科學國策論 他2022-12-08 13:51

雅邦集
 『科學の動員』 宮本武之輔 著

 (五-八頁)
 科學國策論          2022.12.08

 科學を尊重せず、これを輕視する一般的風潮は、ひとりわが國だけのことではなく、東洋諸民族の通有性である。それは正に歷史的であり、民族的である。
 そのために古來東洋には燦然たる精神文化の發達を見たに拘らず、物質文化においては西洋諸國の後塵を拜する地位に置かれた。歐米近代文化の核心をなすものは實に自然科學であり、自然科學の發達なくしては近代文化の發達も、これに立脚する國力の充實も絶對にあり得ないからである。
 西洋諸國が十七世紀から十八世紀に亙つて殆ど全世界を征服し、これを屬領し植民地化したのは何故であるか。印度の如く、或は支那の如く、西洋諸國よりも遙に古い文化を所有し、豐富なる天然資源を抱擁し、廣大なる國土と稠密なる人口とを享有する民族さへもが、西洋諸國の屬領または半植民地たるの地位に追ひ落されたのは何故であるか。
 科學に依存して國運の進展を計り、國家の興隆を策する所以を知らなかつたからである。國土が廣く、人口が多く、資源が豐富だといふだけでは、決して國家は興隆しない。印度や支那の現狀が明かにそれを立證してゐる。
 國家興隆の素因は國民の知能、特にその科學的知能でなければならないことを私は確信してゐる。科學には建設的の性格と、破壊的の性格とがあるが、現代の國家はそれら双方の性格において科學に依存することを不可避とされてゐる。國防の整備充實といひ、産業の發展振興といひ、いづれも純正科學乃至應用科學の絶大なる貢献に俟つて、始めて實現されるからである。
 近年わが國の上下において、科學振興、科學動員の要望が漸く熾烈ならんとしてゐるのは、聊か泥縄式の感じがないでもないが、國家のために慶賀すべき趨勢である。しかしながら科學振興や科學動員が戰時體制下の國家なるが故に必要であり、事變處理の直接目的達成のためだけに必要であると考へるならば、それは大變な誤謬である。
 なるほど戰時體制下の國家が科學にかける要望は極めて大きい。これをわが國の現狀にみるも、高度國防國家の建設といひ、東亞經濟ブロックにおけるアウタルキーの確立といひ、いづれも極めて廣範圍に互る科學の協力と貢獻とに俟たなければならないのは、國民の知悉する通りである。
 しかしながら近代的國防や産業乃至經濟と科學との關聯性を考へるならば、戰時と平時とを分たず科學依存の國策に徹するにあらざるかぎり、國家の興隆と國運の進展とは斷じて望み得ない。
 荷くも科學に依存するといふ以上、世界に冠絶する優秀なる日本科學の建設がその要諦でなければならない。科學日本の獨立が焦眉の急とされるのは、このためである。
 そのためには科學に對する國民の理解と認識とを強化すること、國民の科學的教養を向上させること、科學教育を刷新擴充すること、科學的研究に對する國家の保護助成を徹底させること、科學者の獻身的努力を要望すること、そのさまざまの方策が君へられる。恐らく、そのすべてに亙つてこれを具體化し、實現化する必要があることと思ふが、何を措いても肝要なことは、科學に對する國民の理解と認識とを強化し、國民の科學的教養を向上させることだと私 は思ふ。
 それがわが國の科學を發達させるための根本要件だからである。しかしながら科學は科學そのもののために必要なのではない。それならば優秀な科學者が養はれさへすれば問題は解決するわけであるが、私はそれだけでは足りないと思ふ。科學は科學者だけに必要なのではなく、國民一般に科學的な物の見方や考へ方をする習性を養はせるために是非とも必要なのである。ひとり日本民族ばかりでなく、東洋民族を通じて、民族性の科學化といふことが極めて必要なことを私は確信してゐる。
 現にわが國の計畫經濟や統制經濟が幾多の缺陷を暴露してゐるのも、電力飢饉や石炭飢饉が痛切に叫ばれてゐるのも、その根柢に科學性の貧困といふ國民性の缺陷が包藏されてゐることを看過してはならない。
 科學を尊重せず、これを輕視する東洋民族の通有性が、ここにその缺陷を暴露したのである。およそ世界の強國と呼ばれる國家の中で、日本人ほど非科學的、概念的、主觀的な國民は稀だ。民族性の中に科學的思想や習性の浸潤してゐない國民は稀だ。
 焦眉の必要に迫られて企畫院に設けられた科學審議會、科學動員委員會の如きものは、僅に貧弱な日本科學の動員を目標とするに過ぎず、日本科學の擢進を期待すべき筋のものではない。
 科學振興の國策は、科學に對する國家竝に國民の革新的認微の上に立つて、新に設定されることを絶對に必要とする。高度國防國家の建設も、東亞經濟ブロックにおけるアウタルキーの確立も、はたまたこれに立脚する新東亞の建設も、實に科學日本の獨立にその基礎を置くことを忘れてはならない。

 (九-一三頁)
 國家と科學

 國家と科學といふ課題には、本質論と方法論との双方が含まれる。本質論といふのは、國家と科學との關聯性を究明するものであり、方法論といふのは、科學に封する國家の政策を示唆するものである。
 第二次歐洲大戰における獨逸の電擊作戰の、赫々たる戰果に電撃され、眩轉されたわが國民は、それが獨逸の持つ優秀な科學の賜だと聞くに及んで、科學振興の要望を遽に強烈化するやうになつた。 
 それは少くとも國民が、科學に對して深い關心を拂ふやうになつた證據として、慶賀すべきではあるが、いまだ科學について正しい認識を持つに至つたことを立證するものではない。
 といふのは科學の本質、國家と科學との關聯性、科學振興の理念、科學振興の方策、科學と國民生活、科學と國民精神といつたやうな問題について、國家も國民もいまだ明確にして正當な認識を把持するに至つてゐない、といふのが詐らない實相だからである。科學振興に關する國家的施策なり、國民的運動なりが活溌に具體化されない理由がそこにある。
 國家と科學との關聯性についての本質論の内容を、私は國防と科學、産業と科學、生活と科學の三範疇に分けて論議するのが、最もツヴェツクメーシヒだと考へてゐる。
 國防と科學との閲係については、現在及び將來の戰爭が、極めて高度化された科學化戰であり、機械化戰であることを否定し得ないかぎり、國防が全面的に科學に依存することは、議論の餘地のないところである。この點についての國民の認識は、よし不明確なところはあるにしても、最近著しく強化されたや うに思ふ。
 ただ産業と科學との關係については、わが國民にして正確にその眞相を知るものが極めて少い。近代産業の要素は原料、科學、勞力の三に歸着する。原料資材の加工生産過程において、科學の應用が必須とせられることについては、常識として國民のすべてが、これを認識してゐるが、科學は遂にその原料資材にさへ代換されるといふことは、いまだ廣く知られてゐない。
 例へば貧鑛に科學を加へたものは富鑛に代換せられ、木材繊維に科學を加へたものは棉花に代換せられ、石炭に科學を加へたものは石油に代換せられ、石炭と石灰とに科學を加へたものは護謨に代換せられる。卽ち天然資源の利用價値は科學によつて、いかやうにも左右され得るのである。
 これ科學が物資の偏在を匡正し、資源の獨占を打破するといはれる所以である。生活と科學との關係については、後に詳論するが、およそ一國の國力はその保有する人的資源と物的資源との總和によつて決せられる。その兩者が適宜に組合はされて、能動的な形態を取つたものが、國防力であり、産業力である。
 その國防力の面においても、また産業力の面においても、ひとり物的資源のみならず、人的資源の不足と缺陷とを補填する科學の偉大なる機能を閑却し得ないかぎり、一國の國力は單にその物的資源と人的資源ばかりでなく、またその科學力に依存するといつても、決して誤つてはゐないのである。そこに國家と科學との本質的な關聯性が成立する。

 科學動員論

 (四三-四五頁)
 科學動員の理念

 科學動員といふのは、科學及び科學能力を國家目的のために徴用することである。近代戰の特徴が國家総力戰にある以上、國家總力を剰すところなく戰爭目的のために動員しなければならないのは、いふまでもない。それが國家總動 員の由來である。
 國家總力を構成する要素としては、國民の精神力、知能力、肉體力を始めとして、國家の財政力、經濟力、生産力など、およそ戰爭目的のために動員されなければならない、そしてまた戰爭目的のために動員され得るかぎりの總べての抗戰力が擧げられるが、その中でも近代戰の性格上から見て、絶對に閑却してはならないものは科學力である。
 近代戰は高度の科學化戰であり、徹底的な消耗戰であることを、その性格とする。精鋭な科學兵器を考案することと、夥しい量の軍需資材と國民生活必需資材とを供給し得る高度の生産力を具備することとを、近代戰遂行力の根幹とするのはこのためである。
 しかるにその精鋭な科學兵器の考案にしても、高度生産力の整備にしても、その根柢をなすものは實に近代科學であり、近代科學を措いて他にこの要請を充たし得るものはひとつもないといつても、決して過言ではない。科學が近代的抗戰力の最も重要な要素のひとつとされ、科學の動員なくして國家總動員なしとさへ 謂はれるのはこのためである。
 ナチス・ドイツが最初に動員しなければならないものは科學であり ,最後に動しなければならないものもまた科學であると。これは第二次歐洲戰爭の發生を豫想して、孜々として高度國防國家の建設に邁進しつつあつた際のナチスの聲明である。この聲明を一片の空文に終らしめることなく、最も忠實にこれを實践したればこそ、ドイツはあの偉大なる抗戰力を短年月の間に養ひ得たのである。
 昨年の不可能を今年は可能化し、咋日の夢想を今日は現實化し得る近代科學の偉大なる創造力こそは、平戰時を通じて國家の興隆と反族の發展との原動力たるべきものだ。優秀精強なる科學力を具備することが、國家興隆の基礎條件であると同時に、これを最も有效に活用することが、民族發展の絶對條件であらねばならないのは、佩へにこの理由に基く。そこに科學動員の理念がある。

引用・参照・底本

『科學の動員』 宮本武之輔 著 昭和十六年十月四日發行 改造社

(国立国会図書館デジタルコレクション)