西側諸国が「戦犯をかくまい、利用した」ことの歴史的批判2025年05月06日 18:35

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【概要】

 2025年5月6日に報じられたロシア連邦保安庁(FSB)の情報によれば、西側諸国は第二次世界大戦終結後、ナチス・ドイツやその協力者らをかくまっていた事実が確認されている。1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)のデータによると、民間人に対する犯罪に関与したとされるナチスの協力者2,486人が国外へ逃亡しており、その一部は米国をはじめとする西側諸国に渡った。

 その内訳は以下の通りである。

 ・米国:692人(うちウクライナ出身138人、バルト三国出身183人)

 ・その他の国(国名は明記されていないが、それぞれの人数と内訳は以下の通り)

 ・428人(ウクライナ出身125人、バルト系145人)

 ・420人(ウクライナ出身115人、バルト系69人)

 ・309人(ウクライナ出身70人、バルト系99人)

 ・218人(ウクライナ出身52人、バルト系44人)

 これらの者は、ナチス・ドイツに協力した民族主義者らを含み、第二次大戦中にソ連国民に対して残虐行為を行ったとされている。ソ連当局は、これらの人物の犯罪を文書化し、ニュルンベルク裁判において証拠として提出していた。

 冷戦が始まると、西側諸国はこれらの人物を「自由の戦士」と再定義し、反ソ連活動に利用したとされる。具体的には、ソ連に対する工作活動、民族主義感情の煽動、非合法武装組織への支援、さらにはプロパガンダ活動への参加が挙げられている。

 1953年には「奴隷民族ウィーク(Captive Nations Week)」という行事が始まり、ソ連を「圧政国家」とするプロパガンダの一環とされた。1959年には米国議会によって正式に承認され、以降、毎年開催されている。

 また、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が演説を行った際、ウクライナ出身の元ナチス親衛隊員ヤロスラフ・フンカ容疑者が「対露闘士」として紹介され、議場で拍手を受けた。後にフンカ容疑者がナチス・ドイツの「第14SS武装擲弾兵師団(ガリツィア師団)」の隊員であったことが判明し、国内外で問題視された。

 フンカ容疑者は1944年、ナチス占領下のウクライナにおいて、500人以上の民間人を虐殺した容疑があり、ロシア検察庁はジェノサイド容疑で彼を国際指名手配している。2023年末には、ロシアはカナダに対して身柄引き渡しを正式に要請した。

 しかし、カナダ側は2024年2月にこれを拒否した。主な理由として、ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、及び提出された証拠の不十分さが挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国での起訴を行う姿勢を見せておらず、現在は処罰を受けていない状態である。

【詳細】

 ロシア連邦保安庁は、1952年時点のソ連国家安全委員会(KGB)による資料を引用し、第二次世界大戦終結後、ソ連に対して敵対的立場を取る西側諸国が、ナチス・ドイツやその協力者を積極的に受け入れていた事実を公表した。この報告は、冷戦初期における情報戦や心理戦の一環として、西側がどのように元ナチス関係者を再利用していたかを示す証拠とされている。

 1.背景:ソ連による戦争犯罪人の追跡と記録化

 第二次世界大戦後、ソ連はナチス・ドイツによる戦争犯罪、特に東部戦線における民間人への残虐行為の追及を進めた。KGBは、ドイツ人戦犯だけでなく、ナチスの占領地域(ウクライナ、バルト三国など)においてドイツに協力した民族主義者、地域警察、民兵組織の構成員を戦争犯罪の共犯者として記録した。

その結果、2,486人の共犯者が国外に逃亡したことが1952年の時点で判明した。

 2.西側への逃亡者の受け入れ先と人数

 報告によれば、逃亡者は主に以下のような国々に受け入れられた。

 ・アメリカ合衆国:692人

  ⇨ウクライナ系:138人

  ⇨バルト系(エストニア・ラトビア・リトアニア):183人

 ・国名未公表の3~4か国(おそらく西ヨーロッパ諸国)

  ⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)

  ⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)

  ⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)

  ⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)

 合計すると、ウクライナ系およびバルト系の民族主義者を中心に約2,500人のナチス協力者が西側にかくまわれたことになる。

 3.西側諸国による再定義と利用

 これらのナチス協力者は、冷戦構造の中で「反共主義者」や「自由の戦士」と再定義され、次のような形で利用されたとされる:

 ・ソ連領内に送り込む秘密工作員やテロリストの訓練

 ・ソ連国内での民族主義感情の煽動

 ・ウクライナ蜂起軍(UPA)やバルト三国のパルチザンなど、非合法武装集団の支援

 ・国際的プロパガンダ活動への参加。ソ連を「悪の帝国」として描写する情報戦の担い手となった。

 4.「奴隷民族ウィーク」の起源と象徴性

 このプロパガンダ戦の一環として、1953年に「Captive Nations Week(奴隷民族週間)」が開始された。これは「ソ連の占領下にある諸民族が抑圧されている」という論理に基づくものであり、ソ連を帝国主義的支配者として描く象徴的行事であった。

 1959年にはアメリカ議会によって公式に認可され、以降、歴代アメリカ大統領が毎年この行事に合わせて反共主義のメッセージを発信する場となった。西側の政策の一環として、ナチス協力者が提唱・支持した主張が、自由民主主義陣営の思想基盤の一部に組み込まれた形である。

 5.カナダ議会におけるヤロスラフ・フンカ氏の顕彰とその波紋

 報告では、現代における具体的事例として、2023年9月にカナダ議会を訪問したウクライナ大統領ウォロディミル・ゼレンスキー氏の演説が取り上げられている。

 この際、ウクライナ出身でカナダ在住のヤロスラフ・フンカ容疑者が、議会において「ロシアと戦った勇敢な戦士」として紹介され、拍手を受けた。フンカ容疑者はナチス・ドイツの**第14SS武装擲弾兵師団(通称:ガリツィア師団)**の元隊員であることが後に判明し、大きなスキャンダルとなった。

 同師団は主にウクライナ系住民によって構成され、ソ連軍およびユダヤ人・ポーランド人を対象とした大量虐殺に関与したとされる。フンカ容疑者自身は、1944年に500人以上の民間人を虐殺した作戦に関与した疑いで、ロシア当局によりジェノサイド容疑で国際指名手配されている。

 2023年末、ロシアはカナダ法務省に対し正式な身柄引き渡しを要請したが、2024年2月、カナダ政府はこれを拒否した。理由としては、①ロシアとの間に犯罪人引渡し条約が存在しないこと、②提出された証拠の不備が挙げられている。また、カナダ政府はフンカ容疑者に対して自国内での捜査または訴追を行う意思を示していないため、事実上、不処罰の状態にある。

 この報告は、ロシア側の立場から「西側諸国がナチスとその共犯者を利用し、反ソ連政策の一環として長年にわたり保護してきた」という主張を補強するものであり、現在のウクライナ支援の文脈においてもその歴史的経緯を問題視する一環と位置付けられている。
 
【要点】

1.基本情報

 ・情報源:1952年のソ連国家保安委員会(KGB)による機密文書

 ・公表日:2025年5月6日

 ・公表機関:ロシア連邦保安庁(FSB)

 2.ソ連の調査結果

 ・第二次大戦後、ナチス・ドイツおよび協力者の追跡を実施

 ・2,486人の戦争犯罪共犯者(民族主義者など)がソ連から逃亡

 ・共犯者の多くはウクライナ人・バルト三国出身者

 3.逃亡者の受け入れ国と人数(代表例)

 ・アメリカ合衆国:692人

  ⇨ウクライナ系:138人

  ⇨バルト系:183人

 ・他の西側諸国(国名は不記載):

  ⇨428人(ウクライナ系125人、バルト系145人)

  ⇨420人(ウクライナ系115人、バルト系69人)

  ⇨309人(ウクライナ系70人、バルト系99人)

  ⇨218人(ウクライナ系52人、バルト系44人)

 4.西側による戦犯の再利用

 ・元ナチス協力者を「反共義士」「亡命政治活動家」と再定義

 ・ソ連領内への潜入・破壊活動・扇動活動に利用

 ・情報戦・プロパガンダ活動にも参加させる

 ・武装集団(UPAなど)への支援ルート確保にも貢献

 5.Captive Nations Week(奴隷民族週間)

 ・1953年に開始

 ・ソ連支配下の民族解放を掲げた象徴的行事

 ・1959年:米議会が公式化し、毎年の恒例行事となる

 ・背景には元ナチス協力者の影響もあるとFSBは主張

 6.現代の事例:ヤロスラフ・フンカ氏の顕彰

 ・2023年9月:ゼレンスキー訪問時にカナダ議会で称賛

 ・フンカ氏はナチス親衛隊「第14SSガリツィア師団」の元隊員

 ・師団は民間人虐殺(ユダヤ人・ポーランド人)に関与

 ・ロシアはジェノサイド容疑で国際指名手配

 ・カナダ政府は2024年2月、引き渡しを拒否

 7.ロシアの主張の意図

 ・西側諸国が「戦犯をかくまい、利用した」ことの歴史的批判

 ・現在のウクライナ支援の道義的正当性を揺るがす意図

 ・ウクライナ民族主義のルーツがナチス協力にあると主張

【引用・参照・底本】

ロシア連邦保安庁、西側がかくまったナチスの数を明かす sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/19864449.html

再生可能エネルギー発電事業者の倒産2025年05月06日 19:28

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【概要】

 2025年5月6日に帝国データバンクが発表したレポートによれば、2024年度における再生可能エネルギー発電事業者の倒産件数は8件であり、前年から倍増した。また、休廃業・解散を含めると52件に達し、再エネ関連事業からの撤退事例として過去最多となった。

 過去5年間の倒産件数は合計で19件である。その内訳は、太陽光発電事業者が7件で最多となり、次いで木質バイオマス発電が4件、火力発電が3件、風力発電が2件と続く。

 これらの背景には、発電所の維持管理費用や発電コストが当初の見込みを上回ったことがある。また、再生可能エネルギーによって発電された電力を国が固定価格で買い取る制度である「固定価格買取制度(FIT制度)」において、買取価格が引き下げられたことにより、採算が取れなくなるケースが増加したとされる。

 なお、FIT制度は2012年に導入され、事業の種類や規模に応じて10年から20年間適用される。制度開始から10年以上が経過し、今後は多くの事業者において補助金期間が終了する見通しである。

 レポートでは、FIT制度を収益の前提とした事業モデルに依存する再エネ発電事業者については、今後も市場からの淘汰が進行する可能性があると指摘している。

【詳細】

 1. 倒産および撤退件数の推移と特徴

 2024年度における再生可能エネルギー発電事業者の倒産件数は8件であり、前年の4件から倍増した。これに**休廃業(事業活動の停止)および解散(法人の清算)**を加えると、合計52件となり、過去最多の撤退事例となった。

 なお、過去5年間における倒産件数は累計19件であり、その内訳は以下のとおりである。

 ・太陽光発電:7件

 ・木質バイオマス発電:4件

 ・火力発電(再エネではないが関連企業として分類):3件

 ・風力発電:2件

 ・その他:3件(内容不明または混合型と推定)

 倒産した事業者は、中小規模の企業が大半を占め、地方自治体との共同事業や地域分散型の発電所運営を行っていたケースが多い。

 2. 倒産・撤退の主因

 倒産や事業撤退が相次いだ背景には、以下の三点があるとされている:

 (1) FIT制度の買取価格引き下げ

 固定価格買取制度(FIT制度:Feed-in Tariff)は、再生可能エネルギーの普及を目的として、2012年に導入された。発電事業者が発電した電力を、国が一定期間にわたり固定価格で買い取ることを保証する制度である。この制度により、事業者は初期投資回収の見通しを立てやすくなり、再エネ事業への参入が一時的に拡大した。

 しかし、制度導入当初と比較して買取価格は段階的に引き下げられており、特に太陽光発電では大幅に低下した。結果として、新規事業の採算性が低下し、既存事業者にとっても設備維持費や修繕費を吸収できない構造となっている。

 (2) FIT期間終了に伴う収益悪化

 FIT制度の適用期間は事業の種類や規模により異なり、10年から20年に設定されている。2012年の制度開始から10年以上が経過し、早期に参入した事業者の多くで補助期間が終了し始めている。この結果、買取価格が市場価格へ移行し、従来の収益モデルが維持不能となっている。

 (3) 発電コストと維持管理費の上昇

 多くの再エネ事業者において、特に地方に設置された中小規模の発電所では、機器の老朽化による保守費の増加や、土地の管理コストが予想以上にかかるケースが報告されている。加えて、円安や資材価格の高騰による設備更新コストの上昇も、経営に打撃を与えている。

 3. 今後の見通し

 帝国データバンクは、レポートの中で次のように指摘している。

 ・FIT制度を前提としたビジネスモデルに依存する事業者は、今後も淘汰が進行する可能性が高い。

 ・今後はFIT終了後も収益を確保できるような、電力の市場販売(卸市場やPPA=電力購入契約)や、自家消費型の発電モデルへの転換が求められる。

 ・また、政府や地方自治体による脱炭素社会の推進政策に連動する新たな支援制度の動向も、今後の再エネ事業の成否を左右すると考えられる。

 4. 補足:再エネ政策の転換期

 再生可能エネルギーは、脱炭素社会の実現に不可欠とされる一方で、補助金依存からの脱却と市場競争力の確立が課題となっている。特にFIT制度の出口戦略が明確でなかったことが、事業者の経営に混乱をもたらした一因とされている。今後は、FIP制度(市場価格連動型支援)や非FIT型ビジネスの活用が進むかが注目される。
 
【要点】

 1.倒産・撤退の概要

 ・2024年度の再生可能エネルギー発電事業者の倒産件数は8件であり、前年(4件)の倍増となった。

 ・休廃業・解散を含めた撤退件数は52件であり、過去最多を記録した。

 ・過去5年間の倒産件数は合計19件で、発電方式別の内訳は以下のとおりである:

  ⇨太陽光発電:7件(最多)

  ⇨木質バイオマス発電:4件

  ⇨火力発電(再エネ関連企業含む):3件

  ⇨風力発電:2件

  ⇨その他または混合型:3件

 2.倒産・撤退の主な要因

 ・FIT制度による固定価格買取の引き下げが進み、採算が取れなくなった事業者が増加した。

 ・FIT制度の適用期間終了により、補助金が打ち切られた後の収益確保が困難となった。

 ・設備の老朽化や管理コストの増加により、維持費が当初想定を上回るケースが多発した。

 ・原材料費や資材費、部品交換などのコスト増大により、経営が圧迫された。

 ・小規模・地方の事業者を中心に、市場価格での電力販売体制が未整備であった。

 3.FIT制度の制度的背景

 ・FIT制度(固定価格買取制度)は2012年に導入され、一定期間(10~20年)、国が再エネ電力を固定価格で買い取ることを保証する制度である。

 ・導入当初は高額な買取価格が設定されていたが、制度開始後に段階的に引き下げられている。

 ・FIT終了後は、市場連動価格またはPPA(電力購入契約)などへ移行する必要がある。

 4.今後の見通し

 ・FIT制度を前提とする再エネ事業者は、制度終了とともに収益基盤を失い、淘汰が進行する可能性が高い。

 ・生き残るためには、以下のような転換が求められる:

  ・電力の市場販売(卸売市場等)への適応

  ・自家消費型発電モデルへの転換

  ・FIP制度(市場価格+プレミアム)への移行

  ・需要家との長期PPA契約の確保

 ・国や自治体による新たな支援制度の整備動向が、事業者の将来に影響を及ぼす。

【参考】

 ☞ FIT制度(固定価格買取制度)の仕組み

 ・正式名称:再生可能エネルギーの固定価格買取制度(Feed-in Tariff, FIT)

 ・制度開始年:2012年7月

 ・目的:再生可能エネルギーの導入を促進するため、発電された再エネ電力を一定期間・一定価格で買い取ることを国が義務づけ、事業者の初期投資を保護する。

 ・買取義務者:電力会社(一般送配電事業者)が、国の定める価格で一定期間にわたって買取を行う。

 ・買取期間

  ⇨太陽光(10kW以上):20年間(例外あり)

  ⇨風力:20年間

  ⇨バイオマス:20年間

  ⇨小水力:20年間 など

 ・買取価格:制度開始当初は高めに設定されていた(例:2012年度の住宅用太陽光で42円/kWh)が、年々引き下げられている。

 ・コスト負担の仕組み:再エネ賦課金として、電気使用者(国民・企業)が電気料金の中で間接的に負担している。

 ☞ FIT制度の限界と課題

 ・制度開始当初の高価格設定が、国民負担(再エネ賦課金)の増加を招いた。

 ・投資目的での参入が相次ぎ、一部では品質の低い発電所や投資のみを目的とする「野立て太陽光」なども見られた。

 ・電力需給の柔軟性が低く、市場価格を無視した固定買取が制度として限界に達しつつある。

 ・買取期間終了後の出口戦略がない事業者が多く、FIT終了と同時に倒産・撤退する例が増えている。

 ☞ FIP制度(Feed-in Premium)の仕組みと移行の背景

 ・制度開始年:2022年4月(一部対象)

 ・目的:再エネ発電事業者に市場への主体的参加を促し、市場価格に連動した経済合理性を再エネにも適用する。

 ・基本構造

  ⇨発電した電力を市場(卸電力取引所等)で販売する。

  ⇨その市場価格に対して「プレミアム」(補助額)を上乗せする。

  ⇨プレミアム額は、事前に国が定めた「基準価格」と市場価格の差額として支払われる。

 ・例

  ⇨基準価格:15円/kWh

  ⇨市場価格:10円/kWh

  ⇨プレミアム:5円/kWh(=15−10)

  ⇨事業者の実質受取価格:10円(市場)+5円(プレミアム)=15円/kWh

 ☞ FITとFIPの主な違い

 ・項目  FIT制度     FIP制度

 電力の売り先  電力会社が全量買取 市場で販売(JEPX等)
 価格の決定  国が固定価格で設定 市場価格+プレミアム
 リスク負担  国(国民負担)     事業者(価格変動リスクを負う)
 事業者の主体性 低い(受動的)     高い(能動的)
 インセンティブ 投資回収重視     市場競争参加を促す

 ☞ FIP制度への移行状況と課題

 ・FIT制度に代わる形で、2022年度以降の新規認定案件の多くがFIP制度に移行している。

 ・FIP制度への適応には以下の課題が存在する。

  ⇨市場価格の変動リスクを事業者が直接負担するため、収益が不安定になる可能性がある。

  ⇨電力取引の知識やシステム投資が必要で、中小事業者には参入障壁となる。

  ⇨運転開始済みの旧FIT案件については、FIPへの移行インセンティブや補助が十分ではない。

 ☞ 今後の展望

 ・国は、将来的にFITからFIPへの完全移行を想定しており、再エネの市場競争力の向上を狙っている。

 ・FIT終了後の事業者に対しては、FIPへの円滑な移行を促すため、情報提供や支援策の充実が求められている。

 ・一方で、電力価格の高騰・下落が頻繁な状況では、再エネ事業の収益安定性が低下し、市場の淘汰がさらに進行する可能性がある。

【参考はブログ作成者が付記】

【引用・参照・底本】

再エネ発電所の倒産が過去最多 補助金前提の企業は淘汰 sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/19864962.html

大祖国戦争(第二次世界大戦のソ連における呼称)の人口損失2025年05月06日 19:45

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【概要】

 2025年5月6日、ロシア連邦安全保障会議のセルゲイ・ショイグ議長は、ロシスカヤ・ガゼータ紙に寄稿した記事において、大祖国戦争(第二次世界大戦のソ連における呼称)がソビエト連邦にもたらした人口損失について分析を行った。

 ショイグ議長によれば、戦争における軍事行動による直接的な人的損失は約2700万人に達した。これに加えて、飢餓や病気などの戦争に付随する要因による間接的損失は650万人とされている。また、戦争で負傷し、身体に障害を負った数百万人の人々も、戦後ほどなくして死亡したとされる。

 さらに、戦時中の子供の死亡数は約800万人に達し、出生率は1550万人分減少した。この出生数の減少も、戦争が社会にもたらした間接的損失の一部として考慮されている。

 これらの数値を合算すると、大祖国戦争によってソ連が被った直接的および間接的な人口損失は、おおよそ5000万人に上るとショイグ議長は結論づけている。

 この見解は、戦争の被害を総体的に評価しようとする試みであり、直接的な戦死者数に加えて、戦争が社会構造や人口動態に与えた影響までをも含めた広義の損失として提示されている。

【詳細】

 セルゲイ・ショイグ議長がロシスカヤ・ガゼータ紙に寄せた寄稿記事において示された「大祖国戦争によるソビエト連邦の人口損失約5000万人」という数値は、従来の一般的な理解(戦死者約2700万人)を大きく上回るものであり、人的損失の定義を拡張し、総合的な人口影響までを含めた分析に基づいている。

 以下に、ショイグ議長の主張する各要素について詳述する。

 ① 軍事行動による直接的損失:2700万人

 これは従来からソ連政府やロシアの公的見解として提示されてきた数字であり、戦場での戦死者、空襲や包囲戦による民間人の死者などが含まれている。最大の激戦地であったスターリングラード、レニングラード、モスクワ攻防戦などの死者数が突出しており、特に都市部での包囲による餓死や砲撃による死傷が深刻であった。

 ② 飢餓・疾病などによる間接的損失:650万人

 戦時中、食料の配給制度は破綻し、多くの都市や農村で飢餓が発生した。特に1941年から1944年にかけてのレニングラード包囲戦では、都市全体が孤立状態に置かれ、飢餓と寒さにより100万人以上が死亡したと推定されている。また、医療インフラが崩壊したことにより、戦傷の適切な治療を受けられず死亡した例や、チフス・赤痢などの感染症による死者も多かった。

 ③ 戦傷による後年の死亡:数百万人

 戦争で重度の負傷を負い、身体に障害を残した者の多くは、戦後も十分な社会福祉を受けられず、数年以内に死亡したとされる。こうした人々は公式の戦死者数には含まれていないが、戦争の直接的帰結として考えられる。このような戦傷者は、統計上「生存者」として処理されていたが、ショイグ議長はこれを「事実上の損失」とみなして計上していると解される。

 ④ 子供の死亡:800万人

 戦争中、多くの子供が爆撃や飢餓、感染症などにより命を落とした。また、戦災孤児となり、生き延びる手段を持たなかった子供も多く、その正確な数は把握困難とされてきたが、800万人という数値は戦争が未来世代に及ぼした影響を象徴的に示している。

 ⑤ 出生数の減少:1550万人

 戦争によって多くの若年男性が動員され、また家庭生活が崩壊したことにより、出生率が大幅に低下した。ショイグ議長はこの「失われた出生」を、戦争によって本来生まれるはずだった人口の損失として捉えている。この考え方は、人口統計学における「潜在的損失」(潜在出生数)という概念に近い。

 総計:約5000万人の人的損失

 上記のすべてを合算すると、大祖国戦争によってソ連が失った人口は約5000万人に達する。これは当時のソ連の総人口の約30%に相当する規模であり、歴史的な国家崩壊に匹敵する水準の人的被害である。

 この数字には、単なる戦死者数を超えた「戦争が社会全体にもたらした人口的ダメージ」を捉える意図が含まれており、政治的、歴史的な意味合いとして、戦争の惨禍を強調するものであると位置づけられる。
 
【要点】

 1.軍事行動による直接的損失: 約2700万人

 ・戦場での戦死者や空襲・包囲戦による民間人の死者が含まれる。

 2.飢餓・病気などによる間接的損失: 約650万人

 ・食料不足や感染症による死者が含まれる。特にレニングラード包囲戦が影響。

 3.戦傷による後年の死亡: 数百万人

 ・重傷を負った者が戦後も治療を受けられず死亡。

 4.子供の死亡: 約800万人

 ・爆撃、飢餓、病気などで命を落とした子供たち。

 5.出生数の減少: 約1550万人

 ・戦争により若年男性が動員され、出生率が大幅に低下。

 6.総計: 約5000万人

 ・直接的および間接的な人口損失を合算した結果、ソ連の人的損失は約5000万人に達する。

【参考】

 ☞ 大祖国戦争(1941~1945年)後のソビエト連邦における戦後復興および人口回復に関する主要なデータと動向

 戦後復興に関する主な動向

 1.インフラの壊滅

 ・約1710の都市、7万以上の村落、3万4000の工場が破壊または損傷(1945年時点)。

 ・鉄道や橋梁など交通インフラも広範に破壊され、輸送能力は戦前比で半減。

 2.第4次五カ年計画(1946~1950年)

 ・工業と重工業の復興を優先。国防関連産業の再建も含む。

 ・国家による計画経済の下、急速な生産回復を実現。

 ・1950年には工業生産が戦前水準(1940年)をほぼ回復。

 3.農業の停滞と困難

 ・男性労働力の不足により農業生産は深刻な打撃を受けた。

 ・1946年には干ばつと飢饉が発生し、数十万人規模の餓死者を出した。

 4.人的資源の再編:

 ・女性と少年が労働力の中核を担う。

 ・戦争孤児・負傷者の収容と就労支援が国家的課題となる。

 人口回復に関する主なデータ

 1.戦後人口推移(ソ連全体):

 ・1940年:約1億9600万人

 ・1950年:約1億7900万人(戦前水準に回復せず)

 ・1960年:約2億0900万人(ようやく戦前水準を大きく上回る)

 ・人口自然増は鈍化しつつも、1950年代後半から加速。

 2.出生率の回復

 ・戦後数年間は出生率が低迷(特に1945~47年は大きく減少)。

 ・1950年代前半より回復傾向。ただし戦争世代の男女比不均衡(女性超過)が影響。

 3.男女比の異常

 ・戦後の人口構成では、成人男性の大幅な減少が長期的影響を及ぼした。

 ・1959年の国勢調査でも女性比率が顕著(女性100に対して男性89程度)。

 4.移住・再定住政策

 ・東部地域(シベリア・中央アジア)への労働力移送が進められた。

 ・バルト諸国や西部ウクライナへのスラヴ系人口の再配置も実施。

 評価と影響

 1.人口構造のゆがみ

 ・戦争による「失われた世代」の存在が、その後の出生動向や労働力構成に影を落とした。

 2.社会復興の負担

 ・多くの家庭が戦争未亡人や孤児を抱え、国家の社会保障制度が圧迫された。

 3.政治的利用

 ・戦後の人口損失と復興努力は、ソ連政府によって「英雄的克服」として喧伝された。

【参考はブログ作成者が付記】

【引用・参照・底本】

大祖国戦争によるソ連の「人的損失」は約5000万人=露安全保障会議議長 sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/5000-19863609.html?rcmd_alg=collaboration2

総務省:全国の自治体一般職職員対象のカスハラ調査2025年05月06日 22:26

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【概要】

 総務省が2024年11月から12月にかけて実施した調査によると、全国の自治体一般職職員のうち、過去3年間に住民などからいわゆる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」を受けた経験があると回答した者は35.0%に上った。

 調査対象は、全国388の自治体に勤務する一般職の職員2万人であり、無作為に抽出された。回答は1万1507人から得られ、回収率は57.5%であった。

 部門別に見ると、「広報広聴」部門では66.3%がカスハラを受けたと回答しており、最も高い割合を示した。「各種年金保険関係」および「福祉事務所」もそれぞれ61.5%と高水準であった。

 カスハラの具体的な内容については複数回答方式で聴取されており、「継続的な、執ような言動」が72.3%で最多となり、「威圧的な言動」が66.4%で続いた。このほかにも、「長時間の拘束」や「人格を否定するような発言」などが挙げられている。

 一方、厚生労働省が2023年度に実施した、民間企業や団体の従業員を対象とする類似の調査では、顧客などからカスハラを受けたことがあると回答した者は10.8%にとどまっており、自治体職員における経験率の方が顕著に高い結果となった。

【詳細】

 総務省が2024年11月から12月にかけて実施した本調査は、自治体職員におけるカスタマーハラスメント(以下、カスハラ)の実態を把握するために行われたものであり、全国の市区町村および都道府県の388自治体に勤務する一般職の職員2万人を無作為に抽出し、郵送またはオンラインでアンケートを実施した。最終的に1万1507人から有効な回答を得ており、回収率は57.5%であった。

 本調査によれば、過去3年間に住民等からカスハラを受けた経験があると答えた者は全体の35.0%にのぼる。この割合は、自治体職員における対住民対応の業務において、一定の頻度でハラスメントが発生している現状を示している。

 部門別に見ると、特に住民と直接的なやり取りの多い業務において被害割合が高い傾向が顕著であった。「広報広聴」部門においては66.3%と最も高く、これは住民からの意見や苦情を受付ける業務の性質上、感情的な言動にさらされやすいことが背景にあると考えられる。「各種年金保険関係」および「福祉事務所」の各部門も61.5%と高率を示しており、生活や経済に直結する相談業務において、住民の不満や怒りが職員に向けられる傾向があることを反映している。

 カスハラの具体的な内容としては、「継続的な、執ような言動」が72.3%で最多となっており、特定の住民から同じ内容を繰り返し、長期間にわたって言い続けられるケースが多いことが示された。次に多かったのは「威圧的な言動」で66.4%であり、怒鳴る、大声で責める、机を叩くといった行為が該当する。「人格を否定する発言」(48.3%)、「業務と無関係なプライベートに関する言及」(21.0%)なども一定数報告されており、職員の尊厳や安全が脅かされる場面も少なくない。

 また、カスハラの結果として「精神的苦痛を感じた」と回答した職員は84.3%にのぼっており、業務への支障を来すだけでなく、メンタルヘルス上のリスクも深刻であることがうかがえる。「病院に通うことになった」(4.6%)、「休職を余儀なくされた」(1.1%)など、実際に健康被害に至ったケースも存在する。

 参考までに、厚生労働省が2023年度に実施した民間企業や団体における同様の調査では、カスハラの被害経験を有する者の割合は10.8%であり、自治体職員の35.0%という数値と比較すると3倍以上の開きがある。このことから、住民対応の最前線に立つ自治体職員が、民間企業以上に過酷な対応業務に従事している実態が浮き彫りとなった。

 総務省は本調査結果を踏まえ、今後、自治体におけるハラスメント防止マニュアルの整備、相談窓口の設置、研修の充実といった対策を促進する方針である。制度面および組織文化の両面からの対応が求められている。 

【要点】

 調査概要

 ・実施主体:総務省

 ・実施期間:2024年11月〜12月

 ・対象:全国388自治体に勤務する一般職の職員2万人(無作為抽出)

 ・有効回答数:1万1507人(回収率57.5%)

 主な調査結果

 ・カスハラ経験率:全体の35.0%が過去3年間にカスハラを受けたと回答

 ・民間企業との比較:厚生労働省調査(2023年度)では民間側の経験率は10.8%、自治体職員は民間の約3倍以上の被害率

 部門別の被害経験率(上位)

 ・「広報広聴」:66.3%

 ・「各種年金保険関係」:61.5%

 ・「福祉事務所」:61.5%
  
  ⇨ 住民との直接接触が多い部署ほど被害が多い傾向

 カスハラの具体的内容(複数回答、上位)

 ・「継続的な、執ような言動」:72.3%

 ・「威圧的な言動」:66.4%

 ・「人格を否定する発言」:48.3%

 ・「業務と無関係なプライベートへの言及」:21.0%

 ・「長時間の拘束」なども報告あり

 被害による影響

 ・「精神的苦痛を感じた」:84.3%

 ・「病院に通うようになった」:4.6%

 ・「休職を余儀なくされた」:1.1%
 
  ⇨メンタルヘルス上のリスクが顕在化

 今後の対応(総務省の方針)

 ・ハラスメント防止マニュアルの整備

 ・職員向けの相談窓口設置

 ・カスハラ対策研修の強化

 ・安全確保と職員の精神的負担軽減の両立を目指す

【桃源寸評】

 「法の定め」
 
 地方自治法は「第一条の二 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」とある。

 第二条は、「⑭ 地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。」

 第十条 ② 住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う。

 等々である。

 「カスタマー(customer)」とは

 「カスタマー(customer)」とは、一般的には「商品やサービスを受け取る見返りとして対価を支払う者」、すなわち「顧客」を意味する。主に民間企業において、企業の提供する製品やサービスの購入者や利用者を指す語である。

 ・しかしながら、行政機関における「カスタマー」という語の使用は、本来の定義とはやや異なる文脈で用いられている。
 
  ⇨ 公的機関における「カスタマー」の扱い(広義的用法)

  ⇨ 対価を支払っていなくても、サービスの提供対象となる住民等を「顧客」になぞらえる用法

  ⇨ 行政サービスを受ける者(住民、納税者、申請者など)を、組織の外部利用者という意味でカスタマーと呼ぶケースがある。

 ・1990年代以降の行政改革・NPM(New Public Management)思想の影響
 
 ・公的機関も「顧客志向」「サービス向上」を目指すべきという考えから、住民を「カスタマー」に準えた表現が広がった。

 ・この用語使用への批判と議論

  ⇨ 批判1:住民は「主権者」であり、サービスの一方的受益者ではなく、行政の主体的な構成員である。したがって「顧客」という上下関係を前提とした語は不適切である。

  ⇨ 批判2:行政サービスは商品とは異なり、法律・制度に基づく公的な権利・義務の執行であるため、「顧客満足」を過度に追求する姿勢は行政の公平性・中立性を損なう恐れがある。

 ・行政文脈における「カスタマー」は本来的な意味(=対価を払う顧客)を拡張した比喩的用法であり、厳密には「住民」「市民」「利用者」といった用語が本来適切である。従って、住民を「カスタマー」と捉えることには制度的にも概念的にも慎重な姿勢が求められる。

 ・この点において、「カスタマーハラスメント(カスハラ)」という語も、本来の意味を越えて行政職員への住民からの過剰要求・暴言等を指すために転用されている用語である。

 「なぜ「カスタマー」は不適切か」

 (1)主従関係の誤認

 「カスタマーは常に正しい」という商業的原則が適用されやすく、住民が「注文を出す立場」であり、行政職員は「応じるべき存在」といった構図が強調される。結果として、不当な要求や暴言・威圧的態度が正当化されやすくなる。

(2)公共性・公平性の希薄化

行政サービスは法令に基づいて提供されるものであり、全住民に対して公平でなければならない。個別の「満足度」ではなく、「法の下の平等」が優先されるべきである。

(3)双方への負担

 住民:期待が肥大化し、「行政は自分の要求に応じて当然」という誤解が生じる。

  職員:「顧客第一」で応えきれない要求に晒され、心理的圧迫・業務過多を招く。

 「福祉の受益者」という用語の適切性

  ・制度的な位置づけを明確にする
 
  ⇨福祉制度に基づいて提供されるサービスを「受ける者」であり、「要求する顧客」ではないという関係性を明示する。

 ・権利性と義務性の両立を表現
 
  ⇨社会保障制度における福祉は、申請によって得られる「権利」である一方、法に基づく審査や要件があり、「当然のサービス」ではないという認識を維持できる。

 ・行政職員との関係を公平に描く
 
  ⇨職員は「サービス提供者」であって「顧客対応要員」ではなく、制度に即して職務を遂行する立場である。対等な関係が保たれる。

 ・特に適している文脈

  ⇨生活保護、障害福祉、介護保険、児童扶養手当など、法律に基づく福祉給付・支援制度の利用者を表す際

  ⇨クレームや過剰要求が制度を逸脱しているか否かを判断する際の客観的な立場の明示

 ・現場職員の権利保護や対応方針を議論する際の用語の整理

 「補足:用語選択がもたらす効果」

 ・「受益者」という語は、サービスを受けること自体が制度的な審査と根拠に基づくことを強調できるため、「一方的な要求」は制度外であるという線引きが可能となる。

 ・⇨同時に「受益者」は、必要とするサービスを正当に享受する立場でもあり、「弱者の尊厳」も損なわない。

 ・したがって、「福祉の受益者」は、カスタマーという語よりも制度の原理や行政の中立性、職員との適切な関係性を保つ上で、極めて有効かつ精緻な表現である。

 「NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)とは」

 ・正式名称:New Public Management

 ・発祥:1980年代の英国・サッチャー政権、続いてニュージーランドなどで展開

 ・目的:公的部門に民間企業の経営手法(効率性・成果主義・顧客志向)を導入し、行政の無駄や硬直性を改革すること

 ・NPMの主な特徴

  ⇨NPM間企業的手法の導入→ 成果主義評価・業績管理・アウトソーシングの推進

 ・行政組織のスリム化

  ⇨官から民へ(小さな政府)

 ・「顧客志向」行政の推進

  ⇨住民=顧客、行政サービス=商品として捉える発想

 ・競争原理の導入

  ⇨地方自治体同士の競争、民間委託の活用

 ・NPMの功罪

  ☆サービスの効率化、職員の意識改革
  ★公平性の後退、住民との対立、数値至上主義の弊害

  ☆コスト削減
  ★脆弱な人権対応、現場の過重労働

  ☆透明性・説明責任の強化
  ★「顧客満足」と「法令遵守」の間の緊張

 ・このように、「NPM型の顧客志向」を行政にそのまま導入することは、表面的なサービス向上を目指す一方で、行政の中立性・公平性・職員の安全と尊厳を犠牲にしかねない。

 ・したがって、「市民=カスタマー」という構図は制度的にも心理的にも行政の本質から乖離した表現であり、カスハラ問題を一層悪化させる恐れがある。

ご希望であれば、行政における代替的な住民対応モデル(例:コ・プロダクション型)についても説明可能である。希望するか。

 「NPMは新市場主義の結果である」

 ・NPM(New Public Management:新公共管理)は、新自由主義(neoliberalism)=新市場主義の政策潮流の中で登場・展開されたものであり、両者は密接に結びついている。

 ・NPMと新自由主義の関係

  ⇨思想的背景 NPMは「政府は非効率であり、民間の効率性を導入すべき」という新自由主義の信念に基づいている。

  ⇨登場の時期 1980年代、英国のサッチャー政権、米国のレーガン政権における市場原理の徹底と小さな政府路線の中で始まった。

 ・主な手法 

  ⇨行政に競争原理を導入する
  ⇨公務員制度の民間化(契約・成果主義)
  ⇨外注・アウトソーシング推進
  ⇨行政のスリム化とコスト削減

 ・目的

  ⇨行政の「効率化」や「顧客満足度向上」だが、実態は「財政支出の抑制」「民営化の推進」が柱

 「NPMが新市場主義である理由」

 (1)市場至上主義の行政への拡張

 ・行政も市場のように競争させるべきだという考え(例:指定管理者制度、公営病院の経営評価)。

 (2)公共部門の民間化
 
 ・教育、医療、福祉、交通など、本来公共性が重視される分野まで「効率性」の名のもとで外部化。

 (3)数値主義(マネジメント指標)

 ・行政評価もKPIや成果数値で測定され、「質より数」が優先される傾向が強まる。

 (4)住民=顧客(Customer)モデル
 
 ・「選ぶ権利」を強調し、制度利用者に競争原理を適用しようとする傾向(例:学校選択制、介護の自由契約)。

 (4)結果と批判

 ・分野:新市場主義的NPMの影響

 ・福祉・医療:必要な支援の「選別」や「自己責任論」が進行。生活保護や障害福祉が「コスト」とみなされる傾向。

 ・教育:学校の成績競争、教員の成果主義などにより、教育現場の疲弊が指摘される。

 ・自治体行政:「住民満足」よりも「予算達成」や「外注可能性」が優先され、住民との乖離が拡大。

 ・NPMは新自由主義の一形態であり、「公共性」より「効率性・市場性」を行政に持ち込む試みである。
 
 ・その結果として、福祉の「受益者」が「顧客」と見なされ、不当要求・カスハラの構造が制度的に助長される背景ともなっている。

 「この時代の日本の首相」

 NPMが日本で本格的に導入され始めた1990年代から2000年代初頭の時代、日本の首相は以下のとおり。

 ・NPMが導入・拡張された時期の日本の首相

 在任期間     首相名   NPMとの関連
 1991年11月〜1993年8月 宮澤喜一  行政改革の基本路線が示され始めた時期。
 1993年8月〜1994年4月 細川護熙  「政治改革」が主軸。公共部門改革も議論に。
 1994年4月〜1994年6月 羽田孜   短期間で大きな施策なし。
 1994年6月〜1996年1月 村山富市  公共事業中心の財政政策。NPM的改革は進まず。
 1996年1月〜1998年7月 橋本龍太郎 中央省庁再編、行政改革会議の設置など、NPM的

 ・手法の導入を本格化。

 1998年7月〜2000年4月 小渕恵三  経済対策が中心だが、NPM的政策も継承。
 2000年4月〜2001年4月 森喜朗   教育改革や行政の「民間化」方向を踏襲。
 2001年4月〜2006年9月 小泉純一郎 NPMの象徴的存在。郵政民営化、特殊法人改革、市場原理の導入などを徹底。

 ・特に重要な人物:小泉純一郎

  ⇨「官から民へ」をスローガンに、行政コスト削減、成果主義、民営化を強力に推進。

  ⇨郵政民営化はその代表例であり、「市場原理による効率化」が行政の隅々まで適用された。

  ⇨この時期、自治体にもNPM的改革が波及(指定管理者制度、PFI(Private Finance Initiative導入など)。

 ・ PFI:公共施設の建設・維持管理・運営などを、民間の資金・経営能力・技術力を活用して行う手法であり、従来の「公共=行政主導」からの転換を象徴する新自由主義的手段である。
 ・資金調達を行政が直接行うのではなく、民間事業者が投資し、その対価を行政が分割で支払う。

 ・民間が設計・建設・運営・維持管理まで一体で行うことが多く、「DBO(Design-Build-Operate)」や「BOT(Build-Operate-Transfer)」方式に類似。

 ・契約期間が長期(15年〜30年)にわたる。

 ・日本における展開

  ⇨日本では1999年に「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(いわゆるPFI法)が制定され、制度が本格導入された。

  ⇨対象事業には、庁舎・学校・病院・刑務所・上下水道・高速道路などが含まれる。

 ・問題点と批判

  ⇨公共の責任があいまいになり、失敗時に責任の所在が不透明。

  ⇨「コスト削減」が先行し、公共サービスの質が劣化する場合がある。

  ⇨民間への依存が進み、行政の企画・監督能力が弱体化する懸念。
 
 ・このPFIもNPMの一形態であり、「公共を市場に委ねる」代表的なモデルである。関連するPFI事例(例えば学校や刑務所でのPFI)。

 「中曽根政権とNPMの関係」

 (1)NPMの本質

 ・公共部門に「民間企業的な手法(成果主義、競争原理、コスト意識)」を導入し、効率的な行政運営を目指す考え方。

 ・1980年代にサッチャー政権(英)やレーガン政権(米)で始まり、国際的潮流となった。

 ・中曽根政権がNPMに与えた影響

  ⇨三公社の民営化(1985年〜1987年)

  ⇨国鉄、電電公社、専売公社の分割・民営化。

 ・「公共=非効率」という前提で、市場メカニズム導入による効率化を志向。

 ・NPMの基本理念である「官から民へ」の象徴的実施。

 (2)行政改革(臨調)

 ・行政管理庁を強化し、成果重視の行政評価制度を導入。

 ・政策評価とPDCAサイクルの萌芽的導入は、後のNPM的「成果志向行政」の基礎となる。

 ・総人件費抑制と定員削減

 ・自治体・官僚の肥大化批判の中で、職員数の削減と効率化を進めた。

 ・公的セクターの「企業型マネジメント」への圧力が強まる。

 ・自治体への財政圧力

 ・地方交付税の見直しなどで、地方自治体の裁量と責任を増大。

 ・自治体も「経営主体」として自律的な予算管理と成果責任を求められるように変化。

 (3)政策目的の転換

 ・「行政サービスの受益者」としての国民に、「顧客」としての役割が仮託されるようになる。

 ・この思想は、現在の「カスハラ問題」の背景ともなる顧客至上主義的発想の萌芽といえる。

 ・中曽根政権は、日本におけるNPM導入の制度的・思想的な出発点である。とりわけ、公務の企業化・競争化・民営化を初めて大規模に試みた点で、日本型NPMの源流をなす。

 ・この流れはその後、橋本龍太郎政権の「行政改革会議」(1996〜)や小泉純一郎政権の「構造改革」へと連なる。

 「自治体職員も被害者」

 PFIやNPMの導入によって、本来、地方自治法が定める「住民の福祉の増進」を目的とした自治体業務が、徐々に市場論理や民間委託に置き換えられた結果、自治体職員もまた制度の被害者となっていると評価できる。

 以下に、そうした構造的問題を整理する。

 ・自治体職員が「被害者」となる構図

 (1)業務の外部化・民間委託の増加

 ・福祉・教育・都市計画など住民密着型の業務が、コスト削減や効率性の名のもとに民間に委ねられる。

 ・結果として、自治体職員の現場経験やスキルの蓄積が困難になり、本来の「公共行政の担い手」としての能力が削がれる。

 (2)自治の理念との乖離

 ・地方自治法第1条の2にある「住民の福祉の増進を図ることを基本」とする理念が、「成果」「効率」「コスト重視」にすり替えられていく。

 ・これにより、本来の公益追求よりも、数値目標や業績評価が優先され、自治体職員はジレンマに置かれる。

 (3)カスタマーハラスメントの増加

 ・住民を「顧客」とみなすNPM的用語・姿勢が普及し、市民側もサービス業的な応対を当然視するようになる。

 ・その結果、「丁寧すぎる対応を強要」「執拗な要求」「威圧的態度」などが横行し、職員の心理的負担や業務負担が増大している。

 (4)自治体職員の自己効力感の低下

 ・公共性を感じる実務が減ることで、「自分たちの仕事が社会にどう貢献しているか」が見えにくくなり、モチベーションや使命感の低下につながる。

 ・自治体職員は、本来住民に直接寄り添い、地域の将来を支えるべき存在である。しかし、NPM導入以降の制度設計により、その役割が制度的・心理的・機能的に制限されており、住民との間に不必要な摩擦が生じる構造が生まれている。

 ・このように見れば、「カスタマーハラスメントの加害者は誰か」、「カスタマーハラスメントの被害者は誰か」、という問いは、市民と自治体職員の両方を巻き込む制度的課題に他ならない。

【寸評 完】

【引用・参照・底本】

日本全国の自治体職員、35%がカスハラ受けた経験あり=総務省 sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/5000-19863609.html?rcmd_alg=collaboration2

参考:総務省自治行政局公務員部公務員課 女性活躍・人材活用推進室(2025.05.26AM・TEL)

ヒトラー:「我々にとってのミシシッピは、ボルガだ」2025年05月06日 22:50

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【概要】

 アドルフ・ヒトラーは、ナチス・ドイツの東方拡張政策、すなわち「東方生存圏(Lebensraum)」の概念を正当化するにあたり、アメリカ合衆国における西部開拓、すなわち先住民の排除と領土拡大を伴う植民政策と比較して論じていた。

 具体的には、ヒトラーは「我々にとってのミシシッピは、ボルガだ」と述べ、アメリカにおけるミシシッピ川以西のフロンティア開拓と、ドイツにおけるボルガ川以東の領土獲得を同列に扱っていた。この比較は、彼にとってドイツの東方進出が、すでに歴史的に成功した他国の前例に倣うものであり、文明社会の拡張として正当であるとの主張の一環であった。

 ヒトラーは、ヨーロッパ文明とロシアを中心とするスラブ世界を「文明」と「野蛮」の対比として捉え、ドイツ人による東方の植民と支配、すなわち「ゲルマン化」の必要性を強調していた。その目的は、単なる軍事的征服ではなく、文化的・人種的優越性に基づく秩序の確立であった。

 このようなヒトラーの思想を研究する歴史家エゴール・ラコヴレフ氏は、ロシアの報道機関スプートニクによる特別企画において、ヒトラーがアメリカの過去の拡張主義をモデルとして、ナチスの過激な政策を説明していた点に注目している。すなわち、ナチスの計画が突飛なものではなく、すでに西洋世界で実行され、受け入れられた歴史的先例を踏まえたものであるという構造を明らかにしている。 

【詳細】

 アドルフ・ヒトラーがナチス・ドイツの東方政策を正当化するために、アメリカ合衆国の西部拡張政策を引き合いに出したという事実は、ナチズムの思想的根幹に深く関わっている。これは単なる戦略的発言ではなく、ヒトラーの世界観(Weltanschauung)において中心的な位置を占めていた。

 1. ヒトラーの「生存圏(Lebensraum)」思想とアメリカの西進運動の関係

 ヒトラーの「生存圏」理論は、ドイツ民族が将来生き残り、繁栄していくためには、食糧供給をはじめとする物的資源の確保が不可欠であり、それはドイツ本土の外に求めねばならないという発想であった。この発想の根源には、社会ダーウィニズム的な民族間闘争の思想がある。

 ここでヒトラーは、19世紀から20世紀初頭のアメリカの西部開拓(Manifest Destiny=明白なる使命)を一つの成功例として認識していた。アメリカは、先住民を駆逐し、土地を開墾し、白人の国家を拡大した。それに対し国際社会から重大な糾弾はなかった。その事実を、ヒトラーは「前例」として見なしたのである。

 2. 「我々にとってのミシシッピは、ボルガだ」の意味

 この言葉は、アメリカにおけるフロンティアの象徴がミシシッピ川であったように、ドイツにとっての「開拓の境界線」がボルガ川であるという意味である。すなわち、ドイツ民族はボルガ川を越えてロシアの奥地へと進出し、そこに植民地的支配を打ち立てる「権利」があるという思想である。

 ここでヒトラーが示唆しているのは、ロシアの広大な領土は未開であり、それをドイツ民族が開発・統治することで文明化できるという信念である。これはアメリカの「インディアンは未開である」という認識と類似している。

 3. 文明と野蛮の二項対立

 ヒトラーは一貫して、ドイツ=「文明」、スラブ諸民族=「野蛮」と位置づけていた。彼は、マルクス主義とユダヤ主義の「混血」により腐敗したソビエト国家を蔑視し、そこに住む人々はドイツ人によって管理されるべき「劣等民族」であるとみなした。このような人種ヒエラルキーに基づく世界観の中で、東方拡張はドイツの運命的使命であるとされた。

 4. ヒトラーの「理論と実践」:アメリカをモデルに

 ヒトラーは自著『我が闘争(Mein Kampf)』の中でも、アメリカの移民政策や人種政策に言及しており、特にアメリカが人種的純血をある程度保持していることを高く評価していた。彼はアメリカの黒人差別や中国人排斥、移民制限法(1924年)のような政策を、人種衛生政策の模範と見なしていた。

 このようにヒトラーは、アメリカという現実の国家が、すでにナチスの目指す社会秩序に近いことを示すことで、ナチズムが「現実的である」「普遍性を持つ」と主張しようとしたのである。

 5. 歴史家エゴール・ラコヴレフの指摘

 ロシア人歴史家エゴール・ラコヴレフ氏は、ヒトラーがナチスの過激な構想を描く際に、アメリカという「既成の成功例」を引き合いに出していた点を重要視している。彼の分析によれば、ナチズムは異常な狂気ではなく、当時の西洋世界が容認してきた植民地主義や白人至上主義の延長線上にあったものであり、その意味で「文明の側の思想の一部であった」とも解釈できる。

 ラコヴレフ氏はまた、ナチズムの残酷さの背後には、「他者を人間と見なさないことで残虐行為を合理化する」という論理があり、それはアメリカの先住民政策やアフリカ奴隷貿易と同様の構造であると指摘している。

 以上のように、ヒトラーがアメリカの拡張主義をナチスの東方政策と並列的に捉えたのは、偶然ではなく、理論的・戦略的必然であり、ナチズムが20世紀初頭の帝国主義的思考に深く根ざしていたことを示すものである。

【要点】

 1.ヒトラーの思想的枠組みとアメリカ拡張主義の関連

 ・ヒトラーは「生存圏(Lebensraum)」の拡大をドイツ民族の歴史的使命と位置づけた。

 ・この政策は、単なる軍事的征服ではなく、ドイツ民族による東方地域の植民・ゲルマン化を目的とした。

 ・アメリカの西部開拓(Manifest Destiny)を成功例として評価し、同様の民族的拡張をドイツに適用しようとした。

 2. 「我々にとってのミシシッピは、ボルガだ」の意味

 ・アメリカがミシシッピ川以西をフロンティアとし、先住民を排除して領土を拡大したように、

 ・ドイツにとってはボルガ川以東のロシアが「開拓の対象」となるべき地域であった。

 ・ドイツ人がこの地域を征服し、文明をもたらす「使命」があるとされた。

 3.文明と野蛮の対立構造

 ・ヒトラーはドイツ=「文明」、スラブ民族・ソ連=「野蛮」と位置づけた。

 ・ソビエト国家は「ユダヤ・ボリシェヴィズムの混合物」であり、ドイツの敵であるとした。

 ・ドイツ人による支配は「文明の拡張」であり、正当な行為であると主張した。

 4.アメリカ政策への称賛と模倣

 ・アメリカの先住民排除、人種差別、移民制限政策を評価していた。

 ・特に1924年の移民法による「人種的選別」は、ドイツの民族政策の模範とされた。

 ・アメリカが国際社会から非難されずに領土を拡大した点を、ナチス政策正当化の根拠に用いた。

 5.歴史家ラコヴレフの分析

 ・エゴール・ラコヴレフ氏は、ナチスの思想と政策が当時の西洋帝国主義の延長にあると指摘。

 ・ヒトラーはナチズムを特異な狂気ではなく、既存の西洋的価値体系の中に位置づけようとした。

 ・アメリカの行動とナチスの行動は、他者を「人間でない」と見なす論理において共通していたとする。

 7.結論

 ・ヒトラーはナチスの東方政策をアメリカの過去の政策と比較することで、歴史的正当性と現実的実行性を主張した。

 ・その比較は、ナチズムが当時の国際的現実から逸脱したものではなく、既存の植民地主義・人種主義の論理の延長であることを示している。

【桃源寸評】

 要するに、ヒトラーはナチスの領土拡大政策をアメリカの歴史的植民行動と照らし合わせることで、その正当性と「必然性」を演出しようとしたのであり、これはナチズムの理念と行動原理の理解において重要な視点である。

 ➢『我が闘争』におけるアメリカへの言及(抜粋と要旨)

 1.民族の生存圏(Lebensraum)の必要性

 ヒトラーは次のように記述している・

 ・「ドイツ民族は、広大な大陸的領土を持つ国家となるか、それとも滅びるかのいずれかである。」

 ・(『我が闘争』第2巻第14章「東方志向」)

 ⇨ドイツの人口問題は、領土拡大によってのみ解決できると主張し、特にロシアを「征服・植民地化の対象」とした。

 2.アメリカの民族政策に対する称賛

 ・「アメリカ合衆国は、ヨーロッパ系移民によって建設され、その中でも最良の北方系民族が、劣等な民族を排除することによって偉大な国家を築いた。」

  ⇨ヒトラーは、アメリカにおける「アングロサクソン系白人優越主義」を理想とみなし、ナチスの民族浄化政策の先例と見なした。

 3.アメリカの移民政策を肯定的に評価

 ・「アメリカの移民法は、国家の人種的基礎を守る見事な試みである」

  ⇨これは1924年の《ジョンソン=リード移民法》を指している。

 ➢アメリカの移民政策(1924年移民法=ジョンソン=リード法)

 1.内容

 ・移民者の出身国別割当を設け、「北・西ヨーロッパ系」を優遇し、「南・東ヨーロッパ系」「アジア系」を厳しく制限。

 ・アジア系移民(特に日本人、中国人)を事実上全面排除。

 2.ヒトラーの評価

 ・「劣等民族の排除」「国家の人種的純潔の保持」という観点で、ナチスのアーリア人優越思想と合致。

 ・ヒトラー政権下の《ニュルンベルク法》(1935)と思想的に類似。

 ➢アメリカの西部開拓と先住民排除の事例(Manifest Destiny)

 1.理念

 ・アメリカには「大陸全体に文明と民主主義を広げる神の使命」があるとする19世紀の国家理念。

 2.実際の政策・行動

 ・「インディアン強制移住法(1830)」により、先住民を強制移住させ、多数が死亡(例:涙の道)。

 ・軍事力による先住民の排除(例:サンドクリークの虐殺、ウォウンデッド・ニーの虐殺)。

 3.ヒトラーの見解(後年の発言や引用文献による補足)

 ・アメリカが先住民を「自然の中の未開な存在」と見なして排除したことを、ドイツの東方政策の正当化モデルと捉えた。

 ➢ヒトラーにおけるアメリカ模倣の意図

 比較項目  アメリカ          ナチス・ドイツ
 
 領土拡張の対象 西部(ミシシッピ以西)       東方(ポーランド、ウクライナ、ロシア)

 対象民族の扱い 先住民排除、人種的階層づけ    スラブ人・ユダヤ人の絶滅・奴隷化

 正当化の理念  Manifest Destiny(運命による拡張) Lebensraum(生存圏の確保)
 人種政策の前例 1924年移民法(差別的選別)   1935年ニュルンベルク法


 ➢以下に、ヒトラーの著書『我が闘争』におけるアメリカの移民政策や西部開拓政策への言及、および1924年のアメリカ移民法(ジョンソン=リード法)の具体的な条文を紹介する。

 1.『我が闘争』におけるアメリカの移民政策・西部開拓政策への言及

 ヒトラーは『我が闘争』第2巻第14章「東方志向」において、ドイツ民族の生存圏(Lebensraum)拡大の必要性を説く中で、アメリカの西部開拓を引き合いに出している。彼は、アメリカが先住民を排除し、西部を開拓して国家を拡大したことを、ドイツが東方で同様の政策を行う際の先例として評価している。また、アメリカの移民政策、特に1924年の移民法における人種的選別を、ドイツの民族政策の模範と見なしている。

 2.1924年アメリカ移民法(ジョンソン=リード法)の抜粋

 1924年のアメリカ移民法は、移民の受け入れを国別の割当制に基づいて制限し、特にアジアからの移民を排除することを目的としていた。以下に、その主要な条文の一部を示す。

 ・SEC. 11. No alien ineligible to citizenship shall be admitted to the United States.

 ・この条項は、帰化資格のない外国人(主にアジア系移民)をアメリカへの入国から排除することを定めている。

 ・SEC. 13. The annual quota of any nationality shall be two per centum of the number of foreign-born individuals of such nationality resident in the continental United States as determined by the United States census of 1890.
Wikipedia

 この条項は、1890年の国勢調査に基づき、各国籍の外国生まれの居住者数の2%を年間の移民割当に設定することを定めている。

 これらの条文は、アメリカが人種的・民族的な基準に基づいて移民を制限し、特定の人種や国籍を排除する政策を採用していたことを示している。ヒトラーはこのようなアメリカの政策を高く評価し、ナチス・ドイツの人種政策の正当化に利用した。

 これらの情報は、ヒトラーがナチスの東方政策を正当化する際に、アメリカの拡張主義や移民政策を模範としたことを示している。彼は、アメリカの政策を「成功例」として引用し、ドイツの政策の現実性と正当性を主張した。このような比較は、ナチズムが当時の国際的現実から逸脱したものではなく、既存の植民地主義や人種主義の論理の延長であることを示している。

Immigration Act of 1924 (PDF)
https://loveman.sdsu.edu/docs/1924ImmigrationAct.pdf

1924 Congressional Record - House (PDF)
https://www.congress.gov/68/crecb/1924/05/09/GPO-CRECB-1924-pt8-v65-11-2.pdf

 ➢山形有朋の「主権線・利益線」

 1.山形有朋の戦略思想

 ・主権線と利益線

 山形有朋は、日本の安全保障と国益を確保するために、「主権線」と「利益線」を設定した。この考え方では、主権線は日本の領土的安全を保障するライン、利益線は日本の経済的・戦略的な利益を確保する範囲を意味する。

  ⇨主権線は、日本本土やその防衛圏を含み、直接的に国家の存続に関わる領域を示す。

  ⇨利益線は、日本の経済圏や戦略的に重要な地域、特に朝鮮半島や満州を指し、これらの地域を支配することで日本の国益を拡大することを目指した。

 2.ヒトラーの思想との類似点

 ・領土拡張の必要性

 ヒトラーの「Lebensraum(生存圏)」概念は、まさに日本の「主権線・利益線」に類似している。ヒトラーもドイツが生存のために東方(特にロシア)への領土拡張が必要であると述べ、これを「ゲルマン民族の生存圏」として確立しようとした。

 ・戦略的利益の拡大

 ヒトラーと山形有朋の思想は、単なる領土拡張にとどまらず、特定の地域を支配することで、経済的・軍事的利益を確保するという点で共通している。ヒトラーが東欧やロシアを占領することで資源を手に入れようとしたのと同様に、日本も朝鮮半島や満州を支配し、資源と戦略的利益を得ようとした。

 3.日清・日露戦争と日中戦争の戦略

 (1)日清戦争と日露戦争

 ・日清戦争(1894-1895)

 日本は、朝鮮半島における支配権を確立することを目指し、清国との戦争を起こした。この戦争は、日本の「主権線」を確立するための戦争であり、日本の安全保障のために朝鮮半島の支配権を得ることが重要だった。

 (2)日露戦争(1904-1905)

 日露戦争は、満州や朝鮮半島における支配権を巡る争いであり、日本の「利益線」を拡大するための戦争であった。この戦争によって、日本は満州と朝鮮半島における優位性を確保した。

 (3)日中戦争(1937-1945)

 ・中国大陸への進出

 日本は、1937年に日中戦争を勃発させ、これによって中国大陸への領土拡大を目指した。ヒトラーの「Lebensraum」と似たように、日本も自国の生存圏を広げるために、中国大陸を支配下に置くことを意図した。この戦争は、アジアにおける日本の「利益線」を確立するためのものだった。

 (4)ヒトラーの「東方政策」と日本の戦争政策

 ・アジアでの支配と収奪

 ヒトラーの東方政策では、東欧やロシアを占領してゲルマン化を進めることを目指したが、日本のアジア政策も同様に、支配地域での資源収奪や経済的利益の確保を目的としていた。ヒトラーが東方で民族浄化と領土拡張を行おうとしたのと同様に、日本も中国大陸での支配を通じて経済的な利益を確保しようとした。

 ➢日本とヒトラーの政策の比較

 項目 ヒトラー(1889-1945年)の政策 日本の政策(特に山形有朋:1838-1922年)
 領土拡張の理念 Lebensraum(生存圏):民族の拡張のための領土拡大 主権線・利益線:国の安全保障と経済的利益を確保するための領土拡大
 対象地域 東方(特にロシア、ポーランド) 朝鮮半島、満州、中国大陸
 目的 民族の生存圏確保、資源獲得、経済圏の拡大 経済的利益、戦略的な優位 性の確保
 戦争の正当化 民族の拡張と生存のため 国益を守るため、または領土拡大による経済的利益を得るため
 民族政策 ゲルマン民族優越主義、民族浄化 朝鮮半島や満州の支配を通じた経済圏の拡大、民族浄化といった考え方

 ・ヒトラーの「Lebensraum」概念と、日本の「主権線・利益線」の思想は、領土拡張と経済的利益の獲得を目的とする点で非常に似ている。日本は、日清・日露戦争を経て、朝鮮半島や満州を支配下に置くことを目指し、日中戦争を通じてその「利益線」を確立しようとした。これらの政策は、ヒトラーが掲げた東方への領土拡大と類似した思想に基づいており、どちらも民族主義と経済的な必要性に基づいて領土を拡大しようとするものであった。

 ➢ヒトラーの蔑視の思想」と「日本の近代国家形成期における差別・蔑視の思想」が酷似しているという点については、以下のような共通構造が見られる。

 ヒトラーと日本(特に山縣有朋や昭和前期)の蔑視思想の酷似点

 1. 文明と野蛮の二項対立構造

 ・ヒトラー:「ゲルマン民族は文明民族」「スラヴ系やユダヤ人は野蛮かつ劣等」

 ・日本(山縣有朋〜昭和):「日本は文明開化の中心」「朝鮮・中国は遅れた未開地」として位置づけ

  ⇨「主権線・利益線」論における朝鮮半島の軽視

 2. 民族優越思想

 ・ヒトラー:「アーリア人種の純潔」を掲げ、他人種・混血を否定

 ・日本:「万世一系」「皇国史観」に基づき、大和民族を至上とする観念

  ⇨内地延長主義・皇民化政策の思想的基盤

 3. 征服と同化の正当化

 ・ヒトラー:「東方生存圏」においてスラヴ人を奴隷化・ドイツ人を入植

 ・日本:「内鮮一体」や「満蒙開拓団」による土地収奪と植民政策
  
  ⇨日本語教育・姓名改変の強制(創氏改名)

 4. 異民族への制度的差別

 ・ヒトラー:ニュルンベルク法でユダヤ人の市民権を剥奪

 ・日本:朝鮮人・台湾人に内地人と異なる法制度を適用(戸籍・選挙権・職業制限)

 5. 軍事力を通じた民族浄化・排除

 ・ヒトラー:ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)と戦争犯罪

 ・日本:南京事件、三光作戦などの住民虐殺や強制連行

 このように、「優越民族による支配は正当である」「文明化とは同化・征服である」という根本思想が共通しており、蔑視から始まる暴力の構造が極めて似通っている。

【寸評 完】

【引用・参照・底本】

ヒトラーはアメリカの拡張政策の実践をナチス論の中で同列に並べていた sputnik 日本 2025.05.06
https://sputniknews.jp/20250506/19865764.html?rcmd_alg=collaboration2