開戰の遠因近因2022年07月20日 16:38

夕景
 『小説 日米戰爭未來記』樋口麗陽著

 (七-一八頁)
 二、開戰の遠因近因           2022.07.20

 日米開戰の事實と報道とは、全世界の凡らゆる國民を驚かせたが、日米の衝突は未だ曽て想像も豫想もされない突發的新現象ではなかつた。日本が日淸日露兩戰爭に優勝して國運勃興し、一躍世界列強の班に伍した頃から、移民問題、學齢兒童問題、對支問題などによつて、日米兩國の衝突は日米何れかが其の國是を根本的に更改しない限り、到底避け難いことで、只だ時の問題であるとして、日米兩國民の頭脳には、それが牢乎たる先入主となり、日米國際上、一問題一事件のある毎に、促進せられ切迫しつゝあるやうに思はれた。そして是れは國際上の機微に觸るゝ機會を有たない一般國民のみでなく、政治家外交家軍人學者識者等の高等階級間にも潜在意識の如く浸み込んで、事毎に擡頭し、時機は兎も角、兩國の衝突は、將來到底回避することの出來なとことであらうと思はれて居たのである。
 ところが、一千九百十年代に於ける、舊獨逸の侵略的軍國主義によつて勃發した世界戰爭が獨逸帝國の崩壊、軍國主義の壊敗、聯合國の勝利の結果、國際聯盟成立し、各國の軍備制限實行せられ、聯盟加入國間に於ける國際的紛爭問題はすべて聯盟會議の判決によつて、平和的に處理し、武力行使の自由行動が許されぬことになつた結果、そして日米兩國亦た國際聯盟に加入した結果、多年豫期され想像されて殊に著しく兩國民の神經を刺戟して居た日米戰爭は、最早過去に於ける想像的事實、架空的夢想として葬られ、將來永久に兩國の衝突の機會は絶滅し去つたものと思はれるやうになつた。
 斯くて日米兩國が、國際聯盟の根本精神通り、何處までも平和的であり紳士的であり文明的であり親善的であり、共存共立的であつたならば、日米の衝突、日米開戰は永久に實現しなかつたであらうが、第一次世界戰爭當時、盛んに平和主義を唱へ、自由平等の世界的デモクラシーを宣傳し、國際聯盟の成立を叫んだ張本人の米國は、漸次非デモクラシー的となり、非平和的となり、非紳士的となり、非文明的となり、日本に對して或る重大なる壓迫を加へるやうになつた。
 然らば、其重大なる壓迫とは何であるか、即ち資本的侵略主義であり、經濟的併呑主義であり、排日主義である。
 米國の國家成立の歴史から觀て、また其後の主張行動から觀て、殊に國際聯盟の主唱者であつたといふ事實から見て、日本は何處までも米國は平和主義であり文明主義であり、自由平等共存共立を目的とするデモクラシーの國であり、正義人道主義の國であると信じた。併し識者の一部には之は米國の本音ではない、米國は眞正の正義人道主義を奉ずるものではない、其口にする所と腹のドン底とは多大の相違がある所か全然違つて居る。米國は敵本主義の國で、デモクラシーの宣傳、正義人道主義を看板として世界列國を胡魔化し、米國一流の資本的侵略主義、經濟的併呑主義を以て世界を縦斷横斷し、南北アメリカを併合して一丸とし、新興日本の鼻の先をへし折るか、壓抑して亞細亞大陸の經濟的權利利益を壟斷し、世界の資本的盟主、經濟的専制君主たらんとするを目的とするもので、獨逸の軍國主義と同等或は却つてより以上危險なものであると云ひ、米國を過信するな、假面を冠つて平和主義正義人道主義のヒョットコ踊りをして見せるのに瞞着されるな、ヤンキーの狡智に欺されるな、大手品を欺されるなと國民を戒めたものもあつた。
 處が果せるかな米國は國際聯盟成立後三年を出でずしてソロソロ敵本主義の正體を現はして來た。曽て日本の一部の識者が喝破した通り、世界無比の大資力を提げて經濟的亞細亞侵略の行動を開始した。日本に對しても世界に對しても日米親善主義を聲明しながら、陰に廻れば親善どころか盛んに日本を悪罵中傷し、日本は獨逸以上の侵略的軍國主義である、日本の國民は其過去數千年間の歴史に明示して居るやうに好戰好血の國民である。日本の對支政策は侵略政策であり、併呑を最後の目的とする猛獸の羊兎に對する如き政策である。日本は支那併呑の目的を達せんがためには凡らゆる手段を執つて居る。見よ、日本が巴里の講和會議に人種差別撤廢を主張したのは何の爲めであつたかを。南洋に於ける舊獨逸領たりしクロネシャ群島を國際委任統治より除外して自由併呑を主張したのは何のためであつたかを。また濠洲に將た米國に向つて無制限に移民を送らんとする裏面の目的が果して何であるかを。其他日本の對外政策の一切が果して何を意味し何を語り何を目的とせるものであるかを。即ち日本が飽くなき侵略慾を逞うせんがためではないか。日本が米國や濠洲に向つて盛んに無制限的移民政策を採らんとして居るのは、一朝日米日濠間に事の起つた場合内部から攪亂させるためである。南滿洲や内蒙古の租借年限を延長に次ぐに延長を以てして居るのは、斯くて或る機會に乘じて併呑し、それに據つて支那全土を支配せんとするに外ならないのである。クロネシャ群島を其支配下に収めたのは濠洲と米國とに對する威嚇であり、侵略に便せんためであるなどと中傷し、世界に於ける日本の同情と信用とを失墜せしめようと、凡らゆる陰険惡辣なる手段方法によつて吹聽し始めた。
 濠洲の如きは日本の発展を快しとしないことに於いて米國と同樣であり、日本人の移民を排斥すること亦米國同樣であり、其日本に對する利害關係亦殆んど米國と軌を一にして居る處から、米國に雷同して盛んに日本を獨逸以上の危險國だ、野心國だと非難し、クロネシャ群島の統治權の如きも取り上げて濠洲に移さなければ、將來世界の平和を破る禍根になるとか、日本はクロネシャ群島に軍事上の施設を陰謀して居るとか、列國が日本の國狀に詳かでないのに乘じて根も葉もないことを吹きたてた。そして米濠は互に氣脈を通じ、在米在濠の支那人を煽動し、排日運動を援助し、支那内地に於ける米濠人をして亦同樣の活躍を爲さしめた。
 日本の眞意を解せず、何處までも日本を侵略主義だと誤解してゐる支那國民は忽ち米濠の煽動に乘り、猛烈ななる排日運動を起し、米濠を援護者として滿蒙の利權を回収せよ、租借契約を直ちに破棄せよなどと叫び、鼎の湧くが如き重大なる狀況となつた。
 一方に於て支那人を煽動しながら、他方に於ては朝鮮人を教唆して獨立運動を煽動した。朝鮮人の知識分子は、支那人同樣忽ち米國の煽動に乘つた。そして、朝鮮が日本に併合されたのは暗愚なる帝王を頂いて居たからである。米國の如く佛國其他の如く民主共和制ならば立派に獨立し得る、朝鮮民族は政治的低能や無能ではない、二千萬の鮮人が祖國を鮮民族自らの手に回収し、鮮民自らの手によつて國家を組織し、平和自由平等の幸福を得ると否とは鮮民族全體の覺醒すると否とにあり、二千萬の鮮民同胞よ、覺めよ、醒めよ、我等固有の國土と利益とは強慾飽くなき日本の爲めに恣にせられ、吸収されて居るではないか、民族自決は自然理法である。苟くも政治的低能ならざる實質を有する民族の恥辱であり、滅亡であり、自然理法にに背反した不自然であるなどと激越なる口調で無知識階級を煽動し始めた。米國は例の筆法によつて宣教師などの手より貧民救濟を名として或は秘密に、盛んに黄白を撒いて愚民を懐柔し、獨立運動者の團體に對しては巨萬の運動費を秘密に供給した。又支那人も同病相憐むといふ筆法で鮮民を教唆煽動し、相呼應して日本に反抗し、日本の支配權下より脱しようではないかといふ調子で、暗中活躍をやる。
 一千九百十九年即ち大正八年度に於ける朝鮮騒動事件以來、朝鮮統治方針の根本改善を行つた日本政府は其後着々として鮮民本位の政治を行ひ、殆んど内地人同樣の待遇をして居たので、朝鮮が反旗を飜すやうなことは絶對にあるまいと安心し切つて居た矢先、再び猛然として獨立運動が起り、今度はより根強いより大規模の運動であるから、鎮撫については非常の苦心を餘儀なくされたのであるが、米國は其どさくさに乘じて支那に政治借欵、經濟借欵のの暗中飛躍を試み、日本の利權を無視した借欵契約を締結し、支那を資本的保護國とし、其無盡藏の富を一手に壟斷し、日本の發展を阻止し、孤立の地位に陥れて手も足も出ないやうにしようと目論み、凡らゆる陰謀畫策を逞うした。
 そして又英佛の諸國を動かして日本に對する信用と同情とを撤回させようと努め、露國に對しても日本の對西比利亞野心を吹聽して對日反感を煽り、西比利亞方面から日本を威嚇させようとするに至つた。
 形勢斯くの如くなつては、幾許暢氣な日本と雖も安閑としては居られない。自衛上それに對抗するだけの有効な手段方法を取らなければならない。茲に於て日本の新聞は一齊に筆を揃へて米濠、殊に其首謀者たる米國の態度を行動を攻撃し、米國の態度は純然たる挑戰的態度で文明の賊であり平和の敵であり、國際聯盟の趣旨目的を無視したる侵略主義行動であると、一々其事實を指摘して公平なる世界の批判に訴ふるの態度を取つた。
 朝野の政治家外交家は、政黨政派の別なく一致團結此重大なる米國の對日挑戰的の態度行動に當らんことを申合せ、必死となつて活動を開始し、各國駐在の使臣をして活躍せしむるは勿論、特使を急遣して米國の陰謀を摘發し、日本に對する同情と信用との維持は素より、より以上の同情と信用とを得んことに最善の努力を盡した。  其うちに支那の排日、朝鮮の獨立運動は刻一刻危險となり、尋常一樣の微温的手段方法を以てしては到底難關を切り脱けることは不可能の形勢となつた。
 日本政府は英佛白伊其他聯盟加入諸國に對して、国際聯盟に基く仲裁々判所の命令によつて直ちに米國の不法行爲を制止せんことを要請した。

引用・参照・底本

『小説 日米戰爭未來記』 樋口麗陽著 大正九年五月廿一日發行 大明堂書店

(国立国会図書館デジタルコレクション)