空の少年兵2023年01月22日 17:28

写真空の少年兵
 『寫眞・空の少年兵』 著者 村山英治 解説 海軍中佐 古橋才次郎

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 "空の少年兵"とは           2023.01.22

 "空の少年兵"には、甲種飛行餘科練習生と、乙種飛行餘科練習生の二種がある。甲種飛行餘科練習生は;滿十六歳から十八歳までで、中學第三學年終了程度の學力あるもの、乙種飛行餘科練習生は、滿十五歳から滿十八歳までで、高等小學校卒業程度の學力のあるものといふことになつてゐる。
 これ等の練習生の入るところは、茨城県土浦市外にある、土浦海軍航空隊である。昭和十五年十一月までは、霞ケ浦海軍航空隊内にあり、飛行餘科練習部といつてゐた。
 常磐線土浦驛よりバスにのり、しばらく行くと、海のやうな大湖水、霞ケ浦が展開する。その湖水に面して、果もなくのびひろがる練習場(飛行場ではない)、いくつもの廣大な建物、そこが、我が海鵬の雛を育てあげる鍛錬場である。
 空には各種の飛行機の轟音がいつぱいにひろがり、湖面には白波を蹴立てて、水上機が滑走してゐる。心ある少年にして、ひと度この雰囲氣に接すれば、誰しも"空の少年兵"たるべく志さずにはゐられないであらう。
 しかし、そのあこがれの"空の少年兵"の生活に入る前には、いくつもの難關を突破しなければならない。海軍關係では、江田島の兵學校と共に、飛行餘科練習生の試驗が、最も高度のものとされてゐるのである。

 改定増補版
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 「空の少年兵」とは?

 「空の少年兵」とは、少年飛行兵のことである。その少年飛行兵とは、飛行餘科練習生のことである。
 純眞無垢の少年を、適性檢査、その他の方法によって採用し、特殊の教育と訓練をほどこして飛行兵養成する方法を、世界最初にこゝろみたのは我が海軍で、それは昭和5年のことであつた。
 この空の少年兵の發揮する力量が、いかにすばらしいものであるかは、早くも支那事變で、あざやかに實證された。肉體も、精神も、技能も、すでにある方向へ傾いてから後に、「飛行」といふ、全く特殊な方向へ轉向させるよりも、まだ少年のうちから、ひとすぢに飛行兵へ訓育することの方が、より効果的であることは、いふまでもない。これは、何も飛行兵に限つたことではなく、すべての技術や職業にもあてはまることだが、それを、特に高度の熟練を必要とする
飛行兵の養成に、いち早く採用したところに、我が海軍の明があつたといはなければならない。
 大東亞戰爭開戰以來、我が海軍航空隊によつて、最も手ひどい打撃を受けた敵アメリカは、改めて飛行機の重要性を認識し、全力あげて航空兵力の増強に突進した。そして、その航空兵力が充實してくるのに比例して、我が方に對する反撃を強化して來た。その結果展開されるやうになつたのが、昨年8月のソロモン群島方面の反撃戰をはじめとする、幾多の戰闘(昭和17年)である。
 これに對して、我が方も拱手してゐる道理はない。眼には眼を、歯には歯を――敵航空兵力撃滅の日まで、我が海鷲陣もたゝかひ抜く。かくして今、大東亞戰爭は、航空決戰の連續といふ、今までの戰爭には嘗てなかつた樣相を呈するにいたつた。
 まことに、今は制空權の所在こそ、戰の勝敗を決するものとなつた。制空權のないところには、制海權もなければ制陸權もない。上陸戰作戰もなければ補給戰もない。制空こそ、たゝかひのすべてを決する、最大の要因である。そして、そのその航空戰力の、人的方面における、最も重要な要素となるのが、即ちこの「空の少年兵」なのである。

引用・参照・底本

 『寫眞・空の少年兵』 著者 村山英治 解説 海軍中佐 古橋才次郎 昭和十七年十一月二十日増補第三刷發行(二千部) 東亞書林

『改定増補版 寫眞・空の少年兵』 著者 村山英治 解説 海軍中佐 古橋才次郎 昭和十九年五月二十日改定増補版發行 東亞書林

(国立国会図書館デジタルコレクション)