田中正造 奇妙な宗旨2022年09月24日 18:02

田中正造自叙傳 直訴當時の田中翁
 『名流頓智談』須藤愛司 著

 序                       2022.09.24

「花に啼く鶯、水にすむ蛙の聲を聞けば活きとし生けるもの何れか歌を咏まざりける」とは是れ貫之が辭、さても現下の人物が處世の魂膽、神出鬼沒、縱横無盡、三寸の舌、五寸の筆、頓智と奇才に天地を動かし、目に見えぬ美妙靈をば弄ぶの驅引手加減。眞々僞々、虚々實ゝ、天地の間の大舞臺に、稀世の手腕を揮ふ大活劇、その眞況の如何なるかは、言わぬを花とし、此處暫く預つて置く、そのかはり間だるしと思ふたものは、遠慮なく此ページおつ開き給へ。
  明治三十五年四月
               花笑ふ東臺の下にて
                      著 者 識

 (104-106頁)
 ◎ 田中正造                  2022.09.24

 奇妙な宗旨

下院三百の議員其數盖し少しとせぬ、然し乍ら奇謔栃鎭翁の如きは又とはあるまい恐らくは現代一人といふてもよろしからふ、翁が奇行に就ては世又逸談頗る多いのである、而して時に或は無邪氣の面白い事もある、先年君は福澤翁を三田の邸に尋ねた、其時翁は君に向うてお前は何んの用があつて遣つて來たかと聞くと、君は「慶應義塾へ入學したいと答へた、そこで諭吉翁は「今迄國で何をして居つたか」と尋ねると縣會議長をしていたといふ、夫れは近頃殊勝の話だ、マー晝飯でも喰つておいでと、二人で晝飯を喰ひ始めた、其間に翁が「一體君の宗旨は何衆か」と問ふと、君のいふには「自分の宗旨は未だ日本には今迄に餘り聞かない、處の宗旨でもつて當時信者は唯一人しかないと」答へた、翁が「それは全体又何といふ宗旨だね」と聞くと、「田中宗といふ宗旨だ」と奇言を吐いたので翁も其面白のに一笑された、而して栃鎭先生は今でも鑛毒事件さへ濟めば直に國會議員なんぞ打ち罷めちまつて何時でも慶應義塾へ這入ると云ふて居るさうだ、然し先頃諭吉翁が死で了つたが今はどうかしらぬ、

 犬も國會議員

君も縣會議員になつた當時は財産が未だ三四萬圓位はあつたろうが縣會議長をして夫れから栃木縣令の三島通庸の虐政に抵抗し其運動費に豪く使つた爲遂々今日の樣になつたのである、其勇勇邁私財を愛まない處は實に愛すべきである、此愛だ君がある家で夕飯を食つて居ると、一疋の犬が其處へ來たから君は肴を投つて遣つたら直に喫べた、又遣つたら直に喫べて了つた、すると先生犬に向つて「おまへも國會議員かへ」と言つた、餘りの奇言に傍に居つた人がどういふ譯かと聞て見ると、全體犬と云ふものは其家の主人が呉れた食物でなければ喰ふものでないが行儀の惡い根性の汚つた犬は誰れが呉れても食物ならば同じ樣に直ぐ喫べて了ふ、今の國會議員は皆んなそんなものではないか」と答へた、鳥渡した一言ではあるが能く味ひてみると、却々面白辭だ、

引用・参照・底本

『名流頓智談』須藤愛司 著 明治三十五年七月十五日發行 金港堂書籍株式会社

(国立国会図書館デジタルコレクション)