三國同盟及日ソ中立條約に對する米國の嫉妬 他2023年02月28日 17:18

近江蕪村九老画譜
 『史考大東亞戰爭』 陸軍中將 中井良太郎 著

 (43-44頁)
 (七) 三國同盟及日ソ中立條約に對する米國の嫉妬

 所述は若千前後したが、我が國に對する彼れ米國の態度や政策は、支那事變の進展につれ、全く非友好的となり、次第に敵性を表はし、敵性は日一日と募つて來た。我國も何時迄も紳士的に米國に對する譯にも行かなくなつて來た。寧ろ世界平和の招來を早める爲めには獨伊と結ぶを可なりとするとの議論は、昭和十四年頃より國内に擡頭したが、種々の經緯を經て昭和十
五年九月廿七日愈々日獨伊の三國同盟が締結せられた。所が之れで又米國が嫉妬し出した。併し之れは全く盗人の逆怨みで、吾等は米國の嫉妬など歯牙に掛くるの必要を詔めないと思ふのだが、米國に取つては痛いことは云ふ迄もない。彼の大軍備擴充も亦、三國同盟に討抗せんが爲であることは云ふ迄もない。そして、盜人の逆怨は益々、はげしくなつた。昭和十六年春になると日ソの間に中立條約は結ばれた、之も彼れ米國の爲めには意外であつたであらう。其後獨ソ聯開戰の爲、米英ソが 握手したのを機會に、彼れは極力ソ聯を對日包圍陣に加へんとしたやうであつたが、ソ聯が之に加はらざる以前に大東亞戰爭開始となつた。

 (44-47頁)
 (八) 開戰直前に於ける米國の對日企圖

 大東亞戰爭、 開始直前に於ける、彼れ米國の企圖を判斷すると、
 (1) 英國を大西洋方面の第一線に立てゝ、之を支援し、適時參戰して先づ 獨逸を撃破しよう。
 (2) 其の代りに東亞方面の事は英國に肩替りして自から矢面に立ち、日木を脅したり、すかしたり、何とかして日本を三國樞軸から離脱せしめ、若し日本が離脱せば、全力を學げて獨逸を撃破し、爾後、機見て日本を謀殺的に打倒しよう。
 (3) 併し乍ら自國内の與論は、まだ完全には歐洲參戰に傾かぬ。軍備の大擴充迄には尚若干年がかゝる、故に一方日本を一時的に宥和することに依り、自國民に太平洋方面の安全感を與へて與論を對獨逸參戰に導き、此の間、日本を經濟封鎖し、太平洋の戰備を堅め、日本をヂリ貧に導かう。
 (4) 就中、日本に對する油道を絶つて艦船、飛行機、機械化部隊等近代武器を用ひることを得ざらしめて後鐵槌を下さう。
 (5) 蔣や蘭印を益々傀儡操作して愈々日本國カの消耗を圖らう。
と云ふにあつたと思はれる。

 以上の如く史考すれば米國の太平洋政策及び之に基く對日政策は實に九十年傳統一貫して益益強化せられて居る。そして其の政策なるものは、 
太平洋政策としては、
 飽くなき自國繁榮の慾望を滿たす爲、太平洋の制海、制空を確保し、亞細亞大陸の大市揚と、國防上不可缺なる南洋特産資源とを其の手中に收め以て世界を制覇せんとするに在り。
又太平洋政策遂行の爲の對日政策としては
 文化的、外交的去勢策より、外交的壓迫策へと進み、 更に經濟的壓迫政策に轉じ、次で經濟的打倒策を取り、次いで、武力的打倒をやらう。
と策したものと斷定することが出來るが、此の經濟的打倒策に着手の初めに於て、日本の義憤 反撃を喰つて眼をまはした譯である。
 後章に宣戰の詔書を奉掲し、政府の聲明や外交經道及對米覺書を轉載するが、東條首相が第七十八議會に於て演説せられた所に依ると、彼れ米國は、我が日本に對し、
 (一) 支那及佛印より陸海空及警察を含む一切の帝國軍隊を撤收すること。
(二) 重慶政府を除く如何なる政權をも軍事的政治的經濟的に支持せざること。
 (三) 第三國と締結しゐる如何なる協定も、太平洋全地域の平和確保に矛盾するが如く解釋せられざることに同意すること。
 の三點を吹きかけたと云ふことである。右第三點は樞軸同盟から離脱せよと云ふことに外ならぬ。俺の方が對獨參戰してもお前の方は手出してはならぬと云ふのである。
 何と云ふ無禮な言分か、まるで、日本を見縊つて居る。日本を見るにペルリの渡來時の日本と見て居る。我が日本を馬鹿にするのも程がある。事茲に至つて誰れが、對米平和交渉を續け得よう、最早隠忍の限度も遠く超ゆるは明々白々である。皇紀二千六百一年昭和十六年十二月八日我が日本が決然として正義の武力に訴へたのは當然過ぎる程當然である。
 要するに米國の太平洋制覇即世界制覇の野心、そして其の政策遂行の非道と年と共に暮れる驕慢とは、遂に、太平洋の波を荒くし、最後の做慢無禮は遂に大束亞戰爭を挑發したのである。後世如何なる史家も米國の肩を持つ者はあるまい。 

引用・参照・底本

『史考大東亞戰爭』 陸軍中將 中井良太郎 著 昭和十七年一月二十九日發行 二見書房

(国立国会図書館デジタルコレクション)