定に影響。
7.現在への影響:
➢ ウクライナ危機(2014年~)におけるロシアの「NATO拡大反対」論の根拠に。
➢ 歴史的文書の解釈が、現代地政学の核心課題に直結。
これらの一次文書は、冷戦終結期の外交交渉が「口頭保証」「文書の解釈差」「国内事情の相互作用」で形作られたことを如実に示す。特にNATO拡大を巡る現在の国際対立を理解する上で、歴史的経緯の詳細な検証が不可欠であることを浮き彫りにしている。
[概要]
1990年初頭のドイツ統一をめぐる議論と交渉について詳述したもので、主に米独ソの指導者間のやりとりに焦点を当てている。重要な議題は、NATOの将来とソ連の安全保障上の懸念に関するドイツ統一の影響に対処することであった。ドイツのハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー外相は、NATOは東方には拡大せず、NATOに関しては統一ドイツを別格に扱うと提案した。この保証はソ連の不安を和らげる上で極めて重要であった。ジェームズ・ベーカーやミハイル・ゴルバチョフのような人たちが、高まる緊張と東欧諸国の期待を管理しながら、西側の野心とソ連の安全保障上の必要性を一致させるという難題を乗り切ったのである。
[主なポイント]
1. ゲンシャーの提案は、NATOが東方へ拡大しないことを強調し、安全保障に関するソ連の懸念に対処するものであった。
2. 英独首脳の対話は、NATOの拡張の限界について共通の理解を示していた。
3. ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、統一後にNATOの管轄権が東方へ拡大しないことを保証した。
4. 2プラス4交渉は、ドイツ統一の内的・外的側面に対処する上で極めて重要であった。
5. ソ連の指導者たちは、NATOの意図と外交政策への統合のスピードに警戒感を示した。
6. 米国は欧州におけるプレゼンスを維持する一方、冷戦後の状況においてNATOの役割を再構築することを目指した。
7. 最終合意には、統一ドイツにおけるソ連軍の存在と地位に関する法的根拠と条件が含まれていた。
[背景・文脈]
冷戦が終わりに近づいた1990年初頭、ベルリンの壁崩壊後のドイツ統一に関する話し合いが始まった。このプロセスは、特にNATOの将来やソ連の安全保障上の懸念など、難題をはらんでいた。西側諸国はドイツをNATOに統合することを熱望し、欧州の安定と米国の戦略的足場として重要視していた。逆に、ゴルバチョフ政権下のソ連は、内圧と国家的自尊心に直面しており、ソ連の安全保障上の利益に適切に対処することが不可欠であった。
[主要な論点]
主要な所見は、NATOの潜在的な拡大に対するソ連指導部の不安を管理しながら、平和的な統一プロセスを確保することを目的とした複雑な外交的操縦を強調するものである。NATOの構造が変化することはないというゲンシャーの主張は、ソ連の不安を和らげるためのものであった。ベーカーによる複数の保証は、円滑な移行とパートナーシップを確保することを目的とした米国の外交戦略にとって不可欠な要素であった。
[裏付けとなる証拠]
資料には、ゴルバチョフとベーカーとの会話を詳細に記したメモがあり、進行中の交渉、特にNATOの管轄権に関する確約を反映している。さらに、英米の文書には、ゴルバチョフの安全保障上の懸念に対処するための協力的な取り組みが強調されており、ドイツ統一のために有利な状況を作り出す必要性が強調されている。
[結論・示唆]
最終的な合意は、外交的保証を通じてソ連の懸念をなだめつつ、ドイツの安定した再統一を可能にする枠組みを確立した。しかし、当初は約束されたと認識されていたにもかかわらず、その後の行動によってNATOの拡大に対する警戒感が高まり、ロシアと西側諸国との間の長年の相互不信を助長することになった。
[主要な洞察]
1. 信頼構築は交渉の中心であり、ソ連の懸念を和らげるために多くの口頭での保証が必要であった。
2. 文書は、平和的統合という公的な物語と、NATOの意図に対する根底にある不安との間の二律背反を明らかにしている。
3. 欧州の安全保障体制を理解することは、統一に向けた地政学的な情勢がどのように形成されたかを明らかにする。
4. 東欧諸国がNATOに加盟する可能性は、このような議論の中で根付き始め、将来の拡大への舞台を整えた。
5. NATOの役割の受け入れに関するソ連内部の反対意見は、ゴルバチョフとその政府が直面した課題を示している。
[疑問]
問1:ドイツ統一に関するソ連の主な懸念は何か
・ソ連は主に、ドイツの再統一後にNATOが東方へ拡大する可能性を懸念していた。
問2:アメリカはNATOに関してソ連にどのような保証をしたのか
・ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、NATOが東方へ拡大することはなく、ドイツ統一によって旧ドイツ民主共和国領域にNATOが軍事的に進駐することもないと保証した。
問3:ゲンシャーは交渉でどのような役割を果たしたのか
・ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー西ドイツ外相は、NATOの東ヨーロッパへの非拡大を主張し、ドイツのNATO加盟がソ連の利益を尊重するために微妙に扱われるようにすることで、重要な役割を果たした。
問4: Two-Plus-Four枠組みとはどのようなものであっか
・ツー・プラス・フォーの枠組みは、ドイツの2つの国家(東西)と4つの占領国(米、英、仏、ソ連)によって構成され、ドイツ統一をめぐる条件と外交関係を取り決めるものであった。
問5:NATOの範囲に関する当初の保証は将来の拡張においても有効であっか
否、1990年代のNATOによるその後の行動は、ゴルバチョフに提供された以前の保証と矛盾する東欧への拡張をもたらし、その後の数十年間におけるNATOとロシアの関係の緊張の一因となった。
【参考】
☞ ゴルバチョフに提供されたNATOの東方不拡大保証とその後のNATOの行動
1. NATO東方不拡大の保証に関する背景
1990年のドイツ統一交渉の過程で、西側諸国はソビエト連邦に対してNATOの東方不拡大を保証したか否かについて、歴史的に議論が続いている。
この問題の核心は、1990年2月のジェームズ・ベイカー米国務長官とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領の会談にある。
ベイカーは当時、東西ドイツ統一後の安全保障問題について話し合う中で、「NATOの管轄区域は東に1インチたりとも広がらない(not one inch eastward)」という表現を用いたとされる。
これはドイツ再統一に関する議論の文脈であり、具体的な条約や書面による約束ではなかったが、ソ連側はこれを「NATO拡大の自制」に関する非公式な保証と解釈した。
また、当時のドイツ首相ヘルムート・コールや外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーも、ソ連側に対し「NATOは東方拡大を行わない」とする趣旨の発言を行っている。
一方、米国やドイツの政府関係者は後に「この約束はワルシャワ条約機構加盟国にまで適用されるものではなく、単に旧東ドイツ領内でNATOの軍事プレゼンスを制限する趣旨だった」と主張している。
2. 1990年代のNATOの拡大
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、東欧諸国は急速に西側諸国との関係を強化し、EUやNATOへの加盟を模索するようになった。
これに対し、NATOは公式には「NATO拡大は自国の意思に基づく加盟国の決定であり、他国が拒否すべきものではない」との立場を取った。
主な拡大の流れは以下の通り。
・1997年:NATOはポーランド、チェコ、ハンガリーの加盟交渉を開始。ロシアは強く反発し、NATO・ロシア基本条約(NATO-Russia Founding Act)が締結される。この条約では「NATOは現状では東欧に大規模な軍を恒久配備しない」と約束されたが、東方拡大自体は否定されなかった。
・1999年:ポーランド、チェコ、ハンガリーが正式加盟(冷戦終結後の初の東方拡大)。
・2004年:バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアが加盟。これにより、旧ソ連領だったバルト三国がNATO圏に組み込まれる。
・2009年:アルバニアとクロアチアが加盟。
・2017年:モンテネグロが加盟。
・2020年:北マケドニアが加盟。
・2023年:フィンランドが加盟。
・2024年:スウェーデンの加盟が確定。
3. ロシアの反発とNATO拡大の影響
・ロシアは、NATOの拡大を「1990年の約束違反」と見なし、これを強く批判してきた。
特にウクライナとジョージアのNATO加盟問題は、ロシアの安全保障政策において重要な争点となった。
・2008年:NATOはブカレスト首脳会議で、ウクライナとジョージアの将来的な加盟を支持すると決定。これに対しロシアは警告を発し、同年のグルジア紛争(南オセチア戦争)が発生した。
・2014年:ロシアはクリミアを併合し、ウクライナ東部の紛争を支援。
・2022年:ロシアは「NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かす」と主張し、ウクライナへの全面侵攻を開始。
4. 結論
1990年にゴルバチョフに対して「NATOは東方へ拡大しない」との発言があったことは事実であるが、それが法的拘束力を持つ約束だったかについては見解が分かれる。
西側は「正式な条約ではない」と主張し、ロシア側は「政治的約束を破った」と非難している。
その後のNATOの拡大は、ロシアと西側の関係を決定的に悪化させ、現在のウクライナ戦争の背景にもなっている。
☞ ウクライナ危機(2014年~)は、ウクライナ国内の政治対立が国際紛争へと発展し、ロシアの軍事介入や領土併合を引き起こした一連の事件を指す。背景にはウクライナの「欧州統合」をめぐる国内分裂、ロシアの地政学的戦略、NATO拡大問題が絡んでいる。以下に経緯と要点を説明する。
背景:ウクライナの東西分裂
1.文化的・歴史的要因
・西部:カトリック圏、ウクライナ語主体、欧州統合志向が強い。
・東部・南部:正教圏、ロシア語が広く使用、旧ソ連時代の産業基盤があり親露的。
2.政治対立
・2004年「オレンジ革命」で親欧米派政権が誕生するも、2010年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が当選。
2014年危機の直接的な発端
1.ユーロマイダン革命(2013-2014年)
・ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定締結を突然中止し、ロシアとの関係強化を選択。
・これに抗議する親欧米派市民が首都キーウ(キエフ)で大規模デモ(ユーロマイダン)を展開。
・2014年2月、治安部隊との衝突で100人以上が死亡し、ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命。
2.クリミア併合(2014年3月)
・ロシアが「クリミア半島のロシア系住民保護」を名目に軍事介入。
・住民投票(国際的に非承認)を実施し、クリミアを「ロシア編入」と宣言。
・ウクライナは領土主権侵害として非難。欧米は対ロ制裁を発動。
3.ドンバス戦争(2014年~)
・東部ドネツク・ルハンスク州で親露派武装勢力が「独立」を宣言し、ウクライナ政府軍と衝突。
・ロシアが武装勢力を支援(武器供与・義勇兵派遣)とされるが、ロシアは関与を否定。
・2014-2015年の「ミンスク合意」で停戦が試みられるも、紛争は膠着状態に。
ロシアの主張と動機
1.地政学的懸念
・ウクライナのNATO加盟を「国境への脅威」とみなし、阻止を目的とした。
・クリミアのセヴァストポリ港はロシア黒海艦隊の重要基地。
2.歴史的・文化的理由
・「ウクライナはロシアの一部」とするナラティブ(プーチン大統領の論文で強調)。
・ロシア語話者保護を名目に介入を正当化。
3.国内政治
・2012年反政府デモ以降、プーチン政権が「愛国主義」を強調する必要性。
国際社会の反応
1.欧米の対応
・ロシアに対し経済制裁(エネルギー・金融・個人資産凍結)。
・ウクライナに軍事・経済支援を継続。
2.ロシアの反発
・制裁を「西側の内政干渉」と非難。
・中国・インドなど非西側諸国の中立的立場が目立つ。
3.国際法違反の指摘
・国連総会でクリミア併合を「無効」とする決議(2014年3月、賛成100カ国)。
2022年全面侵攻への展開
・2022年2月、プーチン大統領がウクライナ東部の「独立承認」を宣言。
・ロシア軍が全面侵攻を開始し、戦争が長期化。NATO加盟国への武器供給やロシアのエネルギー戦略が国際経済を揺るがす。
核心的な争点
1.ウクライナの主権 vs ロシアの勢力圏維持
・ウクライナが「欧州統合」か「ロシア圏」かをめぐる代理戦争の様相。
2.NATO拡大問題
・ロシアは「1990年代の米国の約束違反(NATO不拡大)」を主張。
・西側は「各国の主権的選択」を尊重すると反論。
3.エネルギー戦略
・ウクライナ経由の天然ガスパイプライン(例:ノルドストリーム)をめぐる対立。
現在の状況(2023年時点)
・ウクライナ東部・南部の一部がロシア実効支配下。
・欧米の対露制裁は継続も、エネルギー価格高騰で欧州が打撃。
・和平交渉の糸口は見えず、戦争の長期化が懸念される。
ウクライナ危機は、冷戦後の欧州秩序の再編をめぐる対立が顕在化した事件である。ロシアの行動は「大国の勢力圏維持」という19世紀的な地政学と、21世紀の国際法・主権尊重の原則が衝突する構図を示している。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
NATO Expansion: What Gorbachev Heard NATIONAL SECURITY ARCGIVE 40 YEARS OF FREEDOM OF INFORMATION ACTION
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2017-12-12/nato-expansion-what-gorbachev-heard-western-leaders-early#_edn16
参照:【桃源閑話】NATO拡大:ゴルバチョフが聞いたこと 2024-09-12
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2024/09/12/9716280
【概要】
各ドキュメントは、冷戦終結直後の欧州安全保障を巡る各国の駆け引きと、NATO拡大をめぐる約束・懸念・戦略的計算を多角的に記録している。特に米ソ間の「東方拡大しない」との保証と、その後の政策転換の伏線が注目される。
ドキュメント01
1990年2月1日付の米国大使館ボン発の機密電報。西ドイツ外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが1月31日に発表した「チュッツィング演説」の内容を報告。ゲンシャーはNATOの東方拡大を否定し、東ドイツ(GDR)地域の特別扱いを提案。ソ連への配慮として「NATOの東方拡大はない」との姿勢を示した。この演説は欧米メディアで広く報じられ、早期の東西統一議論における安全保障の枠組みを規定した。
ドキュメント02
1990年2月6日の英外相ダグラス・ハードとゲンシャーの会談記録。ゲンシャーが「NATOの拡大はGDR以外の東欧諸国にも適用されない」と明言し、ポーランドなど旧ワルシャワ条約機構国がNATOに即時加盟する可能性を否定。英国側はこの見解を米国と共有したが、後の米国国務省の分析ではこの議論が見過ごされたと指摘されている。
ドキュメント03
1990年2月6日、冷戦戦略家ポール・ニッツェがブッシュ大統領に送った覚書。「フォーラム・フォーア・ジャーマニー」会議で東欧指導者がNATOとワルシャワ条約機構の解体を主張したが、ニッツェがNATOの重要性を説き、安定性と米軍の欧州駐留の必要性を強調。東欧側の見方を転換させた経緯が記される。
ドキュメント04
1990年2月9日のベーカー米国務長官とソ連外相シェワルナゼの会談記録。ベーカーが「統一ドイツのNATO残留」を主張しつつ、「NATOの管轄権や軍が東方に拡大しない」との保証を提示。ただし文書の一部は機密扱いのまま。ドイツ統一の枠組みとして「2プラス4」(東西ドイツ+4占領国)方式を提案。
ドキュメント05
同日のベーカーとゴルバチョフ書記長の会談。ベーカーが「NATOの現在の境界から1インチも東に拡大しない」と繰り返し保証。ゴルバチョフは「NATO拡大は容認できない」と応じたが、米側の記録では回答部分が削除されている。ソ連側の記録と一致する内容。
ドキュメント06
ゴルバチョフ財団が公開したソ連側の会談記録。ベーカーが「NATOの軍事管轄権が東に広がらない」と3度保証し、ゴルバチョフが「拡大は受け入れられない」と返答。ベーカーが「中立ドイツvs NATO残留ドイツ」の選択を問う場面も記述。東ドイツへの言及がなく、広範な東方拡大否定と解釈可能。
ドキュメント07
1990年2月9日、米大統領補佐官ロバート・ゲイツとKGB議長クリュチコフの会談。ゲイツが「NATO軍が東に展開しない」との提案を再確認。クリュチコフは「保証の検証が必要」と慎重姿勢を示し、ソ連世論の懸念を指摘。米政府内で調整された対ソ戦略が裏付けられる。
ドキュメント08
1990年2月10日、ベーカーからコール首相への書簡。モスクワ会談の内容を伝え、ゴルバチョフが「中立ドイツ」より「NATO残留」を選ぶ可能性に言及。「2プラス4」プロセスを推進する必要性を強調。ドイツ側にソ連への配慮を促す内容。
ドキュメント09
1990年2月10日のコールとゴルバチョフの会談記録。コールが「NATOは東方に拡大しない」と保証し、ソ連軍の東ドイツ暫定駐留に合意。ゴルバチョフは「ワルシャワ条約からGDRが離脱すれば体制のバランスが崩れる」と懸念を示すが、現実的な対応へ傾く。
ドキュメント10
1990年2月12-13日のオタワ会議(「オープンスカイ」交渉)におけるソ連外相側近の記録。シェワルナゼがドイツ統一の急進展に不快感を示し、ベーカーが「NATO管轄権の東方不拡大」を繰り返し提案。ソ連側が「統一」ではなく「結束」の表現を要求するなど、用語を巡る対立が浮き彫りに。
ドキュメント11
1990年2月21日の米国務省内部文書。「2プラス4」方式の利点として、米国が統一プロセスを管理しつつソ連を巻き込む戦略を分析。コールがソ連と独自に合意するリスクを懸念。ベーカーの手書きメモに「これこそレバレッジド・バイアウトだ」との興奮が記される。
ドキュメント12
1990年2月20-21日のハベル・チェコスロバキア大統領とブッシュの会談。ハベルが当初主張した「NATO解体」論が、ブッシュの説得により「米軍駐留の重要性」へ転換。CSCE(欧州安全保障協力会議)を基盤とした新安全保障構想も議論される。
ドキュメント13
1990年2月24日のブッシュとコールのキャンプ・デービッド会談。NATO残留を最優先し、「ソ連に勝利した以上、譲歩しない」との強硬姿勢を確認。コールが「ソ連への資金支援」を、ブッシュが「ドイツの財政負担」をそれぞれ示唆。
ドキュメント14
1990年4月6日のブッシュとシェワルナゼ会談。ゴルバチョフ書簡を基に、経済支援(最恵国待遇)とリトアニア問題を協議。ブッシュが「欧州全体の自由」と「共通の欧州の家」を協調させつつ、NATOの重要性を再確認。
ドキュメント15
1990年4月11日の英外相ハードとゴルバチョフ会談。ゴルバチョフが「新欧州安全保障構造の構築」を主張し、NATO単独での拡大に反対。過渡期の安全保障バランス維持を要求。英国はソ連の尊厳を配慮する姿勢を示す。
ドキュメント16
1990年4月18日、ソ連共産党国際部長ファーリンがゴルバチョフに提出した覚書。西側がソ連を孤立化させようとしていると警告し、法的拘束力ある平和条約で安全保障を担保するよう提言。NATO拡大阻止のため、軍縮交渉を活用すべきと主張。
ドキュメント17
1990年5月4日、ベーカーがブッシュに送った報告。シェワルナゼとの会談で「NATOの政治的変革とCSCE強化」を説明し、ソ連の懸念を緩和。ただしソ連世論が「NATO加盟ドイツ」を受け入れる心理的困難を指摘。
ドキュメント18
1990年5月18日のベーカーとゴルバチョフ会談。ベーカーが9項目の保証を提示しつつ「NATOは夢ではない」と発言。シェワルナゼが「NATO加盟はペレストロイカを破壊する」と警告。ゴルバチョフは「ソ連もNATO加入を検討」と冗談交じりに反応。
ドキュメント19
1990年5月25日のミッテラン仏大統領とゴルバチョフ会談。ミッテランが「NATO拡大阻止は不可能」と現実論を示しつつ、ソ連への保証を支持。ゴルバチョフは「米国がNATOで世界を管理しようとしている」と懸念を表明。
ドキュメント20
1990年5月25日、ミッテランからブッシュへの書簡。ゴルバチョフの不安が本物であると指摘し、法的平和協定と具体的保証の必要性を提言。ソ連を孤立させないよう協調を求める。
ドキュメント21
1990年5月31日のブッシュとゴルバチョフ会談。「二つの錨」(NATOとワルシャワ条約双方への関与)構想が議論される。ベーカーが「精神分裂的」と反論。ゴルバチョフは「ソ連国民の反発が改革を阻害する」と警告。
ドキュメント22
1990年6月8日のサッチャー英首相とゴルバチョフ会談。CSCEを欧州安全保障の基盤と位置づけ、ソ連の安全を保証する必要性を確認。ゴルバチョフが「非伝統的解決」を求め、サッチャーが現実的対応を主張。
ドキュメント23
1990年7月15日のコールとゴルバチョフ会談。東ドイツ地域へのNATO軍不展開、ソ連軍の暫定駐留、住宅建設支援で合意。コールが「NATOの未来像を共有」と発言。ソ連側記録ではゴルバチョフが事実上NATO残留を容認。
ドキュメント24
1990年7月17日のブッシュとゴルバチョフの電話会談。ロンドン宣言(NATOの非侵略宣言・ソ連との協力拡大)を説明。ゴルバチョフが経済改革の困難を訴え、ブッシュが支援の必要性に同意しつつ直接援助は回避。
ドキュメント25
1990年9月12日の「2プラス4」最終協定文書。旧東ドイツ地域の「特別軍事地位」を規定。NATO軍の恒久展開を禁止するが、緊急時の移動を可能とする「合意覚書」が付帯。後のNATO拡大論争で「精神違反」と批判される伏線。
ドキュメント26
1990年10月22日の米国務省戦略文書。NATOの存続理由を「ソ連脅威の可能性」としつつ、東欧加盟は「現時点で不適切」と結論。ソ連改革への悪影響を懸念し、連絡事務所設置までに留める方針。
ドキュメント27
1990年10月25日の米政府内部文書。国防総省(チェイニー)が「NATO拡大の可能性を残す」のに対し、国務省が「拡大は議題にない」と表明する方針対立。ブッシュ政権は国務省案を採用したが、次政権で国防案が復活。
ドキュメント28
1991年3月5日の英大使ブライスウェイト日記。メージャー英首相がソ連軍指導者に「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。外相ハードも同様の発言を確認。英国の公式見解として記録。
ドキュメント29
1991年4月27日、ウォルフォウィッツ米国防次官補とハベル大統領の会談。チェコがNATO加盟を目指す方針を確認。ソ連との二国間協定で「反ソ同盟不参加」条項を拒否するよう助言。東欧のNATO志向が明確化。
ドキュメント30
1991年7月1日、ロシア最高会議代表団の報告書。NATO事務総長ヴェルナーが「拡張しない」と明言し、ポーランド・ルーマニア加盟に反対した事実を伝達。ソ連の欧州包摂を強調する内容。エリツィン側近が懸念を記録。
【詳細】
以下に各ドキュメントの詳細な説明を、時系列と文脈に沿って整理する。冷戦終結期の欧州安全保障を巡る複雑な駆け引きが浮かび上がる構成である。
ドキュメント01:米国大使館ボン機密電報(1990年2月1日)
・背景:東西ドイツ統一が現実味を帯び始めた時期。
・内容:西ドイツ外相ゲンシャーが「チュッツィング演説」で「NATOの東方拡大はない」と宣言。東ドイツ(GDR)地域を「特別軍事ステータス」とする構想を初めて公式化。
・意義:
➢ ソ連への配慮として「NATO不拡大」を打ち出し、後の交渉の基調を設定。
➢ メディアで広く報じられ、西側の初期の公式姿勢として国際的に認知される。
ドキュメント02:英外相ハードとゲンシャー会談記録(1990年2月6日)
・背景:英国が米ソの動向を探りつつ独自の仲介役を模索。
・内容:
➢ ゲンシャーが「ポーランドがワルシャワ条約を脱退してもNATO加盟は認めない」と明言。
➢ ハードがこの発言を「ソ連への配慮」と評価し、米国に共有。
・意義:西側陣営内で「NATO不拡大」が一時的な合意となった証左。後の米国務省の見解(「東ドイツ限定の議論」)との齟齬を示す。
ドキュメント03:ポール・ニッツェ覚書(1990年2月6日)
・背景:東欧民主化後、旧社会主義国のNATO加盟論が浮上。
・内容:
➢ ベルリン会議でハンガリー・ポーランド代表が「NATO解体」を主張。
➢ ニッツェが「NATOは欧州安定の要」と反論し、東欧側を説得。
・意義:米政府内で「NATO存続」が最優先課題であることを示す内部文書。
ドキュメント04:ベーカー=シェワルナゼ会談(1990年2月9日)
・背景:ドイツ統一の枠組み「2プラス4」方式の提案直前。
・内容:
➢ ベーカーが「NATO管轄域の東方不拡大」を保証。
➢ ただし「中立ドイツは独自核武装するリスク」と警告。
・特記:米側文書はソ連軍の東ドイツ駐留問題に言及せず、後の解釈論争の一因に。
ドキュメント05:ベーカー=ゴルバチョフ会談(米側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの境界1インチも東へ拡大しない」と3度繰り返し。
➢ ゴルバチョフの返答部分が米文書で削除(ソ連文書では「容認できない」と明記)。
・意義:米ソ間で「不拡大」保証が交わされた決定的瞬間。後にNATO拡大時の「約束違反」論の根拠に。
ドキュメント06:同会談(ソ連側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの軍事機能縮小」を約束。
➢ ゴルバチョフが「欧州の安定には米ソ双方の駐留が必要」(ポーランド大統領発言引用)。
・分析:米側が「東ドイツ限定」と解釈できる記述がなく、広範な「東方不拡大」を示唆。
ドキュメント07:ゲイツ=クリュチコフ会談(1990年2月9日)
・背景:CIA副長官ゲイツがKGB議長と秘密接触。
・内容:
➢ ゲイツが「NATO軍の東ドイツ不展開」を再確認。
➢ クリュチコフ「保証の検証が必要」と要求。
・意義:米政府内(大統領府・国務省・CIA)で方針が統一されていたことを示す。
ドキュメント08:ベーカーからコールへの書簡(1990年2月10日)
・内容:
➢ ゴルバチョフが「NATO残留ドイツ」を默認する可能性を報告。
➢ 「2プラス4」交渉でソ連に「体裁(カバー)」を与えるよう助言。
・特記:コールが同日のゴルバチョフ会談でこの戦略を実行。書簡はドイツ側が1998年まで非公開に。
ドキュメント09:コール=ゴルバチョフ会談(1990年2月10日)
・内容:
➢ コール「NATOは東方に拡大しない」と保証。
➢ ゴルバチョフ「ワルシャワ条約なしのGDRは不安定」と懸念。
・結果:ソ連が統一ドイツのNATO残留を事実上受諾する転換点。
ドキュメント10:オタワ会議ソ連側記録(1990年2月12-13日)
・背景:「オープンスカイ」交渉中にドイツ問題が急浮上。
・内容:
➢ シェワルナゼが統一プロセスの急進展に不快感。
➢ ベーカーが「NATO管轄不拡大」を繰り返し提案。
・特記:「統一(Unification)」か「結束(Unity)」かの用語論争が露呈。
ドキュメント11:米国務省「2プラス4」分析メモ(1990年2月21日)
・背景:ドイツ統一交渉の主導権を米国が掌握する必要性。
・内容:
利点:
➢ 米国が統一プロセスを管理し、ソ連を交渉に巻き込みつつ拒否権を阻止。
➢ 西ドイツがソ連と単独合意するリスクを軽減。
懸念:
➢ ソ連が「4カ国(米英仏ソ)による戦後処理」を主張する可能性。
戦術:
➢ 公式会合前に「1(西独)+3(米英仏)」で調整し、西側結束を維持。
・特記:
➢ ベーカーの手書きメモ「これぞレバレッジド・バイアウト!」は、ソ連を交渉テーブルに縛りつける戦略的成功を強調。
➢ 後の「2プラス4」交渉の青写真となり、米国の主導性を決定づけた。
ドキュメント12:ハベル=ブッシュ会談(1990年2月20-21日)
・背景:チェコスロバキアの民主化後、ハベルが初めての米国訪問。
・内容:
ハベルの変遷:
➢ 当初:「NATOとワルシャワ条約の解体」を主張(国会演説で暗示)。
➢ ブッシュ説得後:「米軍駐留の必要性」を認め、CSCEを基盤とした新秩序構想へ転換。
戦略的意図:
➢ ブッシュが東欧指導者に「NATOの不可欠性」を教育する過程を反映。
・意義:東欧諸国のNATO加盟志向の起点となる「意識改革」の事例。
ドキュメント13:ブッシュ=コール・キャンプデービッド会談(1990年2月24日)
・背景:ゲンシャー外相の「CSCE重視」発言に米独が警戒。
・内容:
合意事項:
➢ 統一ドイツのNATO残留を絶対条件に設定。
➢ ソ連への経済支援は「ドイツが負担」(コール「我々は深いポケットを持つ」)。
ブッシュの発言:
➢ 「ソ連に勝利したのだから譲歩しない(To hell with that. We prevailed)」。
・分析:冷戦勝利者の驕りが、後のNATO拡大論の精神的土壌に。
ドキュメント14:ブッシュ=シェワルナゼ会談(1990年4月6日)
・背景:リトアニア独立宣言(3月)で米ソ関係が緊迫。
・内容:
経済圧力:
➢ シェワルナゼがMFN(最恵国待遇)早期付与を要求。
➢ ブッシュが「リトアニア問題解決が前提」と応酬。
安全保障:
➢ ブッシュ「NATOは変化する」と表明しつつ、軍事的機能維持を強調。
➢ 意義:経済支援を梃子にソ連の安全保障譲歩を引き出す米戦略が明瞭に。
ドキュメント15:英外相ハード=ゴルバチョフ会談(1990年4月11日)
・内容:
ゴルバチョフの主張:
➢ 「NATO単独拡大は欧州の不安定化を招く」。
➢ 「新欧州安保構造(CSCE発展型)の構築が必要」。
英国の姿勢:
➢ 「ソ連の尊厳を損なわない」と配慮を示すが、NATO堅持は変えず。
・分析:英国が仲介者として「ソ連の面子」を保ちつつ西側利益を追求。
ドキュメント16:ファーリン覚書(1990年4月18日)
・背景:ソ連共産党国際部長の危機感。
・内容:
警告:
➢ 西側が「伝統的欧州(東欧)からソ連を切り離そうとしている」。
➢ ゴルバチョフの宥和策がソ連を不利に導く。
提言:
➢ 法的平和条約で「NATO不拡大」を明文化。
➢ CFE(通常戦力削減交渉)を活用し西側を牽制。
・意義:ソ連内の対米不信派の声を代表し、後のNATO拡大反対論の根拠に。
ドキュメント17:ベーカー報告(1990年5月4日)
・背景:ソ連のリトアニア軍事圧力で米ソ関係悪化。
・内容:
➢ シェワルナゼが「NATO加盟ドイツはソ連国民に受け入れ難い」と表明。
➢ ベーカーが「NATOの政治化・CSCE強化」でソ連の不安を緩和しようと試みる。
・分析:心理的要素を重視した米外交の限界が露呈。
ドキュメント18:ベーカー=ゴルバチョフ会談(1990年5月18日)
・内容:
保証の矛盾:
➢ ベーカーが「NATOは夢ではない」と本音を漏らす。
➢ シェワルナゼ「NATO拡大はペレストロイカを破壊する」と警告。
ゴルバチョフのジレンマ:
➢ 「ソ連もNATOに加盟するか?」と逆提案(半ば本気の試探し)。
・意義:ソ連指導部の絶望感と、米側の保証が空文化しつつある兆候。
ドキュメント19:ミッテラン=ゴルバチョフ会談(1990年5月25日)
・内容:
ミッテランの現実主義:
➢ 「NATO拡大阻止は不可能。保証でソ連の安全を担保せよ」。
ゴルバチョフの不信:
➢ 「米国はNATOで世界を支配しようとしている」。
・分析:フランスが「欧州の自律性」を模索しつつ、NATO拡大に消極的関与。
ドキュメント20:ミッテラン書簡(1990年5月25日)
・要旨:
➢ ゴルバチョフの懸念は本物であり、法的枠組みで保証すべき。
➢ 米国に「ソ連を包摂する新欧州秩序」を要請。
・意義:フランスの仲介努力が、後のNATO・ロシア基本合意(1997年)の先駆け。
ドキュメント21:ブッシュ=ゴルバチョフ首脳会談(1990年5月31日)
・核心:
「二つの錨」論争:
➢ ゴルバチョフ:統一ドイツがNATOとワルシャワ条約に「同時加盟」を提唱。
➢ ベーカー:「現実離れした精神分裂的(schizophrenic)構想」と一蹴。
ゴルバチョフの警告:
➢ 「ソ連国民が敗北感を抱けば改革が止まる」。
・結果:米側が「NATO変革」を約束し、ソ連が統一ドイツのNATO残留を黙認。
ドキュメント22:サッチャー=ゴルバチョフ会談(1990年6月8日)
・内容
サッチャーの現実主義:
➢ 「CSCEを安保の枠組みに発展させるが、NATOは維持」。
ゴルバチョフの懐疑:
➢ 「西側の一方的行動は新冷戦を招く」。
・分析:英国が「ソ連の安全保証」と「西側結束」のバランスを模索。
ドキュメント23:コール=ゴルバチョフ会談(1990年7月15日)
・合意内容:
東ドイツ地域の特別扱い:
➢ NATO軍の恒久展開禁止。
➢ ソ連軍の暫定駐留(1994年まで)を許可。
経済支援:
➢ ソ連軍撤退費用として120億マルクをドイツが拠出。
・意義:ドイツ統一の最終合意。ソ連が事実上NATO拡大を容認した瞬間。
ドキュメント24:ブッシュ=ゴルバチョフ電話会談(1990年7月17日)
・背景:ゴルバチョフがCPSU党大会で再選直後。
・内容:
ブッシュの保証:
➢ NATOロンドン宣言(非侵略表明・ソ連との対話拡大)。
➢ CSCEの機構化によるソ連の欧州包摂。
ゴルバチョフの本音:
➢ 「市場改革には西側資金が必要」と訴えるが、具体策なし。
・分析:米国が「安全保障譲歩」と「経済支援回避」を両立させた巧妙な戦略。
ドキュメント25:2プラス4最終協定(1990年9月12日)
・法的内容:
旧東ドイツ条項:
➢ NATO軍の「非展開」を明記(Article 5)。
➢ ただし「合意覚書」で訓練・通過は例外と解釈。
ソ連軍駐留:
➢ 1994年までの段階的撤退で合意。
・現在の論争:
➢ ロシアは「NATO東方拡大はこの『精神』違反」と主張。
➢ 西側は「地理的限定(東ドイツのみ)だった」と反論。
ドキュメント26:NATO戦略文書(1990年10月22日)
・結論:
➢ 「東欧のNATO加盟は現時点で不適切」。
➢ 理由:ソ連改革の阻害を懸念。
・内部対立:
➢ 国務省:加盟議論自体を封じる。
➢ 国防総省(チェイニー):「将来的可能性」を残す。
・意義:クリントン政権の拡大政策との連続性と断絶を示す。
ドキュメント27:ドビンズメモ(1990年10月25日)
・内容:
➢ 国防総省が「NATO拡大の可能性を排除しない」と主張。
➢ 国務省が「拡大は議題にない」と公式見解を堅持。
・分析:政権内の意見不一致が、後の政策混乱の伏線に。
ドキュメント28:メージャー=ソ連軍指導者会談(1991年3月5日)
・内容:
➢ メージャー英首相:「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。
➢ ヤゾフ国防相:「NATO拡大は民主化を阻害する」と警告。
・意義:英国が公式に不拡大を約束した記録。現在のロシアが頻繁に言及。
ドキュメント29:ウォルフォウィッツ=ハベル会談(1991年4月27日)
・背景:東欧諸国のNATO加盟志向が表面化。
・内容:
➢ ハベル:「10年以内にNATO加盟を目指す」と表明。
➢ ウォルフォウィッツ:「ソ連との二国間協定で加盟制限条項を拒否せよ」と助言。
・分析:東欧の自主的な加盟要求が、米国の拡大政策を後押しした事実を示す。
ドキュメント30:ロシア代表団報告(1991年7月1日)
・内容:
➢ NATO事務総長ヴェルナー:「拡張しない」と公式に保証。
➢ ポーランド・ルーマニアの加盟に反対した事実を報告。
・現在の論点:
➢ ロシアは「NATOが約束を破った」と主張。
➢ NATO側は「当時は拡大意図がなかった」と反論。
総括的分析
1. 約束の曖昧さ(解釈差):
➢ 米側は「東ドイツへのNATO軍不展開」を主眼としたが、ソ連は「東欧全域への不拡大」と解釈。
➢ 文書の文言解釈のズームが後の紛争の伏線に。
➢ ソ連:「東方全域への不拡大」と解釈。
➢ 西側:「東ドイツ限定」と主張。
➢ 文書の曖昧な表現が対立の根源に。
2. 欧州の思惑:
➢ 英国・フランスは「NATO維持」を支持しつつ、CSCE(欧州安保協力会議)を通じたソ連包摂を模索。
➢ 東欧諸国は当初「ブロック解体」を主張したが、米の説得でNATO重視へ転換。
3.国内政治の影響:
➢ ゴルバチョフ:党内批判を抑えるため「保証」を必要とした。
➢ クリントン政権:冷戦勝利を背景に拡大を推進。
4.東欧の役割:
➢ 自主的な加盟要求が、西側の政策転換を促した。
➢ ハンガリー・ポーランドなどが「加盟の権利」を強く主張。
5. ソ連の苦悩:
➢ ゴルバチョフは国内批判(保守派から「敗北」と指弾)を受けつつ、現実的な妥協を選択。
➢ 軍部・共産党硬派の反発を抑えるため、「NATO不拡大」の保証を強く要求。
6. 米政府内の対立:
➢ 国務省(ベーカー)は「不拡大」を強調、国防総省(チェイニー)は「将来的可能性」を残す方針。
➢ この対立がクリントン政権時のNATO拡大決定に影響。
7.現在への影響:
➢ ウクライナ危機(2014年~)におけるロシアの「NATO拡大反対」論の根拠に。
➢ 歴史的文書の解釈が、現代地政学の核心課題に直結。
これらの一次文書は、冷戦終結期の外交交渉が「口頭保証」「文書の解釈差」「国内事情の相互作用」で形作られたことを如実に示す。特にNATO拡大を巡る現在の国際対立を理解する上で、歴史的経緯の詳細な検証が不可欠であることを浮き彫りにしている。
[概要]
1990年初頭のドイツ統一をめぐる議論と交渉について詳述したもので、主に米独ソの指導者間のやりとりに焦点を当てている。重要な議題は、NATOの将来とソ連の安全保障上の懸念に関するドイツ統一の影響に対処することであった。ドイツのハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー外相は、NATOは東方には拡大せず、NATOに関しては統一ドイツを別格に扱うと提案した。この保証はソ連の不安を和らげる上で極めて重要であった。ジェームズ・ベーカーやミハイル・ゴルバチョフのような人たちが、高まる緊張と東欧諸国の期待を管理しながら、西側の野心とソ連の安全保障上の必要性を一致させるという難題を乗り切ったのである。
[主なポイント]
1. ゲンシャーの提案は、NATOが東方へ拡大しないことを強調し、安全保障に関するソ連の懸念に対処するものであった。
2. 英独首脳の対話は、NATOの拡張の限界について共通の理解を示していた。
3. ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、統一後にNATOの管轄権が東方へ拡大しないことを保証した。
4. 2プラス4交渉は、ドイツ統一の内的・外的側面に対処する上で極めて重要であった。
5. ソ連の指導者たちは、NATOの意図と外交政策への統合のスピードに警戒感を示した。
6. 米国は欧州におけるプレゼンスを維持する一方、冷戦後の状況においてNATOの役割を再構築することを目指した。
7. 最終合意には、統一ドイツにおけるソ連軍の存在と地位に関する法的根拠と条件が含まれていた。
[背景・文脈]
冷戦が終わりに近づいた1990年初頭、ベルリンの壁崩壊後のドイツ統一に関する話し合いが始まった。このプロセスは、特にNATOの将来やソ連の安全保障上の懸念など、難題をはらんでいた。西側諸国はドイツをNATOに統合することを熱望し、欧州の安定と米国の戦略的足場として重要視していた。逆に、ゴルバチョフ政権下のソ連は、内圧と国家的自尊心に直面しており、ソ連の安全保障上の利益に適切に対処することが不可欠であった。
[主要な論点]
主要な所見は、NATOの潜在的な拡大に対するソ連指導部の不安を管理しながら、平和的な統一プロセスを確保することを目的とした複雑な外交的操縦を強調するものである。NATOの構造が変化することはないというゲンシャーの主張は、ソ連の不安を和らげるためのものであった。ベーカーによる複数の保証は、円滑な移行とパートナーシップを確保することを目的とした米国の外交戦略にとって不可欠な要素であった。
[裏付けとなる証拠]
資料には、ゴルバチョフとベーカーとの会話を詳細に記したメモがあり、進行中の交渉、特にNATOの管轄権に関する確約を反映している。さらに、英米の文書には、ゴルバチョフの安全保障上の懸念に対処するための協力的な取り組みが強調されており、ドイツ統一のために有利な状況を作り出す必要性が強調されている。
[結論・示唆]
最終的な合意は、外交的保証を通じてソ連の懸念をなだめつつ、ドイツの安定した再統一を可能にする枠組みを確立した。しかし、当初は約束されたと認識されていたにもかかわらず、その後の行動によってNATOの拡大に対する警戒感が高まり、ロシアと西側諸国との間の長年の相互不信を助長することになった。
[主要な洞察]
1. 信頼構築は交渉の中心であり、ソ連の懸念を和らげるために多くの口頭での保証が必要であった。
2. 文書は、平和的統合という公的な物語と、NATOの意図に対する根底にある不安との間の二律背反を明らかにしている。
3. 欧州の安全保障体制を理解することは、統一に向けた地政学的な情勢がどのように形成されたかを明らかにする。
4. 東欧諸国がNATOに加盟する可能性は、このような議論の中で根付き始め、将来の拡大への舞台を整えた。
5. NATOの役割の受け入れに関するソ連内部の反対意見は、ゴルバチョフとその政府が直面した課題を示している。
[疑問]
問1:ドイツ統一に関するソ連の主な懸念は何か
・ソ連は主に、ドイツの再統一後にNATOが東方へ拡大する可能性を懸念していた。
問2:アメリカはNATOに関してソ連にどのような保証をしたのか
・ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、NATOが東方へ拡大することはなく、ドイツ統一によって旧ドイツ民主共和国領域にNATOが軍事的に進駐することもないと保証した。
問3:ゲンシャーは交渉でどのような役割を果たしたのか
・ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー西ドイツ外相は、NATOの東ヨーロッパへの非拡大を主張し、ドイツのNATO加盟がソ連の利益を尊重するために微妙に扱われるようにすることで、重要な役割を果たした。
問4: Two-Plus-Four枠組みとはどのようなものであっか
・ツー・プラス・フォーの枠組みは、ドイツの2つの国家(東西)と4つの占領国(米、英、仏、ソ連)によって構成され、ドイツ統一をめぐる条件と外交関係を取り決めるものであった。
問5:NATOの範囲に関する当初の保証は将来の拡張においても有効であっか
否、1990年代のNATOによるその後の行動は、ゴルバチョフに提供された以前の保証と矛盾する東欧への拡張をもたらし、その後の数十年間におけるNATOとロシアの関係の緊張の一因となった。
【参考】
☞ ゴルバチョフに提供されたNATOの東方不拡大保証とその後のNATOの行動
1. NATO東方不拡大の保証に関する背景
1990年のドイツ統一交渉の過程で、西側諸国はソビエト連邦に対してNATOの東方不拡大を保証したか否かについて、歴史的に議論が続いている。
この問題の核心は、1990年2月のジェームズ・ベイカー米国務長官とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領の会談にある。
ベイカーは当時、東西ドイツ統一後の安全保障問題について話し合う中で、「NATOの管轄区域は東に1インチたりとも広がらない(not one inch eastward)」という表現を用いたとされる。
これはドイツ再統一に関する議論の文脈であり、具体的な条約や書面による約束ではなかったが、ソ連側はこれを「NATO拡大の自制」に関する非公式な保証と解釈した。
また、当時のドイツ首相ヘルムート・コールや外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーも、ソ連側に対し「NATOは東方拡大を行わない」とする趣旨の発言を行っている。
一方、米国やドイツの政府関係者は後に「この約束はワルシャワ条約機構加盟国にまで適用されるものではなく、単に旧東ドイツ領内でNATOの軍事プレゼンスを制限する趣旨だった」と主張している。
2. 1990年代のNATOの拡大
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、東欧諸国は急速に西側諸国との関係を強化し、EUやNATOへの加盟を模索するようになった。
これに対し、NATOは公式には「NATO拡大は自国の意思に基づく加盟国の決定であり、他国が拒否すべきものではない」との立場を取った。
主な拡大の流れは以下の通り。
・1997年:NATOはポーランド、チェコ、ハンガリーの加盟交渉を開始。ロシアは強く反発し、NATO・ロシア基本条約(NATO-Russia Founding Act)が締結される。この条約では「NATOは現状では東欧に大規模な軍を恒久配備しない」と約束されたが、東方拡大自体は否定されなかった。
・1999年:ポーランド、チェコ、ハンガリーが正式加盟(冷戦終結後の初の東方拡大)。
・2004年:バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアが加盟。これにより、旧ソ連領だったバルト三国がNATO圏に組み込まれる。
・2009年:アルバニアとクロアチアが加盟。
・2017年:モンテネグロが加盟。
・2020年:北マケドニアが加盟。
・2023年:フィンランドが加盟。
・2024年:スウェーデンの加盟が確定。
3. ロシアの反発とNATO拡大の影響
・ロシアは、NATOの拡大を「1990年の約束違反」と見なし、これを強く批判してきた。
特にウクライナとジョージアのNATO加盟問題は、ロシアの安全保障政策において重要な争点となった。
・2008年:NATOはブカレスト首脳会議で、ウクライナとジョージアの将来的な加盟を支持すると決定。これに対しロシアは警告を発し、同年のグルジア紛争(南オセチア戦争)が発生した。
・2014年:ロシアはクリミアを併合し、ウクライナ東部の紛争を支援。
・2022年:ロシアは「NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かす」と主張し、ウクライナへの全面侵攻を開始。
4. 結論
1990年にゴルバチョフに対して「NATOは東方へ拡大しない」との発言があったことは事実であるが、それが法的拘束力を持つ約束だったかについては見解が分かれる。
西側は「正式な条約ではない」と主張し、ロシア側は「政治的約束を破った」と非難している。
その後のNATOの拡大は、ロシアと西側の関係を決定的に悪化させ、現在のウクライナ戦争の背景にもなっている。
☞ ウクライナ危機(2014年~)は、ウクライナ国内の政治対立が国際紛争へと発展し、ロシアの軍事介入や領土併合を引き起こした一連の事件を指す。背景にはウクライナの「欧州統合」をめぐる国内分裂、ロシアの地政学的戦略、NATO拡大問題が絡んでいる。以下に経緯と要点を説明する。
背景:ウクライナの東西分裂
1.文化的・歴史的要因
・西部:カトリック圏、ウクライナ語主体、欧州統合志向が強い。
・東部・南部:正教圏、ロシア語が広く使用、旧ソ連時代の産業基盤があり親露的。
2.政治対立
・2004年「オレンジ革命」で親欧米派政権が誕生するも、2010年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が当選。
2014年危機の直接的な発端
1.ユーロマイダン革命(2013-2014年)
・ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定締結を突然中止し、ロシアとの関係強化を選択。
・これに抗議する親欧米派市民が首都キーウ(キエフ)で大規模デモ(ユーロマイダン)を展開。
・2014年2月、治安部隊との衝突で100人以上が死亡し、ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命。
2.クリミア併合(2014年3月)
・ロシアが「クリミア半島のロシア系住民保護」を名目に軍事介入。
・住民投票(国際的に非承認)を実施し、クリミアを「ロシア編入」と宣言。
・ウクライナは領土主権侵害として非難。欧米は対ロ制裁を発動。
3.ドンバス戦争(2014年~)
・東部ドネツク・ルハンスク州で親露派武装勢力が「独立」を宣言し、ウクライナ政府軍と衝突。
・ロシアが武装勢力を支援(武器供与・義勇兵派遣)とされるが、ロシアは関与を否定。
・2014-2015年の「ミンスク合意」で停戦が試みられるも、紛争は膠着状態に。
ロシアの主張と動機
1.地政学的懸念
・ウクライナのNATO加盟を「国境への脅威」とみなし、阻止を目的とした。
・クリミアのセヴァストポリ港はロシア黒海艦隊の重要基地。
2.歴史的・文化的理由
・「ウクライナはロシアの一部」とするナラティブ(プーチン大統領の論文で強調)。
・ロシア語話者保護を名目に介入を正当化。
3.国内政治
・2012年反政府デモ以降、プーチン政権が「愛国主義」を強調する必要性。
国際社会の反応
1.欧米の対応
・ロシアに対し経済制裁(エネルギー・金融・個人資産凍結)。
・ウクライナに軍事・経済支援を継続。
2.ロシアの反発
・制裁を「西側の内政干渉」と非難。
・中国・インドなど非西側諸国の中立的立場が目立つ。
3.国際法違反の指摘
・国連総会でクリミア併合を「無効」とする決議(2014年3月、賛成100カ国)。
2022年全面侵攻への展開
・2022年2月、プーチン大統領がウクライナ東部の「独立承認」を宣言。
・ロシア軍が全面侵攻を開始し、戦争が長期化。NATO加盟国への武器供給やロシアのエネルギー戦略が国際経済を揺るがす。
核心的な争点
1.ウクライナの主権 vs ロシアの勢力圏維持
・ウクライナが「欧州統合」か「ロシア圏」かをめぐる代理戦争の様相。
2.NATO拡大問題
・ロシアは「1990年代の米国の約束違反(NATO不拡大)」を主張。
・西側は「各国の主権的選択」を尊重すると反論。
3.エネルギー戦略
・ウクライナ経由の天然ガスパイプライン(例:ノルドストリーム)をめぐる対立。
現在の状況(2023年時点)
・ウクライナ東部・南部の一部がロシア実効支配下。
・欧米の対露制裁は継続も、エネルギー価格高騰で欧州が打撃。
・和平交渉の糸口は見えず、戦争の長期化が懸念される。
ウクライナ危機は、冷戦後の欧州秩序の再編をめぐる対立が顕在化した事件である。ロシアの行動は「大国の勢力圏維持」という19世紀的な地政学と、21世紀の国際法・主権尊重の原則が衝突する構図を示している。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
NATO Expansion: What Gorbachev Heard NATIONAL SECURITY ARCGIVE 40 YEARS OF FREEDOM OF INFORMATION ACTION
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2017-12-12/nato-expansion-what-gorbachev-heard-western-leaders-early#_edn16