亞米利加建國の精神2022年09月27日 09:51

万国尽 阿蘭陀人
 『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久

 米國の帝國主義と其太平洋政策 大島 高精氏

 (三九八-四〇五頁)
 第一 亞米利加建國の精神            2022.09.27

 米國の帝國主義と其太平洋政策と題まして、國家として國民として本日御出席の諸君と共に現に直面して居りまする此重大問題を考索して見たいと思ひます。
 先づ本問題に入る前に、今日我國民を擧げて果して米國の根本信條である所謂アメリカニズムなるものを正解して居るか否かを考へて見たいと思ふ。何となれば之を特に考索しなければならぬ必要を感じてゐるからであります。即ち今日の所謂亞米利加通と稱せらるる幾多の先輩、我々が日頃尊敬致して居りまする所謂歴史家、斯く云ふ人達の亞米利加を見て居る見解なるものを點檢して見ますると、どうやら見當違ひの觀察か乃至皮相觀に失して居りはしないかと云ふ事を切に感ずるのであります。
 最近日米問題が勃發して以來、或は新聞雜誌に、或は演説講演に幾多論客の言論なり、所謂亞米利加通の意見なりが發表されて居りますが、其千言萬語も歸する所今日亞米利加が斯くの如き非人道的な行爲をすると云ふ事は、亞米利加の建國當初の一大精紳である人道主義に反して居る。是は實に亞米利加ワシントン及びリンコルンの時代に高調された人類愛の大理想と矛盾して居ると爲す緒言を以て出撥してゐる者が多いので、此所に根本的の誤謬を發見せざるを得ない者であります。故に先づ是等論者の云ふが如く果して亞米利加が徹頭徹尾人道主義、博愛主義を基礎精神として建國されて居るや否やと云ふ事を、序論として考ヘて見たいと思ふのであります。
 今より三百四年前西暦千六百二十年に、英國のアングリカン教會(英國國教)の壓迫を受けた、ピリグリムフアザーズが信仰の自由を得ん爲に、新大陸を憧憬し、ノーザンプトンを出で、秋の太西洋を南航し、年暮新英國マサチウセツ州プリマに上陸した。是が亞米利加建國の紀元であります。然るにピルグリム・フアーザーズの宗教的信條及び其の生活を考索して見ますると、私共が是迄傅へられてゐます自由、平等及平和を高調した所謂人道主義的精神生活が此ピルグリム・フアーザースの理想となつて打ち立てられ、そしてアングリカン教會の爲に忍ぶ可からざる壓迫を受けた一團として眞に平和な、そして人類愛に燃えた宗教的生活を新大陸に於て營まうと云ふ動機と其努力が窺はれる。此點に於ては、亞米利加建國當初の精神は眞に人類愛に燃えた平等一如の理想境に立脚してゐると云ふ事が出來ませうが、併し乍らピルグリム・フアザースの宗教的思想其生活は今日の所謂亞米利加建國の精神ではありません。即ち事實は其後僅々十年にして、初めて大陸に足跡を印したピユーリタン(淸教徒)の思想が亞米利加の建國的精神となつて居るのでありますが、我國民の多くは此ピユーリタンを以て人類愛に燃えた、そして平等、自由、平和を第一義とする宗教團體であるかの如くに觀じて居るのであります。茲に私の所謂イリユージョンがあり、誤謬があります。斯く申しますのは、或は僭越ではありまするが、多くの亞米利加の建國精神を觀ずる者が、ピユーリタンとピルグリム・フアザースの宗教其内的生活を混淆して論じて居るのであります。其邊を明白にする爲に、敢て此の序言を致した次第であります。更に繰返して申しまするが、此ピューリタンは斷じて平和、自由、平等を樂しんで、理想的精神王國を新大陸に建設せんが爲に、移住して來たのではありませぬ。寧ろ却つて非常に熱烈な國家的溌溂たる情操を以て、先づ新大陸を征服し、之を基礎として世界政策の第一歩を踏み出さければならぬと云ふ遠大な理想を以て移つて來たのであります。當時歐洲大陸に於ては如何なる國と雖も國家主義の洗禮を受けで居なかつた。しかも此時代に於て、ピユーリタンの宗教團體に由つて早くも朧氣ながら國家主義が米大陸に呱々の聲を揚げたと云ふ事は、亞米利加の歴史を觀察する上に是非とも見免してならぬ事實であると思ひます。是が多くの研究者に因つて誤まられて居る點でありまするが故に、一言を加へた次第であります。
 然らばピューリタンの思想が如何に國家的思想に於て躍如たるものがあり、決して人類愛乃至平等平和思想の基礎に立つて居ないかと云ふ事を、明かにしなければなりませぬ。即ち之を申しますのには先づカルヴインの神學に就き一言しなければなりませぬ。即ちカルヴインの神學を一言以て盡しますなら、秋霜烈日、其冷鐵の如く之を打てば鏘々の音を發するとでも形容すべきで、彼のブレスビテリヤンは此神學の流れを汲んだ一派であります。然るに此神學思想を米大陸に移し植ゑたのがピユーリタンで此のピユーリタンの宗教は血あり涙あるジヨンウエスレーの宗教にあらずして、秋霜烈日峻嚴犯す可からざる神學の上に立つた宗教團體であると云ふ事を今一度繰り返し述べて其他は諸君の御推察に任せる事にいたします。
 茲に於て私は、日米最近の事情を一々微に入り細を穿つて點檢する事を止め、其代りに亞米利加の歴史を一貫して來た所の所謂アメリカニズムなるものを考索し、其中に帝國主義的精神が今日に至るまで流動して來たと云ふ事實を研究し、今日亞米利加の日本に對する態度が最も自然なる結論であり、而して更に之が將來に延長するであらうと云ふ點を、諸君と共に的確にする事が出來るなら、私の目的は達せらるゝ譯であります。
 夫れで私は茲にカルヴインの神學から發した所の政治思想に就て考へたいと思ひましたが、時間も餘程移つた事でもあり、此點は省畧し、唯だ茲にはピユーリタンの思想の中に胚胎した所のアダムスとかベーンとか、ジエフアソン及びハミルトンの如き思想家が思索した政治思想の内に、如何なる危険性があるかと云ふ事を一言申上げて置くに止めやうと思ひます。
 然らば私の所謂政治上の危險思想とは何かと云ふに、亞米利加は御存じの如く『人民の爲の政治』と云ふ事が最も高調された國であります。最も其自由民權の思想なり或は民本政治の思想は英國の流れを汲み、又は佛國の思想に濫觴してゐるので、嚴密な意味に於て米國の生産でありませぬ。併し乍ら亞米利加に於て獨得の發達を爲した點は何所にあるかと云ふ事は是非共深く考索するの要があります。即ち餘りに自由民權の思想を高調するが爲に、彼れは帝王に對して頗る危險な思想を懐抱するに至つたのであります。此點は實に佛蘭酉のルソーや、ヴオルテヤや、モンテスキユーでさへ思索する事の出來なかつた程峻嚴にして且つ最も危險性を帶び、帝王政治に對して猛烈な叛逆的思想を抱いて居つたと云ふ事は、是非共日米問題に直面してゐる我々が嚴粛に考索しなければならぬ點であると考へまして、特に此點を高調する次第であります。(拍手起る)
 此點に就て茲に一つの挿話を致しますが、休戰直後の年でありましたが日本から有名な方が米國に参りました時、紐育に於て政治家、實業家或は社會の指導者を以て任ずる所の幾多の名士が列席して此日本の珍客を迎へたのであります。其珍客の何人であるかは茲で申しませぬ。私も其席に参列して居りましたものでありますからして其時の光景に對して頗る憤激した者の一人でありまするが、其時に米國の知名な人格者と稱せらるゝ所の一政治家であり、又最も敬神家である所の一紳士が起つて、一場の祈禱を捧げた。其祈禱の文句の中に、斯う云ふのがありました。『どうか神樣、日本現在の政界に急轉直下的一大革命を現じて、常に平和と自由との上に脅威をなしつゝある今日の帝政を顛覆し、眞に自由民權に基づく民主々義の新たる國家を建設せられむ事を』と之を米國一紳士の祈禱としてのみ看過する事が出來ませうか。(拍手起る)今日猶ほ米國の議會に於て、或は又公會の席上に於て、更に又米國の言論機關を通じて、日本の帝王政治を顛覆しなければ眞の平和は期せられないと云ふ事を論ずる者の少なくないと云ふ事を知つて、而して後に日米問題を考察しなければならぬと云ふ事を私は切言して置きます。(拍手起る)是が即ちアダムスなり、ジエフアソンなり、ハミルトンなり、ベーンなりの思想に胚胎した私の所謂危險思想でありまして、亞米利加の思想か英吉利、佛蘭西あたりの自由民権思想の流れを汲んで居るとは云へ夫れが亞米利加に移てから、歐洲の大革命理想家さへ考慮することを得ざりし程爾かく激烈な一方の革命思想となり、是がジエフアソン當時から終始一貫して今日に到り、又將來を貫いて居ると云ふ事を重ねて申して置く次第であります。

引用・参照・底本

『對米國策論集』 國民對米會編 編者 葛生能久 大正十三年十二月二十五日發行 發行所 讀賣新聞社

(国立国会図書館デジタルコレクション)