【桃源閑話】NATOの拡大:イェルツィンが聞いたこと2024年09月12日 16:26

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【桃源閑話

【概要】

 背景と文書の概要

 1993年、アメリカとロシアの間での交渉では、アメリカの高官がロシアのボリス・イェルツィン大統領に対して、パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)がNATO拡大の代わりであると信じ込ませようとしていたことが、最近公開された文書から明らかになった。これらの文書は、アメリカがイェルツィンに対してNATO拡大の計画があることを知らせていなかったこと、そして「排除ではなく包含」を強調していたことを示している。

 1993年の会話と誤解

 1993年10月22日の会話では、アメリカの国務長官ウォーレン・クリストファーがイェルツィンに対して、パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)はロシアを含む全ヨーロッパの国々を対象とするものであり、NATOのメンバーリストを作成するものではないと説明した。イェルツィンはこれに対して「これは天才的だ!」と応じた。しかし、クリストファーはその後、自分の説明がイェルツィンに誤解されたと主張し、イェルツィンが酔っ払っていたか、単に誤解していたのではないかと考えた。

 ロシアの反対とアメリカの計画

 ロシアの文書は、1991年の夏にイェルツィンの支持者がNATOの拡大に対する反対を表明し、1996年にはほぼ全てのダウマ(国会)議員が反NATOの議連に参加したことを示している。1993年8月、イェルツィンはワルシャワでNATO拡大の可能性に言及したが、その後、ロシア内での議論が活発化した。イェルツィンは、NATOの拡大がロシアを新たな対立の線の向こう側に押しやると懸念し、代わりに包括的なヨーロッパの安全保障システムを提唱した。

 拡大に対するアメリカの対応とロシアの反応

 1994年1月、クリントン大統領はイェルツィンにPFPが「実際のものであり、NATOメンバーシップへ向かう道である」と説明した。しかし、ロシア側は新たなアメリカの外交官がNATO拡大の議論を加速させていると受け取り、1994年11月にはイェルツィンがクリントンに対してNATOの拡大に対する不満を表明した。

 1995年5月、クリントンとイェルツィンの会談では、イェルツィンがNATO拡大をロシアに対する「屈辱」として反対し、クリントンは「徐々に、計画的に」拡大を進めると説明した。最終的には、NATO拡大は1996年の選挙後に行うことが合意された。

 イェルツィンの反応とアメリカの対応

 1995年6月、クリントンとイェルツィンのハリファックスでの会談では、イェルツィンがPFPへの参加に同意したが、NATOの迅速な拡大には反対した。イェルツィンは、NATOが政治的な組織に進化すべきであると述べた。

 ロシア側の文書からは、NATOの拡大がロシアの安全保障を脅かし、ヨーロッパの包括的な安全保障の考えを損なうといった反対が広がっていたことが示されている。これに対して、アメリカは拡大を進める一方で、ロシアに対しては誠実に包括的な安全保障を提供しようとしていたことが明らかになっている。

 この説明は、NATO拡大に関する1990年代のロシアとアメリカのやり取りの概要を示している。

【詳細】

 背景

 1990年代初頭、冷戦終結後のヨーロッパにおいて、NATO(北大西洋条約機構)の拡大問題は重要な外交的議題となった。特にロシアとアメリカの関係において、NATO拡大がどのように取り扱われたかが大きな関心事であった。公開された文書によると、アメリカとロシアの間での対話は、NATO拡大の意図とその実施時期に関する誤解や対立を含んでいた。

 1993年の交渉

 1993年10月22日、アメリカの国務長官ウォーレン・クリストファーがロシアのボリス・イェルツィン大統領に対して、パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)を紹介した。PFPは、NATOのメンバー国でないヨーロッパ諸国と協力するためのプログラムであり、NATOの拡大に対する代替案として提示された。クリストファーは、PFPが「すべてのヨーロッパ諸国を含むものであり、NATOのメンバーシップを新たに設けるものではない」と説明した。

 イェルツィンはこの説明を「天才的だ!」と賞賛したが、クリストファーの回顧録では、イェルツィンが誤解していた可能性があると述べられている。実際には、アメリカ側はPFPがNATO拡大への道筋であると考えていたことが後に明らかになった。

 ロシアの反応

 イェルツィンの演説や書簡から、ロシアがNATO拡大に対して強い反対の意志を示していたことが分かる。特に1993年8月、イェルツィンはワルシャワでの演説でNATO拡大の可能性に言及し、その後ロシア国内での議論を引き起こした。イェルツィンは、NATO拡大がロシアを新たな対立の線の向こう側に押しやると懸念し、より包括的なヨーロッパの安全保障システムを提案した。

 1993年9月15日、イェルツィンはクリントン大統領に対して、NATO拡大が「ロシアの孤立」を招くと警告し、より広範なヨーロッパ安全保障システムの必要性を強調した。

 アメリカの対応

 アメリカ側は、NATO拡大がロシアに対して敵対的ではなく、ヨーロッパの安全保障の統一と統合を目指していると繰り返し説明した。1994年1月、クリントン大統領はPFPが「本物であり、NATOメンバーシップへの道である」と述べたが、ロシア側は拡大の議論が進んでいると認識した。

 1994年11月、イェルツィンはクリントンに対してNATO拡大に関する不満を表明し、NATOの拡大がロシアの安全保障に対する脅威であると主張した。アメリカは、拡大を迅速に進めるのではなく、慎重かつ計画的に進めると約束した。

 1995年の合意とその後

 1995年5月、クリントンとイェルツィンの会談では、イェルツィンがNATO拡大を「ロシアに対する屈辱」として反対し、クリントンは「段階的で計画的な拡大」を強調した。両国のリーダーは、拡大の実施を1996年の選挙後に延期することで合意した。

 1995年6月、クリントンとイェルツィンのハリファックスでの会談では、イェルツィンがPFPへの参加に同意したが、NATO拡大の速度には依然として反対の姿勢を示した。イェルツィンは、NATOが政治的な組織に進化するべきだと主張した。

 ロシアの安全保障への影響

 公開された文書や内部メモからは、NATO拡大がロシアの安全保障に対する脅威と見なされていたこと、そしてイェルツィンがNATO拡大をロシアの「屈辱」として受け止めたことが分かる。また、拡大がヨーロッパの包括的な安全保障システムの理念を損なうと考えられていたことも明らかである。

 アメリカ側は、NATO拡大がロシアの安全保障を脅かすものではなく、ヨーロッパの統一と安全保障の強化を目的としていると説明し続けたが、ロシア側の反対や懸念が完全に解消されることはなかった。

 この説明は、NATO拡大に関するアメリカとロシアの交渉の詳細を示しており、特にボリス・イェルツィン大統領の反応とアメリカ側の対応に焦点を当てている。

【要点】

 NATO拡大とボリス・イェルツィン

 1.背景

 ・冷戦終結後、NATOの拡大問題が重要な外交議題に。
 ・アメリカとロシアの間でNATO拡大の意図と実施に関する対話が行われた。

 2.1993年10月22日

 ・アメリカ国務長官ウォーレン・クリストファーがPFP(パートナーシップ・フォー・ピース)をロシアに紹介。
 ・PFPはNATOメンバー国でないヨーロッパ諸国との協力プログラムとして提案される。

 3.イェルツィンの反応

 ・イェルツィン大統領はPFPを「天才的」と賞賛。
 ・クリストファーの回顧録では、イェルツィンが誤解していた可能性が示唆されている。

 4.1993年8月

 ・イェルツィンがワルシャワでの演説でNATO拡大に言及し、国内で議論を引き起こす。

 5.1993年9月15日

 ・イェルツィンがクリントン大統領に対し、NATO拡大が「ロシアの孤立」を招くと警告。

 6.アメリカの対応

 ・アメリカはNATO拡大がロシアに対して敵対的でないと説明。
 ・1994年1月、クリントン大統領がPFPが「本物であり、NATOメンバーシップへの道である」と述べる。

 7.1994年11月

 ・イェルツィンがNATO拡大に対する不満をクリントンに表明。
 ・アメリカは拡大を慎重かつ計画的に進めると約束。

 8.1995年5月

 ・クリントンとイェルツィンが会談し、拡大の実施を1996年選挙後に延期することで合意。

 9.1995年6月

 ・ハリファックスでの会談でイェルツィンがPFPへの参加に同意。
 ・イェルツィンはNATO拡大の速度に依然として反対。

 10.ロシアの安全保障への影響

 ・NATO拡大がロシアの安全保障に対する脅威と見なされる。
 ・イェルツィンが拡大を「ロシアの屈辱」として受け止め、より包括的な安全保障システムを提案。

 このように、NATO拡大に関するアメリカとロシアの交渉は複雑で、イェルツィンの反応とアメリカの対応には多くの対話と調整が含まれていた。

【参考】

 ☞ パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)について、以下の点を詳しく説明する。

 パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)の概要

 1.目的と概要

 ・設立背景: 1994年1月、NATOの新しい戦略的枠組みとして提案された。
 ・目的: ヨーロッパと北大西洋地域の国々との安全保障協力を促進し、NATOの新しいメンバーを迎える前段階として機能する。

 2.主要な特徴

 ・協力関係: PFPはNATO加盟国でないヨーロッパ諸国と協力し、共通の安全保障問題に対処するプログラム。
 ・内容: 軍事演習、訓練、平和維持活動などを通じた協力が含まれる。
 ・選択の自由: 各国は参加するプログラムや活動を自主的に選択できる。

 3.イェルツィンとの関係

 ・初期の誤解: 1993年、ロシアのボリス・イェルツィン大統領は、PFPをNATO拡大の代替策と認識し、誤解を抱いた可能性がある。
 ・アメリカの説明: アメリカ側はPFPが包括的であり、NATOメンバーシップへの前段階ではなく、全てのヨーロッパ諸国との協力を意図していると説明。

 4.進展と変化

 ・1995年: イェルツィンはPFPへの参加に同意。NATO拡大に対する不満は残っていたが、PFPを通じて協力関係を築く姿勢を示す。
 ・後の展開: PFPは、NATO拡大の進行に伴い、より広範なパートナーシップの枠組みとして継続。

 5.現在の状況

 ・PFPの役割: 現在もNATOのパートナーシップの一環として、非加盟国との協力を深化させるための重要な枠組みである。
 ・国際的な影響: PFPは、NATOの外部の国々と協力し、地域の安全保障を強化する手段として機能している。
 ・PFPは、冷戦後のヨーロッパの安全保障環境を再構築するための重要なステップであり、NATOと非加盟国との関係を強化するための基盤となっている。

 ☞ ロシアのパートナーシップ・フォー・ピース(PFP)への参加についての情報は以下の通り。

 ロシアのPFP参加の事実

 ・参加時期: ロシアは1994年1月にパートナーシップ・フォー・ピース(PFP)に加盟した。PFPはNATOと非加盟国の間の協力の枠組みであり、ロシアもその一員として参加した。

現在(2024年)の状況

 ・現在の参加状況: ロシアは2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻後、NATOとの関係が急速に悪化した。その結果、NATOはロシアとの関係を大幅に制限した。2022年2月24日の侵攻後、NATOはロシアのPFPメンバーシップの中断を発表し、ロシアの活動はほぼ停止状態にある。
 ・現在の状況: 現在(2024年)では、ロシアは公式にはPFPのメンバーシップを保持しているものの、実際にはNATOとの協力はほとんど行われていない状態である。ロシアとの関係は冷え込み、PFPの枠組み内での協力活動は事実上行われていない。

 要約すると、ロシアは一時的にPFPに参加していたが、現在は実質的にその活動が停止しており、NATOとの関係は非常に緊張している。

 ☞ ロシアがパートナーシップ・フォー・ピース(PFP)に参加した場合、米国がその後のNATO拡大についてどのように対応するかについては複雑な問題である。以下の点を考慮する必要がる。

 PFPの意義とロシアの参加

 1.PFPの目的

 ・協力の枠組み: PFPは、NATOと非加盟国の間での協力を促進する枠組みであり、NATOのメンバーシップを保証するものではない。目的は、共同訓練、軍事協力、そして安全保障の対話を深めることである。

 2.ロシアのPFP参加

 ・1994年の加入: ロシアは1994年にPFPに参加した。これは、ロシアとNATOの関係を改善し、協力の機会を提供するための重要なステップと見なされた。
 ・ロシアの期待: ロシアはPFPに参加することで、NATOの拡大が進む中でもロシア自身が欧州安全保障の一部として認識されることを期待していた。

 米国の対応とPFP参加

 1.NATO拡大との関係

 ・拡大の意図: 米国およびNATOの主要メンバー国は、PFPの枠組み内でのロシアの参加を歓迎したが、PFPがNATOの拡大に対する具体的な制限や保証を提供するものではないと認識していた。PFPは、NATOの正式なメンバーシップを提供するものではなく、協力の枠組みである。
 ・拡大の継続: そのため、ロシアがPFPに参加しても、米国やNATOがNATOの拡大計画を停止するわけではなかった。NATOの拡大は引き続き進行し、ポーランド、ハンガリー、チェコ共和国などの加盟が行われた。

 2.ロシアの反応

 ・不満の表明: ロシアはPFP参加後も、NATOの拡大に対して懸念を示し続けた。ロシアは、PFPへの参加がNATO拡大の「遮蔽」であると感じ、その結果として、NATO拡大を否定的に受け取っていた。

 結論として、ロシアがPFPに参加しても、米国とNATOはPFPを拡大の制限としてではなく、協力の枠組みとして位置づけていた。NATO拡大の計画はPFPの加入とは独立して進行し、ロシアの期待には応えられなかったというのが実情である。

 ☞ パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)はNATO(北大西洋条約機構)が主管している。PFPはNATOの枠組みの一部として設立され、NATO加盟国と非加盟国の間で協力と対話を促進することを目的としている。PFPの主な役割は、参加国との関係を強化し、共同の安全保障問題に取り組むことである。

 具体的には、PFPの活動やプログラムはNATOの指導の下で運営され、NATO本部がその管理を行う。各参加国はPFPのプログラムに参加し、NATOとの協力を深めることができるが、PFPの枠組みや活動の管理・運営はNATOが行っている。

 ☞ NATOの拡大の実施が1996年の選挙後に延期されたのは、アメリカ合衆国とロシアの両方の大統領選挙を指している。

 背景

 1.ロシアの大統領選挙

 ・1996年のロシア大統領選挙: ボリス・イェルツィンが再選を目指して戦った選挙である。ロシアの指導者はNATOの拡大に対して強い反対の姿勢を示しており、その反発を緩和するため、NATOの拡大の決定がイェルツィンの再選後に延期されることが合意された。

 2.アメリカの大統領選挙

 ・1996年のアメリカ大統領選挙: ビル・クリントンが再選を目指して戦った選挙である。アメリカの大統領選挙も影響を及ぼし、国内の政治的状況や選挙戦の影響を避けるために、NATOの拡大の決定を選挙後に延期することが合意された。

 3.具体的な合意
 
 ・クリントンとイェルツィンの合意: 1995年のクリントンとイェルツィンの会談で、NATOの拡大を1996年の両国の大統領選挙後に実施することが合意された。この合意は、両国の政治的安定を確保し、選挙戦の影響を最小限に抑えるための措置であった。

 ☞ ボリス・イェルツィンがNATO拡大の速度に反対した理由は、以下のような点が挙げられる。

 1.ロシアの安全保障への懸念

 ・イェルツィンは、NATOの拡大がロシアの安全保障を脅かすと考えていた。ロシアの国境にNATOの加盟国が増えることで、ロシアの安全保障環境が不安定になると懸念していた。

 2.排除感と疎外感

 ・イェルツィンは、NATOの拡大がロシアを欧州の安全保障構造から排除し、ロシアを疎外する結果になると感じていた。彼は、ロシアが新しい安全保障体系に含まれるべきであり、除外されるべきではないと考えていた。

 3.歴史的な約束と期待

 ・ソビエト連邦の解体と冷戦の終結に際して、ロシアは西側からの「拡大しない」約束を期待していた。イェルツィンは、1990年代初頭の交渉で得られたとされる西側の保証が無視されていると感じていた。

 4.内政的圧力と政治的動揺:

 ・イェルツィンは国内の政治的な圧力や批判にも直面していた。特に、ロシアの国民や議会からの反対の声を抑えるために、NATO拡大に対する強硬な姿勢を示す必要があった。

 5.地域的安定への影響

 ・イェルツィンは、NATOの拡大が中央および東欧の地域的安定に悪影響を及ぼす可能性があると懸念していた。特に、旧ソ連圏の国々がNATOに加盟することで、地域内の緊張が高まると予想していた。

 これらの理由から、イェルツィンはNATO拡大のスピードに対して強い反対の立場を取り続けた。

 ☞ ロシアがNATOに加盟できなかった理由は複数ある。以下に主な理由を挙げる。

 1. 歴史的・政治的対立

 ・冷戦の影響: ロシア(旧ソ連)は冷戦中、NATOの主要な敵対国であった。NATOの拡大はロシアにとって歴史的に敏感な問題であり、冷戦の遺産が両者の関係に影響を与えている。
 ・地政学的緊張: ロシアはNATOの拡大に対して強く反発しており、特に中央・東欧諸国がNATOに加盟することに対して警戒感を持っている。このため、ロシアのNATO加盟の受け入れは難しい状況であった。

 2. 構造的・制度的違い

 ・異なる安全保障観: NATOは共同防衛を基盤とする組織であり、加盟国は共通の安全保障戦略に従う。ロシアの安全保障観や政策は、NATOの基本原則としばしば対立する。
 ・軍事的・戦略的摩擦: NATO加盟国は相互防衛の原則に基づいて行動するが、ロシアの軍事的・戦略的動向はしばしばNATOの加盟国と対立するため、加盟は難しいとされた。

 3. 政治的・外交的障害

 ・NATOのメンバーシップ基準: NATO加盟には一定の基準や条件があり、これには民主主義、法の支配、軍事・政治的安定性が含まれる。ロシアの国内政治や人権状況がこれらの基準を満たすかどうかが問題視された。
 ・対ロシア政策: NATOの内部にはロシアとの関係を警戒する意見が根強く、ロシアの加盟に対する疑念が強く存在した。

 4. 経済的・軍事的要因

 ・軍事的な信頼性: ロシアの軍事力とNATOの共同防衛の枠組みとの調和には疑問が持たれていた。特に、ロシアの軍事戦略や装備の透明性が問題視されることがあった。

 5. 近年の対立
 
 ・ウクライナ危機とクリミア併合: 2014年のクリミア併合やウクライナでの軍事介入は、ロシアとNATOの関係をさらに悪化させ、加盟の可能性を遠ざける要因となった。

 要するに、ロシアのNATO加盟には歴史的、政治的、経済的な複合的要因が絡んでおり、これらの要因が加盟を難しくしている。

 ☞ クリントン大統領が「段階的で計画的な拡大」を強調したにもかかわらず、最終的にはロシアが忌避するNATOの拡大が行われた。以下にその経緯を説明する。

 クリントンの「段階的で計画的な拡大」の強調と実際の拡大

 1.段階的拡大の主張

 ・段階的なプロセス: ビル・クリントン大統領は、NATOの拡大が急速に進められるのではなく、段階的で計画的に行われるべきだと強調した。このアプローチは、ロシアとの緊張を最小限に抑えるためのものであった。
 ・ロシアとの対話: クリントン政権は、NATOの拡大がロシアの安全保障を脅かすものでないことを伝えようとし、ロシアとの対話を重視した。

 2.実際のNATO拡大

 ・初期の拡大: 1999年にポーランド、ハンガリー、チェコ共和国がNATOに加盟した。これにより、ロシアとの関係が一層緊張した。
 ・拡大の進行: 2004年には、バルカン半島とバルト三国を含む他の国々が加盟し、NATOの領域はさらに拡大した。

 3.ロシアの反応

 ・安全保障の懸念: ロシアは、NATOの拡大が西側諸国による「ネオコンテイメント(新しい封じ込め)」の一環であると感じ、これがロシアの安全保障に対する脅威と見なした。
 ・対話と緊張: クリントン政権の「段階的拡大」の主張にもかかわらず、拡大が実行されるにつれて、ロシアとの緊張は増加した。ロシアは、NATOの拡大が西側による一方的な行動と見なし、積極的な反発を示した。

 このように、クリントン大統領の強調した「段階的で計画的な拡大」とは裏腹に、NATOの拡大が進むにつれて、ロシアとの関係は緊張し、拡大がロシアの忌避するものであることは変わらなかった。

 ☞ ロシアがNATOの拡大を受け入れた理由は複数ある。以下に主要な理由を挙げる。

 1.国際的な現実を受け入れる必要性

 ・イェルツィンとロシアの指導部は、NATOの拡大が避けられない現実であることを認識していた。国際社会の変化に対応するために、ロシアは一定の妥協を余儀なくされた。

 2.パートナーシップ・フォー・ピース(PFP)の受け入れ

 ・ロシアはPFPへの参加を選択することで、NATOとの関係を築き、安全保障面での対話の機会を確保した。PFPを通じてロシアは、NATOとの協力を強化し、影響力を維持しようとした。

 3.内政的および国際的圧力

 ・イェルツィン政権は国内外からの圧力に直面しており、特に西側との関係改善を重視する必要があった。NATO拡大に対する強硬姿勢を保ちながらも、現実的な外交的妥協を受け入れることが求められた。

 4.米露関係の安定化

 ・ロシアは米国との関係を安定化させることに重点を置いていた。NATOの拡大に対して一定の譲歩をすることで、米国との戦略的関係を維持し、他の重要な外交問題における協力を確保しようとした。

 5.経済的および戦略的利害

 ・ロシアは経済的な安定と戦略的な利益を追求しており、西側との良好な関係を維持することが重要であった。NATO拡大を受け入れることで、経済的な支援や投資の機会を確保し、国際的な孤立を避けるための選択をした。

 このように、ロシアはNATOの拡大を完全に受け入れたわけではないが、現実的な状況を考慮し、戦略的に妥協することを選んだ。

 ☞ ロシアがNATO拡大を受け入れた背景には、複雑な国際政治の現実とその影響がある。

 1.当初の保証と実際の展開の違い

 ・西側諸国のリーダーたちは、ドイツ統一時に「NATOの東方拡張は行わない」という趣旨の保証をしていたとされるが、実際にはNATOは拡張を進めた。このギャップがロシアに「裏切られた」と感じさせる要因の一つである。

 2.西側のメッセージの混乱

 ・アメリカやNATOの高官たちは、ロシアに対してPFPを通じて安全保障の一部となると強調していたが、実際にはNATOの拡張が進む中でロシアに対する具体的な配慮が欠けていたという見方もある。

 3.ロシアの戦略的選択と限界

 ・ロシアは当時の国際的な状況を鑑みて、NATO拡張を完全に阻止することは困難であると判断し、PFPへの参加や他の外交的手段を通じて影響力を維持しようとした。結果的には、拡張を受け入れたことで一部の利害が犠牲となったかもしれない。

 4.内政と外交の圧力

 ・イェルツィン政権は、国内の政治的安定と経済的利益を確保するために、西側との関係を改善する必要があった。これにより、NATO拡張に対して現実的な妥協を選ぶこととなった。

 総じて、ロシアがNATO拡張を「計略」と感じるのは、保証された安全保障と実際の拡張の間の矛盾や不透明さから来ているものの、国際政治の複雑さと戦略的選択が影響していることも事実である。ロシアが直面した状況は、単なる方略以上に、国際的な力学や外交の難しさが絡んでいると言える。

【参考はブログ作成者が付記】

【閑話 完】

【引用・参照・底本】

NATO Expansion: What Yeltsin Heard NATIONAL SECURITY ARCHIVE
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2018-03-16/nato-expansion-what-yeltsin-heard

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