ジュリアン・アサンジの事件2024年06月27日 10:42

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【桃源閑話】

 第七章 アメリカ帝國主義、領土擴張
 
 (176-181頁)
 一 アメリカ人の正義人道   2022.04.04

 アメリカ人は、「正義」とか「人道」とか「平和」とか、「親善」とか、實に善い言葉を使ふ。かかる善言、美詞を使用する國民であるから――定めし立派な國民であらうと思はれるけれど、實際、彼等の言勣に直接觸れて見ると幻滅の悲哀感を味ふ。
 著者はアメリカに留學し、アメリカの大學で、學生生活を經驗したが、その間、米國人に對し幾多の疑問を懐いた。それに就て二、三の懐出を語らう。
 一九二二年の五月頃、初夏の晩のことであつた。私の學んでゐた〇〇〇〇大學の近くでリンチがあるといふので下宿のおかみさんまで騒いでゐる。出て見ると大變な人集りだ。街の暴徒が、黑人青年の首に繩をかけストリートを引摺つて行くのだ。見物人は彌次馬になつて、ワイワイ騒ぎながらついて行く、やがて街はづれの橋まで來た。橋の下は川ではなく、鐡道線路が通つてゐる。
 この橋の上でリンチ(私刑)がはじまつた。暴徒の親方みたいな私刑執行人が、引摺つて來た黑人青年に『手前奴が、自人の娘を犯した罪によつて只今私刑にするから覺悟しろ』と怒鳴つた。黑人青年は、息絶えだえに、悲痛な聲で、『私はそんたことをしない、私は無實だ、助けて呉れ』と泣いてゐる。     ’
 折柄一人の老紳士が現はれた、『私の娘のために、こんなごとになつては大變だ。どうかこの黑人を助けてやつて呉れ』と親方に頼んだ。
 『馬鹿野郎!助けるものか、死刑にするのだ。愚圖々々いふと手前も一緒に私刑だぞ!』
 老紳士はあきれてゐる。人から見られるのを恥しさうに、こそこそ人込みの中に逃げ込んだ。問題の白人娘の父観だつたのである。
 橋の下の線路から『もう好いよ、早くやつちまへ』といふ。哀れ黑人青年は、首を繩で締められたまま、橋の上から振り落された。時計の振子のやうに、橋の中間に振られてゐたが、遂にがつくりと絶命した。
 この殺人私刑を、平氣で見物してゐる街の人達、中には若い女も相當あつたし、私刑執行の暴徒の中には、大學生も加つてゐたといふことだ。
 私は、その晩、容易に眠れなかつた。何といふ無茶なことをする國民であらう。これが、正義、人道、博愛、親善、平等、自由を口にする一等國民の行爲であらうか。それとも、これが、アメリカの眞實の姿なのであらうか――。
 事件は斯うである。死刑の行はれた橋下の線路側で、白人娘が黑人青年に犯された。娘は泣いて家に歸る、その父親は、カンカンに怒つて警祭に届ける。讐察は活動を闘始する。新聞はヂャンヂャン書く、忽ち街中の評判となり、『黑人は生意氣だ』『やつけろ」といふ憤りが輿諭とにつた。
 一人の黑人青年が嫌疑者として逮捕された、裁判を數囘開いて調べたが、犯人と斷定がつかない。確證もあがらない。裁判所も困つて、街の刑務所に入れて置いた。
 裁判の埒の明かぬに業をにやした街の兄い連、暴徒となつて刑番所を襲つた。黑人の入つてゐる獨房に鍵がかかつて開かぬので、近所のアセチリン瓦斯タンクからホースで、瓦斯を引いて、遂に鍵を焼切つて、中から引張り出し、首に繩をかけて街中を引摺り廻した揚句が、この惨虐なるリンチである。
 果して犯人であるか、否かも不明であるが、市民の激昂、與論の赴くところ、全く理性を忘れ、何をしでかすか解らないところにアメリカ人特有の性格がある。
 しかしこの事件は、それで濟んだのではない。私刑は法律の許さぬ行爲である。そこで一應兄い連、親方連五、六人私刑執行の嫌疑者として検擧した。裁判の結果、陪審員は『無罪』を主張する。證據か不十分とか、何とかで有耶無耶に終つて了つた。これでは正義、人道が泣くではないか。
 私の留學してゐる頃、アメリカの各大學では猛烈な軍事教練が行はれてゐた。演習ともなれば、何處から持ち出すのか野砲までガラガラ引出し、歩騎砲工堂々行進する有樣には我ながら感心した。
 當時日本では、大學の軍事教練に對し、『學園の自由』を叫んで、反對した學生も多かつた。軍國主義と稱せられる日本の大學生は、軍教に反對し、自由主義、民主主義を標榜するアメリカの大學の軍事教練は斯くも大規模に行はれるものかと驚いたのである。
 アメリカは自由を尊ぶ國であることは認めるが、その自由は、白人市民の自由が原則であるらしい。私は大學に入つた當時、下宿屋を探したが、新聞の廣告を頼りに行つて見ると、先づ主婦が出て來て、ヂロヂロと上から下まで見上げ見下し、さて『お國はどちらですか』と訊く。なかなか一軒や二軒では決らない。時に非常に不愉快を覺へる。自由でも、平等でも、決してないのである。
 その頃から、私はアメリカ人の正義、人道、自由に對し次のやうに考へてゐた。
 『アメリカ人の正義は、アメリカ人の權利を主張する言葉であり、アメリカ人の人道は、アメリカ人の生くる道のために説く言葉である。また、自由とは、アメリカ人の生くる道、その權利を保有するために必要なる自由である。』……と
 街の映畫館に行つても、同じ米國市民でありながら黒人の座席は仕切つてある。黑人は、その座席が滿員となつたら入場出來ない。黑人に自由はなく、アメリカの廣大なる天地も、黑人に取つては、甚だ肩身のせまい思ひがするであらう。
 そこで、我々は、米國人の説く、正義、人道、博愛、平等、自由も、それはアメリカ人のためのものであつて、額面通り、こちらにも通用すると思つたら、それこそ大變な誤算を生ずるといふことを十分肚に入れてかからねばならぬ。

引用・参照・底本

『アメリカの實力』棟尾松治 著 朝日新聞記者 昭和十六年二月五日發行 青年書房
(国立国会図書館デジタルコレクション)

【閑話 完】

【概要】

 ジュリアン・アサンジの事件の最近の進展は、彼のアメリカとの法廷闘争の複雑で論争の多い性質を浮き彫りにしている。ウィキリークスの創始者であるアサンジは、アメリカ軍の機密文書や外交文書を暴露したことで悪名を馳せた。何年にもわたる法廷闘争の後、彼は今、自由人としてオーストラリアに戻ったが、それは重罪の罪を認めた後だった。

 アサンジの事件は、言論の自由、人権、内部告発者の処遇について重大な問題を提起している。批評家たちは、アメリカ政府によるアサンジの執拗な追及は、他国がアサンジの権威に挑戦し、不都合な真実を明らかにするのを阻止するための明確なメッセージだと主張している。釈放されたにもかかわらず、司法取引は、政府の不正行為を暴露した人々が直面する深刻な結果を強調している。

 また、この訴訟は、言論の自由と人権に対する米国のアプローチにおける二重基準の認識を強調している。米国はこれらの価値観を世界的に推進しているが、自国の利益が脅かされると、それを抑圧していると非難されてきた。アサンジの訴追の物語は、国家安全保障と透明性の間のより広範な緊張関係と、政府が自国の利益を守るためにどこまでやるのかを物語っている。

 アサンジの試練は、長期にわたる投獄と法廷闘争によって特徴づけられ、内部告発の潜在的な個人的コストを強く思い起こさせる役割を果たしている。また、国家安全保障と国民の知る権利のバランスをめぐる議論を巻き起こし続けており、米国が世界の舞台で信奉する価値観の完全性に疑問を投げかけている。

【詳細】

 背景

 ジュリアン・アサンジは2006年にWikiLeaksを創設した。WikiLeaksは、政府や企業の機密情報を公開することで知られている。特に、2010年にアメリカの軍事および外交文書を大量にリークしたことで注目を浴びた。この情報公開には、イラク戦争やアフガニスタン戦争中の米軍の行動に関する文書が含まれており、アメリカ政府にとって大きな打撃となった。

 法的闘争

 アサンジはアメリカ政府から18件の罪状で告発された。その中には、1917年制定のスパイ法(Espionage Act)違反が含まれている。この法律は、国家の安全保障に関わる情報を不正に取り扱ったり公開したりすることを禁じている。アサンジはイギリスで逮捕され、約7年間、ロンドンのエクアドル大使館に亡命していたが、2019年にイギリス警察に逮捕された。

 最近の展開

 2024年、アサンジはついにアメリカでの法的闘争に一区切りをつけるために罪を認めた。これにより、アサンジはオーストラリアに戻ることが許され、自由の身となった。しかし、この自由は罪を認めることと引き換えに得たものである。

 議論と批判

 アサンジの事件は、いくつかの重要な議論を引き起こしている。

 言論の自由と報道の自由

 アメリカはしばしば言論の自由と報道の自由を擁護する国として知られているが、アサンジの扱いはこれらの価値観と矛盾すると批判されている。WikiLeaksによる情報公開は、政府の透明性と市民の知る権利を強調するものであったが、アメリカ政府は国家安全保障の名の下にこれを弾圧した。

 二重基準

 アメリカは他国の人権侵害を批判することが多いが、自国に対する批判や不都合な情報の公開には厳しい態度を取る。これは、アメリカが自国の利益に基づいて自由や人権の概念を曲げているという批判につながる。

 告発者(ホイッスルブロワー)の保護

 アサンジのような人物が厳しく処罰されることは、他の潜在的な告発者に対する抑止力となる。これにより、政府の不正行為を暴露することがより困難になる可能性がある。

 結論

 ジュリアン・アサンジの事件は、現代における国家安全保障、言論の自由、報道の自由、そして告発者の保護という複雑な問題を浮き彫りにしている。アサンジの罪状認否と釈放は、これらの問題に対する新たな議論の火種となり続けるだろう。この事件は、情報公開と政府の透明性を巡るグローバルな対話を促進するものであり、その影響は今後も長く続くと考えられる。

【要点】

 ジュリアン・アサンジ事件の概要

 1.WikiLeaks創設

 ・2006年にジュリアン・アサンジがWikiLeaksを創設
 ・政府や企業の機密情報を公開

 2.2010年の大規模リーク

 ・アメリカの軍事および外交文書を大量にリーク
 ・イラク戦争やアフガニスタン戦争中の米軍の行動を暴露

 3.法的告発

 ・アメリカ政府から18件の罪状で告発
 ・1917年制定のスパイ法(Espionage Act)違反を含む

 4.イギリスでの亡命と逮捕

 ・ロンドンのエクアドル大使館に約7年間亡命
 ・2019年にイギリス警察に逮捕

 5.2024年の罪状認否と釈放

 ・アメリカでの法的闘争に一区切りをつけるために罪を認める
 ・オーストラリアに戻り、自由の身となる

 6.議論と批判

 ・言論の自由と報道の自由

  アサンジの扱いがアメリカの言論の自由の価値観と矛盾

 ・二重基準
 
  アメリカの自由や人権に対する二重基準の批判

 ・告発者の保護:

  厳しい処罰が他の告発者への抑止力となる

 7.結論

 ・国家安全保障、言論の自由、報道の自由、告発者の保護に関する複雑な問題を浮き彫り
 ・情報公開と政府の透明性を巡るグローバルな対話を促進

【引用・参照・底本】

This is the 'freedom' the US advocates: People who tell the truth have to plead guilty GT 2024.06.26
https://www.globaltimes.cn/page/202406/1314874.shtml

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