遺骨の埋葬をめぐるドイツ国内外での記憶と歴史に関する議論が再燃 ― 2025年05月09日 21:36
【概要】
第二次世界大戦終結から80年が経過した2025年5月現在、ドイツ兵の遺骨が各地で発見され続けており、それに伴い、遺骨の埋葬をめぐるドイツ国内外での記憶と歴史に関する議論が再燃している。
2019年、フランス中部の町メイマックで、元レジスタンスの戦闘員エドモン・ルヴェイユ(当時95歳)が、第二次大戦中の1944年6月、自らが所属していた小規模なレジスタンス部隊が、ドイツ兵47人と協力者と見なされたフランス人女性1人を処刑した事実を公表した。この証言を受け、メイマック市長はフランス退役軍人庁(ONaCVG)およびドイツ戦没者墓地委員会(Volksbund)に通報し、調査が開始された。新型コロナウイルスによる中断を経て、2023年8月に本格的な捜索が始まったが、最終的に2024年10月に終了し、遺骨は発見されなかった。
Volksbundは1919年に設立され、ナチス政権下では国防軍の墓地業務を引き継ぎ、1954年からはドイツ政府の委託を受けて戦没者の「尊厳ある埋葬」を行っている。第一次・第二次世界大戦で死亡または行方不明となったドイツ人に関して、年間2万件を超える問い合わせが寄せられており、同委員会はこれに応じて各地で遺骨の捜索・収容を行っている。
2023年には、ポーランドでナチスのヘルメットを掘り出した夫婦の敷地から、ドイツ兵8人と民間人120人の遺骨が発見された。ウクライナでも2022年にキーウ近郊で2名のドイツ兵の遺骨が発見されたほか、2023年には西部の村で41名のドイツ兵の遺骨が収容された。
しかし、Volksbundの活動は一部で批判の的となっている。戦没したドイツ兵に対する「尊厳ある埋葬」が、戦争被害者と加害者を同列に扱うものではないかとの懸念がある。元Volksbund会長のマルクス・メッケルも、「どのようにすれば兵士たちを称えることなく悼むことができるのか」と語り、複雑な問題であることを認めている。
特に近年、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」がVolksbundの活動を強く支持しており、2024年10月には同党のアリス・ヴァイデル党首が、政府に対し同委員会へのさらなる資金支援を要請している。2025年2月にはAfDが連邦議会選挙で第2党に浮上し、その支持基盤の拡大が議論に影響を与えている。
ドイツ国内では、Volksbundに対する評価は一様ではないものの、多くの政党がその作業に一定の理解を示しているとされる。ケンブリッジ大学のドイツ現代史専門家ダレン・オバーンは、「Volksbundの活動は日常的で控えめなものであり、国内では大きな議論の対象にはなっていない」と述べる一方、「極右勢力に利用されるリスクはある」とも指摘する。
また、第二次大戦を経験した当事者が減少するなかで、歴史的記憶の継承の在り方が問われている。レジスタンスの英雄像を揺るがしかねないルヴェイユの告白も、一部からは「記憶を傷つける」として批判されたが、彼自身は「我々に選択肢があったのか」と問いかけ、重い沈黙を破った。
歴史と記憶の衝突、そしてそれらの再構築は今なお進行中であり、Volksbundの活動はその最前線にある。オバーンは「第三帝国の記憶が生きた体験として消えた後、残るのは歴史のみである。我々はそこから何を学び取るかを交渉し続けなければならない」と語っている。
【詳細】
ナチス・ドイツの兵士の遺骨発掘と埋葬に関する現代ドイツの記憶文化と政治的対立をめぐる問題を扱っている。特に、過去の戦争犯罪や被害者との関係、そして「誰が追悼されるべきか」という倫理的問題に焦点が当てられている。以下、主要な論点を詳述する。
1. 遺骨発掘の背景:戦後80年を経ても続く作業
第二次世界大戦の終結から80年が経過しても、ドイツ兵の遺骨はヨーロッパ各地で発見され続けている。記事では、フランス・メイマックで1944年にレジスタンスが捕虜とした47人のドイツ兵と1人のフランス人女性を処刑し、地元の丘に埋めたという証言が2019年に明らかになり、調査が始まった事例が紹介されている。
同様の例はポーランドやウクライナなどでも報告されており、ドイツ戦没者墓地管理委員会(Volksbund)が関与している。彼らは第一次・第二次世界大戦の犠牲者を対象に「名誉ある埋葬(dignified burial)」を目指して活動している。
2. Volksbundと「記憶の政治」
Volksbund(ドイツ戦没者墓地管理委員会)は1919年に設立され、ナチス政権下では政府に取り込まれたが、戦後は再編され1954年に公式に政府から任命された。今日でも年間2万件以上の遺族からの問い合わせを受け付けている。
しかし、この「名誉ある埋葬」という活動自体が「ナチス兵士の美化」や「加害者と被害者の同列化」という批判を招いている。
たとえば、以下のような問いが投げかけられている。
・「加害者だった兵士を丁重に弔うことは、戦争被害者に対してどのようなメッセージを送ることになるのか?」
・「追悼とは、英雄視を含意するのか?」
Volksbundの元会長マルクス・メッケルも、「どのように悼み、記憶するかは、彼らを称えることにならないよう注意が必要だ」と述べている。
3. 政治的対立:AfD(ドイツのための選択肢)と記憶文化
2024年の選挙で極右政党AfDは第2党に躍進し、Volksbundへの財政支援強化を公然と求めている。AfDは「戦後の謝罪文化を終わらせるべき」と主張し、ベルリンのホロコースト記念碑を「恥の記念碑」と呼ぶなど、ナチズムの過去に対する姿勢を大きく転換しようとしている。
歴史学者ダレン・オバインによれば、VolksbundはAfDよりもはるか以前から存在するが、その活動が「愛国的記憶文化」と結びつき、政治的に利用される危険があるという。特に国外(英米など)では、ナチスを「道徳的コンパスの北」と見なしており、ナチス兵士の埋葬に対して強い反発を抱く文化的背景がある。
4. 「記憶」と「歴史」の対立
「記憶(memory)」と「歴史(history)」の間にある緊張も強調されている。たとえば、メイマックで処刑に関与した元レジスタンスのエドモン・レヴェイユが2019年に口を開いたことで、かつて英雄視されてきたフランス国内のレジスタンスの「暗い一面」が明るみに出た。
地元では「レジスタンスの名誉を傷つけた」と非難されたが、オバインは「彼は歴史を提供したが、批判者たちは記憶を守ろうとした」と指摘している。つまり、「記憶」はしばしば国家や個人のアイデンティティと結びつき、都合の悪い事実は抑圧されがちである。
5. 「誰に埋葬の権利があるのか?」という根源的な問い
核心は、歴史が忘却と謝罪の間で揺れるなか、「誰が追悼されるべきか」という道徳的な問いである。
・ナチスに従軍していた兵士にも「人間としての尊厳ある死」は保障されるべきか?
・それが被害者遺族や記憶文化に与える影響はどう考慮すべきか?
オバインは最後にこう述べている:「我々生きている者が、歴史から何を学び、どのように未来へ継承するかを決める時代に来ている」と。
【要点】
1. 遺骨発掘の現状
・第二次世界大戦から80年経た現在も、欧州各地でドイツ兵の遺骨が発見されている。
・フランス・メイマックでは1944年にレジスタンスが捕虜にしたドイツ兵47人を処刑・埋葬していたことが2019年に判明。
・ドイツ戦没者墓地管理委員会(Volksbund)が調査・発掘・再埋葬を行っている。
2. Volksbundの役割と歴史
・Volksbundは1919年設立、戦後は政府公認団体として活動。
・旧ドイツ兵の「名誉ある埋葬(dignified burial)」を使命とする。
・年間2万件以上の問い合わせを受け、国外でも活動を展開。
3. 記憶文化と倫理的論争
・「加害者」であるナチス兵士を丁重に弔うことに対して、批判がある。
・「追悼は称賛ではない」としつつも、被害者への配慮が求められる。
・加害者と被害者を同列に扱うことへの懸念が根強い。
4. 政治的利用とAfDの関与
・極右政党AfDがVolksbundへの支援を積極的に訴え、政治的に利用しようとしている。
・AfDは「戦後の謝罪文化」を終わらせるべきと主張し、歴史修正主義的な傾向を強めている。
・「ホロコースト記念碑を恥の象徴」と批判するなど、記憶文化への挑戦を示している。
5. 記憶(memory)と歴史(history)の対立
・フランスではレジスタンスが犯した戦争犯罪の証言が英雄像と衝突。
・地元住民は「レジスタンスの名誉を傷つけた」と批判。
・歴史的事実の提示が、「記憶」による感情的抵抗に遭う。
6. 誰を追悼すべきか?という根本問題
・ナチス兵士にも埋葬の権利があるのかという道徳的・社会的論争。
・「記憶の継承」と「歴史の清算」は必ずしも一致しない。
・遺骨の処遇は、過去との向き合い方を示す象徴的行為。
【桃源寸評】
この問題は単なる埋葬の是非ではなく、国家の記憶、歴史教育、政治的アイデンティティが交錯する複雑な領域であり、「記憶の再交渉」が今まさに行われている局面である。記憶文化の分岐点にあるドイツ社会を象徴的に描いた長文記事である。
1. 歴史的・倫理的視点:「加害者の追悼」は何を意味するか
・加害者であっても死者には敬意を払うべきという人道的原則
⇨戦場に送られた兵士の多くは、個人の意思ではなく国家命令に従っていた。
⇨この視点では、彼らもまた「国家の犠牲者」と見なされうる。
・だが、被害者や遺族にとっては「痛みの記憶」
⇨加害の側に立った者を弔う行為は、加害の責任を曖昧にし、歴史の相対化と受け取られる可能性がある。
2. 「怨讐を超えて」──和解の文化の必要性
・戦後ドイツでは、「加害の記憶」と「和解」の両立を模索してきた
⇨ユダヤ人虐殺を含むナチスの戦争犯罪を認めた上で、犠牲者と向き合い続けている。
⇨そのうえで、兵士もまた「戦争に動員された存在」として捉え、全ての戦没者を悼む。
・「全てが国家の犠牲者である」という思想の下での弔い
⇨加害・被害の区別を消すのではなく、国家暴力の被害者として全ての死を位置づける。
⇨これは「忘却」ではなく「記憶の再定義」に近い。
3. そのうえで「ならばどうするのか」という視点
・記憶の主体を誰に置くのかが問われる
⇨被害者中心の追悼を維持しつつ、加害者側にも「過ちを犯した者」としての弔いの形を模索。
⇨例えば、記念碑や墓地に「反省と教訓」の文脈を明記する。
・追悼の形にバランスと責任を組み込む必要
⇨無批判な称揚ではなく、「記憶文化の成熟」としての追悼へ。
⇨加害者を「人間」として悼むことと、歴史的責任を曖昧にしないことは両立できる。
・つまり、「怨讐を超える」とは罪の責任を消すことではなく、その痛みを記憶しつつ、個人の尊厳と人道の理念に立脚することであり、それが「ならばどうするのか」という実践的倫理の出発点となる。
【寸評 完】
【引用・参照・底本】
German burials of Nazi remains stir controversy over national memory
FRANCE24 2025.05.08
https://www.france24.com/en/europe/20250508-german-burials-of-nazi-remains-stir-controversy-over-national-memory?utm_medium=email&utm_campaign=newsletter&utm_source=f24-nl-info-en&utm_email_send_date=%2020250508&utm_email_recipient=263407&utm_email_link=contenus&_ope=eyJndWlkIjoiYWU3N2I1MjkzZWQ3MzhmMjFlZjM2YzdkNjFmNTNiNWEifQ%3D%3D
第二次世界大戦終結から80年が経過した2025年5月現在、ドイツ兵の遺骨が各地で発見され続けており、それに伴い、遺骨の埋葬をめぐるドイツ国内外での記憶と歴史に関する議論が再燃している。
2019年、フランス中部の町メイマックで、元レジスタンスの戦闘員エドモン・ルヴェイユ(当時95歳)が、第二次大戦中の1944年6月、自らが所属していた小規模なレジスタンス部隊が、ドイツ兵47人と協力者と見なされたフランス人女性1人を処刑した事実を公表した。この証言を受け、メイマック市長はフランス退役軍人庁(ONaCVG)およびドイツ戦没者墓地委員会(Volksbund)に通報し、調査が開始された。新型コロナウイルスによる中断を経て、2023年8月に本格的な捜索が始まったが、最終的に2024年10月に終了し、遺骨は発見されなかった。
Volksbundは1919年に設立され、ナチス政権下では国防軍の墓地業務を引き継ぎ、1954年からはドイツ政府の委託を受けて戦没者の「尊厳ある埋葬」を行っている。第一次・第二次世界大戦で死亡または行方不明となったドイツ人に関して、年間2万件を超える問い合わせが寄せられており、同委員会はこれに応じて各地で遺骨の捜索・収容を行っている。
2023年には、ポーランドでナチスのヘルメットを掘り出した夫婦の敷地から、ドイツ兵8人と民間人120人の遺骨が発見された。ウクライナでも2022年にキーウ近郊で2名のドイツ兵の遺骨が発見されたほか、2023年には西部の村で41名のドイツ兵の遺骨が収容された。
しかし、Volksbundの活動は一部で批判の的となっている。戦没したドイツ兵に対する「尊厳ある埋葬」が、戦争被害者と加害者を同列に扱うものではないかとの懸念がある。元Volksbund会長のマルクス・メッケルも、「どのようにすれば兵士たちを称えることなく悼むことができるのか」と語り、複雑な問題であることを認めている。
特に近年、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」がVolksbundの活動を強く支持しており、2024年10月には同党のアリス・ヴァイデル党首が、政府に対し同委員会へのさらなる資金支援を要請している。2025年2月にはAfDが連邦議会選挙で第2党に浮上し、その支持基盤の拡大が議論に影響を与えている。
ドイツ国内では、Volksbundに対する評価は一様ではないものの、多くの政党がその作業に一定の理解を示しているとされる。ケンブリッジ大学のドイツ現代史専門家ダレン・オバーンは、「Volksbundの活動は日常的で控えめなものであり、国内では大きな議論の対象にはなっていない」と述べる一方、「極右勢力に利用されるリスクはある」とも指摘する。
また、第二次大戦を経験した当事者が減少するなかで、歴史的記憶の継承の在り方が問われている。レジスタンスの英雄像を揺るがしかねないルヴェイユの告白も、一部からは「記憶を傷つける」として批判されたが、彼自身は「我々に選択肢があったのか」と問いかけ、重い沈黙を破った。
歴史と記憶の衝突、そしてそれらの再構築は今なお進行中であり、Volksbundの活動はその最前線にある。オバーンは「第三帝国の記憶が生きた体験として消えた後、残るのは歴史のみである。我々はそこから何を学び取るかを交渉し続けなければならない」と語っている。
【詳細】
ナチス・ドイツの兵士の遺骨発掘と埋葬に関する現代ドイツの記憶文化と政治的対立をめぐる問題を扱っている。特に、過去の戦争犯罪や被害者との関係、そして「誰が追悼されるべきか」という倫理的問題に焦点が当てられている。以下、主要な論点を詳述する。
1. 遺骨発掘の背景:戦後80年を経ても続く作業
第二次世界大戦の終結から80年が経過しても、ドイツ兵の遺骨はヨーロッパ各地で発見され続けている。記事では、フランス・メイマックで1944年にレジスタンスが捕虜とした47人のドイツ兵と1人のフランス人女性を処刑し、地元の丘に埋めたという証言が2019年に明らかになり、調査が始まった事例が紹介されている。
同様の例はポーランドやウクライナなどでも報告されており、ドイツ戦没者墓地管理委員会(Volksbund)が関与している。彼らは第一次・第二次世界大戦の犠牲者を対象に「名誉ある埋葬(dignified burial)」を目指して活動している。
2. Volksbundと「記憶の政治」
Volksbund(ドイツ戦没者墓地管理委員会)は1919年に設立され、ナチス政権下では政府に取り込まれたが、戦後は再編され1954年に公式に政府から任命された。今日でも年間2万件以上の遺族からの問い合わせを受け付けている。
しかし、この「名誉ある埋葬」という活動自体が「ナチス兵士の美化」や「加害者と被害者の同列化」という批判を招いている。
たとえば、以下のような問いが投げかけられている。
・「加害者だった兵士を丁重に弔うことは、戦争被害者に対してどのようなメッセージを送ることになるのか?」
・「追悼とは、英雄視を含意するのか?」
Volksbundの元会長マルクス・メッケルも、「どのように悼み、記憶するかは、彼らを称えることにならないよう注意が必要だ」と述べている。
3. 政治的対立:AfD(ドイツのための選択肢)と記憶文化
2024年の選挙で極右政党AfDは第2党に躍進し、Volksbundへの財政支援強化を公然と求めている。AfDは「戦後の謝罪文化を終わらせるべき」と主張し、ベルリンのホロコースト記念碑を「恥の記念碑」と呼ぶなど、ナチズムの過去に対する姿勢を大きく転換しようとしている。
歴史学者ダレン・オバインによれば、VolksbundはAfDよりもはるか以前から存在するが、その活動が「愛国的記憶文化」と結びつき、政治的に利用される危険があるという。特に国外(英米など)では、ナチスを「道徳的コンパスの北」と見なしており、ナチス兵士の埋葬に対して強い反発を抱く文化的背景がある。
4. 「記憶」と「歴史」の対立
「記憶(memory)」と「歴史(history)」の間にある緊張も強調されている。たとえば、メイマックで処刑に関与した元レジスタンスのエドモン・レヴェイユが2019年に口を開いたことで、かつて英雄視されてきたフランス国内のレジスタンスの「暗い一面」が明るみに出た。
地元では「レジスタンスの名誉を傷つけた」と非難されたが、オバインは「彼は歴史を提供したが、批判者たちは記憶を守ろうとした」と指摘している。つまり、「記憶」はしばしば国家や個人のアイデンティティと結びつき、都合の悪い事実は抑圧されがちである。
5. 「誰に埋葬の権利があるのか?」という根源的な問い
核心は、歴史が忘却と謝罪の間で揺れるなか、「誰が追悼されるべきか」という道徳的な問いである。
・ナチスに従軍していた兵士にも「人間としての尊厳ある死」は保障されるべきか?
・それが被害者遺族や記憶文化に与える影響はどう考慮すべきか?
オバインは最後にこう述べている:「我々生きている者が、歴史から何を学び、どのように未来へ継承するかを決める時代に来ている」と。
【要点】
1. 遺骨発掘の現状
・第二次世界大戦から80年経た現在も、欧州各地でドイツ兵の遺骨が発見されている。
・フランス・メイマックでは1944年にレジスタンスが捕虜にしたドイツ兵47人を処刑・埋葬していたことが2019年に判明。
・ドイツ戦没者墓地管理委員会(Volksbund)が調査・発掘・再埋葬を行っている。
2. Volksbundの役割と歴史
・Volksbundは1919年設立、戦後は政府公認団体として活動。
・旧ドイツ兵の「名誉ある埋葬(dignified burial)」を使命とする。
・年間2万件以上の問い合わせを受け、国外でも活動を展開。
3. 記憶文化と倫理的論争
・「加害者」であるナチス兵士を丁重に弔うことに対して、批判がある。
・「追悼は称賛ではない」としつつも、被害者への配慮が求められる。
・加害者と被害者を同列に扱うことへの懸念が根強い。
4. 政治的利用とAfDの関与
・極右政党AfDがVolksbundへの支援を積極的に訴え、政治的に利用しようとしている。
・AfDは「戦後の謝罪文化」を終わらせるべきと主張し、歴史修正主義的な傾向を強めている。
・「ホロコースト記念碑を恥の象徴」と批判するなど、記憶文化への挑戦を示している。
5. 記憶(memory)と歴史(history)の対立
・フランスではレジスタンスが犯した戦争犯罪の証言が英雄像と衝突。
・地元住民は「レジスタンスの名誉を傷つけた」と批判。
・歴史的事実の提示が、「記憶」による感情的抵抗に遭う。
6. 誰を追悼すべきか?という根本問題
・ナチス兵士にも埋葬の権利があるのかという道徳的・社会的論争。
・「記憶の継承」と「歴史の清算」は必ずしも一致しない。
・遺骨の処遇は、過去との向き合い方を示す象徴的行為。
【桃源寸評】
この問題は単なる埋葬の是非ではなく、国家の記憶、歴史教育、政治的アイデンティティが交錯する複雑な領域であり、「記憶の再交渉」が今まさに行われている局面である。記憶文化の分岐点にあるドイツ社会を象徴的に描いた長文記事である。
1. 歴史的・倫理的視点:「加害者の追悼」は何を意味するか
・加害者であっても死者には敬意を払うべきという人道的原則
⇨戦場に送られた兵士の多くは、個人の意思ではなく国家命令に従っていた。
⇨この視点では、彼らもまた「国家の犠牲者」と見なされうる。
・だが、被害者や遺族にとっては「痛みの記憶」
⇨加害の側に立った者を弔う行為は、加害の責任を曖昧にし、歴史の相対化と受け取られる可能性がある。
2. 「怨讐を超えて」──和解の文化の必要性
・戦後ドイツでは、「加害の記憶」と「和解」の両立を模索してきた
⇨ユダヤ人虐殺を含むナチスの戦争犯罪を認めた上で、犠牲者と向き合い続けている。
⇨そのうえで、兵士もまた「戦争に動員された存在」として捉え、全ての戦没者を悼む。
・「全てが国家の犠牲者である」という思想の下での弔い
⇨加害・被害の区別を消すのではなく、国家暴力の被害者として全ての死を位置づける。
⇨これは「忘却」ではなく「記憶の再定義」に近い。
3. そのうえで「ならばどうするのか」という視点
・記憶の主体を誰に置くのかが問われる
⇨被害者中心の追悼を維持しつつ、加害者側にも「過ちを犯した者」としての弔いの形を模索。
⇨例えば、記念碑や墓地に「反省と教訓」の文脈を明記する。
・追悼の形にバランスと責任を組み込む必要
⇨無批判な称揚ではなく、「記憶文化の成熟」としての追悼へ。
⇨加害者を「人間」として悼むことと、歴史的責任を曖昧にしないことは両立できる。
・つまり、「怨讐を超える」とは罪の責任を消すことではなく、その痛みを記憶しつつ、個人の尊厳と人道の理念に立脚することであり、それが「ならばどうするのか」という実践的倫理の出発点となる。
【寸評 完】
【引用・参照・底本】
German burials of Nazi remains stir controversy over national memory
FRANCE24 2025.05.08
https://www.france24.com/en/europe/20250508-german-burials-of-nazi-remains-stir-controversy-over-national-memory?utm_medium=email&utm_campaign=newsletter&utm_source=f24-nl-info-en&utm_email_send_date=%2020250508&utm_email_recipient=263407&utm_email_link=contenus&_ope=eyJndWlkIjoiYWU3N2I1MjkzZWQ3MzhmMjFlZjM2YzdkNjFmNTNiNWEifQ%3D%3D