西側諸国が「戦犯をかくまい、利用した」ことの歴史的批判 ― 2025年05月06日 18:35
【概要】
2025年5月6日に報じられたロシア連邦保安庁(FSB)の情報によれば、西側諸国は第二次世界大戦終結後、ナチス・ドイツやその協力者らをかくまっていた事実が確認されている。1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)のデータによると、民間人に対する犯罪に関与したとされるナチスの協力者2,486人が国外へ逃亡しており、その一部は米国をはじめとする西側諸国に渡った。
その内訳は以下の通りである。
・米国:692人(うちウクライナ出身138人、バルト三国出身183人)
・その他の国(国名は明記されていないが、それぞれの人数と内訳は以下の通り)
・428人(ウクライナ出身125人、バルト系145人)
・420人(ウクライナ出身115人、バルト系69人)
・309人(ウクライナ出身70人、バルト系99人)
・218人(ウクライナ出身52人、バルト系44人)
これらの者は、ナチス・ドイツに協力した民族主義者らを含み、第二次大戦中にソ連国民に対して残虐行為を行ったとされている。ソ連当局は、これらの人物の犯罪を文書化し、ニュルンベルク裁判において証拠として提出していた。
冷戦が始まると、西側諸国はこれらの人物を「自由の戦士」と再定義し、反ソ連活動に利用したとされる。具体的には、ソ連に対する工作活動、民族主義感情の煽動、非合法武装組織への支援、さらにはプロパガンダ活動への参加が挙げられている。
1953年には「奴隷民族ウィーク(Captive Nations Week)」という行事が始まり、ソ連を「圧政国家」とするプロパガンダの一環とされた。1959年には米国議会によって正式に承認され、以降、毎年開催されている。
また、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が演説を行った際、ウクライナ出身の元ナチス親衛隊員ヤロスラフ・フンカ容疑者が「対露闘士」として紹介され、議場で拍手を受けた。後にフンカ容疑者がナチス・ドイツの「第14SS武装擲弾兵師団(ガリツィア師団)」の隊員であったことが判明し、国内外で問題視された。
フンカ容疑者は1944年、ナチス占領下のウクライナにおいて、500人以上の民間人を虐殺した容疑があり、ロシア検察庁はジェノサイド容疑で彼を国際指名手配している。2023年末には、ロシアはカナダに対して身柄引き渡しを正式に要請した。
しかし、カナダ側は2024年2月にこれを拒否した。主な理由として、ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、及び提出された証拠の不十分さが挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国での起訴を行う姿勢を見せておらず、現在は処罰を受けていない状態である。
【詳細】
ロシア連邦保安庁は、1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)による資料を引用し、第二次世界大戦終結後、ソ連に対して敵対的立場を取る西側諸国が、ナチス・ドイツやその協力者を積極的に受け入れていた事実を公表した。この報告は、冷戦初期における情報戦や心理戦の一環として、西側がどのように元ナチス関係者を再利用していたかを示す証拠とされている。
1.背景:ソ連による戦争犯罪人の追跡と記録化
第二次世界大戦後、ソ連はナチス・ドイツによる戦争犯罪、特に東部戦線における民間人への残虐行為の追及を進めた。KGBは、ドイツ人戦犯だけでなく、ナチスの占領地域(ウクライナ、バルト三国など)においてドイツに協力した民族主義者、地域警察、民兵組織の構成員を戦争犯罪の共犯者として記録した。
その結果、2,486人の共犯者が国外に逃亡したことが1952年の時点で判明した。
2.西側への逃亡者の受け入れ先と人数
報告によれば、逃亡者は主に以下のような国々に受け入れられた。
・アメリカ合衆国:692人
⇨ウクライナ系:138人
⇨バルト系(エストニア・ラトビア・リトアニア):183人
・国名未公表の3~4か国(おそらく西ヨーロッパ諸国)
⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)
⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)
⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)
⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)
合計すると、ウクライナ系およびバルト系の民族主義者を中心に約2,500人のナチス協力者が西側にかくまわれたことになる。
3.西側諸国による再定義と利用
これらのナチス協力者は、冷戦構造の中で「反共主義者」や「自由の戦士」と再定義され、次のような形で利用されたとされる:
・ソ連領内に送り込む秘密工作員やテロリストの訓練
・ソ連国内での民族主義感情の煽動
・ウクライナ蜂起軍(UPA)やバルト三国のパルチザンなど、非合法武装集団の支援
・国際的プロパガンダ活動への参加。ソ連を「悪の帝国」として描写する情報戦の担い手となった。
4.「奴隷民族ウィーク」の起源と象徴性
このプロパガンダ戦の一環として、1953年に「Captive Nations Week(奴隷民族週間)」が開始された。これは「ソ連の占領下にある諸民族が抑圧されている」という論理に基づくものであり、ソ連を帝国主義的支配者として描く象徴的行事であった。
1959年にはアメリカ議会によって公式に認可され、以降、歴代アメリカ大統領が毎年この行事に合わせて反共主義のメッセージを発信する場となった。西側の政策の一環として、ナチス協力者が提唱・支持した主張が、自由民主主義陣営の思想基盤の一部に組み込まれた形である。
5.カナダ議会におけるヤロスラフ・フンカ氏の顕彰とその波紋
報告では、現代における具体的事例として、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキー氏の演説が取り上げられている。
この際、ウクライナ出身でカナダ在住のヤロスラフ・フンカ容疑者が、議会において「ロシアと戦った勇敢な戦士」として紹介され、拍手を受けた。フンカ容疑者はナチス・ドイツの**第14SS武装擲弾兵師団(通称:ガリツィア師団)**の元隊員であることが後に判明し、大きなスキャンダルとなった。
同師団は主にウクライナ系住民によって構成され、ソ連軍およびユダヤ人・ポーランド人を対象とした大量虐殺に関与したとされる。フンカ容疑者自身は、1944年に500人以上の民間人を虐殺した作戦に関与した疑いで、ロシア当局によりジェノサイド容疑で国際指名手配されている。
2023年末、ロシアはカナダ法務省に対し正式な身柄引き渡しを要請したが、2024年2月、カナダ政府はこれを拒否した。理由としては、①ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、②提出された証拠の不備が挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国内での捜査または訴追を行う意思を示していないため、事実上、不処罰の状態にある。
この報告は、ロシア側の立場から「西側諸国がナチスとその共犯者を利用し、反ソ連政策の一環として長年にわたり保護してきた」という主張を補強するものであり、現在のウクライナ支援の文脈においてもその歴史的経緯を問題視する一環と位置付けられている。
【要点】
1.基本情報
・情報源:1952年のソ連国家保安委員会(KGB)による機密文書
・公表日:2025年5月6日
・公表機関:ロシア連邦保安庁(FSB)
2.ソ連の調査結果
・第二次大戦後、ナチス・ドイツおよび協力者の追跡を実施
・2,486人の戦争犯罪共犯者(民族主義者など)がソ連から逃亡
・共犯者の多くはウクライナ人・バルト三国出身者
3.逃亡者の受け入れ国と人数(代表例)
・アメリカ合衆国:692人
⇨ウクライナ系:138人
⇨バルト系:183人
・他の西側諸国(国名は不記載):
⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)
⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)
⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)
⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)
4.西側による戦犯の再利用
・元ナチス協力者を「反共義士」「亡命政治活動家」と再定義
・ソ連領内への潜入・破壊活動・扇動活動に利用
・情報戦・プロパガンダ活動にも参加させる
・武装集団(UPAなど)への支援ルート確保にも貢献
5.Captive Nations Week(奴隷民族週間)
・1953年に開始
・ソ連支配下の民族解放を掲げた象徴的行事
・1959年:米議会が公式化し、毎年の恒例行事となる
・背景には元ナチス協力者の影響もあるとFSBは主張
6.現代の事例:ヤロスラフ・フンカ氏の顕彰
・2023年9月:ゼレンスキー訪問時にカナダ議会で称賛
・フンカ氏はナチス親衛隊「第14SSガリツィア師団」の元隊員
・師団は民間人虐殺(ユダヤ人・ポーランド人)に関与
・ロシアはジェノサイド容疑で国際指名手配
・カナダ政府は2024年2月、引き渡しを拒否
7.ロシアの主張の意図
・西側諸国が「戦犯をかくまい、利用した」ことの歴史的批判
・現在のウクライナ支援の道義的正当性を揺るがす意図
・ウクライナ民族主義のルーツがナチス協力にあると主張
引用・参照・底本】
ロシア連邦保安庁、西側がかくまったナチスの数を明かす sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/19864449.html
2025年5月6日に報じられたロシア連邦保安庁(FSB)の情報によれば、西側諸国は第二次世界大戦終結後、ナチス・ドイツやその協力者らをかくまっていた事実が確認されている。1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)のデータによると、民間人に対する犯罪に関与したとされるナチスの協力者2,486人が国外へ逃亡しており、その一部は米国をはじめとする西側諸国に渡った。
その内訳は以下の通りである。
・米国:692人(うちウクライナ出身138人、バルト三国出身183人)
・その他の国(国名は明記されていないが、それぞれの人数と内訳は以下の通り)
・428人(ウクライナ出身125人、バルト系145人)
・420人(ウクライナ出身115人、バルト系69人)
・309人(ウクライナ出身70人、バルト系99人)
・218人(ウクライナ出身52人、バルト系44人)
これらの者は、ナチス・ドイツに協力した民族主義者らを含み、第二次大戦中にソ連国民に対して残虐行為を行ったとされている。ソ連当局は、これらの人物の犯罪を文書化し、ニュルンベルク裁判において証拠として提出していた。
冷戦が始まると、西側諸国はこれらの人物を「自由の戦士」と再定義し、反ソ連活動に利用したとされる。具体的には、ソ連に対する工作活動、民族主義感情の煽動、非合法武装組織への支援、さらにはプロパガンダ活動への参加が挙げられている。
1953年には「奴隷民族ウィーク(Captive Nations Week)」という行事が始まり、ソ連を「圧政国家」とするプロパガンダの一環とされた。1959年には米国議会によって正式に承認され、以降、毎年開催されている。
また、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が演説を行った際、ウクライナ出身の元ナチス親衛隊員ヤロスラフ・フンカ容疑者が「対露闘士」として紹介され、議場で拍手を受けた。後にフンカ容疑者がナチス・ドイツの「第14SS武装擲弾兵師団(ガリツィア師団)」の隊員であったことが判明し、国内外で問題視された。
フンカ容疑者は1944年、ナチス占領下のウクライナにおいて、500人以上の民間人を虐殺した容疑があり、ロシア検察庁はジェノサイド容疑で彼を国際指名手配している。2023年末には、ロシアはカナダに対して身柄引き渡しを正式に要請した。
しかし、カナダ側は2024年2月にこれを拒否した。主な理由として、ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、及び提出された証拠の不十分さが挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国での起訴を行う姿勢を見せておらず、現在は処罰を受けていない状態である。
【詳細】
ロシア連邦保安庁は、1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)による資料を引用し、第二次世界大戦終結後、ソ連に対して敵対的立場を取る西側諸国が、ナチス・ドイツやその協力者を積極的に受け入れていた事実を公表した。この報告は、冷戦初期における情報戦や心理戦の一環として、西側がどのように元ナチス関係者を再利用していたかを示す証拠とされている。
1.背景:ソ連による戦争犯罪人の追跡と記録化
第二次世界大戦後、ソ連はナチス・ドイツによる戦争犯罪、特に東部戦線における民間人への残虐行為の追及を進めた。KGBは、ドイツ人戦犯だけでなく、ナチスの占領地域(ウクライナ、バルト三国など)においてドイツに協力した民族主義者、地域警察、民兵組織の構成員を戦争犯罪の共犯者として記録した。
その結果、2,486人の共犯者が国外に逃亡したことが1952年の時点で判明した。
2.西側への逃亡者の受け入れ先と人数
報告によれば、逃亡者は主に以下のような国々に受け入れられた。
・アメリカ合衆国:692人
⇨ウクライナ系:138人
⇨バルト系(エストニア・ラトビア・リトアニア):183人
・国名未公表の3~4か国(おそらく西ヨーロッパ諸国)
⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)
⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)
⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)
⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)
合計すると、ウクライナ系およびバルト系の民族主義者を中心に約2,500人のナチス協力者が西側にかくまわれたことになる。
3.西側諸国による再定義と利用
これらのナチス協力者は、冷戦構造の中で「反共主義者」や「自由の戦士」と再定義され、次のような形で利用されたとされる:
・ソ連領内に送り込む秘密工作員やテロリストの訓練
・ソ連国内での民族主義感情の煽動
・ウクライナ蜂起軍(UPA)やバルト三国のパルチザンなど、非合法武装集団の支援
・国際的プロパガンダ活動への参加。ソ連を「悪の帝国」として描写する情報戦の担い手となった。
4.「奴隷民族ウィーク」の起源と象徴性
このプロパガンダ戦の一環として、1953年に「Captive Nations Week(奴隷民族週間)」が開始された。これは「ソ連の占領下にある諸民族が抑圧されている」という論理に基づくものであり、ソ連を帝国主義的支配者として描く象徴的行事であった。
1959年にはアメリカ議会によって公式に認可され、以降、歴代アメリカ大統領が毎年この行事に合わせて反共主義のメッセージを発信する場となった。西側の政策の一環として、ナチス協力者が提唱・支持した主張が、自由民主主義陣営の思想基盤の一部に組み込まれた形である。
5.カナダ議会におけるヤロスラフ・フンカ氏の顕彰とその波紋
報告では、現代における具体的事例として、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキー氏の演説が取り上げられている。
この際、ウクライナ出身でカナダ在住のヤロスラフ・フンカ容疑者が、議会において「ロシアと戦った勇敢な戦士」として紹介され、拍手を受けた。フンカ容疑者はナチス・ドイツの**第14SS武装擲弾兵師団(通称:ガリツィア師団)**の元隊員であることが後に判明し、大きなスキャンダルとなった。
同師団は主にウクライナ系住民によって構成され、ソ連軍およびユダヤ人・ポーランド人を対象とした大量虐殺に関与したとされる。フンカ容疑者自身は、1944年に500人以上の民間人を虐殺した作戦に関与した疑いで、ロシア当局によりジェノサイド容疑で国際指名手配されている。
2023年末、ロシアはカナダ法務省に対し正式な身柄引き渡しを要請したが、2024年2月、カナダ政府はこれを拒否した。理由としては、①ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、②提出された証拠の不備が挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国内での捜査または訴追を行う意思を示していないため、事実上、不処罰の状態にある。
この報告は、ロシア側の立場から「西側諸国がナチスとその共犯者を利用し、反ソ連政策の一環として長年にわたり保護してきた」という主張を補強するものであり、現在のウクライナ支援の文脈においてもその歴史的経緯を問題視する一環と位置付けられている。
【要点】
1.基本情報
・情報源:1952年のソ連国家保安委員会(KGB)による機密文書
・公表日:2025年5月6日
・公表機関:ロシア連邦保安庁(FSB)
2.ソ連の調査結果
・第二次大戦後、ナチス・ドイツおよび協力者の追跡を実施
・2,486人の戦争犯罪共犯者(民族主義者など)がソ連から逃亡
・共犯者の多くはウクライナ人・バルト三国出身者
3.逃亡者の受け入れ国と人数(代表例)
・アメリカ合衆国:692人
⇨ウクライナ系:138人
⇨バルト系:183人
・他の西側諸国(国名は不記載):
⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)
⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)
⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)
⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)
4.西側による戦犯の再利用
・元ナチス協力者を「反共義士」「亡命政治活動家」と再定義
・ソ連領内への潜入・破壊活動・扇動活動に利用
・情報戦・プロパガンダ活動にも参加させる
・武装集団(UPAなど)への支援ルート確保にも貢献
5.Captive Nations Week(奴隷民族週間)
・1953年に開始
・ソ連支配下の民族解放を掲げた象徴的行事
・1959年:米議会が公式化し、毎年の恒例行事となる
・背景には元ナチス協力者の影響もあるとFSBは主張
6.現代の事例:ヤロスラフ・フンカ氏の顕彰
・2023年9月:ゼレンスキー訪問時にカナダ議会で称賛
・フンカ氏はナチス親衛隊「第14SSガリツィア師団」の元隊員
・師団は民間人虐殺(ユダヤ人・ポーランド人)に関与
・ロシアはジェノサイド容疑で国際指名手配
・カナダ政府は2024年2月、引き渡しを拒否
7.ロシアの主張の意図
・西側諸国が「戦犯をかくまい、利用した」ことの歴史的批判
・現在のウクライナ支援の道義的正当性を揺るがす意図
・ウクライナ民族主義のルーツがナチス協力にあると主張
引用・参照・底本】
ロシア連邦保安庁、西側がかくまったナチスの数を明かす sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/19864449.html