『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』2025年03月28日 21:56

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【概要】

 立教大学の山田昭次名誉教授が、2025年3月15日に誤嚥性肺炎で死去した。享年95。山田教授は、1923年の関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺に関する歴史的事実の解明に尽力した学者であり、特にその研究において重要な役割を果たした。

 山田教授は、埼玉県で生まれ、1953年に立教大学文学部史学科を卒業。その後、1962年から1995年まで母校で講義を行った。1964年には韓日会談反対運動に参加し、その経験がきっかけで在日コリアンや過去の歴史問題に関心を抱くようになった。

 2003年に発表した著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』は、関東大震災における朝鮮人虐殺の実証的な研究として高く評価されている。この著書では、当時の公文書や新聞、調査資料をもとに、6000人以上が死亡した虐殺事件を正確に記録し、事件に対する国家や民衆の責任を追及した。山田教授は、この研究を通じて、日本政府が事件について十分な調査を行わず、謝罪もしていないことを批判していた。

 また、山田教授は、独立運動家の朴烈烈士の妻であり、天皇制に抵抗したアナーキスト金子文子に関する研究も行った。その著書『金子文子:自己・天皇制国家・朝鮮人』では、金子の悲劇的な人生を追跡し、天皇制に対する抵抗の重要性を考察した。

 北朝鮮問題にも積極的に関与しており、2001年に発刊した『日朝条約への市民提言』では、日本が日朝問題に対して消極的である点を指摘し、日朝国交正常化に向けた方向性を提案した。

 さらに、山田教授は朝鮮半島問題に関する著書を数多く著し、朝鮮と中国の視点からの日本の植民地支配や戦争責任について深く掘り下げた。戦時労働動員や戦後の責任を考察することで、日韓問題や日中問題に対する理解を深めることを目的とした。

 山田教授はまた、1970年代初期に「在日同胞スパイ団事件」で拘束された徐勝、徐俊植兄弟の救援活動を行うなど、韓国との特別な縁を持ち続けた。

【詳細】

 山田昭次名誉教授は、1923年の関東大震災における朝鮮人虐殺事件に関する実証的な研究を行った歴史学者であり、特にこの問題に関して深い関心を持ち、その解明に尽力した。彼の研究は、虐殺事件に関する国家責任や民衆責任を追及するものであり、その成果は高く評価されている。

 生涯と学問的背景

 山田昭次は、1929年に埼玉県で生まれ、1953年に立教大学文学部史学科を卒業した。立教大学卒業後、同大学において1962年から1995年まで教鞭をとり、歴史学を教え続けた。彼の研究の焦点は、主に近現代史に関するものであり、特に日本と朝鮮半島との歴史的関係に関心を持ち続けた。彼の学問的なキャリアの中で、在日コリアンや日韓関係、戦争責任に関する問題に深く関わることとなった。

 朝鮮人虐殺事件の研究

 山田教授が特に注目されたのは、1923年の関東大震災の際に発生した朝鮮人虐殺事件に関する研究である。この事件は、関東大震災直後に日本各地で起きた朝鮮人に対する暴力的な襲撃で、実際に6000人以上の朝鮮人が命を落としたとされている。事件の詳細やその背景については、長らく不明な点が多かったが、山田教授は1970年代からこの事件に関する資料を収集し、精力的に研究を進めた。

 2003年に発表した著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』では、当時の警察や内務省、陸軍の公文書に加え、過去の新聞記事、民間調査団体の資料などを駆使して、虐殺事件の実態を詳細に明らかにした。山田教授は、事件が政府機関や民衆によって加担されたものであり、国家の責任を追及する必要があると主張した。また、日本政府が事件に対する正式な調査や謝罪を行っていないことに対しても強く批判した。彼の研究は、朝鮮人虐殺事件に関する最も信頼性の高い実証的な資料として、広く評価されている。

 朝鮮半島問題と北朝鮮

 山田教授はまた、朝鮮半島の問題、特に北朝鮮に関しても積極的に発言してきた。2001年に発表した著書『日朝条約への市民提言』では、日本が日朝問題に対して消極的であることを指摘し、韓国の「太陽政策」やアメリカの「ペリー報告書」といった他国のアプローチに比べ、日本の立場が不十分であることを批判した。この著書では、日朝国交正常化のために、民間レベルでの積極的な対応が必要であるとし、具体的な提案を行った。

 戦争責任と植民地支配

 山田教授は、第二次世界大戦における日本の戦争責任や植民地支配に関する問題にも取り組んだ。彼は、朝鮮と中国の視点から日本の植民地支配を見直すべきだと考え、これらの国々への責任を明確にする必要があると述べている。特に、戦時中の朝鮮人の労働動員や戦後の責任問題について深く掘り下げ、『植民地支配・戦争・戦後の責任:朝鮮・中国への視点の模索』という著書を発表した。この書籍では、朝鮮と中国に対する日本の戦争責任を議論し、戦後の日本社会がどのようにこの問題を扱ってきたかについても触れている。

 在日コリアンとの深い関わり

 山田教授は、韓国や在日コリアンの問題にも深い関心を持ち、在日同胞の人権や歴史的な背景に注目してきた。1970年代初期には、在日コリアンによるスパイ団事件で拘束された徐勝(ソ・スン)と徐俊植(ソ・ジュンシク)の救援活動を行うなど、在日コリアンの権利擁護にも力を注いだ。彼の活動は、日本と韓国、さらには北朝鮮を含む東アジアの複雑な関係を理解するための重要な橋渡しとなった。

 著作と影響

 山田昭次教授は、朝鮮半島や日本の近現代史に関する多くの著書を残しており、これらの著作は学術界のみならず、広く一般の人々にも影響を与えた。彼の研究は、歴史の再解釈を促進し、特に日本政府や社会が直面すべき歴史的な問題を明確にした。山田教授の功績は、日本と朝鮮半島との関係を深く理解するための礎となった。

 結論

 山田昭次教授は、関東大震災の朝鮮人虐殺をはじめとする日本と朝鮮半島に関する歴史的問題に対して、深い洞察と実証的な研究を行った学者である。彼の研究と活動は、日本社会における歴史の認識を変え、日韓問題の解決に向けた重要な一歩となった。

【要点】

 1.生誕と学歴

 ・1929年、埼玉県生まれ。

 ・1953年、立教大学文学部史学科卒業。

 2.学問的背景

 ・1962年から1995年まで立教大学で講義。

 ・在日コリアンや日本と朝鮮半島の歴史問題に関心を持ち始めた。

 3.関東大震災朝鮮人虐殺事件の研究

 ・2003年に著書『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』を発表。

 ・当時の公文書や新聞、調査資料を基に、虐殺事件を6000人以上の死亡者を記録。

 ・日本政府の事件に対する調査不足と謝罪しないことを批判。

 4.朝鮮半島問題の研究

 ・2001年に『日朝条約への市民提言』を発表。

 ・日朝問題に対する日本の消極的対応を批判し、国交正常化の提案を行った。

 5.戦争責任と植民地支配

 ・『植民地支配・戦争・戦後の責任:朝鮮・中国への視点の模索』などを著し、朝鮮と中国の視点から日本の戦争責任を考察。

 6.在日コリアンとの関わり

 ・1970年代初期、在日同胞スパイ団事件で拘束された徐勝(ソ・スン)と徐俊植(ソ・ジュンシク)の救援活動を行う。

7.金子文子に関する研究

 ・『金子文子:自己・天皇制国家・朝鮮人』で、金子文子の悲劇的な人生を追跡し、天皇制への抵抗をテーマにした。

 8.教授としての影響

 ・日本と朝鮮半島に関する学問的な理解を深め、日韓問題の解決への重要な貢献を果たした。

 8.死去

 ・2025年3月15日、誤嚥性肺炎で死去、享年95歳。

【引用・参照・底本】

「日本政府、関東大震災朝鮮人虐殺を謝罪せよ」歴史研究に尽力した山田昭次教授が死去 HANKYOREH 2025.03.28
https://japan.hani.co.kr/arti/international/52782.html

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