濱口雄幸暗殺事件2022年08月14日 17:30

兇器乱舞の文化  明治・大正・昭和暗殺史 濱口雄幸
『明治・大正・昭和歴史資料全集. 暗殺篇』

 (五三九-五四四頁)
 濱口雄幸暗殺事件          2022.08.14

 東京驛頭で要撃さる(昭和五年十一月十五日 東京朝日新聞)

 濱口首相は十四日午前九時東京驛發超特急「つばめ」にて岡山縣下に擧行中の大演習陪觀に西下爲中島秘書官を同乘せしめ、自動車にて發車約三分前同驛着、多數の見送人に取囲まれながら八時五十八分プラツトフオームを前から六臺目の一等車に乘るため、五臺目の二等車の側をゆるやかに歩行中、突然一發の銃聲が起こつたと思ふと、首相ははたと忽ち兩眼をつぶり顔色さう白となり其の場に立ち止るなり兩腕をもつて腹部を固く抑へつつその塲に打ちすくまんとした、周圍の人々は、すはや首相が射撃されたと忽ち首相を圍んで混亂狀態に陥つた、犯人の兇漢は木綿茶じまの羽織に、はかまをはいた二十二三の壯士體の男で、豫てこの兇行を目論みフオームに入り込み首相のくるのを待てゐたものでモーゼル銃六連發を持ち首相等の一行が近づくや、氣づかれぬ間にほとんど折敷の構へで、僅々一間半の近間からねらひを定めて撃つたものであつた、ピストルの音はむしろ甚だ低く、それが爲兇行の瞬間には新聞寫眞のマグネシウムの音と思ふ者が多かつたが首相の右の有樣に、首相護衛の爲に來てゐた日比谷署員は首相只事ならずと、あたりを見ると驚くべし兇漢は第二發を撃たんとする身構へをしてゐたので、同署の中村高等主任は同人の右腕にしがみつき、また片岡、柿崎の兩刑事も直に飛び込んで犯人の左腕を捕へ、直ちに捕じようにて兩手首をしばりつけてその場に組み伏せ引きづりながら日比谷署に連行、更に警視廳に引致した。
〇彈丸は下腹部深く留まる――令息の輸血で體力を囘復
 一方首相は痛手に堪えかねるものゝ如くその場に崩折れたので、中島秘書官、鈴木内閣書記官長はじめ多勢の人々は極度の興奮と驚きのうちに首相を抱きあげ驛長室に擔ぎこんだ、首相は特別室のソフアーに伏し、暫し言語も明瞭であつたが、「ウーン」と二三回苦悶の聲を發し漸次衰弱した、驛からの急報により、附近の川島醫院、築地林病院、神田近藤病院より直に醫師かけつけ應急の手當に取りかゝつたが、彈丸は首相の下腹部へその下あたりに命中ししかもその彈は體内に殘つてゐことが確められ、重態である事が分り、これにより事態は一時に大きくなった。、首相の傷狀は右の如く重態なので、更に帝大外科鹽田博士、眞鍋主治醫、元帝大教授近藤博士に急ぎ來診を求め、陸海軍軍醫も驅けつけ、更に詳細に檢診の結果、下腹部の中に殘つてゐる彈丸は幸ひにして大血管を外れてゐる事を確めたね歐洲大戰の負傷兵の經験によれば、大血管を外れた彈丸によるかうした傷害は、患者が十時間を保ち得れば助かるといふ事になつてゐるといふので博士等も周圍の人々も幾分愁眉を開いた、しかしこの朝首相は重い朝食を攝つてゐるのでこのまゝにしておく事も案ぜられるので、一時はその場で假手術をする事になつたが衰弱さへ甚だしくなければ入院した上で手術するに如かずといふ事に一決し、首相次男日本勸業銀行員巌根氏の血約二百グラムを輸血した、その結果首相の容態は良好になつたので、帝大鹽田外科に運び手術する事になつた。
〇首相が撃れた瞬間
 この一大事を目撃せる人々の話を總合すると――犯人は最初プラツトフオームに上る階段の附近で狙撃せんとしたものの如く其の場を通りあわせた人の話では、妙な奴が首相に對し妙な素振りを示してゐると思ふ途端忽ち首相一行の先に廻つて階段をかけ上り案内のため先行してゐた驛長と助役をかきのけるやうにして足早やにフオームを前進した、そして最初六號に身體をもたれかけ、見送りの人々の陰にかくれて首相の近づくのを待ちかまへてゐた、首相の右には中島秘書官が、左には護衛の警官がつき添ひ首相はいつもの樣に平然として歩を運んだのであるが、首相の進む前方二間ばかりは全く誰もをらずにあいてゐた、從つて犯人がねらひ撃にすにはもつとも好都合の機會となつたのである、突然おこつた銃聲と共に混亂がおきて人々がハツと思った瞬間首相が苦悶の情を示したので、中島秘書官が「やられましたか」とおろおろしながら首相の體に手をかけると首相は「やられた」とたゞ一言發したのみであつた、(後略)
〇男子の本懐と語る――應急手當した平田醫師談
 濱口首相に應急手當を施した丸之内鐵道病院の平田鐵道醫は語る『傷口は人さし指大の傷で彈丸の入つてゐる所は不明であるが腎臟附近らしく、その爲に左脚がしびれてゐる、傷口はヘソの左三センチ下の所で内出血が甚しい、目下の所(午前十時半)意識は明瞭で「男子の本懐である時間は何時だ?」など聞いてゐるほどである』
〇手術の結果良好
 輸血で多少體力を囘復した首相はいよいよ帝大鹽田外科に移される事となり午前十一時二十五分擔架にのせられ、驛員二十名ばかりがかついで多數警官警戒中に寢臺自動車にのせられた、この時首相は頭から鼻の上まで白布をかぶり、大きな體を眞一文字に横たへてゐたが、ほゝから口邊にかけて顔色はみちがへるほどさう白となり、ごま鹽交りの口ひげばかり物々しく見受けられた、擔架の後からは夫人と令嬢がうつ向きがちについて行つたが人々は聲なく暗然として見送つた、首相をのせた寢臺自動車は午前十一時五十分帝大病院鹽田外科へ着いたが夏子夫人、令息巌根氏、中島秘書官はベツドに横つてゐる首相を注意深くかゝへ起し鹽田博士指揮の下にまづ消毒室で消毒を終つて後外科手術準備室に移された、院内はにはかに緊張して鹽田鹽田博士は腕利きの醫員數名と共に手術臺の前に立ち首相のフロツクコートを脱がせて局部を檢診し、直にレントゲンで彈丸の所在を確めた、この時手術室には夏子夫人と中島秘書官の二人だけが立會つたが彈の位置を確めると共に鹽田博士は自らメスをとり局部麻酔して手術に取かゝつた、手術は零時三十七分から午後二時まで約一時間半で終了したが手術の結果は一發の彈丸がヘソの右下から左に入り小腸七ケ所を傷けて鼠けい部の骨盤に達してゐる事が分つた腸を一尺ばかり切りそれを縫合せた後、十二號病室に引返した、手術後の經過は極めて良好で腹膜炎其の他の餘病を併發しなければ三週間位で全快するとの見込みが立つに至つた、彈丸は取りだされなかつたがそれは直に取り出さなくとも良い事が分つたので、二三日後に再手術して抜き取る模樣である、尚手術後再び巌根氏及中島秘書官から輸血を行つが首相は意識極めて明瞭で夏子夫人などと一言二言話が出來るほどで一同ホツトしてゐる。(後略)
 
引用・参照・底本

『明治・大正・昭和歴史資料全集. 暗殺篇 編者 平野晨 昭和七年十一月三日發行 有恒社

(国立国会図書館デジタルコレクション)