ウィルソンとル—ズヴェルト2022年09月30日 09:11

雅邦集
 『ヒトラー總統の對米宣戰布告の大演説 一千年の歴史を作らん』 ヒトラー 〔述〕

  「戰爭の責任はル—ズヴエルトにあり!」 
  ヒトラー總統の對米宣戰布告大演説 
  (一九四一年十二月十一日獨逸國會に於て)

 (37-41頁)
 ウィルソンとル—ズヴェルト     2022.09.30

 然るに茲に否定し得ぬ一つの事實は、ドイツと合衆國間の此の二つの史的係爭が――その同一勢力の後押しがあるにせよ――終始二人の合衆國の人物、即ちウィルソン大統領とフランクリン・ル—ズヴェルトにより炊きつけられたといふことである。ウィルソンに關する批判は歴史自らがすでに雄辯に物語つてゐる。彼の名は各時代を通じて最も低劣な食言と切つても切れぬ緣を有してゐる。彼の破約は所謂敗戰國は素より戰勝國さへその民族の生活を混亂lせしむるに至つた。ウィルソンの食言だけで捏ち上げたヴェルサイエ宣言は幾多國家を分裂に導き、文化を破壊し、あらゆる國家の經済を崩壊せしめた。然かもウィルソンの背後に、これに關心を寄せつつある財閥の一民が控へ、これが此の小兒痲痺症の教授を驅使しつつアメリカを戰爭に驅り立て、巨利を夢みてゐたことを我々は今にして知つたのである。
 ドイツ民族はかつて一度は此の人物に信賴を寄せたが、これが却つて仇となりドイッ民族は嘗てその經済的、政治的生存の崩壊と云ふ代償を拂つたのである。然るにかうした數々の苦い經驗に性こりもなく復しても新規の大統領が現はれ、戰爭を勃發せしめ、何よりもドイツに對する敵意を戰端を切るまでに高めることを以て、己が唯一の使命と心得てゐるのは何故であらうか。
 ドイツに國民社會主義の勃興を見たのはルーズヴェルトの合衆國大統領當選と同じ年であつた。茲に於てか今日の展開の原因と見做さるべき要因を檢討するのが重要である。
 それには先づ個人問題に觸れざるを得ない。余はルーズヴェルト大統領の抱く人生觀なり、人生に對する態度と、余のそれとの間には大きな間隔があるのを餘りによく知つてゐる。 
 即ちルーズヴェルトは富有の家庭の令息として生れ、然も生まれながらにして家柄と血統とが民主主義國にあつて坦々たる經歴と出世とが保障された人種の階級に屬してゐる。
 其れにひきかへ余自身は貧しい取るにも足らぬ家に孤々の聲をあげたのであつた、余は目に餘る辛酸をなめ努力と勤勉によつて前途を闘ひ拔かなければならなかつた。
 世界大戰が勃發するやル—ズヴエルトはウィルソンの庇護を受けつつ、蔭にかくれて、然も戰時成金の雰圍氣を味ひながら戰爭を體驗したのであつた。彼は從つて一方が苦戰を喫しつつある時、他方が巨利を博し、一方がこの他方に降伏するといふ民族と國家間の 闘爭、快適な半面だけより知らない者である。其の當時の余の生活といへばこれとは全く正反封であつた。余は決して歷史を作り、況んや金を作る一味の如きものには屬してゐなかつた。否余は實に命令を實行する部類に屬してゐたのである。
 余は戰時の四年間一兵卒として専ら義務の完遂に勉めつつ故前に過ごし、やがて歸還した時には、一九一四年出征當時のそのままの無一文であつた。余はまた更に何百萬といふ味方とも運命を分ち合つた。これに反しフランクリン・ル—ズヴェルト氏は單に所謂上層數萬の一味と運命を分ち合つたに過ぎないのである。
 ル—ズヴェルト氏が戰後、早くも金融投機にその才能を磨きかけてインフレーションと他人の困苦を惡用しつつ私腹を肥やしてゐたのに對し、余は當時數十萬の者達と共に傷ける身を野戰病院の一隅に横たへてゐたのである。更にまたル—ズヴェルト氏が商才にたけた合法的に擁護された經濟通の政治家の出世街道を潤步してゐたのと事變り、其の當時の余は一介の無名人として史上かつてなき不法を加へられた一民族の復興の爲に死闘してゐたのであつた。
 思へば似寄りもつかぬ二人の活き方である。

引用・参照・底本

『ヒトラー總統の對米宣戰布告の大演説 一千年の歴史を作らん』 ヒトラー 〔述〕日獨旬刊社出版局 昭和十六年十二月三十日發行

(国立国会図書館デジタルコレクション)