「歴史と向き合えない政府に、未来を語る資格はない」2025年08月15日 21:04

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【概要】

 2025年は中国の抗日戦争勝利および世界反ファシズム戦争勝利から80周年である。しかし日本国内では、過去の侵略史実の隠蔽が続いている。

 最近、日本国内から日本の侵略戦争犯罪を示す新たな証拠が発見されている。例えば、日本共産党所属で参議院議員の山添拓は、2025年3月に国会で、関東軍の防疫給水部隊であった731部隊(Unit 731)が中国で人体実験を行ったことを示す歴史文書を提示した。この文書は長らく防衛省防衛研究所に保管されていたものである。

 もう一つの例として、77歳の日本人男性Katsutoshi Takegamiは、父親が中央中国防疫給水部隊(通称1644部隊、Unit 1644)の一員であったことを偶然発見した。証拠は父親の遺品の中に隠されていたものである。

 731部隊は中国黒竜江省ハルビン郊外に拠点を置き、病気予防や水質浄化の名目で、人体実験を実施した。実験には細菌感染、凍傷実験、毒ガス吸入実験などが含まれ、中国人、朝鮮人、ソ連人が対象とされた。戦後、日本政府は「731部隊の存在は認める」としたが、詳細については「記録は存在しない」として言及を避けていた。

 山添議員は国会で、1940年9月7日から10日にかけて行われたマスタードガス実験の記録をまとめた文書を提示した。この文書は、元731部隊医官の池田苗夫が1964年に防衛省へ寄贈したものであり、「人間を対象とした実験の成果」であり「非常に価値のある資料」と政府は認めていた。しかし、文書は40年間公開されず、2004年に初めて公にされた。

 1644部隊は南京を拠点とした日本の細菌戦部隊である。Katsutoshi Takegamiは父親の遺品から写真アルバムを発見し、父親が軍服姿で防疫部門に所属していたことを確認した。その後、長野県を通じて父親の「軍務経歴書」を入手し、父親が1930年に徴兵され、1941年に1644部隊に配属され、中国各地で勤務したことを確認した。

 Katsutoshi Takegamiは日本の厚生労働省を通じ、1644部隊および8604部隊、8609部隊の名簿を国立公文書館に移管させた。この名簿は2025年3月に文書カタログに掲載されたもので、これら部隊の実在を証明するものである。

 明治学院大学国際平和研究所のSeiya Matsuno研究員は、証言は重要であるが、時間経過により記憶は曖昧になる場合があると指摘する。実際、731部隊元隊員池田苗夫は1984年に「自分は731部隊に配属されておらず、実験に参加していない」と主張していたが、資料によれば1940年7月から1942年11月まで同部隊に所属していたことが確認されている。

 Matsuno研究員は、日本国内には未発見の証拠が存在すると考え、戦争の恐怖や歴史の真実を理解させるため、資料発掘を続ける必要があると述べている。

 山添議員は「歴史と向き合えない政府に、未来を語る資格はない」と述べ、事実に基づく謝罪の重要性を指摘している。

【詳細】 

 本年は中国の抗日戦争勝利及び世界反ファシズム戦争勝利から80年にあたる。しかし日本においては、戦争の歴史的事実の隠蔽が依然として続いている。日本の若い世代が近現代の侵略の歴史から大きく乖離している理由、国会議員の追及や戦争参加者による中国への謝罪が日本国内で深い衝撃を与える理由、そして市民や研究者が政府の責任回避の姿勢に抗して真実を明らかにしようとする状況が報じられている。

 近年、中国侵略に関する日本軍の各種犯罪の新たな証拠が発見されており、それらの証拠は日本国内に存在する。例えば、2025年3月、日本共産党の参議院議員である山添拓は、国会で旧陸軍関東軍防疫給水部、通称「731部隊」における人体実験の証拠となる文書を提示した。この文書は長らく防衛省防衛研究所に保管されており、一般には公開されていなかったものである。

 また、77歳の日本人男性、Katsutoshi Takegamiは、父親がかつて中国侵略軍の細菌戦部隊「1644部隊」(正式名称は中央中国防疫給水部、通称Unit 1644)に所属していた事実を、父の死後に偶然発見した。証拠は父の遺品の中に隠されていた。

 山添議員は、2025年3月21日、参議院予算委員会で731部隊に関する質問を行ったが、時間制限により十分な回答を得る前に打ち切られた。731部隊は、中国東北部・ハルビン郊外に拠点を置き、表向きは伝染病予防や水質浄化の研究を行う名目で、中国人・韓国人・ソ連人を対象に人体実験を行った。実験内容は細菌感染、凍傷実験、毒ガス吸入など多岐にわたり、戦後の日本政府は「存在は認める」としつつも活動内容の詳細については「記録は存在しない」と回避していた。

 山添議員は「マスタードガス弾による皮膚障害及び臨床症状観察」と題された文書を国会で提示した。この文書は1940年9月7日から10日にかけて行われた人体へのマスタードガス実験の結果をまとめたもので、政府の主張を否定する決定的な証拠である。文書は731部隊の元医療担当・池田苗男によって1964年に防衛省に寄贈されたもので、政府は受領時に「人体実験の結果である」と認め、「極めて価値のある資料」と記録している。しかし、この証拠は寄贈から40年間も公開されず、2004年に初めて公表された。山添議員は、政府が「具体的活動の記録は存在しない」と虚偽の主張を続けてきたことを指摘した。

 一方、1644部隊に関しては、Katsutoshi Takegamiが父・Toshiichi Miyashitaの遺品から「奈良陸軍病院」と記された箱を発見し、軍服姿の写真や「防疫課」「中央中国防疫給水部」との記載を確認した。宮下は1941年に南京に設置された1644部隊に配属され、その後も中国各地で活動していた。戦後は長野県に帰郷し、地域の保健所で勤務していた。

 Takegamiは資料や専門家の協力を得て、1644部隊や他の日本軍細菌戦部隊(8604部隊、8609部隊)の名簿を国立公文書館に移管させ、2025年3月に新たに公開された。これにより、各部隊の存在が公式に証明された。

 また、日本の大学研究者・MatsunoSeiya は、証言だけでは記憶の曖昧さにより事実確認が難しい場合があるため、資料の発掘が重要であると指摘した。山添議員も、過去の事実を認め、事実に基づく謝罪を行うことが未来の戦争防止に不可欠であると述べている。

 要約すると、本記事は以下の点を明示している。

 ・日本政府は731部隊や1644部隊などの戦時犯罪に関する資料を長期間隠蔽してきた。

 ・日本国内に新たな証拠や文書が存在することが確認されている。

 ・証拠の発掘には市民や研究者の地道な努力が不可欠である。

 ・過去の戦争犯罪を正確に認識することが、将来の戦争防止につながる。

【要点】

 ・2025年は中国の抗日戦争勝利・世界反ファシズム戦争勝利から80年にあたる。

 ・日本では戦争史実の隠蔽が依然として続いており、若い世代の歴史認識との乖離が大きい。

 ・新たに日本軍の中国侵略犯罪に関する証拠が発見されている。

 731部隊に関する事実

 ・旧陸軍関東軍防疫給水部(731部隊)は中国東北部・ハルビン郊外を拠点とした。

 ・表向きは伝染病予防や水質浄化の研究を行う組織であった。

 ・実際には、中国人・韓国人・ソ連人を対象とした人体実験(細菌感染、凍傷実験、毒ガス吸入など)を行った。

 ・山添拓参議院議員が国会で「マスタードガスによる人体実験結果」を示す文書を提示。

 ・この文書は1940年9月に行われた人体実験の記録で、1964年に防衛省に寄贈されたが、長年非公開だった。

 ・政府は長年「具体的活動の記録は存在しない」と虚偽の主張をしていた。

 ・1644部隊(中央中国防疫給水部)に関する事実

 ・Katsutoshi Takegami氏が父・Toshiichi Miyashitaの遺品から、1644部隊に関する資料を発見。

 ・Toshiichi Miyashitaは1941年に南京設置の1644部隊に所属し、中国各地で活動した。

 ・遺品には軍服写真や「防疫課」「中央中国防疫給水部」との記載があった。

 ・Takegami氏は資料や専門家の協力で部隊名簿を国立公文書館に移管、2025年に新たに公開。

 研究者・市民の役割

 ・MatsunoSeiya 氏(大学研究者)は、証言だけでは曖昧さがあるため資料発掘が重要と指摘。

 ・市民や研究者の努力により、隠蔽されていた事実の証拠が明らかになっている。

 まとめ・意義

 ・日本政府は731部隊・1644部隊などの戦時犯罪資料を長期間隠蔽していた。

 ・新証拠の発見により過去の事実が明らかになりつつある。

 ・過去の戦争犯罪を正確に認識することが、将来の戦争防止につながる。

【桃源寸評】🌍

 日本には<台風一過>や<喉元過ぎれば熱さを忘れる>という諺がある。

 しかし、此の諺には過去を振り返る様子は見当たらない。つまり、災厄が去って安堵の気持ちを表し、艱難辛苦を共に記憶に残し、未来に生かそうということは微塵も無い。

 万事が、例年の如く訪れる地震・津波・台風と同様の扱いなのだ。それが、戦争でも、其の悲惨・戦禍を被ったことは詳細に、これも毎年のように、台風の如き扱いで、述べられ、平和などを訴えるのも、同様である。

 だが、何かが抜けている。つまり、特に戦争を語るときに顕著なのだが、絵になる話は好んでも、その因果関係には言及しない。要するに、"名宛人"がいないのだ。名宛人とは、責任を引き受けなければならない張本人のことである。

 昭和22年5月3日 施行の日本国憲法には、此の名宛人が明記されているのだ。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」と。つまり、アジア・太平洋戦争、或は15年戦争を引き起こし、中国国民の方々を始め筆舌に尽くせない多くの悲惨・犠牲を被らせた、当時の政府の行為を、そしてその責を引き受ける現在の政府が、名宛人なのだ。そのように日本国民は決意した。

 よって、全ての日本人が責をを負う。戦後生まれだから知らないとの言い訳は成り立たない。歴史を積極的に知らなければならないのだ。其れが、戦後に生まれた日本国憲法の要請であるのだ。

 名宛人の無い一切は、"物語"になる。物語を現実にするには、名宛人をしっかり銘記することだ。戦争は個人が起こすのではない。 

 今朝の新聞を見ても、自国民の犠牲者は、まるで被害者のように論うも、例えば、他国民に与えた深い傷跡には張本人でありながら、追悼・謝罪の念も見られない。憲法の主旨を体するなら、斯様な自国民本位の被害振りは、名宛人を免罪し、放置することになり、新たな過去に向かっての行進となろう。

 「しかし、いつも忘れられがちな重大な要項がある。其れは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」(『寺田寅彦随筆集 第五巻』岩波文庫)と。

 私たち日本人は如実に其れを体験した。東日本大震災(2011年3月11日)である。続く福島第一原発での津波による非常用電源設備を水没、1〜3号機で炉心溶融、水素爆発、原子炉建屋が損壊、大量の放射性物質が環境中に放出された。しかし、此れなども、本当に名宛人はいないのだろうか。貞観地震(869年)による警告、原発については多くの指摘がなされてきたが、"想定外"で名宛人は逃げ切る。いずれも、歴史を謙虚に学び活かすことは無かった。名宛人はいるのだが、隠蔽されてしまう。

 狭く四方海に囲まれた日本、逃げ場は無い。俯瞰すれば即理解できよう、海岸沿えや裾野に人々は暮らしている。それ故、<村八分:村落で行われた私的制裁>がトラウマとなり、集団の中で、問題を提起することを、極端に恐れる。徹底的に張本人を追及できない構造が生まれ、習性となる。

 東日本大震災時、メディアで強調された"絆(「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」の意味もある)"の叫びとなる。つまり、<十把一絡げ>にし、<雲散霧消>化させてしまう。抽象概念は名宛人を透明人間にしてしまう。
 
 「国土強靱化基本計画」、本当に歴史を学んでのことか。一過性の行った振りの弥縫策ではないのか。

 寺田寅彦同著で、安政元年11月4日の東海道大地震・同5日の南海道大地震についても言及している。

 「天災は忘れた頃にやって来る」、<台風一過>や<喉元過ぎれば熱さを忘れる>では済まされない。名宛人を追求すべきである。
  
 憲法は、祝日の代名詞ではない。

【寸評 完】 💚

【引用・参照・底本】

Eighty years of selective amnesia: Latest evidence of Japanese invasion crimes lies hidden in Japan GT 2025.08.13
https://www.globaltimes.cn/page/202508/1340788.shtml

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