支那は我日本の恩國である ― 2022年06月27日 10:40

『アメリカ樣 全』宮武外骨 著
例 言
日本軍閥の全滅.官僚の没落、財閥の屏息、ヤガテ民主的平和政府となる前提、誠に我々國民一同の大々的幸福、これ全く敗戰の結果、吐無血革命、痛快の新時代を寄與して呉れたアメリカ様のお蔭である、江戸時代の末期、ペルリ使節が浦賀へ來たので、武士共が騒ぎ出し.永く續いた泰平で、甲冑や刀剣、鞍や鐙を賣卸して手許に持たぬ者が多くあり、俄にそれを古道具屋で買入れたが、そこで古道具屋が大儲け、當時「武具馬具屋アメリカ様とそツと云ひ」との柳句があつた。
此古道具屋の口吻をかりて、今本書の題號としたのである 著者戴れに「半米人」と稱す、今年齢八十歳、米壽は八十八、下の八が足りない、そこでア米リカ様の半支配下、半米人と自稱するのである
序
官僚や財閥と苟合して無謀の野心を起した軍閥、其軍閥が我國を亡ぼしたのであるが、今日の結果から云へば、此敗戰が我日本國の大なる幸福であり我々國民の大なる仕合せであつた、若しも(萬一にも)此方が勝つたのであるならば、軍閥は大々的に威張り、官僚や財閥迄も共に威張り、封建的思想の殘存で、ますます我々國民を迫害し、驕傲の振舞、憎々しい態度、肩で風切り、反身になつて、サーベルをがちやつかせるに相違ない、其上、重税を課し、兵役を増し、軍備を倍加し、以て八紘一宇とやらの野心をつツぱり、侵略主義の領土拡大を策する等で、我々國民はドンナに苦しめられるか知れない、これを思へば敗戰の結果、總聯合軍のポツダム會議で決定された我日本を民主化の平和國とするべき意圖の實行で、代表的のアメリカ様が御出張、マツクアーサー元帥の指導命令で日本の官僚、軍閥、財閥をたゝき付けて下さる壯絶の快擧、加之、我國開闢以來、初めて言論の自由、何と云ふ仕合せ、何と云ふ幸福であらう、皆これ勝つて下さつたアメリカ様、日本を負けさせて下さつたアメリカ様のお蔭として感謝せねばならぬ、これは成るやうに成つたのだから、あきらめるの外なし、今更グチを並べても追付かず、理窟を云つても何の効なし、そこで此『アメリカ様』を發行して自ら慰め、他を慰めんとするのである
一-一頁
アメリカ様 其お蔭の數々 随筆的記述
侵略主義でない平和理想國の日本
我輩は日本が軍備のない國になつた事を慶賀する者である、其軍備全廢が自力でなく、意外にも他力で行はれた事は、世界平和の理想を実現した歡喜すべき大変動であつたと確信する、此軍備全廢の利益は多々ある、其中でも國税の八割、百億圓とすれば八十億圓までを軍備費に使はれて居たのであるに、それが全くなくなつたのは、國民の負担が大々的に輕くなつたのであり、此一事だけでも國民の苦患が消解し去つたと見てよい、次ぎに兵役の全廢で、年々何十萬という農工商の壯丁が、不生産的軍事に使はれず、各々が安んじて其職に就き得られる産業上の利益も亦大である、又その次ぎに、日本の陸軍海軍、軍衙軍舎、軍艦軍機、軍需会社、軍港軍用地等の解散解放で、國家國民の有用使途に還つた事は、是亦多大の利益である、これを我日本がアメリカ様のお蔭で、侵略主義でない平和の理想國に変つたとして喜ぶのである
二-二頁
支那は我日本の恩國である
人の複數は國である、人に恩人があるごとく、國にも恩國がある、支那は我日本の恩國である、我日本國の歴史を見よ、日本の文化は悉く支那から寄與されたものである、支那から貰つて來たものである、衣食住を始め、制度文物、政治法律學問器具等、みな支那よりの渡來である、若し支那がなかつたならば、日本は絶海の孤島、荒涼の蠻國であつたであらう、日本人そのものが支那人の移住だといふ説もあり、日本は支那の分家であつたらしい
昔京都の儒者が、鴨川の東側に居て西側へ移住した時、支那へ近くなつたと云ふて喜んだとの史話がある、少しでも恩國に接近した有難味を感じた純情の發露と見る、これ位でなくてはならぬのに、明治時代の日清交戰當時、支那人を輕蔑して「チヤンチヤン坊主」と呼んだなどは、實に恩知らずの頂上であると思ひ、今にそのバチ(罰)が來るであらうと予知して居た 果せる哉、支那侵略の野望が破れて現在の爲體(ていたらく)ざま見ろと叫んでゐる者がある筈、恩を知らぬ奴、恩を忘れる奴の末路は、人も國も同じであるぞと知れよ、今更ながらそれを悔悟して、日華親善でなく、支那尊敬の謝意を表さなくてはならぬ
三-三頁
日本國民が感謝すべきアメリカ様
誠に奇な因縁と感ずるのは、我が日本國と阿米利加國との関係である、封建制度の徳川幕府が倒れて明治維新の政府が建設されるに到つたのは、其前嘉永年間にアメリカより施設ペルリが浦賀へ來たのがモトで、鎖國攘夷が開港に變じた結果、西洋諸國の文明を輸入して大に開花ぶることに成つたのである、それが近頃更にアメリカよりマツクアーサー元帥が我が國に押込んで來たのが、破天荒の無血革命、軍閥の全減、官僚の没落、財閥の屛息、ヤガテ民主的平和政府、開闢以來の最大御維新、勿怪の國勢と成つたのである、これを思へば、アメリカ様は日本國民一同が揃つて感謝禮拝すべき大恩恵國ではないか、南無アメリカ様
繪葉書類別大集成と云ふのは、予が近年全力をあげての別事業であるが、咋年八月以後、戰事に關係したもの三四帖を作り、其中の「軍閥」には西郷隆盛を元凶として、大山巖、乃木希典、東郷平八郎など數十名の軍人を入れ、その外陸軍、海軍、軍艦などは多くある、特に珍とすべきは、日米關係のものばかり三百枚ほどを集めた一帖である、嘉永に來た黒船、水師提督ペルリを始めとした、其概目は此次ぎの頁に
引用・参照・底本
『アメリカ樣』宮武外骨 著 昭和二十一年五月三日發行 藏六文庫
『繪本道化遊全』宮武外骨 著 明治四十四年二月十日發行 雅俗文庫
(国立国会図書館デジタルコレクション)
例 言
日本軍閥の全滅.官僚の没落、財閥の屏息、ヤガテ民主的平和政府となる前提、誠に我々國民一同の大々的幸福、これ全く敗戰の結果、吐無血革命、痛快の新時代を寄與して呉れたアメリカ様のお蔭である、江戸時代の末期、ペルリ使節が浦賀へ來たので、武士共が騒ぎ出し.永く續いた泰平で、甲冑や刀剣、鞍や鐙を賣卸して手許に持たぬ者が多くあり、俄にそれを古道具屋で買入れたが、そこで古道具屋が大儲け、當時「武具馬具屋アメリカ様とそツと云ひ」との柳句があつた。
此古道具屋の口吻をかりて、今本書の題號としたのである 著者戴れに「半米人」と稱す、今年齢八十歳、米壽は八十八、下の八が足りない、そこでア米リカ様の半支配下、半米人と自稱するのである
序
官僚や財閥と苟合して無謀の野心を起した軍閥、其軍閥が我國を亡ぼしたのであるが、今日の結果から云へば、此敗戰が我日本國の大なる幸福であり我々國民の大なる仕合せであつた、若しも(萬一にも)此方が勝つたのであるならば、軍閥は大々的に威張り、官僚や財閥迄も共に威張り、封建的思想の殘存で、ますます我々國民を迫害し、驕傲の振舞、憎々しい態度、肩で風切り、反身になつて、サーベルをがちやつかせるに相違ない、其上、重税を課し、兵役を増し、軍備を倍加し、以て八紘一宇とやらの野心をつツぱり、侵略主義の領土拡大を策する等で、我々國民はドンナに苦しめられるか知れない、これを思へば敗戰の結果、總聯合軍のポツダム會議で決定された我日本を民主化の平和國とするべき意圖の實行で、代表的のアメリカ様が御出張、マツクアーサー元帥の指導命令で日本の官僚、軍閥、財閥をたゝき付けて下さる壯絶の快擧、加之、我國開闢以來、初めて言論の自由、何と云ふ仕合せ、何と云ふ幸福であらう、皆これ勝つて下さつたアメリカ様、日本を負けさせて下さつたアメリカ様のお蔭として感謝せねばならぬ、これは成るやうに成つたのだから、あきらめるの外なし、今更グチを並べても追付かず、理窟を云つても何の効なし、そこで此『アメリカ様』を發行して自ら慰め、他を慰めんとするのである
一-一頁
アメリカ様 其お蔭の數々 随筆的記述
侵略主義でない平和理想國の日本
我輩は日本が軍備のない國になつた事を慶賀する者である、其軍備全廢が自力でなく、意外にも他力で行はれた事は、世界平和の理想を実現した歡喜すべき大変動であつたと確信する、此軍備全廢の利益は多々ある、其中でも國税の八割、百億圓とすれば八十億圓までを軍備費に使はれて居たのであるに、それが全くなくなつたのは、國民の負担が大々的に輕くなつたのであり、此一事だけでも國民の苦患が消解し去つたと見てよい、次ぎに兵役の全廢で、年々何十萬という農工商の壯丁が、不生産的軍事に使はれず、各々が安んじて其職に就き得られる産業上の利益も亦大である、又その次ぎに、日本の陸軍海軍、軍衙軍舎、軍艦軍機、軍需会社、軍港軍用地等の解散解放で、國家國民の有用使途に還つた事は、是亦多大の利益である、これを我日本がアメリカ様のお蔭で、侵略主義でない平和の理想國に変つたとして喜ぶのである
二-二頁
支那は我日本の恩國である
人の複數は國である、人に恩人があるごとく、國にも恩國がある、支那は我日本の恩國である、我日本國の歴史を見よ、日本の文化は悉く支那から寄與されたものである、支那から貰つて來たものである、衣食住を始め、制度文物、政治法律學問器具等、みな支那よりの渡來である、若し支那がなかつたならば、日本は絶海の孤島、荒涼の蠻國であつたであらう、日本人そのものが支那人の移住だといふ説もあり、日本は支那の分家であつたらしい
昔京都の儒者が、鴨川の東側に居て西側へ移住した時、支那へ近くなつたと云ふて喜んだとの史話がある、少しでも恩國に接近した有難味を感じた純情の發露と見る、これ位でなくてはならぬのに、明治時代の日清交戰當時、支那人を輕蔑して「チヤンチヤン坊主」と呼んだなどは、實に恩知らずの頂上であると思ひ、今にそのバチ(罰)が來るであらうと予知して居た 果せる哉、支那侵略の野望が破れて現在の爲體(ていたらく)ざま見ろと叫んでゐる者がある筈、恩を知らぬ奴、恩を忘れる奴の末路は、人も國も同じであるぞと知れよ、今更ながらそれを悔悟して、日華親善でなく、支那尊敬の謝意を表さなくてはならぬ
三-三頁
日本國民が感謝すべきアメリカ様
誠に奇な因縁と感ずるのは、我が日本國と阿米利加國との関係である、封建制度の徳川幕府が倒れて明治維新の政府が建設されるに到つたのは、其前嘉永年間にアメリカより施設ペルリが浦賀へ來たのがモトで、鎖國攘夷が開港に變じた結果、西洋諸國の文明を輸入して大に開花ぶることに成つたのである、それが近頃更にアメリカよりマツクアーサー元帥が我が國に押込んで來たのが、破天荒の無血革命、軍閥の全減、官僚の没落、財閥の屛息、ヤガテ民主的平和政府、開闢以來の最大御維新、勿怪の國勢と成つたのである、これを思へば、アメリカ様は日本國民一同が揃つて感謝禮拝すべき大恩恵國ではないか、南無アメリカ様
繪葉書類別大集成と云ふのは、予が近年全力をあげての別事業であるが、咋年八月以後、戰事に關係したもの三四帖を作り、其中の「軍閥」には西郷隆盛を元凶として、大山巖、乃木希典、東郷平八郎など數十名の軍人を入れ、その外陸軍、海軍、軍艦などは多くある、特に珍とすべきは、日米關係のものばかり三百枚ほどを集めた一帖である、嘉永に來た黒船、水師提督ペルリを始めとした、其概目は此次ぎの頁に
引用・参照・底本
『アメリカ樣』宮武外骨 著 昭和二十一年五月三日發行 藏六文庫
『繪本道化遊全』宮武外骨 著 明治四十四年二月十日發行 雅俗文庫
(国立国会図書館デジタルコレクション)