孤立主義の原因2023年02月09日 17:50

聽秋吟舘圖
 『米國外交上の諸主義』 法學博士 立作太郎 著

 (八-十頁)
 第三節 孤立主義の原因

 米國人の孤立主義的、離隔主義的思想は、主として歐羅巴諸國との關係に關するのであるが、當初歐羅巴の問題に關して米國が孤立主義即ち離隔主義を執つたのは、主として左の如き原因に依ると言ひ得る。
 (1) 最大原因は當時の實際の事態の上に於て、離隔の事實を存することに在ると認めらるのであるが、海外に對する米國人の野心が當時猶大なるに至らなかつたことが、孤立主義の行はれることを可能的ならしめたものと言ひ得るのである。第十八世紀の末より第十九世紀の初に亙る時期に於て、歐羅巴は、米國人が自國と政治主義を根本的に異にし、勢力均衡主義に依り絶えず相爭ふと認めた所の専制君主國が、専ら歐羅巴の事態を左右するものと考へ、又帆船時代の當時に於て、五千キロを隔つる歐羅巴及亞米利加の兩大陸の間に地理的離隔の實が存し、米國の經濟上及金融上の利害も同樣に關係する所少く、米國の西部の廣漠なる土地の開拓事業を控えたる故、遠隔の地に植民地を拓くことを思ふに至らず、又實際上海外に領地を有せざりし事態に因る所が多いのであつて、實際の事態の上の離隔と海外に對する米國人の野心の猶大ならざりしことが、国際政治上に於て孤立主義即ち離隔主義をを實行し得せしめた一原因を成して居つたと思はれる。
 (2) 當時米國は兵力に於て弱く、進んで歐羅巴諸國と事を構へるの實力を缺き、且つ歐羅巴の事件の爲に國力を徒費し、其平和を破ることを欲せず、加之、當時の歐洲強國中、米國と政治的思想を異にすると認められた神聖同盟諸國が中心となつて、亞米利加大陸に其勢力を及ぼすの危險を存したるを以て、米國の自衛上よりも、當時の歐羅巴諸國が亞米利加大陸に勢力を張るを防ぐことが急務と爲され、而して之を防ぐ爲には、米國も亦歐羅巴の事に關與せざる趣意の孤立主義的原則、即ち離隔の原則を認めんとしたのである。モンロー主義の宣言中に於ける、該主義の精髄たる非干渉の原則及非植民の原則に對して、別に離隔の原則が認められ、米國が歐羅巴の事件に關與せざるべき趣意がモンロー主義の一部を成すと認められたることは、次章に於て言及すべき所である。千八百九十五年のヴェネズェラ事件の際、國務長官オルニーは、歐洲大陸に於ける米國の非干渉即ち離隔は、米大陸に於ける歐洲諸國の非干渉を前提とする旨を説くに至つた。

引用・参照・底本

『米國外交上の諸主義』立作太郎 著 昭和十七年七月五日第一冊發行 日本評論社

(国立国会図書館デジタルコレクション)