五・一五事件の製作者は米國2022年08月13日 11:11

横浜波戸場景色
『激動期に生く』清澤 洌 著

 第二、五・一五事件の社會的根據

 (39-41頁)
 (一) 五・一五事件の製作者は米國    2022.08.13

 五・一五事件の眞實の製作者はアメリカである。
 かう云ひ切ることは随分亂暴な論斷のやうである。しかしこの事を重大な前提とせずして、五・一五事件を諒解するのは困難だと思ふ。
 この事を論ずる前に斷つておきたいのは、私は滿州問題と五・一五事件とは、文明史的觀て二分すべからざる同根聯關の事件だと考へてゐることだ。松岡洋右氏は、滿州事變二周年記念のラジオ演説で、この二つは何れも『日本精神の爆發』だといつたが、この點は同感で『日本精神』が外に爆發したものが滿州問題であり、内に爆發したものが五・一五事件である。それはイデオロギーにおいて同じく、目標において同じく、又根本的構成分子において同じだ。故にその一つを批判するためには、必然に他の一つも視野に現はれて來ねばならぬ。そしてこの場合、重要視すべきは滿州事變とか、五・一五事件とかいふ個々の現象であるよりは、寧ろこれ等の事件に共通する要望と、動力である。
 これ等の事件が勃發して、何が故に野火のやうな燃燒性と、………………を國民の間に得たかといへば、それは國民の欲するところ、そしてその感情を表示したと見るの外はない。これは好むと好まざるとに拘はらず認めねばならぬところであつて、國民多數の支援なくして、いかなる運動と雖も、あれだけの發展性と大衆性があるものではない。
 それならば問題は、何が國民の感情を表示したかである。私は後でも説くやうにこれ等の事件は、本質的には沒落過程にある農民――範圍を擴げていへば中産階級の下層部が、經濟的破局を前にして、今まで認められなかつた闘爭力を特殊な形で示したものだと思ふ、即ち滿州事變
 も一種の農民運動である。しかしこの農民運動を擧國的な運動にしたのは、その中に強烈な對外不滿の感情を盛り、この點で國民的感情に照應したからだ。事實、近來の如何なる事件を觀ても、これだけ日本國民の對外不滿を表示したものはなく、それは滿州事變に始まつて、國際聯盟脱退を經、現在の對外感情に及んで、國民運動を特色づけてゐる。
 これに加へて教育の破綻がある。今までは唯物主義に發した西洋流の教育と、傳統に立つ日本主義の教育は、相抗爭する矛盾を隠してどうやらやつて來たが、時局の進展は最早それを不可能ならしめた。それもこれ等の事件に現はれて目立つた事實である。
 かう三つの事實――對外的不滿、農民の現狀打破の氣勢、それから教育の矛盾をあげて來ると、それは不思議にも五・一五事件の被告達が、法廷において異口同音に叫んだものなのである。かれ等は第一に無論、日本の對外位置に痛烈なる不満を現はし、第二に農村の現狀を痛嘆し、第三に所謂西洋流の教育を呪つて、日本主義教育の宣揚を強調したのであつた。
 私の立場は、常に一つの理由原因のみが社會的運動を決定すると觀るのを拒絶する。この三つが如何なる聯關をもつて、今度の事件に結びついたか。それを觀んとするのがこの文の目的である。

引用・参照・底本

『激動期に生く』清澤 洌 著 昭和九年七月十日發行 千倉書房

(国立国会図書館デジタルコレクション)