平和思想の未來2022年11月24日 08:38

心頭雑草
 『心頭雜草』與謝野晶子 著

 (八二-八五頁)
 平和思想の未來           2022.11.24

 私が本誌の上で非戰論的な感想を述べたのに對して「早稻田文學」の紀者から速斷であると云ふ意味の非難を與へられました。私は自分の感想が記者の一顧を受けた光榮に就て嬉しく思ひますが、併し記者が戦争を肯定される側の思想家なら兎も角、さうで無くて、私と結論を同じくする側の人であるなら、私の叙述の不備な所などは記者自身の周到な思想を移入することに由つて補修して讀んで頂いても好かつたのにと、甚だ勝手なことですが、私はさう思ひました。實際を云ひますと、私とても、人間の本能に根ざす生存競爭の心理、人種的反感、歷史的、地理的、民族的國家の對立する現狀、國際經濟の關係と云ふやうな現實の一面だけを專ら凝視めて居る場合には、戰爭を發生する原因の方が多くて、それを絶滅する可能性の乏しいこを想はないで居られません。記者が速斷であると云ふ意味の非難は、多分、私がこの點を顧慮しないで性急に理想に偏した説を述べて居ると云ふ所に投ぜられなのでせう。
 けれども、現實の一面だけを餘りに凝視め遇ぎることは、また別の意味の速斷を生じる間違の原因になります。それは現實を靜的に硬化させて考へる不自然な結果を招きます。環實はもともと動的なものであつて、人間の努力次第で、どんなにでも 變化させ進化させ得るものだと私は信じます。人間の力量に對する自信の増し た近世にあつては、現實の進化のはげしさが最もよく目に附きます。二十年前にあつて、誰が今日のやうに飛行機の盛に飛ぶことを豫想したでせうか。歐洲の戰場に數千の飛行機が實用に供せられる時代となつても、我國では今年の三月上旬まで、後藤正雄さんと云ふ一人の民間飛行家が六時間で東京から大阪まで一氣に飛行しようとは夢にも想像しなかつたではありませんか。私は世界人道の理想の偉大と、人間の創造力の不可思議とに心を移す時、現實はこの理想に照準しながら、この創造力を最 強く用ひることに由つて、必ずしも遠い將來を期さないで、想像以上の改造を實現することが出來ると思はないで居られません。此二三十年間の世界の激變に注意する人なら、私の此考へに同感されない筈はなからうと思ひます。現に世界初つて以來の狂暴な戰爭が進展して居るからと云つて、戰爭の必然を斷定し、平和思想を空想視するのは、餘りに眼界の狭い意見では無いでせうか。私は寧ろ、此狂暴無比な戰爭の慘禍が平和和思想の實現を促進するものとして考へて居るのです。先に容易に動かないやうに見えて居た現實の硬化した一面などは、案外大した故障とならずにに都合よく推移することが出來るでせう。少くも斯う云ふ風に期待して努力するので無くては、愛も、正義も、法律も、藝術も、學問も、またしては野蠻な暴力に蹂躙せられて、人類生活が全く無意義になり空虚になつてしまひます。人間は果して無意義と空虚との豫想せられる無理想の生活に甘んじることが出來るでせうか。私は人々の實感に訴へて之を考へて頂きいと思ひます。(一九一八年四月)

引用・参照・底本

『心頭雜草』與謝野晶子 著 大正八年一月十二日發行 天祐社

(国立国会図書館デジタルコレクション)