【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと ― 2025年02月08日 15:23
【桃源閑話】NATOの拡大:ゴルバチョフが聞いたこと
参照:【桃源閑話】NATO拡大:ゴルバチョフが聞いたこと 2024-09-12
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2024/09/12/9716280
【概要】
各ドキュメントは、冷戦終結直後の欧州安全保障を巡る各国の駆け引きと、NATO拡大をめぐる約束・懸念・戦略的計算を多角的に記録している。特に米ソ間の「東方拡大しない」との保証と、その後の政策転換の伏線が注目される。
ドキュメント01
1990年2月1日付の米国大使館ボン発の機密電報。西ドイツ外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが1月31日に発表した「チュッツィング演説」の内容を報告。ゲンシャーはNATOの東方拡大を否定し、東ドイツ(GDR)地域の特別扱いを提案。ソ連への配慮として「NATOの東方拡大はない」との姿勢を示した。この演説は欧米メディアで広く報じられ、早期の東西統一議論における安全保障の枠組みを規定した。
ドキュメント02
1990年2月6日の英外相ダグラス・ハードとゲンシャーの会談記録。ゲンシャーが「NATOの拡大はGDR以外の東欧諸国にも適用されない」と明言し、ポーランドなど旧ワルシャワ条約機構国がNATOに即時加盟する可能性を否定。英国側はこの見解を米国と共有したが、後の米国国務省の分析ではこの議論が見過ごされたと指摘されている。
ドキュメント03
1990年2月6日、冷戦戦略家ポール・ニッツェがブッシュ大統領に送った覚書。「フォーラム・フォーア・ジャーマニー」会議で東欧指導者がNATOとワルシャワ条約機構の解体を主張したが、ニッツェがNATOの重要性を説き、安定性と米軍の欧州駐留の必要性を強調。東欧側の見方を転換させた経緯が記される。
ドキュメント04
1990年2月9日のベーカー米国務長官とソ連外相シェワルナゼの会談記録。ベーカーが「統一ドイツのNATO残留」を主張しつつ、「NATOの管轄権や軍が東方に拡大しない」との保証を提示。ただし文書の一部は機密扱いのまま。ドイツ統一の枠組みとして「2プラス4」(東西ドイツ+4占領国)方式を提案。
ドキュメント05
同日のベーカーとゴルバチョフ書記長の会談。ベーカーが「NATOの現在の境界から1インチも東に拡大しない」と繰り返し保証。ゴルバチョフは「NATO拡大は容認できない」と応じたが、米側の記録では回答部分が削除されている。ソ連側の記録と一致する内容。
ドキュメント06
ゴルバチョフ財団が公開したソ連側の会談記録。ベーカーが「NATOの軍事管轄権が東に広がらない」と3度保証し、ゴルバチョフが「拡大は受け入れられない」と返答。ベーカーが「中立ドイツvs NATO残留ドイツ」の選択を問う場面も記述。東ドイツへの言及がなく、広範な東方拡大否定と解釈可能。
ドキュメント07
1990年2月9日、米大統領補佐官ロバート・ゲイツとKGB議長クリュチコフの会談。ゲイツが「NATO軍が東に展開しない」との提案を再確認。クリュチコフは「保証の検証が必要」と慎重姿勢を示し、ソ連世論の懸念を指摘。米政府内で調整された対ソ戦略が裏付けられる。
ドキュメント08
1990年2月10日、ベーカーからコール首相への書簡。モスクワ会談の内容を伝え、ゴルバチョフが「中立ドイツ」より「NATO残留」を選ぶ可能性に言及。「2プラス4」プロセスを推進する必要性を強調。ドイツ側にソ連への配慮を促す内容。
ドキュメント09
1990年2月10日のコールとゴルバチョフの会談記録。コールが「NATOは東方に拡大しない」と保証し、ソ連軍の東ドイツ暫定駐留に合意。ゴルバチョフは「ワルシャワ条約からGDRが離脱すれば体制のバランスが崩れる」と懸念を示すが、現実的な対応へ傾く。
ドキュメント10
1990年2月12-13日のオタワ会議(「オープンスカイ」交渉)におけるソ連外相側近の記録。シェワルナゼがドイツ統一の急進展に不快感を示し、ベーカーが「NATO管轄権の東方不拡大」を繰り返し提案。ソ連側が「統一」ではなく「結束」の表現を要求するなど、用語を巡る対立が浮き彫りに。
ドキュメント11
1990年2月21日の米国務省内部文書。「2プラス4」方式の利点として、米国が統一プロセスを管理しつつソ連を巻き込む戦略を分析。コールがソ連と独自に合意するリスクを懸念。ベーカーの手書きメモに「これこそレバレッジド・バイアウトだ」との興奮が記される。
ドキュメント12
1990年2月20-21日のハベル・チェコスロバキア大統領とブッシュの会談。ハベルが当初主張した「NATO解体」論が、ブッシュの説得により「米軍駐留の重要性」へ転換。CSCE(欧州安全保障協力会議)を基盤とした新安全保障構想も議論される。
ドキュメント13
1990年2月24日のブッシュとコールのキャンプ・デービッド会談。NATO残留を最優先し、「ソ連に勝利した以上、譲歩しない」との強硬姿勢を確認。コールが「ソ連への資金支援」を、ブッシュが「ドイツの財政負担」をそれぞれ示唆。
ドキュメント14
1990年4月6日のブッシュとシェワルナゼ会談。ゴルバチョフ書簡を基に、経済支援(最恵国待遇)とリトアニア問題を協議。ブッシュが「欧州全体の自由」と「共通の欧州の家」を協調させつつ、NATOの重要性を再確認。
ドキュメント15
1990年4月11日の英外相ハードとゴルバチョフ会談。ゴルバチョフが「新欧州安全保障構造の構築」を主張し、NATO単独での拡大に反対。過渡期の安全保障バランス維持を要求。英国はソ連の尊厳を配慮する姿勢を示す。
ドキュメント16
1990年4月18日、ソ連共産党国際部長ファーリンがゴルバチョフに提出した覚書。西側がソ連を孤立化させようとしていると警告し、法的拘束力ある平和条約で安全保障を担保するよう提言。NATO拡大阻止のため、軍縮交渉を活用すべきと主張。
ドキュメント17
1990年5月4日、ベーカーがブッシュに送った報告。シェワルナゼとの会談で「NATOの政治的変革とCSCE強化」を説明し、ソ連の懸念を緩和。ただしソ連世論が「NATO加盟ドイツ」を受け入れる心理的困難を指摘。
ドキュメント18
1990年5月18日のベーカーとゴルバチョフ会談。ベーカーが9項目の保証を提示しつつ「NATOは夢ではない」と発言。シェワルナゼが「NATO加盟はペレストロイカを破壊する」と警告。ゴルバチョフは「ソ連もNATO加入を検討」と冗談交じりに反応。
ドキュメント19
1990年5月25日のミッテラン仏大統領とゴルバチョフ会談。ミッテランが「NATO拡大阻止は不可能」と現実論を示しつつ、ソ連への保証を支持。ゴルバチョフは「米国がNATOで世界を管理しようとしている」と懸念を表明。
ドキュメント20
1990年5月25日、ミッテランからブッシュへの書簡。ゴルバチョフの不安が本物であると指摘し、法的平和協定と具体的保証の必要性を提言。ソ連を孤立させないよう協調を求める。
ドキュメント21
1990年5月31日のブッシュとゴルバチョフ会談。「二つの錨」(NATOとワルシャワ条約双方への関与)構想が議論される。ベーカーが「精神分裂的」と反論。ゴルバチョフは「ソ連国民の反発が改革を阻害する」と警告。
ドキュメント22
1990年6月8日のサッチャー英首相とゴルバチョフ会談。CSCEを欧州安全保障の基盤と位置づけ、ソ連の安全を保証する必要性を確認。ゴルバチョフが「非伝統的解決」を求め、サッチャーが現実的対応を主張。
ドキュメント23
1990年7月15日のコールとゴルバチョフ会談。東ドイツ地域へのNATO軍不展開、ソ連軍の暫定駐留、住宅建設支援で合意。コールが「NATOの未来像を共有」と発言。ソ連側記録ではゴルバチョフが事実上NATO残留を容認。
ドキュメント24
1990年7月17日のブッシュとゴルバチョフの電話会談。ロンドン宣言(NATOの非侵略宣言・ソ連との協力拡大)を説明。ゴルバチョフが経済改革の困難を訴え、ブッシュが支援の必要性に同意しつつ直接援助は回避。
ドキュメント25
1990年9月12日の「2プラス4」最終協定文書。旧東ドイツ地域の「特別軍事地位」を規定。NATO軍の恒久展開を禁止するが、緊急時の移動を可能とする「合意覚書」が付帯。後のNATO拡大論争で「精神違反」と批判される伏線。
ドキュメント26
1990年10月22日の米国務省戦略文書。NATOの存続理由を「ソ連脅威の可能性」としつつ、東欧加盟は「現時点で不適切」と結論。ソ連改革への悪影響を懸念し、連絡事務所設置までに留める方針。
ドキュメント27
1990年10月25日の米政府内部文書。国防総省(チェイニー)が「NATO拡大の可能性を残す」のに対し、国務省が「拡大は議題にない」と表明する方針対立。ブッシュ政権は国務省案を採用したが、次政権で国防案が復活。
ドキュメント28
1991年3月5日の英大使ブライスウェイト日記。メージャー英首相がソ連軍指導者に「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。外相ハードも同様の発言を確認。英国の公式見解として記録。
ドキュメント29
1991年4月27日、ウォルフォウィッツ米国防次官補とハベル大統領の会談。チェコがNATO加盟を目指す方針を確認。ソ連との二国間協定で「反ソ同盟不参加」条項を拒否するよう助言。東欧のNATO志向が明確化。
ドキュメント30
1991年7月1日、ロシア最高会議代表団の報告書。NATO事務総長ヴェルナーが「拡張しない」と明言し、ポーランド・ルーマニア加盟に反対した事実を伝達。ソ連の欧州包摂を強調する内容。エリツィン側近が懸念を記録。
【詳細】
以下に各ドキュメントの詳細な説明を、時系列と文脈に沿って整理する。冷戦終結期の欧州安全保障を巡る複雑な駆け引きが浮かび上がる構成である。
ドキュメント01:米国大使館ボン機密電報(1990年2月1日)
・背景:東西ドイツ統一が現実味を帯び始めた時期。
・内容:西ドイツ外相ゲンシャーが「チュッツィング演説」で「NATOの東方拡大はない」と宣言。東ドイツ(GDR)地域を「特別軍事ステータス」とする構想を初めて公式化。
・意義:
➢ ソ連への配慮として「NATO不拡大」を打ち出し、後の交渉の基調を設定。
➢ メディアで広く報じられ、西側の初期の公式姿勢として国際的に認知される。
ドキュメント02:英外相ハードとゲンシャー会談記録(1990年2月6日)
・背景:英国が米ソの動向を探りつつ独自の仲介役を模索。
・内容:
➢ ゲンシャーが「ポーランドがワルシャワ条約を脱退してもNATO加盟は認めない」と明言。
➢ ハードがこの発言を「ソ連への配慮」と評価し、米国に共有。
・意義:西側陣営内で「NATO不拡大」が一時的な合意となった証左。後の米国務省の見解(「東ドイツ限定の議論」)との齟齬を示す。
ドキュメント03:ポール・ニッツェ覚書(1990年2月6日)
・背景:東欧民主化後、旧社会主義国のNATO加盟論が浮上。
・内容:
➢ ベルリン会議でハンガリー・ポーランド代表が「NATO解体」を主張。
➢ ニッツェが「NATOは欧州安定の要」と反論し、東欧側を説得。
・意義:米政府内で「NATO存続」が最優先課題であることを示す内部文書。
ドキュメント04:ベーカー=シェワルナゼ会談(1990年2月9日)
・背景:ドイツ統一の枠組み「2プラス4」方式の提案直前。
・内容:
➢ ベーカーが「NATO管轄域の東方不拡大」を保証。
➢ ただし「中立ドイツは独自核武装するリスク」と警告。
・特記:米側文書はソ連軍の東ドイツ駐留問題に言及せず、後の解釈論争の一因に。
ドキュメント05:ベーカー=ゴルバチョフ会談(米側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの境界1インチも東へ拡大しない」と3度繰り返し。
➢ ゴルバチョフの返答部分が米文書で削除(ソ連文書では「容認できない」と明記)。
・意義:米ソ間で「不拡大」保証が交わされた決定的瞬間。後にNATO拡大時の「約束違反」論の根拠に。
ドキュメント06:同会談(ソ連側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの軍事機能縮小」を約束。
➢ ゴルバチョフが「欧州の安定には米ソ双方の駐留が必要」(ポーランド大統領発言引用)。
・分析:米側が「東ドイツ限定」と解釈できる記述がなく、広範な「東方不拡大」を示唆。
ドキュメント07:ゲイツ=クリュチコフ会談(1990年2月9日)
・背景:CIA副長官ゲイツがKGB議長と秘密接触。
・内容:
➢ ゲイツが「NATO軍の東ドイツ不展開」を再確認。
➢ クリュチコフ「保証の検証が必要」と要求。
・意義:米政府内(大統領府・国務省・CIA)で方針が統一されていたことを示す。
ドキュメント08:ベーカーからコールへの書簡(1990年2月10日)
・内容:
➢ ゴルバチョフが「NATO残留ドイツ」を默認する可能性を報告。
➢ 「2プラス4」交渉でソ連に「体裁(カバー)」を与えるよう助言。
・特記:コールが同日のゴルバチョフ会談でこの戦略を実行。書簡はドイツ側が1998年まで非公開に。
ドキュメント09:コール=ゴルバチョフ会談(1990年2月10日)
・内容:
➢ コール「NATOは東方に拡大しない」と保証。
➢ ゴルバチョフ「ワルシャワ条約なしのGDRは不安定」と懸念。
・結果:ソ連が統一ドイツのNATO残留を事実上受諾する転換点。
ドキュメント10:オタワ会議ソ連側記録(1990年2月12-13日)
・背景:「オープンスカイ」交渉中にドイツ問題が急浮上。
・内容:
➢ シェワルナゼが統一プロセスの急進展に不快感。
➢ ベーカーが「NATO管轄不拡大」を繰り返し提案。
・特記:「統一(Unification)」か「結束(Unity)」かの用語論争が露呈。
ドキュメント11:米国務省「2プラス4」分析メモ(1990年2月21日)
・背景:ドイツ統一交渉の主導権を米国が掌握する必要性。
・内容:
利点:
➢ 米国が統一プロセスを管理し、ソ連を交渉に巻き込みつつ拒否権を阻止。
➢ 西ドイツがソ連と単独合意するリスクを軽減。
懸念:
➢ ソ連が「4カ国(米英仏ソ)による戦後処理」を主張する可能性。
戦術:
➢ 公式会合前に「1(西独)+3(米英仏)」で調整し、西側結束を維持。
・特記:
➢ ベーカーの手書きメモ「これぞレバレッジド・バイアウト!」は、ソ連を交渉テーブルに縛りつける戦略的成功を強調。
➢ 後の「2プラス4」交渉の青写真となり、米国の主導性を決定づけた。
ドキュメント12:ハベル=ブッシュ会談(1990年2月20-21日)
・背景:チェコスロバキアの民主化後、ハベルが初めての米国訪問。
・内容:
ハベルの変遷:
➢ 当初:「NATOとワルシャワ条約の解体」を主張(国会演説で暗示)。
➢ ブッシュ説得後:「米軍駐留の必要性」を認め、CSCEを基盤とした新秩序構想へ転換。
戦略的意図:
➢ ブッシュが東欧指導者に「NATOの不可欠性」を教育する過程を反映。
・意義:東欧諸国のNATO加盟志向の起点となる「意識改革」の事例。
ドキュメント13:ブッシュ=コール・キャンプデービッド会談(1990年2月24日)
・背景:ゲンシャー外相の「CSCE重視」発言に米独が警戒。
・内容:
合意事項:
➢ 統一ドイツのNATO残留を絶対条件に設定。
➢ ソ連への経済支援は「ドイツが負担」(コール「我々は深いポケットを持つ」)。
ブッシュの発言:
➢ 「ソ連に勝利したのだから譲歩しない(To hell with that. We prevailed)」。
・分析:冷戦勝利者の驕りが、後のNATO拡大論の精神的土壌に。
ドキュメント14:ブッシュ=シェワルナゼ会談(1990年4月6日)
・背景:リトアニア独立宣言(3月)で米ソ関係が緊迫。
・内容:
経済圧力:
➢ シェワルナゼがMFN(最恵国待遇)早期付与を要求。
➢ ブッシュが「リトアニア問題解決が前提」と応酬。
安全保障:
➢ ブッシュ「NATOは変化する」と表明しつつ、軍事的機能維持を強調。
➢ 意義:経済支援を梃子にソ連の安全保障譲歩を引き出す米戦略が明瞭に。
ドキュメント15:英外相ハード=ゴルバチョフ会談(1990年4月11日)
・内容:
ゴルバチョフの主張:
➢ 「NATO単独拡大は欧州の不安定化を招く」。
➢ 「新欧州安保構造(CSCE発展型)の構築が必要」。
英国の姿勢:
➢ 「ソ連の尊厳を損なわない」と配慮を示すが、NATO堅持は変えず。
・分析:英国が仲介者として「ソ連の面子」を保ちつつ西側利益を追求。
ドキュメント16:ファーリン覚書(1990年4月18日)
・背景:ソ連共産党国際部長の危機感。
・内容:
警告:
➢ 西側が「伝統的欧州(東欧)からソ連を切り離そうとしている」。
➢ ゴルバチョフの宥和策がソ連を不利に導く。
提言:
➢ 法的平和条約で「NATO不拡大」を明文化。
➢ CFE(通常戦力削減交渉)を活用し西側を牽制。
・意義:ソ連内の対米不信派の声を代表し、後のNATO拡大反対論の根拠に。
ドキュメント17:ベーカー報告(1990年5月4日)
・背景:ソ連のリトアニア軍事圧力で米ソ関係悪化。
・内容:
➢ シェワルナゼが「NATO加盟ドイツはソ連国民に受け入れ難い」と表明。
➢ ベーカーが「NATOの政治化・CSCE強化」でソ連の不安を緩和しようと試みる。
・分析:心理的要素を重視した米外交の限界が露呈。
ドキュメント18:ベーカー=ゴルバチョフ会談(1990年5月18日)
・内容:
保証の矛盾:
➢ ベーカーが「NATOは夢ではない」と本音を漏らす。
➢ シェワルナゼ「NATO拡大はペレストロイカを破壊する」と警告。
ゴルバチョフのジレンマ:
➢ 「ソ連もNATOに加盟するか?」と逆提案(半ば本気の試探し)。
・意義:ソ連指導部の絶望感と、米側の保証が空文化しつつある兆候。
ドキュメント19:ミッテラン=ゴルバチョフ会談(1990年5月25日)
・内容:
ミッテランの現実主義:
➢ 「NATO拡大阻止は不可能。保証でソ連の安全を担保せよ」。
ゴルバチョフの不信:
➢ 「米国はNATOで世界を支配しようとしている」。
・分析:フランスが「欧州の自律性」を模索しつつ、NATO拡大に消極的関与。
ドキュメント20:ミッテラン書簡(1990年5月25日)
・要旨:
➢ ゴルバチョフの懸念は本物であり、法的枠組みで保証すべき。
➢ 米国に「ソ連を包摂する新欧州秩序」を要請。
・意義:フランスの仲介努力が、後のNATO・ロシア基本合意(1997年)の先駆け。
ドキュメント21:ブッシュ=ゴルバチョフ首脳会談(1990年5月31日)
・核心:
「二つの錨」論争:
➢ ゴルバチョフ:統一ドイツがNATOとワルシャワ条約に「同時加盟」を提唱。
➢ ベーカー:「現実離れした精神分裂的(schizophrenic)構想」と一蹴。
ゴルバチョフの警告:
➢ 「ソ連国民が敗北感を抱けば改革が止まる」。
・結果:米側が「NATO変革」を約束し、ソ連が統一ドイツのNATO残留を黙認。
ドキュメント22:サッチャー=ゴルバチョフ会談(1990年6月8日)
・内容
サッチャーの現実主義:
➢ 「CSCEを安保の枠組みに発展させるが、NATOは維持」。
ゴルバチョフの懐疑:
➢ 「西側の一方的行動は新冷戦を招く」。
・分析:英国が「ソ連の安全保証」と「西側結束」のバランスを模索。
ドキュメント23:コール=ゴルバチョフ会談(1990年7月15日)
・合意内容:
東ドイツ地域の特別扱い:
➢ NATO軍の恒久展開禁止。
➢ ソ連軍の暫定駐留(1994年まで)を許可。
経済支援:
➢ ソ連軍撤退費用として120億マルクをドイツが拠出。
・意義:ドイツ統一の最終合意。ソ連が事実上NATO拡大を容認した瞬間。
ドキュメント24:ブッシュ=ゴルバチョフ電話会談(1990年7月17日)
・背景:ゴルバチョフがCPSU党大会で再選直後。
・内容:
ブッシュの保証:
➢ NATOロンドン宣言(非侵略表明・ソ連との対話拡大)。
➢ CSCEの機構化によるソ連の欧州包摂。
ゴルバチョフの本音:
➢ 「市場改革には西側資金が必要」と訴えるが、具体策なし。
・分析:米国が「安全保障譲歩」と「経済支援回避」を両立させた巧妙な戦略。
ドキュメント25:2プラス4最終協定(1990年9月12日)
・法的内容:
旧東ドイツ条項:
➢ NATO軍の「非展開」を明記(Article 5)。
➢ ただし「合意覚書」で訓練・通過は例外と解釈。
ソ連軍駐留:
➢ 1994年までの段階的撤退で合意。
・現在の論争:
➢ ロシアは「NATO東方拡大はこの『精神』違反」と主張。
➢ 西側は「地理的限定(東ドイツのみ)だった」と反論。
ドキュメント26:NATO戦略文書(1990年10月22日)
・結論:
➢ 「東欧のNATO加盟は現時点で不適切」。
➢ 理由:ソ連改革の阻害を懸念。
・内部対立:
➢ 国務省:加盟議論自体を封じる。
➢ 国防総省(チェイニー):「将来的可能性」を残す。
・意義:クリントン政権の拡大政策との連続性と断絶を示す。
ドキュメント27:ドビンズメモ(1990年10月25日)
・内容:
➢ 国防総省が「NATO拡大の可能性を排除しない」と主張。
➢ 国務省が「拡大は議題にない」と公式見解を堅持。
・分析:政権内の意見不一致が、後の政策混乱の伏線に。
ドキュメント28:メージャー=ソ連軍指導者会談(1991年3月5日)
・内容:
➢ メージャー英首相:「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。
➢ ヤゾフ国防相:「NATO拡大は民主化を阻害する」と警告。
・意義:英国が公式に不拡大を約束した記録。現在のロシアが頻繁に言及。
ドキュメント29:ウォルフォウィッツ=ハベル会談(1991年4月27日)
・背景:東欧諸国のNATO加盟志向が表面化。
・内容:
➢ ハベル:「10年以内にNATO加盟を目指す」と表明。
➢ ウォルフォウィッツ:「ソ連との二国間協定で加盟制限条項を拒否せよ」と助言。
・分析:東欧の自主的な加盟要求が、米国の拡大政策を後押しした事実を示す。
ドキュメント30:ロシア代表団報告(1991年7月1日)
・内容:
➢ NATO事務総長ヴェルナー:「拡張しない」と公式に保証。
➢ ポーランド・ルーマニアの加盟に反対した事実を報告。
・現在の論点:
➢ ロシアは「NATOが約束を破った」と主張。
➢ NATO側は「当時は拡大意図がなかった」と反論。
総括的分析
1. 約束の曖昧さ(解釈差):
➢ 米側は「東ドイツへのNATO軍不展開」を主眼としたが、ソ連は「東欧全域への不拡大」と解釈。
➢ 文書の文言解釈のズームが後の紛争の伏線に。
➢ ソ連:「東方全域への不拡大」と解釈。
➢ 西側:「東ドイツ限定」と主張。
➢ 文書の曖昧な表現が対立の根源に。
2. 欧州の思惑:
➢ 英国・フランスは「NATO維持」を支持しつつ、CSCE(欧州安保協力会議)を通じたソ連包摂を模索。
➢ 東欧諸国は当初「ブロック解体」を主張したが、米の説得でNATO重視へ転換。
3.国内政治の影響:
➢ ゴルバチョフ:党内批判を抑えるため「保証」を必要とした。
➢ クリントン政権:冷戦勝利を背景に拡大を推進。
4.東欧の役割:
➢ 自主的な加盟要求が、西側の政策転換を促した。
➢ ハンガリー・ポーランドなどが「加盟の権利」を強く主張。
5. ソ連の苦悩:
➢ ゴルバチョフは国内批判(保守派から「敗北」と指弾)を受けつつ、現実的な妥協を選択。
➢ 軍部・共産党硬派の反発を抑えるため、「NATO不拡大」の保証を強く要求。
6. 米政府内の対立:
➢ 国務省(ベーカー)は「不拡大」を強調、国防総省(チェイニー)は「将来的可能性」を残す方針。
➢ この対立がクリントン政権時のNATO拡大決定に影響。
7.現在への影響:
➢ ウクライナ危機(2014年~)におけるロシアの「NATO拡大反対」論の根拠に。
➢ 歴史的文書の解釈が、現代地政学の核心課題に直結。
これらの一次文書は、冷戦終結期の外交交渉が「口頭保証」「文書の解釈差」「国内事情の相互作用」で形作られたことを如実に示す。特にNATO拡大を巡る現在の国際対立を理解する上で、歴史的経緯の詳細な検証が不可欠であることを浮き彫りにしている。
[概要]
1990年初頭のドイツ統一をめぐる議論と交渉について詳述したもので、主に米独ソの指導者間のやりとりに焦点を当てている。重要な議題は、NATOの将来とソ連の安全保障上の懸念に関するドイツ統一の影響に対処することであった。ドイツのハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー外相は、NATOは東方には拡大せず、NATOに関しては統一ドイツを別格に扱うと提案した。この保証はソ連の不安を和らげる上で極めて重要であった。ジェームズ・ベーカーやミハイル・ゴルバチョフのような人たちが、高まる緊張と東欧諸国の期待を管理しながら、西側の野心とソ連の安全保障上の必要性を一致させるという難題を乗り切ったのである。
[主なポイント]
1. ゲンシャーの提案は、NATOが東方へ拡大しないことを強調し、安全保障に関するソ連の懸念に対処するものであった。
2. 英独首脳の対話は、NATOの拡張の限界について共通の理解を示していた。
3. ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、統一後にNATOの管轄権が東方へ拡大しないことを保証した。
4. 2プラス4交渉は、ドイツ統一の内的・外的側面に対処する上で極めて重要であった。
5. ソ連の指導者たちは、NATOの意図と外交政策への統合のスピードに警戒感を示した。
6. 米国は欧州におけるプレゼンスを維持する一方、冷戦後の状況においてNATOの役割を再構築することを目指した。
7. 最終合意には、統一ドイツにおけるソ連軍の存在と地位に関する法的根拠と条件が含まれていた。
[背景・文脈]
冷戦が終わりに近づいた1990年初頭、ベルリンの壁崩壊後のドイツ統一に関する話し合いが始まった。このプロセスは、特にNATOの将来やソ連の安全保障上の懸念など、難題をはらんでいた。西側諸国はドイツをNATOに統合することを熱望し、欧州の安定と米国の戦略的足場として重要視していた。逆に、ゴルバチョフ政権下のソ連は、内圧と国家的自尊心に直面しており、ソ連の安全保障上の利益に適切に対処することが不可欠であった。
[主要な論点]
主要な所見は、NATOの潜在的な拡大に対するソ連指導部の不安を管理しながら、平和的な統一プロセスを確保することを目的とした複雑な外交的操縦を強調するものである。NATOの構造が変化することはないというゲンシャーの主張は、ソ連の不安を和らげるためのものであった。ベーカーによる複数の保証は、円滑な移行とパートナーシップを確保することを目的とした米国の外交戦略にとって不可欠な要素であった。
[裏付けとなる証拠]
資料には、ゴルバチョフとベーカーとの会話を詳細に記したメモがあり、進行中の交渉、特にNATOの管轄権に関する確約を反映している。さらに、英米の文書には、ゴルバチョフの安全保障上の懸念に対処するための協力的な取り組みが強調されており、ドイツ統一のために有利な状況を作り出す必要性が強調されている。
[結論・示唆]
最終的な合意は、外交的保証を通じてソ連の懸念をなだめつつ、ドイツの安定した再統一を可能にする枠組みを確立した。しかし、当初は約束されたと認識されていたにもかかわらず、その後の行動によってNATOの拡大に対する警戒感が高まり、ロシアと西側諸国との間の長年の相互不信を助長することになった。
[主要な洞察]
1. 信頼構築は交渉の中心であり、ソ連の懸念を和らげるために多くの口頭での保証が必要であった。
2. 文書は、平和的統合という公的な物語と、NATOの意図に対する根底にある不安との間の二律背反を明らかにしている。
3. 欧州の安全保障体制を理解することは、統一に向けた地政学的な情勢がどのように形成されたかを明らかにする。
4. 東欧諸国がNATOに加盟する可能性は、このような議論の中で根付き始め、将来の拡大への舞台を整えた。
5. NATOの役割の受け入れに関するソ連内部の反対意見は、ゴルバチョフとその政府が直面した課題を示している。
[疑問]
問1:ドイツ統一に関するソ連の主な懸念は何か
・ソ連は主に、ドイツの再統一後にNATOが東方へ拡大する可能性を懸念していた。
問2:アメリカはNATOに関してソ連にどのような保証をしたのか
・ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、NATOが東方へ拡大することはなく、ドイツ統一によって旧ドイツ民主共和国領域にNATOが軍事的に進駐することもないと保証した。
問3:ゲンシャーは交渉でどのような役割を果たしたのか
・ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー西ドイツ外相は、NATOの東ヨーロッパへの非拡大を主張し、ドイツのNATO加盟がソ連の利益を尊重するために微妙に扱われるようにすることで、重要な役割を果たした。
問4: Two-Plus-Four枠組みとはどのようなものであっか
・ツー・プラス・フォーの枠組みは、ドイツの2つの国家(東西)と4つの占領国(米、英、仏、ソ連)によって構成され、ドイツ統一をめぐる条件と外交関係を取り決めるものであった。
問5:NATOの範囲に関する当初の保証は将来の拡張においても有効であっか
否、1990年代のNATOによるその後の行動は、ゴルバチョフに提供された以前の保証と矛盾する東欧への拡張をもたらし、その後の数十年間におけるNATOとロシアの関係の緊張の一因となった。
【参考】
☞ ゴルバチョフに提供されたNATOの東方不拡大保証とその後のNATOの行動
1. NATO東方不拡大の保証に関する背景
1990年のドイツ統一交渉の過程で、西側諸国はソビエト連邦に対してNATOの東方不拡大を保証したか否かについて、歴史的に議論が続いている。
この問題の核心は、1990年2月のジェームズ・ベイカー米国務長官とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領の会談にある。
ベイカーは当時、東西ドイツ統一後の安全保障問題について話し合う中で、「NATOの管轄区域は東に1インチたりとも広がらない(not one inch eastward)」という表現を用いたとされる。
これはドイツ再統一に関する議論の文脈であり、具体的な条約や書面による約束ではなかったが、ソ連側はこれを「NATO拡大の自制」に関する非公式な保証と解釈した。
また、当時のドイツ首相ヘルムート・コールや外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーも、ソ連側に対し「NATOは東方拡大を行わない」とする趣旨の発言を行っている。
一方、米国やドイツの政府関係者は後に「この約束はワルシャワ条約機構加盟国にまで適用されるものではなく、単に旧東ドイツ領内でNATOの軍事プレゼンスを制限する趣旨だった」と主張している。
2. 1990年代のNATOの拡大
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、東欧諸国は急速に西側諸国との関係を強化し、EUやNATOへの加盟を模索するようになった。
これに対し、NATOは公式には「NATO拡大は自国の意思に基づく加盟国の決定であり、他国が拒否すべきものではない」との立場を取った。
主な拡大の流れは以下の通り。
・1997年:NATOはポーランド、チェコ、ハンガリーの加盟交渉を開始。ロシアは強く反発し、NATO・ロシア基本条約(NATO-Russia Founding Act)が締結される。この条約では「NATOは現状では東欧に大規模な軍を恒久配備しない」と約束されたが、東方拡大自体は否定されなかった。
・1999年:ポーランド、チェコ、ハンガリーが正式加盟(冷戦終結後の初の東方拡大)。
・2004年:バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアが加盟。これにより、旧ソ連領だったバルト三国がNATO圏に組み込まれる。
・2009年:アルバニアとクロアチアが加盟。
・2017年:モンテネグロが加盟。
・2020年:北マケドニアが加盟。
・2023年:フィンランドが加盟。
・2024年:スウェーデンの加盟が確定。
3. ロシアの反発とNATO拡大の影響
・ロシアは、NATOの拡大を「1990年の約束違反」と見なし、これを強く批判してきた。
特にウクライナとジョージアのNATO加盟問題は、ロシアの安全保障政策において重要な争点となった。
・2008年:NATOはブカレスト首脳会議で、ウクライナとジョージアの将来的な加盟を支持すると決定。これに対しロシアは警告を発し、同年のグルジア紛争(南オセチア戦争)が発生した。
・2014年:ロシアはクリミアを併合し、ウクライナ東部の紛争を支援。
・2022年:ロシアは「NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かす」と主張し、ウクライナへの全面侵攻を開始。
4. 結論
1990年にゴルバチョフに対して「NATOは東方へ拡大しない」との発言があったことは事実であるが、それが法的拘束力を持つ約束だったかについては見解が分かれる。
西側は「正式な条約ではない」と主張し、ロシア側は「政治的約束を破った」と非難している。
その後のNATOの拡大は、ロシアと西側の関係を決定的に悪化させ、現在のウクライナ戦争の背景にもなっている。
☞ ウクライナ危機(2014年~)は、ウクライナ国内の政治対立が国際紛争へと発展し、ロシアの軍事介入や領土併合を引き起こした一連の事件を指す。背景にはウクライナの「欧州統合」をめぐる国内分裂、ロシアの地政学的戦略、NATO拡大問題が絡んでいる。以下に経緯と要点を説明する。
背景:ウクライナの東西分裂
1.文化的・歴史的要因
・西部:カトリック圏、ウクライナ語主体、欧州統合志向が強い。
・東部・南部:正教圏、ロシア語が広く使用、旧ソ連時代の産業基盤があり親露的。
2.政治対立
・2004年「オレンジ革命」で親欧米派政権が誕生するも、2010年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が当選。
2014年危機の直接的な発端
1.ユーロマイダン革命(2013-2014年)
・ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定締結を突然中止し、ロシアとの関係強化を選択。
・これに抗議する親欧米派市民が首都キーウ(キエフ)で大規模デモ(ユーロマイダン)を展開。
・2014年2月、治安部隊との衝突で100人以上が死亡し、ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命。
2.クリミア併合(2014年3月)
・ロシアが「クリミア半島のロシア系住民保護」を名目に軍事介入。
・住民投票(国際的に非承認)を実施し、クリミアを「ロシア編入」と宣言。
・ウクライナは領土主権侵害として非難。欧米は対ロ制裁を発動。
3.ドンバス戦争(2014年~)
・東部ドネツク・ルハンスク州で親露派武装勢力が「独立」を宣言し、ウクライナ政府軍と衝突。
・ロシアが武装勢力を支援(武器供与・義勇兵派遣)とされるが、ロシアは関与を否定。
・2014-2015年の「ミンスク合意」で停戦が試みられるも、紛争は膠着状態に。
ロシアの主張と動機
1.地政学的懸念
・ウクライナのNATO加盟を「国境への脅威」とみなし、阻止を目的とした。
・クリミアのセヴァストポリ港はロシア黒海艦隊の重要基地。
2.歴史的・文化的理由
・「ウクライナはロシアの一部」とするナラティブ(プーチン大統領の論文で強調)。
・ロシア語話者保護を名目に介入を正当化。
3.国内政治
・2012年反政府デモ以降、プーチン政権が「愛国主義」を強調する必要性。
国際社会の反応
1.欧米の対応
・ロシアに対し経済制裁(エネルギー・金融・個人資産凍結)。
・ウクライナに軍事・経済支援を継続。
2.ロシアの反発
・制裁を「西側の内政干渉」と非難。
・中国・インドなど非西側諸国の中立的立場が目立つ。
3.国際法違反の指摘
・国連総会でクリミア併合を「無効」とする決議(2014年3月、賛成100カ国)。
2022年全面侵攻への展開
・2022年2月、プーチン大統領がウクライナ東部の「独立承認」を宣言。
・ロシア軍が全面侵攻を開始し、戦争が長期化。NATO加盟国への武器供給やロシアのエネルギー戦略が国際経済を揺るがす。
核心的な争点
1.ウクライナの主権 vs ロシアの勢力圏維持
・ウクライナが「欧州統合」か「ロシア圏」かをめぐる代理戦争の様相。
2.NATO拡大問題
・ロシアは「1990年代の米国の約束違反(NATO不拡大)」を主張。
・西側は「各国の主権的選択」を尊重すると反論。
3.エネルギー戦略
・ウクライナ経由の天然ガスパイプライン(例:ノルドストリーム)をめぐる対立。
現在の状況(2023年時点)
・ウクライナ東部・南部の一部がロシア実効支配下。
・欧米の対露制裁は継続も、エネルギー価格高騰で欧州が打撃。
・和平交渉の糸口は見えず、戦争の長期化が懸念される。
ウクライナ危機は、冷戦後の欧州秩序の再編をめぐる対立が顕在化した事件である。ロシアの行動は「大国の勢力圏維持」という19世紀的な地政学と、21世紀の国際法・主権尊重の原則が衝突する構図を示している。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
NATO Expansion: What Gorbachev Heard NATIONAL SECURITY ARCGIVE 40 YEARS OF FREEDOM OF INFORMATION ACTION
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2017-12-12/nato-expansion-what-gorbachev-heard-western-leaders-early#_edn16
参照:【桃源閑話】NATO拡大:ゴルバチョフが聞いたこと 2024-09-12
https://koshimizu-tougen.asablo.jp/blog/2024/09/12/9716280
【概要】
各ドキュメントは、冷戦終結直後の欧州安全保障を巡る各国の駆け引きと、NATO拡大をめぐる約束・懸念・戦略的計算を多角的に記録している。特に米ソ間の「東方拡大しない」との保証と、その後の政策転換の伏線が注目される。
ドキュメント01
1990年2月1日付の米国大使館ボン発の機密電報。西ドイツ外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが1月31日に発表した「チュッツィング演説」の内容を報告。ゲンシャーはNATOの東方拡大を否定し、東ドイツ(GDR)地域の特別扱いを提案。ソ連への配慮として「NATOの東方拡大はない」との姿勢を示した。この演説は欧米メディアで広く報じられ、早期の東西統一議論における安全保障の枠組みを規定した。
ドキュメント02
1990年2月6日の英外相ダグラス・ハードとゲンシャーの会談記録。ゲンシャーが「NATOの拡大はGDR以外の東欧諸国にも適用されない」と明言し、ポーランドなど旧ワルシャワ条約機構国がNATOに即時加盟する可能性を否定。英国側はこの見解を米国と共有したが、後の米国国務省の分析ではこの議論が見過ごされたと指摘されている。
ドキュメント03
1990年2月6日、冷戦戦略家ポール・ニッツェがブッシュ大統領に送った覚書。「フォーラム・フォーア・ジャーマニー」会議で東欧指導者がNATOとワルシャワ条約機構の解体を主張したが、ニッツェがNATOの重要性を説き、安定性と米軍の欧州駐留の必要性を強調。東欧側の見方を転換させた経緯が記される。
ドキュメント04
1990年2月9日のベーカー米国務長官とソ連外相シェワルナゼの会談記録。ベーカーが「統一ドイツのNATO残留」を主張しつつ、「NATOの管轄権や軍が東方に拡大しない」との保証を提示。ただし文書の一部は機密扱いのまま。ドイツ統一の枠組みとして「2プラス4」(東西ドイツ+4占領国)方式を提案。
ドキュメント05
同日のベーカーとゴルバチョフ書記長の会談。ベーカーが「NATOの現在の境界から1インチも東に拡大しない」と繰り返し保証。ゴルバチョフは「NATO拡大は容認できない」と応じたが、米側の記録では回答部分が削除されている。ソ連側の記録と一致する内容。
ドキュメント06
ゴルバチョフ財団が公開したソ連側の会談記録。ベーカーが「NATOの軍事管轄権が東に広がらない」と3度保証し、ゴルバチョフが「拡大は受け入れられない」と返答。ベーカーが「中立ドイツvs NATO残留ドイツ」の選択を問う場面も記述。東ドイツへの言及がなく、広範な東方拡大否定と解釈可能。
ドキュメント07
1990年2月9日、米大統領補佐官ロバート・ゲイツとKGB議長クリュチコフの会談。ゲイツが「NATO軍が東に展開しない」との提案を再確認。クリュチコフは「保証の検証が必要」と慎重姿勢を示し、ソ連世論の懸念を指摘。米政府内で調整された対ソ戦略が裏付けられる。
ドキュメント08
1990年2月10日、ベーカーからコール首相への書簡。モスクワ会談の内容を伝え、ゴルバチョフが「中立ドイツ」より「NATO残留」を選ぶ可能性に言及。「2プラス4」プロセスを推進する必要性を強調。ドイツ側にソ連への配慮を促す内容。
ドキュメント09
1990年2月10日のコールとゴルバチョフの会談記録。コールが「NATOは東方に拡大しない」と保証し、ソ連軍の東ドイツ暫定駐留に合意。ゴルバチョフは「ワルシャワ条約からGDRが離脱すれば体制のバランスが崩れる」と懸念を示すが、現実的な対応へ傾く。
ドキュメント10
1990年2月12-13日のオタワ会議(「オープンスカイ」交渉)におけるソ連外相側近の記録。シェワルナゼがドイツ統一の急進展に不快感を示し、ベーカーが「NATO管轄権の東方不拡大」を繰り返し提案。ソ連側が「統一」ではなく「結束」の表現を要求するなど、用語を巡る対立が浮き彫りに。
ドキュメント11
1990年2月21日の米国務省内部文書。「2プラス4」方式の利点として、米国が統一プロセスを管理しつつソ連を巻き込む戦略を分析。コールがソ連と独自に合意するリスクを懸念。ベーカーの手書きメモに「これこそレバレッジド・バイアウトだ」との興奮が記される。
ドキュメント12
1990年2月20-21日のハベル・チェコスロバキア大統領とブッシュの会談。ハベルが当初主張した「NATO解体」論が、ブッシュの説得により「米軍駐留の重要性」へ転換。CSCE(欧州安全保障協力会議)を基盤とした新安全保障構想も議論される。
ドキュメント13
1990年2月24日のブッシュとコールのキャンプ・デービッド会談。NATO残留を最優先し、「ソ連に勝利した以上、譲歩しない」との強硬姿勢を確認。コールが「ソ連への資金支援」を、ブッシュが「ドイツの財政負担」をそれぞれ示唆。
ドキュメント14
1990年4月6日のブッシュとシェワルナゼ会談。ゴルバチョフ書簡を基に、経済支援(最恵国待遇)とリトアニア問題を協議。ブッシュが「欧州全体の自由」と「共通の欧州の家」を協調させつつ、NATOの重要性を再確認。
ドキュメント15
1990年4月11日の英外相ハードとゴルバチョフ会談。ゴルバチョフが「新欧州安全保障構造の構築」を主張し、NATO単独での拡大に反対。過渡期の安全保障バランス維持を要求。英国はソ連の尊厳を配慮する姿勢を示す。
ドキュメント16
1990年4月18日、ソ連共産党国際部長ファーリンがゴルバチョフに提出した覚書。西側がソ連を孤立化させようとしていると警告し、法的拘束力ある平和条約で安全保障を担保するよう提言。NATO拡大阻止のため、軍縮交渉を活用すべきと主張。
ドキュメント17
1990年5月4日、ベーカーがブッシュに送った報告。シェワルナゼとの会談で「NATOの政治的変革とCSCE強化」を説明し、ソ連の懸念を緩和。ただしソ連世論が「NATO加盟ドイツ」を受け入れる心理的困難を指摘。
ドキュメント18
1990年5月18日のベーカーとゴルバチョフ会談。ベーカーが9項目の保証を提示しつつ「NATOは夢ではない」と発言。シェワルナゼが「NATO加盟はペレストロイカを破壊する」と警告。ゴルバチョフは「ソ連もNATO加入を検討」と冗談交じりに反応。
ドキュメント19
1990年5月25日のミッテラン仏大統領とゴルバチョフ会談。ミッテランが「NATO拡大阻止は不可能」と現実論を示しつつ、ソ連への保証を支持。ゴルバチョフは「米国がNATOで世界を管理しようとしている」と懸念を表明。
ドキュメント20
1990年5月25日、ミッテランからブッシュへの書簡。ゴルバチョフの不安が本物であると指摘し、法的平和協定と具体的保証の必要性を提言。ソ連を孤立させないよう協調を求める。
ドキュメント21
1990年5月31日のブッシュとゴルバチョフ会談。「二つの錨」(NATOとワルシャワ条約双方への関与)構想が議論される。ベーカーが「精神分裂的」と反論。ゴルバチョフは「ソ連国民の反発が改革を阻害する」と警告。
ドキュメント22
1990年6月8日のサッチャー英首相とゴルバチョフ会談。CSCEを欧州安全保障の基盤と位置づけ、ソ連の安全を保証する必要性を確認。ゴルバチョフが「非伝統的解決」を求め、サッチャーが現実的対応を主張。
ドキュメント23
1990年7月15日のコールとゴルバチョフ会談。東ドイツ地域へのNATO軍不展開、ソ連軍の暫定駐留、住宅建設支援で合意。コールが「NATOの未来像を共有」と発言。ソ連側記録ではゴルバチョフが事実上NATO残留を容認。
ドキュメント24
1990年7月17日のブッシュとゴルバチョフの電話会談。ロンドン宣言(NATOの非侵略宣言・ソ連との協力拡大)を説明。ゴルバチョフが経済改革の困難を訴え、ブッシュが支援の必要性に同意しつつ直接援助は回避。
ドキュメント25
1990年9月12日の「2プラス4」最終協定文書。旧東ドイツ地域の「特別軍事地位」を規定。NATO軍の恒久展開を禁止するが、緊急時の移動を可能とする「合意覚書」が付帯。後のNATO拡大論争で「精神違反」と批判される伏線。
ドキュメント26
1990年10月22日の米国務省戦略文書。NATOの存続理由を「ソ連脅威の可能性」としつつ、東欧加盟は「現時点で不適切」と結論。ソ連改革への悪影響を懸念し、連絡事務所設置までに留める方針。
ドキュメント27
1990年10月25日の米政府内部文書。国防総省(チェイニー)が「NATO拡大の可能性を残す」のに対し、国務省が「拡大は議題にない」と表明する方針対立。ブッシュ政権は国務省案を採用したが、次政権で国防案が復活。
ドキュメント28
1991年3月5日の英大使ブライスウェイト日記。メージャー英首相がソ連軍指導者に「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。外相ハードも同様の発言を確認。英国の公式見解として記録。
ドキュメント29
1991年4月27日、ウォルフォウィッツ米国防次官補とハベル大統領の会談。チェコがNATO加盟を目指す方針を確認。ソ連との二国間協定で「反ソ同盟不参加」条項を拒否するよう助言。東欧のNATO志向が明確化。
ドキュメント30
1991年7月1日、ロシア最高会議代表団の報告書。NATO事務総長ヴェルナーが「拡張しない」と明言し、ポーランド・ルーマニア加盟に反対した事実を伝達。ソ連の欧州包摂を強調する内容。エリツィン側近が懸念を記録。
【詳細】
以下に各ドキュメントの詳細な説明を、時系列と文脈に沿って整理する。冷戦終結期の欧州安全保障を巡る複雑な駆け引きが浮かび上がる構成である。
ドキュメント01:米国大使館ボン機密電報(1990年2月1日)
・背景:東西ドイツ統一が現実味を帯び始めた時期。
・内容:西ドイツ外相ゲンシャーが「チュッツィング演説」で「NATOの東方拡大はない」と宣言。東ドイツ(GDR)地域を「特別軍事ステータス」とする構想を初めて公式化。
・意義:
➢ ソ連への配慮として「NATO不拡大」を打ち出し、後の交渉の基調を設定。
➢ メディアで広く報じられ、西側の初期の公式姿勢として国際的に認知される。
ドキュメント02:英外相ハードとゲンシャー会談記録(1990年2月6日)
・背景:英国が米ソの動向を探りつつ独自の仲介役を模索。
・内容:
➢ ゲンシャーが「ポーランドがワルシャワ条約を脱退してもNATO加盟は認めない」と明言。
➢ ハードがこの発言を「ソ連への配慮」と評価し、米国に共有。
・意義:西側陣営内で「NATO不拡大」が一時的な合意となった証左。後の米国務省の見解(「東ドイツ限定の議論」)との齟齬を示す。
ドキュメント03:ポール・ニッツェ覚書(1990年2月6日)
・背景:東欧民主化後、旧社会主義国のNATO加盟論が浮上。
・内容:
➢ ベルリン会議でハンガリー・ポーランド代表が「NATO解体」を主張。
➢ ニッツェが「NATOは欧州安定の要」と反論し、東欧側を説得。
・意義:米政府内で「NATO存続」が最優先課題であることを示す内部文書。
ドキュメント04:ベーカー=シェワルナゼ会談(1990年2月9日)
・背景:ドイツ統一の枠組み「2プラス4」方式の提案直前。
・内容:
➢ ベーカーが「NATO管轄域の東方不拡大」を保証。
➢ ただし「中立ドイツは独自核武装するリスク」と警告。
・特記:米側文書はソ連軍の東ドイツ駐留問題に言及せず、後の解釈論争の一因に。
ドキュメント05:ベーカー=ゴルバチョフ会談(米側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの境界1インチも東へ拡大しない」と3度繰り返し。
➢ ゴルバチョフの返答部分が米文書で削除(ソ連文書では「容認できない」と明記)。
・意義:米ソ間で「不拡大」保証が交わされた決定的瞬間。後にNATO拡大時の「約束違反」論の根拠に。
ドキュメント06:同会談(ソ連側記録)(1990年2月9日)
・内容:
➢ ベーカーが「NATOの軍事機能縮小」を約束。
➢ ゴルバチョフが「欧州の安定には米ソ双方の駐留が必要」(ポーランド大統領発言引用)。
・分析:米側が「東ドイツ限定」と解釈できる記述がなく、広範な「東方不拡大」を示唆。
ドキュメント07:ゲイツ=クリュチコフ会談(1990年2月9日)
・背景:CIA副長官ゲイツがKGB議長と秘密接触。
・内容:
➢ ゲイツが「NATO軍の東ドイツ不展開」を再確認。
➢ クリュチコフ「保証の検証が必要」と要求。
・意義:米政府内(大統領府・国務省・CIA)で方針が統一されていたことを示す。
ドキュメント08:ベーカーからコールへの書簡(1990年2月10日)
・内容:
➢ ゴルバチョフが「NATO残留ドイツ」を默認する可能性を報告。
➢ 「2プラス4」交渉でソ連に「体裁(カバー)」を与えるよう助言。
・特記:コールが同日のゴルバチョフ会談でこの戦略を実行。書簡はドイツ側が1998年まで非公開に。
ドキュメント09:コール=ゴルバチョフ会談(1990年2月10日)
・内容:
➢ コール「NATOは東方に拡大しない」と保証。
➢ ゴルバチョフ「ワルシャワ条約なしのGDRは不安定」と懸念。
・結果:ソ連が統一ドイツのNATO残留を事実上受諾する転換点。
ドキュメント10:オタワ会議ソ連側記録(1990年2月12-13日)
・背景:「オープンスカイ」交渉中にドイツ問題が急浮上。
・内容:
➢ シェワルナゼが統一プロセスの急進展に不快感。
➢ ベーカーが「NATO管轄不拡大」を繰り返し提案。
・特記:「統一(Unification)」か「結束(Unity)」かの用語論争が露呈。
ドキュメント11:米国務省「2プラス4」分析メモ(1990年2月21日)
・背景:ドイツ統一交渉の主導権を米国が掌握する必要性。
・内容:
利点:
➢ 米国が統一プロセスを管理し、ソ連を交渉に巻き込みつつ拒否権を阻止。
➢ 西ドイツがソ連と単独合意するリスクを軽減。
懸念:
➢ ソ連が「4カ国(米英仏ソ)による戦後処理」を主張する可能性。
戦術:
➢ 公式会合前に「1(西独)+3(米英仏)」で調整し、西側結束を維持。
・特記:
➢ ベーカーの手書きメモ「これぞレバレッジド・バイアウト!」は、ソ連を交渉テーブルに縛りつける戦略的成功を強調。
➢ 後の「2プラス4」交渉の青写真となり、米国の主導性を決定づけた。
ドキュメント12:ハベル=ブッシュ会談(1990年2月20-21日)
・背景:チェコスロバキアの民主化後、ハベルが初めての米国訪問。
・内容:
ハベルの変遷:
➢ 当初:「NATOとワルシャワ条約の解体」を主張(国会演説で暗示)。
➢ ブッシュ説得後:「米軍駐留の必要性」を認め、CSCEを基盤とした新秩序構想へ転換。
戦略的意図:
➢ ブッシュが東欧指導者に「NATOの不可欠性」を教育する過程を反映。
・意義:東欧諸国のNATO加盟志向の起点となる「意識改革」の事例。
ドキュメント13:ブッシュ=コール・キャンプデービッド会談(1990年2月24日)
・背景:ゲンシャー外相の「CSCE重視」発言に米独が警戒。
・内容:
合意事項:
➢ 統一ドイツのNATO残留を絶対条件に設定。
➢ ソ連への経済支援は「ドイツが負担」(コール「我々は深いポケットを持つ」)。
ブッシュの発言:
➢ 「ソ連に勝利したのだから譲歩しない(To hell with that. We prevailed)」。
・分析:冷戦勝利者の驕りが、後のNATO拡大論の精神的土壌に。
ドキュメント14:ブッシュ=シェワルナゼ会談(1990年4月6日)
・背景:リトアニア独立宣言(3月)で米ソ関係が緊迫。
・内容:
経済圧力:
➢ シェワルナゼがMFN(最恵国待遇)早期付与を要求。
➢ ブッシュが「リトアニア問題解決が前提」と応酬。
安全保障:
➢ ブッシュ「NATOは変化する」と表明しつつ、軍事的機能維持を強調。
➢ 意義:経済支援を梃子にソ連の安全保障譲歩を引き出す米戦略が明瞭に。
ドキュメント15:英外相ハード=ゴルバチョフ会談(1990年4月11日)
・内容:
ゴルバチョフの主張:
➢ 「NATO単独拡大は欧州の不安定化を招く」。
➢ 「新欧州安保構造(CSCE発展型)の構築が必要」。
英国の姿勢:
➢ 「ソ連の尊厳を損なわない」と配慮を示すが、NATO堅持は変えず。
・分析:英国が仲介者として「ソ連の面子」を保ちつつ西側利益を追求。
ドキュメント16:ファーリン覚書(1990年4月18日)
・背景:ソ連共産党国際部長の危機感。
・内容:
警告:
➢ 西側が「伝統的欧州(東欧)からソ連を切り離そうとしている」。
➢ ゴルバチョフの宥和策がソ連を不利に導く。
提言:
➢ 法的平和条約で「NATO不拡大」を明文化。
➢ CFE(通常戦力削減交渉)を活用し西側を牽制。
・意義:ソ連内の対米不信派の声を代表し、後のNATO拡大反対論の根拠に。
ドキュメント17:ベーカー報告(1990年5月4日)
・背景:ソ連のリトアニア軍事圧力で米ソ関係悪化。
・内容:
➢ シェワルナゼが「NATO加盟ドイツはソ連国民に受け入れ難い」と表明。
➢ ベーカーが「NATOの政治化・CSCE強化」でソ連の不安を緩和しようと試みる。
・分析:心理的要素を重視した米外交の限界が露呈。
ドキュメント18:ベーカー=ゴルバチョフ会談(1990年5月18日)
・内容:
保証の矛盾:
➢ ベーカーが「NATOは夢ではない」と本音を漏らす。
➢ シェワルナゼ「NATO拡大はペレストロイカを破壊する」と警告。
ゴルバチョフのジレンマ:
➢ 「ソ連もNATOに加盟するか?」と逆提案(半ば本気の試探し)。
・意義:ソ連指導部の絶望感と、米側の保証が空文化しつつある兆候。
ドキュメント19:ミッテラン=ゴルバチョフ会談(1990年5月25日)
・内容:
ミッテランの現実主義:
➢ 「NATO拡大阻止は不可能。保証でソ連の安全を担保せよ」。
ゴルバチョフの不信:
➢ 「米国はNATOで世界を支配しようとしている」。
・分析:フランスが「欧州の自律性」を模索しつつ、NATO拡大に消極的関与。
ドキュメント20:ミッテラン書簡(1990年5月25日)
・要旨:
➢ ゴルバチョフの懸念は本物であり、法的枠組みで保証すべき。
➢ 米国に「ソ連を包摂する新欧州秩序」を要請。
・意義:フランスの仲介努力が、後のNATO・ロシア基本合意(1997年)の先駆け。
ドキュメント21:ブッシュ=ゴルバチョフ首脳会談(1990年5月31日)
・核心:
「二つの錨」論争:
➢ ゴルバチョフ:統一ドイツがNATOとワルシャワ条約に「同時加盟」を提唱。
➢ ベーカー:「現実離れした精神分裂的(schizophrenic)構想」と一蹴。
ゴルバチョフの警告:
➢ 「ソ連国民が敗北感を抱けば改革が止まる」。
・結果:米側が「NATO変革」を約束し、ソ連が統一ドイツのNATO残留を黙認。
ドキュメント22:サッチャー=ゴルバチョフ会談(1990年6月8日)
・内容
サッチャーの現実主義:
➢ 「CSCEを安保の枠組みに発展させるが、NATOは維持」。
ゴルバチョフの懐疑:
➢ 「西側の一方的行動は新冷戦を招く」。
・分析:英国が「ソ連の安全保証」と「西側結束」のバランスを模索。
ドキュメント23:コール=ゴルバチョフ会談(1990年7月15日)
・合意内容:
東ドイツ地域の特別扱い:
➢ NATO軍の恒久展開禁止。
➢ ソ連軍の暫定駐留(1994年まで)を許可。
経済支援:
➢ ソ連軍撤退費用として120億マルクをドイツが拠出。
・意義:ドイツ統一の最終合意。ソ連が事実上NATO拡大を容認した瞬間。
ドキュメント24:ブッシュ=ゴルバチョフ電話会談(1990年7月17日)
・背景:ゴルバチョフがCPSU党大会で再選直後。
・内容:
ブッシュの保証:
➢ NATOロンドン宣言(非侵略表明・ソ連との対話拡大)。
➢ CSCEの機構化によるソ連の欧州包摂。
ゴルバチョフの本音:
➢ 「市場改革には西側資金が必要」と訴えるが、具体策なし。
・分析:米国が「安全保障譲歩」と「経済支援回避」を両立させた巧妙な戦略。
ドキュメント25:2プラス4最終協定(1990年9月12日)
・法的内容:
旧東ドイツ条項:
➢ NATO軍の「非展開」を明記(Article 5)。
➢ ただし「合意覚書」で訓練・通過は例外と解釈。
ソ連軍駐留:
➢ 1994年までの段階的撤退で合意。
・現在の論争:
➢ ロシアは「NATO東方拡大はこの『精神』違反」と主張。
➢ 西側は「地理的限定(東ドイツのみ)だった」と反論。
ドキュメント26:NATO戦略文書(1990年10月22日)
・結論:
➢ 「東欧のNATO加盟は現時点で不適切」。
➢ 理由:ソ連改革の阻害を懸念。
・内部対立:
➢ 国務省:加盟議論自体を封じる。
➢ 国防総省(チェイニー):「将来的可能性」を残す。
・意義:クリントン政権の拡大政策との連続性と断絶を示す。
ドキュメント27:ドビンズメモ(1990年10月25日)
・内容:
➢ 国防総省が「NATO拡大の可能性を排除しない」と主張。
➢ 国務省が「拡大は議題にない」と公式見解を堅持。
・分析:政権内の意見不一致が、後の政策混乱の伏線に。
ドキュメント28:メージャー=ソ連軍指導者会談(1991年3月5日)
・内容:
➢ メージャー英首相:「東欧のNATO加盟は想定しない」と保証。
➢ ヤゾフ国防相:「NATO拡大は民主化を阻害する」と警告。
・意義:英国が公式に不拡大を約束した記録。現在のロシアが頻繁に言及。
ドキュメント29:ウォルフォウィッツ=ハベル会談(1991年4月27日)
・背景:東欧諸国のNATO加盟志向が表面化。
・内容:
➢ ハベル:「10年以内にNATO加盟を目指す」と表明。
➢ ウォルフォウィッツ:「ソ連との二国間協定で加盟制限条項を拒否せよ」と助言。
・分析:東欧の自主的な加盟要求が、米国の拡大政策を後押しした事実を示す。
ドキュメント30:ロシア代表団報告(1991年7月1日)
・内容:
➢ NATO事務総長ヴェルナー:「拡張しない」と公式に保証。
➢ ポーランド・ルーマニアの加盟に反対した事実を報告。
・現在の論点:
➢ ロシアは「NATOが約束を破った」と主張。
➢ NATO側は「当時は拡大意図がなかった」と反論。
総括的分析
1. 約束の曖昧さ(解釈差):
➢ 米側は「東ドイツへのNATO軍不展開」を主眼としたが、ソ連は「東欧全域への不拡大」と解釈。
➢ 文書の文言解釈のズームが後の紛争の伏線に。
➢ ソ連:「東方全域への不拡大」と解釈。
➢ 西側:「東ドイツ限定」と主張。
➢ 文書の曖昧な表現が対立の根源に。
2. 欧州の思惑:
➢ 英国・フランスは「NATO維持」を支持しつつ、CSCE(欧州安保協力会議)を通じたソ連包摂を模索。
➢ 東欧諸国は当初「ブロック解体」を主張したが、米の説得でNATO重視へ転換。
3.国内政治の影響:
➢ ゴルバチョフ:党内批判を抑えるため「保証」を必要とした。
➢ クリントン政権:冷戦勝利を背景に拡大を推進。
4.東欧の役割:
➢ 自主的な加盟要求が、西側の政策転換を促した。
➢ ハンガリー・ポーランドなどが「加盟の権利」を強く主張。
5. ソ連の苦悩:
➢ ゴルバチョフは国内批判(保守派から「敗北」と指弾)を受けつつ、現実的な妥協を選択。
➢ 軍部・共産党硬派の反発を抑えるため、「NATO不拡大」の保証を強く要求。
6. 米政府内の対立:
➢ 国務省(ベーカー)は「不拡大」を強調、国防総省(チェイニー)は「将来的可能性」を残す方針。
➢ この対立がクリントン政権時のNATO拡大決定に影響。
7.現在への影響:
➢ ウクライナ危機(2014年~)におけるロシアの「NATO拡大反対」論の根拠に。
➢ 歴史的文書の解釈が、現代地政学の核心課題に直結。
これらの一次文書は、冷戦終結期の外交交渉が「口頭保証」「文書の解釈差」「国内事情の相互作用」で形作られたことを如実に示す。特にNATO拡大を巡る現在の国際対立を理解する上で、歴史的経緯の詳細な検証が不可欠であることを浮き彫りにしている。
[概要]
1990年初頭のドイツ統一をめぐる議論と交渉について詳述したもので、主に米独ソの指導者間のやりとりに焦点を当てている。重要な議題は、NATOの将来とソ連の安全保障上の懸念に関するドイツ統一の影響に対処することであった。ドイツのハンス=ディートリッヒ・ゲンシャー外相は、NATOは東方には拡大せず、NATOに関しては統一ドイツを別格に扱うと提案した。この保証はソ連の不安を和らげる上で極めて重要であった。ジェームズ・ベーカーやミハイル・ゴルバチョフのような人たちが、高まる緊張と東欧諸国の期待を管理しながら、西側の野心とソ連の安全保障上の必要性を一致させるという難題を乗り切ったのである。
[主なポイント]
1. ゲンシャーの提案は、NATOが東方へ拡大しないことを強調し、安全保障に関するソ連の懸念に対処するものであった。
2. 英独首脳の対話は、NATOの拡張の限界について共通の理解を示していた。
3. ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、統一後にNATOの管轄権が東方へ拡大しないことを保証した。
4. 2プラス4交渉は、ドイツ統一の内的・外的側面に対処する上で極めて重要であった。
5. ソ連の指導者たちは、NATOの意図と外交政策への統合のスピードに警戒感を示した。
6. 米国は欧州におけるプレゼンスを維持する一方、冷戦後の状況においてNATOの役割を再構築することを目指した。
7. 最終合意には、統一ドイツにおけるソ連軍の存在と地位に関する法的根拠と条件が含まれていた。
[背景・文脈]
冷戦が終わりに近づいた1990年初頭、ベルリンの壁崩壊後のドイツ統一に関する話し合いが始まった。このプロセスは、特にNATOの将来やソ連の安全保障上の懸念など、難題をはらんでいた。西側諸国はドイツをNATOに統合することを熱望し、欧州の安定と米国の戦略的足場として重要視していた。逆に、ゴルバチョフ政権下のソ連は、内圧と国家的自尊心に直面しており、ソ連の安全保障上の利益に適切に対処することが不可欠であった。
[主要な論点]
主要な所見は、NATOの潜在的な拡大に対するソ連指導部の不安を管理しながら、平和的な統一プロセスを確保することを目的とした複雑な外交的操縦を強調するものである。NATOの構造が変化することはないというゲンシャーの主張は、ソ連の不安を和らげるためのものであった。ベーカーによる複数の保証は、円滑な移行とパートナーシップを確保することを目的とした米国の外交戦略にとって不可欠な要素であった。
[裏付けとなる証拠]
資料には、ゴルバチョフとベーカーとの会話を詳細に記したメモがあり、進行中の交渉、特にNATOの管轄権に関する確約を反映している。さらに、英米の文書には、ゴルバチョフの安全保障上の懸念に対処するための協力的な取り組みが強調されており、ドイツ統一のために有利な状況を作り出す必要性が強調されている。
[結論・示唆]
最終的な合意は、外交的保証を通じてソ連の懸念をなだめつつ、ドイツの安定した再統一を可能にする枠組みを確立した。しかし、当初は約束されたと認識されていたにもかかわらず、その後の行動によってNATOの拡大に対する警戒感が高まり、ロシアと西側諸国との間の長年の相互不信を助長することになった。
[主要な洞察]
1. 信頼構築は交渉の中心であり、ソ連の懸念を和らげるために多くの口頭での保証が必要であった。
2. 文書は、平和的統合という公的な物語と、NATOの意図に対する根底にある不安との間の二律背反を明らかにしている。
3. 欧州の安全保障体制を理解することは、統一に向けた地政学的な情勢がどのように形成されたかを明らかにする。
4. 東欧諸国がNATOに加盟する可能性は、このような議論の中で根付き始め、将来の拡大への舞台を整えた。
5. NATOの役割の受け入れに関するソ連内部の反対意見は、ゴルバチョフとその政府が直面した課題を示している。
[疑問]
問1:ドイツ統一に関するソ連の主な懸念は何か
・ソ連は主に、ドイツの再統一後にNATOが東方へ拡大する可能性を懸念していた。
問2:アメリカはNATOに関してソ連にどのような保証をしたのか
・ベーカー米国務長官はゴルバチョフに対し、NATOが東方へ拡大することはなく、ドイツ統一によって旧ドイツ民主共和国領域にNATOが軍事的に進駐することもないと保証した。
問3:ゲンシャーは交渉でどのような役割を果たしたのか
・ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー西ドイツ外相は、NATOの東ヨーロッパへの非拡大を主張し、ドイツのNATO加盟がソ連の利益を尊重するために微妙に扱われるようにすることで、重要な役割を果たした。
問4: Two-Plus-Four枠組みとはどのようなものであっか
・ツー・プラス・フォーの枠組みは、ドイツの2つの国家(東西)と4つの占領国(米、英、仏、ソ連)によって構成され、ドイツ統一をめぐる条件と外交関係を取り決めるものであった。
問5:NATOの範囲に関する当初の保証は将来の拡張においても有効であっか
否、1990年代のNATOによるその後の行動は、ゴルバチョフに提供された以前の保証と矛盾する東欧への拡張をもたらし、その後の数十年間におけるNATOとロシアの関係の緊張の一因となった。
【参考】
☞ ゴルバチョフに提供されたNATOの東方不拡大保証とその後のNATOの行動
1. NATO東方不拡大の保証に関する背景
1990年のドイツ統一交渉の過程で、西側諸国はソビエト連邦に対してNATOの東方不拡大を保証したか否かについて、歴史的に議論が続いている。
この問題の核心は、1990年2月のジェームズ・ベイカー米国務長官とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領の会談にある。
ベイカーは当時、東西ドイツ統一後の安全保障問題について話し合う中で、「NATOの管轄区域は東に1インチたりとも広がらない(not one inch eastward)」という表現を用いたとされる。
これはドイツ再統一に関する議論の文脈であり、具体的な条約や書面による約束ではなかったが、ソ連側はこれを「NATO拡大の自制」に関する非公式な保証と解釈した。
また、当時のドイツ首相ヘルムート・コールや外相ハンス=ディートリヒ・ゲンシャーも、ソ連側に対し「NATOは東方拡大を行わない」とする趣旨の発言を行っている。
一方、米国やドイツの政府関係者は後に「この約束はワルシャワ条約機構加盟国にまで適用されるものではなく、単に旧東ドイツ領内でNATOの軍事プレゼンスを制限する趣旨だった」と主張している。
2. 1990年代のNATOの拡大
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、東欧諸国は急速に西側諸国との関係を強化し、EUやNATOへの加盟を模索するようになった。
これに対し、NATOは公式には「NATO拡大は自国の意思に基づく加盟国の決定であり、他国が拒否すべきものではない」との立場を取った。
主な拡大の流れは以下の通り。
・1997年:NATOはポーランド、チェコ、ハンガリーの加盟交渉を開始。ロシアは強く反発し、NATO・ロシア基本条約(NATO-Russia Founding Act)が締結される。この条約では「NATOは現状では東欧に大規模な軍を恒久配備しない」と約束されたが、東方拡大自体は否定されなかった。
・1999年:ポーランド、チェコ、ハンガリーが正式加盟(冷戦終結後の初の東方拡大)。
・2004年:バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアが加盟。これにより、旧ソ連領だったバルト三国がNATO圏に組み込まれる。
・2009年:アルバニアとクロアチアが加盟。
・2017年:モンテネグロが加盟。
・2020年:北マケドニアが加盟。
・2023年:フィンランドが加盟。
・2024年:スウェーデンの加盟が確定。
3. ロシアの反発とNATO拡大の影響
・ロシアは、NATOの拡大を「1990年の約束違反」と見なし、これを強く批判してきた。
特にウクライナとジョージアのNATO加盟問題は、ロシアの安全保障政策において重要な争点となった。
・2008年:NATOはブカレスト首脳会議で、ウクライナとジョージアの将来的な加盟を支持すると決定。これに対しロシアは警告を発し、同年のグルジア紛争(南オセチア戦争)が発生した。
・2014年:ロシアはクリミアを併合し、ウクライナ東部の紛争を支援。
・2022年:ロシアは「NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かす」と主張し、ウクライナへの全面侵攻を開始。
4. 結論
1990年にゴルバチョフに対して「NATOは東方へ拡大しない」との発言があったことは事実であるが、それが法的拘束力を持つ約束だったかについては見解が分かれる。
西側は「正式な条約ではない」と主張し、ロシア側は「政治的約束を破った」と非難している。
その後のNATOの拡大は、ロシアと西側の関係を決定的に悪化させ、現在のウクライナ戦争の背景にもなっている。
☞ ウクライナ危機(2014年~)は、ウクライナ国内の政治対立が国際紛争へと発展し、ロシアの軍事介入や領土併合を引き起こした一連の事件を指す。背景にはウクライナの「欧州統合」をめぐる国内分裂、ロシアの地政学的戦略、NATO拡大問題が絡んでいる。以下に経緯と要点を説明する。
背景:ウクライナの東西分裂
1.文化的・歴史的要因
・西部:カトリック圏、ウクライナ語主体、欧州統合志向が強い。
・東部・南部:正教圏、ロシア語が広く使用、旧ソ連時代の産業基盤があり親露的。
2.政治対立
・2004年「オレンジ革命」で親欧米派政権が誕生するも、2010年に親露派のヤヌコーヴィチ大統領が当選。
2014年危機の直接的な発端
1.ユーロマイダン革命(2013-2014年)
・ヤヌコーヴィチ政権がEUとの連合協定締結を突然中止し、ロシアとの関係強化を選択。
・これに抗議する親欧米派市民が首都キーウ(キエフ)で大規模デモ(ユーロマイダン)を展開。
・2014年2月、治安部隊との衝突で100人以上が死亡し、ヤヌコーヴィチはロシアへ亡命。
2.クリミア併合(2014年3月)
・ロシアが「クリミア半島のロシア系住民保護」を名目に軍事介入。
・住民投票(国際的に非承認)を実施し、クリミアを「ロシア編入」と宣言。
・ウクライナは領土主権侵害として非難。欧米は対ロ制裁を発動。
3.ドンバス戦争(2014年~)
・東部ドネツク・ルハンスク州で親露派武装勢力が「独立」を宣言し、ウクライナ政府軍と衝突。
・ロシアが武装勢力を支援(武器供与・義勇兵派遣)とされるが、ロシアは関与を否定。
・2014-2015年の「ミンスク合意」で停戦が試みられるも、紛争は膠着状態に。
ロシアの主張と動機
1.地政学的懸念
・ウクライナのNATO加盟を「国境への脅威」とみなし、阻止を目的とした。
・クリミアのセヴァストポリ港はロシア黒海艦隊の重要基地。
2.歴史的・文化的理由
・「ウクライナはロシアの一部」とするナラティブ(プーチン大統領の論文で強調)。
・ロシア語話者保護を名目に介入を正当化。
3.国内政治
・2012年反政府デモ以降、プーチン政権が「愛国主義」を強調する必要性。
国際社会の反応
1.欧米の対応
・ロシアに対し経済制裁(エネルギー・金融・個人資産凍結)。
・ウクライナに軍事・経済支援を継続。
2.ロシアの反発
・制裁を「西側の内政干渉」と非難。
・中国・インドなど非西側諸国の中立的立場が目立つ。
3.国際法違反の指摘
・国連総会でクリミア併合を「無効」とする決議(2014年3月、賛成100カ国)。
2022年全面侵攻への展開
・2022年2月、プーチン大統領がウクライナ東部の「独立承認」を宣言。
・ロシア軍が全面侵攻を開始し、戦争が長期化。NATO加盟国への武器供給やロシアのエネルギー戦略が国際経済を揺るがす。
核心的な争点
1.ウクライナの主権 vs ロシアの勢力圏維持
・ウクライナが「欧州統合」か「ロシア圏」かをめぐる代理戦争の様相。
2.NATO拡大問題
・ロシアは「1990年代の米国の約束違反(NATO不拡大)」を主張。
・西側は「各国の主権的選択」を尊重すると反論。
3.エネルギー戦略
・ウクライナ経由の天然ガスパイプライン(例:ノルドストリーム)をめぐる対立。
現在の状況(2023年時点)
・ウクライナ東部・南部の一部がロシア実効支配下。
・欧米の対露制裁は継続も、エネルギー価格高騰で欧州が打撃。
・和平交渉の糸口は見えず、戦争の長期化が懸念される。
ウクライナ危機は、冷戦後の欧州秩序の再編をめぐる対立が顕在化した事件である。ロシアの行動は「大国の勢力圏維持」という19世紀的な地政学と、21世紀の国際法・主権尊重の原則が衝突する構図を示している。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
NATO Expansion: What Gorbachev Heard NATIONAL SECURITY ARCGIVE 40 YEARS OF FREEDOM OF INFORMATION ACTION
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2017-12-12/nato-expansion-what-gorbachev-heard-western-leaders-early#_edn16
米国のポスト冷戦期の誤り ― 2025年02月08日 18:20
【概要】
ガイダルの「ショック療法」は、資本主義への急激な移行を目指したが、その結果、多くのロシア国民が経済的混乱に陥り、民主主義の支持基盤が弱体化した。メリーの警告は、アメリカの経済政策がロシア国内の反米感情を助長し、最終的にロシアと西側の対立を再燃させる可能性を指摘していた。
この新たに機密解除されたメモは、1990年代のアメリカ外交政策の誤りを改めて浮き彫りにしている。ワシントンは、民主主義と市場経済の進展を同時に推進できると考えていたが、ロシア社会の現実を見誤り、政治的安定よりも急進的な市場改革を優先した。その結果、ロシアの民主主義は脆弱なままとなり、欧米への不信が根付いた。
メリーの指摘通り、アメリカの「援助観光客(assistance tourists)」と呼ばれる専門家たちは、ロシアの実情を十分に理解せず、西側の経済理論を押し付けた。これが逆にロシア国内のナショナリズムや反米感情を刺激し、現在の米ロ関係の対立構造の一因となった可能性がある。
このメモが当時の政策決定に影響を与えていれば、ロシアの民主化プロセスは異なる方向へ進んだかもしれない。しかし、現実には、アメリカは市場経済の強制的な導入を推し進め、ロシア社会の混乱を招いた。この点で、メリーの分析は極めて洞察に満ちたものであったと言える。
【詳細】
新たに機密解除されたメモが示すアメリカのポスト冷戦期の誤り
2024年12月23日、Slate誌のフレッド・カプラン(Fred Kaplan)が発表した記事は、アメリカの対ロシア政策の失敗に関する新たな機密解除文書を紹介し、大きな注目を集めた。この文書は、1994年3月に当時モスクワのアメリカ大使館で内部政治部門の責任者を務めていたウェイン・メリー(Wayne Merry)が作成したもので、ロシアの民主化と経済改革に関するアメリカのアプローチが間違っていたことを鋭く指摘している。
このメモは、従来のアメリカの政策と相反する内容だったため、公式な外交文書として送付されず、「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省上層部に提出された。しかし、当時の政策決定者たちはこれを無視し、メリー自身もその後外交界から事実上追放された。30年を経てこのメモが機密解除されたことで、アメリカの対ロシア政策の失敗が改めて検証されている。
ウェイン・メリーの警告とアメリカの対応
メモのタイトルは「ロシアは誰のものか――善意ある尊重の政策へ(Whose Russia Is It Anyway: Toward a Policy of Benign Respect)」であり、ロシアの経済改革と民主化に対するアメリカのアプローチが誤っていると指摘している。
当時、ボリス・エリツィン大統領は民主化と市場経済改革を推進していたが、その政策は深刻な混乱を招いていた。エリツィンの首相であり「ショック療法(Shock Therapy)」の設計者であるイーゴリ・ガイダル(Yegor Gaidar)の政党は選挙で敗北し、モスクワでは1993年に議会クーデターが発生。エリツィンは戦車を動員してこれを鎮圧した。しかし、アメリカ政府はなおエリツィンを強力なリーダーと見なし、彼の急進的な市場経済改革を成功と考えていた。
メリーはこの状況に強い懸念を示し、「ロシアの民主主義勢力は深刻な危機に瀕している。我々は市場経済への過度な偏重によって、むしろ彼らを支援するのではなく、害を与えている」と主張した。彼の指摘した核心的な問題点は以下の通りである。
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
メリーは「ロシア経済は急速な市場改革に耐えられない」と警告し、「西側がロシア国民の意思に反して経済構造を無理に変えようとすれば、アメリカへの好意的な感情は枯渇し、反民主主義勢力を利し、ロシアと西側の敵対関係を再び生み出す」と述べた。
2. アメリカの「市場至上主義」はロシアでは通用しない
メリーは、「アメリカでは『民主主義』と『市場経済』がほぼ同義のように語られるが、ロシア人にはその概念が理解されない」と述べた。そして、「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人は非常に少なく、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を込めて指摘した。
3. アメリカの「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
メリーは、ロシアに派遣されたアメリカの経済顧問団についても厳しく批判した。彼らはロシアの実情を理解しようとせず、ロシアの経済を実験場のように扱ったという。「ソ連時代に74年間も経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、経済理論家ほど信用できない存在はいない」というメリーの指摘は、当時のロシア人の苛立ちを如実に表している。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先するべきか
メリーは、アメリカは「ロシアの民主主義を守るか、それとも市場経済を推し進めるか、どちらかを選ばなければならない」と述べた。彼は、「市場経済の強制よりも、ロシアが機能的な民主制度を確立することを優先すべきだ」と提言したが、これは当時のワシントンの政策決定者の考えと相容れなかった。
メモのその後とアメリカの反応
メリーのメモは、当時の国務省政策立案部長であるジェームズ・スタインバーグ(Jim Steinberg)によって「刺激的だが、我々の方針と異なる」と一蹴された。スタインバーグは「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、「ロシア経済の自由化はすでにゴルバチョフ時代に始まり、エリツィン政権によってほぼ完了している」と主張した。しかし、メリーは「それは誤りであり、ゴルバチョフはごく限定的な自由化しか行わず、エリツィンの改革も実質的には混乱を生んだだけだ」と指摘した。
メリーのメモは公式には埋もれ、彼はその後アメリカ外交界で冷遇された。彼自身、このメモに対する正式な回答が存在していたことを、今回の機密解除によって初めて知ったという。
30年後の視点から見たメリーの正しさ
現在、ロシアは民主主義とは程遠い政治体制となり、米露関係も冷戦期以来最悪の状態にある。メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、経済改革は一部のオリガルヒを利するものとなり、国民の多くは貧困に苦しんだ。その結果、ウラジーミル・プーチンの台頭を許し、ロシアは再びアメリカと敵対する国家となった。
もし当時のアメリカ政府がメリーの警告を真剣に受け止め、ロシアの民主制度の確立を優先していたら、現在の国際情勢は違ったものになっていた可能性がある。この機密解除文書は、ポスト冷戦期のアメリカ外交の誤りを再評価する上で極めて重要な資料となっている。
【要点】
機密解除されたメモが示すアメリカの対ロシア政策の誤り
概要
・1994年3月、米モスクワ大使館の外交官ウェイン・メリーが「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省に送ったメモが2024年に機密解除された。
・メモはアメリカのロシア政策が誤っており、ロシアの民主化を阻害していると警告していたが、当時の政策決定者には無視された。
・30年後、メリーの指摘が正しかったことが明らかになった。
メモの主張
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
・市場経済改革を急速に推進しすぎたことで、国民の反発を招いた。
・西側の介入により、民主主義を支持するロシア人すら反米感情を抱いた。
・結果として、反民主主義勢力(後のプーチン政権など)を利することになった。
2. 「市場経済=民主主義」というアメリカの発想はロシアには当てはまらない
・アメリカでは民主主義と市場経済はセットだが、ロシア人にはその概念が理解されない。
・「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人はほぼおらず、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を述べた。
3. 「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
・アメリカの経済顧問団がロシアの実情を無視し、教条的な市場改革を押し付けた。
・ソ連時代に散々経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、理論家の言葉は信用されなかった。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先すべきか
・アメリカは市場経済を最優先したが、メリーは民主主義の安定化を優先すべきだと主張。
・無理な市場経済改革が進んだ結果、エリツィン政権への支持が低下し、後のプーチン政権の台頭を招いた。
当時のアメリカ政府の対応
・メモは国務省政策立案部長ジェームズ・スタインバーグにより「刺激的だが、政策とは異なる」と一蹴された。
・「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、ロシア経済はすでに自由化されていると主張。
・メリーの意見は受け入れられず、彼はその後外交界で冷遇された。
30年後の評価
・メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、市場経済改革は一部のオリガルヒを利する結果となった。
・ロシア国民の不満はプーチン政権の正当化につながり、米露関係は冷戦以来最悪の状態に。
・もし当時のアメリカが民主主義の安定を優先していれば、現在の国際情勢は異なっていた可能性がある。
【参考】
☞ エゴール・ガイダルの「ショック療法」
概要
・1992年、ロシアの首相代行エゴール・ガイダルが推進した急速な市場経済化政策。
・価格自由化、補助金削減、大規模民営化などを一気に実施。
・目的:計画経済から市場経済への移行を短期間で達成し、ハイパーインフレを抑制。
・結果:経済混乱が加速し、国民の生活水準が急激に低下。
主な政策
1. 価格自由化(1992年1月2日)
・目的:計画経済下の物資不足を解消し、供給を増やす。
・結果:物価が急騰し、インフレ率が年間2500%に達する。
・国民の貯蓄は実質的に無価値となり、生活苦が深刻化。
2. 政府補助金の削減
・目的:財政赤字を削減し、市場原理に基づいた経済を構築。
・結果:公共料金や食品価格が急上昇し、低所得者層が大きな打撃を受ける。
3. 国営企業の民営化
・目的:国家主導の経済から市場競争を導入し、生産効率を向上させる。
・方法:「バウチャー方式」を採用し、国民に企業株を配布。
・結果:企業の支配権はオリガルヒ(新興財閥)に集中し、「強奪的民営化」と批判される。
経済・社会への影響
1. 経済格差の拡大
・一部の実業家や官僚が国営企業を安値で買収し、「オリガルヒ」と呼ばれる富裕層が誕生。
・一方、一般国民は給与未払い・失業・社会福祉の縮小に苦しむ。
2. ハイパーインフレと生活水準の低下
・価格自由化と通貨供給の急増により、ルーブルの価値が暴落。
・1990年代前半のロシアのGDPは40%以上減少し、国民の貧困率が急上昇。
3. 政治的不安定化
・1993年、エリツィン政権と議会(最高会議)が対立し、武力衝突(1993年憲政危機)に発展。
・経済政策への反発が強まり、1996年の大統領選ではエリツィンが苦戦(最終的に勝利)。
・1999年、経済混乱を背景にプーチンが首相に就任し、後の権力集中へとつながる。
評価
肯定的評価
・旧ソ連時代の計画経済からの転換を果たし、市場経済への移行を促進。
・2000年代以降のロシア経済成長(主に石油・ガス輸出による)が可能になった。
否定的評価
・改革のスピードが速すぎ、国民生活への影響が考慮されなかった。
・「オリガルヒ支配」を招き、ロシア社会の不平等を固定化。
・結果的に反民主主義的な流れを助長し、プーチン政権の台頭を許した。
結論
ガイダルの「ショック療法」は短期間で市場経済を導入することには成功したが、経済混乱と社会不安を招き、結果的にロシアの民主主義を弱体化させた。この失敗が、現在のロシアの政治体制の形成に大きな影響を与えたと考えられる。
☞ オリガルヒ(Oligarch)
概要
・ロシアや旧ソ連諸国において、民営化の過程で国営企業を支配し、巨額の富を蓄積した新興財閥を指す。
・1990年代の民営化(特にガイダルの「ショック療法」)を利用し、安価で企業資産を取得。
・政治・経済に強い影響力を持ち、一部は政府高官と結びつくことで権力を拡大。
オリガルヒの形成
1. 1990年代の混乱と財閥化
・1992年の価格自由化と国営企業の民営化を契機に、一部の実業家が急成長。
・「バウチャー方式」で国民に配布された企業株を買い集め、主要企業を支配。
・政府の「ローン・フォー・シェアーズ(担保融資)」政策を利用し、国営資源企業を格安で取得。
・金融・石油・天然ガス・鉱業などの分野で急速に富を蓄積。
2. 1996年大統領選とエリツィン政権との結託
・エリツィン再選を支援する代わりに、政府から経済的利益を受ける。
・メディア支配を通じて世論を操作し、政権に影響力を行使。
・代表的オリガルヒ(例:ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー)。
3. プーチン政権の台頭と「粛清」
・2000年以降、プーチンは「国家の支配強化」を掲げ、政権に従わないオリガルヒを排除。
・例:
⇨ ミハイル・ホドルコフスキー(石油大手ユコスの元CEO) → 逮捕・資産没収。
⇨ ボリス・ベレゾフスキー → 亡命後、2013年に死亡(他殺説あり)。
⇨ ウラジーミル・グシンスキー → メディア帝国を失い国外逃亡。
・一方で、クレムリンに忠誠を誓うオリガルヒは生き残り、「国家オリガルヒ」として権力を維持。
現在のオリガルヒ
1. プーチン政権下での役割
・政府と一体化し、国営企業と結びつく形で経済を支配。
・ロスネフチ(石油)、ガスプロム(天然ガス)、ノリリスク・ニッケル(金属)などの企業に影響力。
・西側の経済制裁(2014年のクリミア併合以降)を受け、一部の資産が凍結。
2. 代表的なオリガルヒ
・イーゴリ・セーチン(ロスネフチCEO)
・ゲンナジー・ティムチェンコ(石油・天然ガス)
・アリシェル・ウスマノフ(鉱業・通信)
・ロマン・アブラモビッチ(石油・鉄鋼・元チェルシーFCオーナー)
評価
肯定的側面
・市場経済の発展に貢献し、ロシアの資本主義を加速。
・国際競争力のある企業(ロスネフチ、ガスプロムなど)を育成。
・一部のオリガルヒは文化・スポーツ支援(アブラモビッチのチェルシーFC買収など)も行う。
否定的側面
・経済の不平等を拡大し、富の偏在を引き起こす。
・政府との癒着による汚職や政治腐敗の温床。
・国民の利益ではなく、一部のエリート層のみが利益を得る構造を維持。
結論
オリガルヒはロシアの急激な市場経済化の中で生まれた新興財閥であり、政治・経済に強い影響力を持つ。1990年代は政権と対等な関係だったが、プーチン政権下では国家に従属する形で生き残った。現在もロシア経済を実質的に支配し、体制の安定に寄与しているが、汚職や格差の原因ともなっている。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
A Newly Declassified Memo Sheds Light on America’s Post-Cold War Mistakes The Slatest 2024.12.23
https://slate.com/news-and-politics/2024/12/russia-news-ukraine-cold-war-foreign-policy-history.html
ガイダルの「ショック療法」は、資本主義への急激な移行を目指したが、その結果、多くのロシア国民が経済的混乱に陥り、民主主義の支持基盤が弱体化した。メリーの警告は、アメリカの経済政策がロシア国内の反米感情を助長し、最終的にロシアと西側の対立を再燃させる可能性を指摘していた。
この新たに機密解除されたメモは、1990年代のアメリカ外交政策の誤りを改めて浮き彫りにしている。ワシントンは、民主主義と市場経済の進展を同時に推進できると考えていたが、ロシア社会の現実を見誤り、政治的安定よりも急進的な市場改革を優先した。その結果、ロシアの民主主義は脆弱なままとなり、欧米への不信が根付いた。
メリーの指摘通り、アメリカの「援助観光客(assistance tourists)」と呼ばれる専門家たちは、ロシアの実情を十分に理解せず、西側の経済理論を押し付けた。これが逆にロシア国内のナショナリズムや反米感情を刺激し、現在の米ロ関係の対立構造の一因となった可能性がある。
このメモが当時の政策決定に影響を与えていれば、ロシアの民主化プロセスは異なる方向へ進んだかもしれない。しかし、現実には、アメリカは市場経済の強制的な導入を推し進め、ロシア社会の混乱を招いた。この点で、メリーの分析は極めて洞察に満ちたものであったと言える。
【詳細】
新たに機密解除されたメモが示すアメリカのポスト冷戦期の誤り
2024年12月23日、Slate誌のフレッド・カプラン(Fred Kaplan)が発表した記事は、アメリカの対ロシア政策の失敗に関する新たな機密解除文書を紹介し、大きな注目を集めた。この文書は、1994年3月に当時モスクワのアメリカ大使館で内部政治部門の責任者を務めていたウェイン・メリー(Wayne Merry)が作成したもので、ロシアの民主化と経済改革に関するアメリカのアプローチが間違っていたことを鋭く指摘している。
このメモは、従来のアメリカの政策と相反する内容だったため、公式な外交文書として送付されず、「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省上層部に提出された。しかし、当時の政策決定者たちはこれを無視し、メリー自身もその後外交界から事実上追放された。30年を経てこのメモが機密解除されたことで、アメリカの対ロシア政策の失敗が改めて検証されている。
ウェイン・メリーの警告とアメリカの対応
メモのタイトルは「ロシアは誰のものか――善意ある尊重の政策へ(Whose Russia Is It Anyway: Toward a Policy of Benign Respect)」であり、ロシアの経済改革と民主化に対するアメリカのアプローチが誤っていると指摘している。
当時、ボリス・エリツィン大統領は民主化と市場経済改革を推進していたが、その政策は深刻な混乱を招いていた。エリツィンの首相であり「ショック療法(Shock Therapy)」の設計者であるイーゴリ・ガイダル(Yegor Gaidar)の政党は選挙で敗北し、モスクワでは1993年に議会クーデターが発生。エリツィンは戦車を動員してこれを鎮圧した。しかし、アメリカ政府はなおエリツィンを強力なリーダーと見なし、彼の急進的な市場経済改革を成功と考えていた。
メリーはこの状況に強い懸念を示し、「ロシアの民主主義勢力は深刻な危機に瀕している。我々は市場経済への過度な偏重によって、むしろ彼らを支援するのではなく、害を与えている」と主張した。彼の指摘した核心的な問題点は以下の通りである。
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
メリーは「ロシア経済は急速な市場改革に耐えられない」と警告し、「西側がロシア国民の意思に反して経済構造を無理に変えようとすれば、アメリカへの好意的な感情は枯渇し、反民主主義勢力を利し、ロシアと西側の敵対関係を再び生み出す」と述べた。
2. アメリカの「市場至上主義」はロシアでは通用しない
メリーは、「アメリカでは『民主主義』と『市場経済』がほぼ同義のように語られるが、ロシア人にはその概念が理解されない」と述べた。そして、「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人は非常に少なく、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を込めて指摘した。
3. アメリカの「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
メリーは、ロシアに派遣されたアメリカの経済顧問団についても厳しく批判した。彼らはロシアの実情を理解しようとせず、ロシアの経済を実験場のように扱ったという。「ソ連時代に74年間も経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、経済理論家ほど信用できない存在はいない」というメリーの指摘は、当時のロシア人の苛立ちを如実に表している。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先するべきか
メリーは、アメリカは「ロシアの民主主義を守るか、それとも市場経済を推し進めるか、どちらかを選ばなければならない」と述べた。彼は、「市場経済の強制よりも、ロシアが機能的な民主制度を確立することを優先すべきだ」と提言したが、これは当時のワシントンの政策決定者の考えと相容れなかった。
メモのその後とアメリカの反応
メリーのメモは、当時の国務省政策立案部長であるジェームズ・スタインバーグ(Jim Steinberg)によって「刺激的だが、我々の方針と異なる」と一蹴された。スタインバーグは「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、「ロシア経済の自由化はすでにゴルバチョフ時代に始まり、エリツィン政権によってほぼ完了している」と主張した。しかし、メリーは「それは誤りであり、ゴルバチョフはごく限定的な自由化しか行わず、エリツィンの改革も実質的には混乱を生んだだけだ」と指摘した。
メリーのメモは公式には埋もれ、彼はその後アメリカ外交界で冷遇された。彼自身、このメモに対する正式な回答が存在していたことを、今回の機密解除によって初めて知ったという。
30年後の視点から見たメリーの正しさ
現在、ロシアは民主主義とは程遠い政治体制となり、米露関係も冷戦期以来最悪の状態にある。メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、経済改革は一部のオリガルヒを利するものとなり、国民の多くは貧困に苦しんだ。その結果、ウラジーミル・プーチンの台頭を許し、ロシアは再びアメリカと敵対する国家となった。
もし当時のアメリカ政府がメリーの警告を真剣に受け止め、ロシアの民主制度の確立を優先していたら、現在の国際情勢は違ったものになっていた可能性がある。この機密解除文書は、ポスト冷戦期のアメリカ外交の誤りを再評価する上で極めて重要な資料となっている。
【要点】
機密解除されたメモが示すアメリカの対ロシア政策の誤り
概要
・1994年3月、米モスクワ大使館の外交官ウェイン・メリーが「異議申し立てチャンネル(Dissent Channel)」を通じて国務省に送ったメモが2024年に機密解除された。
・メモはアメリカのロシア政策が誤っており、ロシアの民主化を阻害していると警告していたが、当時の政策決定者には無視された。
・30年後、メリーの指摘が正しかったことが明らかになった。
メモの主張
1. アメリカの経済政策はロシアの民主化を阻害した
・市場経済改革を急速に推進しすぎたことで、国民の反発を招いた。
・西側の介入により、民主主義を支持するロシア人すら反米感情を抱いた。
・結果として、反民主主義勢力(後のプーチン政権など)を利することになった。
2. 「市場経済=民主主義」というアメリカの発想はロシアには当てはまらない
・アメリカでは民主主義と市場経済はセットだが、ロシア人にはその概念が理解されない。
・「市場経済に対して肯定的な倫理観を持つロシア人はほぼおらず、むしろマフィアの方が市場を肯定的に捉えている」と皮肉を述べた。
3. 「援助ツーリズム」がロシア人の反感を招いた
・アメリカの経済顧問団がロシアの実情を無視し、教条的な市場改革を押し付けた。
・ソ連時代に散々経済理論に振り回されてきたロシア人にとって、理論家の言葉は信用されなかった。
4. アメリカは「民主主義」と「市場経済」のどちらを優先すべきか
・アメリカは市場経済を最優先したが、メリーは民主主義の安定化を優先すべきだと主張。
・無理な市場経済改革が進んだ結果、エリツィン政権への支持が低下し、後のプーチン政権の台頭を招いた。
当時のアメリカ政府の対応
・メモは国務省政策立案部長ジェームズ・スタインバーグにより「刺激的だが、政策とは異なる」と一蹴された。
・「市場経済のない民主主義は存在しない」と反論し、ロシア経済はすでに自由化されていると主張。
・メリーの意見は受け入れられず、彼はその後外交界で冷遇された。
30年後の評価
・メリーの警告通り、ロシアの民主化は失敗し、市場経済改革は一部のオリガルヒを利する結果となった。
・ロシア国民の不満はプーチン政権の正当化につながり、米露関係は冷戦以来最悪の状態に。
・もし当時のアメリカが民主主義の安定を優先していれば、現在の国際情勢は異なっていた可能性がある。
【参考】
☞ エゴール・ガイダルの「ショック療法」
概要
・1992年、ロシアの首相代行エゴール・ガイダルが推進した急速な市場経済化政策。
・価格自由化、補助金削減、大規模民営化などを一気に実施。
・目的:計画経済から市場経済への移行を短期間で達成し、ハイパーインフレを抑制。
・結果:経済混乱が加速し、国民の生活水準が急激に低下。
主な政策
1. 価格自由化(1992年1月2日)
・目的:計画経済下の物資不足を解消し、供給を増やす。
・結果:物価が急騰し、インフレ率が年間2500%に達する。
・国民の貯蓄は実質的に無価値となり、生活苦が深刻化。
2. 政府補助金の削減
・目的:財政赤字を削減し、市場原理に基づいた経済を構築。
・結果:公共料金や食品価格が急上昇し、低所得者層が大きな打撃を受ける。
3. 国営企業の民営化
・目的:国家主導の経済から市場競争を導入し、生産効率を向上させる。
・方法:「バウチャー方式」を採用し、国民に企業株を配布。
・結果:企業の支配権はオリガルヒ(新興財閥)に集中し、「強奪的民営化」と批判される。
経済・社会への影響
1. 経済格差の拡大
・一部の実業家や官僚が国営企業を安値で買収し、「オリガルヒ」と呼ばれる富裕層が誕生。
・一方、一般国民は給与未払い・失業・社会福祉の縮小に苦しむ。
2. ハイパーインフレと生活水準の低下
・価格自由化と通貨供給の急増により、ルーブルの価値が暴落。
・1990年代前半のロシアのGDPは40%以上減少し、国民の貧困率が急上昇。
3. 政治的不安定化
・1993年、エリツィン政権と議会(最高会議)が対立し、武力衝突(1993年憲政危機)に発展。
・経済政策への反発が強まり、1996年の大統領選ではエリツィンが苦戦(最終的に勝利)。
・1999年、経済混乱を背景にプーチンが首相に就任し、後の権力集中へとつながる。
評価
肯定的評価
・旧ソ連時代の計画経済からの転換を果たし、市場経済への移行を促進。
・2000年代以降のロシア経済成長(主に石油・ガス輸出による)が可能になった。
否定的評価
・改革のスピードが速すぎ、国民生活への影響が考慮されなかった。
・「オリガルヒ支配」を招き、ロシア社会の不平等を固定化。
・結果的に反民主主義的な流れを助長し、プーチン政権の台頭を許した。
結論
ガイダルの「ショック療法」は短期間で市場経済を導入することには成功したが、経済混乱と社会不安を招き、結果的にロシアの民主主義を弱体化させた。この失敗が、現在のロシアの政治体制の形成に大きな影響を与えたと考えられる。
☞ オリガルヒ(Oligarch)
概要
・ロシアや旧ソ連諸国において、民営化の過程で国営企業を支配し、巨額の富を蓄積した新興財閥を指す。
・1990年代の民営化(特にガイダルの「ショック療法」)を利用し、安価で企業資産を取得。
・政治・経済に強い影響力を持ち、一部は政府高官と結びつくことで権力を拡大。
オリガルヒの形成
1. 1990年代の混乱と財閥化
・1992年の価格自由化と国営企業の民営化を契機に、一部の実業家が急成長。
・「バウチャー方式」で国民に配布された企業株を買い集め、主要企業を支配。
・政府の「ローン・フォー・シェアーズ(担保融資)」政策を利用し、国営資源企業を格安で取得。
・金融・石油・天然ガス・鉱業などの分野で急速に富を蓄積。
2. 1996年大統領選とエリツィン政権との結託
・エリツィン再選を支援する代わりに、政府から経済的利益を受ける。
・メディア支配を通じて世論を操作し、政権に影響力を行使。
・代表的オリガルヒ(例:ベレゾフスキー、グシンスキー、ホドルコフスキー)。
3. プーチン政権の台頭と「粛清」
・2000年以降、プーチンは「国家の支配強化」を掲げ、政権に従わないオリガルヒを排除。
・例:
⇨ ミハイル・ホドルコフスキー(石油大手ユコスの元CEO) → 逮捕・資産没収。
⇨ ボリス・ベレゾフスキー → 亡命後、2013年に死亡(他殺説あり)。
⇨ ウラジーミル・グシンスキー → メディア帝国を失い国外逃亡。
・一方で、クレムリンに忠誠を誓うオリガルヒは生き残り、「国家オリガルヒ」として権力を維持。
現在のオリガルヒ
1. プーチン政権下での役割
・政府と一体化し、国営企業と結びつく形で経済を支配。
・ロスネフチ(石油)、ガスプロム(天然ガス)、ノリリスク・ニッケル(金属)などの企業に影響力。
・西側の経済制裁(2014年のクリミア併合以降)を受け、一部の資産が凍結。
2. 代表的なオリガルヒ
・イーゴリ・セーチン(ロスネフチCEO)
・ゲンナジー・ティムチェンコ(石油・天然ガス)
・アリシェル・ウスマノフ(鉱業・通信)
・ロマン・アブラモビッチ(石油・鉄鋼・元チェルシーFCオーナー)
評価
肯定的側面
・市場経済の発展に貢献し、ロシアの資本主義を加速。
・国際競争力のある企業(ロスネフチ、ガスプロムなど)を育成。
・一部のオリガルヒは文化・スポーツ支援(アブラモビッチのチェルシーFC買収など)も行う。
否定的側面
・経済の不平等を拡大し、富の偏在を引き起こす。
・政府との癒着による汚職や政治腐敗の温床。
・国民の利益ではなく、一部のエリート層のみが利益を得る構造を維持。
結論
オリガルヒはロシアの急激な市場経済化の中で生まれた新興財閥であり、政治・経済に強い影響力を持つ。1990年代は政権と対等な関係だったが、プーチン政権下では国家に従属する形で生き残った。現在もロシア経済を実質的に支配し、体制の安定に寄与しているが、汚職や格差の原因ともなっている。
【参考はブログ作成者が付記】
【引用・参照・底本】
A Newly Declassified Memo Sheds Light on America’s Post-Cold War Mistakes The Slatest 2024.12.23
https://slate.com/news-and-politics/2024/12/russia-news-ukraine-cold-war-foreign-policy-history.html
「夢の冬、アジアの愛 Dream of Winter, Love among Asia」 ― 2025年02月08日 18:39
【概要】
第9回アジア冬季競技大会の開会式が2月7日(金)夜、中国東北部の黒竜江省ハルビン市で盛大に開催された。習近平国家主席が式典に出席し、大会の開幕を宣言した。本大会は、北京冬季五輪、成都FISUワールドユニバーシティゲームズ、杭州アジア大会に続く、中国が近年開催する国際的なスポーツの祭典である。「夢の冬、アジアの愛」をスローガンに掲げ、34の国と地域から1,200人以上の選手が参加し、国・地域数、選手数ともにアジア冬季競技大会史上最多となった。大会は「エルビン」の愛称で親しまれるハルビンの街を活気に満ちた雰囲気で包み込んだ。
今大会では中国、日本、韓国が全競技に参加し、カンボジアとサウジアラビアが初めてアジア冬季競技大会に出場する。さらに、タイ(東南アジア)、レバノン(西アジア)などの国々も過去最大の選手団を派遣した。カーリングやアルペンスキーなどの競技では特に参加者が多く、競技種目は従来より31%増加し、大会の多様性と魅力が一層高まった。ハルビンでのアジア冬季競技大会は、中国の冬季スポーツの発展を示すと同時に、スポーツ、文化、外交を通じたアジアの友好と協力を促進する場となっている。
ハルビンの変貌とアジア冬季競技大会の進化
アジア冬季競技大会がハルビンで2度目、中国で3度目の開催となることは、中国の冬季スポーツの発展と成果を象徴している。1996年の第3回大会では、ハルビンは「氷の都市」として知られていたが、29年後の現在は「国際的な冬季スポーツの中心地」へと進化を遂げた。競技規模、競技場建設、社会的支援体制の充実など、多くの面で大きな変化が見られる。近年、インターネット上で「エルビン」とも呼ばれるハルビンは、文化、観光、ビジネスが融合する新たなランドマークとなり、アジア各国から多くの訪問者を引き寄せている。
現在、中国では氷雪スポーツ文化が広く普及している。休日には多くの人が東北地方や新疆ウイグル自治区のスキー場を訪れ、子ども向けの課外授業にもスケートレッスンが含まれるようになった。2030年までに中国の氷雪経済の総規模は1.5兆元(約30兆円)に達すると予測されており、この「氷雪ブーム」は人々の生活の質の向上だけでなく、アジアおよび世界と発展の機会を共有するものとなっている。近年、アジア全体で氷雪スポーツへの参加が広がり、たとえ雪の少ない国であっても高い関心を示している。アジア冬季競技大会は、こうした発展の流れを映し出し、アジア諸国の共通の発展目標と向上心を示す鏡ともなっている。
アジア冬季競技大会の意義と国際的影響
オリンピック評議会(OCA)のラジャ・ランディール・シン会長は、アジア冬季競技大会は単なる競技の場ではなく、アジア諸国間の交流の舞台でもあると述べた。北京冬季五輪から今回のハルビン大会に至るまで、技術革新、環境持続可能性、友好の精神が重視され、競技の枠を超えた広範な関心を集めている。多くのアジア諸国にとって、アジア冬季競技大会は単なる地域大会ではなく、技術、文化、人々の交流を深める重要な国際舞台となっている。中国の高品質な大会運営は世界的に評価されており、アジア冬季競技大会は各国が国際的影響力やソフトパワーを高める機会ともなっている。
習近平国家主席は開会式前日の歓迎宴で演説し、「平和と調和という共通の夢を守る」「アジアは世界の多様な文明が交わる場であり、包摂と共存を促進すべきだ」といった発言がアジア各国のメディアで広く引用された。開会式には多くの各国首脳が出席し、アジア冬季競技大会への支持を表明するとともに、中国の友好的な近隣外交を高く評価した。「エルビン」アジア冬季競技大会は、アジアの安定と統合発展に向けた強い推進力を提供する場となっている。
中国の氷雪スポーツと国際的な交流の未来
アジア冬季競技大会の聖火が灯されることで、競技場の輝きだけでなく、黒土地帯(東北地方)の活力と中国の現代化の歩みを示している。また、中国が世界のスポーツ界に貢献する知恵と力も映し出されている。ハルビンは、「中国らしさ、アジアらしさ、そして壮観さ」を兼ね備えたスポーツの祭典を実現すると確信される。各国のアスリートが大会で健闘し、優れた成果を上げることを期待する。
さらに、中国は最近、トランジットビザの最適化や一方的なビザ免除の拡大政策を進めており、「中国旅行」の認知度は海外でも高まっている。今回のハルビン大会も、氷雪スポーツを通じた文明間の相互理解を深める機会となり、**中国と世界の人々の友好を促進するもう一つの「共通の旅路」**となることが期待されている。
【詳細】
2025年2月8日、「Global Times」が掲載した社説によれば、第9回アジア冬季競技大会(Asian Winter Games)の開会式が2月7日(金)夜に中国・黒竜江省のハルビン(Harbin)で盛大に開催され、習近平国家主席が出席し、大会の開幕を宣言した。この大会は、北京冬季オリンピック、成都FISUワールドユニバーシティゲームズ、杭州アジア競技大会に続き、中国が近年開催した国際的なスポーツイベントの一つである。
「冬の夢、アジアの愛(Dream of Winter, Love among Asia)」をスローガンに掲げる今大会には、34の国と地域から1,200人以上の選手が参加し、過去最多の参加国・地域数と選手数を記録した。開催地であるハルビンは、インターネット上で親しみを込めて「エルビン(Erbin)」と呼ばれており、大会の開催によって活気に満ちた雰囲気に包まれている。
大会の特徴と参加国の状況
本大会では、中国、日本、韓国が全競技に出場するほか、カンボジアとサウジアラビアが初参加となる。さらに、東南アジアのタイや西アジアのレバノンなど、多くの国々が過去最大の代表団を派遣した。カーリングやアルペンスキーなどの競技では特に参加希望が多く、競技数は前回大会より31%増加し、大会の多様性と魅力が一層強化された。
アジア冬季競技大会のハルビン開催は今回で2回目、中国開催としては3回目となる。前回ハルビンで開催されたのは1996年(第3回大会)であり、29年ぶりの開催となる。この間、ハルビンは「氷の都市(Ice City)」から「国際的な冬季スポーツの中心地(International Winter Sports Capital)」へと成長を遂げた。競技規模の拡大、会場施設の充実、社会的な支援の向上など、都市の発展が顕著である。
また、ハルビンは観光やビジネスの融合により、新たな文化的ランドマークとなっており、アジア全域からの訪問者を引き寄せている。
中国国内の冬季スポーツの発展
近年、中国では冬季スポーツ文化が急速に普及し、多くの人々が休日に東北地方や新疆ウイグル自治区のスキーリゾートを訪れるようになった。また、子供向けの課外活動としてスケート教室が一般的になっている。2030年までに中国の「氷雪経済」は1.5兆元(約30兆円)規模に達する見込みであり、この「氷雪ブーム」は国民の生活の質を向上させるとともに、アジアおよび世界に新たな経済成長の機会を提供している。
アジア全体でも、冬季スポーツの人気は拡大しており、雪の少ない地域でも積極的な取り組みが見られる。アジア冬季競技大会を通じて、経済成長や人々の生活向上への期待が反映されていると指摘されている。
大会の国際的意義と中国の役割
アジアオリンピック評議会(OCA)のラジャ・ランディール・シン会長は、「アジア冬季競技大会は単なる競技の舞台にとどまらず、アジア諸国の交流の場でもある」と述べた。
北京冬季オリンピックからハルビン大会に至るまで、技術革新、環境持続可能性、友好精神が重要視されており、単なる競技大会以上の意味を持つ。特に中国の高品質な大会運営は国際的に評価されており、スポーツ、技術、文化、人的交流の場として大会の重要性が増している。多くの国々が、自国の影響力やソフトパワーを強化する機会としてこの大会を活用している。
習近平国家主席の演説と各国の反応
2月7日の開会式に先立ち、習近平国家主席は大会歓迎晩餐会で演説を行い、「平和と調和の共通の夢を堅持すること」や「アジアは世界の多様な文明の交差点であり、包摂と共存を促進すべきである」といった主張を展開した。この演説はアジア各国のメディアで広く報じられ、多くの国の指導者が開会式に出席したことが、中国の友好的な近隣外交への支持を示している。
また、「エルビン」アジア冬季競技大会は、地域の安定と統合的発展に貢献する重要な場ともなっている。
今後の展望
アジア冬季競技大会の聖火は、競技の場だけでなく、中国の近代化の足跡をも照らしている。黒竜江省の広大な大地の上で、中国の活力、開放性、包摂性を示す大会となることが期待される。
ハルビンは「中国らしさ、アジアらしさ、そして壮大さ」を兼ね備えたスポーツの祭典を世界に届けることになるだろう。また、中国はトランジットビザの緩和や一方的なビザ免除の拡大といった政策を進めており、「中国旅行(China Travel)」のブランド価値が海外で高まっている。
ハルビン大会は、氷と雪を媒介とした国際交流の架け橋となり、世界各国の人々との相互理解と友好関係を深化させる場となると期待されている。
【要点】
第9回アジア冬季競技大会(Asian Winter Games)ハルビン大会の概要
開会式と基本情報
・開会式日時:2025年2月7日(金)夜
・開催地:中国・黒竜江省ハルビン(29年ぶり2回目の開催)
・スローガン:「冬の夢、アジアの愛(Dream of Winter, Love among Asia)」
・主催:アジアオリンピック評議会(OCA)
・参加国・地域:34カ国・地域(過去最多)
・参加選手:1,200人以上(過去最多)
・競技数:前回大会比31%増
習近平国家主席の関与
・開会式に出席し、大会を宣言
・大会前日の晩餐会で演説
⇨ 「平和と調和の共通の夢の重要性」
⇨ 「アジアの多様な文明の交流と包摂を促進」
・参加国の特徴
・中国、日本、韓国:全競技に参加
・カンボジア、サウジアラビア:冬季競技大会に初参加
・東南アジア・西アジア諸国:代表団の規模を拡大(タイ、レバノンなど)
ハルビンの発展と大会の意義
・「氷の都市(Ice City)」→「国際的な冬季スポーツの中心地」へ成長
・都市観光・ビジネスの拠点化(訪問者増加)
・中国国内の冬季スポーツの急成長
⇨ 「氷雪経済」市場規模:2030年までに1.5兆元(約30兆円)規模に成長見込み
⇨ スキー・スケートが一般層に普及
国際的な影響と外交戦略
・中国の大会運営能力の国際評価向上
・スポーツを通じたアジア諸国の交流強化
・トランジットビザ緩和・ビザ免除拡大(観光促進)
今後の展望
・ハルビン大会が「国際交流の架け橋」に
・中国のスポーツ・文化・経済の影響力拡大
・アジアにおける冬季スポーツの発展加速
【引用・参照・底本】
Asia's unity, progress, passion seen at big party of 'Erbin' Asian Winter Games: Global Times editorial GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328057.shtml
第9回アジア冬季競技大会の開会式が2月7日(金)夜、中国東北部の黒竜江省ハルビン市で盛大に開催された。習近平国家主席が式典に出席し、大会の開幕を宣言した。本大会は、北京冬季五輪、成都FISUワールドユニバーシティゲームズ、杭州アジア大会に続く、中国が近年開催する国際的なスポーツの祭典である。「夢の冬、アジアの愛」をスローガンに掲げ、34の国と地域から1,200人以上の選手が参加し、国・地域数、選手数ともにアジア冬季競技大会史上最多となった。大会は「エルビン」の愛称で親しまれるハルビンの街を活気に満ちた雰囲気で包み込んだ。
今大会では中国、日本、韓国が全競技に参加し、カンボジアとサウジアラビアが初めてアジア冬季競技大会に出場する。さらに、タイ(東南アジア)、レバノン(西アジア)などの国々も過去最大の選手団を派遣した。カーリングやアルペンスキーなどの競技では特に参加者が多く、競技種目は従来より31%増加し、大会の多様性と魅力が一層高まった。ハルビンでのアジア冬季競技大会は、中国の冬季スポーツの発展を示すと同時に、スポーツ、文化、外交を通じたアジアの友好と協力を促進する場となっている。
ハルビンの変貌とアジア冬季競技大会の進化
アジア冬季競技大会がハルビンで2度目、中国で3度目の開催となることは、中国の冬季スポーツの発展と成果を象徴している。1996年の第3回大会では、ハルビンは「氷の都市」として知られていたが、29年後の現在は「国際的な冬季スポーツの中心地」へと進化を遂げた。競技規模、競技場建設、社会的支援体制の充実など、多くの面で大きな変化が見られる。近年、インターネット上で「エルビン」とも呼ばれるハルビンは、文化、観光、ビジネスが融合する新たなランドマークとなり、アジア各国から多くの訪問者を引き寄せている。
現在、中国では氷雪スポーツ文化が広く普及している。休日には多くの人が東北地方や新疆ウイグル自治区のスキー場を訪れ、子ども向けの課外授業にもスケートレッスンが含まれるようになった。2030年までに中国の氷雪経済の総規模は1.5兆元(約30兆円)に達すると予測されており、この「氷雪ブーム」は人々の生活の質の向上だけでなく、アジアおよび世界と発展の機会を共有するものとなっている。近年、アジア全体で氷雪スポーツへの参加が広がり、たとえ雪の少ない国であっても高い関心を示している。アジア冬季競技大会は、こうした発展の流れを映し出し、アジア諸国の共通の発展目標と向上心を示す鏡ともなっている。
アジア冬季競技大会の意義と国際的影響
オリンピック評議会(OCA)のラジャ・ランディール・シン会長は、アジア冬季競技大会は単なる競技の場ではなく、アジア諸国間の交流の舞台でもあると述べた。北京冬季五輪から今回のハルビン大会に至るまで、技術革新、環境持続可能性、友好の精神が重視され、競技の枠を超えた広範な関心を集めている。多くのアジア諸国にとって、アジア冬季競技大会は単なる地域大会ではなく、技術、文化、人々の交流を深める重要な国際舞台となっている。中国の高品質な大会運営は世界的に評価されており、アジア冬季競技大会は各国が国際的影響力やソフトパワーを高める機会ともなっている。
習近平国家主席は開会式前日の歓迎宴で演説し、「平和と調和という共通の夢を守る」「アジアは世界の多様な文明が交わる場であり、包摂と共存を促進すべきだ」といった発言がアジア各国のメディアで広く引用された。開会式には多くの各国首脳が出席し、アジア冬季競技大会への支持を表明するとともに、中国の友好的な近隣外交を高く評価した。「エルビン」アジア冬季競技大会は、アジアの安定と統合発展に向けた強い推進力を提供する場となっている。
中国の氷雪スポーツと国際的な交流の未来
アジア冬季競技大会の聖火が灯されることで、競技場の輝きだけでなく、黒土地帯(東北地方)の活力と中国の現代化の歩みを示している。また、中国が世界のスポーツ界に貢献する知恵と力も映し出されている。ハルビンは、「中国らしさ、アジアらしさ、そして壮観さ」を兼ね備えたスポーツの祭典を実現すると確信される。各国のアスリートが大会で健闘し、優れた成果を上げることを期待する。
さらに、中国は最近、トランジットビザの最適化や一方的なビザ免除の拡大政策を進めており、「中国旅行」の認知度は海外でも高まっている。今回のハルビン大会も、氷雪スポーツを通じた文明間の相互理解を深める機会となり、**中国と世界の人々の友好を促進するもう一つの「共通の旅路」**となることが期待されている。
【詳細】
2025年2月8日、「Global Times」が掲載した社説によれば、第9回アジア冬季競技大会(Asian Winter Games)の開会式が2月7日(金)夜に中国・黒竜江省のハルビン(Harbin)で盛大に開催され、習近平国家主席が出席し、大会の開幕を宣言した。この大会は、北京冬季オリンピック、成都FISUワールドユニバーシティゲームズ、杭州アジア競技大会に続き、中国が近年開催した国際的なスポーツイベントの一つである。
「冬の夢、アジアの愛(Dream of Winter, Love among Asia)」をスローガンに掲げる今大会には、34の国と地域から1,200人以上の選手が参加し、過去最多の参加国・地域数と選手数を記録した。開催地であるハルビンは、インターネット上で親しみを込めて「エルビン(Erbin)」と呼ばれており、大会の開催によって活気に満ちた雰囲気に包まれている。
大会の特徴と参加国の状況
本大会では、中国、日本、韓国が全競技に出場するほか、カンボジアとサウジアラビアが初参加となる。さらに、東南アジアのタイや西アジアのレバノンなど、多くの国々が過去最大の代表団を派遣した。カーリングやアルペンスキーなどの競技では特に参加希望が多く、競技数は前回大会より31%増加し、大会の多様性と魅力が一層強化された。
アジア冬季競技大会のハルビン開催は今回で2回目、中国開催としては3回目となる。前回ハルビンで開催されたのは1996年(第3回大会)であり、29年ぶりの開催となる。この間、ハルビンは「氷の都市(Ice City)」から「国際的な冬季スポーツの中心地(International Winter Sports Capital)」へと成長を遂げた。競技規模の拡大、会場施設の充実、社会的な支援の向上など、都市の発展が顕著である。
また、ハルビンは観光やビジネスの融合により、新たな文化的ランドマークとなっており、アジア全域からの訪問者を引き寄せている。
中国国内の冬季スポーツの発展
近年、中国では冬季スポーツ文化が急速に普及し、多くの人々が休日に東北地方や新疆ウイグル自治区のスキーリゾートを訪れるようになった。また、子供向けの課外活動としてスケート教室が一般的になっている。2030年までに中国の「氷雪経済」は1.5兆元(約30兆円)規模に達する見込みであり、この「氷雪ブーム」は国民の生活の質を向上させるとともに、アジアおよび世界に新たな経済成長の機会を提供している。
アジア全体でも、冬季スポーツの人気は拡大しており、雪の少ない地域でも積極的な取り組みが見られる。アジア冬季競技大会を通じて、経済成長や人々の生活向上への期待が反映されていると指摘されている。
大会の国際的意義と中国の役割
アジアオリンピック評議会(OCA)のラジャ・ランディール・シン会長は、「アジア冬季競技大会は単なる競技の舞台にとどまらず、アジア諸国の交流の場でもある」と述べた。
北京冬季オリンピックからハルビン大会に至るまで、技術革新、環境持続可能性、友好精神が重要視されており、単なる競技大会以上の意味を持つ。特に中国の高品質な大会運営は国際的に評価されており、スポーツ、技術、文化、人的交流の場として大会の重要性が増している。多くの国々が、自国の影響力やソフトパワーを強化する機会としてこの大会を活用している。
習近平国家主席の演説と各国の反応
2月7日の開会式に先立ち、習近平国家主席は大会歓迎晩餐会で演説を行い、「平和と調和の共通の夢を堅持すること」や「アジアは世界の多様な文明の交差点であり、包摂と共存を促進すべきである」といった主張を展開した。この演説はアジア各国のメディアで広く報じられ、多くの国の指導者が開会式に出席したことが、中国の友好的な近隣外交への支持を示している。
また、「エルビン」アジア冬季競技大会は、地域の安定と統合的発展に貢献する重要な場ともなっている。
今後の展望
アジア冬季競技大会の聖火は、競技の場だけでなく、中国の近代化の足跡をも照らしている。黒竜江省の広大な大地の上で、中国の活力、開放性、包摂性を示す大会となることが期待される。
ハルビンは「中国らしさ、アジアらしさ、そして壮大さ」を兼ね備えたスポーツの祭典を世界に届けることになるだろう。また、中国はトランジットビザの緩和や一方的なビザ免除の拡大といった政策を進めており、「中国旅行(China Travel)」のブランド価値が海外で高まっている。
ハルビン大会は、氷と雪を媒介とした国際交流の架け橋となり、世界各国の人々との相互理解と友好関係を深化させる場となると期待されている。
【要点】
第9回アジア冬季競技大会(Asian Winter Games)ハルビン大会の概要
開会式と基本情報
・開会式日時:2025年2月7日(金)夜
・開催地:中国・黒竜江省ハルビン(29年ぶり2回目の開催)
・スローガン:「冬の夢、アジアの愛(Dream of Winter, Love among Asia)」
・主催:アジアオリンピック評議会(OCA)
・参加国・地域:34カ国・地域(過去最多)
・参加選手:1,200人以上(過去最多)
・競技数:前回大会比31%増
習近平国家主席の関与
・開会式に出席し、大会を宣言
・大会前日の晩餐会で演説
⇨ 「平和と調和の共通の夢の重要性」
⇨ 「アジアの多様な文明の交流と包摂を促進」
・参加国の特徴
・中国、日本、韓国:全競技に参加
・カンボジア、サウジアラビア:冬季競技大会に初参加
・東南アジア・西アジア諸国:代表団の規模を拡大(タイ、レバノンなど)
ハルビンの発展と大会の意義
・「氷の都市(Ice City)」→「国際的な冬季スポーツの中心地」へ成長
・都市観光・ビジネスの拠点化(訪問者増加)
・中国国内の冬季スポーツの急成長
⇨ 「氷雪経済」市場規模:2030年までに1.5兆元(約30兆円)規模に成長見込み
⇨ スキー・スケートが一般層に普及
国際的な影響と外交戦略
・中国の大会運営能力の国際評価向上
・スポーツを通じたアジア諸国の交流強化
・トランジットビザ緩和・ビザ免除拡大(観光促進)
今後の展望
・ハルビン大会が「国際交流の架け橋」に
・中国のスポーツ・文化・経済の影響力拡大
・アジアにおける冬季スポーツの発展加速
【引用・参照・底本】
Asia's unity, progress, passion seen at big party of 'Erbin' Asian Winter Games: Global Times editorial GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328057.shtml
パナマと中国 ― 2025年02月08日 18:59
【桃源寸評】
パナマ、海賊船を通し、宝船を阻止するか。
国運の分岐点にある。
【寸評 完】
【概要】
中国外交部のZhao Zhiyuan副首相は、金曜日に中国駐在のパナマ大使 Miguel Humberto Lecaro Barcenas(ミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス)と会談し、パナマが一帯一路(BRI)協力に関する覚書を終了するという最近の発表に対して、深刻な抗議を行ったと中国外交部のウェブサイトに記載されている。
Zhao副首相は、パナマの発表に対して深い遺憾の意を表明した。彼は、一帯一路イニシアティブ(BRI)の枠組みの中で、中国とパナマの協力は急速に発展し、パナマ及びその国民に具体的な利益をもたらしたことを強調した。また、BRIには150を超える国々が積極的に参加しており、その成果はパナマを含む多くの国々の人々に利益をもたらしていると述べた。
BRIの方針を転換し、両国の期待を無視することは、パナマの根本的な利益に合致しないとZhao副首相は指摘した。
さらに、Zhao副首相は、中国がパナマの主権と領土の一体性を尊重し、国の大小にかかわらずすべての国の平等を支持し、相互尊重と約束の履行を重視していることを強調した。
また、中国は、アメリカが中国とパナマの関係を損ね、一帯一路を共同で推進する協力を圧力や脅威で妨害しようとする行動に強く反対することを明言した。
中国とパナマの関係は第三国を対象にしたものではなく、第三国による干渉を受けるべきではないとし、パナマ側が外部からの干渉を避け、両国関係の全体的な状況と両国民の長期的な利益に基づいて正しい決定を下すことを希望するとZhao副首相は述べた。
Lecaro大使は、パナマが中国との関係を重視しており、状況を自国政府に報告する意向を示した。
【詳細】
中国外交部のZhao Zhiyuan副首相は、パナマのミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス(Miguel Humberto Lecaro Barcenas)大使と金曜日に会談し、パナマ政府が一帯一路(BRI)に関する協力覚書を終了するという発表について、中国側の強い不満を表明した。会談は、パナマが一帯一路から撤退する決定に関して、正式に中国側の懸念を伝える目的で行われた。
趙副首相は、パナマの発表に深い遺憾の意を表し、一帯一路の枠組みの中で、中国とパナマは多方面にわたり急速に協力を深め、パナマとその国民にとって具体的な利益をもたらしてきたと述べた。中国はこれまで、インフラ整備や貿易、投資、教育などの分野でパナマと協力を強化し、両国の経済関係が大いに発展したと主張している。この発展的な協力の結果、パナマは一帯一路に参加することで、経済的な恩恵を受けたと中国側は考えている。
また、趙副首相は、BRIに参加する国々は現在150か国を超え、その成果は多くの国々、特にパナマに対してポジティブな影響を与えていると強調した。BRIにおける中国の立場は、参加国との協力を通じて共に利益を得ることにあり、パナマがこの枠組みを離れることは、両国の期待を裏切る結果であり、パナマ自身の根本的な利益に合致しないと指摘した。
さらに、趙副首相は、パナマの主権と領土の一体性を尊重し、国の規模に関係なくすべての国が平等であるべきだという中国の立場を強調した。中国は、相互尊重と約束の履行を大切にし、BRIを通じて築かれた信頼関係を重視している。この発言は、パナマが一帯一路の方針を転換したことへの中国側の反発を示している。
さらに、趙副首相は、アメリカ合衆国が中国とパナマの関係を妨害し、一帯一路の協力を圧力や脅威を使って崩壊させようとしていることに強く反対すると述べた。中国は、アメリカが第三国の内政に干渉することを批判しており、特にパナマと中国の関係に対する干渉に反対している。中国は、両国の関係が他国を対象とするものではなく、第三国による干渉は不適切であると考えており、パナマに対して、外部からの干渉を排除し、両国の長期的な利益に基づいて正しい判断を下すように呼びかけた。
パナマ側のレカル大使は、パナマが中国との関係を重要視しており、現状について自国政府に報告する意向を示した。これにより、パナマは中国との関係を断絶する意思はなく、政府内でこの問題をさらに協議することが予想される。
【要点】
1.会談の背景: 中国外交部の趙志源副首相は、パナマ駐在のミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス大使と会談し、パナマの一帯一路(BRI)協力覚書終了に対して深刻な抗議を行った。
2.中国の立場
・パナマの決定に深い遺憾の意を表明。
・中国とパナマの協力は、BRI枠組み内で急速に発展し、パナマとその国民に具体的な利益をもたらしてきた。
・BRIには150以上の国が参加しており、その成果がパナマにも利益をもたらしている。
・一帯一路からの撤退は、パナマの根本的な利益に合致しない。
・中国はパナマの主権と領土の一体性を尊重し、全ての国が平等であるべきと強調。
3.アメリカの影響
・中国は、アメリカが中国とパナマの関係を妨害しようとしていると批判。
・アメリカの圧力や脅威によってBRI協力が崩壊することに反対。
4.第三国の干渉反対
・中国とパナマの関係は第三国を対象としたものではなく、第三国による干渉を受けるべきではない。
・パナマに対して外部からの干渉を避け、長期的な利益を基にした判断をするように求める。
5.パナマの立場
・パナマは中国との関係を重視しており、状況を自国政府に報告すると伝えた。
【引用・参照・底本】
China lodges serious representation with Panama on its withdrawal from BRI: Chinese FM GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328064.shtml
パナマ、海賊船を通し、宝船を阻止するか。
国運の分岐点にある。
【寸評 完】
【概要】
中国外交部のZhao Zhiyuan副首相は、金曜日に中国駐在のパナマ大使 Miguel Humberto Lecaro Barcenas(ミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス)と会談し、パナマが一帯一路(BRI)協力に関する覚書を終了するという最近の発表に対して、深刻な抗議を行ったと中国外交部のウェブサイトに記載されている。
Zhao副首相は、パナマの発表に対して深い遺憾の意を表明した。彼は、一帯一路イニシアティブ(BRI)の枠組みの中で、中国とパナマの協力は急速に発展し、パナマ及びその国民に具体的な利益をもたらしたことを強調した。また、BRIには150を超える国々が積極的に参加しており、その成果はパナマを含む多くの国々の人々に利益をもたらしていると述べた。
BRIの方針を転換し、両国の期待を無視することは、パナマの根本的な利益に合致しないとZhao副首相は指摘した。
さらに、Zhao副首相は、中国がパナマの主権と領土の一体性を尊重し、国の大小にかかわらずすべての国の平等を支持し、相互尊重と約束の履行を重視していることを強調した。
また、中国は、アメリカが中国とパナマの関係を損ね、一帯一路を共同で推進する協力を圧力や脅威で妨害しようとする行動に強く反対することを明言した。
中国とパナマの関係は第三国を対象にしたものではなく、第三国による干渉を受けるべきではないとし、パナマ側が外部からの干渉を避け、両国関係の全体的な状況と両国民の長期的な利益に基づいて正しい決定を下すことを希望するとZhao副首相は述べた。
Lecaro大使は、パナマが中国との関係を重視しており、状況を自国政府に報告する意向を示した。
【詳細】
中国外交部のZhao Zhiyuan副首相は、パナマのミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス(Miguel Humberto Lecaro Barcenas)大使と金曜日に会談し、パナマ政府が一帯一路(BRI)に関する協力覚書を終了するという発表について、中国側の強い不満を表明した。会談は、パナマが一帯一路から撤退する決定に関して、正式に中国側の懸念を伝える目的で行われた。
趙副首相は、パナマの発表に深い遺憾の意を表し、一帯一路の枠組みの中で、中国とパナマは多方面にわたり急速に協力を深め、パナマとその国民にとって具体的な利益をもたらしてきたと述べた。中国はこれまで、インフラ整備や貿易、投資、教育などの分野でパナマと協力を強化し、両国の経済関係が大いに発展したと主張している。この発展的な協力の結果、パナマは一帯一路に参加することで、経済的な恩恵を受けたと中国側は考えている。
また、趙副首相は、BRIに参加する国々は現在150か国を超え、その成果は多くの国々、特にパナマに対してポジティブな影響を与えていると強調した。BRIにおける中国の立場は、参加国との協力を通じて共に利益を得ることにあり、パナマがこの枠組みを離れることは、両国の期待を裏切る結果であり、パナマ自身の根本的な利益に合致しないと指摘した。
さらに、趙副首相は、パナマの主権と領土の一体性を尊重し、国の規模に関係なくすべての国が平等であるべきだという中国の立場を強調した。中国は、相互尊重と約束の履行を大切にし、BRIを通じて築かれた信頼関係を重視している。この発言は、パナマが一帯一路の方針を転換したことへの中国側の反発を示している。
さらに、趙副首相は、アメリカ合衆国が中国とパナマの関係を妨害し、一帯一路の協力を圧力や脅威を使って崩壊させようとしていることに強く反対すると述べた。中国は、アメリカが第三国の内政に干渉することを批判しており、特にパナマと中国の関係に対する干渉に反対している。中国は、両国の関係が他国を対象とするものではなく、第三国による干渉は不適切であると考えており、パナマに対して、外部からの干渉を排除し、両国の長期的な利益に基づいて正しい判断を下すように呼びかけた。
パナマ側のレカル大使は、パナマが中国との関係を重要視しており、現状について自国政府に報告する意向を示した。これにより、パナマは中国との関係を断絶する意思はなく、政府内でこの問題をさらに協議することが予想される。
【要点】
1.会談の背景: 中国外交部の趙志源副首相は、パナマ駐在のミゲル・ウンベルト・レカル・バルセナス大使と会談し、パナマの一帯一路(BRI)協力覚書終了に対して深刻な抗議を行った。
2.中国の立場
・パナマの決定に深い遺憾の意を表明。
・中国とパナマの協力は、BRI枠組み内で急速に発展し、パナマとその国民に具体的な利益をもたらしてきた。
・BRIには150以上の国が参加しており、その成果がパナマにも利益をもたらしている。
・一帯一路からの撤退は、パナマの根本的な利益に合致しない。
・中国はパナマの主権と領土の一体性を尊重し、全ての国が平等であるべきと強調。
3.アメリカの影響
・中国は、アメリカが中国とパナマの関係を妨害しようとしていると批判。
・アメリカの圧力や脅威によってBRI協力が崩壊することに反対。
4.第三国の干渉反対
・中国とパナマの関係は第三国を対象としたものではなく、第三国による干渉を受けるべきではない。
・パナマに対して外部からの干渉を避け、長期的な利益を基にした判断をするように求める。
5.パナマの立場
・パナマは中国との関係を重視しており、状況を自国政府に報告すると伝えた。
【引用・参照・底本】
China lodges serious representation with Panama on its withdrawal from BRI: Chinese FM GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328064.shtml
それほど大物なのか ― 2025年02月08日 19:14
【桃源寸評】
自国民(カナダの国民)を愚弄していないか。
箔を付けようとするも、却って箔が落ちるか。
【寸評 完】
【概要】
中国大使館は、カナダの政治家に対する情報活動に関する報道に対して反応を示した。カナダのリベラル党党首候補であるクリスティア・フリーランド氏をターゲットにした情報キャンペーンが中国のソーシャルメディアアプリ「WeChat」で行われたという報告を受け、中国大使館の報道官は、金曜日に「そのような情報キャンペーンについては認識していない」と述べた。
報道官はさらに、「中国を攻撃し、誹謗するのは、いくつかの自称専門家による捏造された発言に基づいて行うのは不合理であり、意味がない」と強調した。そして、「中国は強く不満を抱いており、これに断固反対する」と述べた。
報道官は、リベラル党の党首選はカナダの内政であり、中国は他国の内政に干渉しないという原則を常に守ってきたと述べた。また、「中国はカナダの内政と中国関連の要素を結びつけ、根拠のない『中国の干渉』を煽り立て、悪意で中国を中傷することに強く反対する」とし、このような行為が中加関係の健全で安定した発展には全く役立たないと強調した。
【詳細】
中国大使館の報道官は、カナダでのリベラル党党首候補クリスティア・フリーランド氏に対する情報キャンペーンに関する報道に対し、詳細な反応を示した。報道によると、カナダの機関が最近、中国のソーシャルメディアアプリ「WeChat」を通じて、フリーランド氏をターゲットにした情報活動を発見したという。これを受けて、報道官は「そのような情報キャンペーンについて認識していない」とし、具体的な事例には言及しなかった。
その上で、報道官は中国に対する攻撃を強く否定した。報道官は、「中国を攻撃し、誹謗することは、いくつかの自称専門家による捏造された発言に基づくものであり、全く意味がない」と述べ、中国に対する不当な非難を一蹴した。さらに、報道官は「中国は強く不満を抱いており、このような行為に断固反対する」と強調した。
加えて、報道官はカナダのリベラル党党首選はカナダの内政問題であると指摘し、中国は他国の内政に干渉しないという立場を再確認した。これは、中国の外交政策における基本的な原則の一つであり、他国の内政への干渉を避けることを重要視している。
また、中国大使館の報道官は、「カナダの内政と中国関連の要素を無理に結びつけ、根拠のない『中国の干渉』を煽ることに強く反対する」と述べ、これが中加関係にとって有害であることを指摘した。報道官は、このような誤解や誹謗が両国の健全かつ安定した関係の発展に対して何の利益にもならないと警告した。
最終的に、中国政府は自国への悪意ある非難に対して強い立場を取っており、カナダの内政問題に関しては関与しないという姿勢を改めて表明した。この声明は、国際関係における干渉問題に敏感である中国の外交方針を反映している。
【要点】
1.報道内容: カナダのリベラル党党首候補クリスティア・フリーランド氏に対する情報キャンペーンが中国のソーシャルメディア「WeChat」で行われたという報道。
2.中国大使館の反応
・「そのような情報キャンペーンについては認識していない」と報道官が述べた。
・「中国を攻撃し誹謗するのは、捏造された発言に基づくもので意味がない」と強調。
・「中国は強く不満を抱き、これに断固反対する」と述べ、批判を否定。
3.カナダの内政問題について
・リベラル党の党首選はカナダの内政問題であり、他国の干渉を受けるべきではないという立場を表明。
・中国は他国の内政に干渉しない原則を守っていると強調。
4.「中国の干渉」について
・カナダの内政と中国関連の要素を結びつけることに反対。
・根拠のない「中国干渉」を煽る行為に強く反対し、そのような行為が中加関係に有害であると警告。
5.最終的な立場
・中国はカナダの内政問題に関与しないことを再確認。
・両国の健全で安定した関係発展に悪影響を与える誹謗や非難を避けるように促す。
【引用・参照・底本】
China opposes linking Canada's internal affairs with China-related factors: embassy on reports of campaigns targeting Canadian politician GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328062.shtml
自国民(カナダの国民)を愚弄していないか。
箔を付けようとするも、却って箔が落ちるか。
【寸評 完】
【概要】
中国大使館は、カナダの政治家に対する情報活動に関する報道に対して反応を示した。カナダのリベラル党党首候補であるクリスティア・フリーランド氏をターゲットにした情報キャンペーンが中国のソーシャルメディアアプリ「WeChat」で行われたという報告を受け、中国大使館の報道官は、金曜日に「そのような情報キャンペーンについては認識していない」と述べた。
報道官はさらに、「中国を攻撃し、誹謗するのは、いくつかの自称専門家による捏造された発言に基づいて行うのは不合理であり、意味がない」と強調した。そして、「中国は強く不満を抱いており、これに断固反対する」と述べた。
報道官は、リベラル党の党首選はカナダの内政であり、中国は他国の内政に干渉しないという原則を常に守ってきたと述べた。また、「中国はカナダの内政と中国関連の要素を結びつけ、根拠のない『中国の干渉』を煽り立て、悪意で中国を中傷することに強く反対する」とし、このような行為が中加関係の健全で安定した発展には全く役立たないと強調した。
【詳細】
中国大使館の報道官は、カナダでのリベラル党党首候補クリスティア・フリーランド氏に対する情報キャンペーンに関する報道に対し、詳細な反応を示した。報道によると、カナダの機関が最近、中国のソーシャルメディアアプリ「WeChat」を通じて、フリーランド氏をターゲットにした情報活動を発見したという。これを受けて、報道官は「そのような情報キャンペーンについて認識していない」とし、具体的な事例には言及しなかった。
その上で、報道官は中国に対する攻撃を強く否定した。報道官は、「中国を攻撃し、誹謗することは、いくつかの自称専門家による捏造された発言に基づくものであり、全く意味がない」と述べ、中国に対する不当な非難を一蹴した。さらに、報道官は「中国は強く不満を抱いており、このような行為に断固反対する」と強調した。
加えて、報道官はカナダのリベラル党党首選はカナダの内政問題であると指摘し、中国は他国の内政に干渉しないという立場を再確認した。これは、中国の外交政策における基本的な原則の一つであり、他国の内政への干渉を避けることを重要視している。
また、中国大使館の報道官は、「カナダの内政と中国関連の要素を無理に結びつけ、根拠のない『中国の干渉』を煽ることに強く反対する」と述べ、これが中加関係にとって有害であることを指摘した。報道官は、このような誤解や誹謗が両国の健全かつ安定した関係の発展に対して何の利益にもならないと警告した。
最終的に、中国政府は自国への悪意ある非難に対して強い立場を取っており、カナダの内政問題に関しては関与しないという姿勢を改めて表明した。この声明は、国際関係における干渉問題に敏感である中国の外交方針を反映している。
【要点】
1.報道内容: カナダのリベラル党党首候補クリスティア・フリーランド氏に対する情報キャンペーンが中国のソーシャルメディア「WeChat」で行われたという報道。
2.中国大使館の反応
・「そのような情報キャンペーンについては認識していない」と報道官が述べた。
・「中国を攻撃し誹謗するのは、捏造された発言に基づくもので意味がない」と強調。
・「中国は強く不満を抱き、これに断固反対する」と述べ、批判を否定。
3.カナダの内政問題について
・リベラル党の党首選はカナダの内政問題であり、他国の干渉を受けるべきではないという立場を表明。
・中国は他国の内政に干渉しない原則を守っていると強調。
4.「中国の干渉」について
・カナダの内政と中国関連の要素を結びつけることに反対。
・根拠のない「中国干渉」を煽る行為に強く反対し、そのような行為が中加関係に有害であると警告。
5.最終的な立場
・中国はカナダの内政問題に関与しないことを再確認。
・両国の健全で安定した関係発展に悪影響を与える誹謗や非難を避けるように促す。
【引用・参照・底本】
China opposes linking Canada's internal affairs with China-related factors: embassy on reports of campaigns targeting Canadian politician GT 2025.02.08
https://www.globaltimes.cn/page/202502/1328062.shtml