獨斷の窓を開けよ2023年01月02日 18:14

雅邦集
『現代日本論』 清澤 洌 著

 (一-六頁) 2023.01.02
 序

 日本に生まれ、日本に育ち、過去四十何年間、毎日日本の姿を見つめながら、しかし、日本といふものほど解きがたい謎は少ない。時にこれが日本の姿かと合點してゐると、鰻を握つたやうにズラリとぬけてしまふ。
 日本は進歩的な國民だといはれる。これだけの短い期間に、これだけの進歩をした國民が進歩的以外の何ものでもある道理がない。日本人は進歩的であるがゆえに、また外國の文化と影響に敏感だ。東京の街を歩いて、われ等が何よりも感ずることは世界の尖端が、どこの都よりもこゝに集つてゐことだ。
 だがその進歩的日本は、同時にまた驚くべき保守的日本でもある。試みに目の前の新聞を開いて、その政治面と、社会面と、そして外交面を御覧なさい。その欄外の『昭和』といふ文字のかはりに『慶應』と入れたら、貴方はそこに大變な相違を發見しうるであらうか。
 一方の現象をみて、他方の現象を否定するのはあたらない。日本は保守でもあり、また同時に進歩でもある。
       ×
 かりに貴方は坩堝の中に、いろいろな原料をちぎつて投げ入れ、これに強烈な熱を與へてみて下さい。それが溶解してできあがつたものは全然あたらしい一つの合成物だ。異なつた原料は一つとして、その特筆保つてをらないであらう。
 ところで今度はいま一度、かたい固形物をその坩堝の中に入れて下さい。他のものはよく溶けるけれども、その固形物は中々溶けない。できあがつたものは、その固形物の外裝を蔽ふにすぎない鍍金である。一見、それは第一の場合と同じやうであるけれども、その内容は少しぐらいの熱ではどうにもならない舊態そのものである。
 日本は維新當時の情勢と、それから賢明なる先覚者たちの指導によつて『泰西文化』の前に扉をあけたけれども、しかしそれまでには三百年以上の成熟した文化があつた。すなわちそれは他の文化と同じ原料として坩堝に入れられたのではなくて、一つの型に出來あがりきつた既製品が、色あげのためにそこに投ぜられたにすぎなかつた。鍍金はできても、合成品ができないのは當然ではないか。
       ×
 筆者は元よりこれを輕侮的な意味でいつてゐるのではない。いな、日本人として日本が古来の文明を有して、たゞ必要のために他界から榮養を攝取したにすぎないことを誇言してゐるのでさへある。われ等はこの古來の文化が、新時代の粧ひを以て東から朝陽があがるように世界を光被することを祈願してゐる。
 だが、それと同時に、われ等が警戒しなくてはならないことは、この他と合成しない固形文明が、何かといふと外皮をおかして、その古い形において、現はれることだ。それが内に現はれると封建主義的反動となり、外に現はれると時代錯誤的外交政策外交政策となる。そしてそれは今、批判の白光をあびることなくして、わが日本を危険に追ひやらんとする徴候すらあるのである。
       ×
 日本において今、一番缺乏してゐるのは自己批判だ。みんな集まつて、車座になつて、お互ひに讃めあつて、自賛の美酒をくんで、それでお開きななるといふのが現在の狀勢だ。その結果は必然に夜郎自大の獨斷と短見が、世を風靡することになる。
 われ等の恐れるのはこの低調卑俗なる獨斷のみが、行動大衆と、學生と、兒童との頭に這入つて、それがわが日本の常識となるであせうことだ。社會においても、個人においても、問題の一局面のみを高調する癖がつくと、他の半面が忘れられ、その心的態度が跛行的となり、不具となるのが免がれない。その結果は一部のみにとらはれて、全體をみるの明を缺くこと比々として然るものがある。すなはちそこには批判的態度が失はれて、觀念的な盲目主義が行動の規範となるのを常とする。この弊害が現在の日本に見ることができぬであらうか。
       ×
 この書は批判の失はれた日本に、多少の批判を復活する爲に書かれたものだ。筆者は自から常に未熟を自覺してゐるけれども、しかし、たゞ一つの意識的におかしえないのは獨斷である。筆者は獨りよがりの獨斷を虎のやうにおそれる。
 筆者はわが日本が、中庸の道をとつて大過なからんことを希願する。それは國内問題においてもそうであるが、とくに國際問題において日本はひどい誘惑を受けてゐる。世界現在の狀勢においては力は必ず貫徹する。そしてこの力を持つてゐるものが、目前に來る『機會』を拒むことは、非常な困難であるのは疑へない。しかし勢ひに乘じて使つた力は、やがて自己に跳ねかへる作用はないであらうか。
 ビスマルクが偉かつたのは、かれはその鐵血政策を實行するのに、決して自國を孤立させなかつたことだ。かれはその政策を進むる場合に、必ず對手諸國の陣營を分裂させてゐた。カイゼルと、そして現在のヒットラーはそれと反對で全部を敵とする。
 この著が少數ではあらうが、一國が大きく發展するためには、世界人類が納得する方法を以て、急がば廻る以外に道がないと考へる愛国國者の間に友をうれば、著者の望みは即ちたるのである。
        昭和十年初夏
                    著者

 何故に自由主義であるか

 (一-三頁)
 一、獨斷の窓を開けよ
 
 友よ。

 私は二つ前の拙著『激動期に生く』において、緣あつて私の讀者になつて下すつた方に對して、相當率直に私の立場を書いておきました。くどいようですが私はこの著においても今一度、私といふものゝ正體を明らかにして、あなたの御批判をえたいと考へます。雜誌などのやうに共同長屋に雜然と寝起きしてゐるのと違つて、かうして荒屋ながら單行本といふ一家の生計を營む以上は、これに興味を持つて下さるあなたに、せめてはゆつたりとした氣分を以て自己を語らずして現代日本を批判する談議を始めるべきでないと感ずるからなのです。
 まず始めに私共は何を目がけて生きてゐるかといふことから話を進めてみませう。人生の目的とか、生存の意義とかいふと、話は面倒になりますが、誰でもこの世に生きてゐる以上はおぼろげながら何かの目的がなくてはかないますまい。そしてその目的は自分が不幸になるために努力してゐる人は、廣い世界にも恐らくはないでありませうから。
 こゝまでは大體誰でも一致しませうが、さてその目がける『幸福』といふものは何かといふ段になりますと、それこそ千差萬別である。蓼食ふ蟲も好きずきからと云ひますが、一人に幸福に見えることが、他の人には馬鹿らしくて仕方のないことが少なくない。また一國の理想とするところが、他國から觀ると馬鹿らしいと感ずることもある。。
 英國の批評家H・G・ウェルズの書いたものゝ中に『日本人やドイツ人は苦行を欲するのだ』とありました。これはある點では正しい觀方でありまして、日本人やドイツ人の幸福感は決してアングロ・サクソンのそれではない。梅漬け一つあれば飢ふることがないといふやうな點に、誇りを感じてゐる日本人は、戰爭に行くにも寢臺までも持つて行きたいほどな國民とは幸福なるものゝ概念において大分相違がありませう。一方にとつては、國家や社會といふものは、個人の幸福と完成のための手段でしかないのに、他方にとつては、個人は國家を偉大にするための材料でしかない。この人にとつては、國家のために苦難することは、丁度ある種の行者が苦行そのものに快味を感ずるやうに、非常な幸福であるのです。
 かうして何が幸福であるかといふ内容についても、そこに一定の規準を定むることは困難ですが、しかしそれにしても私共は一つの共通的な目標を定むることができる筈です。それは私共は何よりも先きに生きることの必要があり、幸福も目標も、生きた後のことですから、第一に物質的安定といふことが大切であるのは大體に何人も不賛成ではないと思ひます。他にも私共の目標は澤山ありますけれども、まづ第一に議論をこゝから進めていつてみませう。

引用・参照・底本

『現代日本論』 清澤 洌 著 昭和十年六月十四日發行 千倉書房

(国立国会図書館デジタルコレクション)