FORCED STEP2024年10月01日 16:49

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 「1997年のNATO-ロシア基本文書は『強制されたステップ』だったとエリツィンは言った」

 1997年5月27日、NATO(北大西洋条約機構)とロシアは「NATO-Russia Founding Act(NATO-ロシア基本文書)」に署名した。この文書は当時、冷戦時代の対立を終わらせる歴史的な合意として賞賛されたが、ロシアのボリス・エリツィン大統領は米国のビル・クリントン大統領に対し、NATOの東方拡大に反対していたことを明言している。しかし、エリツィンはこの協定を署名せざるを得ない「強制されたステップ」として捉えており、ロシアにとって他の選択肢がなかったと述べている。

 
 この内容は、2024年7月9日にNATOの75周年サミットに合わせて発表された、米国国家安全保障アーカイブによる新たな機密解除文書から明らかになった。これらの文書は、1990年代にクリントン政権が進めていたNATO拡大とロシアとの協力という二重の政策がしばしば衝突し、エリツィンに大きな影響を与えたことを示している。

 文書によれば、エリツィンは1997年3月にヘルシンキでクリントンに対し、「NATOの東方移動は誤りだが、ロシアにとっての悪影響を和らげるために行動する必要がある」と発言しており、これはロシアの強い反発を示すものである。さらに、1994年の「平和のためのパートナーシップ」(Partnership for Peace)という代替の安全保障構想も、アメリカの政策立案者によって軽視され、NATOの拡大はクリントンとエリツィンの1996年の再選まで遅らせられていたことも明らかになっている。

 また、1999年のコソボ危機中にNATOがベオグラードを爆撃している最中でも、エリツィンとロシアの高官たちは、欧州通常戦力条約(CFE)の下での柔軟な協力を続けていたことが記録されている。

 この機密解除された記録は、クリントン大統領図書館から提供され、国家安全保障アーカイブと他の研究者による必須機密解除審査(MDR)の要請や、同アーカイブが国務省に対して起こした情報自由法(FOIA)訴訟により公開されたものである。文書には、クリントン大統領が読んで注釈を付けた国家安全保障会議(NSC)の内部メモ、1994年12月に副大統領アル・ゴアとエリツィンの病室で行われた会話の未公開メモ、1996年のストローブ・タルボットの詳細な「枠組み」メモなどが含まれている。

 これらの文書は、NATOの今日の主な課題、すなわちロシアによるウクライナ侵攻への対応や、同様の紛争を防ぐための新たなヨーロッパの安全保障体制を構築するための歴史的背景を提供している。

Document 1

Cable from Secretary of State to U.S. Mission NATO, “Subject: The Secretary’s Meeting with NATO SYG Manfred Woerner, March 3, 1993”
Mar 6, 1993
Source
Clinton Presidential Library. Mandatory Review 2016-0118-M1

 この文書は、1993年3月6日付けで、米国国務長官からNATO駐米代表団に送られたケーブルの内容を説明している。1993年3月1日から3日にかけて、NATO事務総長のマンフレッド・ウェルナーがワシントンを訪問し、クリントン大統領、国家安全保障顧問のアンソニー・レイク、そして国務長官のウォーレン・クリストファーと会談した。この会談の要点は次の3つの議題に集約される。

 1.1993年秋のNATOサミットの開催

 ウェルナーは、1989年5月にジョージ・H・W・ブッシュ大統領がNATOサミットを利用して自身のリーダーシップを示したように、クリントン政権もサミットを開催することでNATOの発展方針を決定する機会とすべきだと提案した。

 2.東欧諸国へのNATOの関与強化

 ウェルナーは、東欧諸国をヨーロッパの安全保障構造に統合することの重要性を強調した。彼は、ロシアからの軍事的脅威よりも、東欧諸国の指導者たちが国内の権威主義勢力の復活を防ぐためにNATOの加盟を希望していると述べた。この点に関連して、ウェルナーはNATOの加盟拡大に向けた候補国や基準の検討を始めるべきだと提言している。

 3.NATOインフラへの資金拠出の増加要請

 ウェルナーは、北大西洋協力理事会(NACC)のメンバーやその他の東欧諸国からの代表団がNATOとの協力活動に参加できるよう、米国に対し、インフラと旅費に対する資金提供を増やすよう求めた。

 また、ウェルナーは欧州安全保障協力会議(CSCE)に対して悲観的な見解を持ち、CSCEは存続できない可能性があると述べた。彼は、東欧の指導者たちが「権力を持つ組織」であるNATOをCSCEよりも信頼していると考えていた。

 この会話の中で、ウェルナーや他のNATO関係者が1992年にロシアとの対話や協力に積極的に取り組んでいたこと、特にロシアの安全保障に対するNATOの配慮に関するウェルナーのロシア側への保証については言及されていないが、これに関しては他の公開された文書に記録されている。

Document 2

John Podesta/Todd Stern to the President, “NSC Memos for Meeting with Secretary Christopher,” Attached: Anthony Lake to the President: “The NATO Summit and Europe’s East”
Oct 19, 1993
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1993年10月19日にジョン・ポデスタとトッド・スターンが大統領に宛てたメモで、国家安全保障顧問のアンソニー・レイクから大統領へのメモが添付されている。これらのメモは、1993年秋に行われたNATO拡大に関する政策論争を要約している。

 この論争では、国務次官のリン・デイビスやその補佐官であるスティーブン・フラナガンのように、NATOの迅速な拡大を支持する者と、国防総省および統合参謀本部議長のジョン・シャリカシュヴィリが主導する、ロシアやウクライナを含む新たな協力体制を提案する者との間で対立があった。

 最終的には、NSC(国家安全保障会議)の主要委員会による妥協案が採用された。一方では、NATOが拡大するという原則を示す声明を出しつつ、具体的な基準やタイムテーブルは設定しないことになった。他方では、ヨーロッパ東部の「新たな、または新興の民主主義国」を対象に「平和のためのパートナーシップ」を設け、これらの国々がNATO加盟に向かって進化的な動きをするよう促すというものであった。

 レイクのメモによれば、全ての助言者が一致して、大西洋の国境がロシアやウクライナに近づくことを示唆する行動は、両国国内で大きな否定的影響を引き起こし、ひいては中央ヨーロッパ諸国の安全が脅かされる可能性があると考えていた。

 クリントン大統領はこのメモを手書きで「OK」と承認した。そして1週間後、国務長官のウォーレン・クリストファーがロシアのボリス・エリツィン大統領に「平和のためのパートナーシップ」を説明すると、エリツィンはそれを拡大に代わるものと解釈し「天才的だ」と称賛した。しかし、アメリカ側はそれをNATO加盟への前段階と見なしていた。

Document 3

Anthony Lake to the Secretary of State, Secretary of Defense, UN Ambassador, and Joint Chiefs Chairman, “NSC Staff Paper on NATO Expansion”
Oct 14, 1994
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1994年10月14日付けで、アンソニー・レイクが国務長官、国防長官、国連大使、統合参謀本部議長に宛てたもので、国家安全保障会議(NSC)のスタッフによるNATO拡大に関する政策文書である。この文書は、前年の1993年10月に合意された妥協案から約1年後に作成され、NATO拡大を推進する立場が米国の政策において主導権を握るようになったことを示している。

 この文書のタイトル「NATO拡大に向けて」は、「ヨーロッパの統合的かつ包括的な安全保障システム」という後のレトリックとは対照的である。この文書では、NATO拡大の「保険政策」(別名「戦略的ヘッジ」)の根拠が明確に示されており、ロシアに対する「新しい封じ込め政策」を背景に持つが、これはあまり表立って語られることはなく、基本的に目立たない形で保持されるとされている。その一方で、民主的なロシアが将来的にNATOに加盟する可能性を明確に排除してはならないという見解も示されており、これはクリントン大統領とエリツィン大統領の合意に基づいていこの文書「Gore Debrief on One-on-One w/ Yeltsin」は、1994年12月16日にモスクワで行われた米国副大統領アル・ゴアとロシア大統領ボリス・エリツィンとの会談に関する詳細な報告書です。この会談は、エリツィンが病気で入院していたものの、回復途中に行われたもので、米国に戻るエアフォースツーの機内でストローブ・タルボットがゴアから聞いた内容をもとに記録したとされています。ゴアは、ロシアの首相ヴィクトル・チェルノムイルジンとの共同委員会の一環としてモスクワを訪問していましたが、最も重要な目的は、12月初旬にブダペストで起こった「ブダペスト事件」を受けてエリツィンとの関係を修復することでした。

ブダペストでの事件とは、エリツィンが米国大統領ビル・クリントンの前で、NATO拡大の加速により米国が「冷たい平和」を作り出していると非難した出来事です。この時、クリントン政権の2つの重要な政策である「NATO拡大」と「ロシアとの関与」が衝突しました。

ゴアは、NATOの声明がクリントンの約束を破るものでないこと、そして1995年のロシア下院選挙や1996年のロシア大統領選挙の前にNATO拡大が行われることはないという点でエリツィンを安心させようとしました。また、ゴアは米露関係やNATO-ロシア関係を「2つの宇宙船が慎重にドッキングし、並行して進む」といった比喩を用いて説明しました。この比喩は、ロシアの宇宙技術への誇りや、米国との対等な協力関係を思い起こさせ、エリツィンに共感を呼びました。る(ドイツの国防大臣フォルカー・ルーエが公にロシアの加盟を否定したこととは対照的である)。

 また、文書では、新規加盟国に関するNATOの最初の明確な決定がクリントン政権第2期の前半までは行われないだろうと予想されている。これは、エリツィンとクリントンが再選されるまで、そのような発言をすればロシアの政治に非常に悪影響を与えることを暗に示している。

 さらに、この文書では「並行トラック政策」が言及されており、NATO(および米国)がロシアとの関係を強化することで、ロシアに対してNATO加盟以外の選択肢として「同盟との同盟」を示唆している。

Document 4

“Gore Debrief on One-on-One w/ Yeltsin,” Notes on Vice President Gore’s Meeting with President Yeltsin, Moscow, December 16, 1994
Dec 16, 1994
Source
Department of State, National Security Archive Freedom of Information Act Lawsuit

 この文書「Gore Debrief on One-on-One w/ Yeltsin」は、1994年12月16日にモスクワで行われた米国副大統領アル・ゴアとロシア大統領ボリス・エリツィンとの会談に関する詳細な報告書である。この会談は、エリツィンが病気で入院していたものの、回復途中に行われたもので、米国に戻るエアフォースツーの機内でストローブ・タルボットがゴアから聞いた内容をもとに記録したとされている。ゴアは、ロシアの首相ヴィクトル・チェルノムイルジンとの共同委員会の一環としてモスクワを訪問していたが、最も重要な目的は、12月初旬にブダペストで起こった「ブダペスト事件」を受けてエリツィンとの関係を修復することであった。

 ブダペストでの事件とは、エリツィンが米国大統領ビル・クリントンの前で、NATO拡大の加速により米国が「冷たい平和」を作り出していると非難した出来事である。この時、クリントン政権の2つの重要な政策である「NATO拡大」と「ロシアとの関与」が衝突した。

 ゴアは、NATOの声明がクリントンの約束を破るものでないこと、そして1995年のロシア下院選挙や1996年のロシア大統領選挙の前にNATO拡大が行われることはないという点でエリツィンを安心させようとした。また、ゴアは米露関係やNATO-ロシア関係を「2つの宇宙船が慎重にドッキングし、並行して進む」といった比喩を用いて説明した。この比喩は、ロシアの宇宙技術への誇りや、米国との対等な協力関係を思い起こさせ、エリツィンに共感を呼んだ。

Document 5

Deputy National Security Adviser Samuel Berger to the President, “Meeting with the Vice President on Russia and NATO Expansion”
Dec 21, 1994
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1994年12月21日に副国家安全保障担当補佐官のサミュエル・バーガーがクリントン大統領に宛てたメモで、ゴア副大統領のモスクワ訪問およびエリツィン大統領との病院での会話に関するものである。このメモは、ゴアの見解として、エリツィンが1995年におけるNATO拡張に関する発表を「誤解」したとまとめている。また、ロシアとの議論は「あなたの任期の初めを超えて続く可能性がある」との意見も示されている。

 メモの右上には「大統領が確認済み」というマークがある。興味深いことに、この会議の詳細なメモ(メモランダム)が存在しない一方で、この会議に関する異なる二つの記述が各々の回想録に見られる。

 ストローブ・タルボットは著書『The Russia Hand』の中で、この議論を1996年のエリツィンの再選挑戦の前にNATO拡張を行わないという合意とし、クリントンが約束した通りであると述べている。タルボットによれば、国防長官のビル・ペリーは、その遅延とともに「パートナーシップ・フォー・ピース」に対して「少なくとも1年」を与えるべきだと主張した。

 一方、ペリー自身の著書『My Journey at the Nuclear Brink』では、この会議の様子を異なる視点で語っており、NATO拡張の実施をさらに10年先送りすべきだと強調している。ペリーは、ロシアとの共同での核リスクの制御が最も重要な課題であり、ロシアを除外したヨーロッパの統合の形はそれに比べて重要ではないと考えていた。ペリーはこの会議を通じて、クリントン大統領とゴア副大統領が1996年の選挙を経てNATO拡張を進める決定をしたことを理解したと述べ、会議後に辞任を考えたとも記している。

Document 6

Memorandum for Anthony Lake and Samuel R. Berger.
From: Alexander Vershbow, Nicholas Burns, Richard Schifter and Daniel Fried, “European Security Architecture, NATO Expansion and Russia”
Dec 22, 1994
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1994年12月22日にアレクサンダー・ヴァーシュボウ、ニコラス・バーンズ、リチャード・シフター、ダニエル・フリードからアントニー・レイクとサミュエル・R・バーガー宛てに送られたメモである。このメモは、NATO拡張政策を推進する国家安全保障会議(NSC)スタッフグループによって作成されたもので、ゴア副大統領のホワイトハウスでの報告から1日後のものである。

 このメモでは、タイトルが「NATO拡張に向けて」から「ヨーロッパの新しい安全保障アーキテクチャの構築」というより包括的な概念に変更されている。しかし、内容の大部分は同様で、詳細が増え、ロシア問題により多くの注意が払われている。

 「保険政策」の項目はやや控えめに表現され、ロシアに対する「ヘッジ」を公の外交で強調すべきではないとし、代わりに「民主的なロシアが主要なパートナーとなる包括的なヨーロッパの安全保障アーキテクチャの構築」という目標に焦点を当てるべきだとしている。この文書では、クリストファー国務長官がロシアの外相との今後の会議で使用するためのトーキングポイントを草案しており、1995年から1996年のロシアの選挙に対する「敏感さ」を強調しつつ、NATO拡張に関する「共同決定」に反対する姿勢を示している。

 このメモは、ゴアのエリツィンに対する安堵の表明を受けたアメリカのより自信に満ちたアプローチを示しており、アメリカがロシア側からの公の非難を終わらせるように要求することを推奨している。ロシアも同様のことを行う限り、公の挑戦的な言葉の使用は避けるべきであり(例えば「ロシアの拒否権」など)、ロシア側が真剣な対話と共同決定や拒否権の権利を混同しないよう注意すべきであるとされている。

Document 7

Memorandum for the President from Anthony Lake, “European Security/NATO Enlargement Progress Report”
Jul 17, 1995
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1995年7月17日付けのアメリカ合衆国大統領クリントンの国家安全保障アドバイザー、アンソニー・レイクからのメモであり、NATOの拡張に関する進捗報告が含まれている。このメモは、クリントン大統領に対する悪いニュースを伝えている。主なポイントは以下の通り。

 1.ロシアの反対の硬化: メモでは、NATOの拡張に対するロシアの反対が強まっており、西ヨーロッパの一部国やアメリカ合衆国議会の支援も不確かであるため、政策に対する挑戦があることが指摘されている。

 2.クリントンのメモ: クリントンはこのメモに対し、次の日に「ヨーロッパの人々がどのように感じているか、そして彼らが何をする可能性があるかを議論する必要がある」と書き込んだ。これは、政策決定におけるヨーロッパの感情や反応の重要性を強調している。

 3.モスクワでのクリントンの経験: クリントンは、ロシアのエリツィン大統領との個人的な関係のために1995年5月9日にモスクワで行われた勝利記念日行事に出席したが、エリツィンはNATOの拡張をロシアへの「屈辱」として批判した。クリントンは、1995年と1996年にはNATOの拡張に関する行動を起こさないことをエリツィンに再度約束した。

 4.ロシアの軍事配備に関する懸念: メモでは、NATOが新メンバー国における核兵器および主要な通常軍部隊の駐留についてロシアに対する安心感を与えるべきであるという考えが示されているが、現時点ではそのような配備を行う理由はないとされている。

 5.ロシアのリーダーシップの意向: ロシアのエリートたちの間でNATO拡張に対する反対が「深く、根本的な」ものであることが強調されている。レイクは、ロシアの指導部がNATOの東方拡張を自国の長期的な利益に反すると考えており、政策を妨害するために最善を尽くすだろうと結論づけているす。

 6.アメリカの立場: アメリカができる最善のことは、より広範な協力の文脈において「 muted reaction:控えめな反応」を達成することだとレイクは述べている。

 このメモは、NATO拡張が引き起こす地政学的緊張やその影響を理解する上で重要な資料である。

Document 8

Memorandum for Anthony Lake from John R. Schmidt through Alexander Vershbow, “Your Meeting with NATO Secretary General Javier Solana, June 24, 4 p.m.”
Jun 21, 1996
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0772-M

 この文書は、1996年6月21日付けの、アメリカ合衆国国家安全保障会議(NSC)スタッフから国家安全保障アドバイザーのアンソニー・レイク宛てのメモである。メモの内容は、NATO事務総長ハビエル・ソラナとの会合に向けたブリーフィングを目的としている。以下に主なポイントを示す。

 1.ソラナの業績: メモは、ソラナが「素晴らしい仕事をしており、彼をこのポストに支持した決定を完全に正当化している」と評価している。

 2.ロシアの大統領選挙のタイミング: メモは、ロシアの大統領選挙の第一ラウンドと第二ラウンドの間の正確なタイミングであることを指摘している。エリツィンは第一ラウンドで共産党の挑戦者に僅差で勝利し、第三位の候補者であるレベッド将軍をロシア安全保障会議の議長職に任命することで取り込み、第二ラウンドに臨む準備が整っているとされている。

 3.NATO拡張に関する評価: 「NATO拡張」というセクションでは、ソラナがロシアとのNATO関係構築に向けた議論を促進できる可能性があることが述べられている。エリツィンが再選されたことで、レベッドが反対せず、プリマコフが拡張の事実ではなく条件について議論することに対してますます受け入れやすくなっていることが示唆されている。

 4.米国側の取り組み: このコメントは、米国側での数ヶ月間の集中的な取り組みを予告している。ストローブ・タルボットがロシアの外相エヴゲニー・プリマコフおよびその副大臣ユーリ・マメドフと協力して、最終的に1997年5月にNATO-Russia Founding Actが署名されることにつながる「条件」を調整する作業を行うことが強調されている。

 このメモは、NATO拡張の過程とロシアとの関係構築に向けた取り組みの重要性を示すものである。

Document 9

John Kornblum Memorandum, “NATO-Russia: A Framework for the Next Phase”
Jul 29, 1996
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 ジョン・コーンブルムのメモランダム「NATO-Russia: A Framework for the Next Phase」は、1996年7月29日に作成され、米国のNATO拡張に関する政策を概説している。この文書は、ロシアとの関係を維持しながら、NATOの拡張を進める過程での考察を反映している。

 背景

 1996年7月初旬、エリツィンが再選されると、クリントン政権はNATO拡張を積極的に検討し始めた。これに伴い、アメリカはロシアとの関係を急激に悪化させないよう努めた。1996年の7月と8月、国務省はNATO-Russia関係の未来に関するドラフト文書を何度も改訂した。この過程で、「NATO拡張」という明確な用語は、「欧州の安全保障構造」というよりロシアにとって受け入れやすい表現に変更された。

 コーンブルムの戦略

 アシスタント国務長官のジョン・コーンブルムは、このメモの中で、ロシア外相エフゲニー・プリマコフの戦略を以下の二つの要素から成るものとして説明している。

 1.NATO拡張の遅延または防止:ロシアはNATOの拡大を阻止しようとする努力をしている。
 2.NATO-Russia対話の確立:同時に、ロシアはNATOとの対話を進める必要がある。

 プリマコフは、特に以下の八つの探求分野を提案している。

 ・NATOインフラの拡張阻止:特に核兵器の新しい同盟国への移転を防ぐこと。
 ・バルト諸国とウクライナに関する赤線:ロシアはこれらの地域に対するNATOの動きに対して強い懸念を持っている。
 ・ロシアの影響力を持つメカニズムの確立:NATOや欧州の意思決定に対するロシアの影響を確保する必要がある。

 アメリカの立場

 コーンブルムは、これらの条件をロシアがNATO拡張に同意するための「代償」と見なすべきではないと警告している。むしろ、アメリカはロシアとの対話の明確な基盤を提示し、次の目標を設定すべきである。

 ・ロシアとの協力的な安全保障関係の構築:ロシアが新しい欧州の安全保障共同体に統合されることを目指し、ロシアの意見が欧州の安全保障会議で聞かれるようにすること。

 コーンブルムは、ロシア-NATO交渉の基盤として、これまでの米ロ間の合意や共同声明を列挙し、新しい安全保障構造の大枠についてロシアと幅広い合意を見つけることを目指すべきだと述べている。

 調整機関

 この作業プログラムの重要な問題は、国務副長官のタルボットとロシアのムラモドフ副外相との間で調整されることになる。

Document 10

Strobe Talbott Draft Memorandum, “NATO-Russia: A Framework for the Next Phase”
Aug 23, 1996
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 ストローブ・タルボットによって作成されたメモランダム「NATO-Russia: A Framework for the Next Phase」は、1996年8月23日に発表され、米国とロシア間のNATO拡張および欧州の安全保障構造に関する重要な交渉を総括している。この30ページの文書は、タルボットとロシアのムラモドフ副外相との新たな対話に向けた準備として作成された。

 背景

 タルボットとムラモドフの会談は1996年8月末に予定されており、これに続くNATOの閣僚会議は1996年12月にブリュッセルで行われる予定である。この会議では、1997年のNATOサミットの日程が決定され、NATOは新しい候補国に対する招待を行い、NATO-Russia関係の深化に関する文書に署名する見込みである。

 内容の概要

 この文書では、米国とロシアの立場を詳細に概説し、以下の要素を強調している。

 ・主要な問題と懸念:米国とロシアの間での重要な問題、関心事項、そして妥協可能な領域について。
 ・レッドライン:各国が譲れないポイントについての認識を示している。

 引用と根拠

 文書には、関与するすべての当事者からの広範な引用が含まれており、特に1996年7月11日にNATO事務総長ハビエル・ソラナがタルボットに送った「完全に私的な文書」が使用されている。タルボットは、国務省の専門家によって準備された以前のドラフトや、彼自身とクリストファーとのロシアの公式との会談のメモ(主にプリマコフとムラモドフ)からの言語も組み込んでいる。

 プリマコフの提案とアメリカの立場

 タルボットは、プリマコフによって提案された「八つの探求分野」を概説し、これらの分野に関する米国の立場を示している。特に以下の二つの問題が重要視されている。

 1.NATOインフラのロシア国境への接近:この点は、ロシアにとっての重大な懸念事項である。
 2.NATOとのロシアの協議:タルボットは、ロシアにNATOの決定に対する拒否権を与えないよう警告している。

 この文書は、NATOとロシアの関係を深めるための交渉の基礎を提供するものであり、各国の立場や要求を整理し、次のステップへの道筋を示す重要な役割を果たしている。

Document 11

Draft Letter from Strobe Talbott to George Kennan
Feb 9, 1997
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 ストローブ・タルボットのジョージ・ケナン宛てのドラフトレターは、1997年2月9日に作成され、ケナンが1997年1月31日に送ったNATO拡張への反対を表明した手紙に対する返信である。

 背景

 ケナンは、NATO拡張を「冷戦後の西側政策の最大の誤り」とし、これがロシアの民主主義の構築を損ない、国家主義的な勢力の台頭を招くと警告している。

 タルボットの返答

 タルボットは、ケナンの知恵と長年のアメリカ外交政策への貢献に深く感謝の意を表し、クリントン大統領のNATOに関する考え方を説明している。タルボットは、次のような点を挙げている。

 ・NATOの変化とロシアへの配慮:クリントン大統領は、変革されたNATOがロシアの利益に対する安全保障上の脅威ではないことをロシアに保証する努力をしていると述べている。
 ・同盟の機能:タルボットは、19世紀の例を引き合いに出し、同盟が敵に対する防御だけでなく、加盟国間の関係を管理し、同盟メンバーの政策を抑制・制御する重要な政治的機能を持っていることを指摘している。

 NATO拡張の意義

 タルボットは、拡大したNATOが欧州の安定と安全を強化し、新しい加盟国の民主的発展を支援する一方で、危険が生じた場合には防衛の準備が整っていることを強調している。彼は、「私の見るところでは、戦略の本質は、最悪に備えつつ最善をもたらすことだ」とまとめている。

 ロシアの反応への対応

 ロシアにおける否定的な反応に関する懸念に対して、タルボットは「大統領は、拡張を支持する議論がロシアでの反対の否定的な側面を上回るだけの十分に説得力のあるものであると考えている」と述べている。この中には、ロシアのほとんどの改革者や民主主義者からの反対も含まれている。

Document 12

Dennis Ross Memorandum to Strobe Talbott
Feb 10, 1997
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 この文書は、1997年2月10日にデニス・ロスがストローブ・タルボット宛に送ったメモである。ロスは長年の外交官であり、冷戦終結に関する交渉での経験を持っている。このメモは、アメリカとロシアがNATO-Russiaチャーターの文言やNATOとロシアの協力の将来に関する重要な交渉に入る時期に書かれた。

 主な内容

 1.ロシアの感情と歴史的背景

 ・ロスは、ロシア側がNATOの拡張についてどのように感じているかを説明している。特に、1990年と1991年のドイツ統一の過程で西側から受けた保証に対するロシアの経験が影響を与えていると指摘している。ロシアは、NATO拡張が「冷戦に敗れたというイメージを確認し、自国の大国としての地位が崩壊していると感じ、屈辱を受けている」と述べている。

 2.ドイツ統一に関する誤解

 ・ロスは、ロシアが「ドイツ統一の際に騙された」と感じていることを指摘する。特に、ジェームズ・ベイカーが東ドイツにNATOの軍事的存在を拡張しないという約束が、NATOの東方拡張を行わないというコミットメントの一部であると受け取られていることを強調している。また、1991年にNATOを軍事同盟から政治同盟へと変革するという約束が、ロシア側の受け入れの理由の一部であったと述べている。

 3.ロシアの要求と交渉の戦略

 ・ロシアは、より公式かつ明確な約束、すなわち「拘束力があり正確な内容」の約束を求めている。ロスは、Yeltsinにとって「NATOの拡張とロシア-NATOの合意がないことが最悪の結果」であると指摘し、その現実がアメリカに交渉上の leverage を与えると述べている。

 4.アメリカの交渉戦略

 ・ロスは、アメリカの交渉チームがロシアが同盟国と別途交渉できないようにしながら、同時にYeltsinに席を与えるべきだと提案している。次回のサミットでロシアをG-8のメンバーとして迎えることがその例である。さらに、NATO-Russiaパッケージのいくつかの重要な要素を温存し、Yeltsinが結果に影響を与えたことを示せるような交渉プロセスに投資すべきだとアドバイスしている。

 このメモは、ロシアの不安や要求を理解し、それを交渉に反映させることの重要性を強調している。

Document 13

NATO-Russia Charter, Draft Version with NATO Secretary General Solana Changes.
Mar 4, 1997
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 資料13は、1997年4月に予定されているパリ・サミットでの署名式を見越して、1997年3月4日に作成されたNATO・ロシア憲章の草案版である。この草案は、1997年2月から3月にかけてクリントン政権内で作成された一連の文書の一部である。起草プロセスは、ロシアの安全保障上の懸念、特にオルブライト・プリマコフやタルボット・マメドフのチャンネルなど、米国とロシアの当局者間の議論で明確にされた懸念に対処することを目的としていた。

 特に、この草案には、NATO事務総長のハビエル・ソラナが行った大幅な変更と編集が含まれており、太字のイタリック体で示されている。これらの修正は、NATOの拡大に関してロシアが提起した主要な懸念に直接対応することを意図していた。例えば、「NATO加盟国は、NATOが新たな加盟国の領土に核兵器を配備する意図も、計画も、理由もなく、将来もそうする必要性を予見していないという立場を再確認する」と述べている。この文言は、NATOの拡大に対する公の反対や、ロシア下院内での相当な反対意見の組織化のさなかでさえ、NATOの意図についてロシアを安心させようとする努力を反映している。

 交渉の全体的なトーンは驚くほど生産的で協調的であったと評されており、当時のNATOの拡大をめぐる議論の緊迫した背景を考えると注目に値する。

Document 14

Memorandum of Conversation, Clinton-Yeltsin Summit, Helsinki, Finland, “Subject: Morning Meeting with Russian President Yeltsin: NATO-Russia, START, ABM/TMD”
Mar 21, 1997
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0782-M-2

 資料14は、1997年3月21日にフィンランドのヘルシンキで開催されたビル・クリントン米大統領とロシアのエリツィン大統領との首脳会談を詳述した覚書である。この議論は、NATO-ロシア関係、戦略兵器削減条約(START)、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)システムなどの主要な問題に焦点を当てている。

 この対談で、エリツィンは、1997年5月に最終決定される予定のNATO-ロシア創設法を交渉するロシアの動機を明確に述べている。彼は、NATOの東方拡大に明確な反対を表明し、それは「間違い」であると述べ、NATOと関与するという彼の決定を「強制的な一歩」と特徴づけた。彼は、合意を締結する意欲は欲望からではなく、必要性から生じていると強調し、「私は、これがロシアに与える悪影響を軽減するための措置を講じる必要がある。私がNATOと協定を結ぶ用意があるのは、そうしたいからではなく、それが強制的な措置だからです。今日、他の解決策はありません。」

 エリツィンは、旧ソビエト共和国のNATO加盟を防ぐための秘密の「紳士協定」を提案し、それが公式声明には記載されないことを示唆している。しかし、クリントンは、この提案に対して、いくつかの議論で反論している:彼は、そのような秘密協定を維持することはおそらく不可能であり、ロシアが帝国にしがみついているように描写し、バルト諸国を警戒させ、それによって平和のためのパートナーシップ構想を弱体化させ、サミットのホスト国であるフィンランドを怒らせる可能性があると説明している。クリントンはまた、エリツィンがすでにヨーロッパの指導者ヘルムート・コールとジャック・シラクとこの問題について話し合ったことに言及し、NATOの急速な拡大についてコンセンサスがなかったことを示している。

 最終的に、この話題に関する長いやり取りの後、両大統領は、NATO拡大という論争の的となった問題を未解決のまま、軍備管理問題に話題を移すことを決定した。

Document 15

Letter from Strobe Talbott to Georgy [Yuri] Mamedov
Dec 7, 1998
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 資料15は、1998年12月7日付で、米国国務副長官であったストローブ・タルボットがロシアの外交官ゲオルギー・マメドフに宛てた書簡である。この書簡でタルボットは、マメドフがモスクワを訪問した際に、NATOとの協力や欧州通常戦力(CFE)条約の改正に関する進展などについて議論が行われた際に、米国代表団を支援してくれたことに感謝の意を表している。

 タルボットは、CFE条約に対するロシアの姿勢が、特に新しいNATO加盟国に関して硬化しているように見えるという懸念を伝えている。彼は、ロシア側が、NATO同盟の他のメンバーに適用されるルールと比較して、これらの新しいメンバーに対して異なるルールを確立することを望んでいるという認識があることを指摘している。この懸念は、特に、新しいNATO諸国内の軍隊レベルと一時的な配備に関連している。

 彼は、ロシアがCFE条約を改正してこれらの区別を拘束力のあるものにしようとする試みは、米国によって「レッドライン」を越えたと見なされるだろうと強調している。タルボットは、これは、個々のNATO加盟国が兵員レベルや弾薬に関して独自の約束をすることを認めるのではなく、新たな条約を創設する努力と解釈される可能性があると警告している。

 さらに、タルボットは、ロシアはトルコやノルウェーなどの個々のNATO加盟国との交渉を検討すべきだと助言し、カリーニングラード地域での軍事配備を自制するよう促している。この勧告は、NATOの拡大と改訂されたCFE条約から生じる複雑さに対処しながら、NATOとロシアの間のより良い関係と協力を促進することを目的としている。

Document 16

Memorandum of Telephone Conversation, “Subject: Telephone Conversation with Russian President Yeltsin”
Apr 19, 1999
Source
Clinton Presidential Library, Mandatory Review 2015-0782-M-2

 この文書は、1999年4月19日にアメリカのビル・クリントン大統領とロシアのボリス・エリツィン大統領との電話会談に関するメモである。この会談は、NATOによるベオグラードへの爆撃が始まった後、両国の指導者が初めて行ったものである。

 主な内容

 1.会話の目的

 ・クリントン大統領は、ユーゴスラビアにおける協力を求め、ロシアが解決策の実施において中心的な役割を果たすべきであると保証した。

 2.交渉チャンネルの提案

 ・クリントンは、アメリカ側にトーマス・タルボットを、ロシア側にビクトル・チェルノムィルディンを指名し、直接的な秘密の交渉チャンネルを提案した。これは、初めてクリントン政権がチェルノムィルディンを尊重する姿勢を示したものである。

 3.コソボ紛争への認識

 ・エリツィンは、NATOの爆撃が「巨大な人道的惨事」を引き起こし、アメリカとロシアの関係に「重大な損害」を与えたと考えていた。NATOの爆撃は、ハンガリー、ポーランド、チェコ共和国のNATO加盟直後に行われ、ロシアの同盟国に対して実施されたもので、事前にロシアが相談も通知も受けていなかったことを指摘した。

 4.ロシア国内の圧力

 ・エリツィンは、ユーゴスラビアを支援するための国内の圧力が高まっていることを述べ、ロシアが紛争に介入しないよう努めているが、その「能力には限界がある」と訴えた。

 5.会話の終わり

 ・驚くべきことに、会話は非常に協力的かつ温かい調子で終わり、エリツィンはクリントンに対し、共産主義者から「激しい攻撃」を受けており、ロシアが武器を送ったり、軍事介入したり、さらには「欧州および世界的な戦争」を引き起こすことに反対していることを告げた。彼はアメリカとの協力を続ける意向を示した。

 このメモは、当時のアメリカとロシアの関係の微妙なバランスを反映しており、特にコソボ問題における両国の協力の必要性が強調されている。

Document 17

Memorandum to Sec. Albright, APNSA Berger, OVP Fuerth from Strobe Talbott, “Trip Report No. 2 (from Moscow)”
May 21, 1999
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 この文書は、1999年5月21日にストローブ・タルボットが作成した、モスクワからの報告書である。ここでは、クリントン大統領とエリツィン大統領の間で合意されたタルボット・チェルノムィルディンチャネルを利用して、コソボ危機の解決策を見出す試みの成果が記されている。

 主な内容:

 1.タルボットのモスクワ訪問

 ・タルボットは、コソボ危機を解決しつつ、NATOとロシアとの関係を完全に損なわないように努めていた。彼はモスクワでの複数の会議を要約し、その中でも特に重要な会議として、チェルノムィルディンとの六時間に及ぶ会談を挙げている。

 2.チェルノムィルディンの受け入れ

 ・会談中、チェルノムィルディンは「NATOがKFORの中心でなければならない」という条件を「渋々受け入れた」ことを報告した。また、スロボダン・ミロシェビッチがNATOの条件での解決を受け入れることを約束したと述べている。チェルノムィルディンは、ベルグラードからの帰途にあり、ミロシェビッチとの七時間の会議を経て、NATOをKFORの中心とすることに同意させた結果を持ち帰っていた。

 3.交渉の進展

 ・チェルノムィルディンは、フィンランドの元大統領マルティ・アハティサーリと共に、NATOのプラットフォームに基づいてコソボの最終的な解決に向けた交渉を行う準備が整っていた。

 4.ロシア政府と軍の反応への懸念

 ・タルボットは、チェルノムィルディンによって交渉された条件がロシア政府や軍によって受け入れられるかどうかについて懸念を表明している。後に、彼の懸念は的中し、ロシア軍はNATOの展開に先立ち、プラシュティナ空港を一時的に占拠する無許可の攻撃を実施した。

 5.公の場での露呈に関する警告:

 タルボットは、チェルノムィルディンがNATOの条件を受け入れたことを歓迎しつつも、クリントン政権の上層部に対して、ロシアの立場を公に露呈させるような行動は避けるべきだと警告している。特に「NATOが中心」という譲歩を公にすることで、ロシア国内で特に軍の間で深刻な反発を招く恐れがあると指摘した。

 このメモは、コソボ問題におけるアメリカとロシアの交渉過程や、ロシア国内の政治的圧力の複雑さを示している。

Document 18

Ambassador Pickering Cable to U.S Embassy London, “The Deputy Secretary’s November 7 Meeting with UK NATO Ambassador-Designate, David Manning”
Nov 16, 2000
Source
State Department, National Security Archive Freedom of Information Lawsuit

 この文書は、2000年11月16日にアメリカのピッキング大使がロンドンの米国大使館に宛てた報告で、ストローブ・タルボットとイギリスのNATO大使指定のデイヴィッド・マニングとの会合について記述している。会議は40分間行われ、主にマニングのモスクワ訪問と新しいプーチン政権に関する印象について議論された。

 主な内容

 1.モスクワ訪問の報告

 ・マニングは、ロシア国防省での会議中に「誰もパートナーシップについて話さなかった」と述べ、多くの人々が古い考え方を持っていることを示した。

 2.ロシアの建設的な対応への期待

 ・それでもマニングは、ロシアが「NMD(国家ミサイル防衛)」やNATOの拡大に対して建設的に対応することが彼ら自身の利益であることに気付くことを期待していると述べた。

 3.タルボットの見解

 タルボットは、「西側は、エリツィン大統領の大きな『ニェ』を渋々のOKに変えることに成功した7年間の結果を今支払っているのかもしれない」と反論した。

 4.プーチン政権の特徴

 ・タルボットは、プーチンの下での次のNATO拡大は、エリツィン政権下よりも容易になる可能性があると示唆した。彼の見解によれば、エリツィン元大統領はNATOを象徴的かつ感情的な観点から捉えていたのに対し、現在のプーチン大統領はロシアの主要な脅威として、イスラム過激主義と中国をより現実的に考えているようだと述べた。

 この会合は、ロシアと西側の関係、特にNATOの拡大に関する両国の思惑の違いを反映しており、新しいプーチン政権に対する期待感を示している。

【参考】

 ☞ コソボ問題は、バルカン半島に位置するコソボの政治的、民族的、歴史的な葛藤を指す。この問題は、主にコソボの独立とセルビアとの関係に関連しているす。以下にコソボ問題の主要な要素を説明する。

 背景

 1.歴史的背景

 ・コソボは歴史的にセルビアにとって重要な地域であり、セルビア正教会の重要な聖地が存在している。
 ・20世紀初頭からの民族的緊張が高まり、特に1990年代に入ると、アルバニア系住民とセルビア系住民との対立が深刻化した。

 2.ユーゴスラビア内戦

 ・1990年代にユーゴスラビアが崩壊し、コソボのアルバニア人住民がセルビア政府からの独立を求める動きが強まった。
 ・1998年から1999年にかけて、コソボ解放軍(KLA)とセルビア軍の間で武力衝突が発生した。

NATOの介入

3.NATOの軍事介入

 ・1999年、コソボの人道的危機を受けてNATOが介入し、セルビア軍に対する空爆を開始した。この介入は、民間人の保護を目的とし、国連の承認なしに行われた。
 ・NATOの空爆により、セルビアはコソボから軍を撤退し、その後国際的な監視下に置かれることになった。

 独立宣言

 4.コソボの独立

 ・2008年2月、コソボは一方的に独立を宣言した。これに対してセルビアは独立を認めず、国際社会の中でも賛否が分かれた。
 ・アメリカや多くのEU諸国はコソボの独立を支持したが、ロシアや中国はセルビアの立場を支持し、コソボの独立を認めていない。

 現在の状況

 5.国際的な地位

 ・コソボは現在も国際的には複雑な立場にあり、約100か国が独立を認めているが、未承認の国も多く存在する。
 ・コソボとセルビアの間での対話は続いており、EUが仲介しているものの、解決には時間がかかると見られている。

 6.民族的緊張

 ・コソボでは依然として民族的な緊張が存在し、特にセルビア系住民との関係は複雑である。

 コソボ問題は、地域の安定や国際的な安全保障にとって重要な課題であり、今後の展開が注目されている。

 ☞ エリツィン政権は、1991年から1999年までロシア連邦の初代大統領としてボリス・エリツィンが率いた時代を指す。この期間は、ソビエト連邦の崩壊後の激動の時期にあり、ロシアは共産主義から市場経済への移行を図った。

 エリツィン政権の特徴としては以下の点が挙げられる。

 1.経済改革とショック療法: ソ連崩壊後、エリツィンは急速な市場経済化を進めたが、この「ショック療法」により、インフレーションや貧困の急増、経済混乱が生じた。特に、旧ソ連の国有資産がオリガルヒと呼ばれる少数の富裕層に集中したことが批判を浴びた。

 2.西側との関係: エリツィン政権は、初期にはアメリカや西欧諸国との友好関係を構築し、ロシアの民主化と市場経済への移行を支援するための援助が行われた。しかし、1990年代後半には、NATOの東方拡大などをめぐり、ロシアと西側の関係は悪化した。

 3.チェチェン紛争: エリツィンの統治下で、ロシアはチェチェン共和国の独立をめぐる紛争に突入した。第一次チェチェン紛争(1994–1996)は、ロシア軍にとって非常に困難な戦いとなり、多くの死傷者を出した。

 4.健康問題と辞任: エリツィンは、在任中に何度も健康問題に見舞われた。1999年12月31日、突然の辞任を表明し、後継者としてウラジーミル・プーチンを指名した。

 エリツィン政権は、ロシアにおける政治的、経済的、社会的な大きな変化をもたらした時期であり、その影響は現代ロシアにも続いている。

 ☞ エリツィン政権とクリントン政権の関係は、1990年代を通じてロシアとアメリカの外交において非常に重要な時期であった。この時期、ソ連崩壊後の新たな国際秩序の中で、アメリカとロシアの関係を再構築することが課題となっていた。

 1. 協力と友好関係の構築

 エリツィンとビル・クリントンは、1993年から1999年にかけて多くの会談を行い、個人的な信頼関係を築いた。クリントン政権は、冷戦後のロシアを西側に取り込み、民主化と市場経済化を支援することを目指していた。アメリカは、ロシアに経済援助や技術支援を提供し、国際社会でのロシアの役割を強化しようとした。

 特に、1990年代初頭には、アメリカとロシアは多くの軍備管理や核兵器削減に関する条約を締結した。例えば、1993年に署名されたSTART II(戦略兵器削減条約)は、両国の核弾頭の削減を目指すものであった。

 2. 経済改革への支援

 クリントン政権は、エリツィンの進める経済改革(特に市場経済化)を積極的に支援した。アメリカは、国際通貨基金(IMF)や世界銀行を通じて、ロシアに多額の財政支援を提供した。しかし、エリツィンの「ショック療法」による急速な改革は、ロシア国内で深刻な経済的苦境をもたらし、これがロシア国民の間でアメリカへの反発を招く要因となった。

 3. NATOの東方拡大と緊張

 一方で、1990年代後半には、アメリカとロシアの間で緊張が高まった。その主な原因は、NATOの東方拡大である。NATOは、東欧の旧ソ連圏の国々(ポーランド、ハンガリー、チェコなど)を加盟させたが、これに対してエリツィン政権は強く反発した。ロシア側は、この拡大がロシアの安全保障に脅威を与えると見なし、米露関係は次第に冷え込んでいった。

 4. ユーゴスラビア問題と対立

 1999年に勃発したコソボ紛争でも、米露の対立が深まった。アメリカを中心とするNATOは、セルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ政権に対して空爆を行い、これにロシアは強く反対した。エリツィンはこの軍事介入をロシアの影響圏への侵害と見なした。

 5. 個人的な関係

 クリントンとエリツィンの個人的な関係は、非常に友好的で率直なものであった。両者は互いにジョークを交わす場面も多く、信頼を重視して関係を築いていた。しかし、ロシア国内の状況が悪化するにつれて、エリツィンはクリントンからの支援を求めつつも、国際的な場面でのアメリカの動きに対して疑念を抱くようになった。

 総括

 エリツィン政権とクリントン政権の関係は、協力と対立が入り混じったものであった。冷戦後のロシアを西側の国際秩序に統合しようとするクリントン政権の努力と、国内の経済問題や安全保障上の懸念を抱えるエリツィン政権との間でのバランスが問われた。

 ☞ エリツィン政権の次期政権は、ウラジーミル・プーチンが引き継いだ。エリツィンは1999年12月31日に突然辞任し、当時首相だったプーチンを暫定大統領に指名した。その後、2000年3月の大統領選挙でプーチンは正式にロシア連邦の大統領に選出され、以降、ロシアの政治の中心に立つことになる。

 プーチン政権は、エリツィン時代と比較して以下の点で特徴的である。

 1. 強力な中央集権化

 エリツィン時代は、ロシア国内での政治的・経済的混乱が目立ったが、プーチンは中央政府の権力を強化し、ロシアを再び強力な国家にすることを目指した。地方の権力者やオリガルヒに対して厳しい姿勢を取り、国の統制を強化した。

 2. 経済の安定化と成長

 プーチン政権は、石油やガスといったエネルギー資源の輸出を活用し、経済を回復させた。エリツィン時代の混乱とは対照的に、プーチンは経済を安定させ、国民の生活水準を改善することに成功した。

 3. 権威主義の強化

 プーチンは政治的反対者やメディアへの締め付けを強化した。民主主義の要素を形式上維持しながらも、実際には権威主義的な政治体制が強化され、政府への批判や異議申し立ては厳しく制限されるようになった。

 4. 外交政策の変化

 プーチン政権は、エリツィン時代の親西側路線から徐々に距離を取り、より独立したロシアの外交政策を展開した。特にNATOの東方拡大やアメリカの国際的な影響力に対する警戒心が強まり、ロシアは徐々にアメリカや西側諸国と対立する姿勢を強めてきた。

 プーチン政権は、エリツィン時代の自由化と混乱の後に安定をもたらしましたが、その代償として民主主義や自由が制限される権威主義体制が強化され、これが現代ロシアに至るまで続いている。

 ☞ 第二次プーチン政権は、ウラジーミル・プーチンが2012年に再びロシア大統領に就任して以降の期間を指す。彼は2000年から2008年まで大統領を務め、その後憲法の規定により連続3期目を回避し、2008年から2012年までは首相として権力を維持していた。しかし、2012年に再び大統領に選出され、この時期の政権は国内外で重要な変化をもたらした。

 1. 大統領任期の延長

 2012年の大統領選挙後、プーチンの大統領任期は新憲法の下で6年に延長された。これにより、彼は2018年まで大統領を務め、その後の選挙でも再選される可能性を持つことになる。さらに2020年の憲法改正により、彼は2036年まで再選が可能となった。

 2. 反政府抗議と政治的締め付け

 第二次プーチン政権の初期には、選挙不正を理由に大規模な反政府抗議が発生した。2011年から2012年にかけて、モスクワを中心に「白いリボン運動」と呼ばれる抗議が行われ、多くの市民が政治腐敗や権威主義に反発した。しかし、プーチンは反対勢力に対して強力な対応を取り、メディアやインターネットに対する規制を強化し、反体制派や人権団体への締め付けを強めた。

 3. クリミア併合とウクライナ危機

 2014年にプーチン政権はロシアの影響力を大きく変える出来事として、クリミア併合を強行した。これはウクライナでの政変(ユーロマイダン)に続くもので、ロシアはウクライナのクリミア半島を編入した。この行動は国際的に大きな非難を浴び、西側諸国はロシアに対して経済制裁を課した。これにより、ロシアと欧米の関係は冷戦後で最悪のレベルにまで悪化した。

 4. 経済制裁と経済的影響

 クリミア併合後、西側諸国からの経済制裁に加え、原油価格の低下がロシア経済に打撃を与えた。ルーブルの価値は急落し、経済成長は停滞した。プーチン政権はこれに対し、自給自足の強化やアジア諸国との経済協力を進め、経済の多角化を目指したが、制裁の影響は依然として続いている。

 5. シリア内戦への介入

 2015年、プーチンはロシア軍をシリア内戦に介入させ、バシャール・アル=アサド政権を支援した。この軍事介入により、ロシアは中東での影響力を増大させ、アメリカや西側諸国との対立をさらに深めたが、一方でロシアは国際的な強国としての地位を再びアピールすることに成功した。

 6. 国内政治の安定化

 プーチンは強力な権威主義的な統治体制を築き、反対勢力を抑圧することで、国内の安定を保った。反対派の指導者であるアレクセイ・ナヴァリヌイなどが拘束され、また、メディアや市民団体に対する締め付けが続いている。これにより、国内での反対意見は封じ込められ、プーチンの支持基盤は強固なものとなっている。

 7. ロシアの国際的孤立と新たな同盟

 西側諸国との関係が悪化する中、プーチンは中国や他のアジア諸国、また中東の諸国と新たな外交・経済協力を模索した。特に中国との関係は強化され、エネルギー分野や軍事協力が進展した。

 総括

 第二次プーチン政権は、国内の安定を維持しつつも、強権的な政治手法や国際的な対立を通じてロシアの国際的地位を強化する一方で、経済制裁や国際的孤立の問題を抱えている。クリミア併合やシリア介入など、ロシアの影響力を拡大させる一連の行動は、プーチンの強いリーダーシップを象徴しているが、それに伴う西側諸国との緊張は続いている。

 ☞ プーチン政権とウクライナ紛争は、ロシアとウクライナの間で深刻な対立を引き起こし、欧州全体や世界に大きな影響を及ぼしている。紛争は、プーチン政権の政策と行動が主な要因であり、特に2014年のクリミア併合と2022年のウクライナ侵攻が大きな転機となった。

 1. 2014年クリミア併合

 ウクライナ紛争の発端は、2014年のクリミア併合である。これは、ウクライナの首都キエフでの「ユーロマイダン」と呼ばれる親欧米派によるデモが、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領を追放し、西側寄りの政権が成立したことに端を発す。

 プーチン政権はこれに強く反発し、ロシアが歴史的に重要視してきたウクライナでの影響力を維持するため、クリミア半島を編入した。ロシアは住民投票を実施し、クリミア住民がロシアへの編入を支持したと主張したが、この投票と併合はウクライナおよび国際社会から違法とされ、アメリカやEUを中心に経済制裁が課された。

 2. ドンバス紛争(2014年以降)

 クリミア併合に続いて、ウクライナ東部のドンバス地域(ドネツク州とルハンシク州)では、親ロシア派の分離主義者が蜂起し、ウクライナ政府と戦闘を開始した。ロシアは公式には関与を否定しつつも、分離主義勢力に対する軍事的支援を行っていると広く認識されていた。結果として、ウクライナとロシアが間接的に衝突する形となり、数万人の死者を出す深刻な紛争が続いた。

 2015年には、ドイツとフランスの仲介によりミンスク合意が成立し、停戦が試みられたが、実質的な解決には至らず、断続的な戦闘が続いた。

 3. 2022年のウクライナ侵攻

 2022年2月24日、プーチン政権はウクライナに対して本格的な軍事侵攻を開始した。これは、1991年のソ連崩壊後に始まったウクライナの西側との接近を阻止するためとされ、ロシア側はウクライナの非ナチ化やロシア語話者の保護を理由に挙げたが、実際にはウクライナのNATO加盟を阻止し、ロシアの影響圏に留めたいという地政学的な目的が強いと考えられている。

 この侵攻により、ヨーロッパ全体での安全保障危機が勃発し、数百万のウクライナ人が国外に避難する一方で、ウクライナ国内での戦闘が激化した。ロシアはウクライナの首都キエフやその他の主要都市を攻撃し、広範な軍事行動を展開したが、ウクライナ軍と国民の強い抵抗に遭った。

 4. 国際的反応と経済制裁

 ロシアの侵攻に対して、国際社会は迅速かつ厳しい制裁で応じた。アメリカ、EU、英国、日本などの国々は、ロシアに対する経済制裁を強化し、金融システムやエネルギー部門を含む広範な分野に制裁が課された。また、ロシアの多くの銀行が国際的なSWIFT決済システムから排除され、外貨準備にも凍結がかかった。

 これにより、ロシア経済は打撃を受けたものの、プーチン政権は国内で強力な統制を維持し、欧米との対立を深めている。一方で、ロシアは中国やインドなどの国々と経済関係を強化し、制裁を迂回する方法を模索している。

 5. ロシアの戦略と今後の展望

 プーチン政権は当初、ウクライナ政府の迅速な崩壊を期待していたと考えられるが、実際にはウクライナ軍の抵抗が強く、戦争は長期化している。ロシアはウクライナ東部と南部の一部を占領し、これらの地域での支配を強化しているが、ウクライナの強力な反撃や西側諸国からの軍事支援により、決定的な勝利を収めることができていない。

 6. 人道危機と戦争犯罪

 ウクライナ侵攻によって、多くの市民が被害を受け、人道危機が深刻化している。特に、ロシア軍による民間施設への攻撃や、ブチャなどでの市民虐殺が報告され、戦争犯罪として国際的な非難を浴びた。これに対し、国際刑事裁判所(ICC)などが調査を進めている。

 総括

 プーチン政権とウクライナ紛争は、ロシアと西側諸国の関係を根本的に変える出来事となり、ロシアは経済制裁や国際的孤立に直面している。ウクライナ侵攻は、プーチンのロシア国内での権力維持や、国際舞台でのロシアの影響力強化を図る戦略の一環と考えられるが、紛争の長期化はロシア自身にも大きな負担を強いる結果となっている。この紛争がどのように収束するかは、ロシア、ウクライナ、そして国際社会の今後の動向に大きく依存している。

【参考はブログ作成者が付記】

【引用・参照・底本】

NATO-Russia charter 1997 was “forced step,” said Yeltsin Washington, D.C 2024.07.09
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/nato-75-russia-programs/2024-07-09/nato-russia-charter-1997-was-forced-step-said

エストニア・フィンランド:ロシアとの緊張を引き起こす2024年10月01日 17:54

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【概要】

 NATOの北東側、特にエストニアやフィンランドが、ロシアとの緊張を引き起こす可能性について詳述されている。特に注目すべきは、エストニアとフィンランドがバルト海のフィンランド湾を封鎖する計画に言及している点である。エストニア国防軍の司令官は、フィンランドとの海上防衛協力を強化し、必要に応じて、軍事的にロシアの活動を完全に阻止できる準備があると発言した。この発言に対し、ロシア外務省は、フィンランド湾を封鎖する計画が国際海洋法の明らかな違反であり、ロシアの航行を制限する行為は許容されないとの立場を表明している。

 2022年夏にリトアニアがカリーニングラードへのロシアのアクセスを封鎖しようとした失敗に触れ、さらに、現在進行中のポーランド-ベラルーシ間の「EU防衛線」の構築が、フィンランド国境にまで拡大する可能性があることが指摘されている。こうした封鎖や防衛線の強化は、NATOとロシアの緊張が高まった際に実行される可能性があり、ロシアにとっては重大な挑発と受け取られる恐れがある。

 特に、フィンランド湾の封鎖とリトアニアによるカリーニングラードへのアクセス制限が同時に行われれば、冷戦時代のキューバ危機のような緊張が生じる可能性があると述べられている。ロシアは、自国の西側の重要な拠点であるカリーニングラードが孤立することを絶対に容認しないという立場を取っており、これが危機を引き起こす可能性があるとされている。

 また、アメリカ大統領選後にドナルド・トランプが当選した場合、この封鎖をロシアに対する交渉戦術として使う可能性があることも示唆されている。トランプが、ロシアのプーチン大統領に対してウクライナでの取引を強いる際に、この封鎖を脅威として利用するかもしれないと述べられている。

 結論として、エストニアとフィンランドが米国の支持を得てロシアに対抗するための行動を取る可能性があり、これがNATOとロシア間の緊張をさらに高める要因となる可能性が指摘されている。

【詳細】

 NATOの北東部、特にエストニアやフィンランドがロシアとの緊張をさらに悪化させる可能性について詳述されている。重要な焦点は、フィンランド湾を巡る封鎖計画にある。エストニアの国防軍司令官が述べたように、フィンランドとの協力を強化し、必要に応じてロシアのバルト海での活動を軍事的に完全に封じ込めることが可能であるとしている。これはロシアに対する大きな挑発行為と見なされる可能性が高く、冷戦以来の重大な対立を引き起こす恐れがある。

 フィンランド湾の封鎖計画

 エストニアの司令官の発言は、エストニアとフィンランドがフィンランド湾を封鎖し、ロシアの海上活動を制限する可能性に言及している。フィンランド湾は、ロシアのサンクトペテルブルクに向かう主要な海路であり、ロシアにとって戦略的に非常に重要な地域である。この湾を封鎖することは、ロシアの経済活動や軍事輸送に大きな影響を与える。

 エストニアの発言に対して、ロシア外務省は迅速に反応し、もしこの封鎖が実施されれば、国際海洋法に対する明白な違反であると述べた。国際海洋法は、海洋での自由な航行を保障しており、特定の国に対する一方的な制限は許されないとしている。特にロシアは、フィンランドとエストニアが提案しているような封鎖行為は国際法に基づく正当な権利を侵害すると警告した。

 カリーニングラード問題と封鎖の歴史

 2022年のリトアニアによるカリーニングラードへの封鎖試みについても触れている。リトアニアは、ベラルーシを経由したロシアからの物資輸送を遮断し、カリーニングラードに対する経済的圧力を加えようとしたが、これは失敗に終わった。それにもかかわらず、今年に入ってから、リトアニアとポーランドは、EUの「防衛ライン」を構築する動きを進めている。このラインは、ベラルーシとの国境からエストニア・ロシア国境まで広がり、事実上の「新しい鉄のカーテン」として機能すると言われている。

 この「防衛ライン」がさらに強化されれば、ロシアにとっては、西側からのさらなる圧力と孤立が進むことになる。特に、フィンランド国境まで防衛ラインが拡大する可能性が指摘されており、これはロシアの北欧方面での影響力を著しく制限することになる。これがNATOとロシア間の緊張をさらに悪化させる要因になるとされている。

 さらなる緊張の可能性とCuban-like危機

 フィンランド湾の封鎖とリトアニアによるカリーニングラードへのアクセス制限が同時に行われれば、冷戦時代のキューバ危機のような緊張状態が再現される可能性があると指摘している。ロシアにとって、カリーニングラードは西側に対する軍事的拠点であり、この地域が孤立することは安全保障上の重大な問題となる。カリーニングラードがNATOの封鎖や圧力によって孤立すれば、ロシアはこれに対して強い反応を示すことが予想される。

 さらに、米国がこの封鎖を支持する可能性が高いという見解も示されている。エストニアが独自に封鎖を行うことは考えにくく、米国の事前の支持や承認が必要とされるため、米国がこの動きを後押しする可能性があると指摘されている。

 トランプ政権時のシナリオ

 記事の後半では、2024年の米大統領選挙に関連したシナリオも取り上げられている。もしドナルド・トランプが再び大統領に就任した場合、彼がプーチン大統領に対してウクライナでの取引を強いるために、フィンランド湾の封鎖を交渉の手段として利用する可能性が示唆されている。トランプがプーチンに対し、ウクライナでの妥協案を受け入れなければ、フィンランド湾封鎖のような厳しい措置が取られる可能性をほのめかすことが考えられる。

 このように、エストニアやフィンランドによる封鎖計画は、NATOとロシアの対立をさらに悪化させる可能性があり、冷戦以来の重大な危機を引き起こす要因となり得る。この動きが実現すれば、欧州全体の安全保障に対して深刻な影響を与えることが懸念されている。
 
【要点】

 ・フィンランド湾封鎖計画

 エストニアとフィンランドがフィンランド湾を封鎖し、ロシアの海上活動を制限する計画を示唆。エストニア国防軍司令官が、軍事的にこの封鎖が可能であり、必要に応じて実施する準備があると述べる。

 ・ロシアの反応

 ロシア外務省は、この封鎖計画が国際海洋法に違反していると非難。ロシアの航行権を侵害する行為であり、許容できないと警告。

 ・リトアニアのカリーニングラード封鎖の歴史

 2022年夏、リトアニアがロシアの飛び地カリーニングラードへのアクセスを封鎖しようとしたが、失敗した事例があり、再び封鎖が行われる可能性が示唆されている。

 ・EU防衛ラインの強化

 ポーランドとリトアニアがベラルーシ国境からエストニア-ロシア国境にかけてEU防衛ラインを構築中。このラインは新しい「鉄のカーテン」として機能し、NATOとロシア間の緊張を高める可能性がある。

 ・Cuban-like危機の可能性

 フィンランド湾の封鎖とカリーニングラードへのアクセス制限が同時に行われれば、冷戦時代のキューバ危機のような重大な緊張状態が生じる恐れがある。

 ・カリーニングラードの重要性

 カリーニングラードはロシアの西側の重要な軍事拠点であり、封鎖され孤立すれば、ロシアは強力に反発することが予想される。

 ・米国の関与

 エストニアが独自に封鎖を決定するのは考えにくく、米国の支援や承認が必要とされる可能性が高い。

 ・トランプ政権時のシナリオ

 トランプが大統領に再選された場合、フィンランド湾封鎖をプーチンとの交渉戦術として使い、ウクライナ問題で妥協を迫る可能性があると示唆。

 ・欧州の安全保障に与える影響

 フィンランド湾封鎖やカリーニングラード封鎖は、欧州全体の安全保障に対して深刻な影響を与える可能性があり、緊張がさらに悪化することが懸念されている。

【引用・参照・底本】

Don’t Forget About How NATO’s Northeastern Flank Can Stir Up A Lot Of Trouble For Russia Andrew Korybko's Newsletter 2024.10.01
https://korybko.substack.com/p/dont-forget-about-how-natos-northeastern?utm_source=post-email-title&publication_id=835783&post_id=149650857&utm_campaign=email-post-title&isFreemail=true&r=2gkj&triedRedirect=true&utm_medium=email

シリアで化学兵器を使用した偽旗作戦の計画2024年10月01日 18:15

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【概要】

 ロシアの対外情報庁(SVR)がシリアで化学兵器を使用した偽旗作戦が計画されていると警告している点に焦点を当てている。この作戦は、一部のNATO諸国やウクライナが関与し、ロシアを中傷する目的で行われる可能性があるとされている。SVRによると、この作戦では、シリア軍およびロシア航空宇宙軍がイドリブの非武装化地域に対する攻撃の際に、武装勢力が無人航空機(UAV)から塩素を含む爆発物を落とし、これを「ホワイトヘルメット」が撮影する計画が含まれているとのことである。

 現在進行中のイスラエルとレバノンの戦争とのタイミングが疑わしいと指摘しており、この化学兵器の偽旗作戦がシリアとトルコ間の軍事的緊張を高める可能性があると懸念されている。特に、トルコがこの挑発に対して軍事行動を強化することによって、地域の不安定化がさらに悪化するシナリオが描かれている。また、これがロシアとトルコの関係にも悪影響を及ぼす可能性があり、ロシアがシリアでのテロリズムの撲滅に向けて積み上げてきた成果が損なわれる恐れがあるとも指摘している。

 最も重要な点は、SVRの警告がトルコ国内に向けて発信され、トルコ政府がシリアでの軍事行動をエスカレートさせることを防ぐための意図がある可能性があるということである。これにより、ロシアはトルコとシリアの間での戦争を防ぎ、また自国の利益を守ろうとしているとの見解が示されている。

 これが実際に発生するかどうかは未確定であり、あくまでシナリオの予測に過ぎないとされているが、読者はシリア情勢に注視するべきだと締めくくられている。

【詳細】

 シリアにおける化学兵器を使った偽旗作戦が計画されているというロシアの対外情報庁(SVR)の警告を中心に、複数のシナリオとその背後にある目的、さらにはその地政学的な影響が考察されている。特に、タイミングや関連する国際的な要素に焦点を当てて、詳細に解説されている。

 SVRの警告内容

 SVRは、一部のNATO諸国とウクライナがシリアで化学兵器を使った偽旗作戦を計画していると警告している。この作戦は、イドリブの非武装化地域におけるシリア軍とロシア航空宇宙軍の攻撃の最中に、武装勢力が無人航空機(UAV)を使用して塩素を含む爆発物を投下するというものである。この様子を「ホワイトヘルメット」が撮影し、これを国際社会に向けて発信することで、ロシアを中傷し、特にグローバルサウスの国々での評判を貶める意図があるとされている。

 タイミングの重要性

 この偽旗作戦が疑わしいタイミングで計画されていると指摘している。具体的には、イスラエルとレバノンの間での最新の戦争が地上戦に移行し始めた時期と一致しており、この地域でのさらなる混乱を引き起こす意図がある可能性が示唆されている。イスラエルとレバノンの戦争の地上戦が始まった時点で、この化学兵器の偽旗作戦が急速に計画されたのではないかという推測がされている。これにより、中東地域全体の不安定化が進み、特にシリアとトルコの関係に悪影響を与える可能性がある。

 シリアとトルコの関係への影響

 もしこの偽旗作戦が成功し、トルコがシリアでの軍事行動を拡大するよう圧力を感じれば、トルコとシリアの間での本格的な戦争が勃発するリスクがあるとされている。トルコがこの挑発に反応して軍事行動を強化した場合、誤算や偶発的な衝突によって大規模な戦争に発展する可能性もある。特にトルコとロシアの関係は、このような展開により悪化する恐れがあり、ロシアがシリアで長年にわたって行ってきたテロ対策の成果が損なわれるリスクがある。ロシアは、シリアでのテロリズム撲滅に向けて多大な努力を注いできたため、新たな紛争がその成果を逆転させ、同時にトルコとの関係も損なわれることを懸念している。

 トルコ国内への影響とロシアの戦略

 SVRの警告には、トルコ国内でこの偽旗作戦の意図を周知させ、トルコ政府がシリアでの軍事行動を拡大することを防ぐ狙いがある可能性が示唆されている。ロシアはトルコとシリアの間での戦争を望んでおらず、またトルコとの関係が悪化することを避けたいと考えている。このため、SVRは偽旗作戦が実行される可能性を早期に公表することで、トルコ国民や政治的指導者に警告を発し、軍事的エスカレーションを防ぐことを目指しているとされている。

 トルコ国内の「深層国家」の影響

 さらに、トルコの「深層国家(ディープステート)」に属する一部の勢力、つまり軍や情報機関、外交機関の一部の要員が、この計画に関与している可能性があるとされている。エルドアン大統領自身、あるいはトルコの軍事・情報機関の一部が、ロシアとの関係を悪化させるためにこの機会を利用しようとしているのではないかという推測が示されている。エルドアン大統領がロシアの「弱さ」を感じ取り、それを利用してトルコの利益を追求しようとする可能性が指摘されている。

 結論

 全体を通じて、SVRの警告はあくまでシナリオ予測に過ぎず、実際に化学兵器の偽旗作戦が行われるかどうかは不明であると強調されている。ただし、シリアやトルコ、そしてロシアの動向に注目する価値があることが読者に促されている。この警告の目的は、ロシアの評判を守ると同時に、トルコとシリアの間での大規模な戦争を防ぐことにもあるとされている。
 
【要点】

 1.SVRの警告

 ・ロシアの対外情報庁(SVR)が、一部のNATO諸国とウクライナがシリアで化学兵器を使用した偽旗作戦を計画していると警告。
 ・計画では、武装勢力が無人航空機(UAV)から塩素を含む爆発物を投下し、「ホワイトヘルメット」がその様子を撮影。

 2.タイミングの重要性

 ・この偽旗作戦の計画は、イスラエルとレバノンの間での地上戦の開始と同時期であり、疑わしいと指摘。
 ・地域の不安定化を引き起こす意図がある可能性。

 3.シリアとトルコの関係への影響

 ・トルコがこの挑発に反応し、シリアでの軍事行動を強化するリスクが存在。
 ・誤算や偶発的な衝突による大規模な戦争の可能性。

 4.ロシアの懸念

 ・シリアでのテロリズム撲滅に向けたロシアの努力が損なわれる恐れ。
 ・トルコとの関係悪化を懸念し、シリアでの戦争を望まない。

 5.トルコ国内への影響

 ・SVRの警告は、トルコ国民や政府に対する警告としての役割も。
 ・トルコ政府がシリアでの軍事行動をエスカレートさせることを防ぐ狙い。

 6.トルコの「深層国家」の関与

 ・トルコの軍事や情報機関の一部がこの計画に関与している可能性。
 ・エルドアン大統領やその側近がロシアとの関係を悪化させようとしているかもしれない。

 7.結論

 ・SVRの警告はシナリオ予測であり、実際に化学兵器の偽旗作戦が行われるかは不明。
 ・シリアやトルコ、ロシアの動向に注目することが重要。

【引用・参照・底本】

The Latest Chemical Weapons False Flag Scare In Syria Is Suspiciously Timed Andrew Korybko's Newsletter 2024.10.01
https://korybko.substack.com/p/the-latest-chemical-weapons-false?utm_source=post-email-title&publication_id=835783&post_id=149653362&utm_campaign=email-post-title&isFreemail=true&r=2gkj&triedRedirect=true&utm_medium=email

ポーランド:ウクライナとの歴史的問題の取り扱い2024年10月01日 18:40

Microsoft Designerで作成
【概要】

 アンドリュー・コリブコの記事は、ポーランド大統領アンジェイ・ドゥダのヴォルィーニ虐殺活動に関する最近のコメントを批判し、ポーランドの保守的・民族主義的利益に対する裏切りと解釈している。主なポイントは次のとおり。

 ドゥダの非難:ドゥダは、ヴォルィーニ虐殺をロシアの陰謀と認識するための圧力を非難した。この声明は、この歴史的な問題に対処しない限り、ポーランドはウクライナのEU加盟を支持しないというヴワディスワフ・コシニアク・カミシュ国防相の主張に応えて行われた。

 政治的背景:ドゥダのコメントは、現在のリベラル・グローバリスト政府の信用を落とすことを目的とした政治戦略を反映していると主張しており、彼はそれがロシアの利益に資する方法で行動していると主張している。しかし、彼は後に撤回し、対戦相手の発言の背後にある意図を知ることができなかったと述べた。

 選挙計算:コリブコは、リベラル派とグローバリストの連立政権が、ウクライナに関するポーランドの利益の擁護者として自らを位置づけることで、来るべき選挙を前に未決定の有権者にアピールしようとしているため、ドゥダの発言は政治的な動機によるものだと示唆している。

 歴史的問題:ドゥダ大統領は、ヴォルィーニの虐殺や第二次世界大戦中の協力などの問題を含む、ウクライナとポーランドの複雑な歴史的関係を認めたが、これらの問題をポーランドのウクライナに対する軍事的または政治的支援と結びつけてはいない。

 反対派からの批判:連合同盟の著名人であるスラヴォミール・メンツェンは、ウクライナとの交渉においてポーランドの利益を優先しなかったとしてドゥダを批判した。彼は、ポーランドの政治家がロシアの陰謀ではなく、国益に焦点を当てる必要性を強調した。

 比較政府のアプローチ:リベラル・グローバリスト政府がウクライナとの歴史的な不満に対処するための措置を講じている一方で、ドゥダに代表される保守的なナショナリストの野党が効果的に対処できていないというパラドックスを強調している。

 歴史的背景と国益:コリブコは、以前の保守的な民族主義政府とドゥダの現在のアプローチの両方が、危機の時期にポーランドのウクライナ支援を活用する機会を逃し、歴史的な不満が対処されないまま放置される可能性があると結論付けている。

 最終的に、ドゥダのコメントを、潜在的な有権者を遠ざける可能性のある重大な誤算として提示し、ポーランドで進行中の政治情勢が、歴史的な物語と絡み合った選挙の考慮に大きく影響されていることを示唆している。

【詳細】

 1. Dudaの発言の背景

 ポーランドのアンドジェイ・ドゥダ大統領は、ウクライナのEU加盟支援を前提に、ボルィーニャの虐殺の犠牲者の遺体を適切に埋葬することを求めるという発言をした。この文脈で、ドゥダはボルィーニャ虐殺の活動をロシアの陰謀として非難した。この発言は、ポーランドのリベラル・グローバリスト連立政権がウクライナに対してこうした要求をすることで、ウクライナのEU加盟を支持する際の条件として扱うことを示唆している。

 2. 政治的背景

 ドゥダの発言は、彼が代表する保守的・ナショナリストの支持基盤を裏切るものであるとKorybkoは主張している。リベラル・グローバリストの連立政権が、この問題を利用して有権者を自分たちの側に引き寄せようとしているという見方が強調されている。ドゥダは、彼の政治的対立者がロシアの利益を支持していると示唆する一方で、具体的な意図は分からないとも述べている。

 3. 選挙の戦略

 Korybkoは、ドゥダの発言が選挙を控えた戦略的なものであると指摘している。リベラル・グローバリスト政権は、ボルィーニャの虐殺問題を取り上げることで、未決定の有権者にアピールしようとしているとされている。これは、歴史的な問題が感情に訴えるための重要なテーマであるためである。

 4. 歴史的問題の認識

 ドゥダは、ウクライナの歴史における問題についても言及している。ボルィーニャの虐殺だけでなく、ウクライナ人のSS部隊への参加やナチス・ドイツとの協力についても触れている。しかし、Korybkoは、これらの問題をポーランドの軍事支援や政治的支援の条件として明確にすることをドゥダが怠っていると批判している。

 5. 対立する意見

 ポーランドの新希望党の党首であり、次期大統領候補のスワウォミール・メンツェンは、ドゥダの発言を非難した。彼は、ウクライナがボルィーニャの問題に妥協しない場合、ポーランドにとっての利益がさらに少なくなると警告し、ポーランドの利益を最優先に考えるべきだと主張した。また、彼は前の政府が軍事支援をこの問題の解決に条件付けなかったことを、国家利益の裏切りとして非難している。

 6. 政府のアプローチの比較

 Korybkoは、リベラル・グローバリストの政府が、保守的・ナショナリストの前政権よりもウクライナとの歴史的な問題に関して積極的にアプローチしているという逆説的な状況を強調している。このような動きは、選挙戦略によるものであるとしながらも、ポーランドの国益に資する行動であると見なされている。

 7. 国家利益の観点

 Korybkoは、ドゥダとその前の政府が、特にロシアの侵攻が始まった際に、ウクライナに対してポーランドの要求を強く主張すべきだったと主張している。その機会を逃したことは、国家利益の裏切りとして歴史に残るだろうと述べている。未決定の有権者に対する歴史的な不正が解決されない場合、その影響は長期的に続く可能性があると警告している。

 結論

 ドゥダは、リベラル・グローバリスト政権のアプローチをロシアの陰謀として非難することで、保守的・ナショナリストの支持者を失う危険性があるとKorybkoは指摘している。ポーランドの国益に資するためには、より戦略的かつ歴史的な文脈を考慮したアプローチが求められていると結論付けている。
 
【要点】

 1.Dudaの発言

 ・ボルィーニャ虐殺の活動をロシアの陰謀として非難。
 ・ウクライナのEU加盟支援がボルィーニャの犠牲者の遺体の適切な埋葬を条件とすることを批判。

 2.政治的背景

 ・ドゥダは保守的・ナショナリストの支持基盤を裏切ったとされる。
 ・リベラル・グローバリスト政権が政治的利益のために歴史的な問題を利用していると主張。

 3.選挙の戦略

 ・ドゥダの発言は選挙を控えた戦略的なものであり、未決定の有権者を引き寄せる狙いがある。

 4.歴史的問題の認識

 ・ドゥダはウクライナの歴史に関する問題(SS部隊参加やナチスとの協力)に言及。
 ・しかし、これらの問題をポーランドの支援条件にしなかったことが批判される。

 5.対立する意見

 ・スワウォミール・メンツェンがドゥダの発言を非難し、ポーランドの利益を最優先に考えるべきだと主張。
 ・前政権が軍事支援を条件付けなかったことを裏切りとして批判。

 6.政府のアプローチの比較

 ・リベラル・グローバリスト政府が歴史的問題に対して保守的・ナショナリストの前政権よりも積極的にアプローチしている。

 7.国家利益の観点

 ・ドゥダと前政権はウクライナに対して強く要求すべきだったと指摘。
 ・機会を逃したことが国家利益の裏切りとして評価される可能性がある。

 8.結論

 ・ドゥダはリベラル・グローバリスト政権のアプローチを批判する一方で、自らの支持を失う危険がある。
 ・ポーランドの国益を考慮した戦略的なアプローチが求められている。

【引用・参照・底本】

Duda Ridiculously Condemned Volhynia Genocide Activism As A Russian Plot Andrew Korybko's Newsletter 2024.10.01
https://korybko.substack.com/p/duda-ridiculously-condemned-volhynia?utm_source=post-email-title&publication_id=835783&post_id=149649212&utm_campaign=email-post-title&isFreemail=true&r=2gkj&triedRedirect=true&utm_medium=email

石破茂、<虎の尾を踏む>のか2024年10月01日 19:09

Ainovaで作成
【概要】

 日本の新しい首相となる石破茂氏が米国との関係を「非対称」と見なし、東京の外交政策が主にワシントンによって決定されていると主張していることに焦点を当てている。

 1. 石破茂氏の選出

 ・石破氏は自民党の党首選挙で勝利し、次期首相になる見込みである。彼はこれまでの安全保障の枠組みに挑戦する意向を示している。

 2. 非対称な同盟

 石破氏は、日本と米国の安全保障同盟が非対称であり、アメリカが日本の外交政策を主導していると考えている。彼は「日本は本当に独立した国ではない」と述べている。

 3. 軍の指揮権

 ・石破氏は、在日米軍の指揮権を日本と共有することや、グアムに日本の軍隊を駐留させる可能性について言及した。

 4. アジアNATOの提案

 ・彼は「アジアNATO」の設立を呼びかけている。この枠組みは、日本、韓国、東南アジア諸国を含む多国間の安全保障同盟を目指すもので、戦後の米国主導の二国間およびミニラテラル同盟の枠組みを置き換えるものとされている。しかし、この提案は実現の可能性が低いと見られている。

 5. 米国の反応

 ・米国政府は、石破氏の提案を「幻想」と評し、アジアの安全保障ネットワークにおける米国の中心的役割が損なわれることを懸念している。

 6. 過去の事例との比較

 ・石破氏のアプローチは、2009年に自民党を離れた民主党政権下の鳩山由紀夫氏を想起させる。鳩山氏は米軍の沖縄からの撤退を求めたが、短期間で辞任に追い込まれた。

 7. 石破氏の政治的立場

 ・石破氏は、ウルトラナショナリストの団体「日本会議」のメンバーであり、防衛支出の増加や台湾支援を支持している。彼は、中国の侵攻に対抗するための日本の役割についても発言している。

 8. 国内外の影響

 ・石破氏は、党内で人気がある一方で、米国や中国との関係において難しいバランスを取る必要がある。彼の選出は、特に自民党のブランドを再構築するためのものであり、今後の米日同盟への影響が注目されている。

 全体として、石破氏のリーダーシップは日本の外交政策において重要な転換点となる可能性があるが、彼の提案が実現するかどうかは不透明である。

【詳細】

  1.石破茂氏の選出背景

 ・選挙結果: 石破茂氏が自民党の党首選挙で勝利したことで、彼は日本の次期首相になる見込みである。石破氏は67歳で、1986年から国会議員を務めており、豊富な経験を持つ政治家である。

 ・岸田文雄氏との比較: 岸田文雄氏は比較的穏健なアプローチを取っていたが、石破氏はより積極的で改革志向の姿勢を示している。

 2. 非対称な同盟の認識

 ・「非対称」の定義: 石破氏は、日本とアメリカの安全保障同盟が非対称であり、実質的にアメリカが日本の外交政策を決定していると主張している。彼は、日本が独立した国家としての主体性を持っていないと考えている。
 ・著作での言及: 彼は、リーダーシップ選挙前に出版した本の中でこの考えを述べている。

 3. 軍の指揮権と自衛隊の役割

 ・共同指揮権の提案: 石破氏は、在日米軍の指揮権を日本と共有することを提案している。これは、米国の軍事的影響を軽減し、日本の防衛能力を強化するための一歩とされている。
 ・日本軍の駐留提案: グアムに日本の自衛隊を駐留させることも提案しており、これは日本の国際的な役割を強化する意図がある。
 
 4. アジアNATOの構想

 ・提案の具体内容: 石破氏は、日本、韓国、そして数か国の東南アジア諸国を含む多国間の安全保障同盟「アジアNATO」を提案している。これは、米国中心の枠組みから脱却し、地域の安全保障を共同で担うことを目的としている。
 ・実現可能性: この提案は、特に米国との関係を危うくする可能性があり、アメリカ政府はこれを否定的に捉えている。

 5. 米国の反応

 ・政府関係者の意見: バイデン政権の高官は、石破氏の提案を「幻想」と表現し、アジアにおける米国の主導的地位が脅かされることを懸念している。また、東アジア担当の国務次官補は「時期尚早」とコメントしている。
 ・アメリカの軍事戦略への影響: 米国は、アジアにおける安全保障のネットワークを維持するために、同盟関係を重視している。石破氏の提案が進展すれば、これに対する強い反発が予想される。

 6. 過去の事例との比較

 ・鳩山由紀夫元首相の例: 2009年に自民党が政権を失い、民主党の鳩山由紀夫が首相に就任した。彼も当初、米国との関係を見直す意向を示したが、短期間で辞任した。鳩山氏は、アメリカとの関係を維持する「アンポ村」と呼ばれる関係者たちの影響力が強いと指摘している。
 ・石破氏の違い: 石破氏は鳩山氏とは異なり、より保守的で強硬派の姿勢を持っており、特に中国に対しても強い姿勢を取っている。

 7. 石破氏の政治的背景と立場

 ・国粋主義的なスタンス: 石破氏は、日本会議のメンバーであり、日本の戦争責任に対する認識に関してウルトラナショナリスト的な見解を持っている。彼は、戦後の日本の自衛と国際的な地位の回復を求めている。
 ・防衛支出の増加: 石破氏は日本の防衛支出を増加させることを支持しており、台湾に対する支援も公然と支持している。彼は、台湾が中国からの侵攻を受けた場合、日本も積極的に関与すべきだと示唆している。

 8. 中国との関係

 ・中国の反応: 石破氏の当選は、中国にとって好ましくない事態である。中国は、アジアNATOの提案や日本の台湾への支援を強く非難している。石破氏のリーダーシップが中国との緊張を高める可能性がある。

 9. 国内の期待と課題

 ・自民党内での支持: 石破氏は、自民党内での支持を受けており、党のブランド回復のための候補者と見なされている。しかし、彼の提案が実現するかどうかは不透明で、特に米国とのバランスを取ることが重要である。
 ・米日同盟への影響: 石破氏のリーダーシップは、米日同盟の再評価や日本の国際的な役割の強化につながる可能性があるが、実現には多くの抵抗が予想される。

 以上の点から、石破氏の選出は日本の外交政策において重要な変化をもたらす可能性があるが、彼の提案がどのように実現されるか、またその結果がどのように影響を与えるかについては、慎重な見守りが必要である。

【要点】

 1. 石破茂氏の選出

 ・石破茂氏が自民党の党首選挙で勝利し、次期首相となる見込み。
 ・67歳で、1986年から国会議員として活動している。

 2. 非対称な同盟の認識

 ・日本と米国の安全保障同盟は「非対称」であり、米国が日本の外交政策を主導していると主張。
 ・日本は本当に独立した国ではないと考えている。

 3. 軍の指揮権と自衛隊の役割

 ・在日米軍の指揮権を日本と共有する提案。
 ・グアムに日本の自衛隊を駐留させる可能性についても言及。

 4. アジアNATOの構想

 ・日本、韓国、数か国の東南アジア諸国を含む多国間の安全保障同盟「アジアNATO」の提案。
 ・米国中心の枠組みから脱却する意図があるが、実現の可能性は低いと見られている。

 5. 米国の反応

 ・バイデン政権の高官が提案を「幻想」と表現し、米国の主導的地位が脅かされることを懸念。
 ・アメリカ政府はアジアにおける安全保障ネットワークを維持したいと考えている。

 6. 過去の事例との比較

 ・2009年の鳩山由紀夫元首相が米国との関係を見直そうとしたが、短期間で辞任した事例を挙げる。
 ・鳩山氏の影響力については「アンポ村」と呼ばれる関係者たちがいると指摘。

 7. 石破氏の政治的背景と立場

 ・日本会議のメンバーであり、ウルトラナショナリスト的な立場を持つ。
 ・防衛支出の増加と台湾への支援を支持している。

 8. 中国との関係

 ・石破氏の当選は中国にとって好ましくない事態であり、アジアNATOの提案や台湾への支援を強く非難される可能性がある。

 9. 国内の期待と課題

 ・自民党内での支持を受けており、党のブランド回復が期待されている。
 ・米日同盟の再評価や日本の国際的な役割強化が予想されるが、抵抗もあると考えられている。

【引用・参照・底本】

Japan's new PM may have a bone to pick with the US RESPONSIBLESTATECRAFT 2024.09.27
https://responsiblestatecraft.org/japan-new-prime-minister/