ユダヤ民族の史的經路とその現狀2023年01月17日 23:17

謝時臣筆 清壑歸舟圖
 『ユダヤ民族を檢討する』 柴田武福 著

 (一-四頁)
 第一章 ユダヤ民族の史的經路とその現狀 2023.01.17

 西部小アジアのユダヤ民族は、政治的形態としては可成り以前に消滅したのであるが、その精神的なる力は今日に到るもなほ大なる影響を及ぼしてゐる。この民族の政治的故郷であつたイスラエル王國とユダヤ王國との滅亡以來、殊に西暦七〇年にヴェスパシアヌス帝(Vespasianus)及びティツス(Titus)によつてイエルサレムが陥落されて以後、この民族は「分散」(Diaspora)の悲運をたどらざるを得なくさせられたのである。かくして今日も自己の政治上の國家を有せず分散狀態で、他國民のもとに客分として取扱はれてゐるのであるが、しかしユダヤ人(Jude)といふ名稱は、單に相互に血緣關係のある多くの人々群を指示するのみでなくて、この民衆に數千年來、固有なる精神的宗教的特性をも指示するものである。ユダヤ人は今日に到るまで、二千年乃至三千年間、變ることなく舊約聖書を信奉し、彼等が移住する如何なる國へも、その舊約聖書とその教師とその祭司とを共に伴つて行く。まだ彼等は、その居住地の言語を學ぶと共に、彼等の聖書のヘブライ語を學び、その他に更にドイツのユダヤ人によつて創作された方言なるイヂッシュ語(Jiddisch)を到るところで用ひてゐる。かくして彼等がこの語を共通に用ひることによつて、精神的に結合された國際的な勢力を強めてゐる。彼等はこの勢力の故に、現世界の諸機構に對して偉大なる影響を及ぼし得るのである。更に、民族分散の結果、諸國で非常な迫害を受けたユダヤ人が、その復讐心にに刺戟されて意識的にか、反基督教徒となつたのみならず、西洋の文明(言ふまでもなくそれは基督教的文明である)に對して、徹底的なる反撃を加へる者に到つた。マルクシズムはユダヤ主義ではないが、もしマルクスがユダヤ人でなかつたなら、彼の唯物論が生れた筈がなく、又もしレーニン
、スターリン、その他のボルシェヴィーキの指導者達がユダヤ人でなかつたなら、唯物論的共産主義運動を起さなかつたことだけは明白である。この故に、教養ある日本人にとつて、ユダヤ民族の歴史とその事實に注意することの緊要なるは論ずるまでもない。
 バビロニア捕虜からの歸還(紀元前五三九年)と共に、イスラエル民族が終結しユダヤ民族の歴史が始まつたのである。かくしてイスラエルは獨立國家なることを止めて、宗教的集團になり他の支配者及び他の民族が、かかるユダヤ人の僧侶的國家の上に主權を握り、ヘレニズムが古きユダヤ人の信仰と爭ひ、鋭き社會的政治的對立がユダヤ民族を弱めるやうになつたのである。紀元前一世紀には、ユダヤはローマ帝國の屬領となり、紀元後七〇年に於けるエルサレム征服及び神殿破壊によつてユダヤ人の國家組織は完全に破壊されるに到つた。
 ユダヤ人の歴史には三時期が明瞭に現はれてゐる。第一の時期(略紀元六〇〇年迄)に於ては、その重心が未だパレスチナ或ひはバビロン(ペルシャ灣頭の居住地)に在つた。第二の時期(略六〇〇年頃より一七五〇年迄)には、その重心が東洋から歐洲に移つた。ユダヤ民族は中世に歐洲文化に進入し、(五〇〇年より一〇〇〇年迄)その精神的生活の全盛時代に達し(一〇〇〇年より一二〇〇年迄)、かくして永き苦難時代を經過した(一二〇〇年より一七五〇年迄)。第三の時期(一七五〇年後)にありては、市民たるの權利を獲得し歐洲及びアメリカに於いて、國家的にも、また文化、經濟の點でも非常に影響するところ強大となり、一九〇〇年以後には、再び種々攻撃される要素になつた。

引用・参照・底本

『ユダヤ民族を檢討する』 柴田武福 著 昭和十二年十二月十五日

(国立国会図書館デジタルコレクション)