讀書の境地2022年06月21日 10:27

20220621アジサイ
 『擁爐漫筆』市島謙吉著

 (111-115頁)
 讀 書 の 境 地 2022.06.21

 昔九州の某藩の儒者は、永く心懸けた佳書を得た時、大いに喜んで、這般の佳書は俗地で讀むべきでないと、藩に暇を請ふて、箱根の清閑の地に、十數日讀み耽つた事がある。一寸奇矯のやうであるが、讀書には確かに境地を選ぶ必要がある。騒音の喧しい市井でシンミリ書物に親しむ事は不可能である。讀書の場所は氣の散らない所で無ければならない。學校は讀書の場所となつてゐるが、教場のやうなザワザワした處は讀書には好適の場所では無い。由て多くの場合學校に附屬して圖書館があり、校外にも獨立の圖書館があつてそこは騒音を絶對に禁じ、椅子テーブル等に至るまで清潔を旨とし、居心地のよいやうに出來てゐる。學徒が就て讀書すべき境地はこゝである。曲亭馬琴の小説の批評家として知られた、讃岐高松藩の家老木村默老と云ふは、騒音の讀書を妨げる事を厭ふて、大きな鳥籠やうの物を作り、息ぬきだけ明けて紙で貼りつめ、中に小机と燈火を置き、その中で讀書したと云はれてゐる。如何さまこれも一つの工夫である。本居宜長の書齊は二階にあつて、讀書や著述中は、人の上り得ぬやう段梯を外したと傳へられてゐる。讀書家の最も厭ふのは俗用を帶びた客人が、頻々と來て讀書を中断せらるゝことである。種々の立志傅に、物置や倉庫に隠れて本を讀んだと云ふ苦學談があるが、讀書家は斯くまでして妨害を避けてゐる。讀書には清閑が必要であるのみならす、多くの時間の連續が必要である。そこで或人は温泉場を選び。或人は病院を選び、或人は當直の時を選ぶ等、區々であるが、温泉場の長滯在、入院や宿直の無聊を消す爲め、讀書に耽るのもよい方便である。
 獄中なども、獨房に居れば獨書の好適處である。易斷で知られてゐる高嶋呑象は、獄中で易を修めた。彼は自分の運命を占ふため、易の研讃を初め、長い間の改窮で得る所があつたと語つたが、死活の岐路に立つての懸命の研究であつたから、會得が出來たのであらう。頼山陽は若い時座敷牢に入れられて、詮方なしに歴史を修めた。あの長い禁足が無つたら、或は『日本外史』は出來なかつたかも知れんのだ。自分なども筆禍に罹つて入獄した時、許を得てヒスクの哲學書を携帶した。此書は二書で二千頁もある浩瀚のもので、到底數月の暇が無ければ讀過の出來ないものであるから、獄中の讀み物として選んだのであつたが、どうにか讀過したのは、他に何物も讀むものがなく、専ら之に沒頭したからである。
 旅行の船車の中も讀書の好適所である。旅舎も亦同様である。長時間語るに人なき汽車や船中に、何が寂寞を破るかと云へば、書物こそ好伴侶である。平生讀んで何等感じないものも、斯る場合に讀むと、ヒシヒシと感することがある。畢竟氣が散らず一心に讀み、且つ味ふからであらう。旅舎に數日滯在する時、孤㷀䔥然として、黙讀靜思するとシミジミ書味を感ずるのも、一書に専らで他の妨げを受けないからであらう。旅中に携帶すべき書物は何にても人々の好む所でよい。要は多くの書を携へないことである。多くの書を携帶すれば、氣が移つて専なることを得ない。可成は一書に限ることだ。
 姉崎正治博士は、内外の旅行に必らず詩歌の本を携へるを常とし、羇旅匇々の楊合は、簡單な讀み物に限ると云つて、漢詩を和歌に譯するのを旅情を慰める一法として居らるゝが詠歌は實に達者である。汽車旅行などで旅客の出入の頻繁である時などは、詩歌の如き簡單のものが最も適した讀みものであらう。併し旅行それ自身が讀書の如きもので、到る處の風物に接すれぱ見學で得る所が多い。但し見學を助けるには多少の書物が要る。地理歴史が第一必要である。土地の形勢やその歴史を如らねば何の感興も起らない。吉田博士の『大日本地名辭典』等は地理歴史共に備はれる好著であるが、尨大の本を携へるのが不便であるとて、或人は、幾十册に分册製本して、心要の分を鞄に携へる工夫をしたが倣ふべきである。地誌ばかりでなく、アソシエイテッド・ブックを携帶することも必要である。例へば水戸行には義公烈公の著、信州行には象山の著、借前行には熊澤蕃山、と云ふやうに、其土地の名家の書を携へ、其土地で讀むと一段の感興を覺える。
 宜教師牧師などが、如何なる場合でも聖書を携帯してゐるが、論語通の澁澤子爵は、どこに行くにも論語を離さなかつた。いつぞや避暑地に訪ふた時も、温泉場に訪ふた時も、几案の上にチャント論語が上げてあつた。多くの書物の内、己が最も信頼する書物を離さないのもよい心掛である。
 自分は青年期の事を此場合追憶するが、田舎に於て夏期に曝書をやるので、數日二三の座敷一杯に書物を曝らすことを例としたが、これが童心に此上ない愉快のことであつた。自分の家にどんな書物かあるかを知るのは此時であつた。自分は漫りに好む本を捜し出して、曝書の間に横臥して讀んだことだが、曝書期も、實は読書の好適期と云つてよい。自分は又圖書館の經營に當つて見たが、書庫にいろいろの圖書を漁るのも一興であつた。考證などをやる學者の、特に必要とするのは、書庫に入り自在に圖書を漁ることである。カードや書目などで書名を檢して借り出す煩ひを避け、自ら書庫で檢索すれば何でも出て來る。半日も書庫内を右往左往に檢索をつとめれぱ、大抵目的を達し得る。これも亦讀書の一境地として漏す可らざるものだ。

引用・参照・底本

『擁爐漫筆』市島謙吉著 昭和十一年三月十九日發行 書物展望社

(国立国会図書館デジタルコレクション)