ニクソンショック2023年12月04日 16:45

関三十郎 国立国会図書館デジタルコレクション
 ニクソンは、アメリカ合衆国が他国に対してドルと金との交換が可能であることを断念し、1971年8月15日に金本位制度を停止することを宣言した。これにより、ドルは金との兌換が困難になり、為替相場も変動相場制に移行した。これを指して「ニクソンショック」と呼ばれている。

 この出来事は、国際的な経済秩序に大きな変化をもたらした。ブレトンウッズ体制の終焉は、各国通貨の相対的な価値が市場の需給に基づいて変動する自由な為替相場制度への移行を促した。アメリカのドルが金との交換が保証されていなくなったことで、通貨間の相対的な価値は市場で決定されるようになった。

 ニクソンショックは、国際通貨制度における大きな転換点であり、その後の国際金融システムに影響を与えた。

 ブレトンウッズ体制(Bretton Woods System)は、第二次世界大戦後に1944年にアメリカ合衆国のニューハンプシャー州ブレトンウッズで開催された国際通貨体制に関する会議(ブレトンウッズ会議)で合意され、その後国際通貨体制として採用された制度である。この体制は、主に金本位制度と固定為替相場制度を基盤としていた。

 ブレトンウッズ体制の主な特徴と構成要素は以下の通り。

 金本位制度(Gold Standard): 各参加国は自国通貨を一定の金量と交換することが約束され、ドルは1オンス35ドルの金と交換できるとされた。これにより、各国通貨の価値が金に対して固定された。

 固定為替相場制度(Fixed Exchange Rate System): 各国の通貨は相対的な価値を維持するため、固定された為替相場が採用された。しかし、これには制度の柔軟性が不足していたため、国の経済状況に合わせて調整できないという問題が生じた。

 国際通貨基金(International Monetary Fund, IMF): 為替相場の安定や国際収支の調整を目的とした国際機関として、IMFが創設された。参加国はIMFへの積み立てを行い、必要な場合にはこれを利用して支援を受けることができた。

 国際復興開発銀行(International Bank for Reconstruction and Development, IBRD): ウッドロウ・ウィルソンの提案に基づき、戦後の国際復興と開発を支援するためにIBRD(後の世界銀行)が設立された。

 ブレトンウッズ体制は、安定した国際通貨体制の構築を目指していたが、1960年代に入ると経済の変動や不均衡が顕在化し、アメリカの国際収支の悪化が進んでいた。これにより、ブレトンウッズ体制は破綻し、1971年にアメリカが金本位制度を放棄する形で崩壊した。これが「ニクソンショック」として知られる出来事である。

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