孤立主義の發展2023年02月02日 20:54

雅邦集
 『米國外交上の諸主義』 法學博士 立作太郎 著

 (六-八頁)
 第二節 孤立主義の發展 2023.02.02

 千八百二十三年に於いて大統領モンローが所謂モンロー主義の宣言を行ふに及び、歐羅巴の政治的勢力を出來るだけ亞米利加大陸に入らしめざらんとすることを趣意とする非干渉の原則及非植民の原則の外に於て、米國が歐羅巴の事件に關係せざることを趣意とする孤立主義即ち離隔主義の原則を認めた。モンロー主義の精髄は、後文に於て述ぶるが如く、非干渉の原則及非植民の原則に在ると言ふべきであるが、孤立主義即ち離隔主義の原則がモンロー主義中に織り込まれて、モンロー主義の精髄たる前記二原則に對する代償を組成して居るである(後文第三章参照)。モンローは米國の權利を防護する爲に必要なる場合に非れば、歐羅巴國の内事に關與すべきでなく、米國に關係なき以上は、歐羅巴國間の紛爭に關與すべきでないと爲したのである。是の如き離隔主義的、孤立主義的の思想は歐洲諸國に對する關係に於て米國に依り久しく執られ來つた所であつて、世界大戰の開始された後に於て、ウィルソン大統領が暫時間、中立の態度を執つたのも、米國の傳統的孤立思想に依る所が少くなかつた。主として獨逸無制限的潜水艦戰の關係よりして米國が世界大戰に參戰するに至つた後猶同盟を忌むの傳統的孤立主義の思想影響に依り、參戰して聯合軍側に立てるに拘はらず、同盟國の名を避けて、聯合國と稱した(註二)。米國はウィルソンが首唱してヴェルサイユ條約及其他の(世界大戰の際の)平和條約の一部となるに至つた國際聯盟規約に加はるを欲せずして、是等平和條約を批准せざりしことも、他國、特に歐羅巴國間の紛爭に關與するを欲せざる孤立主義的思想に關係があると言ひ得るのである。
 註二 世界大戰の際のヴェルサイユ條約、サン・ジェルマン條約及其他の平和條約中に於て同盟及聯合國(Allied and Asociated powers)の語を散見するに至つたのは、米國が自から同盟國と稱することを欲せざりし爲であつた。
 孤立主義の思想は、當初は米國と歐羅巴との關係に於て問題となつたのであるが、米國が布哇を併合し、フィリッピン及グァムを獲て、支那に於て門戸開放主義を唱へ、太平洋に其勢力を擴ぐるに至り、此の方面に於て終に帝國主義的傾向を示したが、東亞方面に於て米國は東亞の諸國の孤立主義的態度を改めしむることを計るの地位に立ち、比較的に早く歐羅巴諸國と此方面に於て協同的に動作するに至つた。シューワードが國務長官たりし頃、支那及日本に關して歐洲諸國との協調政策が行はれたが、其後獨往的態度執られた時代を經て、千八百九十九年のヘーの門戸開放主義に關する宣言の頃より此方面に於ける歐洲諸國との協調政策を取り、東亞問題に關する會議に参加した。亞米利加大陸に於ても當初は孤立主義に依りラテン・アメリカ諸国との協同的行動を避けたが、漸次亞米利加諸國の會議に加はり、今日に於ては米大陸の或る國際會議に於て首動的立場に立つに至つた。

引用・参照・底本

『米國外交上の諸主義』立作太郎 著 昭和十七年七月五日第一冊發行 日本評論社

(国立国会図書館デジタルコレクション)