天井の話2023年05月26日 12:23

唐画粉本 https://dl.ndl.go.jp/pid/2542633/1/14
 『鄥其山漫文 生ける支那の姿』内山完造 著

 (一一一- 一一八頁)
 天井の話

 天井と云ふ聲は吾等日本人として、すぐ上を向かせるから、天井とは上にあるものに違ひないのであるが、其上の方にある所謂天井と、天井と呼ばれる其名がどうしても私にはピツタリとしない。天の井と云ふ字で、頭の上の板張りを現はすのはどう考へて見ても、理由が解らない。時々友人や知人に聞いて見る、然し板張りが井筒形とか桝形とかが多く、そして上にあるから、天井と云ふのだ位の説明より、聞くことが出來ない。一つ辭書を開いて見るべしと ,廣辭林を借りて調べて見た。あるある、ちゃんと天井の名の起りまで書いてある。
 天井とは(名)室内の上部の小屋組、若くは上階の床組を隠すために設くるおほひ、我
國在來の建築にては其上に板を張りたるもの、天井の名は火災を忌みて此れを壓するに起る。と書いてある。斯く書いてはあるが、私には矢張り未だピツタリとしない。
 支那にも天井と云ふ文字が使はれて居る。それでは天井と云ふ名は、どんな物に使はれて居るのであらうか、支那で云ふ天井とは、家の中庭を指して云ふのである。中庭へは、四方から屋根が葺き下ろされて居つて、井の字形に青空が見へる。井が上の方にあるから天井と云ふのかも知れぬが、それでは未だピツタリと來ない。然かし餘程其方が近いなどと思ひながら色々と考へてた。
 天井は前にも云ふ樣に、屋根が四方から井の字形に、葺きき下ろされて居つて、四隅には雨水の落ちる樋が立てられて居る。大きな水甓が、二つ乃至四つ、四隅の樋の傍らに置いてある。四隅にある樋の途中に切形があつて、そこには又小さい樋が差し込んであつて、小さい樋の先きは水甓の上に覗いて居る。それで、雨が降ると、四方の屋根の雨水が、四隅の樋に流れ込んで、更らに小さい樋をつたつて、大きな水甓へ流れ込むのである。水甓に水が一ぱいになると、小さい樋ははすされて、雨水は自由に流れ落ちるのである。此の水甓の水は何にするのか、此れこそ實に最上の飲料水である。――井と云ふものゝ少ない浙江省の東部方面は、悉く飲料水は雨水であるが、支那には雨水を飲料水として居る地方は非常に多い。

 つまり天から雨水を受けて、蓄へる大水甓の置いてある中庭だから、天井と云ふのである。一口に言へば天の水を取る處だから、天の井と云ふのである。
 
 此れで私はそうだなと得心した。其の蓄へられて居る雨水だが、どの水甓にもぼうふらが一ぱいである。
 水の入用の時には、水甓椽を桶か杓でことんとたゝけば、ぼうふらは びんびんびんびんと棒を振りながら、水の底へ沈んで行く。上の方をざぶつと汲んで取れば大丈夫で、ぼうふらはめつたに這入つて來ない。
 日本人や、西洋人の眼で見て頭で考へると、ぼうふらの居る不潔な水が、飲料水とはどうしても考へられない。然し支那の人はぼうふらの居る水甓の水は、安全水と考へられるのである。此れで支那人が生水を飲まない、熱湯のみ飲む理由がはつきりと解る。
 なぜぼうふら水が安全であるのか、之れは云ふ迄もなくぼうふらが生存出來る位の水は毒水でないと云ふことを、無意識的に知つて居るのである。卽ちぼうふらは、此水を飲めと人間共に教へて居るのである。

 上海には有名な六神丸と云ふ藥がある、そして新北門聖興街角の電允上と云ふ店が、ほんとうの本家である。處が上海には此六神丸の類似品や、模造や僞造が實に澤山ある。然し私は寡聞にして、本家の六神丸が、類似品や、模造や僞造を相手にして、訴へたり爭つたりしたことを聞いたことがない。平然として無數の僞物を知らん顔で居る。否、知らぬ顔でゐるのみでなく、反對に、僞造品や模造品の多いことは、畢竟自分の本家の六神丸なるものが、優れて居るからであると云ふ證據であるとさへ考へて居る。
 安全水なるが故に、ぼうふらが居るのであるとでも云つた樣に、無數に僞物を放任して置く、あの度量は實に見上げたものであると思ふ。 
 然し何程大度量の支那人でも、そんなのんきな事ばかり言うて居られぬ揚合もある。相手の僞物に對して、何等かの方法を講じなければ、自分が倒される恐れがある、そんな時には、何んとするか、それには實に面白い方法がある。
 先年上海の英美煙公司と、大美煙公司と云ふ新會社とが、非常な競爭戰をやつたことがあつた。新會社、大美煙公司は紅屋牌と云ふ商標の卷煙草を賣出した、それは當時英美煙公司の老牌子紅錫包(本名はルビークヰン)に對しての競爭であつた。大美煙公司から仕掛けられた英美煙公司は、此時紅屋牌の賣出しに對して、新たに橋牌と云ふ卷煙草を賣出した。恐らく紅屋牌は紅錫包と競爭する考へであつたらうと私は想像して居る。然し忽然として橋牌なる新製品が出て來た。そして紅屋牌に對して猛烈な逆襲的競爭を開始した。そして互ひに爭うた結果、遂に大美煙公司はものゝ見事な惨敗となつて幕は閉ぢた。私は此一戰を充分注意して見て居つた、それは實に而白いものであつた。
其後私の關係して居つた大學眼藥に對して、某支那人が模造品を造つて競爭して來た。そして、大學眼藥が何程かの影書を受ける樣な立揚になつた時、大學眼藥の本店では、商標侵害で訴へる考へであつたのだが、私は一策を考へ出した。そして訴へるより先きに試みた。
 一體支那人は善悪に拘らず、訴訟と云ふことが嫌ひである。その反對に日本人は大部分訴訟を平氣でやる樣である。此の氣分の差は、支那人が日本人と心から打解けることの出來ない大きな一つの原因であると私は思うて居る。
 私は先づ類似品を製造して居る某に向つて、
『君の造つて居るあの眼藥は、大學眼藥の模造品で、共の爲に大學眼藥は其の商標が侵害されて居る。此まゝ放任することが出來ない。それで私の方でも、これが對策を研究して見た。そして類似商標を相手にして訴訟をするのが一つの方法、今一つは訴訟をせずに、訴訟費用を他の方法で費つて、解決することも方法である。そして私は訴訟することを止めて訴訟せない方法を採ることにした。
 君が大學眼藥の模造品を造られるも、畢竟金儲けと云ふことが、目的であつて儲からなくなれば必ず模造を止めるに違ひないと思ふ。そこで私は訴訟するに費す金を持つて、君が模造品の模造を中止する樣にするつもりである。と云ふても、君の模造品を買ひ取ると云ふことはせん。
 私は君が模造品を造られたことによつて、大學眼藥の商標が侵害された。共通りに今後私は君の商品の模造品を造る。そして、君の商品と競爭する。無代まで競爭することに決心したのですが、模造を止めるなり模造を繼續せられるなり、どちらなりと御返事を頂き度い。』と申込んだ。ところが某はもう止めますと返事した。そして間もなく其の模造をほんとに中止した。私の策は成功した。此の方法を、私は二號政策と名付けて居るが、古くから支那にある方法であつて、前の英美煙公司と大美煙公司の場合の、英美煙公司が使つた方法も、矢張り此の二號政策であると私は思ふて居る。
 「毒を制するに毒を以つてする者」とも言はるべきものであらう。

引用・参照・底本

『鄥其山漫文 生ける支那の姿』内山完造 著 昭和十一年六月五日第三版 學藝書院

(国立国会図書館デジタルコレクション)

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