孤立主義と聚團主義の對立2023年04月01日 21:37

応挙名画譜
 『米國外交上の諸主義』 法學博士 立作太郎 著

 (一四-二〇頁)
 第七節 孤立主義と聚團主義の對立

 滿洲事變の際、米國に於て昭和七年(千九百三十二年)國務次官カッスルは、フーヴァー主義(卽ちスティムソン主養義)を以て不戰條約に歯を付するものと稱したが、同樣の考を以て巳に昭和二年(千九百二十七年)一月及五月に於て、所謂侵略國に對する制裁として、侵略國に向つて輸送される兵器彈藥の輸出を禁ぜんとするカレル決議案及カワ・ハー決議案が及カッパー決議案提出された。是等の提案は議會に於て採られなかつたが、是れ不戰條約又は國際聯盟に關係する聚團主義的思想に基くものであつて、孤立主義、又は離隔主義に滿足せず、中立の公平不偏の義務より離れんとするの思想の傾向が米國の或方面に於て存することを示すものである(註三)。

註三 等しく兵器輸出の禁止に關する干九百二十九年二月のボーター決議案及同年 四月のフィッシャー決議案の如きは、一切の交戰國に向けて輸出するを禁ぜんとするのであつて、中立の基本觀念に背くこと無く、又離隔主義の思想と相容れぬもではなかつた。又干九百二十八年のバートン決議案及千九百三十二年フィッシュ決議案に至つても、戰時禁制品に關し國際協定が成らぬとせば、中立國が其國内法に依り兵器及軍用器材の輸出を禁止し、之に代へて、非戰時禁品及條件付禁制品の拿捕免除を要求 せんとし、中立に關する妥協的折衷的解決を求めんとするものであるから、中立の基本觀念に背くこと無く、離隔主義の思想と相容れぬことはなかつたのである。以上の兵器輸出禁止に關する提案は何れも法として成立するに至らなかつたのである。

 フーヴァー大統領の時、千九百三十二年一月十九日一旦米國上院を通過した決議案は、大統領の選擇に依り一方的に所調侵略國に仕向けらるる兵器の輸出のみを禁止することも爲し得ることとしたのであるが、是れ侵略國に對して強制を加へ、國際的協力に依りて戰爭の發生を防止せんとする聚團的制度の思想に基いたものであつて、離隔主義思想と相容れぬものである。之を實行するの結果は、國際法上の中立の公平不偏の蓑務に背く場合を生じ得べく、從つて國際法上の中立の制度を無視する場合を生じ得べきである。此の決議案に關して、其の米國の中立義務違反の場合を生ずるの可能性を有すること及大統領に對して米國を戰爭に引人れるの結果を生じ得る措置を爲すの權限を認め、議會の宣戰の權限を侵食するに至るべきことにつき非難が加へられ、千九百三十四年二月二十八日上院に於て、大統領の權限に制限全加へ、兵器倫出の禁止は總ての紛爭當事國に公平に適用さるべきものとするの條件を付して再び通過することとなり、大統領は紛爭國の一方のみに向けて兵器愉出祭止を行ふことを得ざるに至つた。是れ當時米國上院に於て離隔主義的思想が猶存して、聚團的制度の觀念が猶弱きことを示すものと言ひ得る。當時米國政府は是の如き條件の付せられなる案に同意するを欲せざるため、該案は上院の決議の後其僅に放置され、該当議案につき何等の措置も執られなかつた(註四)。

註四 現在のルーズヴェルト大統領の下の政府の國務長官コルデル・ハルが上院の修正を經た此案に反對するの理由として述べた所は、(1)修正が米國の國際聯盟との協力及不戰條約の違反者に對する聚團的制裁の觀念に適せざること及び(2)米國が中立權を 抛棄するに代へて、英國及佛國より海軍軍備制限に關係ある約束を得んとするノルマン・デヴィスの計畫と齟齬することの二に在つた樣である(クレクラフ卜海洋自由論ー九三五年版六六頁參照)

 伊太利、エスィオピア間の紛爭の發生に促されて千九百三十五年(昭十年)八月二 十一日急遽上院を通過し、同月二十三日下院が修正を施して採擇し、同月三十一日大統領の認可を經た所謂米國中立法(即共同決議)は、戰爭回避を主要なる目的とするのであつて、海上の中立權を強く主張する在來の傳統的の態度を棄てたのであるが、未だ國際協力の聚團的制度の觀念を認めるに至らないものである。兵器彈藥の輸出に關して、大統領の裁量の自由を認めること極めて狭く、戰爭の起る場合に於ては、雙方の交戰國に宛つべき兵器彈弾藥の輸出を一樣に禁ずべきこととなしたのであつて、平和維持に關する國際協力の聚團的制度の觀念に基き、又は英國との協議を計るの精神に基いて、所謂侵略國に對してのみ兵器彈藥の輸出を禁止する如きことは、行ひ得ざることとなつた。上述の中立法は、兵器彈藥輸出禁止の手段に依り、絶對的禁制品に  關する中立權關係の問題が米國と交戰國との間に起ることを阻止せんとし、其他の點に於ても、米國人、米國在留の外國人及米國船舶に對して制限を加へて、實践上國際法上の中立權に關する譲歩を爲し、又は中立義務の履行に關する紛議の原因を去り(註五)、中立問題に依り米國が他國間の戰爭に引入れらるることを防がんとし、主として中立權の勵行を避くることに依り戰爭を回避することを趣意としたのであるが、是れ米國上院に於て聚團的制度の觀念が猶弱く、離隔主義思想の猶衰へざることを示すものである。米國大統領側に於ては、兵器輸出禁止につき大統領の裁量の自由が充分に認められざることを遺憾としたのであるが、終に妥協的解決の結果として兵器彈藥の輸出禁止に關する規定に限り、千九百三十六年(昭和十一年)二月末日迄を有効期間と定めることとして、大統領が中立法に認可を與へることとなつたのである。是の最初の中立法は、兵器彈藥及軍用器其の輸出禁止を定めたのであるが、大統領に選択の自由を與ふる範圍を狭くし、又一切の紛爭關係國に公平に之を適用することとして、伊太利、エスィオピア間の事件に適用したのである。

註五 兵器彈藥及軍用器具輸出禁止と同樣に中立權の實践につきての譲歩を組成すると認めべき所の上述の中立法中の他の規定の例を擧ぐれば、米國人が交戰國の船舶に搭乘して公壽海を航行することは自己の危險を以て行ふものなることを宣言し、之に關して外交上の保護を與へざることを定めたるが如き是である(此規定は千九百三十七年即ち昭和十二年五月の中立法に於ては、單純なる禁止の規定となつた)。又中立義務の履行につきての紛議の原因を去らんと試むることに關係ある規定の例を擧げれば、海洋に於て行動する交戰國軍艦に人又は物件の補充又は補給を爲すの目的を有して米國港を出で、米國港を交戰國の海軍作戰の基地と爲すの嫌疑ある米國船舶又は外國船舶をして出港の際保證を提出せしむることに關する規定の如き是である。

 千九百三十七年(昭和十二年)五月一日米國大統領の認可を受けて法律の效力を具へるに至つた中立法も、千九百三十五年の中立法と同樣に、離隔主義の思想に基き、戰爭回避に依る(廣義の)自己保存を主たる目的と爲品物であつて、此中立法は、(1)兵器彈藥及軍用器具の交戰國への輸出禁止、(2)兵器彈藥及軍用器具以外の物件及材料の交戰國への輸出の制限としての俗に所謂金輸出及自國船輸送主義〔(cash and carry plan)であつて、船舶に積込む上は、米國人が貨物に關して全く利害關係を有せざるに至り(「キャッシュ・ブラン」)且米國船に依らざる自前輸送を爲すこと(「キャリー・プラン」)の制限を設けたのである〕、(3)交戰國に對する金融上の取引の禁止、(4)米國の船舶及航空機に對する交戰國への兵器倫送の禁止、(5)海上に於て軍事的行動を行ふ軍艦の爲の供給根據地として米國港を使用することの禁止規定の補則としての(疑はしき場合に於ける)保證提出に對する規定、(6)交戰國の潜水艦船及武装商船に依る米 國の港及領水の使用の制限、(7)米國人の交戰國船舶に依る旅行の制限、(8)交戰國との通商に從事する米國商船の武装の禁止等に關する規定を設けたのである。

 千九百三十九年(昭和十四年)十一月四日の最新中立法の主要點は、干九百三十七年の中立法中の兵器彈藥及軍用器具の輸出禁止制度を撤廢するに在つた。此點の改正の動機は、英國及佛國の援助の爲にすることに在つたが、中立法其ものの目的は、前の中立法と同樣に、聚團的制度を進捗することに關係無く、依然戰爭回避を主たる目的と爲すと言ひ得たのである(註六)。最新中立法は米國船に對して直接にも間接にも(兵器彈藥及軍用器具をも含めた)一切の物件を交戰國に輸送することを禁止し、又米國船に對して交戰國に旅客を倫送することをも禁止した。其の物件の輸送に關する點に於ては、貨物の「キャリー・プラン」に關するのであつて、前中立法が大統領の特に指定して輸送を禁ずる物件だけに付て米國船を以てする交戰國への輪送を禁止して居つたのを改めて、禁止の範圍を擴張して一切の物件の輸送に及ぼしたのである。又「キャッシュ・プラン」も認められて、交戰國に向つて直接又は間接に送られる亞米利加の貨物は、船に積まれるや否や最早米國人が之に關して何等の利害關係をも有せぬことに至ることを求め、「キャッシュ・プラン」及び「キャリー・プラン」の並び行はるるときは、米國産の貨物につき戰時禁制品の問題が生ずることありとも、米國船及米國人は之が渦中に立たざるを得ることとなり、米國は戰爭を回避するを得べきものと爲されたのである。中立法が米國の戰爭回避を目的とする間は、假令交戰國の一方の利益を計ることを動機として改正が行はれたとするも、法の表見的の目的より言へぱ、離隔主義的思想に矛盾することなきものと言ひ得る。

註六 米國最新中立法の前文に於て、「合衆國は外國間の戰爭中其の中立を保持し、且つ戰爭の渦中に捲き込まるることを避くるため、自發的に國内法に依り本共同決議 (即ち最新中立法)に定むる制限を自國民に課するものなるが故に」と記せるを觀ても、最新中立法の表見の目的が聚團的制度進捗を含まずして、離隔主義に反すること無きを知り得るのである。

引用・参照・底本

『米國外交上の諸主義』立作太郎 著 昭和十七年七月五日第一冊發行 日本評論社

(国立国会図書館デジタルコレクション)