米国のポスト冷戦期の誤り ― 2025年02月08日 18:20
【概要】
ガイダルの「ショック療法」は、資本主義への急激な移行を目指したが、その結果、多くのロシア国民が経済的混乱に陥り、民主主義の支持基盤が弱体化した。メリーの警告は、アメリカの経済政策がロシア国内の反米感情を助長し、最終的にロシアと西側の対立を再燃させる可能性を指摘していた。
この新たに機密解除されたメモは、1990年代のアメリカ外交政策の誤りを改めて浮き彫りにしている。ワシントンは、民主主義と市場経済の進展を同時に推進できると考えていたが、ロシア社会の現実を見誤り、政治的安定よりも急進的な市場改革を優先した。その結果、ロシアの民主主義は脆弱なままとなり、欧米への不信が根付いた。
メリーの指摘通り、アメリカの「援助観光客(assistance tourists)」と呼ばれる専門家たちは、ロシアの実情を十分に理解せず、西側の経済理論を押し付けた。これが逆にロシア国内のナショナリズムや反米感情を刺激し、現在の米ロ関係の対立構造の一因となった可能性がある。
このメモが当時の政策決定に影響を与えていれば、ロシアの民主化プロセスは異なる方向へ進んだかもしれない。しかし、現実には、アメリカは市場経済の強制的な導入を推し進め、ロシア社会の混乱を招いた。この点で、メリーの分析は極めて洞察に満ちたものであったと言える。
【詳細】
新たに機密解除されたメモが示すアメリカのポスト冷戦期の誤り
2024年12月23日、Slate誌のフレッド・カプラン(Fred Kaplan)が発表した記事は、アメリカの対ロシア政策の失敗に関する新たな機密解除文書を紹介し、大きな注目を集めた。この文書は、1994年3月に当時モスクワのアメリカ大使館で内部政治部門の責任者を務めていたウェイン・メリー(Wayne Merry)が作成したもので、ロシアの民主化と経済改革に関するアメリカのアプローチが間違っていたことを鋭く指摘している。
このメモは、従来のアメリカの政策と相反する内容だったため、公式な外交文書として送付されず、「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省上層部に提出された。しかし、当時の政策決定者たちはこれを無視し、メリー自身もその後外交界から事実上追放された。30年を経てこのメモが機密解除されたことで、アメリカの対ロシア政策の失敗が改めて検証されている。
ウェイン・メリーの警告とアメリカの対応
メモのタイトルは「ロシアは誰のものか――善意ある尊重の政策へ(Whose Russia Is It Anyway: Toward a Policy of Benign Respect)」であり、ロシアの経済改革と民主化に対するアメリカのアプローチが誤っていると指摘している。
当時、ボリス・エリツィン大統領は民主化と市場経済改革を推進していたが、その政策は深刻な混乱を招いていた。エリツィンの首相であり「ショック療法(Shock Therapy)」の設計者であるイーゴリ・ガイダル(Yegor Gaidar)の政党は選挙で敗北し、モスクワでは1993年に議会クーデターが発生。エリツィンは戦車を動員してこれを鎮圧した。しかし、アメリカ政府はなおエリツィンを強力なリーダーと見なし、彼の急進的な市場経済改革を成功と考えていた。
メリーはこの状況に強い懸念を示し、「ロシアの民主主義勢力は深刻な危機に瀕している。我々は市場経済への過度な偏重によって、むしろ彼らを支援するのではなく、害を与えている」と主張した。彼の指摘した核心的な問題点は以下の通りである。
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
メリーは「ロシア経済は急速な市場改革に耐えられない」と警告し、「西側がロシア国民の意思に反して経済構造を無理に変えようとすれば、アメリカへの好意的な感情は枯渇し、反民主主義勢力を利し、ロシアと西側の敵対関係を再び生み出す」と述べた。
2. アメリカの「市場至上主義」はロシアでは通用しない
メリーは、「アメリカでは『民主主義』と『市場経済』がほぼ同義のように語られるが、ロシア人にはその概念が理解されない」と述べた。そして、「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人は非常に少なく、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を込めて指摘した。
3. アメリカの「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
メリーは、ロシアに派遣されたアメリカの経済顧問団についても厳しく批判した。彼らはロシアの実情を理解しようとせず、ロシアの経済を実験場のように扱ったという。「ソ連時代に74年間も経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、経済理論家ほど信用できない存在はいない」というメリーの指摘は、当時のロシア人の苛立ちを如実に表している。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先するべきか
メリーは、アメリカは「ロシアの民主主義を守るか、それとも市場経済を推し進めるか、どちらかを選ばなければならない」と述べた。彼は、「市場経済の強制よりも、ロシアが機能的な民主制度を確立することを優先すべきだ」と提言したが、これは当時のワシントンの政策決定者の考えと相容れなかった。
メモのその後とアメリカの反応
メリーのメモは、当時の国務省政策立案部長であるジェームズ・スタインバーグ(Jim Steinberg)によって「刺激的だが、我々の方針と異なる」と一蹴された。スタインバーグは「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、「ロシア経済の自由化はすでにゴルバチョフ時代に始まり、エリツィン政権によってほぼ完了している」と主張した。しかし、メリーは「それは誤りであり、ゴルバチョフはごく限定的な自由化しか行わず、エリツィンの改革も実質的には混乱を生んだだけだ」と指摘した。
メリーのメモは公式には埋もれ、彼はその後アメリカ外交界で冷遇された。彼自身、このメモに対する正式な回答が存在していたことを、今回の機密解除によって初めて知ったという。
30年後の視点から見たメリーの正しさ
現在、ロシアは民主主義とは程遠い政治体制となり、米露関係も冷戦期以来最悪の状態にある。メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、経済改革は一部のオリガルヒを利するものとなり、国民の多くは貧困に苦しんだ。その結果、ウラジーミル・プーチンの台頭を許し、ロシアは再びアメリカと敵対する国家となった。
もし当時のアメリカ政府がメリーの警告を真剣に受け止め、ロシアの民主制度の確立を優先していたら、現在の国際情勢は違ったものになっていた可能性がある。この機密解除文書は、ポスト冷戦期のアメリカ外交の誤りを再評価する上で極めて重要な資料となっている。
【要点】
機密解除されたメモが示すアメリカの対ロシア政策の誤り
概要
・1994年3月、米モスクワ大使館の外交官ウェイン・メリーが「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省に送ったメモが2024年に機密解除された。
・メモはアメリカのロシア政策が誤っており、ロシアの民主化を阻害していると警告していたが、当時の政策決定者には無視された。
・30年後、メリーの指摘が正しかったことが明らかになった。
メモの主張
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
・市場経済改革を急速に推進しすぎたことで、国民の反発を招いた。
・西側の介入により、民主主義を支持するロシア人すら反米感情を抱いた。
・結果として、反民主主義勢力(後のプーチン政権など)を利することになった。
2. 「市場経済=民主主義」というアメリカの発想はロシアには当てはまらない
・アメリカでは民主主義と市場経済はセットだが、ロシア人にはその概念が理解されない。
・「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人はほぼおらず、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を述べた。
3. 「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
・アメリカの経済顧問団がロシアの実情を無視し、教条的な市場改革を押し付けた。
・ソ連時代に散々経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、理論家の言葉は信用されなかった。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先すべきか
・アメリカは市場経済を最優先したが、メリーは民主主義の安定化を優先すべきだと主張。
・無理な市場経済改革が進んだ結果、エリツィン政権への支持が低下し、後のプーチン政権の台頭を招いた。
当時のアメリカ政府の対応
・メモは国務省政策立案部長ジェームズ・スタインバーグにより「刺激的だが、政策とは異なる」と一蹴された。
・「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、ロシア経済はすでに自由化されていると主張。
・メリーの意見は受け入れられず、彼はその後外交界で冷遇された。
30年後の評価
・メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、市場経済改革は一部のオリガルヒを利する結果となった。
・ロシア国民の不満はプーチン政権の正当化につながり、米露関係は冷戦以来最悪の状態に。
・もし当時のアメリカが民主主義の安定を優先していれば、現在の国際情勢は異なっていた可能性がある。
【参考】
☞ エゴール・ガイダルの「ショック療法」
概要
・1992年、ロシアの首相代行エゴール・ガイダルが推進した急速な市場経済化政策。
・価格自由化、補助金削減、大規模民営化などを一気に実施。
・目的:計画経済から市場経済への移行を短期間で達成し、ハイパーインフレを抑制。
・結果:経済混乱が加速し、国民の生活水準が急激に低下。
主な政策
1. 価格自由化(1992年1月2日)
・目的:計画経済下の物資不足を解消し、供給を増やす。
・結果:物価が急騰し、インフレ率が年間2500%に達する。
・国民の貯蓄は実質的に無価値となり、生活苦が深刻化。
2. 政府補助金の削減
・目的:財政赤字を削減し、市場原理に基づいた経済を構築。
・結果:公共料金や食品価格が急上昇し、低所得者層が大きな打撃を受ける。
3. 国営企業の民営化
・目的:国家主導の経済から市場競争を導入し、生産効率を向上させる。
・方法:「バウチャー方式」を採用し、国民に企業株を配布。
・結果:企業の支配権はオリガルヒ(新興財閥)に集中し、「強奪的民営化」と批判される。
経済・社会への影響
1. 経済格差の拡大
・一部の実業家や官僚が国営企業を安値で買収し、「オリガルヒ」と呼ばれる富裕層が誕生。
・一方、一般国民は給与未払い・失業・社会福祉の縮小に苦しむ。
2. ハイパーインフレと生活水準の低下
・価格自由化と通貨供給の急増により、ルーブルの価値が暴落。
・1990年代前半のロシアのGDPは40%以上減少し、国民の貧困率が急上昇。
3. 政治的不安定化
・1993年、エリツィン政権と議会(最高会議)が対立し、武力衝突(1993年憲政危機)に発展。
・経済政策への反発が強まり、1996年の大統領選ではエリツィンが苦戦(最終的に勝利)。
・1999年、経済混乱を背景にプーチンが首相に就任し、後の権力集中へとつながる。
評価
肯定的評価
・旧ソ連時代の計画経済からの転換を果たし、市場経済への移行を促進。
・2000年代以降のロシア経済成長(主に石油・ガス輸出による)が可能になった。
否定的評価
・改革のスピードが速すぎ、国民生活への影響が考慮されなかった。
・「オリガルヒ支配」を招き、ロシア社会の不平等を固定化。
・結果的に反民主主義的な流れを助長し、プーチン政権の台頭を許した。
結論
ガイダルの「ショック療法」は短期間で市場経済を導入することには成功したが、経済混乱と社会不安を招き、結果的にロシアの民主主義を弱体化させた。この失敗が、現在のロシアの政治体制の形成に大きな影響を与えたと考えられる。
☞ オリガルヒ(Oligarch)
概要
・ロシアや旧ソ連諸国において、民営化の過程で国営企業を支配し、巨額の富を蓄積した新興財閥を指す。
・1990年代の民営化(特にガイダルの「ショック療法」)を利用し、安価で企業資産を取得。
・政治・経済に強い影響力を持ち、一部は政府高官と結びつくことで権力を拡大。
オリガルヒの形成
1. 1990年代の混乱と財閥化
・1992年の価格自由化と国営企業の民営化を契機に、一部の実業家が急成長。
・「バウチャー方式」で国民に配布された企業株を買い集め、主要企業を支配。
・政府の「ローン・フォー・シェアーズ(担保融資)」政策を利用し、国営資源企業を格安で取得。
・金融・石油・天然ガス・鉱業などの分野で急速に富を蓄積。
2. 1996年大統領選とエリツィン政権との結託
・エリツィン再選を支援する代わりに、政府から経済的利益を受ける。
・メディア支配を通じて世論を操作し、政権に影響力を行使。
・代表的オリガルヒ(例:ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー)。
3. プーチン政権の台頭と「粛清」
・2000年以降、プーチンは「国家の支配強化」を掲げ、政権に従わないオリガルヒを排除。
・例:
⇨ ミハイル・ホドルコフスキー(石油大手ユコスの元CEO) → 逮捕・資産没収。
⇨ ボリス・ベレゾフスキー → 亡命後、2013年に死亡(他殺説あり)。
⇨ ウラジーミル・グシンスキー → メディア帝国を失い国外逃亡。
・一方で、クレムリンに忠誠を誓うオリガルヒは生き残り、「国家オリガルヒ」として権力を維持。
現在のオリガルヒ
1. プーチン政権下での役割
・政府と一体化し、国営企業と結びつく形で経済を支配。
・ロスネフチ(石油)、ガスプロム(天然ガス)、ノリリスク・ニッケル(金属)などの企業に影響力。
・西側の経済制裁(2014年のクリミア併合以降)を受け、一部の資産が凍結。
2. 代表的なオリガルヒ
・イーゴリ・セーチン(ロスネフチCEO)
・ゲンナジー・ティムチェンコ(石油・天然ガス)
・アリシェル・ウスマノフ(鉱業・通信)
・ロマン・アブラモビッチ(石油・鉄鋼・元チェルシーFCオーナー)
評価
肯定的側面
・市場経済の発展に貢献し、ロシアの資本主義を加速。
・国際競争力のある企業(ロスネフチ、ガスプロムなど)を育成。
・一部のオリガルヒは文化・スポーツ支援(アブラモビッチのチェルシーFC買収など)も行う。
否定的側面
・経済の不平等を拡大し、富の偏在を引き起こす。
・政府との癒着による汚職や政治腐敗の温床。
・国民の利益ではなく、一部のエリート層のみが利益を得る構造を維持。
結論
オリガルヒはロシアの急激な市場経済化の中で生まれた新興財閥であり、政治・経済に強い影響力を持つ。1990年代は政権と対等な関係だったが、プーチン政権下では国家に従属する形で生き残った。現在もロシア経済を実質的に支配し、体制の安定に寄与しているが、汚職や格差の原因ともなっている。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
A Newly Declassified Memo Sheds Light on America’s Post-Cold War Mistakes The Slatest 2024.12.23
https://slate.com/news-and-politics/2024/12/russia-news-ukraine-cold-war-foreign-policy-history.html
ガイダルの「ショック療法」は、資本主義への急激な移行を目指したが、その結果、多くのロシア国民が経済的混乱に陥り、民主主義の支持基盤が弱体化した。メリーの警告は、アメリカの経済政策がロシア国内の反米感情を助長し、最終的にロシアと西側の対立を再燃させる可能性を指摘していた。
この新たに機密解除されたメモは、1990年代のアメリカ外交政策の誤りを改めて浮き彫りにしている。ワシントンは、民主主義と市場経済の進展を同時に推進できると考えていたが、ロシア社会の現実を見誤り、政治的安定よりも急進的な市場改革を優先した。その結果、ロシアの民主主義は脆弱なままとなり、欧米への不信が根付いた。
メリーの指摘通り、アメリカの「援助観光客(assistance tourists)」と呼ばれる専門家たちは、ロシアの実情を十分に理解せず、西側の経済理論を押し付けた。これが逆にロシア国内のナショナリズムや反米感情を刺激し、現在の米ロ関係の対立構造の一因となった可能性がある。
このメモが当時の政策決定に影響を与えていれば、ロシアの民主化プロセスは異なる方向へ進んだかもしれない。しかし、現実には、アメリカは市場経済の強制的な導入を推し進め、ロシア社会の混乱を招いた。この点で、メリーの分析は極めて洞察に満ちたものであったと言える。
【詳細】
新たに機密解除されたメモが示すアメリカのポスト冷戦期の誤り
2024年12月23日、Slate誌のフレッド・カプラン(Fred Kaplan)が発表した記事は、アメリカの対ロシア政策の失敗に関する新たな機密解除文書を紹介し、大きな注目を集めた。この文書は、1994年3月に当時モスクワのアメリカ大使館で内部政治部門の責任者を務めていたウェイン・メリー(Wayne Merry)が作成したもので、ロシアの民主化と経済改革に関するアメリカのアプローチが間違っていたことを鋭く指摘している。
このメモは、従来のアメリカの政策と相反する内容だったため、公式な外交文書として送付されず、「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省上層部に提出された。しかし、当時の政策決定者たちはこれを無視し、メリー自身もその後外交界から事実上追放された。30年を経てこのメモが機密解除されたことで、アメリカの対ロシア政策の失敗が改めて検証されている。
ウェイン・メリーの警告とアメリカの対応
メモのタイトルは「ロシアは誰のものか――善意ある尊重の政策へ(Whose Russia Is It Anyway: Toward a Policy of Benign Respect)」であり、ロシアの経済改革と民主化に対するアメリカのアプローチが誤っていると指摘している。
当時、ボリス・エリツィン大統領は民主化と市場経済改革を推進していたが、その政策は深刻な混乱を招いていた。エリツィンの首相であり「ショック療法(Shock Therapy)」の設計者であるイーゴリ・ガイダル(Yegor Gaidar)の政党は選挙で敗北し、モスクワでは1993年に議会クーデターが発生。エリツィンは戦車を動員してこれを鎮圧した。しかし、アメリカ政府はなおエリツィンを強力なリーダーと見なし、彼の急進的な市場経済改革を成功と考えていた。
メリーはこの状況に強い懸念を示し、「ロシアの民主主義勢力は深刻な危機に瀕している。我々は市場経済への過度な偏重によって、むしろ彼らを支援するのではなく、害を与えている」と主張した。彼の指摘した核心的な問題点は以下の通りである。
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
メリーは「ロシア経済は急速な市場改革に耐えられない」と警告し、「西側がロシア国民の意思に反して経済構造を無理に変えようとすれば、アメリカへの好意的な感情は枯渇し、反民主主義勢力を利し、ロシアと西側の敵対関係を再び生み出す」と述べた。
2. アメリカの「市場至上主義」はロシアでは通用しない
メリーは、「アメリカでは『民主主義』と『市場経済』がほぼ同義のように語られるが、ロシア人にはその概念が理解されない」と述べた。そして、「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人は非常に少なく、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を込めて指摘した。
3. アメリカの「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
メリーは、ロシアに派遣されたアメリカの経済顧問団についても厳しく批判した。彼らはロシアの実情を理解しようとせず、ロシアの経済を実験場のように扱ったという。「ソ連時代に74年間も経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、経済理論家ほど信用できない存在はいない」というメリーの指摘は、当時のロシア人の苛立ちを如実に表している。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先するべきか
メリーは、アメリカは「ロシアの民主主義を守るか、それとも市場経済を推し進めるか、どちらかを選ばなければならない」と述べた。彼は、「市場経済の強制よりも、ロシアが機能的な民主制度を確立することを優先すべきだ」と提言したが、これは当時のワシントンの政策決定者の考えと相容れなかった。
メモのその後とアメリカの反応
メリーのメモは、当時の国務省政策立案部長であるジェームズ・スタインバーグ(Jim Steinberg)によって「刺激的だが、我々の方針と異なる」と一蹴された。スタインバーグは「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、「ロシア経済の自由化はすでにゴルバチョフ時代に始まり、エリツィン政権によってほぼ完了している」と主張した。しかし、メリーは「それは誤りであり、ゴルバチョフはごく限定的な自由化しか行わず、エリツィンの改革も実質的には混乱を生んだだけだ」と指摘した。
メリーのメモは公式には埋もれ、彼はその後アメリカ外交界で冷遇された。彼自身、このメモに対する正式な回答が存在していたことを、今回の機密解除によって初めて知ったという。
30年後の視点から見たメリーの正しさ
現在、ロシアは民主主義とは程遠い政治体制となり、米露関係も冷戦期以来最悪の状態にある。メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、経済改革は一部のオリガルヒを利するものとなり、国民の多くは貧困に苦しんだ。その結果、ウラジーミル・プーチンの台頭を許し、ロシアは再びアメリカと敵対する国家となった。
もし当時のアメリカ政府がメリーの警告を真剣に受け止め、ロシアの民主制度の確立を優先していたら、現在の国際情勢は違ったものになっていた可能性がある。この機密解除文書は、ポスト冷戦期のアメリカ外交の誤りを再評価する上で極めて重要な資料となっている。
【要点】
機密解除されたメモが示すアメリカの対ロシア政策の誤り
概要
・1994年3月、米モスクワ大使館の外交官ウェイン・メリーが「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省に送ったメモが2024年に機密解除された。
・メモはアメリカのロシア政策が誤っており、ロシアの民主化を阻害していると警告していたが、当時の政策決定者には無視された。
・30年後、メリーの指摘が正しかったことが明らかになった。
メモの主張
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
・市場経済改革を急速に推進しすぎたことで、国民の反発を招いた。
・西側の介入により、民主主義を支持するロシア人すら反米感情を抱いた。
・結果として、反民主主義勢力(後のプーチン政権など)を利することになった。
2. 「市場経済=民主主義」というアメリカの発想はロシアには当てはまらない
・アメリカでは民主主義と市場経済はセットだが、ロシア人にはその概念が理解されない。
・「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人はほぼおらず、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を述べた。
3. 「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
・アメリカの経済顧問団がロシアの実情を無視し、教条的な市場改革を押し付けた。
・ソ連時代に散々経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、理論家の言葉は信用されなかった。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先すべきか
・アメリカは市場経済を最優先したが、メリーは民主主義の安定化を優先すべきだと主張。
・無理な市場経済改革が進んだ結果、エリツィン政権への支持が低下し、後のプーチン政権の台頭を招いた。
当時のアメリカ政府の対応
・メモは国務省政策立案部長ジェームズ・スタインバーグにより「刺激的だが、政策とは異なる」と一蹴された。
・「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、ロシア経済はすでに自由化されていると主張。
・メリーの意見は受け入れられず、彼はその後外交界で冷遇された。
30年後の評価
・メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、市場経済改革は一部のオリガルヒを利する結果となった。
・ロシア国民の不満はプーチン政権の正当化につながり、米露関係は冷戦以来最悪の状態に。
・もし当時のアメリカが民主主義の安定を優先していれば、現在の国際情勢は異なっていた可能性がある。
【参考】
☞ エゴール・ガイダルの「ショック療法」
概要
・1992年、ロシアの首相代行エゴール・ガイダルが推進した急速な市場経済化政策。
・価格自由化、補助金削減、大規模民営化などを一気に実施。
・目的:計画経済から市場経済への移行を短期間で達成し、ハイパーインフレを抑制。
・結果:経済混乱が加速し、国民の生活水準が急激に低下。
主な政策
1. 価格自由化(1992年1月2日)
・目的:計画経済下の物資不足を解消し、供給を増やす。
・結果:物価が急騰し、インフレ率が年間2500%に達する。
・国民の貯蓄は実質的に無価値となり、生活苦が深刻化。
2. 政府補助金の削減
・目的:財政赤字を削減し、市場原理に基づいた経済を構築。
・結果:公共料金や食品価格が急上昇し、低所得者層が大きな打撃を受ける。
3. 国営企業の民営化
・目的:国家主導の経済から市場競争を導入し、生産効率を向上させる。
・方法:「バウチャー方式」を採用し、国民に企業株を配布。
・結果:企業の支配権はオリガルヒ(新興財閥)に集中し、「強奪的民営化」と批判される。
経済・社会への影響
1. 経済格差の拡大
・一部の実業家や官僚が国営企業を安値で買収し、「オリガルヒ」と呼ばれる富裕層が誕生。
・一方、一般国民は給与未払い・失業・社会福祉の縮小に苦しむ。
2. ハイパーインフレと生活水準の低下
・価格自由化と通貨供給の急増により、ルーブルの価値が暴落。
・1990年代前半のロシアのGDPは40%以上減少し、国民の貧困率が急上昇。
3. 政治的不安定化
・1993年、エリツィン政権と議会(最高会議)が対立し、武力衝突(1993年憲政危機)に発展。
・経済政策への反発が強まり、1996年の大統領選ではエリツィンが苦戦(最終的に勝利)。
・1999年、経済混乱を背景にプーチンが首相に就任し、後の権力集中へとつながる。
評価
肯定的評価
・旧ソ連時代の計画経済からの転換を果たし、市場経済への移行を促進。
・2000年代以降のロシア経済成長(主に石油・ガス輸出による)が可能になった。
否定的評価
・改革のスピードが速すぎ、国民生活への影響が考慮されなかった。
・「オリガルヒ支配」を招き、ロシア社会の不平等を固定化。
・結果的に反民主主義的な流れを助長し、プーチン政権の台頭を許した。
結論
ガイダルの「ショック療法」は短期間で市場経済を導入することには成功したが、経済混乱と社会不安を招き、結果的にロシアの民主主義を弱体化させた。この失敗が、現在のロシアの政治体制の形成に大きな影響を与えたと考えられる。
☞ オリガルヒ(Oligarch)
概要
・ロシアや旧ソ連諸国において、民営化の過程で国営企業を支配し、巨額の富を蓄積した新興財閥を指す。
・1990年代の民営化(特にガイダルの「ショック療法」)を利用し、安価で企業資産を取得。
・政治・経済に強い影響力を持ち、一部は政府高官と結びつくことで権力を拡大。
オリガルヒの形成
1. 1990年代の混乱と財閥化
・1992年の価格自由化と国営企業の民営化を契機に、一部の実業家が急成長。
・「バウチャー方式」で国民に配布された企業株を買い集め、主要企業を支配。
・政府の「ローン・フォー・シェアーズ(担保融資)」政策を利用し、国営資源企業を格安で取得。
・金融・石油・天然ガス・鉱業などの分野で急速に富を蓄積。
2. 1996年大統領選とエリツィン政権との結託
・エリツィン再選を支援する代わりに、政府から経済的利益を受ける。
・メディア支配を通じて世論を操作し、政権に影響力を行使。
・代表的オリガルヒ(例:ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー)。
3. プーチン政権の台頭と「粛清」
・2000年以降、プーチンは「国家の支配強化」を掲げ、政権に従わないオリガルヒを排除。
・例:
⇨ ミハイル・ホドルコフスキー(石油大手ユコスの元CEO) → 逮捕・資産没収。
⇨ ボリス・ベレゾフスキー → 亡命後、2013年に死亡(他殺説あり)。
⇨ ウラジーミル・グシンスキー → メディア帝国を失い国外逃亡。
・一方で、クレムリンに忠誠を誓うオリガルヒは生き残り、「国家オリガルヒ」として権力を維持。
現在のオリガルヒ
1. プーチン政権下での役割
・政府と一体化し、国営企業と結びつく形で経済を支配。
・ロスネフチ(石油)、ガスプロム(天然ガス)、ノリリスク・ニッケル(金属)などの企業に影響力。
・西側の経済制裁(2014年のクリミア併合以降)を受け、一部の資産が凍結。
2. 代表的なオリガルヒ
・イーゴリ・セーチン(ロスネフチCEO)
・ゲンナジー・ティムチェンコ(石油・天然ガス)
・アリシェル・ウスマノフ(鉱業・通信)
・ロマン・アブラモビッチ(石油・鉄鋼・元チェルシーFCオーナー)
評価
肯定的側面
・市場経済の発展に貢献し、ロシアの資本主義を加速。
・国際競争力のある企業(ロスネフチ、ガスプロムなど)を育成。
・一部のオリガルヒは文化・スポーツ支援(アブラモビッチのチェルシーFC買収など)も行う。
否定的側面
・経済の不平等を拡大し、富の偏在を引き起こす。
・政府との癒着による汚職や政治腐敗の温床。
・国民の利益ではなく、一部のエリート層のみが利益を得る構造を維持。
結論
オリガルヒはロシアの急激な市場経済化の中で生まれた新興財閥であり、政治・経済に強い影響力を持つ。1990年代は政権と対等な関係だったが、プーチン政権下では国家に従属する形で生き残った。現在もロシア経済を実質的に支配し、体制の安定に寄与しているが、汚職や格差の原因ともなっている。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
A Newly Declassified Memo Sheds Light on America’s Post-Cold War Mistakes The Slatest 2024.12.23
https://slate.com/news-and-politics/2024/12/russia-news-ukraine-cold-war-foreign-policy-history.html