【桃源閑話】NATO拡大とロシアの反応 ― 2025年02月09日 15:13
【桃源閑話】NATO拡大とロシアの反応
【概要】
ロシアのウクライナ侵攻を理解するために必要な歴史的文書や研究をまとめたものだ。特にNATO拡大、プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に焦点を当てている。以下に重要なポイントを整理する。
1. NATO拡大とロシアの反応
ソ連崩壊後、西側が旧ソ連諸国やワルシャワ条約機構の加盟国をNATOに迎え入れる動きを見せたことが、ロシアの強い反発を招いた。
国家安全保障アーカイブ(National Security Archive)が公開した文書によれば、ミハイル・ゴルバチョフとボリス・エリツィンは、NATO拡大に対する懸念を繰り返し表明していた。
1994年の「ブダペスト覚書」では、ウクライナが核兵器を放棄する見返りとして、ロシア、米国、英国から安全保障の保証を受けたが、2014年のクリミア併合でロシアがこれを無視した。
2. プーチンの台頭
1999年の年末、エリツィンは突然辞任し、ウラジーミル・プーチンを暫定大統領に指名した。
当時の米大統領ビル・クリントンとのやり取りの記録から、米国はプーチンの政治手法を懸念しつつも、当初は彼との協力を模索していたことがわかる。
第二次チェチェン戦争(1999–2000年)やロシア国内での爆破事件が、プーチンの権力掌握を強化する要因となった。
3. ロシアのサイバー戦術
2008年のグルジア紛争では、ロシアは軍事攻撃と並行してサイバー攻撃を実施し、グルジア政府のウェブサイトを麻痺させた。
2015年と2016年には、ロシアのハッカーがウクライナの電力網を標的にし、停電を引き起こした。
NATOは2016年の「サイバー防衛誓約」によって、ロシアのサイバー脅威への対応を強化した。
まとめ
この資料は、ウクライナ侵攻の背景を歴史的・戦略的に理解するために重要な情報を提供している。NATO拡大とロシアの反発、プーチンの権力掌握、サイバー戦争の進化といった要素が、現在の戦争の根底にあることがわかる。
【詳細】
この資料は、ロシアによるウクライナ侵攻の歴史的背景や関連する重要文書を収集し、分析することを目的としたものである。特に、NATOの拡大に関する外交文書、ウラジーミル・プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に関する資料が含まれている。
ロシアのウクライナ侵攻の背景
2022年2月24日、ロシア軍はウクライナへの全面侵攻を開始した。これは数か月にわたる国境付近での軍備増強と、ロシアとウクライナ、またロシアと西側諸国との間での交渉の失敗を経て実行されたものである。本資料は、こうした状況を理解するための重要な歴史資料を提供している。
主要な資料
1. NATO拡大とロシアの対応
ロシア政府は、NATOが東方に拡大しないという約束を西側諸国が破ったと主張している。この主張の真偽を検証するため、国家安全保障アーカイブは、米国やロシアで機密解除された外交文書を分析している。
・「NATO拡大: ゴルバチョフが聞いたこと」(2017年12月12日公開)
・「NATO拡大: エリツィンが聞いたこと」(2018年3月16日公開)
・「NATO拡大: 1994年のブダペスト会議」(2021年11月24日公開)
これらの文書によれば、NATO側の指導者は口頭で「NATOを東方に拡大しない」と発言していたが、正式な条約や合意としては明文化されていなかった。
2. プーチンの台頭と権力掌握
ウラジーミル・プーチンは1999年に首相に就任し、同年末にエリツィン大統領が辞任したことで大統領代行となった。国家安全保障アーカイブの資料によれば、エリツィンはプーチンを意図的に後継者として選び、国民が彼に慣れるように戦略的に動いたとされる。
「プーチン、クリントン、そして大統領交代」(2020年11月2日公開)
クリントン大統領とエリツィンの会話記録には、エリツィンがプーチンを次期大統領にする意向を明確に示していたことが記されている。
また、プーチンが権力を強固なものとした要因の一つとして、第二次チェチェン戦争が挙げられる。1999年にロシア国内で発生した連続アパート爆破事件がチェチェン武装勢力によるものとされ、それを口実にロシア軍がチェチェンへの軍事介入を強化した。この戦争により、プーチンの「強い指導者」としてのイメージが確立された。
3. ロシアのサイバー戦術とハイブリッド戦
ロシアは過去に複数の国々に対してサイバー攻撃を仕掛けてきた。特に、2008年のロシア・ジョージア戦争におけるサイバー攻撃は、軍事作戦と連携した初の大規模なサイバー攻撃とされている。
・「バルトの亡霊: NATOのサイバー空間支援」(2021年12月6日公開)
・・NATOのサイバー防衛演習やロシアによるウクライナの電力網攻撃(2015年、2016年)を分析。
・「ロシアのサイバー攻撃の影響」(2009年公開)
・・2008年のジョージア戦争時のサイバー攻撃を詳細に分析。ロシア政府がハッカー集団を利用し、政府機関やメディアを標的とした。
ロシアのサイバー戦は、物理的な軍事攻撃と並行して情報戦や心理戦を仕掛ける「ハイブリッド戦」の一環と位置付けられている。
結論
本資料は、ロシアのウクライナ侵攻をより深く理解するために不可欠な歴史的背景を提供している。特に、NATOの拡大に関する外交記録、プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に関する詳細な分析が含まれており、現在の国際情勢を理解するための貴重な資料である。
【要点】
ロシアのウクライナ侵攻の背景と関連資料
1. NATO拡大とロシアの対応
・ロシアは「NATOが東方に拡大しない」という約束が破られたと主張。
・国家安全保障アーカイブの文書によると、NATO側は口頭で拡大しないと述べたが、正式な合意は存在せず。
・主要な外交文書
・・「NATO拡大: ゴルバチョフが聞いたこと」(2017年)
・・「NATO拡大: エリツィンが聞いたこと」(2018年)
・・「NATO拡大: 1994年のブダペスト会議」(2021年)
2. プーチンの台頭と権力掌握
・1999年、プーチンは首相に就任し、エリツィンの辞任後に大統領代行となる。
・エリツィンが意図的にプーチンを後継者として選び、政権交代を戦略的に進めた。
・主要な外交文書
・・「プーチン、クリントン、そして大統領交代」(2020年)
・・・クリントン・エリツィンの会話記録に、エリツィンがプーチンを「ロシアの未来」と述べた記録あり。
・第二次チェチェン戦争(1999年~2000年)が、プーチンの「強い指導者」イメージを確立。
3. ロシアのサイバー戦術とハイブリッド戦
・2008年のロシア・ジョージア戦争で、軍事攻撃と同時にサイバー攻撃を実施。
・ウクライナの電力網攻撃(2015年、2016年)など、ロシアのサイバー戦は情報戦と連動。
・主要な分析資料
・・「バルトの亡霊: NATOのサイバー空間支援」(2021年)
・・「ロシアのサイバー攻撃の影響」(2009年)
4. 結論
・NATO拡大、プーチンの台頭、サイバー戦がロシアの戦略の重要要素。
・ウクライナ侵攻の背景を理解するための歴史的資料として価値がある。
【参考】
☞ ブダペスト覚書
ブダペスト覚書(1994年)
1. 概要
・1994年12月5日、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシが核兵器を放棄する見返りに、安全保障を提供する覚書。
・署名国: アメリカ、イギリス、ロシア、ウクライナ(カザフスタン、ベラルーシも同様の覚書に署名)。
2. 主要内容
署名国は、以下の原則をウクライナに対して保証すると明記。
1.領土の保全と主権の尊重
・ウクライナの独立と既存国境を尊重すること。
2.武力の不使用
・ウクライナに対して武力を使用、または威嚇しないこと。
3.経済的強制の禁止
・ウクライナの政策決定に影響を与えるための経済制裁を行わないこと。
4.国連安全保障理事会への対応
・ウクライナが核兵器放棄の結果、侵略を受けた場合、適切な対応を求めること。
5.核兵器の不使用
・核兵器をウクライナに対して使用しないこと。
3. 背景と意義
・冷戦後の核軍縮の一環として締結。
・ウクライナはソ連崩壊後、世界第3位の核兵器保有国(約1,700発)だったが、NPT(核拡散防止条約)加入のため核兵器を放棄。
・西側とロシアが安全保障を保証する形で合意が成立。
4. ロシアの違反と影響
・2014年、ロシアはクリミア併合を強行し、覚書の領土保全原則を明確に違反。
・2022年、ウクライナへの全面侵攻により、武力不使用の誓約を完全に破棄。
・西側諸国は経済制裁や軍事支援を行っているが、ブダペスト覚書には具体的な「軍事的介入義務」がなく、法的拘束力も弱い。
・ウクライナ国内では「核を放棄すべきでなかった」という議論が再燃。
5. 結論
・ブダペスト覚書は冷戦後の国際秩序を支える枠組みの一つだったが、ロシアによる違反により機能不全に陥った。
・法的拘束力が弱かったため、ウクライナの安全保障を実際には保証できなかった。
・ウクライナ侵攻を受け、国際社会は「安全保障の保証」に対する信頼性を再考する必要に迫られている。
☞ 第二次チェチェン戦争(1999年 – 2009年)
1. 概要
・発生時期: 1999年8月 – 2009年4月
・戦争の当事者
・・ロシア連邦(ロシア軍、親ロシア派チェチェン政府)
・・チェチェン独立派(チェチェン武装勢力、イスラム過激派)
・結果
・・ロシアの勝利、チェチェン共和国の親ロシア派政府樹立。
・・武装勢力の散発的な抵抗は続くが、大規模な戦闘は終結。
2. 戦争の経緯
① 発端(1999年)
・第一次チェチェン戦争(1994-1996年)でロシアが敗北し、チェチェンは実質的な独立状態に。
・チェチェン内部で治安が悪化し、武装勢力や犯罪組織が横行。
・1999年8月、イスラム武装勢力が隣接するダゲスタン共和国に侵攻し、ロシア政府は軍事介入を決定。
・同年9月、モスクワなどロシア国内で爆弾テロが発生し、ロシア政府はチェチェン武装勢力を犯人と断定。
・当時の首相ウラジーミル・プーチンが強硬姿勢を取り、ロシア軍がチェチェンへ本格的な攻撃を開始。
② 主要な戦闘(1999年 – 2000年)
・1999年10月、ロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを包囲。
・2000年2月、ロシア軍がグロズヌイを制圧し、独立派政府が崩壊。
・その後、山岳地帯や村々で武装勢力との戦闘が続く。
③ ゲリラ戦とテロ(2000年 – 2009年)
独立派武装勢力はゲリラ戦や自爆テロを展開し、ロシア軍や親ロシア派政府を攻撃。
・2002年10月、モスクワ劇場占拠事件が発生(ロシア特殊部隊が強行突入し、130人以上の人質が死亡)。
・2004年9月、北オセチアのベスラン学校占拠事件が発生(300人以上の死者を出す大惨事)。
・ロシア政府は徹底的な掃討作戦を実施し、独立派の指導者を次々と殺害。
・2005年、主要指導者アスラン・マスハドフがロシア軍により殺害される。
・2006年、後継指導者シャミル・バサエフもロシア軍の作戦で死亡。
④ 終結(2009年)
・2007年、親ロシア派のラムザン・カディロフがチェチェン共和国首長に就任し、武装勢力の鎮圧を強化。
・2009年4月、ロシア政府は「対テロ作戦の終了」を宣言し、戦争終結を正式に発表。
3. 影響と結果
ロシア国内への影響
・プーチンの権力基盤が強化され、「強いロシア」を掲げる政策が加速。
・治安当局(FSBなど)の権限が拡大し、反体制派への弾圧が強化。
・チェチェン紛争を背景に、ロシア国内のイスラム過激派の台頭。
チェチェン地域への影響
・親ロシア派のカディロフ政権が成立し、ロシアの統制が強まる。
・グロズヌイなど都市部は再建されたが、弾圧と汚職が横行。
・反ロシア勢力は北コーカサス全域で武装活動を継続し、不安定な状態が続く。
4. 結論
・第二次チェチェン戦争はロシアの軍事的勝利に終わったが、武装勢力の抵抗は根絶されなかった。
・戦争の影響でロシアの権威主義化が進み、プーチン政権の強権的な統治が確立された。
・チェチェンはロシアの支配下に戻ったが、カディロフ政権の強権支配と治安部隊の弾圧により、依然として緊張が続いている。
☞ ロシア・ジョージア戦争(2008年)
1. 概要
・発生時期: 2008年8月7日 – 8月12日(5日間)
・戦争の当事者
・・ロシア連邦(ロシア軍、南オセチア・アブハジアの分離派勢力)
・・ジョージア(グルジア)(ジョージア軍)
・戦争の要因:
・・南オセチアとアブハジアの分離独立問題(両地域はジョージア領と国際的に認識されていたが、親ロシア派が独立を主張)
・・ジョージアのNATO加盟志向(ロシアはジョージアの西側接近を警戒)
・・2008年8月7日、ジョージア軍が南オセチアの州都ツヒンバリへ攻撃を開始(ロシアがこれを口実に軍事介入)
・結果
・・ロシアの圧倒的勝利、ジョージア軍の撤退
・・ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認(国際的には承認国は限られる)
2. 戦争の経緯
① 背景
・ソ連崩壊後(1991年)、ジョージアは独立を宣言したが、南オセチアとアブハジアは分離独立を主張。
・1992年–1993年、南オセチア紛争・アブハジア紛争が発生し、両地域は事実上ジョージア政府の統治下から離脱。
・ロシアは分離派を支援し、平和維持軍を派遣。
・2003年、ジョージアで「バラ革命」が発生し、親欧米派のミヘイル・サーカシビリ政権が誕生。ジョージアはNATO加盟を推進。
・ロシアはジョージアの西側接近に反発し、南オセチアとアブハジアの分離派への支援を強化。
② 開戦(2008年8月7日 – 8月8日)
・2008年8月7日夜、ジョージア軍が南オセチアの州都ツヒンバリへの攻撃を開始。
・ジョージア政府は「憲法秩序の回復」と主張し、砲撃と地上戦を実施。
・8月8日未明、ロシアが「自国民(ロシア国籍を持つ南オセチア住民)の保護」を理由に軍事介入を宣言。
・ロシア軍が南オセチアへ侵攻し、ジョージア軍と交戦開始。
③ ロシア軍の反撃(8月8日 – 8月10日)
・ロシア軍が大規模な空爆と砲撃を実施し、ツヒンバリのジョージア軍を攻撃。
・8月9日、アブハジアでも親ロシア派がジョージア軍と交戦し、ロシア軍が支援。
・ロシア軍がジョージア本土に侵攻し、ゴリ市(ジョージア中部)に進撃。
④ ジョージア軍の撤退と停戦(8月11日 – 8月12日)
・ロシア軍がジョージア本土を攻撃し、ジョージア軍は南オセチアから撤退。
・8月12日、フランスの仲介で停戦合意(メドベージェフ=サルコジ合意)が成立。
3. 戦争の影響
ロシアへの影響
・ロシアは南オセチア・アブハジアの独立を承認し、軍を駐留。
・西側諸国との関係が悪化し、NATOとロシアの対立が深まる。
・ロシア軍の近代化が加速し、その後の軍事行動(クリミア併合・ウクライナ侵攻)への布石となる。
ジョージアへの影響
・ジョージアのNATO加盟はさらに困難になり、国内の政局が不安定化。
・親欧米路線は継続されるが、軍事的にロシアに対抗する手段を失う。
・南オセチア・アブハジアの実効支配を完全に喪失。
4. 結論
・戦争はロシアの軍事的勝利に終わり、南オセチアとアブハジアはロシアの影響下に入った。
・ジョージアのNATO加盟は遠のき、ロシアは旧ソ連圏への影響力を強化。
・欧米諸国はロシアを非難したが、実質的な軍事介入は行わず、ロシアの行動を阻止できなかった。
・この戦争は、後のロシアのウクライナ侵攻(2014年クリミア併合・2022年ウクライナ戦争)にもつながる重要な転換点となった。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
Weekend Read: Critical Resources on Russia’s War in Ukraine: Documents on NATO Expansion, Putin’s Rise to Power, and Russian Cyber Tactics
https://unredacted.com/2022/03/04/weekend-read-critical-resources-on-russias-war-in-ukraine-documents-on-nato-expansion-putins-rise-to-power-and-russian-cyber-tactics/
【概要】
ロシアのウクライナ侵攻を理解するために必要な歴史的文書や研究をまとめたものだ。特にNATO拡大、プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に焦点を当てている。以下に重要なポイントを整理する。
1. NATO拡大とロシアの反応
ソ連崩壊後、西側が旧ソ連諸国やワルシャワ条約機構の加盟国をNATOに迎え入れる動きを見せたことが、ロシアの強い反発を招いた。
国家安全保障アーカイブ(National Security Archive)が公開した文書によれば、ミハイル・ゴルバチョフとボリス・エリツィンは、NATO拡大に対する懸念を繰り返し表明していた。
1994年の「ブダペスト覚書」では、ウクライナが核兵器を放棄する見返りとして、ロシア、米国、英国から安全保障の保証を受けたが、2014年のクリミア併合でロシアがこれを無視した。
2. プーチンの台頭
1999年の年末、エリツィンは突然辞任し、ウラジーミル・プーチンを暫定大統領に指名した。
当時の米大統領ビル・クリントンとのやり取りの記録から、米国はプーチンの政治手法を懸念しつつも、当初は彼との協力を模索していたことがわかる。
第二次チェチェン戦争(1999–2000年)やロシア国内での爆破事件が、プーチンの権力掌握を強化する要因となった。
3. ロシアのサイバー戦術
2008年のグルジア紛争では、ロシアは軍事攻撃と並行してサイバー攻撃を実施し、グルジア政府のウェブサイトを麻痺させた。
2015年と2016年には、ロシアのハッカーがウクライナの電力網を標的にし、停電を引き起こした。
NATOは2016年の「サイバー防衛誓約」によって、ロシアのサイバー脅威への対応を強化した。
まとめ
この資料は、ウクライナ侵攻の背景を歴史的・戦略的に理解するために重要な情報を提供している。NATO拡大とロシアの反発、プーチンの権力掌握、サイバー戦争の進化といった要素が、現在の戦争の根底にあることがわかる。
【詳細】
この資料は、ロシアによるウクライナ侵攻の歴史的背景や関連する重要文書を収集し、分析することを目的としたものである。特に、NATOの拡大に関する外交文書、ウラジーミル・プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に関する資料が含まれている。
ロシアのウクライナ侵攻の背景
2022年2月24日、ロシア軍はウクライナへの全面侵攻を開始した。これは数か月にわたる国境付近での軍備増強と、ロシアとウクライナ、またロシアと西側諸国との間での交渉の失敗を経て実行されたものである。本資料は、こうした状況を理解するための重要な歴史資料を提供している。
主要な資料
1. NATO拡大とロシアの対応
ロシア政府は、NATOが東方に拡大しないという約束を西側諸国が破ったと主張している。この主張の真偽を検証するため、国家安全保障アーカイブは、米国やロシアで機密解除された外交文書を分析している。
・「NATO拡大: ゴルバチョフが聞いたこと」(2017年12月12日公開)
・「NATO拡大: エリツィンが聞いたこと」(2018年3月16日公開)
・「NATO拡大: 1994年のブダペスト会議」(2021年11月24日公開)
これらの文書によれば、NATO側の指導者は口頭で「NATOを東方に拡大しない」と発言していたが、正式な条約や合意としては明文化されていなかった。
2. プーチンの台頭と権力掌握
ウラジーミル・プーチンは1999年に首相に就任し、同年末にエリツィン大統領が辞任したことで大統領代行となった。国家安全保障アーカイブの資料によれば、エリツィンはプーチンを意図的に後継者として選び、国民が彼に慣れるように戦略的に動いたとされる。
「プーチン、クリントン、そして大統領交代」(2020年11月2日公開)
クリントン大統領とエリツィンの会話記録には、エリツィンがプーチンを次期大統領にする意向を明確に示していたことが記されている。
また、プーチンが権力を強固なものとした要因の一つとして、第二次チェチェン戦争が挙げられる。1999年にロシア国内で発生した連続アパート爆破事件がチェチェン武装勢力によるものとされ、それを口実にロシア軍がチェチェンへの軍事介入を強化した。この戦争により、プーチンの「強い指導者」としてのイメージが確立された。
3. ロシアのサイバー戦術とハイブリッド戦
ロシアは過去に複数の国々に対してサイバー攻撃を仕掛けてきた。特に、2008年のロシア・ジョージア戦争におけるサイバー攻撃は、軍事作戦と連携した初の大規模なサイバー攻撃とされている。
・「バルトの亡霊: NATOのサイバー空間支援」(2021年12月6日公開)
・・NATOのサイバー防衛演習やロシアによるウクライナの電力網攻撃(2015年、2016年)を分析。
・「ロシアのサイバー攻撃の影響」(2009年公開)
・・2008年のジョージア戦争時のサイバー攻撃を詳細に分析。ロシア政府がハッカー集団を利用し、政府機関やメディアを標的とした。
ロシアのサイバー戦は、物理的な軍事攻撃と並行して情報戦や心理戦を仕掛ける「ハイブリッド戦」の一環と位置付けられている。
結論
本資料は、ロシアのウクライナ侵攻をより深く理解するために不可欠な歴史的背景を提供している。特に、NATOの拡大に関する外交記録、プーチンの台頭、ロシアのサイバー戦術に関する詳細な分析が含まれており、現在の国際情勢を理解するための貴重な資料である。
【要点】
ロシアのウクライナ侵攻の背景と関連資料
1. NATO拡大とロシアの対応
・ロシアは「NATOが東方に拡大しない」という約束が破られたと主張。
・国家安全保障アーカイブの文書によると、NATO側は口頭で拡大しないと述べたが、正式な合意は存在せず。
・主要な外交文書
・・「NATO拡大: ゴルバチョフが聞いたこと」(2017年)
・・「NATO拡大: エリツィンが聞いたこと」(2018年)
・・「NATO拡大: 1994年のブダペスト会議」(2021年)
2. プーチンの台頭と権力掌握
・1999年、プーチンは首相に就任し、エリツィンの辞任後に大統領代行となる。
・エリツィンが意図的にプーチンを後継者として選び、政権交代を戦略的に進めた。
・主要な外交文書
・・「プーチン、クリントン、そして大統領交代」(2020年)
・・・クリントン・エリツィンの会話記録に、エリツィンがプーチンを「ロシアの未来」と述べた記録あり。
・第二次チェチェン戦争(1999年~2000年)が、プーチンの「強い指導者」イメージを確立。
3. ロシアのサイバー戦術とハイブリッド戦
・2008年のロシア・ジョージア戦争で、軍事攻撃と同時にサイバー攻撃を実施。
・ウクライナの電力網攻撃(2015年、2016年)など、ロシアのサイバー戦は情報戦と連動。
・主要な分析資料
・・「バルトの亡霊: NATOのサイバー空間支援」(2021年)
・・「ロシアのサイバー攻撃の影響」(2009年)
4. 結論
・NATO拡大、プーチンの台頭、サイバー戦がロシアの戦略の重要要素。
・ウクライナ侵攻の背景を理解するための歴史的資料として価値がある。
【参考】
☞ ブダペスト覚書
ブダペスト覚書(1994年)
1. 概要
・1994年12月5日、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシが核兵器を放棄する見返りに、安全保障を提供する覚書。
・署名国: アメリカ、イギリス、ロシア、ウクライナ(カザフスタン、ベラルーシも同様の覚書に署名)。
2. 主要内容
署名国は、以下の原則をウクライナに対して保証すると明記。
1.領土の保全と主権の尊重
・ウクライナの独立と既存国境を尊重すること。
2.武力の不使用
・ウクライナに対して武力を使用、または威嚇しないこと。
3.経済的強制の禁止
・ウクライナの政策決定に影響を与えるための経済制裁を行わないこと。
4.国連安全保障理事会への対応
・ウクライナが核兵器放棄の結果、侵略を受けた場合、適切な対応を求めること。
5.核兵器の不使用
・核兵器をウクライナに対して使用しないこと。
3. 背景と意義
・冷戦後の核軍縮の一環として締結。
・ウクライナはソ連崩壊後、世界第3位の核兵器保有国(約1,700発)だったが、NPT(核拡散防止条約)加入のため核兵器を放棄。
・西側とロシアが安全保障を保証する形で合意が成立。
4. ロシアの違反と影響
・2014年、ロシアはクリミア併合を強行し、覚書の領土保全原則を明確に違反。
・2022年、ウクライナへの全面侵攻により、武力不使用の誓約を完全に破棄。
・西側諸国は経済制裁や軍事支援を行っているが、ブダペスト覚書には具体的な「軍事的介入義務」がなく、法的拘束力も弱い。
・ウクライナ国内では「核を放棄すべきでなかった」という議論が再燃。
5. 結論
・ブダペスト覚書は冷戦後の国際秩序を支える枠組みの一つだったが、ロシアによる違反により機能不全に陥った。
・法的拘束力が弱かったため、ウクライナの安全保障を実際には保証できなかった。
・ウクライナ侵攻を受け、国際社会は「安全保障の保証」に対する信頼性を再考する必要に迫られている。
☞ 第二次チェチェン戦争(1999年 – 2009年)
1. 概要
・発生時期: 1999年8月 – 2009年4月
・戦争の当事者
・・ロシア連邦(ロシア軍、親ロシア派チェチェン政府)
・・チェチェン独立派(チェチェン武装勢力、イスラム過激派)
・結果
・・ロシアの勝利、チェチェン共和国の親ロシア派政府樹立。
・・武装勢力の散発的な抵抗は続くが、大規模な戦闘は終結。
2. 戦争の経緯
① 発端(1999年)
・第一次チェチェン戦争(1994-1996年)でロシアが敗北し、チェチェンは実質的な独立状態に。
・チェチェン内部で治安が悪化し、武装勢力や犯罪組織が横行。
・1999年8月、イスラム武装勢力が隣接するダゲスタン共和国に侵攻し、ロシア政府は軍事介入を決定。
・同年9月、モスクワなどロシア国内で爆弾テロが発生し、ロシア政府はチェチェン武装勢力を犯人と断定。
・当時の首相ウラジーミル・プーチンが強硬姿勢を取り、ロシア軍がチェチェンへ本格的な攻撃を開始。
② 主要な戦闘(1999年 – 2000年)
・1999年10月、ロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを包囲。
・2000年2月、ロシア軍がグロズヌイを制圧し、独立派政府が崩壊。
・その後、山岳地帯や村々で武装勢力との戦闘が続く。
③ ゲリラ戦とテロ(2000年 – 2009年)
独立派武装勢力はゲリラ戦や自爆テロを展開し、ロシア軍や親ロシア派政府を攻撃。
・2002年10月、モスクワ劇場占拠事件が発生(ロシア特殊部隊が強行突入し、130人以上の人質が死亡)。
・2004年9月、北オセチアのベスラン学校占拠事件が発生(300人以上の死者を出す大惨事)。
・ロシア政府は徹底的な掃討作戦を実施し、独立派の指導者を次々と殺害。
・2005年、主要指導者アスラン・マスハドフがロシア軍により殺害される。
・2006年、後継指導者シャミル・バサエフもロシア軍の作戦で死亡。
④ 終結(2009年)
・2007年、親ロシア派のラムザン・カディロフがチェチェン共和国首長に就任し、武装勢力の鎮圧を強化。
・2009年4月、ロシア政府は「対テロ作戦の終了」を宣言し、戦争終結を正式に発表。
3. 影響と結果
ロシア国内への影響
・プーチンの権力基盤が強化され、「強いロシア」を掲げる政策が加速。
・治安当局(FSBなど)の権限が拡大し、反体制派への弾圧が強化。
・チェチェン紛争を背景に、ロシア国内のイスラム過激派の台頭。
チェチェン地域への影響
・親ロシア派のカディロフ政権が成立し、ロシアの統制が強まる。
・グロズヌイなど都市部は再建されたが、弾圧と汚職が横行。
・反ロシア勢力は北コーカサス全域で武装活動を継続し、不安定な状態が続く。
4. 結論
・第二次チェチェン戦争はロシアの軍事的勝利に終わったが、武装勢力の抵抗は根絶されなかった。
・戦争の影響でロシアの権威主義化が進み、プーチン政権の強権的な統治が確立された。
・チェチェンはロシアの支配下に戻ったが、カディロフ政権の強権支配と治安部隊の弾圧により、依然として緊張が続いている。
☞ ロシア・ジョージア戦争(2008年)
1. 概要
・発生時期: 2008年8月7日 – 8月12日(5日間)
・戦争の当事者
・・ロシア連邦(ロシア軍、南オセチア・アブハジアの分離派勢力)
・・ジョージア(グルジア)(ジョージア軍)
・戦争の要因:
・・南オセチアとアブハジアの分離独立問題(両地域はジョージア領と国際的に認識されていたが、親ロシア派が独立を主張)
・・ジョージアのNATO加盟志向(ロシアはジョージアの西側接近を警戒)
・・2008年8月7日、ジョージア軍が南オセチアの州都ツヒンバリへ攻撃を開始(ロシアがこれを口実に軍事介入)
・結果
・・ロシアの圧倒的勝利、ジョージア軍の撤退
・・ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認(国際的には承認国は限られる)
2. 戦争の経緯
① 背景
・ソ連崩壊後(1991年)、ジョージアは独立を宣言したが、南オセチアとアブハジアは分離独立を主張。
・1992年–1993年、南オセチア紛争・アブハジア紛争が発生し、両地域は事実上ジョージア政府の統治下から離脱。
・ロシアは分離派を支援し、平和維持軍を派遣。
・2003年、ジョージアで「バラ革命」が発生し、親欧米派のミヘイル・サーカシビリ政権が誕生。ジョージアはNATO加盟を推進。
・ロシアはジョージアの西側接近に反発し、南オセチアとアブハジアの分離派への支援を強化。
② 開戦(2008年8月7日 – 8月8日)
・2008年8月7日夜、ジョージア軍が南オセチアの州都ツヒンバリへの攻撃を開始。
・ジョージア政府は「憲法秩序の回復」と主張し、砲撃と地上戦を実施。
・8月8日未明、ロシアが「自国民(ロシア国籍を持つ南オセチア住民)の保護」を理由に軍事介入を宣言。
・ロシア軍が南オセチアへ侵攻し、ジョージア軍と交戦開始。
③ ロシア軍の反撃(8月8日 – 8月10日)
・ロシア軍が大規模な空爆と砲撃を実施し、ツヒンバリのジョージア軍を攻撃。
・8月9日、アブハジアでも親ロシア派がジョージア軍と交戦し、ロシア軍が支援。
・ロシア軍がジョージア本土に侵攻し、ゴリ市(ジョージア中部)に進撃。
④ ジョージア軍の撤退と停戦(8月11日 – 8月12日)
・ロシア軍がジョージア本土を攻撃し、ジョージア軍は南オセチアから撤退。
・8月12日、フランスの仲介で停戦合意(メドベージェフ=サルコジ合意)が成立。
3. 戦争の影響
ロシアへの影響
・ロシアは南オセチア・アブハジアの独立を承認し、軍を駐留。
・西側諸国との関係が悪化し、NATOとロシアの対立が深まる。
・ロシア軍の近代化が加速し、その後の軍事行動(クリミア併合・ウクライナ侵攻)への布石となる。
ジョージアへの影響
・ジョージアのNATO加盟はさらに困難になり、国内の政局が不安定化。
・親欧米路線は継続されるが、軍事的にロシアに対抗する手段を失う。
・南オセチア・アブハジアの実効支配を完全に喪失。
4. 結論
・戦争はロシアの軍事的勝利に終わり、南オセチアとアブハジアはロシアの影響下に入った。
・ジョージアのNATO加盟は遠のき、ロシアは旧ソ連圏への影響力を強化。
・欧米諸国はロシアを非難したが、実質的な軍事介入は行わず、ロシアの行動を阻止できなかった。
・この戦争は、後のロシアのウクライナ侵攻(2014年クリミア併合・2022年ウクライナ戦争)にもつながる重要な転換点となった。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
Weekend Read: Critical Resources on Russia’s War in Ukraine: Documents on NATO Expansion, Putin’s Rise to Power, and Russian Cyber Tactics
https://unredacted.com/2022/03/04/weekend-read-critical-resources-on-russias-war-in-ukraine-documents-on-nato-expansion-putins-rise-to-power-and-russian-cyber-tactics/