日米密約「5・15メモ」 ― 2025年01月22日 20:08
【概要】
日米密約「5・15メモ」とは、1972年5月15日の沖縄返還時に日米合同委員会で作成された合意文書である。当初は非公開の密約として扱われていたが、1997年までに全て公開されている。この文書は、沖縄返還後も米軍が訓練地を自由に使用できるよう、日米安保条約および日米地位協定を基に、民用地、水域、空域の使用と範囲を具体的に定めたものである。
5・15メモには伊江島補助飛行場の使用に関する記述も含まれており、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習の実施時間などが規定されている。今回問題となったオスプレイからの物資投下も、この合意に基づいて認められているとされる。
伊江島では過去にも米軍による問題が多発している。以下はその一例である。
・1972年:米兵1人が誤って伊江西小学校の屋根にパラシュートで降下。
・2014年:パラシュート訓練中、工事現場にドラム缶4本を落下。
・2021年:風の影響で米兵2人が基地外の海岸線や牧草地に落下。
・2024年:米兵3人が基地外に着地。
また、米軍関連の事故やトラブルはさらに深刻な影響を与えてきた。
・1961年:村民1人が射撃演習中の米軍機の直撃弾で死亡。
・1973年:演習場内の放牧地に枯れ葉剤を散布し、約2000平方メートルが被害。
・1974年:米兵が草刈中の青年を信号銃で負傷させ、日本政府は裁判権を米国に渡し、補償も行われなかった。
・1992年:信号弾が原因で黙認耕作地で火災が発生し、1428平方メートルが焼失。
今回のオスプレイ物資落下事故について、地元の伊江村は訓練中止を訴えたが、日本政府は「5・15メモ」に基づいて実施が認められているとして、中止要請には消極的である。この問題は、地元住民の安全や生活環境に深刻な影響を及ぼしており、過去の事例とともに日米関係の課題として議論されている。
【詳細】
日米密約「5・15メモ」とは、沖縄返還の際に日米合同委員会が1972年5月15日に合意した文書であり、沖縄返還後も米軍が自由に訓練地として使用できるよう、日米安保条約と日米地位協定に基づいて、民用地、水域、空域などの使用範囲を定めたものである。1972年に沖縄が日本に返還された後、米軍基地の使用に関する諸権利が確保された形で合意され、その一部として、訓練地の範囲や使用時間が具体的に記されている。この合意は非公開の密約であったが、1997年に全てが公開され、今では地元住民や政府関係者にも広く認知されている。
5・15メモの内容とその背景
5・15メモには、具体的に訓練場として使われる場所の使用条件が記されており、特に伊江島補助飛行場に関する記述がある。伊江島補助飛行場は、米軍の訓練活動に重要な役割を果たしており、メモにはその使用可能範囲、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習などが含まれている。このため、オスプレイのような軍用機による訓練が合法的に行われているとされ、今回のように物資が演習場外に落下するケースも合意に基づくものとされている。
伊江島における過去の問題とトラブル
伊江島では、日米合意に基づく訓練が頻繁に行われており、その中で安全が脅かされる問題が繰り返されてきた。以下はその一部の例である。
・1972年:米兵が誤ってパラシュートで伊江西小学校の屋根に降下。幸い負傷者はなかったものの、地域住民に大きな衝撃を与えた。
・2014年:オスプレイが重量物の投下訓練中に、工事現場にドラム缶を落下させる事故が発生。これにより、訓練の安全性が再び問題視された。
・2021年:パラシュート訓練中、風にあおられた米兵2人が基地外に落下し、地元の海岸線や牧草地に着地する。
・2024年:3人の米兵が再び基地外に着地。訓練が計画通りに進まなかったことが明らかになり、安全管理の甘さが指摘された。
これらの事案は、伊江島が訓練場として使用される際、地元住民の安全や生活環境に深刻な影響を及ぼしていることを示している。
地元住民と政府の対立
伊江島を含む沖縄県民にとって米軍訓練の影響は深刻である。日米合意に基づき、米軍の訓練活動は合法的に行われる一方、地元住民はその安全性に不安を抱えている。今回のオスプレイからの物資投下問題についても、地元の伊江村が訓練の中止を求めたが、日本政府は「5・15メモ」に基づいて実施が認められているため中止要請に消極的な姿勢を見せている。この姿勢に対し、地元住民や自治体は強い不満を示しており、訓練の安全管理の改善が求められている。
トラブルの背景にある日米合意と沖縄返還
1972年に沖縄が日本に返還される際、返還後も米軍基地を維持するための仕組みとして、日米安保条約と日米地位協定が重要な枠組みとなっている。その一環として「5・15メモ」が作成され、訓練地や空域の使用条件が明記されている。この合意に基づいて、米軍は沖縄の民間地を訓練場として自由に使用できるため、地元住民にとってはその安全性が常に懸念される状況が続いている。
地元住民の訴えと日本政府の対応
地元住民や自治体は何度も訓練の中止を要請しているが、日本政府は日米合意に基づいて合法的に訓練が行われているとして、中止に消極的な態度を見せている。このため、地元住民との間で訓練の安全管理に対する意見の食い違いが続いている。今後も訓練地の使用に関する問題は、沖縄における重要な政治課題として引き続き議論されることになるだろう。
【要点】
・日米密約「5・15メモ」
1972年5月15日に沖縄返還時に日米合同委員会で合意された文書。
公開後も、米軍が自由に訓練地として使用できる範囲を定めている。
・5・15メモの内容
伊江島補助飛行場の使用条件や、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習などが記されている。
合意に基づいてオスプレイの訓練活動が実施される。
・伊江島での過去の問題とトラブル
➢ 1972年:米兵が誤ってパラシュートで伊江西小学校に降下。
➢ 2014年:オスプレイの訓練中に工事現場にドラム缶を落下。
➢ 2021年:パラシュート訓練で基地外に2人が落下。
➢ 2024年:米兵が基地外に着地。
・トラブルの影響
伊江島の使用で地元住民に安全被害が及ぶケースが続いている。
・地元住民と政府の対立
地元住民は訓練の中止を求めるが、日本政府は日米合意に基づき中止には消極的。
・日米安保条約と地位協定
日米密約は日米安保条約と地位協定を基にしており、沖縄返還後も米軍基地の使用を保証している。
【引用・参照・底本】
日米密約「5・15メモ」とは 伊江島、過去にも米軍トラブル sputnik 日本 2025.01.21
https://sputniknews.jp/20250121/515-19519074.html?rcmd_alg=collaboration2
日米密約「5・15メモ」とは、1972年5月15日の沖縄返還時に日米合同委員会で作成された合意文書である。当初は非公開の密約として扱われていたが、1997年までに全て公開されている。この文書は、沖縄返還後も米軍が訓練地を自由に使用できるよう、日米安保条約および日米地位協定を基に、民用地、水域、空域の使用と範囲を具体的に定めたものである。
5・15メモには伊江島補助飛行場の使用に関する記述も含まれており、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習の実施時間などが規定されている。今回問題となったオスプレイからの物資投下も、この合意に基づいて認められているとされる。
伊江島では過去にも米軍による問題が多発している。以下はその一例である。
・1972年:米兵1人が誤って伊江西小学校の屋根にパラシュートで降下。
・2014年:パラシュート訓練中、工事現場にドラム缶4本を落下。
・2021年:風の影響で米兵2人が基地外の海岸線や牧草地に落下。
・2024年:米兵3人が基地外に着地。
また、米軍関連の事故やトラブルはさらに深刻な影響を与えてきた。
・1961年:村民1人が射撃演習中の米軍機の直撃弾で死亡。
・1973年:演習場内の放牧地に枯れ葉剤を散布し、約2000平方メートルが被害。
・1974年:米兵が草刈中の青年を信号銃で負傷させ、日本政府は裁判権を米国に渡し、補償も行われなかった。
・1992年:信号弾が原因で黙認耕作地で火災が発生し、1428平方メートルが焼失。
今回のオスプレイ物資落下事故について、地元の伊江村は訓練中止を訴えたが、日本政府は「5・15メモ」に基づいて実施が認められているとして、中止要請には消極的である。この問題は、地元住民の安全や生活環境に深刻な影響を及ぼしており、過去の事例とともに日米関係の課題として議論されている。
【詳細】
日米密約「5・15メモ」とは、沖縄返還の際に日米合同委員会が1972年5月15日に合意した文書であり、沖縄返還後も米軍が自由に訓練地として使用できるよう、日米安保条約と日米地位協定に基づいて、民用地、水域、空域などの使用範囲を定めたものである。1972年に沖縄が日本に返還された後、米軍基地の使用に関する諸権利が確保された形で合意され、その一部として、訓練地の範囲や使用時間が具体的に記されている。この合意は非公開の密約であったが、1997年に全てが公開され、今では地元住民や政府関係者にも広く認知されている。
5・15メモの内容とその背景
5・15メモには、具体的に訓練場として使われる場所の使用条件が記されており、特に伊江島補助飛行場に関する記述がある。伊江島補助飛行場は、米軍の訓練活動に重要な役割を果たしており、メモにはその使用可能範囲、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習などが含まれている。このため、オスプレイのような軍用機による訓練が合法的に行われているとされ、今回のように物資が演習場外に落下するケースも合意に基づくものとされている。
伊江島における過去の問題とトラブル
伊江島では、日米合意に基づく訓練が頻繁に行われており、その中で安全が脅かされる問題が繰り返されてきた。以下はその一部の例である。
・1972年:米兵が誤ってパラシュートで伊江西小学校の屋根に降下。幸い負傷者はなかったものの、地域住民に大きな衝撃を与えた。
・2014年:オスプレイが重量物の投下訓練中に、工事現場にドラム缶を落下させる事故が発生。これにより、訓練の安全性が再び問題視された。
・2021年:パラシュート訓練中、風にあおられた米兵2人が基地外に落下し、地元の海岸線や牧草地に着地する。
・2024年:3人の米兵が再び基地外に着地。訓練が計画通りに進まなかったことが明らかになり、安全管理の甘さが指摘された。
これらの事案は、伊江島が訓練場として使用される際、地元住民の安全や生活環境に深刻な影響を及ぼしていることを示している。
地元住民と政府の対立
伊江島を含む沖縄県民にとって米軍訓練の影響は深刻である。日米合意に基づき、米軍の訓練活動は合法的に行われる一方、地元住民はその安全性に不安を抱えている。今回のオスプレイからの物資投下問題についても、地元の伊江村が訓練の中止を求めたが、日本政府は「5・15メモ」に基づいて実施が認められているため中止要請に消極的な姿勢を見せている。この姿勢に対し、地元住民や自治体は強い不満を示しており、訓練の安全管理の改善が求められている。
トラブルの背景にある日米合意と沖縄返還
1972年に沖縄が日本に返還される際、返還後も米軍基地を維持するための仕組みとして、日米安保条約と日米地位協定が重要な枠組みとなっている。その一環として「5・15メモ」が作成され、訓練地や空域の使用条件が明記されている。この合意に基づいて、米軍は沖縄の民間地を訓練場として自由に使用できるため、地元住民にとってはその安全性が常に懸念される状況が続いている。
地元住民の訴えと日本政府の対応
地元住民や自治体は何度も訓練の中止を要請しているが、日本政府は日米合意に基づいて合法的に訓練が行われているとして、中止に消極的な態度を見せている。このため、地元住民との間で訓練の安全管理に対する意見の食い違いが続いている。今後も訓練地の使用に関する問題は、沖縄における重要な政治課題として引き続き議論されることになるだろう。
【要点】
・日米密約「5・15メモ」
1972年5月15日に沖縄返還時に日米合同委員会で合意された文書。
公開後も、米軍が自由に訓練地として使用できる範囲を定めている。
・5・15メモの内容
伊江島補助飛行場の使用条件や、重量物投下訓練、パラシュート訓練、射撃演習などが記されている。
合意に基づいてオスプレイの訓練活動が実施される。
・伊江島での過去の問題とトラブル
➢ 1972年:米兵が誤ってパラシュートで伊江西小学校に降下。
➢ 2014年:オスプレイの訓練中に工事現場にドラム缶を落下。
➢ 2021年:パラシュート訓練で基地外に2人が落下。
➢ 2024年:米兵が基地外に着地。
・トラブルの影響
伊江島の使用で地元住民に安全被害が及ぶケースが続いている。
・地元住民と政府の対立
地元住民は訓練の中止を求めるが、日本政府は日米合意に基づき中止には消極的。
・日米安保条約と地位協定
日米密約は日米安保条約と地位協定を基にしており、沖縄返還後も米軍基地の使用を保証している。
【引用・参照・底本】
日米密約「5・15メモ」とは 伊江島、過去にも米軍トラブル sputnik 日本 2025.01.21
https://sputniknews.jp/20250121/515-19519074.html?rcmd_alg=collaboration2