白昼堂々と ― 2023年01月21日 19:34
白昼堂々と 2023年01月21日
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元は一種の勝利に似た感情をおぼえながら思った。(この国もまた貧民を人目からかくして体裁をつくろっている!この大都会でも、これらの区域には、どこの国にも見られる貧民に劣らず不潔な連中が、こっそり押しこめられているではないか!)
とうとうここに、元は書物に書かれていないものを発見したのであった。(335頁)
わたしの考えでは、父は一種の空想をえがいていて、あなたが偉大なクリスチャンの指導者になってお国へお帰りになることを祈っているのです。あなたは、あなたの民族と、あなたの時代とに属していらっしゃるのですわ。あなたにとって無縁な外国のものを押しつけるなんてことはだれにもできないことですわ !(338-339頁)
彼女は自分の国民の歴史を語った。ほとんど地球上のあらゆる国民、民族を網羅するアメリカ人が、どのようにしていま彼らの住んでいる国土へ集まってきたか、武力により、策略により、どのようにしてこの土地を領していた人びとから国土を奪いとり、おのれのものとしたかを、彼女は語った。(340頁)
『大地』パールバック 訳 大久保康雄 昭和47年7月30日9版 集英社 世界文学全集
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亀裂を血眼になって捜す、見つからなければ、捏造する。無論ごく小さな亀裂でも見つかれば、したり顔で其処を抉じ開け、針小棒大に騒ぎ立て、標的とする国家等を損傷する。似非民主主義国家、内実他国民は無論、自国民までをも吸血の対象とする鬼国家、其れが今の民主主義国家の赤裸な現実なのだ。
似非の道具は、民主主義、自由、人権、捏ち上げ、欺瞞等々である。つまり、邪魔になる相手を陥れる為なら、何でもありなのだ。
陥穽にはめる、何のためにか、‹利に走る›、ただ其れだけのために世界を嵌めるのだ。その元凶が米国である。利に走ることは、覇権を求めることになり、争いの種火を到る所に散蒔くことになる。
ある時はむき出しの新自由主義を掲げ、世界を貧困の二極化に陥れ、弱肉強食の対象となった国々は、グローバルな企業に主権を明け渡し、彼らが‹膏血を絞る›結果になるのを素知らぬ振りし、共に矛先を国民に向ける。
しかし、儲からぬとなれば、資本主義も、新自由主義も、グローバリゼーションも、国際社会の分業体制も‹弊履を棄つるがごとし›なのだ。
そして、常に綺麗事を云いながら、考えることは相手を執拗に追い詰め、封じ込め、蹴落とすという、劫盗の仕業に及ぶ。決して生産的でも建設的でもない。それが米国である。
世界経済を牽引するなど到底出来るものではない。それどころか、世界経済の阻害・破壊者となっている。
相互尊重、平和共存、協力・ウィンウィンなどの実際とは‹薬にしたくても無い›のである。目先の主義を都合よく変えての、利己主義最優先という訳である。彼ら米国が建国以来辿る他国への接し方なのである。
国際社会は、米国の国内法があたかも国際法の如く、他国等に強制されるのを、座視続けるのだろうか。国際社会は遣りたい放題の米国を糾弾すべきである。
西側諸国は押し並べて、"自由主義・民主主義"等という呪文を米国に投げつけられると、隷従してしまう。よって西側に"自由"は無く、米国を糺すことは不可能に近いどころか、その"強制"に与してしまう。追随する主権無き西側の"不自由で非民主主義"な国々の出来という訳である。
米国のみが勝手気儘という"似非自由"で本来自由であるはずの国々を支配する。
世界は二分・分断される。
そして、謀略時には、‹口に密あり腹に剣あり›、其の騙す相手を口説く手並は驚くべきものがある。
「足元には道があり、前方には光明がある」とは、習近平国家主席の言である(CRI 2022-11-04)、米国が領導する引連れ国家の群れは、決して前方に光明を見ることはない。見るとすれば、刹那の銃火ぐらいである。
米国支配では、"足元に冥路あり、前方には"暗影があり"、が本当のところであろう。 日本などの云う、"国際ルールに基づく秩序の維持"などは、似非民主主義側国家の戯言であり、自分たちに都合の好いルールを壊すな、と云っているに等しい。
しかし、今やそのルールでは国際社会、世界経済は立ちゆかないのは明らかなのだ。
そして、自由、民主主義、法の支配という共通の価値を持つなどとの符牒は、似非民主主義国の仲間が、敵対国に対する非難・攻撃で、身内意識を確認するために、使用する世迷い言の類に過ぎないのだ。
何故なら、米国の其れ等は、米国自身、更に米国の中でもごく少数の人々の為にあるのであり、他国の為にあるのではない。つまり、他国は虫螻同様の扱いとなり、他国への自由、民主主義、法の支配などの配慮は疾うに糞溜めに沈んでいる。
自国民・他国民に拘わらず、国民の生命・安全・健康、財産そして福祉に最大限の配慮が為されてこそ、民主主義と言えるのである。そして、民主主義は唱えるものでなく、実行されるものである。況してや他国の批判の道具などではない。
自由、民主主義、人権、法の支配の文字は戦旗に血糊で大書されている。それが西側世界の現実である。彼らは其れを糊塗するために、常に呪文の如く唱えないと、足元を見透かされているゆえに、安心できないのだ。
そして、西側が勝手に敵国と見做す相手には、其れが欠如しているが如く、大仰に云い触らす。全く自他国の民の安寧(生活)を省みない所業と云わねばならぬ。
"自由で開かれたインド太平洋"などのフレーズも上述の類である。つまりは、"それがどうした"なのだ。ただ、此岸と彼岸の区別をしようとする小賢しい言い種に過ぎない。
其れらの言辞は、日清戦争やアジア・太平洋戦争時の日本の宣戦布告文と同様、押し遣られた真実から程遠い"御都合主義"の綺麗事を並べたものなのだ。 因みにいえば、近代日本では、宣戦布告は天皇の権限(大日本帝国憲法「第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」)である。
虚妄は持つ鉾の柄に在り、真実は矛を向けた先に在り。
西側メディアも米政権の意向を汲んで一様の報道に終始する。此れの何処に報道の自由があるのか。操られた自由では真の自由とは云えまい。
従って西側の報道を見聞きするだけでは、物事を俯瞰するには適さず、迷妄に陥るだけで破ることは困難となる。由って有らぬ方向に誘導される。
‹迷う者は路を問わず›で、相手が手を差し伸べても、話し合いを請うことをせずに、‹犬の遠吠え›よろしく、相手を遠巻きにして自ら疎遠となり、相手を封じ込みしたと考え違いをしている。
米国をはじめ、彼ら西側が、口煩く声高に他国を非難するときは、自分達の似非民主主義、似非自由、似非人権等を隠蔽するためであり、弱さの裏返しである。
囲い込みの現実とは、民主主義、を資本主義標榜する西側自身が政治的にも経済的にも自ら蛸壺に入り込んでいるだけである。
つまり、決して米国に対抗でき、抜きん出るほどの競争力を持ってはいけない。この暗黙の約束事を破れば、西側諸国等でも米国は許容することはしない。否、西側ならば特に顕著に叩かれる。
日本なども、市場を席巻していた日本の半導体産業、米国を最先端の64KDRAMで抜いたことが報じられ(1981年)、その後半導体全体でも日本が米国を抜いた途端(1986年)、自分の事は棚に上げて米国は日本に絡み、1996年に10年間に及ぶ日米半導体協定の下で、日本の半導体を絶滅危惧種並みにしてしまった。
そして、「(5)日本企業の凋落 半導体世界市場の拡大にもかかわらず、過去30年間で日本の存在感は低下」(「半導体戦略」2021年6月経済産業省)と。
が、日本、‹喉元過ぎれば熱さを忘れ›たのか。
米国のレモンド商務長官、日本の西村康稔経済産業相に、半導体をめぐる米国の対中輸出規制措置に、足並みをそろえるよう求めた。
日本は、経済安全保障推進法を下に、サプライチェーン強靭化進める第一歩として、特定重要物資に半導体が指定されている。
サプライチェーン強靭化とは、要するに、米国主導で日本を孤立無援化したABCD包囲網の現代版であり、包囲主体の英米による対日包囲網が、対中包囲網になろうというわけだ。
追い詰められて自衛戦争に突入した日本の置かれた状況と相違し、今の中国には不足が無い。
したがって、追い詰める包囲網側がじり貧となる。
また、「サプライチェーン上の脆弱性が顕在化し、国民の生存や国民生活・経済活動を脅かす事態に発展した事例も見られる」(「特定重要物資の安定的な供給の確保に関する基本指針」令和4年9月30日閣議決定)とあるが、四海が平和でなれば自給自足のできない日本、グローバル化の拡大・推進の強靭化こそ其の第一であろう。つまり、サプライチェーン上の脆弱性を論うのでなく、寧ろ其の拡大・多角化・補填であろう。
この"サプライチェーン上の脆弱性"なども特定の国を狙い撃ちにした表現ではないのか。
サプライチェーンの線上には、大きな市場が広がっていることを忘れてはなるまい。其れを日本、自らを飛躍させず、閉じ込めるのか。唯々米国に付き従うために。
が、グローバル化が儲からないと見るや、或は他国を利して覇権が危うくなるとみるや、旗振りも止め打ち捨て、統制の仕組みを作る。この米国の在り方が今向かうのは、中国囲い込みという非常に反国際的、犯罪的、そして非生産的な縮小経済への画策である。
他国の利を排するための策が、自らの足をも喰らい、仲間の糧も奪うという、凄惨な‹骨肉相食む›様相を示す。
今やG7の終焉時代迎え、中国囲い込みでありながら、唯一の勝ち名乗りを目指すという民主・自由主義国家の内訌を含む、"共食い"となり零落し、結果的には米中二大国家の市場棲み分けが急速に大写しになって来る。
米国も馬鹿でない限り、中国を潰せないことは百も承知である。また潰したところでどうにもならないことも、理解している。
オバマ氏時代に習近平氏の唱える、太平洋棲み分け論を無意識のうちに米国は実行しているのだ。
東海岸から西海岸へ、そして西太平洋に向かうも、自らの策に嵌り、上陸出来ないでいる。インド洋も主が動かず、南太平洋も舌先三寸には唯々諾々と靡かない。北の海はロシア・中国が先鞭をつけている。
手下の日本や韓国を脅かして意のままにするのが、精一杯である。
が、伏兵の北朝鮮が、核で日韓を人質にしている。仕方なくNATOをも呼び込ませる。
米国も実態は手詰まりなのだ。勿論、ウクライナ戦争は二進も三進も行かない。
そこで台湾を弄るも、中国に"新状態"を作らせることになるという、ヘマをする。
米国の舌を真面に信ずる馬鹿な国家が在るのだろうか。若しかすると、日本でさえ、贔屓目に見て、米国に頤使されない軍事力を持とうと画策しているかも知れない。
しかし半導体、イノベーション其の物である。が、ブレイクスルーによっては従来の方法が一瞬にして、紙屑同然に追いやられる。
中国には半導体の独自開発が可能な下地は十分に備わっている。
米国は誰の味方でもなく孤立主義国家であり、"あらゆる利"を求める覇権国家であり、独裁的政治体制と見做せる。国内に於て民主・共和の熾烈な覇権争いがあるも、対外的な出方は両党とも変わりない。
過去及び現状を見れば、西側の未来も予測がつくというものだ。決して国民に幸福を招き寄せることなど出来やしない。
世界から強奪する以外に手段も智慧も浮かばない非建設的な米国に信頼を置くことは、最早、仲間同士が断崖絶壁の際で、‹押し競饅頭›するようなものだ。
但し、米国は自身が作り出した其の状況を省みることは決して無い。
利益になれば、団子状態で仲間が‹奈落の底›に落ちても‹平気の平左›で立ち去る。
今の儘では疑似民主主義国に出口は無い。‹御先真っ暗›である。
ヨーロッパ(EU)の腑甲斐無さなどは、全く米国に追随するのみで自主外交(主権)を失くした感がある。次から次へと米国の好餌となり、彼らは本当に民主主義や自由を謳歌し、他国の人権を批判できる国々なのだろうか。
米国に見放されたら、統合体が成り立たないと恐れているのだろうか。NATOなどは単なる米国の都合に合わせた‹止り木›並みの価値でしかない。
イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長などは、当然のことながら米国の拡声器と化している。
NATO、戦争する(或は謀計をめぐらす)ことが加盟国の領土及び国民の防衛に繋がるとの思い込みは、考え違いも甚だしい。平和を如何に保持するかが、ヨーロッパ全体の繁栄を導くことになるのだ。其れが最大の責務であろう。
さて、争いの火種仕込みの達人である米国、日本には70年前に、両義性を持つ、つまり、米国に都合の好い「日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)」を以て仕込む。
勿論、1960年の新安保条約でも、国連憲章に定めるとし、集団的自衛の権利を承認している。
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」との第九条に違反する文言である。
しかし、その後は集団的自衛に向かって進んだ。
現今のウクライナ問題は"not one inch eastward"と30年前に、そして更に最近、メルケル氏は独紙ディー・ツァイトの取材に応じた中で、「2014年のミンスク合意はウクライナに時間稼ぎを与える試みだった」と(2022.12.8 Sputnik)暴露している。
西側はウクライナをヨーロッパの対東側の防波堤及び辺土を護る防人として、武器を供与し強化する時間稼ぎであった。
(「2014年2月、ウクライナの民主的な選挙で選ばれた政権は、西側諸国の支援を受けたいわゆるユーロマイダンのクーデターによって倒された。このクーデターにより、ウクライナ東部では流血事態の紛争が発生し、新政権に屈しない人々がドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)を形成し、独立を宣言した。」(【解説】ミンスク合意とは何か? なぜ履行されなかったのか? Sputnik 2022.12.10)
中国も10大国際ニュースを選び、その一つに、「米国など西側諸国の『最大限の圧力』によって、ロシア・ウクライナ危機が発生。地政学的政治と経済の枠組みに深刻な変化が発生」(CR I2022-12-31)と。
日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダのG7のメンバー国は、世界に対し益々後ろ向き、反動的となり、<頭の上の蠅も追えない>のに、非合理な非難の矛先を特定の他国に向け、悪巧みの結束を固め、<口裏を合わせ>、非建設的政治的対応に終始する。
自由主義諸国内の経済も酷い錐揉み状態である。
民主主義を語り、自由主義を語り、人権を語る資本主義諸国は、今や他国に難癖を付けても、自国の救済には何の足しにもならない事を知るべきである。
外交失くして戦いあり、が残った唯一の手段では、致し方ない。
欧州や日本は、自国の防衛と安全保障のために米国への依存を高めてきた。が、自由世界のリーダーを長年自認してきた米国が、実は身内をも喰らう資本主義の元兇で、自由も民主も人権も"利得"のための騙り事であったことを見抜けない自らの不甲斐なささを恥じるべきなのだが、今や悪循環を断ち切れず、更にのめり込む、蟻地獄さながらである。
米国はウスバカゲロウの幼虫並である。
端から民主主義、自由主義、人権など関心無かったのだ。米国の建国を振り返れば、そう言わざるを得ない。米国は一貫して侵略国家であり、覇権主義国家なのだ。すべて此の為に"頬被り"をし、<口に蜜あり腹に剣あり>で相手国等を誑かし、陥れてきたのだ。
西側民主主義諸国が米国の覇権下にあるなど、民主主義国家を標榜するなら、唾棄すべき状況ではないのか。
直近のアフガニスタンで惨めな潰走強いられた"米軍"であることは世界が知ることである。が、米国防総省のコリン・カール国防次官、「アメリカ合衆国が世界最強であることを疑うものはいない」、「中国がこれを疑っているとは思わない。中国は我々の軍事力を知っていると考える」(米軍は世界最強、直近の数年間で中国は台湾に軍事侵攻しない=米国防次官 - Sputnik 日本, 05.11.2022)等と発言。
まるで‹鹿の角を蜂が螫す›如きで、アフガンでの惨めな潰走忘れているようだ。
自分たちより弱い国に対しては、ほとんど奴隷同然にこれをこき使って経済的搾取を行なう一方で、國力の伯仲する国に対しては扱き下ろすのである。
が、世界経済は中国失くしては廻らないが、今のようなG7の政治的在り方では、国際社会に政治的、経済的にも停滞し、貧富の差は拡大するだけであり、ウインウインの世界からは遥かに遠くなる。
「また同時に支那は日本なくとも存立し得るが、日本は支那なくては存立し得ないことの感じであった(一つは日本の生存圏思想、一つは共存共栄思想となるべし)。」(『時代の一面 大戦外交の手記』東郷茂徳著 一九八九年七月十日発行 中央公論社 27頁)
「西ヨーロッパが混乱するときは日本も混乱、平和であれば平和であったからだ。」、「日本はアジアの一部でなく、ヨーロッパの一部であるかのような歴史をたどった。今後もこの公算は大きい。」(『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』別宮暖朗著 2014年7月20日第1刷発行 文藝春秋 8頁)
憲法を尊重し擁護する義務を負う、岸田首相、其れを忘却し、再び戦争の惨禍の火種となる軍拡に向かう為、防衛費増額と其の増税負担を、「今を生きる国民の責任」、と云うのだ。それを「今を生きるわれわれの責任」に修正したからとて、国民を愚弄する事実は本質的に何も変わらない。愚陋な精神を発揮しただけである。
禍機を増す軍拡に、"今を生きるわれわれ"としては、領掌できない。況して軍拡の過程が現在・未来に亘る国民が安寧の中に生命・財産を保全し、福祉を得られる保障がなされない限り、"責任"などとれる道理がないし、又責任を引き受けてはならない。
態々近隣諸国に不安を抱かせ、その上"敵"と仮想し、敵基地攻撃能力(反撃能力というより、恐らく日本の場合過去の戦争の在り方から察するに、奇襲攻撃となる、つまり、先制攻撃である)保有を言い募り、その手段までを言い触らし、脅す。
何れにしろ、外交忘れての平和は構築できない。抑々日本の付き合う相手が身内(西側)内での言葉遊びの外交では、単に米国への"おべんちゃら外交"の域を出ない。林外相など米国の代弁者の如くである。少しも日本国を背負っているようには見えない。
抑々家庭内の会話を取り上げて外交とは云えないと同様で、岸田外交も其れと似たようなものである。
日本が若し国際的信頼を得られる国であるとすれば、取りも直さず平和憲法のお陰であり、軍事力を背景にしたものでは決してない。
軍事力・防衛力が外交能力に等しいのであれば、逆に外交能力は不要となろう。なぜなら、其処で展開されるのは外交でなく、‹衣の下の鎧›、“屈服”させることであるからだ。力等しきと見れば戦争となる。
日本外交はバランスを逸している。此の均衡を失った外交は、恐らく破綻の日まで続く。そして、このような外交の在り方は日本の主権と信用を酷く損なうことになる。茶坊主外交の果はそのようなものだ。
‹飛んで火に入る夏の虫›の外交とも云える。従って下の下である。
正に日本、頤使する米国の姦策に乗せられ、岸田首相は"歴史的愚行"を重ねているのだろうか。米国一辺倒の遮眼革を装着された岸田首相、及び其の外相、全く頓珍漢な自国の来し方を忘れた外交を繰り広げ、日本の行末に時限爆弾をセットする。
無論、内閣支持率も政権維持の危険水域とされる20%台が続き26.5%、不支持率は最高の43.6%(2023.01.20 中日)となる。
米国民の70%が核戦争の勃発を心配し、自国内の2023年の展望も、政治的対立や紛争が続く(90%)・犯罪の増加(72%)・他分野の労働組合のストライキ(56%)などで決して安定したものではない。
それに以前からも云われていたように、平均寿命が大幅低下し、過去26年間で最低水準となる。(ParsToday 2023.01.04/01.05)
内政問題を総て他国の所為にすり替え、国民の憂いに直接向き合わず、撥ね除けるだけでは、決して問題の解決にならない。
他国の所為というならば、其の素因は米国に在り。
米国にこそ、民主主義が必要である。「我々はアメリカ史上の転換点を迎えている。1月6日は、アメリカの民主主義では何も保障されていないことを我々に思い起こさせている」と、2021年1月6日の同国国会議事堂襲撃記念日に際し、バイデン米大統領(バイデン米大統領、「我々の民主主義では何も保障されていない」ParsToday 2023.01.07)。
そして云う、「様々な意見の相違はあれど、アメリカには扇動や政治的暴力の場所はないと、我々は声を揃えて言う必要がある」と(同上)。
そう、他国にも其の"場所"がない事を‹肝に銘ずる›べきである、バイデン大統領よ。
他国の意思に掣肘されることを建国以来忌避し、自己の自由なる決定に依り国政を行うことを主義として来た米国(反面他国には押しつけ・制約となる)、基本的には孤立主義である。此の離隔主義は同盟国に対しても作用する。
したがって米国を信頼し得る国とみるには危険が多すぎる。
本当に米国に追随するだけで、国民の生命・安全が護れるのか。西側対非西側に分断し、独り勝ちの覇権主義を求めている米国、今次のウクライナ問題でも、‹火に油を注ぐ›米国である、平和など間違っても求めていないのだ。マッチ・ポンプ式の‹火事場泥棒›が米国の真の姿である。
泥棒と云えば米軍、シリアから石油や小麦を文字通り盗んでいる。旧日本軍のように米軍も"現地調達"で凌いでいるのか。
そして岸田首相、積極外交を言葉にする。が、其の向かう先はG7仲間内及び其の周辺国での積極性であり、世界第二の経済力を持ち、グローバル化を推し進める中国へではないのだ。
寧ろ中国に対しては通り一遍で済ます。否、積極的に敵国視扱いなのだ。
つまり、白昼堂々と国民の面前で平和憲法を冒す挙に出た。其のカラクリが"反撃能力"という言葉の弄びでなのだ。専守防衛など‹何処吹く風›という訳である。
国葬の法的根拠も無く、更に森友・加計学園や桜を見る会の問題、そして死して尚残す、自民党と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係など、評価の未だしの安部氏の国葬を手始めに、岸田首相、‹馬脚を露す›のだ。
「先送りできない課題に答えを出していくのが岸田政権の歴史的役割だ」
岸田首相は米国のアバターである。従って、"内心如夜叉"である。敵基地攻撃能力の保有を受け、日米は軍事一体化が更に進み、使い勝手の好い仕組みとなり、日本全土の基地化と相俟って、米国の完全制御下に入り、米国の覇権ゲームの手足として組み込まれる。
勿論、"戦時作戦統制権"は米国に有り、日・韓・台共々、"弾"となる。当然の如く北朝鮮も座視する訳にはいかない。
例えば、台湾を契機として、戦争が勃発した時、米国が、自国兵を以て参戦するかどうかは、ウクライナ戦争が既に明快な答えを出している。
日本人の手で中国人と戦わせるアジア人の同士討、其処から"利"を獲得する米国と西側の底意を見抜かず、舞い上がり、G7を飛び回る浮かれ者、岸田首相、‹今日は人の上、明日は我が身の上›である。
事前の軍事上の約束事など呆れる程為しても、米国は日本の為に血を流す積りはなく、精々遅ればせの兵糧・武器弾薬を届け‹蛇の生殺し›を続け、ウクライナ同様、日本人の最後の一人迄戦わせる魂胆である。
自民 麻生副総裁、「台湾有事の際には沖縄県の与那国島など、日本の領土にも戦火が及ぶおそれがあると指摘したうえで、防衛力の抜本的な強化の必要性を強調」と(NHK 2023.01.09)。
“有事”を招いているのは、日米等の囲い込みであり、中国への内政干渉ともなる緊張を特に高めているのは、自民党の世耕弘成参院幹事長、生田光一政調会長などの訪台である。
台湾に関しては、外部干渉国等の挑発の増加に比して、中国の軍事演習対応の規模、内容、回数等も増えているのが実状ではないのか。
台湾海峡の平和と安定の重要性を重ねて強調しながら、中国を無視し、その真逆を行くのは、米国の思惑であり、姦策なのである。日台とも米国に操られている。
有事を憂いるなら、米国よりも、台湾よりも、そして何より有事を語る前に、中国に飛べ。それが、国民の命と暮らしを守る取り組みである、決して軍拡ではない。
外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)(2023.01.12JST)においても、「国際社会の安全と繁栄に不可欠な要素である台湾海峡の平和と安定の維持の重要性を改めて表明し、両岸問題の平和的解決を促した」とは云うも、其の平和と安定を大いに乱し、火付け役を為しているのは、日米なのだ。中国をロシア見立て、悪役に仕立てようと躍起なのだ。否、寧ろ中国の台湾進攻を日米は望んでさえいるのだ。
米国の政策(姦策)は、国際社会の安全と繁栄に全く不要な要素である。米国が国際社会の安全と繁栄に寄与したことはあるのだろうか。
台湾問題に首を突っ込むのならば、キューバに中国が核配備基地を作ることを思え。
「ロシアによるウクライナに対する残虐でいわれのない不当な戦争を強く非難」、本当に"いわれのない"不当な戦争なのか。不当な戦争を引き起こしているのは米国ではないのか。
プーチンは云う、「毎年着実に、西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に、無遠慮に作り出している、あの根源的な脅威のことだ」、つまり、「NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近していることについてである」と。そして、「西側陣営全体が、まさに『嘘の帝国』であると、確信を持って言える」と述べる(一歩たりとも東へ - not one inch eastward - ブログ越水桃源2022.03.27)
斯様な言い分に耳を傾けたことがあったのか。
ここでも、‹窮鼠猫を噛む›ように、相手を罠に誘う米国主導の腹黒い策略を仕込む、それも執拗にである。
平和と安定の維持の重要が重要なのは言わずもがなである。問題は、敵とする前に、何故相手国と話し合いを重ねないのか。米国(西側)の"口に蜜腹に剣"は定評があるか。
"国民の命と暮らしを断固として守り抜く"ことが「防衛力を抜本的に強化する」ことで可能とは思わない。軍事力で戦争はできても、国民の命と暮らしを守ったことは無く、むしろ惨殺と破壊を齎しただけである。80年近くもなると、忘れたか。
「地域の平和と安定に貢献」するのなら、なぜ中国を敵視する、なぜ、話し合い無いのか。軍拡は軍拡を呼ぶだけで、いずれ破綻を来し、牽強付会の戦争になる。
自由で開かれたインド太平洋も、中国が欠けたのでは、ぐらついた奥歯しか残っていないようなものだ。誠に、西側の"国際社会"も"ガキのイジメ"を出ないようだ。
米国の「核を含むあらゆる種類の能力を用いた対日防衛義務への揺るぎないコミットメントを表明」など、‹笑止千万›な話だ。
林芳正外相も相当‹面の皮の千枚張›のようだ。
いま、G7広島サミットに下がる支持率も忘れ、政治生命を賭ける勢いで駆け回る岸田首相、核のない世界の訴えを取り付けるために、飛び回っているのだ。
が、自国は核の傘にすっぽりと入り込む。‹犬の糞で敵を討つ›ように国際社会を瞞着するか。
しかし、米国にバイデン大統領に歓迎されればされるほど、其の腹の内を読まねば、岸田首相。
バイデンと岸田の両氏を見て、愚者は笑うことに依って見栄を張る、のかと思わざるを得ない。
「ロシアによる核の威嚇は断じて受け入れられず、ましてやその使用は決してあってはならない」との日米首脳会談を受けて。
「これは非常に恥じるべきことであり、ロシアの核戦略に関する妄想についてはコメントしようがない。考えてみるがいい、日本の首相は自らの尊厳を傷つけ、忠実な臣下のように、無我夢中になってロシアにナンセンスなことを言い、広島と長崎の原爆で焼かれた数十万の日本人の記憶を裏切った。岸田にとって、核兵器を唯一使用した国が米国というのはどうでもいいのだ」(「岸田は広島・長崎の犠牲者を裏切った」=メドベージェフ元露大統領 日本人には同情 Sputnik 2023.01.14)
帰国後に岸田首相、閣議で切腹ものかね…。否、微塵の武士気質もありませんから、へらへらとやり過ごすでしょうね。それに野党がなっていませんから。
それにしても軍事費の増額が大歓迎されるなどとは…。丸で吉報を齎す走り使いの少年の体である…。
米国の好き"弾"になるか…。
日本国民の苦難の序曲が…。
そう、岸田政権、「豚もおだてりゃ木に登る」宜しく、憲法を踏みつけ、大跳躍を試みる。其の鼻息の荒さと興奮ぶりを何時迄保持できるのか。
何のなんの、宇宙空間にまで上るぞ。全面的にアメリカ様々で。
「日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されることを改めて確認」、が、尖閣諸島には領有権問題(以前は日本、領有権の問題は無いと声高にしていたが、この頃は聞こえず)は在りなのだ。台湾も主張する。つまり、日本国の施政下にあるとは云えないのだ。米国にとっては嬉しいループホール(逃げ道)となる。
更に地域情勢の認識など、例えば、日本が直接確認した訳でもなく、すべて又聞きの話程度なのだ。
"自由とか、開かれた、法の支配"など、声高に云う側が、相手の自由を奪い不自由にさせ、囲い込みをし、経済を委縮させ、国内法を以て一方的に制裁するなど、法の支配を無視、逸脱する等は米国にこそ、そっくり当て嵌まる。
よって敵基地攻撃能力を全面支持され、米国と同盟を誓う日本も同様である。
日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)も虚構の世界での判断、つまり妄想を現実の世界に持ち込み騒ぎを起こすという、異常者である。此れでは現実の国際社会を運営することはできない。
「自由で開かれたインド太平洋を実現する」(2018年の国際情勢と日本外交の展開)「自由で開かれたインド太平洋」の実現のために)など、突っ込みどころ満載という内容である。
今、自由でないのであろうか、開かれていないのだろうか。全く意味不明であり、此れなども"異常者の命題"なのだろうか。
「我々は、最も緊密な同盟国及び友人として、言葉だけでなく行動を通じて、平和と繁栄を実現する決意を新たにし、2023 年を共に歩み始める。まさにそれが時代の要請である(We begin 2023 together as the closest of allies and friends, newly committed to achieving peace and prosperity, not only through our words but through our actions. The times demand no less)」(外務省 日米首脳会談 令和5年1月13日 日米共同声明(仮訳)) と、しかし、空虚な文言を大仰に並べ立てるも、絵に描いたように言動に齟齬をきたすのは、米国の得意とする芸である。其の芸の持ち主と意気投合では嘘となる。真実は米国へ貢ことであり、近い将来に向かい禍機を作っただけだ。
「インド太平洋及び世界の利益のために、域内外の他の主体と協働していく」と云うも、最大の疑問は、なぜ世界第二の経済大国の中国が加わっていないのかである。勿論、そのケチ臭い了簡は理解したとしてもだ。14億余もの民を無視して、平和も繁栄も、世界の利益もへちまもない。
恐らく米日、対抗上"インドと共に"と述べるも、若しインドが米国に抗う経済等の実力を身に着けたら、今度はインドを囲い込み蹴落とす為に、中国を仲間に誘うようになるのだろう。
国際社会の平和を乱す醜悪の仲間、それが日米関係の実態なのだ。
国際社会に向かって毒を吐き続けるのは好い加減にしろ、と言いたい。
それにしても、岸田首相、「G7が結束して法の支配に基づく国際秩序を守り抜くため連携していくことを確認できた」って、何のことか。G7が国際社会を牛耳っているように聞こえるが、否、逆に追い遣られているのか。
何れにしろ夜郎の自大の類か。
米国の覇権主義に利用される日本、‹灰燼に帰す›か。
(引用部分:外務省HP 日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)(概要))
さて、長いが引用しよう。
国連安保理(12日)は、国際的な法の支配の強化に関する公開討論を行った。 中国の張軍国連大使、米国代表による中国への不当な非難に対し的確に指摘した。
†「米国は公正競争と市場経済の原則、多国間貿易ルールに違反して、様々な理由をでっち上げて他国のハイテク企業を叩き、グローバルな産業チェーンとサプライチェーンの安定性を人為的に妨害している。これは他国の正当な発展の権利および国際社会の共通利益を損なうだけでなく、国際的な法の支配の精神と完全に相反するものだ」
†「いわゆる『ルールに基づく国際秩序』は不明瞭な主張だ。一体どのようなルールに基づくのか、誰が定めたルールに基づくのか、それらのルールと国際秩序はどのような関係にあるのか?こうした疑問について、我々はまだ明確な回答を聞いていない。特定の国が主張する『ルールに基づく国際秩序』の真の意図は、既存の国際法体系の外に別のルールを作り、自国の狭隘な利益を中心に据え、自国の基準や意志を他国に押し付け、ダブルスタンダードや例外主義を適用することだという疑念を抱かざるを得ない」
†「世界には国連を中心とする国際システムという一つのシステムしかなく、国際法に基づく国際秩序という一つの秩序しかなく、国連憲章の趣旨と原則に基づく国際関係の基本準則という一つのルールしかないことを、各国がいずれも明確かつ誤りなく確認することを望む」
†「中国は安保理常任理事国及び最大の発展途上国として、引き続き真の多国間主義を堅持し、国連憲章の趣旨と原則を維持し、率先して国際的な法の支配を実践し、国際的な公平と正義を守り、全人類共通の価値観を提唱し、グローバル・ガバナンスのより公正で合理的な方向への発展の促進、各国の共同の未来構築、共通の安全保障の確保、共同発展の促進のためにたゆまず努力していく」(張軍国連大使「国際的な法の支配におけるダブルスタンダードや例外主義を警戒すべき」人民網2023.01.13)
次は「法治の促進と強化および国際の平和と安全の維持」に関する公開討論。
†「国連常駐の張軍中国大使は、米国の一方的制裁の乱用に断固反対し、いかなる国も自国の国内法を国際法に優先させるべきではないと強調」
†「国際的な法治の強化には、まず国際法の権威を擁護しなければならず、対話と協議を通じて紛争を解決するよう奨励することが必要で、すべての国が共同で国際的ルールを策定することを堅持しなければならない」
†「一部の国、特に米国は、公平な競争、市場経済の原則、多国間貿易のルールに違反し、さまざまないわれのない理由で他国のハイテク企業を圧迫し、グローバルバリューチェーン、サプライチェーンの安定を人為的に妨害していると指摘した上で、これは他国の正当な発展の権利と国際社会の共通の利益を損なうばかりか、国際的な法治の精神と完全に逆行していると批判」
†「『規則に基づいた国際秩序』について疑問を投げかけ、この言い方は曖昧である」(中国代表、米国の一方的制裁乱用に断固反対 CRI 2023.01.13)
所謂、主催元の日本がよく述べる法の支配、林外相の討論内容も是非聞かせて貰いたい。特に法の支配についても、具体的な見解を披露してもらいたい。
其のうえで他国よりも、日米はどうか?を説いた討論結果を待ち望む。
米CNNが、米国戦略国際問題研究所(CSIS)の報告書を引用し報じるところでは、「米国と日本は数十隻の艦艇、数百機の軍用機、数千人の軍人を失うことになる。そのような損失は、長年にわたって米国の世界的地位を損なうだろう」と。また、CSISは「台湾をめぐる戦争が「避けられない、あるいは起こりうる」ことを意味するものではないと指摘」(専門家が台湾をめぐる仮想戦闘をシミュレーション 米空母2隻が損失と予言 Sputnik 2023.01.10)。
シミュレーションはシミュレーションであり、例えば、「揚陸部隊は敗北」とあるが、御時世の中、態々揚陸を急ぐか、其の前に‹完膚無きまで›有りと有らゆる、ミサイルを、打ち込み、確認の上、揚陸開始するだろう、と、つまり、敵(米・日等)の陸・空・海の静寂を待ってからでも遅くない、と‹傍目八目›的には考える。
民間人の死者数は?何れにしろ、核戦争になっても、最期の決め手は国土の大小である。
日本国民は戦争を待たなくても、虜囚の身の上である。逃げ隠れの避難場所はない。
それにしても、韓国・北朝鮮の参戦も見込まず、米・中・日・台のみも意味不明である。が、中国政府が勝利する可能性は低いとのご託宣は、此のシミュレーション、だから、"お互いに止めましょう"との主旨なのか。
或る意味では、‹荒唐無稽›にも思える。
それに"侵略シミュレーション"とは、何れが侵略国なのか、である。
米側が勝利するためには、
1. 台湾軍が戦線を維持すること。
2. 台湾に「ウクライナ・モデル」は存在しない(戦時には、米国が台湾防衛を決定した場合、米軍は速やかに直接戦闘を行わなければならない)。
3. 米国は、日本国内の基地を戦闘行為に使用できるようにしなければならない。日本との外交・軍事関係を深める。 他の同盟国(例えば、オーストラリアおよび韓国)は、中国との広範な競争において重要であり、台湾防衛の要は日本。在日米軍基地を使わなければ、米軍の戦闘機・攻撃航空機は効果的に戦争に参加できない。
4. 米国は、中国の防御圏外から中国艦隊を迅速かつ大量に攻撃することができなければならない。現在の米側はそのようなミサイルを備えていない。
(JANUARY 2023 The First Battle of the Next War Wargaming a Chinese Invasion of Taiwan)
1.-4.までが、総て上手く機能したとしても、相手は藁人形に非ず、割に合わない勝利、つまりピュロスの勝利が待つのみである。
ゲームを現実視しても無意味であるが、ある種の想像は掻き立てられる。
「if the US and Japan interfere in the Taiwan question militarily, not only will the US lose its nuclear-powered aircraft carriers, it will lose all of its footholds in the Asia-Pacific region, including military bases in Japan, Guam and even Australia, the expert said.」
"もしアメリカと日本が台湾問題に軍事的に干渉すれば、アメリカは原子力空母を失うだけでなく、日本、グアム、さらにはオーストラリアの軍事基地を含む、アジア太平洋地域におけるすべての足がかりを失うことになる"(War game instigates US intervention in possible Taiwan Straits conflict GT 2023.01.10)
捲き込まれ大損は、‹俎板の鯉›の日本国民である。それでも台湾有事などと騒ぐ、愚かな政権である。今のうちに高調し先走りする岸田首相を止めるべきである。
岸田首相は平和より、危険を呼び込むことが好きなようだ。相互アクセス協定(RAA)なども、傀儡師米国のアジア太平洋地域での影が差す。
「それぞれの決断の責任は、自分が全て負う覚悟で取り組んでまいりました」等と云うが、はっきり言うが自惚れないで欲しい。我々国民の生命・財産を岸田首相の前に投げ出した積りはない。また、決断を何か特別のことのように吹聴するが、人は誰でも生きるうえで、都度決断を下しながら生きていくのだ。
決断を強調する者に熟慮なし。結果、決断という言葉を用い言い訳しているだけである。米国に唯々諾々、阿諛迎合、頭を撫でられる言動を決断とは云わぬ。
日本国民の真の決断は既になされている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」、である。
決して武器弾薬を以てではない。況してや同盟諸国となどと徒党を組んで民主主義などを言い募り、分裂(分断化)を強調し、戦禍の種を撒き散らすことではない。
が、岸田首相の決断は、議会制民主主義を前提として、国民の主権者としての判断に委ねられるべきものである。
独立国としての自主的な防衛体制を、米国の庇護の下で成就させようなどと考えることは、余りにも素朴すぎ、寧ろ危険過ぎる。日本を利用する腹積もりで手懐ける米国を下手に出て利用する魂胆など到底及ばない。
日本の軍事力など成っても、傭兵の軍事力が精々のところである。つまり、"ガラスの天井"在りで、岸田首相が米国に詣でるのも、ガラスの所在確認の為なのである。それを日米同盟の深化などと、言い繕う。
‹墨に近づく者は黒し›で、70年余も嘘つき国家と共に在らば、国民を騙す手口も戦前に増して磨きがかかるというものだ、此の日本。
米国の入れ子、マトリョーシカである。つまりはマイナス思考を得意とする一億総体制に突入した。
其の末端を司るのが各種メディアである。他国の‹滄海の一粟›の欠点などを捉えて、其れを全体に及ぼし判断するのは、小公園の築山に登りて天下を論じるようなものである。‹蟷螂臂を怒らして車轍に當る›で、国民を誤誘導する。
むしろ‹虎の尾を見て狸より大なるを知る›ことであり、一粟の長所を見て大を為すべきである。
そして、「国家安全保障戦略」・「国家防衛戦略」・「防衛⼒整備計画」なども、丸で米国に対する“奏状”の体である。‹首根っこを押さえ›付けられて、それでも、主権国家なのだろうか。
斯様な在り方は国民の生命・身体・財産の安全の確保に繋がることはなく逆方向である。
例えば、「我が国を取り巻く安全保障の環境と国家安全保障上の課題」、「現在の中国の対外的な姿勢や軍事動向等は、我が国と国際社会の深刻な懸念事項であり、我が国の平和と安全及び国際社会の平和と安定を確保し、法の支配に基づく国際秩序を強化する上で、これまでにない最大の戦略的な挑戦であり、我が国の総合的な国力と同盟国・同志国等との連携により対応すべきもの」など、殆ど噴飯ものの言い分ではないか。
基本的には中国と善隣外交を、其れこそ“深化”させれば、殆んど氷解し、無駄な軍拡競争を惹き起こすことも、米国から武器の購入を迫られることもない。 安定した経済の発展拡大も見込めて、両国民の交流も進み、国際社会に寄与すること多大なりである。
現実を認識するのなら、正に同盟国である米国こそが、国際社会の平和と安全を破壊する最大・最強の暴戻の限りを尽くす国家ではないのか。
国家安全保障戦略が米国の虚構の中に踊らされる存在なら、危急存亡の淵に追いやるものとなる。
観る限り、中国は話し合いに、外交交渉に、そして是是非非の道理に向き合える国ではないか。日本、中国を敵視する理由は何処にあるのか。国民に理路整然と説明できるのか。若し説明できるならば、其の弁を以て中国と外交を通じて解決すべきである。
なぜ欧米には足繁く通うのに、四時間余の中国へは行かぬか。
‹近きを舎てゝ遠きを謀る者は労して功なし。遠きを舎てゝ近きを謀る者は、逸して終りあり›とも云う。
しかし米国は違う、争いの種を蒔き、仲違いをさせ、その間隙をつくという非建設的な策謀をめぐらす。
平和こそ、秩序こそ、米国の最大の敵となっている。米国こそが、国際秩序の最強の破壊者である、ならず者国家なのだ。
が、中国という大国の存在が、其のならず者を脅かす存在となってきた。
そこで似非民主主義国家が、挙って米国の罪業を隠蔽し、正義の味方に祭り上げる。その変換ツールが、自由・公正・公平・国際経済秩序・民主主義、基本的人権、法の支配等の年季が入った美辞麗句をつらねることである。
これが虚構の真実である。
米国は現実の世界に戻ることないだろう。戻っても、落魄の身を理解する能力もないだろう。そう、美辞麗句=嘘で固めた真実が顕となり累累と見えるだけだ。
米国は浸水が徐々に進む豪華船の如しである。
“不沈空母”の日本列島、逸早く轟沈である。国民の命と暮らしき消える。日本利用を目論む米政権、最大の敵であり、‹獅子身中の虫›である。
「琉球諸島に巨大な防衛線を作るという米軍の新計画の名称は「フォース・デザイン2030」(米国 琉球諸島を対中防衛線にする方針 Sputnik 2023.01.17)。
元来、日本列島到る所、米国の勝手な振舞いを許したのが、仕込まれた火種、日米安保条約第六条「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」である。
恐るべき条約ではないか。この条文も、建前+本音を見事に貫いている。
要するに米国は“加担せず加担する”が、有事ともなれば、勿論、全世界を混乱、窮地に陥らせる。日米等は台湾を弄るも、それだけの覚悟は出来ているのか。
ウクライナの現状が誓い将来の日・韓・台の姿である。
「If it continues to act as a pawn of the US in the Asia-Pacific region to stir up trouble here, Japan must be wary of becoming a victim itself of the US or even the Ukraine of East Asia.」
“もし、日本がアジア太平洋地域でアメリカの手先となって問題を起こし続けるなら、日本自身がアメリカの犠牲者になること、あるいは東アジアのウクライナの犠牲になることを警戒しなければならない。”(Japan risks turning itself into ‘Ukraine of Asia’ if it follows US’ strategic line GT 2023.01.15)
世界の現実、それは米国が何を語ろうとも、つまりは詐術であり、信頼することはできない。
NATOの拡大がロシアに脅威を与えないと主張し、ロシアを欺き、ウクライナの和平ロードマップを支持したのも嘘で、実際はウクライナにロシアとの武力衝突に備える時間を与えるためのものだった。
米国は今、ヨーロッパから軸足を北東アジアに移す。そして、盛んに中国を煽り(西側の台湾詣では其の大きな動きである)、更に先進半導体での中国閉じ込めを激化させるなど、有らゆる手段をつくして、中国に戦端を開かせようとしている。つまり、‹窮鼠猫を噛む›如くであるが、この場合の"猫"は中国の台湾攻めであり、結果、自由・民主主義への露骨な挑戦と見做され、米国流の大義名分作りの恰好の舞台となる。
米国は台湾を中国のアキレス腱と見て、2023年度の国防権限法(NDAA:National Defense Authorization Act (NDAA)でも、彼の手此の手と大胆に弄り回す。環太平洋合同演習(リムパック)に台湾を参加させるなど、中国に対し、これでもかとばかりの"あおり運転"を繰り返す米国である。
其のうえで、中国の台湾侵攻に備えるでは、異常なことである。
当然にして、中国は都度、「米国側の武器売却は『一つの中国』の原則と中米の三つの共同コミュニケ、特に『八・一七』コミュニケの規定に著しく違反するものだ。これは、『台湾独立』勢力への容認と支持であり、台湾海峡地区の平和と安定を破壊する行為だ。中国は、米国側に『一つの中国』の原則と中米の三つの共同コミュニケの規定を厳守し、『台湾独立』を支持しないという約束を守り、台湾への武器売却と米台の軍事的連携を停止し、台湾問題を慎重に処理するよう求める」(CRI2022-12-30)と。
他国の内政や主権、領土保全に干渉するために、其の執拗な攻撃は悪魔的である。其れは他国を軍事衝突の瀬戸際に追い込むサディスト国家としての仕業である。 更に米国は妄想や幻覚などの症状を呈した極めて正常性に欠ける国家である。
従って、「一つの中国」など、‹嘘も方便›という訳だ。
戦争こそ米国の稼ぎの源泉なのだ。カオスこそ米国の居場所でありネグラ(塒)なのだ。しかもその混沌は米国製なのだ。
西側は今や其の様な米国に似た言動を真似る、救い難い国々となっている。
従って中国は、鉤餌に釣り上げられずに、実力を蓄えつつ、‹待てば海路の日和あり›を決め込むべきである。
ウクライナ戦争でも判るように、西側ヨーロッパは、何のために、自国民を寒さと高物価に曝しているのだろうか。その上、核戦争にも怯えなければならないのか。
「米国がヨーロッパ人を苦しめている」と、ドゴールの孫ピエール・ド・ゴール氏。「ワシントンはモスクワに対する『経済戦争』で利益を得ている」と(US making Europeans suffer – de Gaulle’s grandson RT 2023.01.04)。
国内外の世論を操作し、虚偽の情報を流し続ける米国に、顎で扱き使われるのでは、自国民をいやすことなど、民主主義を貫徹することなど土台無理である。
米国政権は、順風を大時化空と観る、そして大時化空を順風と観る、滑稽な二枚舌の天邪鬼性を以て、覇者として君臨しようとする。
世界にとっては悲劇である。
西側の政治家は愚昧化している。
西側は西側の首魁、米国に国権を奪われ、自滅の道を歩んでいる。当然、米国自身にもじり貧は及ぶ。
よって中国の戦法は"のらりくらり"の戦法で、時折、軽いジャブを西側に打てばよいのではないか。
時間こそ中国の悠久の大地に満ちる天賦の資源なのだ。
そう、戦略的"寝た振り"も有りである。
例えば、ベネズエラのマドゥロ大統領は中国の今を的確に評している。「多国間主義が機能している。私は、習近平主席はこの世界における新時代の思想家だと信じている。習主席は、人類の運命共同体やグローバル安全保障システム、地球への配慮、調和のとれた共存、世界各国の人民と政府の相互補完と団結を強調し続けてきた。これは西側が主張する一極集中の覇権世界とは異なるものだ」と。(CMG、ベネズエラのマドゥロ大統領を独占取材 CRI 2022-12-25)
日本などは防衛費の負担能力が極端に痩せ干乾し状態となる。
しかし其の実現となると、‹無い袖›を振ってまで掻き集める醜態ぶりである。中でも東日本大震災の復興財源を掠め取るなどは、如何に国民を軽視し馬鹿にするやり方なのだろうか。
防衛増額の財源に2027年度以降約1兆円の増税を支持しないとの回答は64.9%に上る。また、復興財源の一部転用には反対が74.5%である。(全国世論調査 中日2022.12.19)
しかし不思議なことに、この国の特に野党、建設国債で軍備費を賄う財政状況であるにも拘わらず、‹重箱の隅を楊枝でほじくる›論議に集中している。
そもそも防衛費は其の本質からしても、建設国債に妥当するのか。
消耗品扱いではないのか。次から次へと進化発展する戦争手段、実用化の前に、或は二三年もしない内に、最新が中古になり、無用の長物となる、新陳代謝が激しい。
其のうえ、戦争でも始まれば、数か月の弾薬などの在庫は数日で消える。相手からの攻撃で恒久的に見える施設も廃墟となる。
米国に依存し、軍備拡張に頼り、"力"を持てば、夜郎自大が昂じて、機会を得て、武力行使を貫徹することになる。とてもじゃないが、将来に望みを託せることではない。
軍拡は戦争を招くだけだ。平和の礎になることはない。軍拡で国民の生命・財産を、国家を護るなど噴飯ものであり、殆ど白昼夢に等しい。
歴史が物語る。
例えば、先の大戦末期、昭和十九(1944年)年度軍事費予算、「大東亞戰は決戰段階入つた。五百億圓を超ゆる未曾有の大豫算」、「本豫算は二百一億圓、また臨時軍事費豫算は三百八十億圓、そのうち七十二億圓は一般會よ計り繰入れられてあるから、その分だけ差引くと二者合計五百九億圓、之を唱和十八年度に比すれば三割強の激増となり、かつて想像だも及ばなかつた超大豫算である」、「しかもこの巨額の豫算は今回のみならず今まで少しも外債に仰がず、擧げてわれら國民の力によつて賄はれたといふことは、今更ながらわが帝國の國力が如何に著しく發展し充實されたか、たヾ驚嘆するばかりである」と(『決戰期の日本』 下村宏 著 昭和十九年九月二十日初版發行 朝日新聞社)。
その充実、驚嘆の結果は、劇甚な被害、そして‹尾羽打ち枯ら›しての平和憲法の制定であった。
が、揉め事の火種は、上述した如く抱き合わせで米国が仕組んでいた。
防衛費の増額、その結果の増税負担、其の意味するところは、白昼堂々政府という"辻斬り"に遭い、憲法という名の国民が残殺されたことである。
辻斬りにその刀剣の切れ味、武術を練る、又とない機会を与え、‹奇貨居くべし›との念を起こさせたのは、ウクライナ戦争ではなかったか、或は"こじつけ"の台湾問題ではなかったか。
西側の雪崩現象的報道は、ロシアは憎しみそして悪の対象、ウクライナは可哀想そして正義の対象と為し、世間には此の構図から出るのを許さない羈絆とする。
つまり、メディアの声高に、先ずメディア自身が興奮し、善悪の判断力を失い、その荒い鼻息を国民に吹き付けるのだ。
そして西側世界は此の"正義"を代表する"間抜けの大統領"を、凱旋将軍を迎えるように遇し、歓呼と拍手で迎える。
日本のある野党党首、此の"間抜け"の愛国者振りに、一入感服する有様である。
つまり、大げさに云えば、この時点で、憲法は辻斬りの決然とした目標に定められた。与野党共に真の目標を見失い、敵を作る道を歩み始めた。
"バカ騒ぎ"に搔き消され、注意する者の声も届かずである。
防衛力増加は賛成、増税は嫌だと云い、国民は真昼の辻切りに手を貸した。1億2千万余の国民は崖っぷちに向かい行進を開始した瞬間でもある。
「皆さんの声に丁寧に耳を澄まし」も、「判断の背景をしっかり説明する努力」も欠けた岸田首相、出処進退の"処と進"を選んでいるようだ。
"処"、特に似非民主主義のG7内を奔走し、"進"、軍拡へ直走り、という訳だ。
"耳を澄まし、説明するなどは公務に携わる者の基本中の基本で、言わずもがなことだ。
憲法は「福利は国民がこれを享受する」、また地方自治法も「住民の福祉の増進を図ることを基本」と、何れも民の声に傾聴しなければ、なし得ない。
そして、更に憲法も、地方自治法も"説明"の文言を置く。
「新しい資本主義」、何やら、G7の瞞着策、新自由主義・グローバル企業の跋扈の反省のようにも考えられるが、誰かの踏襲である"御零れ頂戴"が具体的な中身のようだ。
「成長戦略」と「分配戦略」は、正に結果論の‹出た所勝負›なのだ。主たる分配の一つ"賃上げ"を経済界に強請る。
「市場に依存し過ぎたこと」を反省するなら、グローバル企業に与えた剝き出しの自由を、国家主権の下に再び置く政策を採らねばならないだろう。それでこそ、"健全な民主主義の危機"を乗り越える一歩であろう。
資本主義の危機を中国に助けられ、そして其の中国が今や、グローバル経済発展の旗を振っているのは、企業に失陥されるようなことがないからだ。その中国を囲い込み発展を阻害しようと、米国主導で西側は徒党を組み妄計を以て挑発する。
勿論、日本は米国のコピーであるからにして、其の言い草も、"自由、民主主義、人権、法の支配"との美名を以てなど、国際社会を欺く‹腹に一物›で全く信用がおけない。が、皮肉にも彼らが欺く対象は、彼らが口にする"自由、民主主義、人権、法の支配"下に在って、民主主義等に危機感を持つ西側国民なのだ。何故なら、その嫌味と化した枕言葉は、体制に自信を持つ名宛側には無視され、‹牛に経文›であり、却って、逆襲され、嘲笑いされている。‹頭の上の蠅も追えない›のにである。
それに一番にその美名を遵守せず、貶めているのは、西側、特にG7である。
敵基地攻撃能力等の操り語は、表現上の技巧に過ぎず、所謂、"戦争のできる普通の国"に憧れるという、倒錯した考えの政府は、憲法を足蹴にし、日米の軍事一体化を進ませる防衛協力の指針(ガイドライン)の改定に着手する。
恐らく改定される指針をも注意深く読めば、次のようなことが浮かぶのではないか。
嘗、「集団的自衛権の行使は禁止されているという冷戦時代の憲法解釈を見直せば、日米同盟、アジア全体への貢献になる」と、マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所上席副所長。
が、真っ逆さまである。“見直せば”アジア全体に一層の緊張が生じ、仮想敵国が現実の敵対国家となり、更なる軍拡競争下に置かれることは必定で、北東アジアを中心に新冷戦時代の幕開けとなる。
遡って、第34回国会の日米安全保障条約等特別委員会である。
*
安保条約第三条は【自助及び相互援助】で、「締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」と規定する。
大貫委員 「しかもこの条文は、隠れもないバンデンバーグの決議に基づいてその精神が盛られておることは、これは何人も疑いのないところであります。そのバンデンバーグの決議によれば、アメリカが相互援助をするためには、その相手国に必ずアメリカと協力して戦えるだけの武力を増強させるということがバンデンバーグの決議の精神のはずであります」
藤山国務大臣 「この第三条は、バンデンバーグ決議の趣旨を体してはおりますけれども、バンデンバーグ決議そのものと全く同じではございません」
大貫委員 「バンデンバーグ決議に基づいてできておることは、藤山外務大臣も今までの御答弁でお認めになっているはずです」
藤山国務大臣 「御承知の通り、バンデンバーグ決議の趣旨というものは、こういうような相互援助条約を結ぶ相手国が、自分の国は自分で守るという意欲を持ち、そうして、それに対する努力をしていくということが重大な問題でありまして」
一言で言えば、米国が日本を直接守るのではなく、要するに自助努力である。米国側は米国を守るために日本の基地を自由に利用できるよう種々便宜をはかってもらえればよいのである。
*
(注:1948年6月11日バンデンバーグ共和党上院議員提案し採択された決議(Vandenberg Resolution(3.Association of the United States, by Constitutional process, with such regional and other collective arrangements as are based on continuous and effective self-help and mutual aid, and as affect its national security.)
尚詳細は、越水桃源「桃源閑話」の「汝、安保第五条を試す勿れ - 2012/12/24 18:10」に掲載しています。
ウクライナ軍は、米国が1ヶ月かけて製造する榴弾をわずか2日で消費するという。
「英仏戦争は百年戦った。しかし、その間に失った人の数、失うた兵器類の数は今日の一年どころではない、一月どころではない、一週間どころではない、恐らく或る一日の独ソ戦の分量よりもまだまだ遥かに少い ものであらう。」(『決戰期の日本』 下村宏 著 昭和十九年九月二十日初版発行 3頁)
日本は米国追随で"逆囲い込み"下となり、ヨーロッパ同様、貧なる状況が未来に待ち受ける。米国はNATO諸国に安保只乗り論を言い募り、GDPの2%を軍事費にと押し付けた。そこで日本も西側として遅ればせながら加わる。
しかし、防衛費増額の財源不足を増税で賄うために総選挙に出ても、やはり、‹無い物食おう›となる。
そこで野党よ、与党よ、‹打出の小槌›があるではないか。そう、"米国債"である。 アジア全体(3,391,188)の米国債の内、日本は(1,078,241)約31.8%を保有する(単位:百万ドル)(https://ticdata.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/slt3d.txt)。
外貨準備等の状況(令和3年12月末現在:令和4年1月11日財務省)から、外貨準備(a)証券1,143,851(単位:百万ドル)、日本円(132.25円/1ドル)にして、151兆2742億円である。実態を分析し、使用すべきである。
ドルを円にせず、其のまま、武器等代金をドルで米国に支払う仕組みにすることだ。
が、どうだろう。当時の橋本龍太郎首相、「米国債を売りたい衝動に駆られることがある」とに、「もし売るようなことがあれば(米国への)宣戦布告とみなすと脅された」との逸話が残る。(貿易摩擦と橋龍発言 米国債について回る「売りたい衝動」Quik Money World2018.05.02)
加えて中川昭一元財務大臣のことも何故か想起される。
国民を犠牲にしても、米国を試す勇気はないか。
まさか米国債は米国との交際費扱い並みで、貸しっぱなしではないだろう。
米国、蛇が象を呑み込み消化し切れず吐き出すようなことを、ロシア、そして懲りずに、中国も又呑み込もうとする。其のうちに蛇の腹が裂ける。
人心不足蛇呑象=人の心は飽く事を知らず恰も蛇が象を呑まんとするが如し。(『北京俗語兒典』)
中国よ、決して、ならず者国家と争うな。策は一つ、争わずば勝てる、である。それが民を国家を維持する際上策である。
"彼をならずと知り、己を善き意志と知れば、一戦もせずして殆うからず"と行こう。
亡國不可以復存、死者不可以復生、故明君愼之、良將警之、此安國全軍之道也、と孫子にある。が、非利不動、非得不用、非危不戰については、抑々考えるべきである。主不可以怒興師、將不可以慍而致戰、である。(『孫子』金谷治訳注 岩波文庫)
歴史忘れの日本は、万葉集にある大伴家持の歌を、又もや日本精神の精髄とばかり、声高にするのか。
海行かば水づく屍山ゆかば草むす屍
大君の邊にこそ死なめ顧みはせじ
(『見えざる敵 形而上戰』 松本末吉 著 昭和一八年三月二十日發行)
四囲は海、戦争になっても、日本人に避難の場所は無し。ただ死待つのみ。
それでも、白昼堂々の辻斬りを支えますか。
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元は一種の勝利に似た感情をおぼえながら思った。(この国もまた貧民を人目からかくして体裁をつくろっている!この大都会でも、これらの区域には、どこの国にも見られる貧民に劣らず不潔な連中が、こっそり押しこめられているではないか!)
とうとうここに、元は書物に書かれていないものを発見したのであった。(335頁)
わたしの考えでは、父は一種の空想をえがいていて、あなたが偉大なクリスチャンの指導者になってお国へお帰りになることを祈っているのです。あなたは、あなたの民族と、あなたの時代とに属していらっしゃるのですわ。あなたにとって無縁な外国のものを押しつけるなんてことはだれにもできないことですわ !(338-339頁)
彼女は自分の国民の歴史を語った。ほとんど地球上のあらゆる国民、民族を網羅するアメリカ人が、どのようにしていま彼らの住んでいる国土へ集まってきたか、武力により、策略により、どのようにしてこの土地を領していた人びとから国土を奪いとり、おのれのものとしたかを、彼女は語った。(340頁)
『大地』パールバック 訳 大久保康雄 昭和47年7月30日9版 集英社 世界文学全集
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亀裂を血眼になって捜す、見つからなければ、捏造する。無論ごく小さな亀裂でも見つかれば、したり顔で其処を抉じ開け、針小棒大に騒ぎ立て、標的とする国家等を損傷する。似非民主主義国家、内実他国民は無論、自国民までをも吸血の対象とする鬼国家、其れが今の民主主義国家の赤裸な現実なのだ。
似非の道具は、民主主義、自由、人権、捏ち上げ、欺瞞等々である。つまり、邪魔になる相手を陥れる為なら、何でもありなのだ。
陥穽にはめる、何のためにか、‹利に走る›、ただ其れだけのために世界を嵌めるのだ。その元凶が米国である。利に走ることは、覇権を求めることになり、争いの種火を到る所に散蒔くことになる。
ある時はむき出しの新自由主義を掲げ、世界を貧困の二極化に陥れ、弱肉強食の対象となった国々は、グローバルな企業に主権を明け渡し、彼らが‹膏血を絞る›結果になるのを素知らぬ振りし、共に矛先を国民に向ける。
しかし、儲からぬとなれば、資本主義も、新自由主義も、グローバリゼーションも、国際社会の分業体制も‹弊履を棄つるがごとし›なのだ。
そして、常に綺麗事を云いながら、考えることは相手を執拗に追い詰め、封じ込め、蹴落とすという、劫盗の仕業に及ぶ。決して生産的でも建設的でもない。それが米国である。
世界経済を牽引するなど到底出来るものではない。それどころか、世界経済の阻害・破壊者となっている。
相互尊重、平和共存、協力・ウィンウィンなどの実際とは‹薬にしたくても無い›のである。目先の主義を都合よく変えての、利己主義最優先という訳である。彼ら米国が建国以来辿る他国への接し方なのである。
国際社会は、米国の国内法があたかも国際法の如く、他国等に強制されるのを、座視続けるのだろうか。国際社会は遣りたい放題の米国を糾弾すべきである。
西側諸国は押し並べて、"自由主義・民主主義"等という呪文を米国に投げつけられると、隷従してしまう。よって西側に"自由"は無く、米国を糺すことは不可能に近いどころか、その"強制"に与してしまう。追随する主権無き西側の"不自由で非民主主義"な国々の出来という訳である。
米国のみが勝手気儘という"似非自由"で本来自由であるはずの国々を支配する。
世界は二分・分断される。
そして、謀略時には、‹口に密あり腹に剣あり›、其の騙す相手を口説く手並は驚くべきものがある。
「足元には道があり、前方には光明がある」とは、習近平国家主席の言である(CRI 2022-11-04)、米国が領導する引連れ国家の群れは、決して前方に光明を見ることはない。見るとすれば、刹那の銃火ぐらいである。
米国支配では、"足元に冥路あり、前方には"暗影があり"、が本当のところであろう。 日本などの云う、"国際ルールに基づく秩序の維持"などは、似非民主主義側国家の戯言であり、自分たちに都合の好いルールを壊すな、と云っているに等しい。
しかし、今やそのルールでは国際社会、世界経済は立ちゆかないのは明らかなのだ。
そして、自由、民主主義、法の支配という共通の価値を持つなどとの符牒は、似非民主主義国の仲間が、敵対国に対する非難・攻撃で、身内意識を確認するために、使用する世迷い言の類に過ぎないのだ。
何故なら、米国の其れ等は、米国自身、更に米国の中でもごく少数の人々の為にあるのであり、他国の為にあるのではない。つまり、他国は虫螻同様の扱いとなり、他国への自由、民主主義、法の支配などの配慮は疾うに糞溜めに沈んでいる。
自国民・他国民に拘わらず、国民の生命・安全・健康、財産そして福祉に最大限の配慮が為されてこそ、民主主義と言えるのである。そして、民主主義は唱えるものでなく、実行されるものである。況してや他国の批判の道具などではない。
自由、民主主義、人権、法の支配の文字は戦旗に血糊で大書されている。それが西側世界の現実である。彼らは其れを糊塗するために、常に呪文の如く唱えないと、足元を見透かされているゆえに、安心できないのだ。
そして、西側が勝手に敵国と見做す相手には、其れが欠如しているが如く、大仰に云い触らす。全く自他国の民の安寧(生活)を省みない所業と云わねばならぬ。
"自由で開かれたインド太平洋"などのフレーズも上述の類である。つまりは、"それがどうした"なのだ。ただ、此岸と彼岸の区別をしようとする小賢しい言い種に過ぎない。
其れらの言辞は、日清戦争やアジア・太平洋戦争時の日本の宣戦布告文と同様、押し遣られた真実から程遠い"御都合主義"の綺麗事を並べたものなのだ。 因みにいえば、近代日本では、宣戦布告は天皇の権限(大日本帝国憲法「第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」)である。
虚妄は持つ鉾の柄に在り、真実は矛を向けた先に在り。
西側メディアも米政権の意向を汲んで一様の報道に終始する。此れの何処に報道の自由があるのか。操られた自由では真の自由とは云えまい。
従って西側の報道を見聞きするだけでは、物事を俯瞰するには適さず、迷妄に陥るだけで破ることは困難となる。由って有らぬ方向に誘導される。
‹迷う者は路を問わず›で、相手が手を差し伸べても、話し合いを請うことをせずに、‹犬の遠吠え›よろしく、相手を遠巻きにして自ら疎遠となり、相手を封じ込みしたと考え違いをしている。
米国をはじめ、彼ら西側が、口煩く声高に他国を非難するときは、自分達の似非民主主義、似非自由、似非人権等を隠蔽するためであり、弱さの裏返しである。
囲い込みの現実とは、民主主義、を資本主義標榜する西側自身が政治的にも経済的にも自ら蛸壺に入り込んでいるだけである。
つまり、決して米国に対抗でき、抜きん出るほどの競争力を持ってはいけない。この暗黙の約束事を破れば、西側諸国等でも米国は許容することはしない。否、西側ならば特に顕著に叩かれる。
日本なども、市場を席巻していた日本の半導体産業、米国を最先端の64KDRAMで抜いたことが報じられ(1981年)、その後半導体全体でも日本が米国を抜いた途端(1986年)、自分の事は棚に上げて米国は日本に絡み、1996年に10年間に及ぶ日米半導体協定の下で、日本の半導体を絶滅危惧種並みにしてしまった。
そして、「(5)日本企業の凋落 半導体世界市場の拡大にもかかわらず、過去30年間で日本の存在感は低下」(「半導体戦略」2021年6月経済産業省)と。
が、日本、‹喉元過ぎれば熱さを忘れ›たのか。
米国のレモンド商務長官、日本の西村康稔経済産業相に、半導体をめぐる米国の対中輸出規制措置に、足並みをそろえるよう求めた。
日本は、経済安全保障推進法を下に、サプライチェーン強靭化進める第一歩として、特定重要物資に半導体が指定されている。
サプライチェーン強靭化とは、要するに、米国主導で日本を孤立無援化したABCD包囲網の現代版であり、包囲主体の英米による対日包囲網が、対中包囲網になろうというわけだ。
追い詰められて自衛戦争に突入した日本の置かれた状況と相違し、今の中国には不足が無い。
したがって、追い詰める包囲網側がじり貧となる。
また、「サプライチェーン上の脆弱性が顕在化し、国民の生存や国民生活・経済活動を脅かす事態に発展した事例も見られる」(「特定重要物資の安定的な供給の確保に関する基本指針」令和4年9月30日閣議決定)とあるが、四海が平和でなれば自給自足のできない日本、グローバル化の拡大・推進の強靭化こそ其の第一であろう。つまり、サプライチェーン上の脆弱性を論うのでなく、寧ろ其の拡大・多角化・補填であろう。
この"サプライチェーン上の脆弱性"なども特定の国を狙い撃ちにした表現ではないのか。
サプライチェーンの線上には、大きな市場が広がっていることを忘れてはなるまい。其れを日本、自らを飛躍させず、閉じ込めるのか。唯々米国に付き従うために。
が、グローバル化が儲からないと見るや、或は他国を利して覇権が危うくなるとみるや、旗振りも止め打ち捨て、統制の仕組みを作る。この米国の在り方が今向かうのは、中国囲い込みという非常に反国際的、犯罪的、そして非生産的な縮小経済への画策である。
他国の利を排するための策が、自らの足をも喰らい、仲間の糧も奪うという、凄惨な‹骨肉相食む›様相を示す。
今やG7の終焉時代迎え、中国囲い込みでありながら、唯一の勝ち名乗りを目指すという民主・自由主義国家の内訌を含む、"共食い"となり零落し、結果的には米中二大国家の市場棲み分けが急速に大写しになって来る。
米国も馬鹿でない限り、中国を潰せないことは百も承知である。また潰したところでどうにもならないことも、理解している。
オバマ氏時代に習近平氏の唱える、太平洋棲み分け論を無意識のうちに米国は実行しているのだ。
東海岸から西海岸へ、そして西太平洋に向かうも、自らの策に嵌り、上陸出来ないでいる。インド洋も主が動かず、南太平洋も舌先三寸には唯々諾々と靡かない。北の海はロシア・中国が先鞭をつけている。
手下の日本や韓国を脅かして意のままにするのが、精一杯である。
が、伏兵の北朝鮮が、核で日韓を人質にしている。仕方なくNATOをも呼び込ませる。
米国も実態は手詰まりなのだ。勿論、ウクライナ戦争は二進も三進も行かない。
そこで台湾を弄るも、中国に"新状態"を作らせることになるという、ヘマをする。
米国の舌を真面に信ずる馬鹿な国家が在るのだろうか。若しかすると、日本でさえ、贔屓目に見て、米国に頤使されない軍事力を持とうと画策しているかも知れない。
しかし半導体、イノベーション其の物である。が、ブレイクスルーによっては従来の方法が一瞬にして、紙屑同然に追いやられる。
中国には半導体の独自開発が可能な下地は十分に備わっている。
米国は誰の味方でもなく孤立主義国家であり、"あらゆる利"を求める覇権国家であり、独裁的政治体制と見做せる。国内に於て民主・共和の熾烈な覇権争いがあるも、対外的な出方は両党とも変わりない。
過去及び現状を見れば、西側の未来も予測がつくというものだ。決して国民に幸福を招き寄せることなど出来やしない。
世界から強奪する以外に手段も智慧も浮かばない非建設的な米国に信頼を置くことは、最早、仲間同士が断崖絶壁の際で、‹押し競饅頭›するようなものだ。
但し、米国は自身が作り出した其の状況を省みることは決して無い。
利益になれば、団子状態で仲間が‹奈落の底›に落ちても‹平気の平左›で立ち去る。
今の儘では疑似民主主義国に出口は無い。‹御先真っ暗›である。
ヨーロッパ(EU)の腑甲斐無さなどは、全く米国に追随するのみで自主外交(主権)を失くした感がある。次から次へと米国の好餌となり、彼らは本当に民主主義や自由を謳歌し、他国の人権を批判できる国々なのだろうか。
米国に見放されたら、統合体が成り立たないと恐れているのだろうか。NATOなどは単なる米国の都合に合わせた‹止り木›並みの価値でしかない。
イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長などは、当然のことながら米国の拡声器と化している。
NATO、戦争する(或は謀計をめぐらす)ことが加盟国の領土及び国民の防衛に繋がるとの思い込みは、考え違いも甚だしい。平和を如何に保持するかが、ヨーロッパ全体の繁栄を導くことになるのだ。其れが最大の責務であろう。
さて、争いの火種仕込みの達人である米国、日本には70年前に、両義性を持つ、つまり、米国に都合の好い「日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)」を以て仕込む。
勿論、1960年の新安保条約でも、国連憲章に定めるとし、集団的自衛の権利を承認している。
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」との第九条に違反する文言である。
しかし、その後は集団的自衛に向かって進んだ。
現今のウクライナ問題は"not one inch eastward"と30年前に、そして更に最近、メルケル氏は独紙ディー・ツァイトの取材に応じた中で、「2014年のミンスク合意はウクライナに時間稼ぎを与える試みだった」と(2022.12.8 Sputnik)暴露している。
西側はウクライナをヨーロッパの対東側の防波堤及び辺土を護る防人として、武器を供与し強化する時間稼ぎであった。
(「2014年2月、ウクライナの民主的な選挙で選ばれた政権は、西側諸国の支援を受けたいわゆるユーロマイダンのクーデターによって倒された。このクーデターにより、ウクライナ東部では流血事態の紛争が発生し、新政権に屈しない人々がドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)を形成し、独立を宣言した。」(【解説】ミンスク合意とは何か? なぜ履行されなかったのか? Sputnik 2022.12.10)
中国も10大国際ニュースを選び、その一つに、「米国など西側諸国の『最大限の圧力』によって、ロシア・ウクライナ危機が発生。地政学的政治と経済の枠組みに深刻な変化が発生」(CR I2022-12-31)と。
日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダのG7のメンバー国は、世界に対し益々後ろ向き、反動的となり、<頭の上の蠅も追えない>のに、非合理な非難の矛先を特定の他国に向け、悪巧みの結束を固め、<口裏を合わせ>、非建設的政治的対応に終始する。
自由主義諸国内の経済も酷い錐揉み状態である。
民主主義を語り、自由主義を語り、人権を語る資本主義諸国は、今や他国に難癖を付けても、自国の救済には何の足しにもならない事を知るべきである。
外交失くして戦いあり、が残った唯一の手段では、致し方ない。
欧州や日本は、自国の防衛と安全保障のために米国への依存を高めてきた。が、自由世界のリーダーを長年自認してきた米国が、実は身内をも喰らう資本主義の元兇で、自由も民主も人権も"利得"のための騙り事であったことを見抜けない自らの不甲斐なささを恥じるべきなのだが、今や悪循環を断ち切れず、更にのめり込む、蟻地獄さながらである。
米国はウスバカゲロウの幼虫並である。
端から民主主義、自由主義、人権など関心無かったのだ。米国の建国を振り返れば、そう言わざるを得ない。米国は一貫して侵略国家であり、覇権主義国家なのだ。すべて此の為に"頬被り"をし、<口に蜜あり腹に剣あり>で相手国等を誑かし、陥れてきたのだ。
西側民主主義諸国が米国の覇権下にあるなど、民主主義国家を標榜するなら、唾棄すべき状況ではないのか。
直近のアフガニスタンで惨めな潰走強いられた"米軍"であることは世界が知ることである。が、米国防総省のコリン・カール国防次官、「アメリカ合衆国が世界最強であることを疑うものはいない」、「中国がこれを疑っているとは思わない。中国は我々の軍事力を知っていると考える」(米軍は世界最強、直近の数年間で中国は台湾に軍事侵攻しない=米国防次官 - Sputnik 日本, 05.11.2022)等と発言。
まるで‹鹿の角を蜂が螫す›如きで、アフガンでの惨めな潰走忘れているようだ。
自分たちより弱い国に対しては、ほとんど奴隷同然にこれをこき使って経済的搾取を行なう一方で、國力の伯仲する国に対しては扱き下ろすのである。
が、世界経済は中国失くしては廻らないが、今のようなG7の政治的在り方では、国際社会に政治的、経済的にも停滞し、貧富の差は拡大するだけであり、ウインウインの世界からは遥かに遠くなる。
「また同時に支那は日本なくとも存立し得るが、日本は支那なくては存立し得ないことの感じであった(一つは日本の生存圏思想、一つは共存共栄思想となるべし)。」(『時代の一面 大戦外交の手記』東郷茂徳著 一九八九年七月十日発行 中央公論社 27頁)
「西ヨーロッパが混乱するときは日本も混乱、平和であれば平和であったからだ。」、「日本はアジアの一部でなく、ヨーロッパの一部であるかのような歴史をたどった。今後もこの公算は大きい。」(『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』別宮暖朗著 2014年7月20日第1刷発行 文藝春秋 8頁)
憲法を尊重し擁護する義務を負う、岸田首相、其れを忘却し、再び戦争の惨禍の火種となる軍拡に向かう為、防衛費増額と其の増税負担を、「今を生きる国民の責任」、と云うのだ。それを「今を生きるわれわれの責任」に修正したからとて、国民を愚弄する事実は本質的に何も変わらない。愚陋な精神を発揮しただけである。
禍機を増す軍拡に、"今を生きるわれわれ"としては、領掌できない。況して軍拡の過程が現在・未来に亘る国民が安寧の中に生命・財産を保全し、福祉を得られる保障がなされない限り、"責任"などとれる道理がないし、又責任を引き受けてはならない。
態々近隣諸国に不安を抱かせ、その上"敵"と仮想し、敵基地攻撃能力(反撃能力というより、恐らく日本の場合過去の戦争の在り方から察するに、奇襲攻撃となる、つまり、先制攻撃である)保有を言い募り、その手段までを言い触らし、脅す。
何れにしろ、外交忘れての平和は構築できない。抑々日本の付き合う相手が身内(西側)内での言葉遊びの外交では、単に米国への"おべんちゃら外交"の域を出ない。林外相など米国の代弁者の如くである。少しも日本国を背負っているようには見えない。
抑々家庭内の会話を取り上げて外交とは云えないと同様で、岸田外交も其れと似たようなものである。
日本が若し国際的信頼を得られる国であるとすれば、取りも直さず平和憲法のお陰であり、軍事力を背景にしたものでは決してない。
軍事力・防衛力が外交能力に等しいのであれば、逆に外交能力は不要となろう。なぜなら、其処で展開されるのは外交でなく、‹衣の下の鎧›、“屈服”させることであるからだ。力等しきと見れば戦争となる。
日本外交はバランスを逸している。此の均衡を失った外交は、恐らく破綻の日まで続く。そして、このような外交の在り方は日本の主権と信用を酷く損なうことになる。茶坊主外交の果はそのようなものだ。
‹飛んで火に入る夏の虫›の外交とも云える。従って下の下である。
正に日本、頤使する米国の姦策に乗せられ、岸田首相は"歴史的愚行"を重ねているのだろうか。米国一辺倒の遮眼革を装着された岸田首相、及び其の外相、全く頓珍漢な自国の来し方を忘れた外交を繰り広げ、日本の行末に時限爆弾をセットする。
無論、内閣支持率も政権維持の危険水域とされる20%台が続き26.5%、不支持率は最高の43.6%(2023.01.20 中日)となる。
米国民の70%が核戦争の勃発を心配し、自国内の2023年の展望も、政治的対立や紛争が続く(90%)・犯罪の増加(72%)・他分野の労働組合のストライキ(56%)などで決して安定したものではない。
それに以前からも云われていたように、平均寿命が大幅低下し、過去26年間で最低水準となる。(ParsToday 2023.01.04/01.05)
内政問題を総て他国の所為にすり替え、国民の憂いに直接向き合わず、撥ね除けるだけでは、決して問題の解決にならない。
他国の所為というならば、其の素因は米国に在り。
米国にこそ、民主主義が必要である。「我々はアメリカ史上の転換点を迎えている。1月6日は、アメリカの民主主義では何も保障されていないことを我々に思い起こさせている」と、2021年1月6日の同国国会議事堂襲撃記念日に際し、バイデン米大統領(バイデン米大統領、「我々の民主主義では何も保障されていない」ParsToday 2023.01.07)。
そして云う、「様々な意見の相違はあれど、アメリカには扇動や政治的暴力の場所はないと、我々は声を揃えて言う必要がある」と(同上)。
そう、他国にも其の"場所"がない事を‹肝に銘ずる›べきである、バイデン大統領よ。
他国の意思に掣肘されることを建国以来忌避し、自己の自由なる決定に依り国政を行うことを主義として来た米国(反面他国には押しつけ・制約となる)、基本的には孤立主義である。此の離隔主義は同盟国に対しても作用する。
したがって米国を信頼し得る国とみるには危険が多すぎる。
本当に米国に追随するだけで、国民の生命・安全が護れるのか。西側対非西側に分断し、独り勝ちの覇権主義を求めている米国、今次のウクライナ問題でも、‹火に油を注ぐ›米国である、平和など間違っても求めていないのだ。マッチ・ポンプ式の‹火事場泥棒›が米国の真の姿である。
泥棒と云えば米軍、シリアから石油や小麦を文字通り盗んでいる。旧日本軍のように米軍も"現地調達"で凌いでいるのか。
そして岸田首相、積極外交を言葉にする。が、其の向かう先はG7仲間内及び其の周辺国での積極性であり、世界第二の経済力を持ち、グローバル化を推し進める中国へではないのだ。
寧ろ中国に対しては通り一遍で済ます。否、積極的に敵国視扱いなのだ。
つまり、白昼堂々と国民の面前で平和憲法を冒す挙に出た。其のカラクリが"反撃能力"という言葉の弄びでなのだ。専守防衛など‹何処吹く風›という訳である。
国葬の法的根拠も無く、更に森友・加計学園や桜を見る会の問題、そして死して尚残す、自民党と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係など、評価の未だしの安部氏の国葬を手始めに、岸田首相、‹馬脚を露す›のだ。
「先送りできない課題に答えを出していくのが岸田政権の歴史的役割だ」
岸田首相は米国のアバターである。従って、"内心如夜叉"である。敵基地攻撃能力の保有を受け、日米は軍事一体化が更に進み、使い勝手の好い仕組みとなり、日本全土の基地化と相俟って、米国の完全制御下に入り、米国の覇権ゲームの手足として組み込まれる。
勿論、"戦時作戦統制権"は米国に有り、日・韓・台共々、"弾"となる。当然の如く北朝鮮も座視する訳にはいかない。
例えば、台湾を契機として、戦争が勃発した時、米国が、自国兵を以て参戦するかどうかは、ウクライナ戦争が既に明快な答えを出している。
日本人の手で中国人と戦わせるアジア人の同士討、其処から"利"を獲得する米国と西側の底意を見抜かず、舞い上がり、G7を飛び回る浮かれ者、岸田首相、‹今日は人の上、明日は我が身の上›である。
事前の軍事上の約束事など呆れる程為しても、米国は日本の為に血を流す積りはなく、精々遅ればせの兵糧・武器弾薬を届け‹蛇の生殺し›を続け、ウクライナ同様、日本人の最後の一人迄戦わせる魂胆である。
自民 麻生副総裁、「台湾有事の際には沖縄県の与那国島など、日本の領土にも戦火が及ぶおそれがあると指摘したうえで、防衛力の抜本的な強化の必要性を強調」と(NHK 2023.01.09)。
“有事”を招いているのは、日米等の囲い込みであり、中国への内政干渉ともなる緊張を特に高めているのは、自民党の世耕弘成参院幹事長、生田光一政調会長などの訪台である。
台湾に関しては、外部干渉国等の挑発の増加に比して、中国の軍事演習対応の規模、内容、回数等も増えているのが実状ではないのか。
台湾海峡の平和と安定の重要性を重ねて強調しながら、中国を無視し、その真逆を行くのは、米国の思惑であり、姦策なのである。日台とも米国に操られている。
有事を憂いるなら、米国よりも、台湾よりも、そして何より有事を語る前に、中国に飛べ。それが、国民の命と暮らしを守る取り組みである、決して軍拡ではない。
外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)(2023.01.12JST)においても、「国際社会の安全と繁栄に不可欠な要素である台湾海峡の平和と安定の維持の重要性を改めて表明し、両岸問題の平和的解決を促した」とは云うも、其の平和と安定を大いに乱し、火付け役を為しているのは、日米なのだ。中国をロシア見立て、悪役に仕立てようと躍起なのだ。否、寧ろ中国の台湾進攻を日米は望んでさえいるのだ。
米国の政策(姦策)は、国際社会の安全と繁栄に全く不要な要素である。米国が国際社会の安全と繁栄に寄与したことはあるのだろうか。
台湾問題に首を突っ込むのならば、キューバに中国が核配備基地を作ることを思え。
「ロシアによるウクライナに対する残虐でいわれのない不当な戦争を強く非難」、本当に"いわれのない"不当な戦争なのか。不当な戦争を引き起こしているのは米国ではないのか。
プーチンは云う、「毎年着実に、西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に、無遠慮に作り出している、あの根源的な脅威のことだ」、つまり、「NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近していることについてである」と。そして、「西側陣営全体が、まさに『嘘の帝国』であると、確信を持って言える」と述べる(一歩たりとも東へ - not one inch eastward - ブログ越水桃源2022.03.27)
斯様な言い分に耳を傾けたことがあったのか。
ここでも、‹窮鼠猫を噛む›ように、相手を罠に誘う米国主導の腹黒い策略を仕込む、それも執拗にである。
平和と安定の維持の重要が重要なのは言わずもがなである。問題は、敵とする前に、何故相手国と話し合いを重ねないのか。米国(西側)の"口に蜜腹に剣"は定評があるか。
"国民の命と暮らしを断固として守り抜く"ことが「防衛力を抜本的に強化する」ことで可能とは思わない。軍事力で戦争はできても、国民の命と暮らしを守ったことは無く、むしろ惨殺と破壊を齎しただけである。80年近くもなると、忘れたか。
「地域の平和と安定に貢献」するのなら、なぜ中国を敵視する、なぜ、話し合い無いのか。軍拡は軍拡を呼ぶだけで、いずれ破綻を来し、牽強付会の戦争になる。
自由で開かれたインド太平洋も、中国が欠けたのでは、ぐらついた奥歯しか残っていないようなものだ。誠に、西側の"国際社会"も"ガキのイジメ"を出ないようだ。
米国の「核を含むあらゆる種類の能力を用いた対日防衛義務への揺るぎないコミットメントを表明」など、‹笑止千万›な話だ。
林芳正外相も相当‹面の皮の千枚張›のようだ。
いま、G7広島サミットに下がる支持率も忘れ、政治生命を賭ける勢いで駆け回る岸田首相、核のない世界の訴えを取り付けるために、飛び回っているのだ。
が、自国は核の傘にすっぽりと入り込む。‹犬の糞で敵を討つ›ように国際社会を瞞着するか。
しかし、米国にバイデン大統領に歓迎されればされるほど、其の腹の内を読まねば、岸田首相。
バイデンと岸田の両氏を見て、愚者は笑うことに依って見栄を張る、のかと思わざるを得ない。
「ロシアによる核の威嚇は断じて受け入れられず、ましてやその使用は決してあってはならない」との日米首脳会談を受けて。
「これは非常に恥じるべきことであり、ロシアの核戦略に関する妄想についてはコメントしようがない。考えてみるがいい、日本の首相は自らの尊厳を傷つけ、忠実な臣下のように、無我夢中になってロシアにナンセンスなことを言い、広島と長崎の原爆で焼かれた数十万の日本人の記憶を裏切った。岸田にとって、核兵器を唯一使用した国が米国というのはどうでもいいのだ」(「岸田は広島・長崎の犠牲者を裏切った」=メドベージェフ元露大統領 日本人には同情 Sputnik 2023.01.14)
帰国後に岸田首相、閣議で切腹ものかね…。否、微塵の武士気質もありませんから、へらへらとやり過ごすでしょうね。それに野党がなっていませんから。
それにしても軍事費の増額が大歓迎されるなどとは…。丸で吉報を齎す走り使いの少年の体である…。
米国の好き"弾"になるか…。
日本国民の苦難の序曲が…。
そう、岸田政権、「豚もおだてりゃ木に登る」宜しく、憲法を踏みつけ、大跳躍を試みる。其の鼻息の荒さと興奮ぶりを何時迄保持できるのか。
何のなんの、宇宙空間にまで上るぞ。全面的にアメリカ様々で。
「日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されることを改めて確認」、が、尖閣諸島には領有権問題(以前は日本、領有権の問題は無いと声高にしていたが、この頃は聞こえず)は在りなのだ。台湾も主張する。つまり、日本国の施政下にあるとは云えないのだ。米国にとっては嬉しいループホール(逃げ道)となる。
更に地域情勢の認識など、例えば、日本が直接確認した訳でもなく、すべて又聞きの話程度なのだ。
"自由とか、開かれた、法の支配"など、声高に云う側が、相手の自由を奪い不自由にさせ、囲い込みをし、経済を委縮させ、国内法を以て一方的に制裁するなど、法の支配を無視、逸脱する等は米国にこそ、そっくり当て嵌まる。
よって敵基地攻撃能力を全面支持され、米国と同盟を誓う日本も同様である。
日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)も虚構の世界での判断、つまり妄想を現実の世界に持ち込み騒ぎを起こすという、異常者である。此れでは現実の国際社会を運営することはできない。
「自由で開かれたインド太平洋を実現する」(2018年の国際情勢と日本外交の展開)「自由で開かれたインド太平洋」の実現のために)など、突っ込みどころ満載という内容である。
今、自由でないのであろうか、開かれていないのだろうか。全く意味不明であり、此れなども"異常者の命題"なのだろうか。
「我々は、最も緊密な同盟国及び友人として、言葉だけでなく行動を通じて、平和と繁栄を実現する決意を新たにし、2023 年を共に歩み始める。まさにそれが時代の要請である(We begin 2023 together as the closest of allies and friends, newly committed to achieving peace and prosperity, not only through our words but through our actions. The times demand no less)」(外務省 日米首脳会談 令和5年1月13日 日米共同声明(仮訳)) と、しかし、空虚な文言を大仰に並べ立てるも、絵に描いたように言動に齟齬をきたすのは、米国の得意とする芸である。其の芸の持ち主と意気投合では嘘となる。真実は米国へ貢ことであり、近い将来に向かい禍機を作っただけだ。
「インド太平洋及び世界の利益のために、域内外の他の主体と協働していく」と云うも、最大の疑問は、なぜ世界第二の経済大国の中国が加わっていないのかである。勿論、そのケチ臭い了簡は理解したとしてもだ。14億余もの民を無視して、平和も繁栄も、世界の利益もへちまもない。
恐らく米日、対抗上"インドと共に"と述べるも、若しインドが米国に抗う経済等の実力を身に着けたら、今度はインドを囲い込み蹴落とす為に、中国を仲間に誘うようになるのだろう。
国際社会の平和を乱す醜悪の仲間、それが日米関係の実態なのだ。
国際社会に向かって毒を吐き続けるのは好い加減にしろ、と言いたい。
それにしても、岸田首相、「G7が結束して法の支配に基づく国際秩序を守り抜くため連携していくことを確認できた」って、何のことか。G7が国際社会を牛耳っているように聞こえるが、否、逆に追い遣られているのか。
何れにしろ夜郎の自大の類か。
米国の覇権主義に利用される日本、‹灰燼に帰す›か。
(引用部分:外務省HP 日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)(概要))
さて、長いが引用しよう。
国連安保理(12日)は、国際的な法の支配の強化に関する公開討論を行った。 中国の張軍国連大使、米国代表による中国への不当な非難に対し的確に指摘した。
†「米国は公正競争と市場経済の原則、多国間貿易ルールに違反して、様々な理由をでっち上げて他国のハイテク企業を叩き、グローバルな産業チェーンとサプライチェーンの安定性を人為的に妨害している。これは他国の正当な発展の権利および国際社会の共通利益を損なうだけでなく、国際的な法の支配の精神と完全に相反するものだ」
†「いわゆる『ルールに基づく国際秩序』は不明瞭な主張だ。一体どのようなルールに基づくのか、誰が定めたルールに基づくのか、それらのルールと国際秩序はどのような関係にあるのか?こうした疑問について、我々はまだ明確な回答を聞いていない。特定の国が主張する『ルールに基づく国際秩序』の真の意図は、既存の国際法体系の外に別のルールを作り、自国の狭隘な利益を中心に据え、自国の基準や意志を他国に押し付け、ダブルスタンダードや例外主義を適用することだという疑念を抱かざるを得ない」
†「世界には国連を中心とする国際システムという一つのシステムしかなく、国際法に基づく国際秩序という一つの秩序しかなく、国連憲章の趣旨と原則に基づく国際関係の基本準則という一つのルールしかないことを、各国がいずれも明確かつ誤りなく確認することを望む」
†「中国は安保理常任理事国及び最大の発展途上国として、引き続き真の多国間主義を堅持し、国連憲章の趣旨と原則を維持し、率先して国際的な法の支配を実践し、国際的な公平と正義を守り、全人類共通の価値観を提唱し、グローバル・ガバナンスのより公正で合理的な方向への発展の促進、各国の共同の未来構築、共通の安全保障の確保、共同発展の促進のためにたゆまず努力していく」(張軍国連大使「国際的な法の支配におけるダブルスタンダードや例外主義を警戒すべき」人民網2023.01.13)
次は「法治の促進と強化および国際の平和と安全の維持」に関する公開討論。
†「国連常駐の張軍中国大使は、米国の一方的制裁の乱用に断固反対し、いかなる国も自国の国内法を国際法に優先させるべきではないと強調」
†「国際的な法治の強化には、まず国際法の権威を擁護しなければならず、対話と協議を通じて紛争を解決するよう奨励することが必要で、すべての国が共同で国際的ルールを策定することを堅持しなければならない」
†「一部の国、特に米国は、公平な競争、市場経済の原則、多国間貿易のルールに違反し、さまざまないわれのない理由で他国のハイテク企業を圧迫し、グローバルバリューチェーン、サプライチェーンの安定を人為的に妨害していると指摘した上で、これは他国の正当な発展の権利と国際社会の共通の利益を損なうばかりか、国際的な法治の精神と完全に逆行していると批判」
†「『規則に基づいた国際秩序』について疑問を投げかけ、この言い方は曖昧である」(中国代表、米国の一方的制裁乱用に断固反対 CRI 2023.01.13)
所謂、主催元の日本がよく述べる法の支配、林外相の討論内容も是非聞かせて貰いたい。特に法の支配についても、具体的な見解を披露してもらいたい。
其のうえで他国よりも、日米はどうか?を説いた討論結果を待ち望む。
米CNNが、米国戦略国際問題研究所(CSIS)の報告書を引用し報じるところでは、「米国と日本は数十隻の艦艇、数百機の軍用機、数千人の軍人を失うことになる。そのような損失は、長年にわたって米国の世界的地位を損なうだろう」と。また、CSISは「台湾をめぐる戦争が「避けられない、あるいは起こりうる」ことを意味するものではないと指摘」(専門家が台湾をめぐる仮想戦闘をシミュレーション 米空母2隻が損失と予言 Sputnik 2023.01.10)。
シミュレーションはシミュレーションであり、例えば、「揚陸部隊は敗北」とあるが、御時世の中、態々揚陸を急ぐか、其の前に‹完膚無きまで›有りと有らゆる、ミサイルを、打ち込み、確認の上、揚陸開始するだろう、と、つまり、敵(米・日等)の陸・空・海の静寂を待ってからでも遅くない、と‹傍目八目›的には考える。
民間人の死者数は?何れにしろ、核戦争になっても、最期の決め手は国土の大小である。
日本国民は戦争を待たなくても、虜囚の身の上である。逃げ隠れの避難場所はない。
それにしても、韓国・北朝鮮の参戦も見込まず、米・中・日・台のみも意味不明である。が、中国政府が勝利する可能性は低いとのご託宣は、此のシミュレーション、だから、"お互いに止めましょう"との主旨なのか。
或る意味では、‹荒唐無稽›にも思える。
それに"侵略シミュレーション"とは、何れが侵略国なのか、である。
米側が勝利するためには、
1. 台湾軍が戦線を維持すること。
2. 台湾に「ウクライナ・モデル」は存在しない(戦時には、米国が台湾防衛を決定した場合、米軍は速やかに直接戦闘を行わなければならない)。
3. 米国は、日本国内の基地を戦闘行為に使用できるようにしなければならない。日本との外交・軍事関係を深める。 他の同盟国(例えば、オーストラリアおよび韓国)は、中国との広範な競争において重要であり、台湾防衛の要は日本。在日米軍基地を使わなければ、米軍の戦闘機・攻撃航空機は効果的に戦争に参加できない。
4. 米国は、中国の防御圏外から中国艦隊を迅速かつ大量に攻撃することができなければならない。現在の米側はそのようなミサイルを備えていない。
(JANUARY 2023 The First Battle of the Next War Wargaming a Chinese Invasion of Taiwan)
1.-4.までが、総て上手く機能したとしても、相手は藁人形に非ず、割に合わない勝利、つまりピュロスの勝利が待つのみである。
ゲームを現実視しても無意味であるが、ある種の想像は掻き立てられる。
「if the US and Japan interfere in the Taiwan question militarily, not only will the US lose its nuclear-powered aircraft carriers, it will lose all of its footholds in the Asia-Pacific region, including military bases in Japan, Guam and even Australia, the expert said.」
"もしアメリカと日本が台湾問題に軍事的に干渉すれば、アメリカは原子力空母を失うだけでなく、日本、グアム、さらにはオーストラリアの軍事基地を含む、アジア太平洋地域におけるすべての足がかりを失うことになる"(War game instigates US intervention in possible Taiwan Straits conflict GT 2023.01.10)
捲き込まれ大損は、‹俎板の鯉›の日本国民である。それでも台湾有事などと騒ぐ、愚かな政権である。今のうちに高調し先走りする岸田首相を止めるべきである。
岸田首相は平和より、危険を呼び込むことが好きなようだ。相互アクセス協定(RAA)なども、傀儡師米国のアジア太平洋地域での影が差す。
「それぞれの決断の責任は、自分が全て負う覚悟で取り組んでまいりました」等と云うが、はっきり言うが自惚れないで欲しい。我々国民の生命・財産を岸田首相の前に投げ出した積りはない。また、決断を何か特別のことのように吹聴するが、人は誰でも生きるうえで、都度決断を下しながら生きていくのだ。
決断を強調する者に熟慮なし。結果、決断という言葉を用い言い訳しているだけである。米国に唯々諾々、阿諛迎合、頭を撫でられる言動を決断とは云わぬ。
日本国民の真の決断は既になされている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」、である。
決して武器弾薬を以てではない。況してや同盟諸国となどと徒党を組んで民主主義などを言い募り、分裂(分断化)を強調し、戦禍の種を撒き散らすことではない。
が、岸田首相の決断は、議会制民主主義を前提として、国民の主権者としての判断に委ねられるべきものである。
独立国としての自主的な防衛体制を、米国の庇護の下で成就させようなどと考えることは、余りにも素朴すぎ、寧ろ危険過ぎる。日本を利用する腹積もりで手懐ける米国を下手に出て利用する魂胆など到底及ばない。
日本の軍事力など成っても、傭兵の軍事力が精々のところである。つまり、"ガラスの天井"在りで、岸田首相が米国に詣でるのも、ガラスの所在確認の為なのである。それを日米同盟の深化などと、言い繕う。
‹墨に近づく者は黒し›で、70年余も嘘つき国家と共に在らば、国民を騙す手口も戦前に増して磨きがかかるというものだ、此の日本。
米国の入れ子、マトリョーシカである。つまりはマイナス思考を得意とする一億総体制に突入した。
其の末端を司るのが各種メディアである。他国の‹滄海の一粟›の欠点などを捉えて、其れを全体に及ぼし判断するのは、小公園の築山に登りて天下を論じるようなものである。‹蟷螂臂を怒らして車轍に當る›で、国民を誤誘導する。
むしろ‹虎の尾を見て狸より大なるを知る›ことであり、一粟の長所を見て大を為すべきである。
そして、「国家安全保障戦略」・「国家防衛戦略」・「防衛⼒整備計画」なども、丸で米国に対する“奏状”の体である。‹首根っこを押さえ›付けられて、それでも、主権国家なのだろうか。
斯様な在り方は国民の生命・身体・財産の安全の確保に繋がることはなく逆方向である。
例えば、「我が国を取り巻く安全保障の環境と国家安全保障上の課題」、「現在の中国の対外的な姿勢や軍事動向等は、我が国と国際社会の深刻な懸念事項であり、我が国の平和と安全及び国際社会の平和と安定を確保し、法の支配に基づく国際秩序を強化する上で、これまでにない最大の戦略的な挑戦であり、我が国の総合的な国力と同盟国・同志国等との連携により対応すべきもの」など、殆ど噴飯ものの言い分ではないか。
基本的には中国と善隣外交を、其れこそ“深化”させれば、殆んど氷解し、無駄な軍拡競争を惹き起こすことも、米国から武器の購入を迫られることもない。 安定した経済の発展拡大も見込めて、両国民の交流も進み、国際社会に寄与すること多大なりである。
現実を認識するのなら、正に同盟国である米国こそが、国際社会の平和と安全を破壊する最大・最強の暴戻の限りを尽くす国家ではないのか。
国家安全保障戦略が米国の虚構の中に踊らされる存在なら、危急存亡の淵に追いやるものとなる。
観る限り、中国は話し合いに、外交交渉に、そして是是非非の道理に向き合える国ではないか。日本、中国を敵視する理由は何処にあるのか。国民に理路整然と説明できるのか。若し説明できるならば、其の弁を以て中国と外交を通じて解決すべきである。
なぜ欧米には足繁く通うのに、四時間余の中国へは行かぬか。
‹近きを舎てゝ遠きを謀る者は労して功なし。遠きを舎てゝ近きを謀る者は、逸して終りあり›とも云う。
しかし米国は違う、争いの種を蒔き、仲違いをさせ、その間隙をつくという非建設的な策謀をめぐらす。
平和こそ、秩序こそ、米国の最大の敵となっている。米国こそが、国際秩序の最強の破壊者である、ならず者国家なのだ。
が、中国という大国の存在が、其のならず者を脅かす存在となってきた。
そこで似非民主主義国家が、挙って米国の罪業を隠蔽し、正義の味方に祭り上げる。その変換ツールが、自由・公正・公平・国際経済秩序・民主主義、基本的人権、法の支配等の年季が入った美辞麗句をつらねることである。
これが虚構の真実である。
米国は現実の世界に戻ることないだろう。戻っても、落魄の身を理解する能力もないだろう。そう、美辞麗句=嘘で固めた真実が顕となり累累と見えるだけだ。
米国は浸水が徐々に進む豪華船の如しである。
“不沈空母”の日本列島、逸早く轟沈である。国民の命と暮らしき消える。日本利用を目論む米政権、最大の敵であり、‹獅子身中の虫›である。
「琉球諸島に巨大な防衛線を作るという米軍の新計画の名称は「フォース・デザイン2030」(米国 琉球諸島を対中防衛線にする方針 Sputnik 2023.01.17)。
元来、日本列島到る所、米国の勝手な振舞いを許したのが、仕込まれた火種、日米安保条約第六条「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」である。
恐るべき条約ではないか。この条文も、建前+本音を見事に貫いている。
要するに米国は“加担せず加担する”が、有事ともなれば、勿論、全世界を混乱、窮地に陥らせる。日米等は台湾を弄るも、それだけの覚悟は出来ているのか。
ウクライナの現状が誓い将来の日・韓・台の姿である。
「If it continues to act as a pawn of the US in the Asia-Pacific region to stir up trouble here, Japan must be wary of becoming a victim itself of the US or even the Ukraine of East Asia.」
“もし、日本がアジア太平洋地域でアメリカの手先となって問題を起こし続けるなら、日本自身がアメリカの犠牲者になること、あるいは東アジアのウクライナの犠牲になることを警戒しなければならない。”(Japan risks turning itself into ‘Ukraine of Asia’ if it follows US’ strategic line GT 2023.01.15)
世界の現実、それは米国が何を語ろうとも、つまりは詐術であり、信頼することはできない。
NATOの拡大がロシアに脅威を与えないと主張し、ロシアを欺き、ウクライナの和平ロードマップを支持したのも嘘で、実際はウクライナにロシアとの武力衝突に備える時間を与えるためのものだった。
米国は今、ヨーロッパから軸足を北東アジアに移す。そして、盛んに中国を煽り(西側の台湾詣では其の大きな動きである)、更に先進半導体での中国閉じ込めを激化させるなど、有らゆる手段をつくして、中国に戦端を開かせようとしている。つまり、‹窮鼠猫を噛む›如くであるが、この場合の"猫"は中国の台湾攻めであり、結果、自由・民主主義への露骨な挑戦と見做され、米国流の大義名分作りの恰好の舞台となる。
米国は台湾を中国のアキレス腱と見て、2023年度の国防権限法(NDAA:National Defense Authorization Act (NDAA)でも、彼の手此の手と大胆に弄り回す。環太平洋合同演習(リムパック)に台湾を参加させるなど、中国に対し、これでもかとばかりの"あおり運転"を繰り返す米国である。
其のうえで、中国の台湾侵攻に備えるでは、異常なことである。
当然にして、中国は都度、「米国側の武器売却は『一つの中国』の原則と中米の三つの共同コミュニケ、特に『八・一七』コミュニケの規定に著しく違反するものだ。これは、『台湾独立』勢力への容認と支持であり、台湾海峡地区の平和と安定を破壊する行為だ。中国は、米国側に『一つの中国』の原則と中米の三つの共同コミュニケの規定を厳守し、『台湾独立』を支持しないという約束を守り、台湾への武器売却と米台の軍事的連携を停止し、台湾問題を慎重に処理するよう求める」(CRI2022-12-30)と。
他国の内政や主権、領土保全に干渉するために、其の執拗な攻撃は悪魔的である。其れは他国を軍事衝突の瀬戸際に追い込むサディスト国家としての仕業である。 更に米国は妄想や幻覚などの症状を呈した極めて正常性に欠ける国家である。
従って、「一つの中国」など、‹嘘も方便›という訳だ。
戦争こそ米国の稼ぎの源泉なのだ。カオスこそ米国の居場所でありネグラ(塒)なのだ。しかもその混沌は米国製なのだ。
西側は今や其の様な米国に似た言動を真似る、救い難い国々となっている。
従って中国は、鉤餌に釣り上げられずに、実力を蓄えつつ、‹待てば海路の日和あり›を決め込むべきである。
ウクライナ戦争でも判るように、西側ヨーロッパは、何のために、自国民を寒さと高物価に曝しているのだろうか。その上、核戦争にも怯えなければならないのか。
「米国がヨーロッパ人を苦しめている」と、ドゴールの孫ピエール・ド・ゴール氏。「ワシントンはモスクワに対する『経済戦争』で利益を得ている」と(US making Europeans suffer – de Gaulle’s grandson RT 2023.01.04)。
国内外の世論を操作し、虚偽の情報を流し続ける米国に、顎で扱き使われるのでは、自国民をいやすことなど、民主主義を貫徹することなど土台無理である。
米国政権は、順風を大時化空と観る、そして大時化空を順風と観る、滑稽な二枚舌の天邪鬼性を以て、覇者として君臨しようとする。
世界にとっては悲劇である。
西側の政治家は愚昧化している。
西側は西側の首魁、米国に国権を奪われ、自滅の道を歩んでいる。当然、米国自身にもじり貧は及ぶ。
よって中国の戦法は"のらりくらり"の戦法で、時折、軽いジャブを西側に打てばよいのではないか。
時間こそ中国の悠久の大地に満ちる天賦の資源なのだ。
そう、戦略的"寝た振り"も有りである。
例えば、ベネズエラのマドゥロ大統領は中国の今を的確に評している。「多国間主義が機能している。私は、習近平主席はこの世界における新時代の思想家だと信じている。習主席は、人類の運命共同体やグローバル安全保障システム、地球への配慮、調和のとれた共存、世界各国の人民と政府の相互補完と団結を強調し続けてきた。これは西側が主張する一極集中の覇権世界とは異なるものだ」と。(CMG、ベネズエラのマドゥロ大統領を独占取材 CRI 2022-12-25)
日本などは防衛費の負担能力が極端に痩せ干乾し状態となる。
しかし其の実現となると、‹無い袖›を振ってまで掻き集める醜態ぶりである。中でも東日本大震災の復興財源を掠め取るなどは、如何に国民を軽視し馬鹿にするやり方なのだろうか。
防衛増額の財源に2027年度以降約1兆円の増税を支持しないとの回答は64.9%に上る。また、復興財源の一部転用には反対が74.5%である。(全国世論調査 中日2022.12.19)
しかし不思議なことに、この国の特に野党、建設国債で軍備費を賄う財政状況であるにも拘わらず、‹重箱の隅を楊枝でほじくる›論議に集中している。
そもそも防衛費は其の本質からしても、建設国債に妥当するのか。
消耗品扱いではないのか。次から次へと進化発展する戦争手段、実用化の前に、或は二三年もしない内に、最新が中古になり、無用の長物となる、新陳代謝が激しい。
其のうえ、戦争でも始まれば、数か月の弾薬などの在庫は数日で消える。相手からの攻撃で恒久的に見える施設も廃墟となる。
米国に依存し、軍備拡張に頼り、"力"を持てば、夜郎自大が昂じて、機会を得て、武力行使を貫徹することになる。とてもじゃないが、将来に望みを託せることではない。
軍拡は戦争を招くだけだ。平和の礎になることはない。軍拡で国民の生命・財産を、国家を護るなど噴飯ものであり、殆ど白昼夢に等しい。
歴史が物語る。
例えば、先の大戦末期、昭和十九(1944年)年度軍事費予算、「大東亞戰は決戰段階入つた。五百億圓を超ゆる未曾有の大豫算」、「本豫算は二百一億圓、また臨時軍事費豫算は三百八十億圓、そのうち七十二億圓は一般會よ計り繰入れられてあるから、その分だけ差引くと二者合計五百九億圓、之を唱和十八年度に比すれば三割強の激増となり、かつて想像だも及ばなかつた超大豫算である」、「しかもこの巨額の豫算は今回のみならず今まで少しも外債に仰がず、擧げてわれら國民の力によつて賄はれたといふことは、今更ながらわが帝國の國力が如何に著しく發展し充實されたか、たヾ驚嘆するばかりである」と(『決戰期の日本』 下村宏 著 昭和十九年九月二十日初版發行 朝日新聞社)。
その充実、驚嘆の結果は、劇甚な被害、そして‹尾羽打ち枯ら›しての平和憲法の制定であった。
が、揉め事の火種は、上述した如く抱き合わせで米国が仕組んでいた。
防衛費の増額、その結果の増税負担、其の意味するところは、白昼堂々政府という"辻斬り"に遭い、憲法という名の国民が残殺されたことである。
辻斬りにその刀剣の切れ味、武術を練る、又とない機会を与え、‹奇貨居くべし›との念を起こさせたのは、ウクライナ戦争ではなかったか、或は"こじつけ"の台湾問題ではなかったか。
西側の雪崩現象的報道は、ロシアは憎しみそして悪の対象、ウクライナは可哀想そして正義の対象と為し、世間には此の構図から出るのを許さない羈絆とする。
つまり、メディアの声高に、先ずメディア自身が興奮し、善悪の判断力を失い、その荒い鼻息を国民に吹き付けるのだ。
そして西側世界は此の"正義"を代表する"間抜けの大統領"を、凱旋将軍を迎えるように遇し、歓呼と拍手で迎える。
日本のある野党党首、此の"間抜け"の愛国者振りに、一入感服する有様である。
つまり、大げさに云えば、この時点で、憲法は辻斬りの決然とした目標に定められた。与野党共に真の目標を見失い、敵を作る道を歩み始めた。
"バカ騒ぎ"に搔き消され、注意する者の声も届かずである。
防衛力増加は賛成、増税は嫌だと云い、国民は真昼の辻切りに手を貸した。1億2千万余の国民は崖っぷちに向かい行進を開始した瞬間でもある。
「皆さんの声に丁寧に耳を澄まし」も、「判断の背景をしっかり説明する努力」も欠けた岸田首相、出処進退の"処と進"を選んでいるようだ。
"処"、特に似非民主主義のG7内を奔走し、"進"、軍拡へ直走り、という訳だ。
"耳を澄まし、説明するなどは公務に携わる者の基本中の基本で、言わずもがなことだ。
憲法は「福利は国民がこれを享受する」、また地方自治法も「住民の福祉の増進を図ることを基本」と、何れも民の声に傾聴しなければ、なし得ない。
そして、更に憲法も、地方自治法も"説明"の文言を置く。
「新しい資本主義」、何やら、G7の瞞着策、新自由主義・グローバル企業の跋扈の反省のようにも考えられるが、誰かの踏襲である"御零れ頂戴"が具体的な中身のようだ。
「成長戦略」と「分配戦略」は、正に結果論の‹出た所勝負›なのだ。主たる分配の一つ"賃上げ"を経済界に強請る。
「市場に依存し過ぎたこと」を反省するなら、グローバル企業に与えた剝き出しの自由を、国家主権の下に再び置く政策を採らねばならないだろう。それでこそ、"健全な民主主義の危機"を乗り越える一歩であろう。
資本主義の危機を中国に助けられ、そして其の中国が今や、グローバル経済発展の旗を振っているのは、企業に失陥されるようなことがないからだ。その中国を囲い込み発展を阻害しようと、米国主導で西側は徒党を組み妄計を以て挑発する。
勿論、日本は米国のコピーであるからにして、其の言い草も、"自由、民主主義、人権、法の支配"との美名を以てなど、国際社会を欺く‹腹に一物›で全く信用がおけない。が、皮肉にも彼らが欺く対象は、彼らが口にする"自由、民主主義、人権、法の支配"下に在って、民主主義等に危機感を持つ西側国民なのだ。何故なら、その嫌味と化した枕言葉は、体制に自信を持つ名宛側には無視され、‹牛に経文›であり、却って、逆襲され、嘲笑いされている。‹頭の上の蠅も追えない›のにである。
それに一番にその美名を遵守せず、貶めているのは、西側、特にG7である。
敵基地攻撃能力等の操り語は、表現上の技巧に過ぎず、所謂、"戦争のできる普通の国"に憧れるという、倒錯した考えの政府は、憲法を足蹴にし、日米の軍事一体化を進ませる防衛協力の指針(ガイドライン)の改定に着手する。
恐らく改定される指針をも注意深く読めば、次のようなことが浮かぶのではないか。
嘗、「集団的自衛権の行使は禁止されているという冷戦時代の憲法解釈を見直せば、日米同盟、アジア全体への貢献になる」と、マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所上席副所長。
が、真っ逆さまである。“見直せば”アジア全体に一層の緊張が生じ、仮想敵国が現実の敵対国家となり、更なる軍拡競争下に置かれることは必定で、北東アジアを中心に新冷戦時代の幕開けとなる。
遡って、第34回国会の日米安全保障条約等特別委員会である。
*
安保条約第三条は【自助及び相互援助】で、「締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」と規定する。
大貫委員 「しかもこの条文は、隠れもないバンデンバーグの決議に基づいてその精神が盛られておることは、これは何人も疑いのないところであります。そのバンデンバーグの決議によれば、アメリカが相互援助をするためには、その相手国に必ずアメリカと協力して戦えるだけの武力を増強させるということがバンデンバーグの決議の精神のはずであります」
藤山国務大臣 「この第三条は、バンデンバーグ決議の趣旨を体してはおりますけれども、バンデンバーグ決議そのものと全く同じではございません」
大貫委員 「バンデンバーグ決議に基づいてできておることは、藤山外務大臣も今までの御答弁でお認めになっているはずです」
藤山国務大臣 「御承知の通り、バンデンバーグ決議の趣旨というものは、こういうような相互援助条約を結ぶ相手国が、自分の国は自分で守るという意欲を持ち、そうして、それに対する努力をしていくということが重大な問題でありまして」
一言で言えば、米国が日本を直接守るのではなく、要するに自助努力である。米国側は米国を守るために日本の基地を自由に利用できるよう種々便宜をはかってもらえればよいのである。
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(注:1948年6月11日バンデンバーグ共和党上院議員提案し採択された決議(Vandenberg Resolution(3.Association of the United States, by Constitutional process, with such regional and other collective arrangements as are based on continuous and effective self-help and mutual aid, and as affect its national security.)
尚詳細は、越水桃源「桃源閑話」の「汝、安保第五条を試す勿れ - 2012/12/24 18:10」に掲載しています。
ウクライナ軍は、米国が1ヶ月かけて製造する榴弾をわずか2日で消費するという。
「英仏戦争は百年戦った。しかし、その間に失った人の数、失うた兵器類の数は今日の一年どころではない、一月どころではない、一週間どころではない、恐らく或る一日の独ソ戦の分量よりもまだまだ遥かに少い ものであらう。」(『決戰期の日本』 下村宏 著 昭和十九年九月二十日初版発行 3頁)
日本は米国追随で"逆囲い込み"下となり、ヨーロッパ同様、貧なる状況が未来に待ち受ける。米国はNATO諸国に安保只乗り論を言い募り、GDPの2%を軍事費にと押し付けた。そこで日本も西側として遅ればせながら加わる。
しかし、防衛費増額の財源不足を増税で賄うために総選挙に出ても、やはり、‹無い物食おう›となる。
そこで野党よ、与党よ、‹打出の小槌›があるではないか。そう、"米国債"である。 アジア全体(3,391,188)の米国債の内、日本は(1,078,241)約31.8%を保有する(単位:百万ドル)(https://ticdata.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/slt3d.txt)。
外貨準備等の状況(令和3年12月末現在:令和4年1月11日財務省)から、外貨準備(a)証券1,143,851(単位:百万ドル)、日本円(132.25円/1ドル)にして、151兆2742億円である。実態を分析し、使用すべきである。
ドルを円にせず、其のまま、武器等代金をドルで米国に支払う仕組みにすることだ。
が、どうだろう。当時の橋本龍太郎首相、「米国債を売りたい衝動に駆られることがある」とに、「もし売るようなことがあれば(米国への)宣戦布告とみなすと脅された」との逸話が残る。(貿易摩擦と橋龍発言 米国債について回る「売りたい衝動」Quik Money World2018.05.02)
加えて中川昭一元財務大臣のことも何故か想起される。
国民を犠牲にしても、米国を試す勇気はないか。
まさか米国債は米国との交際費扱い並みで、貸しっぱなしではないだろう。
米国、蛇が象を呑み込み消化し切れず吐き出すようなことを、ロシア、そして懲りずに、中国も又呑み込もうとする。其のうちに蛇の腹が裂ける。
人心不足蛇呑象=人の心は飽く事を知らず恰も蛇が象を呑まんとするが如し。(『北京俗語兒典』)
中国よ、決して、ならず者国家と争うな。策は一つ、争わずば勝てる、である。それが民を国家を維持する際上策である。
"彼をならずと知り、己を善き意志と知れば、一戦もせずして殆うからず"と行こう。
亡國不可以復存、死者不可以復生、故明君愼之、良將警之、此安國全軍之道也、と孫子にある。が、非利不動、非得不用、非危不戰については、抑々考えるべきである。主不可以怒興師、將不可以慍而致戰、である。(『孫子』金谷治訳注 岩波文庫)
歴史忘れの日本は、万葉集にある大伴家持の歌を、又もや日本精神の精髄とばかり、声高にするのか。
海行かば水づく屍山ゆかば草むす屍
大君の邊にこそ死なめ顧みはせじ
(『見えざる敵 形而上戰』 松本末吉 著 昭和一八年三月二十日發行)
四囲は海、戦争になっても、日本人に避難の場所は無し。ただ死待つのみ。
それでも、白昼堂々の辻斬りを支えますか。
