【桃源閑話】冷戦から「冷たい平和」へ ― 2025年02月10日 16:54
【桃源閑話】冷戦から「冷たい平和」へ
参照:
【桃源閑話】「ブダペストの爆発」
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753491
【桃源閑話】ロシア:排除ではなく包摂
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753485
【桃源閑話】NATO拡大: エリツィンが聞いたこと
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753435
【桃源閑話】NATO拡大とロシアの反応
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753409
【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/08/9753187
【概要】
この文書群は、1994年における米ロ関係の核心的な問題、特にNATO拡大とロシアの懸念を巡る対話を詳細に記録したものとなっている。イエリツィンは一貫して「米ロパートナーシップ」を強調し、NATO拡大が欧州の新たな分断を招くと警告した。一方で、クリントン政権は「パートナーシップ」を維持しつつ、拡大方針を徐々に推し進める戦略を採っていた。特に1994年末にかけて、双方の見解の相違が明確になり、ロシア側の不信感が増大していく様子がうかがえる。
各文書は、NATO拡大を巡る米ロの駆け引き、相互不信の深化、国内政治の影響、双方のリーダーシップの限界を克明に記録している。
【要約】
Doc 01
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年6月28日)
G7ナポリサミット前夜、イエリツィンは米ロのパートナーシップとG7からG8への移行におけるロシアの役割を強調した。ロシアを「政治的なG8」の正式メンバーと見なし、米ロ協力が国際安全保障におけるG8の実効性を高めると主張した。具体的な協力分野としてボスニア紛争、欧州安全保障、平和維持活動、不拡散、北朝鮮問題を挙げた。欧州安全保障に関しては、CSCE(欧州安全保障協力機構)を基盤としつつ、EU、NATO、CIS(独立国家共同体)などの既存機構を統合する新たなモデルを提案。NATO以外の枠組みを模索する姿勢が示された。イエリツィンは「米ロパートナーシップが世界政治の中心」との認識を明確にした。
Doc 02
クリントンとイエリツィンの電話会談記録(1994年7月5日)
クリントンはポーランド・バルト三国訪問前にイエリツィンと電話協議。NATO拡大への懸念を和らげるため、「NATOの役割は将来的に拡大する」と述べつつ、具体的なタイムテーブルは提示せず、「平和のためのパートナーシップ(PFP)」を優先する方針を強調。イエリツィンは1993年10月のクリストファー国務長官との会談と同様の内容(PFPをNATO拡大の代替とする)と受け止めた。クリントンは「パートナーシップ」の成功を評価したが、両者の「パートナーシップ」解釈の隔たりが顕在化。
Doc 03
タルボットからクリストファー国務長官・レイク大統領補佐官へのメモ(1994年9月27日)
ワシントンサミット前夜、タルボットはロシア外務次官マメドフとの協議を基にイエリツィン対応策を提案。マメドフは「米ロの国内政治が相互に悪影響を与えるリスク」を懸念。NATO拡大に関し、ロシアを「欧州新秩序構築の主要参加者」と位置付け、対立ではなく「統合」を強調するよう助言。ロシアへの共感と優越感が混在した内容で、米側の戦略的意図が透ける。
Doc 04
クリントンとイエリツィンの会談記録(1994年9月28日)
ワシントンサミット2日目、クリントンはマメドフ=タルボット案に沿ってNATO拡大を説明。「ロシアの加盟を排除しない」「NATO拡大は反露ではない」「数年の準備期間が必要」と繰り返し、ドイツのリューエ国防相(露のNATO加盟に反対)よりペリー国防長官の姿勢を評価するようイエリツィンを誘導。イエリツィンは「ペリーはリューエより賢明だ」と応じた。
Doc 05
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年11月2日)
CSCEブダペストサミット前、イエリツィンは「平等に基づく戦略的パートナーシップ」の重要性を再確認。NATO拡大を巡る「不協和音」に言及し、相互信頼と相手の立場を尊重する必要性を強調。ウクライナへの安全保障保証文書への署名意思を表明し、ブダペストでの会談で「欧州安定構造の変革」を議論する意向を示した。
Doc 06
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年11月28日)
NATOブルッセル会合前、クリントンは「ワシントンでの合意を厳守」と再保証。NATO拡大の議論が「加盟基準の共通理解策定」段階であることを説明し、「欧州全体の安全強化」が目的で「特定国を標的としない」と強調。ウクライナの非核化進展を受け、同国を含む安全保障「保証(assurances)」提供を表明(露の求める「保証(guarantees)」とは異なる表現)。
Doc 07
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年11月30日)
NATOブルッセル会合前日、イエリツィンは「CSCEの強化」と「NATO拡大の急進展が欧州分断を招く」との懸念を明確化。NATO拡大の早期スケジュール(1995年中の加盟交渉開始)が「新たな分断の始まり」と解釈されると警告。ワシントン会談での「パートナーシップ段階優先」「ロシアの意見無視しない」という合意を再確認するよう求めた。
Doc 08
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月2日)
NATOブルッセル会合で「拡大要件の1995年内研究」が決定した後、コズイレフ外相がPFP文書署名を拒否した事態を受け、クリントンは「合意違反ではない」と釈明。「驚きと失望」を表明しつつ、「相互信頼維持」を訴える。しかしロシア側はNATO拡大優先の姿勢を強く感じ取っていた。
Doc 09
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年12月3日)
NATOコミュニケを「合意違反」と断言。「拡大よりパートナーシップを優先」する具体的保証と「露への安全保障義務」に関する対話を要求。NATO拡大は「パートナーシップを通じた変革後の新NATO」でのみ容認されるとの立場を明文化。米側代表団はこの警告を軽視した。
Doc 10
ピッカリング大使から国務長官への電報(1994年12月6日)
ピッカリング大使はコズイレフ・イエリツィンの反応を分析。NATO拡大へのロシア全政党の反対、米の二重基準(西側と露への説明の違い)、コズイレフの国内政治的脆弱性を指摘。ゴア副大統領のモスクワ訪問で「1996年露大統領選前のNATO決定延期」「2000年まで新規加盟無し」を保証するよう提言。
Doc 11
ピッカリング大使の追加電報(1994年12月6日)
マメドフ外務次官との協議を基に、ゴア訪露時の具体的対応策を提案。クリントンがイエリツィンに「1996年6月まで決定せず、2000年まで加盟実施無し」と書面で保証する必要性を強調。NATO問題の「修復可能な軌道」への復帰を目指す。
Doc 12
バーンズからタルボットへのメモ(1994年12月6日)
ブダペスト後のクリントンの怒りを伝達。イエリツィンの「公的批判」に不快感を示しつつも「露の正当な懸念への配慮」必要性を認識。タルボットのマメドフ・チャネルへの疑念(コズイレフの動向を予測できなかった)が表明される。
Doc 13
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月12日)
宥和的姿勢を示しつつ、ピッカリング案の具体性は回避。「CSCE強化」「WTO加盟」「G7参加」など西側統合を展望。NATO拡大を「欧州分断なき統合」の文脈で位置付け、非公開対話を要請。「約束を厳守」と繰り返すが、ロシア側の懸念に直接応える内容ではない。
Doc 14
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月24日)
ゴア訪露成功を受けた書簡。「パートナーシップ」を強調し、NATO拡大が「漸進的・透明なプロセス」であると再保証。ただし国防総省では「1996年後の急速な拡大方針」が進行中との矛盾(文書末尾の注記)。
Doc 15
タルボットから国務長官への極秘メモ(1995年4月8日)
コズイレフ外相との会食内容を報告。チェチェン問題に触れずNATO拡大に集中。コズイレフは「PFPは拡大で台無し」「軍産複合体の怒り」「国内リベラル派の不理解」を指摘。1993年クリストファー訪露時の「PFP=拡大代替」という誤解が根源と分析。書面保証を要請するイエリツィン書簡が進行中と伝える。
Doc 16
タルボットから大統領へのメモ(1995年4月15日)
モスクワサミット前の戦略分析。NATO拡大と露関係の両立困難を認識しつつ「拡大は露の協力如何に関わらず推進」と明言。イエリツィンが「サミット成功と西側統合」を重視する心理を利用し、PFP署名を促すよう助言。「防御的なロシアは危険」との欧州の懸念を反映。
Doc 17
クリストファー国務長官とコズイレフ外相の会談記録(1995年4月26日)
PFP早期署名を迫るクリストファーに対し、コズイレフは「NATO拡大レトリックが障害」と反論。ポーランドのワレサ大統領の急進的発言を懸念。PFP推進の苦労を訴えつつ、合意に至らない膠着状態を示す。
Doc 18
クリントンとイエリツィンのモスクワ会談記録(1995年5月10日)
第二次大戦勝利50周年式典中の会談。イエリツィンはNATO拡大を「新たな包囲網」「国民への裏切り」と激しく批判。クリントンは「米の欧州関与継続」「露のG7参加・COCOM後体制」を取引材料に提示。選挙事情を赤裸々に交換(イエリツィンの支持率低迷、クリントンの中西部有権者配慮)。暫定合意として「1996年選挙終了まで決定延期」「PFP5月末までに署名」「露の反NATOレトリック自制」で妥協。
【引用・参照・底本】
NATO Expansion – The Budapest Blow Up 1994 NATINAL SECURITY ARCHIVE
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/nato-75-russia-programs/2021-11-24/nato-expansion-budapest-blow-1994
参照:
【桃源閑話】「ブダペストの爆発」
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753491
【桃源閑話】ロシア:排除ではなく包摂
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753485
【桃源閑話】NATO拡大: エリツィンが聞いたこと
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753435
【桃源閑話】NATO拡大とロシアの反応
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/09/9753409
【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2025/02/08/9753187
【概要】
この文書群は、1994年における米ロ関係の核心的な問題、特にNATO拡大とロシアの懸念を巡る対話を詳細に記録したものとなっている。イエリツィンは一貫して「米ロパートナーシップ」を強調し、NATO拡大が欧州の新たな分断を招くと警告した。一方で、クリントン政権は「パートナーシップ」を維持しつつ、拡大方針を徐々に推し進める戦略を採っていた。特に1994年末にかけて、双方の見解の相違が明確になり、ロシア側の不信感が増大していく様子がうかがえる。
各文書は、NATO拡大を巡る米ロの駆け引き、相互不信の深化、国内政治の影響、双方のリーダーシップの限界を克明に記録している。
【要約】
Doc 01
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年6月28日)
G7ナポリサミット前夜、イエリツィンは米ロのパートナーシップとG7からG8への移行におけるロシアの役割を強調した。ロシアを「政治的なG8」の正式メンバーと見なし、米ロ協力が国際安全保障におけるG8の実効性を高めると主張した。具体的な協力分野としてボスニア紛争、欧州安全保障、平和維持活動、不拡散、北朝鮮問題を挙げた。欧州安全保障に関しては、CSCE(欧州安全保障協力機構)を基盤としつつ、EU、NATO、CIS(独立国家共同体)などの既存機構を統合する新たなモデルを提案。NATO以外の枠組みを模索する姿勢が示された。イエリツィンは「米ロパートナーシップが世界政治の中心」との認識を明確にした。
Doc 02
クリントンとイエリツィンの電話会談記録(1994年7月5日)
クリントンはポーランド・バルト三国訪問前にイエリツィンと電話協議。NATO拡大への懸念を和らげるため、「NATOの役割は将来的に拡大する」と述べつつ、具体的なタイムテーブルは提示せず、「平和のためのパートナーシップ(PFP)」を優先する方針を強調。イエリツィンは1993年10月のクリストファー国務長官との会談と同様の内容(PFPをNATO拡大の代替とする)と受け止めた。クリントンは「パートナーシップ」の成功を評価したが、両者の「パートナーシップ」解釈の隔たりが顕在化。
Doc 03
タルボットからクリストファー国務長官・レイク大統領補佐官へのメモ(1994年9月27日)
ワシントンサミット前夜、タルボットはロシア外務次官マメドフとの協議を基にイエリツィン対応策を提案。マメドフは「米ロの国内政治が相互に悪影響を与えるリスク」を懸念。NATO拡大に関し、ロシアを「欧州新秩序構築の主要参加者」と位置付け、対立ではなく「統合」を強調するよう助言。ロシアへの共感と優越感が混在した内容で、米側の戦略的意図が透ける。
Doc 04
クリントンとイエリツィンの会談記録(1994年9月28日)
ワシントンサミット2日目、クリントンはマメドフ=タルボット案に沿ってNATO拡大を説明。「ロシアの加盟を排除しない」「NATO拡大は反露ではない」「数年の準備期間が必要」と繰り返し、ドイツのリューエ国防相(露のNATO加盟に反対)よりペリー国防長官の姿勢を評価するようイエリツィンを誘導。イエリツィンは「ペリーはリューエより賢明だ」と応じた。
Doc 05
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年11月2日)
CSCEブダペストサミット前、イエリツィンは「平等に基づく戦略的パートナーシップ」の重要性を再確認。NATO拡大を巡る「不協和音」に言及し、相互信頼と相手の立場を尊重する必要性を強調。ウクライナへの安全保障保証文書への署名意思を表明し、ブダペストでの会談で「欧州安定構造の変革」を議論する意向を示した。
Doc 06
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年11月28日)
NATOブルッセル会合前、クリントンは「ワシントンでの合意を厳守」と再保証。NATO拡大の議論が「加盟基準の共通理解策定」段階であることを説明し、「欧州全体の安全強化」が目的で「特定国を標的としない」と強調。ウクライナの非核化進展を受け、同国を含む安全保障「保証(assurances)」提供を表明(露の求める「保証(guarantees)」とは異なる表現)。
Doc 07
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年11月30日)
NATOブルッセル会合前日、イエリツィンは「CSCEの強化」と「NATO拡大の急進展が欧州分断を招く」との懸念を明確化。NATO拡大の早期スケジュール(1995年中の加盟交渉開始)が「新たな分断の始まり」と解釈されると警告。ワシントン会談での「パートナーシップ段階優先」「ロシアの意見無視しない」という合意を再確認するよう求めた。
Doc 08
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月2日)
NATOブルッセル会合で「拡大要件の1995年内研究」が決定した後、コズイレフ外相がPFP文書署名を拒否した事態を受け、クリントンは「合意違反ではない」と釈明。「驚きと失望」を表明しつつ、「相互信頼維持」を訴える。しかしロシア側はNATO拡大優先の姿勢を強く感じ取っていた。
Doc 09
イエリツィンからクリントンへの書簡(1994年12月3日)
NATOコミュニケを「合意違反」と断言。「拡大よりパートナーシップを優先」する具体的保証と「露への安全保障義務」に関する対話を要求。NATO拡大は「パートナーシップを通じた変革後の新NATO」でのみ容認されるとの立場を明文化。米側代表団はこの警告を軽視した。
Doc 10
ピッカリング大使から国務長官への電報(1994年12月6日)
ピッカリング大使はコズイレフ・イエリツィンの反応を分析。NATO拡大へのロシア全政党の反対、米の二重基準(西側と露への説明の違い)、コズイレフの国内政治的脆弱性を指摘。ゴア副大統領のモスクワ訪問で「1996年露大統領選前のNATO決定延期」「2000年まで新規加盟無し」を保証するよう提言。
Doc 11
ピッカリング大使の追加電報(1994年12月6日)
マメドフ外務次官との協議を基に、ゴア訪露時の具体的対応策を提案。クリントンがイエリツィンに「1996年6月まで決定せず、2000年まで加盟実施無し」と書面で保証する必要性を強調。NATO問題の「修復可能な軌道」への復帰を目指す。
Doc 12
バーンズからタルボットへのメモ(1994年12月6日)
ブダペスト後のクリントンの怒りを伝達。イエリツィンの「公的批判」に不快感を示しつつも「露の正当な懸念への配慮」必要性を認識。タルボットのマメドフ・チャネルへの疑念(コズイレフの動向を予測できなかった)が表明される。
Doc 13
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月12日)
宥和的姿勢を示しつつ、ピッカリング案の具体性は回避。「CSCE強化」「WTO加盟」「G7参加」など西側統合を展望。NATO拡大を「欧州分断なき統合」の文脈で位置付け、非公開対話を要請。「約束を厳守」と繰り返すが、ロシア側の懸念に直接応える内容ではない。
Doc 14
クリントンからイエリツィンへの書簡(1994年12月24日)
ゴア訪露成功を受けた書簡。「パートナーシップ」を強調し、NATO拡大が「漸進的・透明なプロセス」であると再保証。ただし国防総省では「1996年後の急速な拡大方針」が進行中との矛盾(文書末尾の注記)。
Doc 15
タルボットから国務長官への極秘メモ(1995年4月8日)
コズイレフ外相との会食内容を報告。チェチェン問題に触れずNATO拡大に集中。コズイレフは「PFPは拡大で台無し」「軍産複合体の怒り」「国内リベラル派の不理解」を指摘。1993年クリストファー訪露時の「PFP=拡大代替」という誤解が根源と分析。書面保証を要請するイエリツィン書簡が進行中と伝える。
Doc 16
タルボットから大統領へのメモ(1995年4月15日)
モスクワサミット前の戦略分析。NATO拡大と露関係の両立困難を認識しつつ「拡大は露の協力如何に関わらず推進」と明言。イエリツィンが「サミット成功と西側統合」を重視する心理を利用し、PFP署名を促すよう助言。「防御的なロシアは危険」との欧州の懸念を反映。
Doc 17
クリストファー国務長官とコズイレフ外相の会談記録(1995年4月26日)
PFP早期署名を迫るクリストファーに対し、コズイレフは「NATO拡大レトリックが障害」と反論。ポーランドのワレサ大統領の急進的発言を懸念。PFP推進の苦労を訴えつつ、合意に至らない膠着状態を示す。
Doc 18
クリントンとイエリツィンのモスクワ会談記録(1995年5月10日)
第二次大戦勝利50周年式典中の会談。イエリツィンはNATO拡大を「新たな包囲網」「国民への裏切り」と激しく批判。クリントンは「米の欧州関与継続」「露のG7参加・COCOM後体制」を取引材料に提示。選挙事情を赤裸々に交換(イエリツィンの支持率低迷、クリントンの中西部有権者配慮)。暫定合意として「1996年選挙終了まで決定延期」「PFP5月末までに署名」「露の反NATOレトリック自制」で妥協。
【引用・参照・底本】
NATO Expansion – The Budapest Blow Up 1994 NATINAL SECURITY ARCHIVE
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/nato-75-russia-programs/2021-11-24/nato-expansion-budapest-blow-1994