【桃源閑話】 中西伊之助2024年06月09日 21:11

永平寺
 【桃源閑話】
 
 探したが、『婦人公論』1923年11・12月合併号の「朝鮮人のために弁ず」が見つからない。

 以下の資料等から孫引きではあるが、引用させていただき記憶したい。

 「平和主義者 山本宣治と中西伊之助 ─尹東柱が残した追憶と平和の記憶より─ 李 修京」(第46巻第1号2『立命館産業社会論集』2010年6月106 114)に引用されている。前後文をも含めて引用する。

 「1923年9月1日に起こった関東大震災の際,それまでに「要視察人」とされていた無政府主義者の朴烈と同棲していた金子文子の二人は大逆罪で「保護検束」となると,家も近くて思想的に共感していた中西夫妻は,二人のために差し入れを入れたり面会を行った。金子文子が自殺した後,その遺骨を出迎えるために中西の妻ゆきこが池袋駅まで出掛けている。なお,1923年9月1日に起こった関東大震災の際に虐殺された6661名の朝鮮人狩りを行った日本の野蛮的当局の行動に憤怒を覚えた中西は,早速『婦人公論』で「朝鮮人のために弁ず」を発表する。

 『私は敢えて問う,今回の鮮人暴動の流言蜚語は,この日本人の潜在意識の自然の爆発ではなかったか? この黒き幻影に対する理由なき恐怖ではなかったか?』『朝鮮民族は,平和の民であります。』『朝鮮は芸術の国であります。東洋の形象美術は,むしろここにその発祥を為したものであると申しても,決して過言ではありません。』『朝鮮人は,親しみやすく,相愛しやすい民族であります。……日本人の考えているような狂暴の民族性はどこにも見ることができないのであります。』『私は日本人に対して決して多くを望みません。愛すべき同胞として信ずべき朋友民族として,あの美しい半島の人々を,親切な心をもって理解してもらいたいのです。』(『婦人公論』1923年11・12月合併号)

 国家暴力の恐ろしさは非常時に生まれやすく,その残虐さを表すのは山本宣治が憤慨した大逆事件を見てもよくわかる。その事を重々知っていながら憤怒を公に表出した中西の態度は当時,どれほど勇気のある行動であったかは簡単に推察できよう。」


 劉永昇 著『関東大震災 朝鮮人虐殺を読む 流言蜚語が現実を覆うとき』57~58頁
 
 「私は寡聞にして、未だ朝鮮国土の秀麗、芸術の善美、民情の優雅を紹介報道した記事を見たことは、殆どないと云っていいのであります。そして爆弾、短刀、襲撃、殺傷、――あらゆる戦慄すべき文字を羅列して、所謂不逞鮮人――近頃は不平鮮人と云う名称にとりかえられた新聞もあります――の不逞行動を報道しています。それも、新聞記者の事あれかしの誇張的筆法をもって。

 若し、未だ古来の朝鮮について、また現在の朝鮮及朝鮮人の知識と理解のない人々や、殊に感情の繊細な婦人などがこの日常の記事を読んだならば、朝鮮とは山賊の住む国であって、朝鮮人とは、猛虎のたぐいの如く考えられるだろうと思われます。朝鮮人は、何等考慮のないジァナリズムの犠牲となって、日本人の日常の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻みつけられているのであります。(中略)私は敢えて問う、今回の朝鮮人暴動の流言蜚語は、この日本人の潜在意識の自然の爆発ではなかったか? この黒き幻影に対する理由なき恐怖ではなかったか?
             (「朝鮮人のために弁ず」」

 【閑話 完】

引用・参照・底本

『関東大震災 朝鮮人虐殺を読む 流言蜚語が現実を覆うとき』 劉永昇 著 2023年9月1日 第1版第1刷発行 亜紀書房

李修京「平和主義者山本宣治と中西伊之助 : 尹東柱が残した追憶と平和の記憶より」『立命館産業社会論集』46(1)(145),立命館大学. 国立国会図書館デジタルコレクション http朝鮮人のために弁ずs://dl.ndl.go.jp/pid/10988828 (参照 2024-06-09)

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