神功皇后2022年12月26日 17:01

ほまれ 月の巻
 『ほまれ 月の卷』
 
 (一一- 一〇頁
 五 神功皇后          2022.12.26

九州の熊襲といふ一族が一度ならず二度三度まで叛きましたゆゑ、第十四代仲哀天皇樣は神功皇后樣と御一緒に御征伐に御出でになりましたが、不幸にして陣中で御薨去になりました、皇后は御智慧が深い方で居らっしゃいますから、其の喪をかくして熊襲の叛くのは畢竟新羅が後押をするからである、故に先づ新羅を討つのが良い策略であると思召して、早速多くの船を集め男の装をして御進軍になりました、薪羅とは今の朝鮮のことで、其の頃は三韓と申しました。
そこで皇后の御軍は勇ましく海を渡って敵地へ着かうと致しま Lたら、逆卷く浪が新羅國の中央程まで押寄せて參りましたゆゑ、國王を始め國中のものは大に怖れて戰爭をする元氣もなく、直樣皇后の前へ降參をして「どうぞ今迄の罪は御赦し下さい、これからは譬へ太陽が西から出て鴨緑江が逆に流れても貢物を奉り、決して日本國に叛く様なことは致しません」と申しますゆゑ皇后は御許しになり大矢田宿禰を殘して守らせ、御凱旋になりました。其の後に三韓から我國に學者が渡って來て學問を傳へたり、種々の職業が渡って益々文明になりました、これは皆皇后の御功績であります。

引用・参照・底本

『ほまれ 月の卷』 教育研鑽會 著 明治四十五年三月十五日發行 學海指針社

(国立国会図書館デジタルコレクション)